浜辺の酒盛り
五月十日、マチルギ、 宇座の牧場に行っていたシタルーは帰って来ると 風にも天気にも恵まれた最高の船出だった。 マチルギたちのヤマトゥ旅は公表していなかったので、見送りの者も家族たちと佐敷の者たちに限られたが、それでも結構集まっていた。サハチ(島添大里按司)は子供たちと一緒に、無事の帰国を祈りながらマチルギたちを見送った。 サハチの子供たちは勿論の事、佐敷ヌルの娘とウニタキの四人の子供はサハチが預かる事になっていた。半年も留守にするので、ヌルの仕事も代わりの者がいなければならない。馬天ヌルの代わりは 運玉森ヌルは 水軍大将のヒューガの代わりはクルシ(黒瀬大親)が引き受けてくれた。ヒューガが一緒なので、サハチは安心してマチルギたちを送り出せた。ヂャンサンフォンが一緒なのも頼もしかった。馬天ヌル、佐敷ヌル、フカマヌル、ササが危険を察知して、危険な場所には行かないだろう。無理をしないで、充分に旅を楽しんで来てほしいと思いながら、サハチは小さくなっていく二隻の船を見送った。 船出の二日前の夕方、サハチは サハチが島添大里按司になったあと、空き家となった 馬天浜のサミガー大主の離れで、数人の者たちが酒盛りを始めていたが、マグサの姿もカンスケの姿もない。 場所を聞いて行ってみると、海辺の近くの粗末な家の前で、マグサは魚をさばいていた。日に焼けて真っ黒で、 マグサはサハチに気づくと、白い歯を見せて笑い、「オヤカタ様」と言った。ヤマトゥでは領主の事を『オヤカタ様』と呼ぶとは聞いていたが、そう呼ばれるのは初めてだったので、サハチは少し戸惑った。 「こんな所で何をなさっているんですか」とマグサは聞いた。 「お前に会いに来たんだ」とサハチは笑った。 「わしに何か御用で?」 「ちょっと話がしたくてな」 小屋の中から女が顔を出して、サハチがいるのを見て驚いた。 「まあ、 「わしのかみさんのイチでさあ」とマグサは言った。 海辺で遊んでいた女の子が近寄ってきて、不思議そうな顔でサハチを見て、「お父さん、誰?」とマグサに聞いた。 サハチは女の子とマグサを見比べて驚いていた。 マグサは山の上にある島添大里グスクを指さして、「あそこのオヤカタ様じゃ」と娘に言った。 娘は目を丸くしてサハチを見つめ、急に恥ずかしそうな顔をして母親の後ろに隠れた。 「お前にかみさんと子供がいたとは驚いた」とサハチは言った。 「わしが初めて琉球に来たのは十五の時でした。下っ端だったので雑用をやらされて、くたくたでしたが、この美しい琉球を見たら疲れなんか一遍に吹っ飛んでしまいました。こんな綺麗な所があったなんて、夢でも見ているような心地でした。それからわしは琉球に行く船には必ず乗って来たのです。初めて琉球に来て、ヤマトゥに帰る時、オヤカタ様はサンルーザ(早田三郎左衛門)殿の船に乗ってヤマトゥに行かれました」 「なに、あの船に乗っていたのか」 「へい、あの船はいい船でした。今は そう言ってマグサは笑った。 「もう二十年前の事ですが、いつか、オヤカタ様に恨み言を言ってやろうと思っていたんです。これで、ようやく気が晴れました」 サハチはマグサに誘われて、採れたての魚をつまみながら浜辺に座り込んで酒の御馳走になった。 ハマという娘はイチの連れ子らしい。イチの夫は十年前に海で遭難して帰って来なかった。それから二年後、マグサとイチは出会い、共に惹かれて一緒に暮らし始めたのだという。クルシのお陰で船頭になったが、船頭でいるのは船に乗っている時だけで、琉球に滞在中は、イチのために漁に出て働き、対馬に帰ってからは、対馬にいる家族のために漁に出ているという。 五年前、クルシが一文字屋の船を借りて琉球に来た時、連れて来た五十人はクルシと共にサハチの家臣となった。 船方たちは、船頭(船長)一人、 シンゴの船の乗組員は 船頭のマグサは取り引きの仕事を終えてしまえば、あとは自由で、漁師をやる事もできたのだった。 「何度、琉球と対馬を往復したのか数えきれません。半年は対馬、半年は琉球の生活をずっと続けています。わしには対馬と琉球、両方にかみさんと子供がいるんでさあ」 マグサは楽しそうに笑った。 飾り気のない面白い男だとサハチは感じていた。シンゴやクルシと違ってサムレーではなく、生粋のウミンチュだった。グスクの中で行なわれた歓迎の宴は場違いな気がして、居心地が悪かったに違いない。波の音を聞きながら夕日に染まる海を見て、新鮮な魚をつまんで酒を飲むのが好きなのだろう。 歓迎の宴は父が佐敷按司になったあと、グスクにサンルーザやクルシたちを招待して始まった。それ以前は祖父のサミガー大主が主催して、離れでみんなと一緒に騒いでいたらしい。サハチも父の真似をして、グスクにサイムンタルーやシンゴを呼んでいたが、そんな格式張った事はやめて、離れでみんなと一緒に騒いだ方がいいのではないかと思っていた。 「女たちを船に乗せても大丈夫か」とサハチはマグサに聞いた。それが一番気になっていた事だった。海が大荒れして、女が乗っていたからだと騒ぎになってはまずかった。 「大丈夫です」とマグサは何でもない事のように言った。 「女を乗せたら海が荒れると言い出したのはサムレーたちなんですよ。わしらウミンチュはそんな事は考えません。対馬ではみんな、かみさんと一緒に漁に出ています。女を乗せるな、なんて言ったら食ってはいけませんよ」 確かにマグサの言う通りだった。後家のサワもイトも船を乗り回していた。 「サムレーたちは 「そうか」と言いながら、サハチは海を眺めた。 目の前の海は遙か遠くのヤマトゥや明国、まだ知らぬ遠い国々までもずっと続いている。果てしなく大きな海、そこにいる神様も大きな心を持っているに違いなかった。 サハチは改めて、マチルギたちの事を頼んで、マグサと乾杯した。 イチが鍋を持って来た。おいしそうな煮物が入っていた。 二人が昔の事を懐かしそうに話していると、「あら、サハチ、珍しいわね」と誰かが言った。 振り返ると叔母のマチルー(真鶴)だった。馬天ヌルの妹のマチルーはウミンチュと一緒になって馬天浜で暮らしていた。 「偉くなったあんたがこんな所でお酒を飲んでいるなんて驚いたわ。やっぱり、お兄さんと似てるのね」 「お兄さんて親父の事ですか」 「そうよ。 中山王になる前の父はキラマ(慶良間)の島にいて、年末年始だけ帰って来た。その時、ここに来ていたのだろう。叔父のサミガー大主に会いに来ていたのは知っていたが、海辺でみんなと騒いでいたとは知らなかった。 「みんなも呼んでもいいかしら?」と叔母は言った。 「みんな、一緒に飲みたいんだけど遠慮しているのよ」 サハチが叔母の後ろを見ると大勢のウミンチュたちが酒や御馳走を持って待っていた。 サハチは手招きしてみんなを呼んだ。ウミンチュたちはサハチたちを囲むようにして座り込んで酒盛りを始めた。 「サハチ兄さんどうぞ」と言って酒を注いでくれたのは 「ナツの事、よろしくお願いします」と言ったのはナツの伯父のチキンジラー(津堅次郎)だった。久し振りに見るチキンジラーは随分と サミガー大主と離れにいる水夫たちも呼んで、送別の宴も一緒にした。 その夜の星空の下での酒盛りは楽しい一時となった。そして、昨日の夜は島添大里グスクで、ヤマトゥに行く女たちとシタルーとクグルーの送別の宴を開いた。 マチルギも佐敷ヌルもフカマヌルも浮き浮きしていた。馬天ヌルはこの 二隻の船が見えなくなるとサハチは子供たちを連れて島添大里に帰った。 島添大里グスクの 「師匠(ヂャンサンフォン)はヤマトゥに行ったのか」と兼グスク按司はサハチに聞いた。 サハチはうなづいた。 「そうか」と言うと、兼グスク按司は馬にまたがり帰って行った。 「誰?」とサスカサが聞いた。 「兼グスク按司。先代の中山王(武寧)の次男だ」 「敵なのに、たった一人でやって来るなんて、お父さんを馬鹿にしているの?」 サハチはサスカサを見た。そう言われれば、そうかもしれないが、そんな事は考えてもみなかった。 「敵意はないようだけど、殺気はあるわね」とサスカサは言った。 サハチはサスカサにうなづいて、グスクの中に入った。 ウニタキが調べた所によると、兼グスク按司はグスク内の屋敷に武芸者たちを集めているという。その中にはヤマトゥンチュ(日本人)や サハチはヂャンサンフォンのお陰で助かったようだとウニタキに説明した。 「奴の武芸好きは親父の敵討ちより 「変わった奴だよ。好きな物には徹底してこだわって、何よりもそれを優先してしまう。たった一人で島添大里まで付いて来るなんて、ここが敵地だとは思っていないようだ。その夜は俺も付き合わされて、ヂャンサンフォン殿の屋敷で飲んだんだ。奴も泊まったんだが、まったく警戒はしていなかった。そして、次の日は首里の武術道場に行って、奴も一緒に稽古に参加した。勿論、兼グスク按司とは名乗らず、アスヌシィと名乗っていた」 「アスヌシィか‥‥‥奴の武芸の師匠がヤマトゥの武芸者、アスヤタルー(阿蘇弥太郎)という奴だ。十五年近く前に琉球に来て、ずっと奴の側にいる。奴が明国や朝鮮に行った時も一緒に行ったはずだ。その師匠の影響で武芸好きになったのだろう。ところで、奴の腕はどんなもんだ?」 「かなりのものだろう。俺たちも負ける事はないが、勝てないかもしれない」 「成程、手ごわい奴だな」 「手ごわい奴だが、娘たちの剣術の稽古を見て驚いていたよ。ハーリーから帰って来た時、丁度、娘たちの稽古が始まる時だったんだ。奴に見せてやったら、目を点にして驚いていた。首里に女子サムレーがいるというのは噂で知っていたらしいが、城下の娘たちまで剣術をやっているのは知らなかったらしい。真剣な顔をして見ていた」 「今度は女の武芸者も集めるかもしれんぞ」とウニタキは笑った。 「奴の奥さんだが、えらい美人だったぞ」とサハチは言った。 「おう、俺も見た。 サハチはウニタキがいう娘の顔はよく見なかった。母親の美しさに目を奪われていたのかもしれない。十歳と言えば、サハチの娘のマチルーと同い年だった。 「嫁に迎えようと狙っている者がいそうだな」 「山北王とのつながりができるからな、狙っている者は多いだろう」 サハチは笑って、「今回、奴は襲撃を中止したが、先の事はわからない。これからもよく見張っていてくれ」とウニタキに頼んだ。 島添大里グスクは子供たちで賑やかだった。ナツもマカトゥダルも、侍女も女子サムレーも子供たちに振り回されていた。 首里グスクの 思紹は楼閣を飾る彫刻に熱中していた。いい話し相手だったジクー禅師はヤマトゥに行ってしまったが、首里に楼閣を建てる事を知ったファイチが、参考になりそうな明国の書物を持って来てくれた。アランポー(亜蘭匏)の書物を整理していたら出て来たという。漢字ばかりで読めないが、絵も載っていて、楼閣の図や マチルギと馬天ヌルがいなくなった首里グスクは、まるで、主人がいなくなったかのように静かだった。今まで、いるのが当たり前だった二人がいない。グスクにいる女たちは顔を合わせれば、 サハチにはマチルギの代わりは務まらないが、なるべく首里グスクにいて、時々、子供たちの様子を見に島添大里グスクに通っていた。ウニタキも妻のチルーに言われたのか、一日おきくらいに島添大里グスクに顔を出して子供たちと会っていた。 |
馬天浜