佐敷のお祭り
四月二十一日、佐敷グスクで サハチ(島添大里按司)が九歳の時で、 梅雨はまだ明けていないが、幸いに雨は降らず、大勢の人たちが集まってきた。 中グスク按司のクマヌが山伏の格好でやって来て、サハチを驚かせた。 「中グスク按司ではないぞ。山伏のクマヌとしてやって来たんじゃ」とクマヌは笑った。 「久し振りに来ると、やはり懐かしいのう」 クマヌは周りを眺めながら感慨深そうに言った。山伏姿のクマヌを見るのは久し振りだった。すでに六十の半ばになり、 「色々とありましたからねえ」とサハチは言った。 クマヌはうなづいた。 「ここはマチルギが嫁ぐ前に築いたんだったのう‥‥‥ 屋敷の縁側に腰を下ろして、人々で賑わうグスク内を見ながらクマヌは様々な事を思い出しているようだった。 「親父も来ています」とサハチは言った。 「なに、 クマヌは驚いた顔でサハチを見た。 「中山王ではなく、 「なに、また坊主になったのか」 「困ったものです」とサハチは苦笑した。 「一の曲輪の屋敷でマサンルー(佐敷大親)と会っています。 「そうか、美里之子も来たか。ここの事を思い出すと皆、昔に返るようじゃのう。挨拶して来よう」 クマヌはサハチに手を振ると東曲輪から出て行った。 舞台の上ではウニタキ(三星大親)とミヨンが 舞台の進行役の佐敷ヌルとユリは、 サハチはンマムイも サハチもンマムイを連れて行くに当たって条件を出した。兼グスク按司として連れて行くと、中山王の家臣たちの反感を買うので、ヂャンサンフォンの弟子のンマムイとして連れて行くと言った。ンマムイは条件を飲んで大喜びをした。 舞台を見ようとサハチが立ち上がった時、 「お父さんが歌っている」と娘のウニチルが言って、舞台の方に駈け出して行った。 「あっ!」と叫んで、サハチはフカマヌルを見た。 「チルーがいるんだ」とサハチはフカマヌルに言った。 「手遅れね」とフカマヌルは首を振った。 ウニチルは舞台まで行ったが、人が多くて舞台に近づけないようだった。 「ウニタキに呼ばれたのか」とサハチは聞いた。 フカマヌルはうなづいた。 「あいつ、何を考えているんだ」 「もう無理なのよ」とフカマヌルは言った。 「 「なに、マチルギが気づいたのか」 「久高島参詣の時、あの子の名前を知ってしまったの」 「今までずっと、チルーって呼んでいたじゃないか。チルーなんてどこにでもある名前だ」 「ウニチルは自分の名前を知っているわ。でも、『 「マチルギにもそう言ったのか」 フカマヌルはうなづいた。 「奥方様はすぐに気づいて、ウニタキにその事を確認したそうよ。そして、自分からチルーさんに説明して謝りなさいって言ったのよ」 「そうだったのか」 「あたしも隠しておくのに疲れたわ」 舞台に行ったウニチルは人混みをかき分けて舞台の前まで出た。おとなしく歌を聴いていたが、歌が終わると思わず、「お父さん」と声を掛けた。 ウニタキはウニチルを見て、笑いながらうなづいた。 ウニタキの隣りにいるミヨンは驚いた顔でウニチルを見て、「誰?」とウニタキに聞いた。 チルーもウニチルを見た。そして、ウニタキをじっと見つめた。 舞台の脇にいた佐敷ヌルも驚いた顔をしてウニチルを見ていた。 舞台から降りたウニタキはミヨンに、「お前の妹だ」と言って、ウニチルの事を頼み、チルーを連れて屋敷の方に向かった。 屋敷の縁側でサハチと話をしているフカマヌルを見て、チルーは何もかも悟っていた。ウニタキとチルーとフカマヌルの三人を屋敷に上げると、サハチはウニタキの肩をたたいてうなづき、舞台に向かった。 サハチは 初めて聴く一節切の音色は華やかな横笛と違って、渋くて重々しく、風の音のように人々の心の中に染み渡っていった。時にはそよ風のように優しく、時には嵐のように激しく、吹き抜ける風は人々を思い出の中へと引き込んで行った。サハチの吹く曲を聴きながら、誰もが懐かしい昔の思い出の中に浸っていた。 サハチが一節切を口から離して、曲が終わると辺りはシーンと静まり返った。しばらくして大喝采が沸き起こった。 屋敷の中では、ウニタキがチルーに頭を下げていた。 「あの子はいくつなの?」とチルーは聞いた。 怒っているのか、悲しんでいるのか、よくわからない表情だった。 「七つです」とフカマヌルが答えた。 「マチと同い年なのね‥‥‥あなたが歌っている歌、久高島の歌だって聞いたわ。もしかしたらって思っていたのよ」 フカマヌルもチルーに頭を下げた。 頭を下げている二人を見ながらチルーの目には涙が溜まっていた。 舞台から降りたサハチが屋敷に戻るとウニタキが一人、縁側にしょんぼりと座っていた。 「どうした? 許してくれたか」とサハチが聞くと、ウニタキは首を振った。 「今、二人で話をしている」 「マチルギが気づいたそうだな」 ウニタキはうなづいた。 「チルーは泣いていた。怒ってくれた方がよかったのに‥‥‥」 「そうか‥‥‥」 サハチには何と言っていいのかわからなかった。 「このグスクの裏山にある屋敷は今、どうなっているんだ?」とサハチはどうでもいい事を聞いた。 「あそこにはイーカチが住んでいる」 「なに、イーカチが住んでいるのか」 サハチは驚いていた。今まで、イーカチは表に出て来なかった。ウニタキから時々、イーカチが描いた絵を見せられても、本人と直接に会う事は滅多になかった。ウニタキが明国に行っていた時、『 「時々、 「チニンチルー?」 「一緒にヤマトゥに行った女子サムレーだよ」 「イーカチといい仲になったのか」 「そのようだ。十五年前、 サハチはチニンチルーを知らなかった。 「イーカチはチニンチルーに惚れているんだが、何せ、 「イーカチは今、いるかな?」とサハチは聞いた。 ウニタキは首を傾げた。 「留守を頼んだから、俺の留守中はビンダキ(弁ヶ岳)にいると思うが、今はどうかな」 いてもいなくもいいから行ってみようとサハチはウニタキを誘った。ウニタキは屋敷の中の二人を心配しながらも重い腰を上げた。 イーカチは裏山の屋敷にいた。三人の女子サムレーが一緒にいた。チタとクニは知っているが一人は名前を知らなかった。名前は知らないが首里グスクのお祭りの時、チタと一緒にいるのを見た事があった。美人で背の高い女だった。 「チニンチルーも来ている」とウニタキは笑った。 名前の知らない女子サムレーがチニンチルーのようだった。 クニはサハチの サハチとウニタキが来たのを知るとイーカチは驚いて、迎えに出た。 「お頭に 「気にするな」とウニタキは言った。 「久し振りに来てみたかっただけだ」 サハチとウニタキは縁側に腰を下ろして庭を眺めた。幼かったミヨンが庭を走り回っていたのが、つい昨日の事のように思えた。 「そろそろ、チタの出番じゃないの」と女子サムレーたちはサハチたちに頭を下げると出て行った。 「俺が 「いえ、そんな事は‥‥‥」とイーカチがウニタキの背中に答えた。 「この屋敷を建てた頃、配下の者で女は五人しかいなかった。ムトゥとトゥミ、イチャ、クミ、タキだ。ムトゥは今、 イーカチは何も言わなかった。部屋の中でかしこまって座っていた。 「もしかしたら、お前は 「はい、そうです」とイーカチはうなづいた。 「こいつは炭焼きの三男なんだ」とウニタキが言った。 「どうせ、村を出なければならないと言って付いて来たんだ。本当の名はサンキチだ。絵がうまいので、誰が言い始めたというわけでもなく、『 「ヤマトゥ旅の絵を見たよ」とサハチは言った。 「対馬の景色を見て懐かしかった。親父も感心して、大きな絵を描いて楼閣に飾ってくれと言っていた」 「イーカチ、チニンチルーと一緒になって、本物の絵描きになってもいいぞ」とウニタキは言った。 「えっ?」とイーカチは驚いた。 サハチも驚いてウニタキを見た。 「お前の才能を裏方だけで終わらせるのは勿体ない。表に出て、その才能を生かすんだ。お前が描いた絵を首里グスクやこれから作る 「かしこまりました」とイーカチは神妙な顔をしてうなづいた。 「年齢の差なんて関係ないぞ。チニンチルーもお前に惚れているようだ。幸せにしてやれ。お前も知っていると思うが、チニンチルーの親父は イーカチは深く頭を下げていた。 ウニタキは立ち上がると去って行った。 「俺もお前の才能は伸ばすべきだと思うよ」 そう言ってサハチもイーカチと別れて、ウニタキを追った。 「イーカチが抜けたら大変だろう」とサハチはウニタキに追いつくと言った。 「ああ、大変だ」とウニタキは苦笑した。 「朝鮮旅から帰って来たら考える。世の中、何とかなるもんさ」 サハチは笑いながらウニタキを見ていた。 佐敷グスクの東曲輪に戻ると、舞台では佐敷ヌルが横笛を吹いていた。ヤマトゥから帰って来た佐敷ヌルはユリから笛を習っていた。島添大里グスクでは子供たちが笛を吹いているので騒がしく、佐敷ヌルが吹いている笛の 佐敷ヌルも独自の感性を持っていた。神秘的なその調べは、遙か遠い昔の神々の世界を思わせるような心の奥底に響く調べだった。サハチもウニタキも佐敷ヌルの吹く笛の音に聞き入っていた。 曲が終わるとシーンと静まり、やがて喝采がわき起こった。 「お前ら兄妹はどうなっているんだ」とウニタキは言った。 「お前の笛もそうだが、佐敷ヌルの笛も、まるで、神様の言葉のようだ」 「神様の言葉?」 「そうだよ。俺は久高島で神様の声を聞いた事がある。その時と同じ気持ちになるんだ。思わず、感謝をしたくなるような気分にな」 「お前、褒めてるのか」とサハチは聞いた。 「悔しいが、お前の笛は凄いよ」 「お前に褒められるとは思わなかった。笛をやってきてよかったと、今、改めて思ったよ。俺はずっと、お前の三弦に負けていたからな」 「これからが勝負さ。俺も負けてはおれんぞ」 屋敷を覗くとチルーとフカマヌルの姿はなかった。 「どこに行ったんだ?」とサハチとウニタキは二人を捜した。 舞台では修理亮と女子サムレーが竹の棒を持って模範試合を披露していた。ウニチルはミヨンたちと一緒にいたが、チルーとフカマヌルの姿はなかった。 佐敷ヌルの屋敷かなと覗いてみると二人はいた。マチルギが来ていて、ナツも加わって四人が深刻な顔で話し込んでいた。サハチとウニタキを見るとマチルギは手を上げて、二人にうなづいた。この場はマチルギに任せる事にして二人は引き下がった。 「姉御のお出ましだ」とウニタキは言った。 チルーはマチルギの叔母、フカマヌルは義妹で、二人ともマチルギより年上なのだが、ウニタキが言うようにマチルギには姉御という貫禄があった。 「ここにはササが住んでいるのか」とウニタキが聞いた。 「ササとシンシンが暮らしている」 「佐敷ヌルはいないのに『佐敷ヌルの屋敷』なのか」 「首里に『ヒューガ屋敷』はあるが、ヒューガ殿は住んでいない。それと同じじゃないのか」 ウニタキはサハチを見て笑った。 屋敷の中からも笑い声が聞こえてきた。 サハチとウニタキは顔を見合わせて、 「姉御がうまくやっているようだ」とうなづき合った。 佐敷グスクのお祭りから五日後、梅雨が明けて暑い夏がやって来た。 その翌日、朝鮮とヤマトゥに行く交易船(進貢船)は夏風を帆に受けて出帆した。来月に行なわれる『ハーリー』が気になったが、ヤマトゥの都と朝鮮の都に行くとなると忙しい旅になる。出帆はなるべく早い方がよかった。 サハチ、ウニタキ、ファイチ(懐機)の三人は交易船の見晴らし台から琉球の山々を眺めながら、わくわくしていた。これから始まる半年余りの長い旅が素晴らしい旅になるように、琉球の神様に祈りながら、期待に胸を膨らませていた。 |
佐敷グスク