沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







兄弟弟子




 旅から帰って来たササが、シンシン(杏杏)と一緒に島添大里(しましいうふざとぅ)グスクにやって来た。ササは首から下げた赤いガーラダマ(勾玉(まがたま))を自慢そうにサハチ(島添大里按司)に見せた。綺麗に輝く明るい赤色で、二寸(約六センチ)程の大きさだった。

「凄いでしょ」

「おっ、凄いな。どうしたんだ?」

 サハチが驚くと、ササは嬉しそうな顔をして、ガーラダマの由来を説明した。

「昔々、ある所に平和に暮らしているヌルたちの国がありました。真玉添(まだんすい)と呼ばれていたその国に、ある日、ヤマトゥ(日本)から来た武将が兵を率いて攻めて来ました。ヌルたちは戦いましたが、ヤマトゥの武器にはかないません。ヌルの国を治めていたチフィウフジン(聞得大君)は、みんなを助けるためにヤマトゥの武将に投降しました。チフィウフジンが捕虜になっても、ヤマトゥの武将は攻撃をやめません。ヌルたちは御宮(うみや)(まつ)られていた『ティーダシル(日代)の石』と『ツキシル(月代)の石』を持ち出して逃げました。チフィウフジンの下には十二人の偉いヌルたちがいました。十二人のヌルたちは、いつの日かヌルたちの国が再興される事を祈って、十二個のガーラダマを読谷山(ゆんたんじゃ)の山の中に隠しました。それがこのガーラダマなのよ」

 そう言ってから、「地震(ねー)は大丈夫だった?」とササはサハチに聞いた。

「かなり揺れたけど大丈夫だったよ。子供たちはとても驚いたようだった」

「あたしのも見て」とシンシンがガーラダマを見せた。

 シンシンのガーラダマは神秘的な青さで、ササのより一回り小さかった。

「シンシンもヌルになったのか」と聞くと、シンシンは首を傾げて、「わからない」と言った。

「あの地震で大きな木が倒れて、ガーラダマが出て来たのよ」とササが言った。

「あと十個はどうしたんだ?」

「お母さんがヌルたちにあげるって言ってたわ。今、修行中のカナにもね」

「お前が前に持っていたガーラダマはどうしたんだ?」

「お母さんに返したわよ。あれは先代の馬天(ばてぃん)ヌルからお母さんが譲られたものなの」

「そういえば、ミチもサスカサ(運玉森ヌル)から立派なガーラダマを譲られたな」

「あのガーラダマはかなり古くて凄いものなのよ。あたしもあんなのが欲しかったんだけど、ようやく手に入れたのよ」

 嬉しそうなササを見ながら、「よかったな」とサハチは言った。赤いガーラダマはササによく似合っていた。

「佐敷ヌルのガーラダマは誰から譲られたんだ?」とサハチは聞いた。

 佐敷ヌルも立派なガーラダマを身に付けていた。佐敷ヌルは初代なので、先代はいなかった。

「あれはお母さんが各地を旅した時に見つけたって言っていたわ。あれも古い物らしいわよ。それまではお母さんが若ヌルだった頃に付けていた小さなガーラダマだったの」

「そうだったのか。さっきの話だけど、捕まったチフィウフジンはどうなったんだ?」

「その頃、運玉森(うんたまむい)にマジムン(悪霊)が出るっていう噂があって、マジムンを鎮めるためにチフィウフジンは運玉森に幽閉されてしまうの。そのまま、そこで亡くなってしまったわ。ウンタマムイのウンタマは御霊(みたま)の事なのよ。ミタマがなまってンタマになったの。あそこはチフィウフジンの御霊が眠っている森なのよ」

「マジムン屋敷があった所にある古いウタキ(御嶽)はチフィウフジンのお墓なのか」

 神妙な顔をしてササはうなづいたが、運玉森ヌルの話と違っていた。

「運玉森ヌルは、あそこはヌルたちの祭祀場(さいしば)だったと言っていたぞ」

「そうよ。あそこにもヌルたちの平和な国があったの。それを滅ぼしたのは首里(すい)の真玉添を滅ぼした武将なの。その武将はここで生まれたのよ」

舜天(しゅんてぃん)だな」とサハチは言った。

 ササは驚いた顔をしてサハチを見た。

「どうして知っているの?」

「佐敷ヌルから聞いたんだよ。佐敷ヌルは久高島(くだかじま)のフボーヌムイ(フボー御嶽)に籠もった時、神様から琉球の歴史を延々と聴かされたそうだ」

「そうだったの。やっぱり、マシュー(ねえ)(佐敷ヌル)は凄いヌルなのね」

「確かに凄いんだが、その事に自分では気づいていないようだ」

 ササは笑いながら、「確かにそうかもしれない」と言った。

「ヤマトゥの武将と島添大里按司の娘との間に生まれた舜天は、運玉森のヌルたちを滅ぼして、さらに真玉添のヌルたちを滅ぼして、浦添(うらしい)にグスクを築いて浦添按司になるのよ。当時、運玉森は真玉森(まだんぬむい)と呼ばれていたのかもしれないわね」

「ところで、チフィウフジンのガーラダマはどうなったんだ?」

「それなのよ」とササはよくぞ聞いてくれましたという顔をして手を打った。

「舜天には父親と一緒にヤマトゥから来た武将が何人か従っていて、八幡(はちまん)様を神様としてお祀りしていたの。八幡様に仕える巫女(みこ)がヌルのような役目をしていたわ。ヤマトゥの巫女たちもガーラダマを身に付けていて、チフィウフジンのガーラダマはその巫女のもとへ届けられたの。でも、それを身に付けると体の具合が悪くなってしまって、長い間、しまわれたままだったの。そして、舜天の一族は英祖(えいそ)に滅ぼされるわ。英祖はチフィウフジンを復活させて、妹がチフィウフジンを継ぐの。チフィウフジンのガーラダマも身に付けるわ。英祖の娘が二代目のチフィウフジンになって、代々、ガーラダマも受け継ぐんだけど、五代目のチフィウフジンの時、ガーラダマに拒否されるの。五代目はガーラダマの厄払いをしてもらうために志喜屋の大主(しちゃぬうふぬし)に預けるんだけど、預けたまま亡くなってしまったわ」

「そこから先は親父から聞いた。馬天ヌルのガーラダマが真玉添のチフィウフジンが持っていたガーラダマなんだな」

「あのガーラダマも長い旅の末に、真玉添に戻る事ができたのよ」

「二百年の旅か‥‥‥それで、『ティーダシルの石』はどうなったんだ?」

 ササは首を振った。

「このガーラダマも『ティーダシルの石』の事は知らないのよ」

「お前、もしかして、今までの話はそのガーラダマから聞いたのか」

「そうよ」とササは当然の事のように言った。

 以前、馬天ヌルはガーラダマがしゃべると言っていた。信じられなかったが、赤いガーラダマはササにしゃべるようだ。

「シンシンのガーラダマもしゃべるのか」とサハチはシンシンに聞いた。

「しゃべるんだけど、あたしには古い琉球の言葉はわからないわ。早く、聞き取れるようにならなくちゃだめね」

 シンシンは恥ずかしそうに笑った。

 ササは言いたい事を話し終わると、佐敷ヌルに自慢してくると行って、シンシンと一緒に去って行った。

 お茶を持って入って来たナツが、「あら、もう帰ったの?」とサハチに聞いた。

東曲輪(あがりくるわ)に行ったらしい」

「そう。お祭り(うまちー)の準備を手伝ってくれるのね」

 サハチはうなづいて、ナツからお茶を受け取って飲んだ。

 島添大里グスクのお祭りの前日、ヂャンサンフォン(張三豊)が修理亮(しゅりのすけ)を連れて帰って来た。サハチがヂャンサンフォンの屋敷に行くと、(かに)グスク按司も一緒にいた。相変わらず、供も連れずに一人でやって来ていた。娘のサスカサ(島添大里ヌル)が言う通り、サハチは馬鹿にされているようだ。

「琉球は面白い所じゃのう」とヂャンサンフォンは機嫌よさそうに言った。

阿波根(あーぐん)グスクの近くに大きなガマ(洞窟)があって、そこで修行をしていたんじゃ。洞窟の中は思っていたよりずっと広くて、川が流れていたのには驚いた。一か月間、ずっとガマの中で暮らしておったんじゃよ。いい修行になったわ」

 百歳を過ぎてもまだ修行を続けるなんて大した人だとサハチは感心していた。

「修理亮もンマムイ(馬思)も一か月で見違える程に強くなった」

「ンマムイ?」とサハチは言って、兼グスク按司を見た。

「俺の童名(わらびなー)ですよ。親父が(ふに)で、兄貴が(かに)で、俺が(んま)、弟たちは(いし)(しな)(みじ)です。皆、祖父(じい)さん(察度)が付けたんです。俺だけが生き物なので、ましな方ですよ」

 兼グスク按司は苦笑した。

「俺はお前の祖父さんには会った事ないが、変わった男のようだな」

「お前は祖父さんに似ていると親父によく言われましたよ。ところで、島添大里殿、お手合わせをお願いしたいのですが、いかかですか」

「お手合わせというと木剣? それとも、棒か」

武当拳(ウーダンけん)です」

「武当拳なら俺もまだまだ修行中の身だ。あれからどれだけ上達したのか、師匠に見てもらおう」

 サハチは明国(みんこく)の旅の間、ずっと日課として続けていた静座(呼吸法)と套路(タオルー)(形の稽古)は帰って来てからも続けていた。自分ではかなり上達したと思っているが、ヂャンサンフォンとシンシンがヤマトゥ旅に出てしまったので、どれだけ強くなったのかわからなかった。時々、ウニタキ(三星大親)と試合をしてもお互いの技量が同じなので、上達具合はわからなかった。

 サハチと兼グスク按司は庭に出て、ヂャンサンフォンの立ち会いのもと試合を始めた。

 兼グスク按司の拳は凄い威力があった。一か月の修行でこれほど強くなるなんて予想外な事だった。まともに当たれば骨が砕けるだろうが、サハチには受け流す事ができた。次から次へと素早く繰り出す兼グスク按司の拳や蹴りをサハチは必死になって受け流した。受け流すばかりで、なかなか攻撃する事はできなかった。

 兼グスク按司の鋭い右拳を左掌で受け流して、右掌で兼グスク按司の胸を打とうとした時、ヂャンサンフォンの「それまで!」という声が響き渡った。

 サハチの右掌は兼グスク按司の胸に軽く触れただけで止まった。

「かなり上達したのう」とヂャンサンフォンは満足そうな顔でサハチに言った。

「今の一撃をまともに食らえば、お前の内蔵は破壊されていたじゃろう」とヂャンサンフォンは兼グスク按司に言った。

「えっ?」とサハチは驚いた。

「内蔵が破壊されるとはどういう事なのです?」

「お前の右掌から出る『気』の力によって、内蔵が破壊されてしまうんじゃよ。無闇に使ってはならんぞ」

 突然、兼グスク按司が土下座をした。

「参りました。島添大里殿、これからは師兄(シージォン)と呼ばせて下さい」

「シージォン?」

「兄弟子の事じゃよ」とヂャンサンフォンが説明した。

「ンマムイは明国で少林拳(シャオリンけん)の修行を積んでいるんじゃ。少林拳というのは嵩山(ソンシャン)にある禅宗寺院の少林寺(シャオリンスー)で発達した拳術じゃ。少林拳は『力』を使う拳術で、武当拳は『気』を使う拳術なんじゃ。サハチは拳術の事など何も知らんで修行を積んできた。何も知らんから『気』を練る事も自然に覚えていった。ンマムイは少林拳を身に付けてしまったために、どうしても力を使いたがる。サハチに簡単に勝てると思っていたのに負けてしまった。さぞや、がっかりしている事じゃろう。だが、素直に負けを認めたのはあっぱれじゃ。これからは兄弟弟子として、修行に励む事じゃ」

 その夜、サハチはヂャンサンフォンの屋敷で、兼グスク按司、修理亮と一緒に、兄弟弟子の(さかずき)を交わした。サハチが兄で、兼グスク按司が弟、修理亮は兼グスク按司よりも先に弟子入りしているので、兼グスク按司の兄で、サハチの弟だった。

 弟弟子の事は師弟(シーディ)と呼び、姉弟子は師姐(シージェ)と呼ぶらしい。シンシンはサハチにとってシージェで、ファイチ(懐機)はシージォンだった。

 兼グスク按司はサハチの事を師兄と呼び続け、サハチが兼グスク殿と呼ぶと、その呼び方はやめて、師弟かンマムイと呼んでくれと言った。サハチはンマムイと呼ぶ事にした。

 ンマムイは二度、明国に渡っていた。初めて行った時に少林拳の師と出会い、その技に魅了されて熱中した。二度目の時は、ヂャンサンフォンの噂を聞いて武当山(ウーダンシャン)まで訪ねたが会う事はできなかったらしい。

 ンマムイは師兄に自分の事を知ってもらいたいと言って、酒を飲みながら身の上話を始めた。

 浦添(うらしい)グスクの御内原(うーちばる)で、中山王(ちゅうざんおう)察度(さとぅ)の孫として生まれたンマムイは、女たちに囲まれて何不自由なく育った。王妃だった母親は山南王(シタルー)の姉で、八重瀬按司(えーじあじ)(タブチ)の姉でもあり、今は八重瀬グスクにいるという。祖母は高麗人(こーれーんちゅ)だった。ンマムイは祖母に可愛がられ、父親(武寧)の側室だった高麗の女たちにも可愛がられたらしい。高麗の言葉も自然に覚えて、朝鮮(チョソン)に二度も行ったという。

 朝鮮の都の漢城府(ハンソンブ)(ソウル)にも行ったのかとサハチが聞いたら、その頃の都は漢城府ではなく、開京(ケギョン)(開城市)だったという。ンマムイが朝鮮に行った前年に内乱が起こって王様が変わり、都も漢城府から高麗の都だった開京に戻ったらしい。二度目に行った時も内乱が起こって王様が変わり、その翌年に、都はまた漢城府に戻ったという。

「お前は朝鮮の言葉がわかるのか」と聞くと、「何とか通じましたよ」とンマムイは笑った。

 十二歳になった正月、御内原を出て二の曲輪にある屋敷に移り、兄と暮らしながら読み書きや武術を習い始めた。その時は読み書きも武術も面白くなく、御内原で女たちと一緒にいた方が楽しく、御内原に行っては父親に怒られていた。

 十三歳の時には大叔父(泰期(たち))の宇座(うーじゃ)の牧場に行って、一年余りを馬と一緒に過ごしていた。浦添グスクに帰るつもりはなかったが、強制的に連れ戻されて、退屈な日々を過ごし、隠れて御内原に行っては女たちと遊んでいた。

「お前が宇座にいたのは、いつ頃の事だ?」とサハチは聞いた。

「あれは今帰仁(なきじん)(いくさ)が始まる前でした。戦が始まるから、ちゃんと留守番をしていろと言われて連れ戻されたのです」

「そうか。今帰仁合戦のあと、俺は宇座の牧場に行っている。お前が帰ったあとだったんだな」

「大叔父を知っているんですか」とンマムイは驚いた。

「何度かお世話になっているんだ。お前、御隠居(ぐいんちゅ)の倅のクグルーを知っているだろう」

「ええ、あの時、五歳くらいでした。一緒に馬に乗って遊びましたよ」

「クグルーは今、ここにいる」

「えっ? 大叔父が亡くなったあと、母親と一緒に去って行ったと聞きました。ウミンチュ(漁師)になったものと思っていましたが、ここにいるのですか」

「ああ。ここのサムレーだ。ヂャンサンフォン殿と一緒にヤマトゥ旅に行って来たんだ」

「そうだったのですか。しかし、どうして、クグルーがここにいるのですか」

「御隠居様の気まぐれだろう。御隠居様はお前の親父と喧嘩していたからな」

「そうでしたね。親父と喧嘩して以来、大叔父は浦添には来なくなりました。俺が明国から帰って来たら、すでに亡くなっていました」

「もう一つ聞きたいんだが、高麗から送られた美女に会った事はあるのか」

「勿論、ありますよ。あれは俺が御内原を出た年の冬にやって来ました。祖母に用があると言っては御内原に行って、高麗の言葉で話をしましたよ」

「やはり、絶世の美女なのか」

「本当に綺麗な人でした。でも、いつも悲しそうな顔をしていました。俺もまだ子供でしたからね、あの人も気を許して、色々な話をしてくれたんだと思います。でも、俺があの人に会っている事が親父にばれて、宇座に行けって追い出されたわけです」

「親父の美女に言い寄って追い出されたのか」とサハチは笑った。

「言い寄ってはいませんよ」とンマムイは真面目な顔をして答えた。

「あの人は四つも年上でしたからね。とても、言い寄るなんてできません。あのあと、俺より一つ年上の高麗の娘が御内原に入って来たんですよ。その娘には言い寄りました」

 ンマムイはニヤニヤと笑った。

「いい思いをしたわけだな。ところで、御内原にはナーサがいただろう」

 ナーサの名を聞いた途端、ンマムイは驚いて、飲もうとしていた酒をこぼしそうになった。

「ナーサを知っているんですか」

「ああ、知っている。ナーサも絶世の美女だろう」

「ナーサはマジムン(化け物)ですよ。いつまで経っても若くて綺麗だった。そして、俺にとっては一番恐ろしい人でした」

「ナーサに怒られてばかりいたんだな」

「はい」とンマムイうなづき、「師兄がどうしてナーサを知っているのです」と聞いた。

「ナーサは奥間(うくま)の女でな、俺も奥間とは古い付き合いなんだよ」

「奥間ですか‥‥‥行った事はあります。ヤンバル(琉球北部)の静かな村でした」

「今、ナーサは首里で遊女屋(じゅりぬやー)をやっている。お前が顔を出したら懐かしがるかもしれんぞ」

「ナーサが遊女屋?」

「その名も『宇久真(うくま)』という店だ」

 信じられんと言った顔をしてンマムイは首を振っていた。サハチは話を続けてくれと促した。

 十五歳の夏、祖父の察度が首里天閣(すいてぃんかく)に移った。ンマムイも首里天閣で過ごす時が多くなり、そこで剣術の師匠となる阿蘇弥太郎(あそやたろう)と出会った。弥太郎と出会ってから剣術に夢中になり、弥太郎と一緒に琉球を旅しながら、剣術の修行に励んだ。

 十七歳の時に山北王(さんほくおう)の妹のマハニ(真羽)を妻に迎えた。十八歳の春と二十歳の秋、明国に渡り、二十二歳の夏と二十三歳の夏に朝鮮に渡った。二十五歳の時に阿波根にグスクを築いて兼グスク按司となった。

 三年前の戦の時は、父の武寧(ぶねい)(中山王)に命じられて、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクの包囲陣に加わった。浦添グスクが攻め落とされて、父や兄弟が殺され、首里(すい)グスクも奪われたと聞いた時は信じられなかった。そんな大それた事をする奴がいるなんて考えられなかった。それがサハチだと知った時、親兄弟の敵を討つために殺さなければならないと思った。

 去年、弟のイシムイ(石思)が叔父の山南王(シタルー)の力を借りて、久高島参詣に向かう中山王を襲撃したが失敗に終わった。ンマムイも襲撃に加わりたかったが、山南王に止められた。ンマムイが加わっていた事がわかると中山王に攻撃の口実を与えてしまう事になる。裏で力を貸しても、表では知らん顔をしていなければならないと言われた。

 『ハーリー』の時、サハチの帰り道を襲撃する計画も立てたが、突然のヂャンサンフォンの出現によって中止となった。ヂャンサンフォンとの出会いは、敵討ちよりもずっと重要な事だった。運命を変える出来事といってもよかった。

 正式に弟子入りしようと思ったら、ヤマトゥに行ってしまった。帰って来るのを首を長くして待って、ようやく弟子になることができた。ガマの中で一か月の修行を積み、腕に自信を持ったンマムイはサハチに試合を挑んだ。試合なので殺す事はできないが、腕の骨を折って、二度と刀を持てない体にしてやろうとたくらんでいた。しかし、サハチは思っていた以上に強かった。もう敵討ちはきっぱりとやめましたとンマムイは言った。

「兄弟弟子となった今、師兄に逆らう事はできません。何事も師兄に従います。もし、師兄を裏切る事になった場合、俺は師匠を初め、兄弟弟子すべてを敵に回す事になります。そうなったら、俺は生きてはいけません。信じて下さい。それに今日、色々と話を聞いて、俺は師兄を誤解していた事がわかりました。師兄は大叔父とナーサと親しかったようです。その二人は俺にとって特別な人でした。周りの者たちが俺の事を変わり者呼ばわりして変な目で見る中で、その二人だけは俺の事を理解してくれました。その二人が親しくしていた師兄は決して、敵ではありません」

 ンマムイは真剣な顔をして、涙目でそう言うが、サハチには簡単に信じる事はできなかった。

「ンマムイの剣術の師匠の阿蘇弥太郎殿は慈恩禅師(じおんぜんじ)殿の弟子でした」と修理亮が言った。

「ヒューガ(日向大親)殿が琉球に来てから弟子になったようです。ヒューガ殿と同じように九州で共に旅をしながら修行を積んだようです。わたしがヒューガ殿の事を教えると、異国の地で兄弟子に出会うとは奇遇だと言って会いに行ったようです」

「ほう。慈恩禅師殿の弟子が二人も琉球にいるのか‥‥‥確かに奇遇だな」

「ヤマトゥに帰ったら、必ず、慈恩禅師殿を見つけ出して、その事を告げようと思っています」

「できれば、慈恩禅師殿を琉球に連れて来てくれ」とサハチは修理亮に頼んだ。

「そうですね。見つけ出して連れて来ます」

「俺も是非会いたい」とンマムイも言った。

 ンマムイはその晩、ヂャンサンフォンの屋敷に泊まった。

 島添大里グスクのお祭りは首里に負けないほどの賑わいだった。佐敷から首里に行くには日帰りするには遠いので、首里のお祭りに行けなかった人たちが皆、島添大里グスクに集まって来た。馬天浜の『対馬館(つしまかん)』の船乗りたちもサミガー大主(うふぬし)(ウミンター)と一緒にやって来た。

 玉グスクの若按司夫婦、知念(ちにん)の若按司夫婦、糸数(いちかじ)の若按司夫婦、垣花(かきぬはな)の若按司夫婦、八重瀬(えーじ)の若按司夫婦が揃ってやって来た。明国との交易のお陰で城下も栄えてきたと皆がサハチにお礼を言った。

 玉グスクの若按司の妻と知念の若按司の妻はサハチの妹で、久し振りの兄弟の再会を喜んだ。タブチの長男の若按司に会うのは初めてだった。タブチによく似ていて、年の頃は三十前後の体格のいい男だった。父がお世話になっておりますと礼儀正しく頭を下げた。与那原大親(ゆなばるうふや)になったマタルーの妻、マカミーはタブチの娘で、兄と糸数の若按司に嫁いだ妹との再会に大喜びした。

 (うふ)グスク按司夫婦も大グスクヌルと一緒にやって来た。大グスクヌルの顔を見るとなぜか、子供の頃を思い出して、からかいたくなってくる。

「マレビト神は見つかりましたか」と聞いたら、大グスクヌルは笑って、「子供の頃、馬天浜から遊びに来ていた男の子がいました。今思えば、あの子がマレビト神だったのかもしれませんねえ」と言った。

 その男の子とはサハチの事だった。サハチと大グスクヌルは、はとこ同士だった。マレビト神であるはずがない。大グスクヌルはサハチを見ながらクスクス笑っていた。からかわれたのはサハチの方だった。

 驚いた事に豊見(とぅゆみ)グスク按司が妻を連れてやって来た。豊見グスク按司の妻のマチルーが島添大里グスクに来たのは嫁いでから初めての事だった。今年のハーリーに中山王と王妃を出してもらうために、山南王が送ったのに違いなかった。

 マチルーは佐敷ヌル、玉グスク若按司の妻のマナミー、知念若按司の妻、マカマドゥに大歓迎された。四姉妹が揃うのは何年振りの事だろう。今、明国に行っているクルーの妻のウミトゥクは突然、兄の豊見グスク按司が現れたので、涙を流しながら再会を喜んでいた。マカマドゥはサハチの側室になったナツとの再会も喜び、夢がかなってよかったねと言っていた。

 庶民たちに開放された東曲輪の舞台では、娘たちの踊りや笛の演奏が披露された。サハチとウニタキの子供たちに、佐敷ヌルとユリの娘も混ざって笛の合奏が行なわれ、首里のお祭りと同じように、ユリ、ササ、ウミチル、チタの笛の競演もあり、サハチも笛を吹いた。娘と一緒に舞台に立って気をよくしたウニタキも、ミヨンと一緒に三弦(サンシェン)を弾きながら歌を披露した。

 ンマムイはヂャンサンフォンと修理亮と一緒に舞台の前に座り込んで、お祭りを楽しんでいた。サハチが一の曲輪の屋敷の一階の大広間で身内たちと一緒に祝い酒を飲んでいると、ンマムイはわざわざ挨拶に来て、「師兄、充分に楽しませていただきました。俺も笛を始めようと思っております」と言って、深く頭を下げて帰って行った。

 サハチと話をしていた豊見グスク按司が、「今のは兼グスク按司では?」と聞いた。

 サハチはうなづいて、「なぜか、俺はあいつの兄弟子になってしまったようだ」と言った。

「前から変わっている奴だとは思っていましたが、(かたき)である兄上を兄弟子として敬うとは、一体、何を考えているのでしょう」

「俺にもわからんよ」とサハチは笑った。

 豊見グスク按司から兼グスク按司の事は山南王の耳に入るだろう。山南王がどう出るかが見物(みもの)だった。





阿波根グスク




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