沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







幽玄なる天女の舞




 京の都に着いてから、早いもので十日が過ぎようとしていた。

 何とかして、勘解由小路(かでのこうじ)殿(斯波道将)に近づこうと色々とやってはみたが、どれもうまく行かなかった。

 サハチ(琉球中山王世子)たちは五組に分かれて行動していた。ジクー(慈空)禅師は一人で、勘解由小路殿と関係のある禅僧を探し、ウニタキ(三星大親)、ンマムイ(兼グスク按司)、クサンルー(浦添若按司)は九州探題の渋川道鎮(どうちん)を探し、サハチと修理亮(しゅりのすけ)とイハチ(サハチの三男)は慈恩禅師(じおんぜんじ)の弟子で将軍様(足利義持)の武術指南役の中条兵庫(ちゅうじょうひょうご)を探し、ヂャンサンフォン(張三豊)とファイチ(懐機)は将軍様に仕えている唐人を探し、ササ(馬天若ヌル)、シンシン(杏杏)、シズ(ウニタキの配下)、女子(いなぐ)サムレー三人は、まりとみおを連れて、将軍様のヌルを探しに行った。

 ジクー禅師は勘解由小路殿が師と仰ぐ禅師には会えなかったが、東福寺を追い出された栄泉坊(えいせんぼう)という若い画僧を連れて来た。絵を描くのが好きで東福寺の明兆(みんちょう)禅師の弟子になったが、絵を描いてばかりいて、決められた仕事をしないので追放されてしまったという。絵を描かせてみたらかなりの腕なので、役に立つだろうと連れて来たという。

 サハチは京都の寺院や神社を描いてくれと頼み、いい絵が描けたら琉球に連れて行くと言った。絵が描けるのなら、どこにでも行きますと栄泉坊は嬉しそうに笑った。

 ンマムイは渋川道鎮の居場所は見つけたが、会う事はできなかった。厳重に警護されたお寺を宿所にしていて、門番に説明しても信じてはもらえず、門前払いをされていた。ウニタキは忍び込む事はできると思ったが、危険を冒して忍び込んでも、渋川道鎮がンマムイなど知らないと言ったらどうしようもなかった。調子のいい事を言っているが、実際は一、二度、顔を合わせただけかもしれなかった。

 サハチたちも中条兵庫の屋敷を見つける事はできたが、中条兵庫は留守だった。将軍様と一緒に伊勢の神宮に行っていた。帰って来るのは二十二日の予定だという。

 ヂャンサンフォンとファイチは将軍様に仕えている唐人を見つけ出して会っていた。陳外郎(ちんういろう)という医者と魏天(ぎてん)という通事(つうじ)(通訳)だった。陳外郎は立派な屋敷に住んでいて、医者として将軍様に仕えているだけでなく、外国から来た使者たちの接待役も務めていた。今、朝鮮(チョソン)から使者が来ていて、兵庫港にも明国(みんこく)からの使者がいるので忙しそうだったが、ヂャンサンフォンが名を名乗ると驚いて、大歓迎してくれた。

 ヂャンサンフォンは武術界だけでなく、医術界でも有名だった。不老長寿の術を身に付けて、内丹術(ないたんじゅつ)と呼ばれる『気』を鍛えて体を健康にする術を編み出した凄い人だと、まるで神様のように、ヂャンサンフォンという名を父から何度も聞いていた。そのヂャンサンフォンが異国にいる自分を訪ねて来るなんて、まったく信じられない事だった。

 陳外郎は子供の頃に父親に連れられて、明国から逃げて来たという。洪武帝(こうぶてい)に敗れた陳友諒(チェンヨウリャン)の一族だった。陳外郎は懐かしそうに、ヂャンサンフォンが話す明国の話を聞いて、真剣な顔をして内丹術の事を尋ねていた。陳外郎の紹介で魏天とも会った。

 魏天は子供の頃に倭寇(わこう)にさらわれて壱岐島(いきのしま)に来た。長い間、壱岐島で暮らしていたが、突然、捕まって朝鮮に送られた。朝鮮で有名な文人のもとで奴婢(ぬひ)として働いていたが、日本語がわかるというので、朝鮮が日本に送る使者の従者に加わって日本に来た。久し振りに日本に戻って来た魏天は、博多で明国から来ていた使者たちと出会う。魏天は明国の使者に、子供の頃に倭寇に連れ去られたと身の上を話して、明国の使者と一緒に明国に帰った。明国に帰ったものの、すでに身内の者たちは亡くなっていて帰る場所もなかった。途方にくれていたら、永楽帝(えいらくてい)から命令が下って、通事としてまた日本にやってきた。しかし、以前とはまったく待遇が違った。通事として将軍様に仕える事になり、立派な屋敷も与えられて、妻を迎える事もできたのだった。

 魏天は自分が留守にしていた四十年余りの出来事をヂャンサンフォンとファイチから聞いて、そんな事があったのかと驚いていた。陳外郎も魏天も将軍様が伊勢から帰って来たら、勘解由小路殿に話してみると言った。勘解由小路殿は伊勢には行っていないが、将軍様が重臣たちを引き連れて伊勢に行ったので、残された者たちで留守を守るのが大変らしい。

 ササはアマテラスがヌルだったのだから、将軍様のそばには必ずヌルがいるはずだと言って探していたが、ヌルはいなかった。ヌルはいなかったが、北山殿(きたやまどの)(足利義満)の側室だった『高橋殿』と呼ばれているお方が将軍様に影響力を持っているらしい事をつかんできた。

「噂では凄い美人らしいわよ」とササがニヤニヤしながらサハチを見た。

「北山殿の側室だったんだろう。もういい年なんじゃないのか」とサハチはササに聞いた。

「三十の半ばくらいらしいわ。でも美人だから十歳くらいは若く見えるって話よ。とても(あで)やかなんですって。でも、噂だけで、実際に見た人はいないみたい。今回も将軍様と一緒にお伊勢参りに行ったようだけど、綺麗なお輿(こし)に乗っていて、顔を見る事はできなかったって言っていたわ」

「雲の上のお人なんだな」

「わしも噂しか知らんが、近江(おうみ)猿楽座(さるがくざ)太夫(たゆう)道阿弥(どうあみ)の娘だとも、東洞院(ひがしのとういん)傾城(けいせい)(遊女)だったとも言われておる」とジクー禅師が言った。

「北山殿に大層可愛がられて、北山殿の寺社参詣には必ず一緒に行かれたようじゃ。北山殿が生きておられた頃は北山第(きたやまてい)の西御所に住んでおられて『西御所殿』と呼ばれていたんじゃ。北山殿がお亡くなりになって、北野の高橋の屋敷に移られて、『高橋殿』と呼ばれるようになったんじゃよ」

「北野の高橋というのは、この近くじゃないのですか」とサハチはジクー禅師に聞いた。

「北山第と北野天満宮のちょうど中間あたりじゃな。北山殿は亡くなったが、将軍様も夫婦揃って、正月には高橋殿の屋敷に挨拶に出掛けるというから、将軍様の信任も厚いようじゃ」

「高橋殿に会えれば、将軍様にも会えそうね」とササは言った。

「確かにな。しかし、会う機会はあるまい」

「以前の格好に戻って、京都の街中をうろうろしていれば噂になるわ。北野天満宮のお庭で武当拳(ウーダンけん)のお稽古をやりましょうよ」

「確かに噂にはなるだろうが、雲の上のお人がそんな噂で動くだろうか」

「ここには海賊もいないし、以前の格好に戻りましょう」

 何もしないよりは増しだろうとササの意見に従って、サハチたちは以前の格好に戻った。女たちは女子サムレーの格好になり、サハチたちはカタカシラを結った。

 一文字屋次郎左衛門に『高橋殿』の事を聞いてみると知っていた。お得意様だという。ただし、高橋殿に会った事はない。高橋殿に仕えているお女中(じょちゅう)が、時々、店にやって来て、タカラガイや明国の筆や香炉(こうろ)などを買っていく。高橋殿は綺麗なタカラガイがお好きなようで、屋敷のあちこちに飾っておられるらしいと言った。

 琉球の格好で街中をうろうろしてみたが、さほどの効果はなかった。珍しそうに見られるだけで、噂になって人が集まって来るという事もない。毎朝の武当拳の稽古は見物人に囲まれるが、田舎から来た芸人でも見ているような感じだった。何となく、見世物になっているようで情けなかった。

 将軍様に近づく手立てはなかなか見つからなかったが、首里(すい)の都作りの参考になる事は色々と見つかった。まず、道を整備して、どこからでも首里に行けるようにしなければならない。そして、井戸ももっと増やした方がいい。京の都にはあちこちに井戸があって、人々の暮らしの役に立っていた。お寺を建てる事は以前から思っていたが、少なくとも十のお寺を建てて、『首里十刹(すいじっさつ)』と名付けようと決めた。大きなお寺には立派な庭園があった。池があって、様々な樹木が植えてあり、大きな石なども並べてある。そんな庭園も造らなければならない。それと、神社に見られる少し飛び出した唐破風(からはふ)と呼ばれる屋根は美しく、首里の百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の正面に作りたいと思った。それを作るにはヤマトゥ(日本)の大工を連れて行かなければならない。ジクー禅師に頼んで、探してもらう事にした。

 サハチはウニタキと一緒に栄泉坊を連れて北山第の七重の塔を見に行った。こんなにも高い塔は無理だが、ヤマトゥ風の塔も首里に作りたかった。サハチは栄泉坊に七重の塔を詳しく描くように頼んだ。

 塔を見上げながら、「登ってみたいな」とウニタキが言った。

「登れるか」とサハチが聞いた。

「登れる」と言ってウニタキは笑った。

「ファイチを誘って登ってみるか」とサハチは言ったが、「またササに感づかれそうだな」と笑った。

「博多の呑碧楼(どんぺきろう)のように簡単にはいかんぞ。見つかれば逃げるのは難しい。関係していた一文字屋も潰されてしまうだろう」

「それはうまくないな」

「琉球の使者として来れば、将軍様が案内してくれるだろう」

「来年まで我慢するか」

「来年も来るつもりなのか」

「来られれば来たい」

 ウニタキはうなづいて、「来られればいいな」と言った。

 一文字屋に帰るとみんなが驚いた顔をして、サハチとウニタキを待っていた。

「大変なのよ」とササが言った。

「何があったんだ?」とサハチは皆の顔を見回した。

「『高橋殿』から招待されたのよ」

「えっ、何だって?」

「サハチ師兄(シージォン)とウニタキ師兄とファイチ師兄の三人が高橋殿に招待されたんですよ」とンマムイが言った。

「俺とウニタキとファイチ? 高橋殿は俺たちの名前を知っているのか」

「名前は知らないようだけど、島添大里按司(しまそえおおさとあんじ)殿、三星大親(みつぼしおおおや)殿、久米村長史(くめむらちょうし)殿って言ってきたわ」

「どうして、そんな事を知っているんだ?」

 ササも皆も首を傾げた。

「招待されたからには行った方がいい」とジクー禅師が言った。

「高橋殿は琉球の事を調べているようじゃ。もしかしたら、将軍様も琉球と交易したいと思っているのかもしれない」

「琉球の事を調べると言ったって、どうやって調べたのだろう。高橋殿というのは、そんなにも力を持っているのですか」

「日本には山の(たみ)とか川の民とかいう者たちがいる。高橋殿の出自は芸人じゃ。芸人たちは山の民とつながっている。北山殿の側室となって権力を得た高橋殿は山の民たちを使って、各地の情報を集めているのかもしれん。そういう組織を持っているから、将軍様も高橋殿を大切に扱っているのかもしれんのう。高橋殿を味方に付ければ、今後の日本との交易にも損になる事はあるまい」

 サハチ、ウニタキ、ファイチの三人は高橋殿の屋敷に向かった。場所は以前に調べてあるので知っていた。高い塀に囲まれた広い屋敷を眺めながら、会ってみたいと思っていたが、招待されるなんて思ってもいない事だった。

 門番に名前を告げる前に門が開いた。綺麗な着物を着た二人の若い女が出迎えてくれた。一文字屋がお女中と呼んでいた使用人たちだろう。お女中の案内で、色々な花が咲いている綺麗な庭を通って、豪華な屋敷の一室に案内された。

「日が暮れる頃、歓迎の(うたげ)を催しますので、それまでゆっくりしていて下さい」と言って、二人のお女中は去って行った。

 日が暮れるまで、まだ一時(いっとき)(二時間)近くはありそうだ。

 ウニタキが碁盤を見つけて、ファイチと勝負を始めた。サハチはそれを見ていたが、見ていてもつまらんと庭に下りて散策した。よくできた庭園だった。池の中に小さな島があって赤い橋が架かっていた。サハチは橋を渡って島に行ってみた。池の中を覗くと魚が泳いでいた。一尺近くもある綺麗な魚だった。

 池から離れて珍しい花や木を眺めながら、しばらく歩くと舞台があった。一流の芸人たちがここで芸を見せるのだろう。舞台の前にある屋敷には人影はなかった。高橋殿を囲んで、高貴な女たちが縁側に並んで舞台を眺めるに違いない。

 庭にあった手頃な石に腰を下ろすと、サハチは腰に差していた一節切(ひとよぎり)を口に当てて吹き始めた。

 笛の音には京都で感じた様々な思いが込められていた。

 ササがスサノオの神様から聞いた話によると、京都は六百年以上の歴史があるという。ササは何度も『船岡山』に行って、神様の声を聞いていた。六百年の間には、何度も(いくさ)があって、何度も疫病が流行り、何度も火災が起こって、何度も川の氾濫があり、何度も干魃(かんばつ)に見舞われたりして、多くの人々が亡くなっていた。災難が起こる度に人々は偉大なる神様、スサノオに(すが)ってきた。スサノオは厄払いの神様となって祇園社(ぎおんしゃ)(八坂神社)や今宮神社に祀られ、武神となって八幡神社に祀られ、海の神様となって住吉神社に祀られて、京の都を守っている。サハチは無心になって、スサノオに捧げる曲を吹いていた。

 突然、舞台に女が現れたかと思うと、サハチの笛の音に合わせて踊り出した。美しい女は長い黒髪を振り乱しながら華麗に舞っていた。夢でも見ているのだろうかと思いながら、サハチは一節切を吹き続けた。

 スサノオが女の姿になって現れたのか。いや、スサノオではなくて、娘のアマテラスだろうか。アマテラスは伊勢の神宮に祀られているという。将軍様は伊勢の神宮に行った。アマテラスは天皇家の御先祖様だった。将軍様はなぜ、伊勢の神宮に行ったのだろうか‥‥‥

 サハチは舞台で踊っている美女を見つめながら、一節切を吹いていた。美女の舞は見事だった。サハチの奏でる笛の音と完全に一つになっていた。いつしか、美女の舞とサハチの一節切は素晴らしい掛け合いをしていた。美女の舞が激しくなるとサハチの一節切も負けずと激しさを増し、サハチの一節切が優しい調べを奏でると美女の舞もしなやかで可憐な舞となった。美女はまるで天女のように、きらびやかに舞っていた。やがて、天女が上空に去って行くとサハチの笛の音も静かに消えて行った。

 サハチは一節切を口から離した。

 いつの間にか辺りはすっかり暗くなっていた。舞台の中は薄暗く、人の気配はなかった。やはり、夢でも見ていたのだろうかとサハチは思った。

「素晴らしかったわ」と声がした。

 舞台の脇から美女が現れた。踊っていた美女だった。

 美女は美しい笑顔のままサハチに近づいて来た。

 サハチは思わず立ち上がって、美女を迎えた。

「あなた、誰?」と美女は聞いた。

 サハチが答えようとすると、

「誰でもいいわ。あなたの一節切、気に入ったわ」と笑った。

「とても幽玄(ゆうげん)だったわ」

「幽玄とは何ですか」とサハチは聞いた。

「幽玄とは、言葉では言えない素晴らしいものなのよ。芸事には必ず必要なものなの」

 美女はサハチを見つめながら近づいて来て、サハチの首の後ろに手を回すようにして抱き付いた。美女からはいい匂いが漂っていて、胸の鼓動が感じられた。サハチの唇に自分の唇を重ねると、「またあとで」と言って闇の中に消えて行った。

 サハチはあとを追ったが、美女の姿はどこにも見当たらなかった。空を見上げると、カラスが鳴きながら飛び去って行った。何となく、カラスに笑われたような気がした。

 案内された部屋に戻るとウニタキもファイチもいなかった。碁盤を見ると勝負の途中だった。人の気配がして顔を上げると、この部屋に案内してくれたお女中がいて、「皆様、お待ちでございます」と言って、先に立って歩いて行った。

 サハチはお女中のあとに従った。所々に明かりの灯った廊下をいくつも曲がって、着いた広い部屋にウニタキとファイチがいた。庭の方を見ると舞台があった。サハチが先程までいた舞台だった。あの時、屋敷には誰もいなかった。丁度、入れ違いのようにウニタキとファイチはこの部屋に来たのだろうか。

「何をやっていたんだ?」とウニタキが聞いた。

「一節切を吹いていたんだが、聞こえなかったか」とサハチは聞いた。

「囲碁をやっている時は聞こえたが、ここに来たら聞こえなくなった」とウニタキは言った。

 二人の前にはお膳があって、二人は酒を飲んでいた。

 サハチが座ると、お女中がお膳を持って現れた。サハチも酒を飲んだ。当然の事だが上等な酒だった。綺麗に並べられた料理も上等だ。豪華な屋敷で豪勢に暮らしている高橋殿とは一体、どんな女なのだろう。舞台で舞った美女も高橋殿が贔屓(ひいき)にしている芸能一座の舞姫に違いない。「またあとで」と言ったが、高橋殿はあの舞姫をサハチたちに披露するために呼んだのかもしれない。

「俺たち三人が呼ばれた理由は何なんだ?」とウニタキが聞いた。

 サハチは首を傾げてから、「俺たち三人が高橋殿と同年配だったからじゃないのか」と言った。

「高橋殿は三十の半ばだと言っていたな。確かに同年配だが、同年配の者を集めて、一緒に酒でも飲もうというのか」

「歓迎の宴を開いてくれるというのだから、きっとそうでしょう」とファイチは言った。

「琉球の話を聞きながら酒が飲みたいだけか」とサハチが言うと、

「もしかしたら、何か欲しい物でもあるんじゃないのか」とウニタキが言った。

「シビグァー(タカラガイ)が欲しいのかもしれない。ヤマトゥの女子(いなぐ)たちの間で流行っているのかもしれない」

「まさか」とウニタキとファイチが同時に言った時、着飾った女が二人、しずしずと現れた。二人とも美人だった。年上の方が高橋殿なのかもしれない。

「もう少しお待ちになって下さい」と年上の女が言った。

 若い方の女がファイチに明国の言葉で何事かを言った。ファイチは驚いて、明国の言葉で女に話しかけた。

 明国の言葉ができる女が、この屋敷にいるなんて驚きだった。高橋殿は何もかも持っているに違いない。

「陳外郎殿の娘さんでした」とファイチが言った。

「ウメという名で、母親はヤマトゥンチュ(日本人)です。サムレーに嫁いだけど戦死してしまって、高橋殿にお仕えしているとの事です」

「わたくしはタケと申します。わたくしの主人も亡くなってしまい、時折、高橋殿をお訪ねしております。今回、珍しいお客様がいらしたとの事で、お呼ばれいたしました」

 タケが二十代の後半、ウメが二十代の半ばに見えた。

「高橋殿とはどんなお方ですか」とウニタキがタケに聞いた。

「本当のお名前はマツと申します。お酒がお好きで、かなり強いです。お伊勢参りで気疲れしたので、今夜はゆっくりとお酒を楽しもうとおっしゃっておりました」

「高橋殿は小太刀(こだち)の名人でもあります」とウメが言った。

「将軍様の御指南役の中条兵庫助(ちゅうじょうひょうごのすけ)殿も驚く程の腕を持っています」

「そういうお前もかなりの腕のようだな」とウニタキがウメに言うと、

「高橋殿にはかないませんよ」と言って笑った。

 高橋殿の話をしながら酒を飲んでいると、ようやく主人が現れた。その顔を見て、サハチは驚いた。サハチの一節切に合わせて舞台で舞っていた美女だった。

「お待たせいたしました」と言って高橋殿はサハチの正面に座った。

「先程は失礼いたしました」

 そう言ってサハチに笑うと、ウニタキとファイチを見て、「今宵はお楽しみ下さい」と言った。

 高橋殿があんなにも見事な舞を舞うなんて信じられなかった。一流の芸人と言ってもいい舞だった。そして、あの柔らかい身のこなしは確かに小太刀の名人に違いない。ササは三十代の半ばだと言っていたが、どう見ても三十前だった。

 お女中たちがお膳を運んで来て、サハチたちのお膳を交換し、三人の女たちの前にもお膳を並べた。お膳を挟んで、サハチの前に高橋殿、ウニタキの前にタケ、ファイチの前にウメが座った。

「遠い所からよくいらしてくれました。大歓迎いたします」

 高橋殿がそう言って、みんなで乾杯をした。

「わたしたちの名をどうしてご存じなのですか」とサハチは高橋殿に聞いた。

 高橋殿は美しい笑顔を見せて、「あなたの奥方様のお陰で、琉球の事を色々と調べさせていただきました」と言った。

「マチルギのお陰?」

「去年の六月、あなたの奥方様は博多にいらっしゃいました。琉球から来た女たちが博多をうろうろしていると噂になって、その噂がわたしのもとに届いたのは丁度、北山殿の四十九日の法会の頃でした。その時は何かと忙しくて、ただ、様子を探るようにと指示を出しただけでした。そして、七月の半ば頃、あなたの奥方様は対馬(つしま)に行かれました。その頃になるとわたしも余裕ができて、琉球の事を調べました。九州探題の渋川殿やウメのお父上からも話を聞きました。琉球が明国と交易をしている事をわたしは初めて知りました。明国の商品を求めて、九州の松浦党(まつらとう)の者たちが琉球に行っている事も知りました。わたしは琉球の事をもっと知ろうと思って、配下の者を琉球に送る事にしたのです」

「えっ、配下の者が琉球に行ったのですか」とサハチは驚いた顔で高橋殿を見つめた。

「あなたの奥方様と一緒に琉球に行ったのです。熊野の山伏が一緒に乗っていたはずですが、ご存じではありませんか」

 対馬から山伏を連れて来たとシンゴから話は聞いていた。シンゴの船に乗ってヤマトゥンチュが琉球に来るのは珍しい事ではなかった。山伏や僧侶、サムレーなどがやって来る。シンゴから話は聞くが、特に重要な人物以外は一々会ってはいなかった。その山伏は半年間、琉球を旅して周り、今回、シンゴの船に乗ってヤマトゥに帰っていた。シンゴの船に乗っていたイハチとクサンルーが、その山伏からヤマトゥ言葉を教わったと言っていたが、気にも止めなかった。

「その山伏がわたしたちの事を調べたのですね?」

 高橋殿はうなづいた。

「あなたが琉球中山王(ちゅうざんおう)の跡継ぎだという事もわかりました。あなたたち三人が一緒に明国に行った事もわかりました。今回も三人は一緒に来ています。あなたたち三人が琉球の重要人物に違いないと思って、御招待したのでございます」

「招待の目的は何ですか」とサハチは聞いた。

「その前に、あなたたちが京都に来た目的をお教え下さい。今回、あなたたちは朝鮮との交易に来たはずです。去年とは違って、大きなお船でやって来たと聞いております。その大きなお船は博多港に入って、九州探題と交易をしているようですが、あなたたちは別行動をとって京都までやって来られました。どうしてでしょうか」

「琉球と日本、国と国との交易をしたいと願っております」

「国と国というのは、琉球中山王と将軍様の取り引きの事ですね」

「そういう事になります」

 高橋殿は少し考えるような仕草をしてから、サハチを見てうなづいた。

「あなたたちのお力になれるように努力してみましょう」

「ありがとうございます」とサハチはお礼を言った。

「お(なか)が減りました」と高橋殿は笑って、「皆さんも召し上がって下さい」と言った。

 サハチたちはおいしい料理をつまみながら、上等な酒を飲み、高橋殿が話すお伊勢参りの話を聞いていた。

 どうして、伊勢の神宮に行っていたのですかとサハチが聞くと、

「将軍様は時々、京都を離れたくなるのですよ。わたしもそうですけどね」と笑った。

 サハチは父の思紹(ししょう)を思い出した。どこの王様も自分の居場所から逃げ出したいようだと思った。

 タケが言ったように、高橋殿は酒が強かった。いくら飲んでも酔ったような様子はなく、サハチたちから琉球の話を聞いては楽しそうに笑っていた。





高橋殿の屋敷(推定)




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