瀬戸内の水軍
博多に着いて七日後、サハチ(島添大里按司)たちは『一文字屋』の船に乗って京都へと向かった。 博多に滞在中、サハチたちはヤマトゥンチュ(日本人)に変装していた。琉球から来た事がわかると妙楽寺に閉じ込められてしまうからだった。サハチたち男はジクー(慈空)禅師を除いて、 日本人に化けたサハチたちは、都見物にやって来た ンマムイ(兼グスク按司)は九州探題の渋川 「ヤマトゥにいた時、俺は 「ウマノスケ?」 「昔、そういう役職があったようです」 「成程な。ヤマトゥにいる間はウマノスケと呼ぶ事にするか」 サハチがそう言って笑うと、 「 そう言えば、サハチの本当の名はサハチルーだったのを思い出した。いつの間にかルーがなくなっていた。 「ウニタキ師兄は 「ファイチが破一郎か」とサハチは笑った。 ンマムイの案内で遊女屋に出掛けたが、目当ての遊女屋は潰れていた。仕方がないと別の遊女屋に行ってみたが、 サハチたちが博多を離れる時になっても、妙楽寺の門は閉ざされたままで、中にいる者たちと会う事はできなかった。それでもウニタキが忍び込んで 一文字屋の船は、シンゴ(早田新五郎)とマグサ(孫三郎)の船よりも一回り小さい帆船で、二隻で京都に向かった。たっぷりと荷物が積んであり、かなり重そうだった。一応、将軍様の重臣への贈り物も積んである。もし、会う事ができれば、それを贈って、来年、正式な使者を送る事を告げるつもりでいた。会えなければ、京都の『一文字屋』に預けておいて、来年使えばいいだろう。 サハチ、ウニタキ、ファイチ、ジクー禅師、ササ、シンシン(杏杏)、シズが一隻めに乗り、ヂャンサンフォン(張三豊)、修理亮、ンマムイ、イハチ、クサンルー、三人の女子サムレーが二隻めに乗った。一文字屋孫三郎と娘のみおはサハチたちと一緒に乗っていた。 吹き上げの浜(海の中道)と 博多から京都までは、早ければ半月で行けるという。琉球から 夕方になって九州と本州の境目にある 確かに海峡に入ると船の速さが早くなった。凄い所だと思いながらサハチたちは周りの景色を眺めた。 しばらく行くと少し広くなった所に出て、左側に港が見えた。船は進路を変えて、港へと入って行った。 「もう少ししたら潮の流れが逆になります」と一文字屋孫三郎は言った。 「潮の流れに逆らって進む事はできません。ここだけではなく、これから入る瀬戸内海は島が多く、潮の流れも複雑です。潮の流れを知らなければ、瀬戸内海での航海はできないでしょう」 サハチは孫三郎の話を聞いて、京都に行くのは大変のようだと改めて思った。 その夜は、この辺りを治めている大内氏の家臣、広中 サハチが中山王の 「琉球の王様が将軍様と交易を始めるのは喜ばしい事じゃ。将軍様も歓迎なさるじゃろう。わしらのお屋形様(大内 そう言って、広中三河守はお屋形様宛ての書状を書いてくれた。 「ところで 「ヌルと言いまして、 サハチがそう説明すると、 「成程のう。 次の日は潮の流れが変わるのを待ち、ようやく サハチたちは上陸してみたが、山に囲まれた小さな漁村で、見るべき物は何もなかった。 ンマムイとシンシンが船の上で笛を吹いていたら、村の者たちが集まって来た。どこから来たかと聞かれたので、琉球と答えたが、どこだかわからないようだった。しばらくして、長老らしい年寄りがやって来て、遠い所からよく来てくれたと歓迎してくれた。 長老の屋敷に招待されたサハチたちは、捕れ立ての魚介と酒の御馳走になり、笛や 長老は屋敷に泊まっていけと勧めたが、孫三郎が首を振ったので、サハチたちは船に引き上げた。 「この辺りの漁師は海賊になって暴れる者たちもいるらしい」と船に戻ると孫三郎は言った。 「この村の者たちが海賊かどうかはわかりませんが、あの屋敷に泊まるのは危険です」 あの者たちが海賊には見えなかったが、サハチは孫三郎にうなづいて、その夜は星を見上げながら 夜中にササに起こされた。 「危険よ。村人たちが襲って来るわ」 「何だって! 奴らはやはり海賊だったのか」 「お宝を積んだ船がわしらの港に入って来た。天からの授かり物だって言っているわ」 「何てこった」 サハチは皆を起こした。 星は出ているが月がないので辺りは暗い。暗い中、船を出すのは危険だが、逃げるしかなかった。 ゆっくりと船を出して、港から離れた。しばらくして、港の辺りにいくつもの サハチたちはホッと胸を撫で下ろして、ササに感謝した。 あまり沖まで出てしまうと潮に流されるので、 夜明けと共に、漁村から見えない場所まで移動して、潮の流れが変わるのを待った。 室積には赤間関にいた広中三河守の家臣がいて、サハチたちの宿舎と食事の世話をしてくれた。宿舎は大きな寺院の中にある 四日目も潮待ちをして、巳の刻頃、ようやく船出となった。 上関は細く突き出した岬と細長い島との間にあり、周辺にもいくつも島があった。 上関から先は村上水軍の縄張りだと孫三郎は言った。 六年前、孫三郎の兄の孫次郎は京都に進出しようと考えた。シンゴの船が毎年、琉球に行く事になったので、明国の商品を京都で売ろうと考えたのだった。博多と京都を往復するには、水軍(海賊)と手を組まなければならない。一々、足止めされて 孫次郎は 三郎左衛門を連れて上関に来た孫次郎は、村上水軍の頭領、村上 長門守は 長門守が亡くなったとの噂が広まると、長門守が拠点としていた瀬戸内海の島々は海賊たちに奪われた。長門守の跡を継ぐべく、 鞆の浦から東を縄張りとしていたのは 村上水軍も塩飽水軍も欲しい物は明国の銅銭だった。土地を持っていない水軍にとって、活躍した部下たちに与える 明国の銅銭は琉球で手に入れる事ができた。明国で取り引きをした代価が銅銭で支払われる事もあり、毎回、大量の銅銭が琉球にもたらされた。その銅銭は日本の商人との取り引きにも使われ、日本にもやって来る。シンゴに頼めば、必要な銅銭を手に入れる事は可能だった。 今、頭領の村上山城守は能島にいて、上関にいるのは長男の又太郎だった。又太郎は二十代半ばの若者で、サハチたちが琉球から来た事を知ると、目を丸くして驚き、大歓迎してくれた。 又太郎の立派な屋敷に招待されて、サハチたちは酒と料理を御馳走になった。又太郎は琉球の事を知りたがり、サハチたちを質問攻めにした。 サハチが琉球と日本との間にある島々の話をしていた時、娘が入って来た。娘は刀を手に持ち、袴をはいたサムレー姿だった。 「あら、女子サムレーだわ」とササたちが騒いだ。 又太郎が妹のあやだと紹介した。 「あやが十歳の頃、剣術の名人が、この島に滞在しておりました。わしら兄弟は指導を受けていたのですが、あやが一番熱中してしまい、このような有様となったわけです」 又太郎はあやを見て苦笑した。 サハチはササたちを見ながら、「あの女たちも皆、武術を身に付けております」と言った。 「あや殿のような格好で博多まで来たのですが、目立たないようにと娘の格好をしております」 「皆、かなりの腕よ」とあやは又太郎に言って、ササたちの前に座ると、「明日、御指導をお願いいたします」と頭を下げた。 「御指導だなんて」とササは言って手を振り、「あたしたち、毎朝、 「武当拳?」 ササはヂャンサンフォンを見ながら説明した。 又太郎も武当拳に興味を持ったようで、ヂャンサンフォンに色々と質問した。 武術の話に熱中しているうちに、上関に来た剣術の名人が 「ここを去ったのが五年前の事です。信濃の国に行くとか言っておりましたが、今、どこにおられるのかわかりません」 又太郎はそう言ったが、信濃の国という手がかりが得られて、修理亮は喜んだ。修理亮がヒューガ(三好日向)の事を、ンマムイが阿蘇弥太郎の事を聞いたが、又太郎は首を傾げた。サハチもがっかりしたが、「聞いた事あるわ」とあやが言った。 「あたし、お師匠からお弟子さんたちの事を聞いたのよ。十人以上いたけど、三好日向は一番最初のお弟子だって言っていたわ。その次が それを聞いて、修理亮は飛び上がらんばかりに喜んだ。ンマムイも嬉しそうな顔をしてうなづいていた。サハチも嬉しかった。 「中条兵庫は将軍様の指南役になって京都にいるけど、三好日向と阿蘇弥太郎はどこにいるやらわからない。戦死してしまったのかもしれないって心配していたわ。二人とも琉球に行っていたなんて驚きだわ」 「中条兵庫は将軍様の指南役なのですか」とサハチはあやに聞き返した。 「お師匠はそう言っていました」 「その線から将軍様に近づけそうだな」とウニタキがサハチに言った。 サハチはうなづき、「京都に行ったら、何としてでも中条兵庫を探して会おう」と言った。 「将軍様に会うつもりなのですか」と又太郎が驚いた顔をしてサハチに聞いた。 「将軍様は無理でも重臣の方と会って、琉球の王様が将軍様と交易ができるようにしたいと思っているのです」 「成程。そうなると、琉球の船がここに来るわけですね」 「そうなります。その時はよろしくお願いいたします」 「任せて下さい」と又太郎は力強く言った。 サハチは瀬戸内の水軍の事を又太郎から聞いた。 「村上水軍は上関から鞆の浦までを縄張りとしていますが、隅から隅まで見張れるものではありません。島が多すぎて隠れる所はどこにでもあります。それでも、一文字屋が持って来てくれる銭のお陰で、小さな海賊どもは吸収する事ができました。始末に負えないのは言葉の通じない奴らです。大した数ではないのですが、朝鮮や明国から流れてきた海賊どもが悪さをしています。言葉が通じれば何とかする手立ても見つかるのですが、お互いに何を言っているのかわからんので、どうしようもありません」 朝鮮や明国の海賊がこんな所まで来ているとは驚きだった。 又太郎は笑うと、ヂャンサンフォンから明国の事を尋ねた。又太郎の質問は延々と続いて、夜も更けていった。 翌朝、サハチたちは屋敷の庭で、いつものように静座(呼吸法)と武当拳の稽古をやった。又太郎とあやも参加した。稽古のあと、ヂャンサンフォンとシンシンの模範試合を見た二人は唖然とした顔をして、「凄い!」と唸り、今日一日だけでいいから、ここに滞在して、武当拳を教えてくれと頼んだ。 先を急ぎたい気持ちはあるが、これも何かの縁だろうとサハチは滞在する事に決めた。 屋敷の裏にある山を登って行くと広い草原があって、サハチたちはそこで、武術の稽古に熱中した。 一番年下のイハチは同い年の孫三郎の娘のみおと一緒に稽古に励んでいた。イハチは十一歳の頃から兄たちと一緒に剣術の修行を始め、去年から 又太郎の妹のあやはササより一つ年下だった。ササはあやが気に入ったようで、妹ができたみたいと喜んでいた。 楽しい一日が過ぎ、その晩は、昨夜よりも砕けた宴となって、酒もうまかった。 ファイチはヤマトゥ言葉は難しいとぼやいていた。今回の旅のために、ヤマトゥ言葉を学ぼうと思ってはいても、毎日が忙しくて、そんな暇はなかった。旅の間に覚えるしかないなと笑った。 翌日、又太郎と別れて船出した。又太郎は護衛の船を二隻付けてくれた。その船を指揮するのはあやだった。あやの船のあとに続いて、サハチたちの船は狭い上関海峡を抜けた。海峡を抜けると島がいくつも見えてきた。潮の流れに乗って東へと進み、大小様々な島々の間を通って行き、 津和地港は津和地島と あやのお陰で、宿舎の手配もすんなりと行き、まだ日が高いからと言って、武当拳の稽古が始まった。 「あたしが身に付けて、兄上に教えてあげるわ」とあやは嬉しそうに笑った。 次の日は 鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中央にあって、満潮になると四方から鞆の浦めがけて潮が流れ、干潮になると鞆の浦から四方に潮が引いていく。兵庫から来た船も九州から来た船もここで潮待ちをしなければ先には進めず、古くより潮待ちの港として栄えていた。山と海に挟まれた狭い土地に家々が所狭しと建ち並び、大きな寺院や神社がいくつも建っていた。 鞆の浦では一文字屋の取り引き相手である商人『 あやたちは決まった宿舎があるらしく、そちらに移り、あやだけが『三星屋』に泊まった。明日は別れなければならないので、あやは日が暮れても武当拳の稽古に熱中し、あやの熱意に付き合って、サハチたちも稽古に励んだ。 翌日、あやは朝早くに帰って行った。 「京都からの帰りには因島の兄上を訪ねてね」とササに言ったが、その目は少し潤んでいた。 ササも目を潤ませながら、「また会いましょうね」と手を振った。 潮の流れが変わるのを待ち、正午頃になって、サハチたちは船出した。島と島の間を抜けて、 下の津で、塩飽水軍の頭領、塩飽三郎入道が待っていた。サハチたちは塩飽三郎入道が用意してくれた宿屋に入った。 塩飽三郎入道はちょっと変わった男だった。サムレーというよりはウミンチュ(漁師)の親方といった感じだ。真っ黒に日焼けして、頭は綺麗に剃っているのに、顔は髭だらけで、赤い サハチたちが琉球から来たと言っても別に驚く事はなかったが、博多に置いて来た進貢船の話をすると、急に目の色を変えて、どんな船だとしつこく聞いてきた。サハチは説明したが、わけのわからない専門用語を使うので、まったくお手上げだった。 塩飽三郎入道は唸って、一人で納得したように手を打つと、「博多に帰る時、配下の船大工を一人、一緒に連れて行ってくれ」と言った。 サハチがうなづくと、塩飽三郎入道はサハチの手を握って喜んだ。 「わしらは武士ではない。わしらは特別な腕を持った職人の集団なんじゃ。潮の流れにも詳しいし、帆や そう言って、塩飽三郎入道は豪快に笑った。話を聞いていて、サハチは 「夜明けと共に船出しろ」と言って、塩飽三郎入道は帰って行った。 塩飽三郎入道の言う通りに、サハチたちは夜明けと共に船出をして、正午前には 牛窓には一文字屋の店があり、サハチたちは一文字屋の屋敷に入って、のんびりと過ごした。 |
赤間関
上関
鞆の浦
児島の下の津
牛窓