天空の邂逅
夜が明ける頃まで飲んでいた。最初にウメが酔い潰れて、次にファイチ(懐機)、タケ、ウニタキ(三星大親)と酔い潰れた。サハチ(琉球中山王世子)は何とか頑張っていたが、次第に 目が覚めたら別の部屋に寝ていて、隣りには高橋殿が眠っていた。お互いに下着姿だった。しかも、その下着はサハチが着ていた下着ではなく、上等な薄い絹でできていた。 いつ、着替えたのだろうか‥‥‥ そんな事よりも、高橋殿を抱いたのだろうか‥‥‥ サハチは何も覚えていなかった。 枕元に水の入った 「お目覚めですか」と高橋殿が言った。 振り返ると、恥ずかしそうな顔をした高橋殿が下着の襟を合わせるようにして、サハチを見ていた。 「ここはどこですか」とサハチは聞いた。 「わたしのお部屋です」 「何も覚えていません。わたしは自分でここに来たのでしょうか」 「わたしを送って来てくれたのです。 高橋殿はそこで笑うと、「今日は『 サハチは高橋殿が言った事を考えていた。 琉球のリュウは龍だったのか‥‥‥ 琉球には龍が棲んでいるのか‥‥‥ 北山殿が亡くなって状況が変わったとは、どういう事なのか‥‥‥ しばらくして、お女中が顔を出して、 サハチが着替えて出て行くと、お女中が待っていて、最初に案内された客殿に連れて行かれた。廊下はまるで迷路のようになっていて、高橋殿の部屋がどこにあったのか、さっぱりわからなかった。 客殿ではウニタキとファイチが碁を打っていた。二人とも着替えたとみえて、サハチと同じ格好をしていた。 「いつまで寝ているんだ? もう 「何を言っている。先に寝ちまったくせに。俺は明け方まで高橋殿に付き合っていたんだぞ」 「まったく、酒が強いな。ああいうのを『ウワバミ』と言うそうだ」 「ウワバミ?」 「大きな蛇の事らしい。何でも飲み込んでしまうので、大酒飲みの事をウワバミと言うんだそうだ。『 「タイノオンカタ?」 「タケ殿の事だ。タケと言うのは嘘の名前で、本当の名前は 「お前、タケ殿と一緒だったのか」 「目が覚めたら一緒に寝ていた。何も覚えていないんだ。ファイチもそうだ。目が覚めたら隣りにウメ殿がいたという。ウメというのも嘘の名前で、本当の名前は『 「俺も何も覚えていないんだ」とサハチは言った。 「本当は偽名のまま一緒に酒を飲んで、それで終わりのはずだったらしい。お前が 「 高橋殿が琉球に興味を持ったのはマチルギのお陰だった。そして、一節切をくれたのもマチルギだった。このまま話がうまく行けば、何もかもマチルギのお陰と言ってよかった。 お女中が用意してくれた食事を食べて、高橋殿、対御方、平方蓉の三人と一緒に、サハチたちは北山第に向かった。特に護衛の者はいなかった。いつも、こんなにも気楽に外に出て行くのだろうかと不思議に思った。 桜の馬場に沿って北に進むと、立派な門があった。武装した門番に高橋殿が何事かを言うと門が開いた。 高橋殿の御威光は大したものだと感心しながら、サハチたちは北山第の中に入った。手入れの行き届いた広い庭園の中を進むと、右側に大きな御殿が見えてきた。 「ミカドがいらした時は、あの御殿に御滞在なされました」と高橋殿は言った。 「ミカドとは?」とサハチは聞いた。 「天皇の事でございます」 「天皇がここにいらしたのですか」 「北山殿がお亡くなりになるすぐ前の事でございました。ミカド(後小松天皇)は大層ここがお気に入りになられて二十日間も御滞在なされました。 高橋殿は笑って、「道阿弥はわたしの父親なのでございますよ」と言った。 「あの舞は親譲りの芸だったのですね?」とサハチが聞くと、 「『天女の舞』と申します」と高橋殿は言った。 まさしく、天女の舞だとサハチは思った。高橋殿の舞に比べたら、博多で見た天女の舞は、天に昇れない天女たちの舞のように見えた。 「わたしも舞台で舞いたかったのですけれど、父は許してくれませんでした。女には猿楽はできないって言いました。わたしは女だけの猿楽座を作ってやるって言って、父と喧嘩して飛び出したのです。とりあえずは叔母がやっていた 「きっと、その夢は実現しますよ」とサハチは言った。 高橋殿はサハチを見つめて笑うとうなづいた。 それは綺麗な池の中に建っていた。まるで、この世のものとは思えない素晴らしい建物だった。三階建てで、二階と三階が黄金色に輝き、それが池に映っていて、美しさを倍増していた。 「あれが噂の金閣か!」とウニタキが呆然とした顔で金閣を見ながら叫んだ。 ファイチは言葉も出ないようだった。口を半ば開けてポカンとした顔で金閣を見つめていた。 「あの御殿は北山殿、そのものを現しているのですよ」と高橋殿が言った。 「一階の 「まさしく、ヤマトゥの王様ですね」 「ヤマトゥ?」と言って高橋殿は笑った。 「どうして、琉球の人は日本をヤマトゥと呼ぶのでしょう。ヤマトゥと呼ばれていたのは遠い昔の事ですわ」 「さあ?」とサハチは首を傾げてから、「日本だけではありません」と言った。 「 「人の事をンチュと言うのね。あなたは琉球ンチュね」 高橋殿は楽しそうに笑った。 「そう言えば、日本でも明国の人たちを 金閣の中には入れないと高橋殿は言った。 「あそこからの眺めは最高なんだけど、入ったら駄目だって言われましたわ。でも、七重の塔は登ってもいいって言われましたの」 「えっ、七重の塔に登れるのですか」とサハチは高橋殿に聞いた。 高橋殿はうなづき、「でも、疲れるわよ」と笑った。 サハチはウニタキとファイチを見て、よかったなというようにうなづいた。 来た道を門の近くまで戻って、石だけでできた奇妙な庭園の中を通って行くと、大きな門があって、そこを抜けると目の前に七重の塔が現れた。塔の左側には大きな寺院が建っていた。 近くで見上げる七重の塔は圧倒されるほど大きかった。 「凄えなあ」とウニタキが言った。 「凄えとしか言いようがないな」とサハチは言った。 「これを見たら 「ああ、永楽帝も腰を抜かすかもしれん」とウニタキが言って笑った。 「永楽帝って、明国の皇帝の事ですか」と高橋殿が聞いた。 「そうです。明国に行った時、お忍びの永楽帝と会ったのです」 そう言うと高橋殿は驚いた顔をして、サハチを見て、ファイチを見た。 「もしかして、ファイチ殿は明国の偉いお人なのですか」 「ファイチの父親は有名な道士で、若い頃の永楽帝の師匠だったのです。しかし、政変で殺されてしまいました。ファイチも命を狙われて琉球に逃げて来たのです。二年前に明国に行った時、永楽帝と会う事ができ、ファイチは永楽帝のもとで働く事もできたのですが、琉球を選んでくれました。あなたがわたしたち三人を選んだのは正解でした。ウニタキとファイチはわたしにとって重要な二人なのです」 「そうだったのですか。一緒にいらしたヂャンサンフォン(張三豊)殿というお方は道士のようですが、ファイチ殿と関係があるのですか」 「ヂャンサンフォン殿は有名な道士でもあり、有名な武芸者でもあります。ファイチの師匠で、わたしとウニタキの師匠でもあります」 「そうでしたか。お蓉から父親も知っている有名な道士で、仙人のような人だと聞きましたが、そんなにも有名なお方だったのですね」 「信じられないかもしれませんが、ヂャンサンフォン殿は百六十年も生きている仙人なのです」 「百六十年?」 「生まれたのは明国の前の 「そんな凄いお方だったのですか」 高橋殿は驚いた顔をして、対御方と平方蓉を見た。二人も驚いているようだった。 「永楽帝はヂャンサンフォン殿に会いたいと言って探しています。その前の 「そうだったのですか」と高橋殿はうなづき、七重の塔を見上げて、「登りましょう」と言った。 七重の塔の入り口の扉は開いていた。門番の僧侶が愛想笑いをしながら高橋殿を迎えた。高橋殿は、「ご苦労様」と門番に言って、サハチたちを中に入れた。 中に入って驚いた。中心に驚くべき太さの柱があった。直径が六尺はありそうだ。天井に隙間が空いていて、その柱がずっと上まで続いているように見える。サハチが天井を見上げていると、 「北山殿よ」と高橋殿が言った。 見ると僧侶を描いた絵が飾ってあった。ヤマトゥの王様はこんな人だったのかとサハチは思いながら、高橋殿を見ならって両手を合わせた。絵の両脇には綺麗な大きな壺が飾ってあった。 高橋殿のあとに従って階段を登った。一階の天井の上は屋根を支えている柱が複雑に入り組んでいた。二階や三階に部屋はなく、屋根の修理のために回廊には出られるようになっていた。中央の太い柱と複雑な木組みを眺めながら、外壁に沿って作られた階段を登った。五階まで来て、下を覗くとかなりの高さがあった。下を見ると足がすくむので、上を見上げながら階段を登った。 最上階の七階には部屋があった。その部屋は思っていたよりも広かった。中央に太い柱があり、一階と同じような僧侶の絵が飾ってあった。 「 サハチは絵を眺めながら、琉球にもこんな肖像画が必要だなと思った。イーカチに 夢窓国師の絵の脇に、明国の椅子がいくつか並んでいた。北山殿がお客さんを招待した時に使ったようだ。 部屋から回廊に出ると、まるで、空の中に立っているようだった。下にいた時は風を感じなかったが、かなりの風があり、塔が揺れているように感じられた。 京都の街が眼下に広がり、遠くに連なる山々が見えた。金閣の方を見ると、豪華な屋敷がいくつも並んでいる向こう側の広い池の中で、金閣は 「もう言葉が出て来ないよ」とウニタキが言った。 ファイチも感動しているのか、無言のまま下界を見下ろしていた。 「こんなにも高い物を作る事ができるなんて、ヤマトゥの大工は凄い腕を持っているな」 確かにウニタキの言う通りだった。こんな腕のある大工を琉球に連れて行きたいとサハチは思った。 高橋殿から、花の御所や天皇の御所などの位置を教わったあと、 「ねえ、あなたの サハチは刀の代わりに一節切を腰に差していた。刀は北山第に入る時に預けなければならないというので、三人とも持って来てはいなかった。 「こんな所で吹く機会は一生に一度だぞ」とウニタキが言った。 サハチは高橋殿にうなづいて、一節切を吹き始めた。 流れる調べは、天空にいるためか、昨日の曲よりも神秘的になっていた。サハチは目を閉じて、高橋殿の舞を思い出しながら吹いていた。天女となった高橋殿は空を駆け巡りながら華麗に舞っている。薄い絹の衣は太陽の光を浴びて輝き、しなやかな裸体が透けて見えていた。高橋殿は長い衣をひるがえして空中で何度も旋回した。その姿が龍に変身した。龍になった高橋殿は体をくねらせて京都の上空を飛び回り、やがて、空の彼方へと飛んで行って見えなくなった。 サハチは一節切を口から離して、目を開けた。高橋殿がサハチをじっと見つめていた。高橋殿が何かを言おうとして口を開きかけた時、「見事じゃ」と誰かが言った。 高橋殿がびくっとして、部屋の中を覗いた。高橋殿は驚いた顔をして、「 サハチも部屋の中を見ると三人のサムレーがいた。二十代の若者と五十代と見える貫禄のあるサムレーが二人だった。階段を登るのに刀が邪魔になったのか、三人とも刀を左手で持っていた。 「将軍様と 「将軍様?」と言って、サハチは改めて若者(足利義持)を見た。あまりにも突然の事で、どう接していいのかわからなかった。 「お忍びじゃ。堅くならずともよい」と将軍様は言った。 「見事な一節切じゃ」と将軍様はサハチを見つめた。 さわやかな感じの将軍様は、一階に飾ってあった北山殿の風貌とあまり似ていなかった。 「ありがとうございます」とサハチは頭を下げた。 「幽玄なる調べじゃったのう」と勘解由小路殿が言った。 「幽玄なる調べに合わせて舞う高橋殿の舞が見たいものじゃ」と中条兵庫助が笑った。 「それはいい考えじゃ」と将軍様も笑った。 「ところで、わしらを探していたそうじゃのう」と勘解由小路殿がサハチに聞いた。 「琉球の話を聞かせてくれんか」と将軍様が言った。 高橋殿が対御方と平方蓉に指示して、椅子を用意させた。 将軍様を中央に、勘解由小路殿と中条兵庫助が左右に座り、それに向かい合う形で、サハチを中央にウニタキとファイチが左右に座った。高橋殿たちは脇に控えた。 「琉球は明国と交易しているというが、毎年、やっておるのか」と将軍様が興味深そうな目をしてサハチに聞いた。 「毎年、交易をしております。今は一年に一回ですが、やがては、二回、三回と行くつもりでおります」 「 「琉球は特別です。制限はございません」 「なぜじゃ?」 「永楽帝の許しを得て、琉球が明国の御用商人の務めを果たしております」 「この三人は永楽帝に会っております」と高橋殿が言った。 「わたしもついさっきお聞きして驚きました」 「なに、永楽帝に会っているのか」と勘解由小路殿が驚いた顔をして高橋殿を見ていた。 高橋殿はうなづいて、ファイチと永楽帝の関係を説明した。 「今回と同じようにお忍びでした」とサハチは言った。 「そうか、永楽帝と直接に話し合ったのなら確かな事じゃな」 勘解由小路殿がそう言って、将軍様にうなづいた。 「琉球は 「毎年、 「ジゥガン?」 「ジゥガンとは 「旧港と言えば、去年の夏、 「珍しい鳥や獣を献上しておる。十一月に来た台風にやられて、今、船を造っているはずじゃ」 旧港(パレンバン)の船がヤマトゥに向かったと聞いてはいたが、やはり、本当に来ていたのだった。しかし、若狭とは一体どこだろう。浮島(那覇)の若狭町と関係あるのだろうかとサハチは思っていた。 「ところで、そなたたちがわしらに会いたがっていた理由はなんじゃ?」と勘解由小路殿が言った。 サハチはウニタキとファイチの顔を見てから、単刀直入に言った。 「琉球と日本で、国と国の交易がしたいのです。将軍様と琉球 勘解由小路殿が将軍様を見た。微かだがニヤッと笑ったような気がした。 「毎年、来られるか」と将軍様が言った。 「来るつもりです」 「よし、その話に乗ろう」と勘解由小路殿が言った。 「ただし、一つ条件がある」 「条件とは?」 「国と国との対等な立場での交易として認めよう。ただし、琉球からの使者たちが将軍様に サハチはファイチに琉球言葉で相談した。ファイチは朝鮮に行っても同じ扱いを受けるだろうから、それは仕方がないだろうと言った。 「かしこまりました」とサハチは答えた。 勘解由小路殿はホッとしたような顔で、満足そうにうなづいた。 「今年は下見のつもりで参りましたので、来年からは正式な使者を送る事にいたします」 「頼むぞ」と言って、将軍様は嬉しそうに笑った。 「これは内密な事なんじゃが」と勘解由小路殿が小声で言った。 「見ての通り、この豪華な北山第の 「かしこまりました」とサハチは頭を下げた。 「琉球の話を色々と聞きたいが、何かと忙しくてな」と将軍様は笑うと、「頼むぞ」と言って立ち上がった。 サハチたちも慌てて立ち上がった。 三人は静かに階段を下りて行った。 中条兵庫助が振り返って、「あとでそなたの屋敷に顔を出す」と高橋殿に言った。 「お待ち申しております」と高橋殿は将軍様たちを見送って溜め息をつくと、「驚いたわ」と言った。 その顔はまるで娘のように可愛い顔だった。 「高橋殿が仕組んだんじゃなかったのですか」とウニタキが聞いた。 「あなたたちの事は昨夜のうちに勘解由小路殿には知らせたんだけど、こんなにも早く、将軍様が現れるなんて思ってもいなかったわ。あなたたちは丁度、いい時期に来たのよ。将軍様にとって、まさに天の助けだったのかもしれないわね」 サハチたちはまた外に出て、景色を眺めた。 「将軍様は三人だけで来たのか」とサハチはウニタキに聞いた。 「いや、十人はいただろう。下で待機している者たちと、上にもいたようだ」 「天井に仕掛けがあるのか」 「そうらしいな。これだけの物を建てた北山殿は、自分の身を守る事に関しても抜かりはないだろう」 「確かにな」 七重の塔を下りると、偉そうな僧が待っていて、お寺の中に案内され、 「若いのに気が利くな」とウニタキが言った。 「北山殿に サハチたちは心の中で将軍様にお礼を言った。 |
北山第