笛の調べ
台風の復興対策に付きっきりだったサハチ(島添大里按司)が、久し振りに サハチは慌てて、ジルムイ夫婦を首里のサハチの屋敷に移し、侍女を二人付けて、ユミの世話を命じた。マチルギの留守中に出産に失敗するような事があってはならなかった。 ユミの懐妊を知ったサハチの母の王妃は、侍女二人だけでは心もとないと 大変に事になってしまったとユミは戸惑ったが、王妃の命令に逆らうわけにはいかない。御内原には王様の側室が何人もいると聞いている。そんな所に入ったら、心細くて泣きたくなるに違いない。おうちに帰りたいと思いながら侍女に連れられて入った御内原は、想像していた場所とはまったく違っていた。 きらびやかに着飾った側室たちが、侍女たちに囲まれて、綺麗な花を眺めたり、お琴を弾いたりして、優雅に暮らしていると思っていたのに、そんな優雅さはどこにもなかった。皆、質素な着物を着ていて、側室たちは王妃と一緒に 夕方になると機織りをやめて、皆、稽古着に着替えると剣術の稽古が始まった。側室たちも稽古に加わっているのには驚いた。ユミも体調を気にしながら稽古に加わった。 ユミが御内原に入ったので、サハチは安心して島添大里に帰り、復興現場の馬天浜に向かった。 馬天浜には浮島(那覇)から運ばれた材木が山に積まれてあった。浮島から 問題はヤマトゥンチュ(日本人)の船乗りたちが半年間、寝泊まりする屋敷だった。今までは広い部屋に 佐敷や島添大里、首里からも手の空いている者たちが応援に来ていて、再建が順調に進んでいるのを見てサハチは安心した。メイユー(美玉)、リェンリー(怜麗)、ユンロン(芸蓉)も手伝いに来てくれた。 サハチは夕方までウミンチュたちの家作りを手伝って、メイユーと一緒に佐敷グスクに向かった。リェンリーとユンロンはどこに行ったのか、いつの間にかいなくなっていた。 「リェンリーは 「リェンリーが伊是名親方が好きなのは知っているが、ユンロンは慶良間之子が好きなのか」 メイユーはうなづいた。 「あの 「ユンロンと慶良間之子か‥‥‥」とサハチはつぶやいて、何となくいやな予感がした。 佐敷グスクには大勢の避難民がいて、炊き出しをやっていた。炊き出しを手伝っている者たちの中に、ヒューガ(日向大親)の娘のユリがいた。初めて見たヒューガの娘は噂通りの美人で、可愛い女の子を連れていた。女の子の名はマキク、父親は サハチが十六歳の春、サハチと一緒に 浦添グスクから救出されたあと、ユリは ササのお陰で佐敷の人たちとも馴染み、隣りに住んでいる馬天ヌルの妹のマウシには大変お世話になっていた。お世話になったお返しにと、ユリは村の娘たちに読み書きを教えた。そのうち、村の娘たちと一緒に佐敷グスクの剣術の稽古にも通うようになった。剣術は奥間にいる時、側室になるための修行で、読み書き、笛や琴と一緒に習っていた。実戦での経験は勿論ないが、娘たちの上級程度の腕は持っていた。ヒューガの娘なので素質はあり、上達も早かった。佐敷に来て二年が過ぎた今では師範代を務め、ヤマトゥ(日本)に行っている女子サムレー、ナグカマの代わりに臨時の女子サムレーも務めていた。 サハチがメイユーと一緒に佐敷グスクへと続く坂道に来た時、笛の調べが聞こえてきた。 「誰かが笛を吹いているわ」とメイユーが言った。 サハチはうなづいて耳を澄ました。 グスクに近づくにつれて、笛の調べははっきりと聞こえてきた。 三の曲輪内に避難民たちの仮小屋があり、その前で横笛を吹いていたのはユリだった。心が落ち着く綺麗な調べだった。サハチとメイユーは木陰にあった切り株に腰を下ろして、笛の調べに耳を傾けた。 このグスクで笛の調べを聞くのは久し振りだった。弟のヤグルーの妻、ウミチルがここにいた頃は、笛の 曲が終わると、サハチは拍手をしながらユリのそばに行ってお礼を言った。 「 サハチはメイユーをユリに紹介して、「いい曲だったよ。今度、島添大里に来て、子供たちに聞かせてやってくれ」と言った。 「按司様も笛をなさるとササから聞いております。是非、お聴かせ下さい」 サハチは手を振った。 「ササの方が俺よりずっとうまいよ」 「ササはヤマトゥ旅に笛を持って行くと言っていました。きっと、今頃、ヤマトゥで吹いているかもしれません」 サハチは笑って、「長い船旅は退屈する。笛を持って行けば、みんなも楽しめるだろう」とうなづいた。 サハチがササに横笛を教えたのは五年くらい前の事だった。島添大里グスクの 「わしは昔、按司様の笛を聞いた事がある」と避難民の一人が言った。日に焼けたウミンチュだった。 「もう十年以上も前じゃが、按司様の吹く笛は実によかった。グスクから聞こえてくる笛の音を聞きながら、わしはかみさんを口説いたんじゃ」 避難民たちがどっと笑って、みんなから聞かせてくれとせがまれた。ユリもメイユーも言うので、サハチはユリから笛を借りて吹き始めた。意識したわけではないが、明国で耳にした異国の調べが混ざって独創的な曲になっていた。サハチは無心になって笛を吹いた。曲が終わると喝采がわき起こった。 「素晴らしい」とユリが笑った。 「お上手ですね」とメイユーも笑った。 サハチはユリに笛を返し、避難民たちを励まして、預けてあった馬に乗って島添大里に向かった。メイユーは島添大里から歩いて来たというので、メイユーの馬も貸してもらった。 島添大里グスクに帰ると、リェンリーとユンロンは先に帰っていたので安心した。三人は 八月の初め、キラマ(慶良間)の島から若者たちが百人やって来た。百人の若者たちは
その頃、対馬ではマチルギとチルーが女子サムレーたちと一緒に、 馬天浜を襲った台風は北上して九州各地に大雨を降らせたが、対馬は大した影響もなく、被害が出る事もなかった。 潮風に吹かれ、毎日、船の上にいるマチルギたちは真っ黒に日焼けしていた。時には、裸になって海に潜ってアワビを捕って御馳走になった。 琉球にいた時、久高島の海で遊んだが、着物を着たままだった。琉球では女が裸になって海に入る習慣はない。対馬の女たちは裸になって海に潜っていた。初めは恥ずかしくて抵抗もあったが、船に乗っているのは女だけだし、周りを見ても人影はない。マチルギたちも勇気を出して、裸になって海に飛び込んだ。 気持ちよかった。邪魔な着物がないので、自由に泳ぐ事ができ、まるで、魚になったような気分だった。女子サムレーの中には泳げない娘もいたが、イトとユキに教わって泳げるようになると、キャーキャー言って、アワビ捕りに熱中した。チルーも泳げなかったが、マチルギに教わって泳げるようになった。 「気持ちいいわ。琉球の海でも泳ぎたいわね」とチルーは言った。 「裸になって?」とマチルギが聞くと、 「やだー」と恥ずかしそうに笑った。 「でも、琉球の海で、裸になって泳いだら気持ちいいでしょうね。どこかの無人島に行って泳ぎましょうよ」 「そうね。みんなでお船を出して、無人島に行きましょう」 マチルギとチルーは顔を見合わせて笑うと、海の中に潜って行った。 マチルギたちも船の上で、笛の調べを聞いていた。吹いているのは女子サムレーのチタだった。佐敷生まれのチタは父親が平田のサムレーになった時、平田に移り、平田大親の妻、ウミチルから笛と剣術を教わっていた。ヤマトゥに向かう船の上では、ササと競演して、みんなの心を和ませていた。 イスケの船に乗って、対馬島一周の旅に出たヂャンサンフォン(張三豊)たちは対馬島南部の山の中で修行に励んでいた。 小さな漁村に着いた時、馬天ヌルが奇妙な形をした山を指さして、「あの山には古いウタキ(御嶽)があるわ」と言った。 「行ってみよう」とみんなで細い山道を登って行くと、山の中腹の広い草原の片隅に小さな石の お祈りのあと、「山の神様だわ」とササは言った。 「それだけではないわ。 「船越にも太陽を祀るアマテル神社があった。対馬にも太陽信仰があるみたいね」 馬天ヌルとササがお祈りしている時、 ヂャンサンフォンが洞穴の中に入って行った。洞穴の中は真っ暗だった。皆が心配したが、シンシンが大丈夫よと言った。修理亮があとを追って行ったが、何も見えないと言って、すぐに戻って来た。 しばらくして戻って来たヂャンサンフォンは、「丁度いい。ここで一か月、修行をする」と言って笑った。 ヒューガと修理亮は勿論の事、ササとシズも喜んだ。 「あたしはみんなについて行けないわ」と馬天ヌルは首を振ったが、ヂャンサンフォンは、「大丈夫です」と馬天ヌルに言い、「あなたもやりなさい」とイスケに言った。 イスケは驚いた。村を守るために竹槍の稽古はした事があっても、刀なんて持った事もなかった。 「わたしが教えるのは基本の体作りです。きっと、役に立ちます」 イスケはヂャンサンフォンを見て、うなづいた。 一旦、山を下りて食糧を集め、次の日の早朝から修行が始まった。サハチたちが 朝日を浴びながら、ヒューガ、修理亮、馬天ヌル、ササ、シンシン、シズ、イスケが座り込んで、呼吸に専念している頃、 シタルーとクグルーも一緒に朝鮮に行く事になった。去年、ヤマトゥ旅に出たサンダーとクルー、一昨年のヤグルー、ジルムイ、マウシ、シラーは対馬に来る前に、一文字屋の船に乗って博多から京都まで行った。今年は ヤマトゥ旅に出るためにヤマトゥ言葉を学んできた二人だったが、朝鮮の言葉はまったく知らない。不安もあるが、知らない異国を見てみたいという興味は強く、期待に胸を膨らませて船に乗り込んだ。 佐敷ヌルは、シンゴの妻、ウメと会っていた。船越まで来て、佐敷ヌルとフカマヌルを土寄浦まで連れて行ってくれたのがウメだった。 ウメは和田浦の生まれで、サハチがイトと一緒に和田浦にいた時、十四歳だった。イトとサワがヒューガから剣術を習っていた時、村の娘たちも何人か加わっていたが、その中の一人がウメだった。サハチたちが和田浦を去ったあともウメは一人で稽古を続け、シンゴの妻になって土寄浦に移ってからは、イトと一緒に娘たちに剣術を教えていたのだった。 イトを尊敬していて、男たちがいなくなった土寄浦を女たちで守らなければならないと、イトが船越に移ってからも娘たちに剣術を教えていた。マチルギに娘たちの指導を頼んだのもウメで、マチルギは佐敷ヌルとフカマヌルを土寄浦に送ったのだった。 佐敷ヌルとフカマヌルはウメと一緒に、娘たちに剣術を教えた。娘たちの中にシンゴの娘もいた。十七歳になるフミという娘で、ウメによく似ていた。そろそろお嫁に行かなくてはならないんだけど、なかなかいい相手がみつからないとウメはぼやいていた。 ウメはいい人だった。ウメに隠し事をしているのは辛かった。本当の事を言ってしまおうかと何度も思ったが、口にする事はできなかった。佐敷ヌルは重苦しい胸のつかえに耐えながら、娘たちの指導をして、シタルーとクグルーが朝鮮に行ったあとは、若者たちの指導にも当たっていた。 |
佐敷グスク
対馬島、和田浦