山北王の祝宴
背が高く引き締まった体にヤマトゥ(日本)渡りの渋い着物が似合っている。すっきりした顔立ちは、 去年、一の 一の曲輪の御殿は今帰仁合戦の時に焼け落ちて再建したので、それほど古くはなかったが、 攀安知は 幼い頃、正月に父に連れられて、初めて今帰仁グスクに入った時は驚いた。祖父は山北王と呼ばれ、父の兄は若按司と呼ばれていた。若按司の子供たちは皆、綺麗な着物を来ていて、自分とは大違いだと思った。帰り道、父は、「強くなってサムレー大将になれ、そうすれば、今帰仁グスクに出入りできるし、城下に立派な屋敷を建てて暮らす事もできる」と言った。 攀安知は父の言葉を信じて武芸に励んだ。攀安知が十歳の時、ヤマトゥの山伏アタグ(愛宕)が本部に来て、攀安知の武術の師匠になった。十五歳の時にはアタグと一緒に旅にも出た。 その翌年、今帰仁合戦が起こり、中山王の大軍が攻めて来た。攀安知は初陣を見事に飾って、祖父に褒められた。しかし、信じられない事に、祖父は敵の襲撃に遭って戦死してしまう。祖父だけでなく若按司も、若按司の息子も長男と次男が戦死した。急遽、父が山北王を継ぐ事となって、攀安知は若按司となった。 攀安知は本部の屋敷から今帰仁グスクに移った。一の曲輪にある山北王の御殿は焼け落ちてしまっていたが、まるで、夢を見ているような心地だった。 十八歳の時には、弟の ヤマトゥ旅から帰って来ると、父から中山王と同盟を結ぶと聞かされた。まったく信じられない事だった。中山王は祖父と伯父、 「中山王と同盟して 父の母親は 父は祖母から元の国の話を色々と聞いて、敵討ちよりも交易が重要だと考えたのだろう。しかし、攀安知には納得できなかった。 翌年の三月、同盟のために妹のマハニ(真羽)が 妻となったマアサが嫌いだったわけではないが、敵の娘として、近づく事はしなかった。その頃、攀安知は一つ年上の父の側室といい仲になっていて、その側室は弟と妹を産んだが、実の父親は攀安知かもしれなかった。 その年の十月、中山王の 父の死後、攀安知は二十歳の若さで山北王になった。父の葬儀も無事に済んで落ち着いた頃、ずっと、父に反対されていた クンと出会ったのはヤマトゥ旅に行く前だった。旅から帰って、クンをお嫁に迎えようとしたが、中山王との同盟が決まっていたために反対された。武寧の娘を妻に迎えても近づく事はなく、クンを側室にしたいと言ったがやはり反対された。 反対する父が亡くなったので、攀安知は迷う事なく国頭に向かった。クンの父親は正室ではなく、側室になる事に猛反対したが、クンはお嫁にも行かずに迎えに来るのを待っていてくれた。クンは父親に勘当されても、攀安知と一緒になる事を選んで、今帰仁グスクの御内原に入った。 念願がかなってクンと結ばれ、幸せいっぱいの攀安知だったが、お嫁に来ても相手にされないマアサが気の毒でもあった。マアサには何の罪もないが、殺された祖父の事を思うと迎え入れる事はできなかった。 父が亡くなった同じ年に、中山王の 攀安知は兵を引き連れて、船に乗って浮島を目指した。葬儀には 「わしから見れば、そなたは孫じゃのう」と髭だらけの顔をして山南王は笑った。 攀安知は義父の武寧と一緒に酒を飲みながら様々な事を語って、少しだけだが恨みも薄れていった。武寧は父の察度に命じられて今帰仁を攻めたにすぎない。察度が亡くなった今、いつまでも敵討ちにこだわっていてもしかたがない。山北王として今帰仁を今以上に発展させなくてはならないと思い始めた。 今帰仁に帰った攀安知は妻のマアサを初めて抱いた。マアサは涙を溜めて、ありがとうと言った。 何かが吹っ切れた攀安知は山北王として動き始めた。まず最初にやった事は 中山王の進貢船に便乗して毎年、明国に使者を送り、四度目の時、ようやく進貢船が 内乱が終わって、 そして、武寧は首里に新しいグスクを築き始め、大量の材木がヤンバル(琉球北部)から浮島へと運ばれた。材木を積んで行った船は、明国の陶器や絹などの財宝を大量に積んで帰って来た。武寧が殺され、新しい中山王の時代になっても、首里の城下造りで、大量の材木が消費され、攀安知はたんまりと稼いだのだった。わざわざ、明国まで進貢船を送らなくても、中山王から明国の商品を手に入れる事ができ、笑いが止まらないほどだった。 首里の城下も完成して、材木の需要も減ってきた。さて、これからどうするか、それを考えるために、今夜は御内原の新築祝いと称して、主立った者たちを招待したのだった。御内原は男子禁制なので、普段は入る事はできないが、まだ引っ越し前なので、重臣たちも入る事ができた。新しい屋敷を自慢しながら、うまい酒を飲み、今後の相談をするつもりだった。 招待したのは弟の湧川大主、叔母の 一つ違いの弟の湧川大主は攀安知がもっとも頼りにしている男だった。武術の腕も互角で、考える事も似ていて、攀安知が一々命じなくても先を見越して動いてくれる。攀安知がどこかに出掛ける時も、弟が留守を守っていてくれれば安心だった。 勢理客ヌルは何でもずけずけと言うので苦手な叔母だが、ヌルとしての叔母は素晴らしく、重大な事を決める時には、どうしても必要な人だった。姉の今帰仁ヌルもすっかりヌルとしての貫禄が備わって来た。この先、頼りになる存在となるだろう。浦添ヌルは父の 師匠のアタグは武術の師であり、ヤマトゥ言葉の師でもあった。もう二十年以上も琉球にいて、妻もいるし二人の子供もいる。今帰仁合戦の時はサムレー大将として先頭になって中山王の兵を攻め、攀安知が初陣を飾れたのもアタグのお陰だった。攀安知にとって軍師でもあり、父のいない今、父親のような存在でもあった。 『油屋』のウクヌドーは博多の 宗安は博多の 唐人のリュウインは明国で始まった内乱の時に、密貿易船に乗ってやって来た明国の軍師だった。永楽帝の弟に仕えていたが、主人が殺されて琉球に逃げて来たという。武芸の達人だったので、攀安知は立派な屋敷を建てて引き留めた。言葉が通じないので、『油屋』に頼んで、浮島から島言葉のわかる唐人も連れて来させた。今ではすっかり島言葉も話せるようになり、密貿易船でやって来る唐人たちの通訳を務め、書類の作成も担っている。宗安と同様に唐人との交易にはなくてはならない存在だった。 志慶真村の長老は一族の長老だった。すでに八十歳を過ぎ、今帰仁の歴史を見てきた生き証人だった。 若い頃の攀安知は歴史などまったく興味を持っていなかった。遠い昔の事など関係ないと思っていた。しかし、三十歳を過ぎて、父が読んでいた書物を読んでいるうちに、歴史とは先祖たちが築いて来たもので、その先祖がいなければ自分もいないという事がわかってきた。遙か昔に生きていた先祖から延々と命がつながって、今の自分がいる。先祖たちが苦労して生きて来たから、自分がこの世にいるのだとわかると過去の事が知りたくなってきた。祖父まではわかるが、祖父の父の事はまったく知らない。長老が生きているうちに古い話を聞いておこうと思って、今夜、招待したのだった。 羽地按司、国頭按司、名護按司、本部大主、恩納按司、金武按司は皆、親戚だった。羽地按司は大叔父の 平敷大主と謝名大主は祖父の頃からの重臣で、うるさい事ばかり言うので、攀安知が山北王になった時、二人とも隠居させ、子供たちに跡を継がせた。当時は頼りない二人だったが、あれから十二年が経ち、二人とも立派な重臣に納まっていた。 全員が集まると 「本来なら先月の中秋の名月を見ながら祝う予定だったが、一月遅れてしまった。幸い、今宵もいい月が出ている。御内原の新築を祝って楽しく飲もうではないか」 乾杯をしたあと、攀安知は皆の顔を見回して、「実は今夜集まってもらったのは祝宴のためだけではない。今後の事を話し合おうと思っている」と言った。 「そんな事は別の時にやればいい」と国頭按司が言った。 「それよりも、この席に『油屋』がいるのは 「『油屋』には各地の動きを話してもらいます」 「そんな事を聞いてどうするんじゃ?」と名護按司が聞いた。 まったくうるさい叔父たちだと思いながら、「敵の動きを知らなければ、こちらも動きを決められません」と攀安知は言って、「まずは志慶真の長老から今帰仁の歴史について話していただきましょう」と長老を促した。 志慶真の長老はうなづいた。 何を今更、歴史じゃと叔父たちはブツブツ言っていたが、長老には逆らえず、酒を飲みながら長老の話に耳を傾けた。 「 そう言って志慶真の長老は今帰仁の歴史を語り始めた。 古い事なので正確な事はわからないが、長老が若い頃に古老から聞き集めた話や、長老の先祖たちが書き綴ってきた文書によると、二百年余り前、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の武将が兵を引き連れて今帰仁にやって来たという。 「武将の名前は伝わっておらんが、この平家の武将こそが、わしらの御先祖様じゃ」と長老は言った。 「わしらの御先祖様はヤマトゥンチュだったのか」と国頭按司が驚いた顔をして長老を見つめた。 「何も驚く事はない。同じ頃、浦添按司になった 「平家と源氏か‥‥‥」と油屋のウクヌドーも驚いた顔をしてつぶやいた。 長老は平家と源氏の事を簡単に説明して、話を続けた。 平家の武将は今帰仁にグスクを築いて今帰仁按司になった。その頃は勿論、石垣はなく、土塁と堀に囲まれた山城だった。 初代今帰仁按司の長男が二代目を継いで、次男が 二代目今帰仁按司の長男が三代目を継いで、次男が名護にグスクを築いて名護按司になり、三男がグスクの南側に村を作って 三代目の長男が四代目を継いで、次男が国頭にグスクを築いて国頭按司になった。 四代目の時に事件が起こった。 百五十年ほど前、 英祖は各地に勢力を広げて、ヤンバルにも攻めて来た。攻めて来たのは英祖の次男で、湧川按司と名乗って運天泊を占領した。湧川按司は四代目今帰仁按司の娘を妻に迎え、運天泊を本拠地にして今帰仁按司に仕えた。それから十三年間、湧川按司は婿として、今帰仁按司に逆らう事はなかった。ところが、三代目が亡くなった二年後、突然、今帰仁を攻め、四代目を倒して、五代目今帰仁按司となったのだった。 「ほう、そんな事があったのか」と叔父たちも驚いて、そんな古い話は知らなかったようだ。 「するとわしらの先祖は、その英祖の次男なのか」と本部大主が聞いた。 「そうではない」と長老は言った。 「幸いに湧川按司は男の子に恵まれなかったんじゃ。もし、男の子が大勢いたら、無理矢理に婿養子に入れて、羽地按司も名護按司も国頭按司も皆、乗っ取られてしまったじゃろう。湧川按司は娘たちを各按司のもとへ嫁がせたが、平家の血が絶える事はなかったんじゃよ」 湧川按司は四代目と若按司と次男を殺したが、幼かった三男と四女は助けた。妻が自害してしまったため、その罪滅ぼしに助けたのかもしれない。三男は十八歳になると湧川按司の娘を妻に迎えて本部大主となり、四女は湧川按司の後妻に迎えられた。 亡くなった妻も後妻も子供を産んだが女の子ばかりだった。何としてでも跡継ぎを作らなければならないと、何人もの側室を迎えても男の子は生まれなかった。 志慶真村にウトゥタル(乙樽)という美しい娘がいた。その美しさは近隣の村々の噂に上り、今帰仁按司の耳にも入った。按司はさっそく、ウトゥタルを側室に迎えようと使者を志慶真村に遣わした。ウトゥタルは勿論、村の者たちも驚いたが、按司に逆らうわけにはいかない。ウトゥタルは泣く泣く、按司の側室となった。 その翌年、後妻が男の子を産んだ。按司は大喜びして、 按司の死を待ち望んでいる者がいた。按司の娘婿として信頼されていた本部大主だった。父や兄の敵討ちだと今帰仁に攻め寄せて、グスクを奪い取ってしまったのだった。按司の後妻になっていた姉の手引きによるものだった。 跡継ぎの千代松は忠臣の ウトゥタルが志慶真村に帰ると、村人たちは本部大主がグスクを取り戻したとお祭り騒ぎをしていた。無事でよかったと村人たちはウトゥタルを迎え入れてくれた。ウトゥタルも一緒になって勝ち戦を喜んだ。 ウトゥタルは翌年、志慶真大主の後妻となって男の子を産んだ。その男の子は長老の父親で、志慶真大主を継いだ。 本部大主がグスクを取り戻したのが百年ほど前の事である。その頃、浦添では英祖の子孫たちが家督争いを始めて、戦乱の世となっていたが、今帰仁では平和が続いた。 六代目今帰仁按司になった本部大主は娘たちを各按司たちに嫁がせて結束を固めた。もう二度とよそ者に今帰仁は渡さないと誓ったが、そうはならなかった。 「また、何かが起こるのか」と国頭按司が興味深そうに聞いた。 皆、真剣な顔をして長老の話に耳を傾けていた。 「また戦が起こるんじゃよ」と長老は言った。 「本部大主が六代目になってから二十二年後の事じゃった。成長した千代松が大軍を率いて、今帰仁を攻めて来たんじゃ。六代目は討ち取られて、若按司もその長男も殺された。結束を固めたはずなのに、今帰仁が落城したのは裏切り者が出たのかもしれん。二十二年の間に六代目に反感を持つ者が現れたのかもしれんのう」 グスクを取り戻した千代松は七代目今帰仁按司となって、グスクに石垣を巡らせて強化した。千代松が戻って来た時、長老の祖母のウトゥタルは悲しんでいいのか、喜んでいいのかわからなかったという。グスクを奪われ、城下や志慶真村も焼け野原となり、悲しくて憎らしかったが、立派に成長した千代松が戻って来たのは嬉しい事でもあった。ウトゥタルは千代松に会いに行った。千代松はウトゥタルとの再会を大喜びして、村の再建に全力を注いでくれた。 千代松は城下を再建して、羽地按司、国頭按司、名護按司ともうまくやっていた。彼らの妻は千代松の姉たちだった。 千代松が七代目今帰仁按司になって五年後、長老は生まれた。長老の母は六代目の娘で、毎日、グスクを睨みながら、父と兄の敵を討たなければならないと言っていた。 長老が七歳の時、祖母のウトゥタルは亡くなった。美しく生まれたために、幼い頃の千代松と出会ってしまい、一族の ちなみに、千代松の孫が伊波按司と山田按司で、マチルギは千代松の 長老が二十三歳の時、察度が現れて、英祖の子孫の 「そういう事じゃったのか」と名護按司が言った。 「わしが生まれたのがその年じゃった。わしの母は七代目の娘だったので、羽地按司を恨んでおった。わしも羽地按司は悪い奴だと思っていたが、英祖の子孫からグスクを奪い返した羽地按司は御先祖様の敵を討ったんじゃのう」 「わしの母親も七代目の娘で、羽地按司を恨んでいた」と名護按司も言った。 「わしらには尊い平家の血が流れておる。もう二度とグスクをよそ者に奪われてはならんのじゃ。羽地按司がグスクを取り戻してから、すでに五十年が経っている。今こそ一族が団結を固めて、このヤンバルの地を守らなければならんのじゃ」 「長老、ご苦労だった」と攀安知はお礼を言った。 攀安知もまったく知らない事だった。改めて、祖父は凄い事をやり遂げたんだと思っていた。 「さて、今帰仁の歴史を学んだ所で、これからどうすべきかを考えたいと思う。まず、中山王(思紹)の事だが、同盟して 「進貢など必要あるまい」と羽地按司が言った。 「毎年、密貿易船が来てくれれば、危険を冒して明国まで行く必要はない」 「明国の海賊、リンジェンフォン(林剣峰)はこちらが欲しい物はすべて用意すると言いました。面倒な進貢は必要ありません」とリュウインが言った。 攀安知はリュウインにうなづいて、「よし、中山王との同盟はなしだ」と決断を下した。 「そんなの当然でしょ」と浦添ヌルが小声で言った。 攀安知は浦添ヌルを見て笑った。 「次に山南王(汪応祖)だが、近いうちに同盟の打診があるかもしれん。受けるべきか、どう思う?」 「山南王と同盟して、何か得があるのか」と国頭按司が聞いた。 「中山王を挟み撃ちにできる」と攀安知は答えた。 「 「長老の話を聞いただろう。浦添按司の英祖はヤンバルに攻めて来て、今帰仁を奪い取った。わしらは今帰仁を奪い返したが、仕返しはしておらん。いつの日か、中山王を攻めて首里を奪わなくては御先祖様に顔向けできんぞ」 「そうかもしれんが、中山王を攻めるのは難しい。陸路で行けば首里に行くまでに、いくつものグスクを倒さなければならん。船で行ったとしても、敵に船を奪われたら帰って来られなくなる」と名護按司は無理だと言うように首を振った。 「策がある」と攀安知は言った。 「リンジェンフォンに鉄炮(大砲)を装備した船を頼んだ。明国の水軍から奪い取らなければならないので、そう簡単にはいかないだろうが、必ず、持ってくると約束してくれた。その船があれば浮島を攻められる。その船が手に入ったら、山南王と手を結んで挟み撃ちにする」 攀安知は自信たっぷりに言った。 叔父たちはそれはいい考えだという顔をして攀安知を見ながら、うなづき合っていた。 「ところで、山南王は中山王を倒す気があるのか」と羽地按司が聞いた。 「その件に関しては『油屋』に聞こう」と攀安知は言って油屋を促した。 「山南王は首里グスクの 「山南王としてもすぐには動けんという事だな」と攀安知が言って、「中山王は今帰仁に攻めて来る気配はあるのか」と油屋に聞いた。 「中山王としてもすぐには動けないでしょう。今年の一月に進貢船を送りましたが、大分、手間取っていたようです。詳しい事は存じませんが、 「アランポーには会った事がある」と攀安知が言った。 「察度の葬儀の時、武寧と一緒に久米村に行って、アランポーに会った。豪華な屋敷に住んでいて、まるで、久米村の王様のようだった。どうして、いなくなったんだ?」 「それがよくわからんのです。村の者たちに聞いても、突然、一族共々いなくなったというだけで、もしかしたら、稼いだ財宝を持って、明国に帰ったのかもしれません」 「そうか‥‥‥」と攀安知はうなづいた。 「進貢船だけの事ではなく、領内をまとめるのはまだまだ時間が掛かるでしょう」 「それで、中山王は今帰仁を攻める気はあるのか」 「それもはっきりとわかりません」と油屋は首を振った。 「今の中山王は佐敷按司でしたが、今帰仁合戦のあとに隠居しています。頭を丸めて 「娘たちに剣術を教えていたのか。面白い奴だな」と攀安知は楽しそうに笑った。 「佐敷、 「なに、女子サムレーだと?」 油屋はうなづいた。 「白い袴を着けて、刀を差して、グスク内を颯爽と歩いております。その女子サムレーを仕切っているのが、島添大里按司の 「その奥方も強いのか」 「噂ではかなり強いようです。娘たちからは 「そんな女子がいるのか。会ってみたいものだ。その島添大里按司というのは 「王様より三つか四つ、年上かと思われます」 「ほう。面白そうな奴だな」と攀安知は不敵に笑った。 「その島添大里按司ですが、佐敷按司になっても特に目立った動きもなく、誰も知らないような有様でしたが、先代の山南王が亡くなって、今の山南王と兄の八重瀬按司が家督争いを始めた戦で、島添大里グスクを奪い取って、島添大里按司になりました。かなりの幸運だったようです。その時の島添大里按司は山南王の弟で、山南王の味方をしていて、八重瀬按司の兵に囲まれていました。山南王が勝利すると八重瀬按司の兵は引き上げました。長い籠城の末、島添大里グスクには食糧もなく、戦も終わって兵たちも安心して休んでおりました。そこを佐敷按司に襲撃されて敗れてしまったようです。その時、今帰仁にも噂が流れて来ましたが、島添大里按司を倒した佐敷按司とは何者なのか誰も知りませんでした。その時に調べて、佐敷按司の事を知ったのです。島添大里按司になったのが余程嬉しかったとみえて、盛大なお祭りを催しましたが、その後は特に目立った事はありません。それが去年、突然、浦添を攻めて中山王を殺し、首里グスクを奪い取ったのです。島添大里按司はなぜか、中山王にはならず、隠居した父親を呼び戻して中山王にしています」 「中山王というのはあやつり人形に過ぎんな。島添大里按司が 攀安知は油屋に命じた。 油屋はうなづいてから、「島添大里按司は進貢船に乗って、明国に行って来ました。明国の都を見て驚き、首里にも大きな寺院を建てようと考えているようです。城下はほぼ完成しましたが、まだまだ材木が必要かと思われます」と言った。 「寺院か」と攀安知がつぶやくと、 「明の都に寺院は付きものです」とリュウインが言った。 攀安知は宗安を見て、「今帰仁にも寺院を建てなければならんな」と言った。 宗安はお礼を言い、「首里に負けてはおられません。立派な寺院を建ててくだされ」と両手を合わせた。 「中山王も山南王ももう少し様子を見る事にして、わしらは 「北というと奄美ですかな」と羽地按司が聞いた。 「そうじゃ。 「成程、それはいい考えですな」と羽地按司は笑った。 「それらの島を支配下に置けば、ヤマトゥの商人たちを今帰仁に呼び込む事も可能じゃ」と国頭按司が言って、名護按司も賛成した。 攀安知は勢理客ヌルと今帰仁ヌルを見た。二人とも大丈夫というようにうなづいた。 与論島は十一年前に勝連按司から奪い取った。永良部島の歴史は古く、初代の今帰仁按司の次男が永良部按司になったのは二百年も前の事だった。三代目の永良部按司は英祖の弟に敗れて、永良部島を奪われた。本部大主が今帰仁按司になった時、奪い返すが、千代松が今帰仁按司になるとまた奪い返された。そして、羽地按司が今帰仁按司になると奪い返して、今に至っている。 「話がまとまった所で、これからは無礼講じゃ。心行くまで楽しんでくれ」 攀安知が手を叩くと美女たちが続々と現れた。この日のために各村々から集められた美女たちだった。美女たちが加わって賑やかに祝宴は夜更けまで続いていった。 上空では半ば雲に隠れた満月が機嫌よさそうに笑っていた。 |
今帰仁グスク