酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲







播磨へ







 深夜、ぐっすりと眠っている阿修羅坊の頭の上に吹矢の矢を置いて来た太郎は、そのまま、播磨には向かわなかった。楓と百太郎の身が安全だとわかった以上、焦って、急ぐ必要もなかった。ひとまず甲賀に戻り、準備を整えてから、改めて出立しようと思っていた。それに、一番肝心な事だが、播磨の国がどこにあるのか、どうやって行けばいいのか太郎にはわからなかった。

 阿修羅坊が日輪坊、月輪坊の二人を助けている頃、太郎は飯道山の智羅天の岩屋に帰って来ていた。

 探真坊、風光坊、八郎坊の三人の弟子は、それぞれ修行に励んでいた。

 太郎の顔を見ると皆、修行をやめて飛んで集まって来た。

「お師匠、お帰りなさい」と八郎坊がニコニコしながら言った。

 まだ、太郎は師匠と呼ばれる事に抵抗を感じていたが、そんな事に構っていられなかった。

「随分と帰りが遅かったですね」と風光坊が汗を拭きながら言った。

「ちょっと遅すぎたな」と太郎は岩の上に腰を下ろした。

「お山では火山坊殿が帰って来ないと騒いでますよ」と探真坊が冷静に言った。

「ああ。お山には悪いが、まだ、当分、帰れそうもない」

「えっ、また、どこかに行かれるのですか」

「今度はどこに行くんですか」と八郎坊が聞いた。

「ちょっと遠くの方にな。お前ら三人も連れて行くつもりだ」

「ほんとですか、どこに行くんすか」八郎坊が身を乗り出して聞いてきた。

「播磨だ」

「播磨?」と三人が同時に言った。

「播磨に何か、用があるんですか」と探真坊が聞いた。

「お前らは知らんが、俺には女房と子供がいる。それが、播磨の国にさらわれた」

「えっ、女房と子供がさらわれた」と八郎坊が大声を出した。

「そうだ。それを助けに行くのと、もう一つ、宝捜しだ」

「宝捜し?」と風光坊が首を傾げた。

「播磨の守護、赤松氏の軍資金がどこかに隠されている。そいつを捜しに行く」

「赤松氏‥‥‥軍資金‥‥‥それを捜してどうするんです」と探真坊が興味なさそうに聞いた。

「横取りする」と太郎は三人に言った。

「えっ、そんな事して大丈夫なんすか」と八郎坊が目を見開いた。

「その赤松氏とやらに殺されますよ」と探真坊は顔色も変えずに言った。

「かも知れんな。しかし、俺は、すでに赤松氏に命を狙われている」

「えっ、お師匠が狙われている」と八郎坊がまた、大声を出した。

「何かしたんですか」と探真坊が聞いた。

「いや、何もしてないのに狙われているから、仕返しに、軍資金を横取りしてやるんだ」

「もしかしたら、お師匠の奥さんとお子さんをさらったと言うのは、その赤松氏とやらですか」と風光坊が言った。

「そういう事だ」

「あのう、お師匠の奥さんていうのは多気に一緒に来た人ですよね」と八郎坊が言った。

「おう、そうだ、お前は会った事があるんだったな」

「ええ、あの人がさらわれたんですか」

「そうだ」

「そりゃ、大変や。早く、助け出さなくちゃ、大変だわ」

「どうだ、一緒に行くか」と太郎は三人を見回した。

「面白そうじゃないか」と風光坊が目を輝かせて頷いた。

「危なくないか」と八郎坊が風光坊を見た。

「危ない」と太郎は言った。「死ぬかもしれん。しかし、お前らの実力を試すのにはいい機会だぞ。実戦を経験しないと、本物の強さというのはわからんからな」

「俺は、お師匠が行く所なら付いて行く」と探真坊は力強く言った。

「おらだって、付いて行くさ」と八郎坊も顔を引き締めた。

「よし、決まった。これから準備にかかる。相手は大物だからな。用心に越した事はないだろう」

 太郎は三人に命じ、必要な物を用意させた。

 飯道山の護符(ごふ)、護摩札、飯道丸や自分たちで作った薬、錫杖と法螺貝、飯道山の縁起を描いた絵巻物、それに、『陰の術』で使う黒装束、手裏剣、鉤縄、鉄菱(てつびし)なども用意させた。黒装束は三人の弟子のために、暇をみては楓が作ってくれた物だった。

 太郎は三人を飯道山の信者たちを集めるために、地方を旅して回る先達山伏として播磨に行かせるつもりでいた。太郎自身は山伏として行くのはやめ、仏師、三好日向として行く事にした。山伏、太郎坊のままだと阿修羅坊たちに狙われる可能性が高かった。

 太郎はまず飯道山に登り、行満院に行って播磨の国に於ける飯道山の拠点を調べた。

 御嶽山清水寺(みたけさんきよみずでら)の安楽院、大谷山大谿寺(おおたにさんたいけいじ)の東一坊、船越山瑠璃寺(ふなこしさんるりじ)の普賢院、喜見山笠形寺(きけんさんりゅうけいじ)の自在院の四ケ所あった。

 笠形寺というのは、阿修羅坊が言っていた播磨富士、笠形山の山頂近くにある寺に違いなかった。軍資金が隠されているという山だった。こいつは、初めからついている、都合がいいと太郎は手を打った。それと、瑠璃寺というのも聞き覚えがあるような気がした。確か、太郎を狙ったあの二人、播磨の瑠璃寺の山伏だと言ったような気がするが、はっきりとは覚えていなかった。

 後で、松恵尼に聞けばわかるだろうと思い、とりあえず、四つの寺の名前を紙に写すと、今度は智積院に向かった。確か、あそこに全国の絵地図があったような気がした。

 智積院に行ってみると講義をしていた。ここに通っていた頃は、毎日、昼寝をしていた太郎だったが、久し振りに来てみると、やはり懐かしいものがあった。

 太郎は係の者に頼んで播磨の国の絵地図を見せてもらった。かなり詳しい地図だった。さっき調べた四つの寺は皆、載っていた。

 瑠璃寺が播磨の国の西の方にあり、あとの三つの寺は皆、東よりにあった。しかし、肝心の楓が行ったという置塩(おきしお)城というのが載っていなかった。新しく建てたというので、まだ、載っていないのだろう。これも、後で松恵尼に聞こうと思い、太郎は丁寧に絵地図を写した。写し終わると京から播磨の国までの道も調べた。

 思っていたよりも、播磨の国は近いようだった。京の都より、ずっと西の方だと思っていたが、京の都のある山城の国の隣に摂津の国があり、その隣が播磨の国だった。四、五日もあれば行けるだろう。

 智積院を出ると、太郎は武術道場を避けて山を下り、途中の谷川で水浴びをして旅の汚れを落とすと、一旦、我家に帰った。

 誰もいないはずの部屋はひどい有り様だった。食い物のカスがそこら中に散らかり、酒のとっくりがいくつも転がっていた。誰かが、つい先頃まで勝手に住んでいたようだった。

「ひでえ事をしやがる」と太郎はとっくりを蹴飛ばした。

 太郎の命を狙った、あの二人の仕業に違いなかった。台所の流しには汚れた食器が山のように積まれ、風呂桶の中の水は泥だらけ、庭にもゴミが散らかり、奥の部屋では布団がぐしゃぐしゃになっていた。

 縁側の片隅に、太郎が百太郎に作ってやった木彫りの人形が転がっていた。太郎はそれを手に取ると、しばらく、ボーッと見つめていた。今にも、楓と百太郎が笑いながら帰って来るように感じられた。

 やがて、我に返ると、太郎は汚れた山伏の格好から、仏師、三好日向の姿に着替えた。そして、持って行く荷物をまとめると花養院に向かった。

 蝉がうるさく鳴いていた。

 花養院の門をくぐると、女の子が大声で泣いていた。妙恵尼が目を吊り上げて、泥だらけになった男の子を追いかけ回している。

 太郎は真っすぐに花養院の台所に行き、飯を食わせてもらった。昨日から、ほとんど、飯らしい物を食べていなかった。腹の中が落ち着くと松恵尼に会いに行った。

 松恵尼は数人の客と会っていた。客の中に、薬売りの伊助の姿があった。

「無事だったようですね」と伊助は太郎を見ると笑いながら言った。

「浦上殿の屋敷に忍び込んだんですってね。随分と無茶な事をしますね」松恵尼は怖い顔をして太郎を睨んだ。「殺されたって知りませんよ」

「すみません」と太郎は心配させた事を謝った。

「阿修羅坊殿に狙われているんですってね」

「はい。殺されそうになりました」

「阿修羅坊の顔は拝みましたか」と伊助が聞いた。

「ええ、ぐっすり、眠り込んでいましたけど。それに、浦上美作守の顔も拝みました」

「これから、播磨に向かうのですか」と松恵尼は聞いた。

「はい。行くつもりです」

「止めても無駄なようね」

「はい。行きます」

 松恵尼は客たちに太郎の事を楓の亭主、太郎坊移香だと紹介し、太郎にそれぞれの客を紹介した。そして、ここにいる人は皆、これから播磨に向かう事になると言った。

 遊び人風の鋭い目付きをした男は研師(とぎし)の次郎吉といい、年は三十半ば位、大和の国に店を構え、研師の腕は一流だと言う。太郎の見たところ、刃物を研ぐ腕だけでなく、刃物を振り回す方も一流のような気がした。

 次に座っていた、小太りで、やけに小さな目をした人の善さそうな親爺は『金勝座(こんぜざ)』という旅芸人たちを率いている座頭(ざがしら)の助五郎だった。金勝座は今流行りの曲舞(くせまい)に能狂言を混ぜたような独特な芝居をやり、なかなか評判がいいとの事だった。

 助五郎の隣に座っているのが、その評判の主だと言う事は太郎にもすぐわかった。すっきりとした顔立ちの美人が太郎を見つめて笑っていた。金勝座の曲舞女で助六という名だった。助六は(しな)を作って太郎に挨拶をした。

 太郎も挨拶を返したが、こいつはまた、大峯山に籠もらなくてはならなくなるかなと思った。こういう女に言い寄られたら大抵の男は参ってしまうだろう。

 そして、最後は薬売りの伊助、彼にはすでに世話になっている。その他に鎧師(よろいし)の吉次と白粉(おしろい)売りの藤吉が来るはずだが、まだ、見えないと松恵尼は言った。

「楓を救い出すために、みんなして行くわけですか」と太郎は松恵尼に聞いた。

「救い出すかどうかはわかりません。楓の気持ちを聞いてみなければ何とも言えません。ただ、赤松家の出方を見ると楓を返すつもりはないようですね。太郎坊殿を殺そうとしているのが、そのいい例です。とりあえず、あちらに行ってみて、楓がどういう風に扱われているのか確かめて、楓の気持ちを聞かなければなりません。そして、楓が戻りたいと言えば連れ戻すのですね」

「赤松家を敵に回してですか」と助五郎が聞いた。

「それも仕方ないでしょう」と松恵尼は顔色も変えずに言った。

「赤松家と戦をするのか」と次郎吉が松恵尼を見た。

「そんな風にならないように、うまく解決しなければなりません。とりあえずは、あちらの状況を調べなければなりませんね」

 太郎は飯道山で写して来た絵地図を広げ、松恵尼に置塩城の場所を聞いた。

 松恵尼はちょっと待ってくれと言って部屋から出て行き、播磨の絵地図を持って来た。色々と書き込みがしてあり、太郎のよりずっと詳しかった。置塩城も書いてあった。置塩城だけでなく、主な城は皆、書き込んである。太郎は自分の絵地図にすべてを書き加えた。

 阿修羅坊の事も詳しく松恵尼から聞いた。太郎が驚く程、松恵尼は阿修羅坊の事を調べていた。置塩城下での阿修羅坊の隠れ家や妻や子供が住んでいる所まで調べてあった。そして、やはり本拠地は瑠璃寺だった。

 打ち合わせが済むと、それぞれ部屋から出て行った。

 太郎は急に眠くなり、一眠りしようと思った。昨日も一昨日も、ろくに寝ていなかった。そして、明日からも眠れない日々が続くだろう。今日はゆっくりと眠らなければならなかった。

 花養院の庭では若い娘たちが子供たちと遊んでいた。『金勝座』の踊り子たちだろう。この辺りの娘たちと違って、どこか垢抜けていた。

 太郎は娘たちをぼんやりと眺めながら、さて、どこで寝ようか考えていた。阿修羅坊が襲って来る可能性があった。やたらの所では安心して眠れなかった。

 山の中にでも入って寝るかと思いながら花養院を出た時、「おおい」と叫びなから金比羅坊が走って来た。

 逃げる暇はなかった。

「おい、水臭いぞ」と金比羅坊は息を切らせながら言った。「それにしても、間に合って良かった」

「どうかしたんですか」と太郎は聞いた。

「何をとぼけておる。楓殿がさらわれたそうじゃないか」金比羅坊は知っていた。「話は全部、聞いたぞ。わしも連れて行け」

「誰から聞いたんですか」

「八郎じゃよ」

「あいつか、あのお喋りが‥‥‥」

「いや、あいつを責めるな。わしが無理やり吐かしたんじゃ。なかなか喋らなかったぞ」

「仕方ないな」

「なあ、わしも連れて行けよ」

「しかし、金比羅坊殿がいなくなったら、剣術を教える者がいなくなってしまうじゃないですか」

「心配いらん。浄光坊が戻って来ておる」

「はあ?」

「浄光坊の奴、九州にいてもつまらんと言って戻って来たんじゃ。おぬしがなかなか戻って来ないので、浄光坊の奴がおぬしの代わりをやっておるが、わしの代わりも誰か見つかるじゃろう」

「いい加減ですね」

「まあ、お山の事は何とかなるもんじゃ。それに、おぬしの母ちゃんと子供がさらわれたというのに黙ってはおれんじゃろうが。それにのう、わしの故郷というのは讃岐(香川県)じゃがのう、若い頃、播磨にいた事があるんじゃ。飯道山に来てからも、二度程行った事がある。わしを連れて行った方が何かと便利じゃぞ」

 確かに、金比羅坊が一緒だと心強かった。来るなと言っても付いて来るだろう。

 太郎は金比羅坊を家に連れて行き、詳しく説明した。金比羅坊が加わるという事になったので、探真坊と風光坊の二人を金比羅坊と一緒に山伏のまま播磨に向かわせ、太郎は仏師の助手兼荷物持ちして、八郎坊を連れて行く事にした。

 明日の夜明け頃、出発するので、支度をして、ここに来てくれと言って金比羅坊と別れた。そして、太郎は智羅天の岩屋に行き、三人が準備した物を確認し、山の中に入って、太郎だけが知っている岩屋の中でぐっすりと眠った。







 次の日の夜明け、金比羅坊、探真坊、風光坊の三人の山伏と、仏師に扮した太郎と八郎は、別々に播磨に向けて旅立って行った。金比羅坊たちは山の中の山伏の道を行き、太郎たちは普通の街道を通って、二日後の夕方に摂津と播磨の国境近くにある大谿寺で落ち合う事にして播磨へと向かった。

 ここ、花養院でも旅立ちの準備で慌ただしかった。

 薬売りの伊助と研師の次郎吉は、すでに先に出掛け、昨日の夜、遅くに着いたという白粉売りの藤吉は、旅籠屋の伊勢屋でまだ寝ていた。

 そして、『金勝座』の連中が今、出発するところだった。

 『金勝座』と書いてある赤いのぼりを立てた舞台道具一式を積んだ二台の荷車の回りに、座員たちが集まって松恵尼を待っていた。

 金勝座の構成員は曲舞を踊る女が、助六、太一、藤若の三人と、男の舞方が、左近、右近の二人、舞台作りや小道具類の専門家の甚助、囃子方(はやしかた)が、大鼓(おおつづみ)の弥助、小鼓の新八、笛のおすみの三人、謡方(うたいかた)が、小助、三郎、お文の三人。弥助の妻のお文さんは食事の支度や細かい事に気を使って、みんなの面倒を良くみていた。それと、踊り子見習いの千代という若い娘が一人、そして、座頭の助五郎を入れて全部で十四人だった。

 彼らは今まで尾張、三河方面を巡業していたが、松恵尼に呼ばれ、昨日、戻って来たばかりだった。

 『金勝座』は、松恵尼が助五郎と出会い、人を集めて作った芸能一座だった。地方を巡って色々な情報を集め、松恵尼のもとに伝えていた。

 座頭の助五郎は、元々は伊勢の猿楽座(さるがくざ)の能作者だった。先代の北畠教具に認められて保護され、助五郎の一座は流行っていた。しかし、教具が亡くなると、教具の子、政郷は新しくできた一座の方を贔屓(ひいき)にして、助五郎一座は見捨てられた。腕のある踊り方や囃子方は、その一座に引っ張られ、助五郎一座は解体してしまった。松恵尼は助五郎の才能を認めていたので、このまま一座をやめてしまうのは勿体ないと思い、後援者となって一座を作り上げたのだった。

 助五郎は、今度の一座は、今までのような貴族趣味をやめ、もっと民衆向けの一座にしようと思っていた。それには能よりも狂言がぴったりだった。助五郎は民衆のために、日常生活に密着した喜びや悲しみ、そして、支配階級に対する風刺なども入れた狂言を多く作り、それを一座の者に演じさせた。人々が普段、言いたい事や不満などを舞台の上で演じて見せたのだった。しかも、踊り方には曲舞女を使い、曲舞や小歌踊りを狂言の中に取り入れていった。一座の評判はだんだんと良くなっていき、地方の村々で、みんなから喜ばれるようになっていった。

 〽さて、何としょうぞ~
        一目見し面影が~
             身を離れぬ~

 太一と藤若がふざけながら小歌を歌っていた。

「ねえ、あんたたち、なに浮かれてんのよ」と助六がたしなめた。

「あら、お姉さんだって、太郎坊様に会いたいんでしょ」と太一が片目をつぶった。

「なに言ってんの。太郎坊様には楓様という奥様がちゃんといらっしゃるんですよ」

「知ってますわ、ねえ、藤若。知っていながら、どうしょうもできないのが恋心なんでしょ、お姉さん」

「どうして、そんな事、あたしに聞くのよ」

「だってね、さっきから、お姉さん、そわそわしてるわよ。門の方ばかり気にして」

「そんな事ないわよ」と助六は否定した。

「ねえ、変よね、藤若。お姉さん、昨日から変よ」

「そんな事ないわよ」と助六は必死になって否定する。

「お姉さん、太郎坊様に恋をしたんですか」と藤若が聞いた。

「あんた、なに言ってんの」

「あたし、また、お姉さんに負けちゃうわ。いつも、あたしが好きになる人はお姉さんも好きになるんだから」藤若は今にも、べそをかきそうだった。

「藤若、ちょっと待ってよ。二人とも勘違いしないでよ。あたしは太郎坊様の事なんて何とも思ってないわよ」

「おいおい、さっきから、太郎坊、太郎坊って言ってるけど、そんなにいい男なのかよ」と右近が横から口を出した。

「うるさいわね。あんたよりは、ずっといい男よ」と助六は右近を肘で突いた。

「へっ、下らねえ。どうせ山伏だろう。いかさま師に違えねえ。藤若、そんな奴に騙されるんじゃねえぞ」

 とうとう藤若は泣き出してしまった。

「ほら、あんたが余計な事、言うから、泣いちゃったじゃないのよ」

 助六は藤若を慰めた。

「右近様、一度、太郎坊様に会ってみればいいわ。いかさま師じゃないって事がわかるから」と太一が右近の袖を引いた。

「おう、望む所だ」と右近は見得(みえ)を切った。

 やがて、松恵尼が細長い包みを持って出て来た。

「これを楓のもとに持って行って貰いたいのです」

「刀のようですね」と助五郎が聞いた。

「はい。伊勢で亡くなられた赤松彦次郎殿の形見の太刀と脇差です。北畠の御所様に頼まれていたのです。もし、楓が赤松殿の所に行くような事になったら、これを持たせてやってくれと‥‥‥この間、持たせれば良かったのですけれど、つい、どこにしまったのか忘れてしまって、やっと、見つけ出したのです。どうか、これをお願いします」

 松恵尼は助五郎に包みを渡した。

「赤松彦次郎殿?」

「はい。楓のお父上の従兄弟(いとこ)に当たるお人です。嘉吉の変の時、伊勢まで逃げて行って、お亡くなりになりました」

「そうですか‥‥‥はい、お預かりします。確かに、楓殿のもとにお届けします」

 助五郎が包みを荷車の中に載せると、松恵尼と子供たちに見送られ、一座は播磨を目指して出発した。

 助六は藤若をなだめ、太一は浮かれて小歌を歌っていた。

 〽来し方より、今の世までも~
        絶えせぬものは、恋と言える曲者~
                    げに恋は曲者かな~

 今日も一日、暑くなりそうな夏の朝だった。

 遠くでカッコウが鳴き、近くでは蝉が鳴いていた。

 一座は賑やかに旅立って行った。







 百人の護衛に守られた楓たちは、すでに姫路を過ぎ、書写山円教寺(しょしゃざんえんぎょうじ)の山裾を北に向かっていた。赤松政則の本拠地、置塩城はもう目と鼻の先だった。

 その頃、阿修羅坊の一行は早くも姫路に入ろうとしていた。

 阿修羅坊と日輪坊、月輪坊の三人は太郎坊に先を越されないよう、急ぎ足で楓を追っていた。

 一方、太郎と八郎は摂津の国(大阪府西部と兵庫県南東部)の池田の辺りをのんびりと旅していた。そして、金比羅坊、風光坊、探真坊の山伏三人は六甲の山の中を大谿寺(たいけいじ)を目指して歩いていた。

 うまい具合に、金比羅坊は大谿寺に行った事もあり、知っている山伏がいるとの事だった。太郎たちと金比羅坊たちは、そこで待ち合わせをする手筈になっていた。

 金比羅坊は、そこに行けば播磨の様子や赤松氏の事も調べられるだろうと言った。初めて行く土地に知り合いがいるというのは何かと心強い事だった。まして、山伏なら色々な情報に詳しいだろう。

 日がかんかんと照り、暑い日だった。

 太郎と八郎は職人の格好に笠を被り、荷物を背負って杖を突きながら歩いていた。二人とも脇差は差しているが刀は差していなかった。

 八郎は旅に出たのが楽しくてしょうがないらしく、きょろきょろしながら歩いている。飯道山に来るまでは、伊勢の多気の都から出た事がなかった八郎には見る物、何もかもが珍しい物だった。

「お師匠、この辺りは広くて平らやから、いいのう」と八郎は回りの景色を見回した。

「何がいいんだ」と太郎は聞いた。

「たんぼや。多気にもこんな広い土地があったら、俺も百姓してたかもしれねえ」

 確かに、多気の都は山の中で、こんなに広い平地はなかった。太郎の故郷、五ケ所浦にもなかった。しかし、太郎は八郎のようにたんぼの事など考えた事がなかった。

 武士はしばらく、やめるつもりでいる太郎だったが、やはり、考え方まで変える事はなかなか難しかった。たんぼの事など百姓に任せておけばいいと、つい、思ってしまう。

 八郎と同じ景色を見ていても、太郎は、あそこに陣を敷けばいいとか、あの辺りに伏兵を隠して置いて敵の側面を突こうとか、つい、戦の事を考えてしまう。たった二人でも同じ物を見て、こう見方が違うのでは、十人いれば十人の見方があるだろう。あらゆる見方ができなければ駄目だと思った。

「それにしても、勿体ないのう」と八郎は言った。

 戦にやられたのか、街道脇のたんぼは荒れ果てていた。

「可哀想やのう」

「百姓がか」と太郎は聞いた。

「ええ、百姓も可哀想やが、この稲も可哀想や‥‥‥これじゃ、年貢も払えんやろな」

「年貢が払えんと、どうなるんだ」

「夜逃げして乞食になるか、娘がいれば、当然、身売りや。それとも、百姓同士がまとまって一揆でも起こすか‥‥‥」

「一揆か‥‥‥」

 太郎は一揆という言葉は知ってはいても、実感として、はっきり取らえる事ができなかった。百姓たちが団結して、武士を相手に戦うとは聞いている。しかし、実際、そんな事が起こり得るのだろうか‥‥‥太郎にはわからなかった。

「お師匠、あれは何や」と八郎が二人の前をのんびりと歩いている牛を指さした。

 牛の上に人が乗っていた。そして、良くはわからないが、何かが光っていた。

「どこぞの(ひじり)か」と八郎は言った。

 聖のようにも見えるが勧進(かんじん)聖や遊行(ゆぎょう)聖が、牛に乗って旅をするなど聞いた事もない。百姓ではなさそうだし、武士でもない。正体不明の人物だった。

 近づいてみると光って見えたのは牛の角だった。牛の角に金箔が貼ってあった。牛に乗っているのは年寄りかと思ったが、以外にも三十前後の体格のいい男だった。

 その男は女物の笠を被り、着ている白い麻の帷子(かたびら)には自分で書いたらしい落書きがしてある。腰には派手な帯を締め、金色に光る脇差を差し、大きな瓢箪(ひょうたん)をぶら下げていた。牛の背に寝そべるように乗り、扇で顔をあおぎながら歌を歌っていた。見るからに変わり者だった。

 〽夢の(たわぶ)れ、いたずらに~
          松風に知らせじ~
              朝顔は日に(しお)れ~
                   野草の露は風に消え~
        かかるはかなき夢の世を~
            (うつつ)と住むぞ迷いなる~

 男は歌がうまかった。

 太郎も、つい、歩きながら聞いていた。

 八郎は遠慮なく、その男の振る舞いをじろじろと見ていた。男はそんな事を全然、気にもせず、空を見上げたまま歌を歌っていた。

 八郎は金色の角を持った牛を追い越すと、小声で太郎に声を掛けた。「ちょっと、おかしいんやないかのう」と自分の頭を指でつつく。

「さあな。世の中、色んな奴がおるからのう」と太郎も小声で答えた。

「おい」と牛の上の男が歌をやめて声を掛けて来た。「そこな職人」

 八郎がきょろきょろした。

「職人なんて、どこにおるんや」と八郎は太郎に小声で言った。

「アホ、俺たちだ」

「おお、そうや。おらたちは職人やったんや」

「おい、職人、何をぶつぶつ言っておる」と男は言った。

「職人、職人って、何か用かや」八郎が振り返って言った。

 男は相変わらず、空を見上げていた。

「空を見てみろ」と男は言った。

 空に何か、珍しい物でもあるのかと八郎は空を見上げた。

 太郎も空を見上げた。

「でっかいのう」と男は言った。

「おう、だから、どうなんや」と八郎は上を見上げたまま言った。

「いい天気じゃ」と男は言った。

「天気が良すぎて、暑いわい」

「ううむ、おぬしの言う通り、確かに暑い」

 八郎は上を向いたまま歩いていたので、石につまづいて転んでしまった。

「くそったれ!」と言いながら起き上がると八郎は石ころを蹴飛ばした。

「おめえは一体、何者や。おらたちに何の用があるんや」八郎は牛の上の男に怒鳴った。

「わしか、わしは世捨て人じゃな。おぬしたちに別に用はない。ただ、暑い中、急いでいるようなんでな、もっと、のんびりしろと言いたかったんじゃ。それだけだ」

「俺たちは用があるから急いでるんや」

「急いだからといって、どうなるもんでもあるまい。世の中、なるようにしか、ならんもんじゃ」

「だから、そうやって牛の背で寝てるのか」

「別に寝ているわけじゃない。色々と考え事をしておるんじゃ」

「何を」

「歌の事や、女子(おなご)の事かのう」

「いい身分やな」

「おお、すべては夢のうちよ。わしの名は夢庵(むあん)と言う。おぬしらはどこに行くんじゃ」

「おらたちは播磨に行くんや」

「播磨に仕事しに行くのか」

「そうや」

「おぬしらは何の職人じゃ」

「仏師や」

「仏師? ほう、おぬしら、仏様を彫るのか、そうは見えんのう」

「ほなら、何に見えるんや」

「そうじゃのう。楊枝でも作る職人かのう」

「馬鹿にするな」

「別に馬鹿にしてやせん。仏様もいいが、もっと、人々の役に立つ物を作れと言いたいんじゃ」

「楊枝だって、箸だって作るさ。木剣だって作る」と八郎は自慢げに言った。

 太郎と八郎は、いつの間にか、夢庵と名乗る風変わりな男と一緒にのんびりと歩いていた。正体のわからない男だが、飄々(ひょうひょう)としていて、どこか引かれる所があった。おしゃべりな八郎はいい話し相手を見つけたかのように、夢庵と話し込みながら歩いていた。

 夢庵はいつまでも、太郎たちに付いて来た。行く当てもない旅をしているのか、風に吹かれるままに、という感じだった。牛の歩みに合わせて、のんびりと歩いていた太郎たちは、結局、その日のうちに大谿寺に着く事はできなかった。

 三人は村はずれの小川のほとりで夜を明かす事にした。







 もうすぐ、置塩城に着こうとする頃だった。

 楓は百太郎を抱き、牛車に揺られながら不安にかられていた。

 とうとう、知らない国に来てしまった‥‥‥

 知っている人と言えば、弥平次と桃恵尼しかいない。

 弟には会いたいが、太郎に何の相談もしないで来てしまった事が悔やまれた。もう少し帰って来るのを待って、太郎と一緒に来れば良かったと後悔していた。

 もう、大峯山から帰って来たかしら‥‥‥

 もし、帰って来ていれば、松恵尼様から訳を聞いて、きっと、こっちに向かっているに違いない。あの人、足が速いから、きっと、すぐに追い付くわ、と思っていた。お城に着くまでに追い付いて欲しいと願っていたのに、太郎は来そうもなかった。

 楓を護送している隊の責任者は浦上美作守則宗の長男、掃部助則景(かもんのすけのりかげ)だった。まだ、二十二歳の若さだった。補佐役として嶋津左京亮(さきょうのすけ)則重が付いて来ていた。左京亮の方も二十八歳と若いが、戦の経験が何度もあり、浦上美作守に信頼されている人物だった。二人が播磨に帰って来たのは半年振りの事だった。

 馬上の掃部助と左京亮が並んで、のんきに国元の女の話などをして笑いころげていた時、阿修羅坊が楓たち一行に追い付いて来た。

 阿修羅坊は掃部助の側近の者に声を掛け、掃部助に取り次いでもらった。掃部助は木陰を見つけると小休止を命じた。一行は木陰に入って一息入れた。

 蝉がうるさく鳴いていた。

 ただでさえ暑いのに、皆、鎧を身に付けて武装している。もう、暑くて暑くてたまらなかった。着ている物を絞れば、汗が滝のように流れ出る程、びっしょり濡れていた。

 阿修羅坊は掃部助の前にひざまづくと、「道中、何事もございませんでしたか」と尋ねた。

「心配ない。何事も起こらん」と掃部助は面倒臭そうに答えた。

「楓御料人様も御無事ですな」

「御無事じゃ。どうしたんじゃ、おぬし、来ないはずじゃなかったのか」

「はい、それが、急な用ができましてな」

「ほう。また、父上に何か頼まれたとみえるのう。楓御料人様の事なら大丈夫じゃ。もうすぐ城下だしな。無事、お届けしたと父上に伝えといてくれ」

「はい、かしこまりました‥‥‥ちょいと、楓御料人様の御様子を伺ってもよろしいですかな」

 掃部助はただ頷くと、側近の者から竹筒を受け取って水を飲んだ。

 阿修羅坊は楓が乗っている牛車に近づいて行った。

 楓は牛車から降りて連れ添って来た侍女(じじょ)たちと話をしていたが、阿修羅坊に気づくと驚いた。

「まあ、阿修羅坊様、どうしたのですか。そなたは来ないと聞いておりましたが」

「はい、わしも何かと忙しくて‥‥‥長旅はさぞ、辛かったでしょう。もう、まもなく、お城に着きます。お城に着いたら、ごゆっくりなさるがよろしいでしょう」

「辛いなんて、とんでもありません。こんな立派な車に乗って旅するなんて、まるで夢のようです。阿修羅坊様も、しばらく、こちらにいらっしゃるのですか」

「はい、多分、そうなると思います」

「そうですか、あたし、何もわかりませんから色々とお願い致します」

「勿体ないお言葉‥‥‥それでは、失礼いたします」

「また、会いに来て下さいね」

 阿修羅坊は頭を下げると去って行った。

 楓御料人様一行を見送った阿修羅坊は、改めて、いやな仕事を引き受けてしまったと思った。自分の手で、あの楓を悲しませるような事をしたくはなかった。しかし、自分がしなければ、誰か他の者がやるに違いない。楓に恨まれるのを承知でやらなければならなかった。

「これから、どうしますか。阿修羅坊殿」と日輪坊が聞いた。

「太郎坊はまだ、来ていないんでしょう」と月輪坊が言った。

「それはわからんぞ。来ているかもしれん。あの護衛を見たら、さすがの太郎坊でも手が出せまい。どこかで隙を狙っているかもしれん。とりあえず、楓御料人様が加賀守殿の屋敷に入るのを見届けてから、奴を捜そう」

 阿修羅坊は、城下に太郎坊が来てはいないか確認させるため、日輪坊と月輪坊の二人を楓たちより先に行かせた。そして、阿修羅坊は楓たちと一定の距離をおき、後を付いて行った。







 夢庵の作ってくれた朝飯を食べ、太郎と宮田八郎は播磨に向かった。

 以外にも、夢庵の作ってくれた雑炊(ぞうすい)はうまかった。山菜にも詳しく、そこらに生えている草を摘むと、無造作に鍋の中に入れ、山菜雑炊を慣れた手付きで作っていた。八郎はただ感心しながら、それを見ていた。

 もう、帰るだろうと思っていた夢庵は、牛に乗って、のんびりと歌を唄いながら後を付いて来た。

 〽憂きも一時、嬉しきも~
           思い覚ませば、夢(ぞろ)よ~

 八郎が夢庵に、「どこに行くんや」と聞くと、「知らん、牛に聞いてくれ」と言うだけだった。八郎は夢庵に言われた通り、真面目な顔をして牛に聞いた。牛は、「モー」と鳴きながら八郎の顔をなめた。

 結局、今日も、牛に合わせて、のんびりと旅をする事になった。

 牛と夢庵なんかおいて、さっさと行けばいいものを、わざわざ、のんびりと旅をしているのは別に理由があったわけではない。急いでみたところで、どうなるものでもない、という夢庵の意見に同意した事もあるが、阿修羅坊が待ち構えているに違いない播磨の国に入るのに、敵の裏をかいて、のんびり行くのもいいかもしれないと太郎は思った。それに、この夢庵という男を何となく、太郎も八郎も気に入っていた。旅の途中で偶然に出会い、一緒に旅をしているのも何かの縁だろう、成り行きに任せてみようと思っていた。

 摂津と播磨の国境に関所があり、旅人を調べていた。

 太郎は松恵尼から聞いて関所の事は知っていた。太郎は関所を避けて山道を通ろうと思ったが、松恵尼が関所の手形をくれた。松恵尼はすべてに関して、太郎が驚く程、手回しが良かった。常に、太郎の先回りをしているようだった。しかし、太郎が手形を出す必要はなかった。関所の門番は、牛に乗った夢庵の姿を見ると挨拶をして丁寧にもてなした。太郎と八郎は夢庵の連れという事で、何も問われず、通行料も払わず、無事に通過する事ができた。

「夢庵殿はなかなかの有名人みたいやな」と八郎が驚いて聞くと、夢庵は、「わしじゃない。この牛が有名なんじゃ」ととぼけた。

「へえ、この牛がねえ」

「この牛はのう、黄金の(くそ)をするんじゃ」と夢庵は真面目な顔で言う。

「はい、はい。そして、酒の小便でもするんやろ」と八郎は言った。

「その通りじゃ」と夢庵は大笑いした。

 関所を過ぎ、一里半程で大谿寺に着いた。

 人の行き交う門前町を通り、大谿寺の仁王門が見えて来た頃、探真坊が太郎たちを見つけて走り寄って来た。

「遅いので、何かあったのかと心配してましたよ」と探真坊は相変わらず無表情で言った。

「すまんな。こいつの速さに合わせていたんでな」と太郎は牛を示した。

「はあ、どなたです」

「夢庵殿といって、この辺りでは、なかなかの有名人じゃ」と太郎は説明した。

「そうですか‥‥‥ところで、金比羅坊殿が首を長くして待ってますよ。大体の事は調べました」

「そうか。御苦労さん」

 太郎たちは仁王門をくぐり、僧院、僧坊の建ち並ぶ中を歩いていた。大谿寺は大層、栄えているとみえて参詣人で賑わい、また、山伏もかなり、いるようだった。

 八郎はさっそく探真坊に話しかけていた。夢庵の事を何だかんだと言っている。夢庵は、そんな事どうでもいいと牛に揺られて、涼しい顔で扇を動かしていた。

 金比羅坊は大谿寺の境内のはずれにある小さな草庵で待っていた。風光坊ともう一人、山伏がいた。見覚えのある顔だった。四年前、太郎が高林坊のもとで棒術を習っていた頃、師範代をしていた東仙坊だった。

「よう、太郎坊、久し振りじゃのう。金比羅坊から聞いたぞ。飛んだ事になったもんじゃ。あの花養院の楓が、ここのお屋形様の姉君に当たるお人じゃったとはのう。たまげたわ。それに、おぬし、瑠璃寺(るりじ)の山伏に命を狙われているそうじゃのう。相手が悪いぞ。阿修羅坊という奴がどんな奴だか知らんが、播磨の国において、瑠璃寺はかなりの勢力を持っておる。播磨の国内にいる山伏の半分は瑠璃寺の配下と言ってもいい程じゃ。瑠璃寺を敵に回したら、生きて、この国から出られるかどうかわからんぞ」

 東仙坊の言葉に八郎は驚いていた。今まで、のんびりと旅して来たが、いよいよ、危険な敵の国に入ったと心を引き締めた。

「うまい具合にな」と金比羅坊が言った。「夕べ、瑠璃寺の山伏で本智坊というのがこの寺におってのう。それとなく、阿修羅坊の事を聞いてみたんじゃが、阿修羅坊というのは瑠璃寺では、なかなかの顔らしいのう。阿修羅坊が命ずれば、あそこの山伏のほとんどが動くそうじゃ。まあ、今の所は、ほとんどの山伏は美作まで行って戦をしているらしい。阿修羅坊に会いたいんじゃが、瑠璃寺にいるかのう、と聞いたら、なんと、その本智坊という奴、阿修羅坊に命じられて、これから伊勢に向かう途中だと言う。阿修羅坊なら、今、置塩城下にいる、と言いやがったわい」

「やはりのう、浦上美作守に仕える程の山伏なら、その位の事はできるじゃろうのう。厄介な相手を敵に回したもんじゃな」東仙坊は難しい顔をして太郎を見た。

 本智坊という山伏は、昨日、たまたま、置塩城下で阿修羅坊と出会い、伊勢に行ってくれと命ぜられたのだと言う。命ぜられた内容までは明かさなかったが、阿修羅坊が何の用で、播磨に戻って来たのかは知らないようだった。その時、阿修羅坊が連れていたのは、二人の山伏で、多分、太郎を襲った例の二人に違いないだろう、と金比羅坊は言った。

 今頃は城下で、太郎の来るのを待ち構えているに違いなかった。

 二人の話を聞き終わると太郎は一同を見回した。金比羅坊、東仙坊、風光坊、探真坊、宮田八郎の五人が太郎を見ていた。

 夢庵は涼しげな木陰で昼寝をしていて、中には入って来なかった。本当に変わった男だった。

 太郎は懐から一枚の紙切れを出して、皆に見せた。紙切れには『不二』『岩戸』『合掌』と書いてあった。

「何や、これ」と八郎が言った。

「謎だ」

 太郎は浦上屋敷で聞いた事を皆に話した。

「赤松家の軍資金か‥‥‥」と東仙坊は唸った。

「かなりの銭が埋まってるんやろな」と八郎は言った。

「アホ、銭じゃないわ。金か銀が埋まってるんだ」と風光坊が言った。

「多分な」と東仙坊も頷いた。

「金か銀‥‥‥」と八郎は驚いて、口を開けたままだった。

「昔、室の津には朝鮮や琉球の船がかなり来ていたと言う。赤松氏はかなりの金銀を貯えていたはずだ」と東仙坊は言った。

「その金銀が、どこかに隠されているというわけですか」と探真坊が珍しく興奮して聞いた。

「多分、そうじゃろう」と東仙坊は頷き、声をひそめて、「赤松氏が滅んだ時、その金銀が出て来たという話は聞かんからのう」と言った。

「その金銀も阿修羅坊が探っているのか」と金比羅坊が太郎に聞いた。

 太郎は頷いた。「俺が思うには、この話を知っているのは今の所、浦上美作守と阿修羅坊の二人だけのような気がします」

「それでか。それで、阿修羅坊は手下を伊勢に送ったんじゃな」

「残りの一つを捜すつもりでしょう。何としてでも、阿修羅坊より先に、このお宝を見つけ出さなければりません」

「うむ‥‥‥それで、見つけたとして、その宝をどうするんじゃ」

「今までの赤松氏のやり方を見ていると、邪魔な俺を消し、楓を赤松氏の身内として、有力な大名に嫁がせ、勢力を広げようとたくらんでいるに違いないと思います。楓をそんな戦の道具のようにしたくはありません。どうしても、赤松家から助け出さなくてはなりません。それで、いざという時に、その宝と楓の交換を申し込むつもりです」

「成程、そういう事か」と金比羅坊は納得した。

「浦上美作守なら、やりそうな事だ」と東仙坊は腕組みをして頷いた。「赤松のお屋形様には身内がおらんからのう。親もいなけりゃ、兄弟もいない。叔父上が一人、いる事にはいるが出家しておる、これは身内とは言えんじゃろう。これから、勢力を広げて行こうとするのに、大分、不利じゃ。一人でも身内が欲しい所に、突然、姉が現れた。しかも、その姉は美人ときている。充分に利用できるというわけじゃ」

「成程、それで、おぬしの命は狙われているのか」

「そうじゃ。楓殿に亭主がいるなんて都合が悪いからのう」

「子供はいても、いいんですか」と風光坊が聞いた。

「子供は何とでもなる。お屋形様の養子にしたっていいしな。先の事を考えれば、身内は一人でも多い方がいいのさ」

「ところで、こいつですけど、何だかわかりますか」と太郎は再び、紙切れに視線を戻した。

「不二と岩戸と合掌か‥‥‥」

 五人は紙切れを見つめながら考えた。

「富士山のどこかに岩戸があって、そこで合掌すると、岩戸が開いて、お宝が出て来るっていうのはどうやろ」と八郎が得意げに言った。

「アホか、お前は」と探真坊が横目で八郎を睨んだ。

「阿修羅坊も八郎と同じ事を言っていた」と太郎は言った。

「不二というのは播磨富士の事じゃないかの」と金比羅坊が顔を上げた。

「阿修羅坊が言うには播磨富士の裾野に岩戸という村があるそうです」

「おお、ある、あるぞ」

「おお、確かにある」と東仙坊も言った。

「二人とも播磨富士に行った事があるんですか」

「おお、かなり、昔の事じゃがの」

「わしも、かなり前じゃのう。最近、あの山から来たという奴は見んが、あの山に誰かおるんかい」と東仙坊が金比羅坊に聞いた。

「そりゃ、誰かおるじゃろう。飯道山の宿坊があるんじゃからな。確か、あそこには三人おるはずじゃぞ」

「それは、わしも知っておるが、最近、あの山から来たという飯道山の山伏はおらんぞ。まあ、戦が始まってからは、こっちに来る奴はめったにおらんがのう」

「まあ、行ってみればわかる事じゃ」

「不二と岩戸はそれだとして、残りの合掌というのは何だろう。何か心当たりはありませんか」

「合掌か‥‥‥合掌という村は聞いた事もないしな」と東仙坊が言うと金比羅坊も首をひねった。

「その岩戸村にお寺はないのですか」と探真坊が二人に聞いた。

「笠形寺の子院のようなものはあったような気がするがのう」と東仙坊は言った。

「おう。そんなようなのが、いくつかあったのう。神社なら有名な岩戸神社があるがのう。神社では合掌はせんしのう」と金比羅坊は腕組みをして考え込んだ。

「あと、もう一つに何が書いてあるかだな」と風光坊が宙を睨みながら言った。

「わしらも、伊勢に誰かを調べにやった方がいいんじゃないのか」と東仙坊が太郎に聞いた。

「行くとしたら、八郎が一番だな」と探真坊が言った。「なんせ、北畠の本拠地、多気の生まれだからな」

「えっ、確かに、おらの生まれは多気やが、そんな、御所様の事なんか、おらには全然わからんわ」八郎は困ったように首を振る。

「捜し出すのは難しいでしょう。なんせ三十年以上も前の事ですからね。伊勢の事は今の所、阿修羅坊に任せておきましょう。阿修羅坊が残りの一枚を見つけたとしても、そう簡単に宝は見つからんでしょう」

「阿修羅坊に見つけさせておいて、こっちで横取りするわけか」と金比羅坊が笑った。

「それなら、わしが伊勢に行ってもいいぞ」と東仙坊は言った。「わしは伊勢に行った本智坊とやらに会わなかったからのう。阿修羅坊に頼まれて応援に来たと言えば怪しまんじゃろう。見つけ出したら、奴より早く、戻って来ればいいわけじゃ」

「そいつは、いい」と金比羅坊は手を打った。

「でも、その本智坊を見つける事ができますか」と探真坊が聞いた。

「なに、簡単さ。山伏が行く所は大体、決まっておる。しかも、播磨の瑠璃寺から来た山伏など、そうはおるまい」

「ここを留守にして、大丈夫なんですか」と太郎は聞いた。

「そりゃ大丈夫さ。いつも、ここにいるより、どこかを旅している方のが多いんじゃ。いなくなったとしても誰も怪しみはせん」

「それでは、東仙坊殿、お願いします」

「おう、任せておけ。面白くなって来たわい」

「ところで、太郎坊」と金比羅坊が言った。「嘉吉の変の事をちゃんと知っておいた方がいいんじゃないかのう。わしら、誰も、当時の事を知らんじゃろ。宝捜しをするのにも、当時の状況とか、知っておいた方がいいんじゃないかのう」

「確かに、そうですね。当時の相手の立場や状況を知っておいた方が、宝を見つけ易いかもしれない」

「東仙坊、誰か、当時の事を知っている者はおらんかのう」

「そうじゃのう‥‥‥そうじゃ、覚照坊殿なら知ってるかもしれん。ちょっと聞いて来るわ」そう言うと、東仙坊はさっそく出掛けて行った。

「東仙坊の奴、張り切っていやがる」と金比羅坊は笑った。

 東仙坊はしばらくして戻って来た。

「誰か、いたか」と金比羅坊は聞いた。

「いた、いた。丁度いい人が見つかった」と東仙坊はニヤニヤしながら言った。「嘉吉の変の戦に出て、赤松家の最期を見届けた人がおったわ」

「ほう、そうつは都合がいい」

「誰だと思う、その人というのは」

「そんな事、知るわけないじゃろ」

「その人というのは、この大谿寺で語り草になっている大先達の遍照坊(へんしょうぼう)殿じゃ」東仙坊はやけに大袈裟に言ったが、誰も反応を示さなかった。

「一体、その遍照坊というのは何者じゃい」と金比羅坊は聞いた。

「何じゃ、知らんのか。まあ、無理もないか。遍照坊殿というのはのう、戦の神様とも言われた軍配師(ぐんばいし)じゃ。嘉吉の変の時、喜多野殿の軍配師として戦に出ていたんじゃよ。未だに、遍照坊殿の作戦通りやっておれば、あの時の戦は勝てたとも言われておるんじゃ。ここの山伏なら誰でも遍照坊殿の事なら知っておる」

「ほう、そんな人がおるのか」

「つい、最近、播磨に戻って来たらしいんじゃ。嘉吉の変以来、行方がわからなかったらしいが、最近、戻って来て、この近くに草庵を立てて住んでるそうじゃ」

「確かに、当時の事を聞くには持って来いの人だが、その遍照坊殿とやらは簡単に話してくれるかのう」

「それは、わからん。会ってみん事にはのう」

「とりあえず、会ってみましょう」と太郎は頷いた。

「おう、戦の神様とやらを拝みに行こうぜ」と東仙坊は腕を振り上げた。

「おぬし、張り切ってるのう」金比羅坊は笑いながら東仙坊の肩をたたいた。

「おう、久し振りじゃ。こんな面白い事はない。ほれ、酒も盗んで来た。こいつを手土産に持って、さっそく出掛けようぜ」

 四人は東仙坊に連れられて、軍配師、遍照坊に会いに出掛けて行った。昼寝をしていた夢庵もわけのわからないまま、後に付いて来た。





大谷山大谿寺




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