漢城府
琉球の使者たちが都に向かうと、途中の村々の警備も厳重になるので、先に行った方がいいと五郎左衛門が言った。サハチたちは五郎左衛門の娘婿、浦野小次郎と一緒に『津島屋』の荷物を守る警護兵に扮して都へと向かった。 サハチと一緒に行ったのはウニタキ、ファイチ(懐機)、ヂャンサンフォン(張三豊)、ンマムイの四人で、あとの者たちは 日本の僧侶が使者として都に行く事はあるが、使者ではない僧侶が商団と一緒に行けば怪しまれる。今、朝鮮では仏教が禁止されて、僧侶の地位は落ち、都に入る事もできなくなっている。各地で古い寺院は破壊されて、修行していた僧たちは都に連れて行かれ、都造りの ジクー禅師もササたちも五郎左衛門の忠告を守って、サハチたちを見送った。ササが駄々をこねないかと心配したが、「対馬に帰って、ミナミと遊んでいるわ」と言ったので安心した。 狭い山道を進んで行くと 食事のあと、川の流れを眺めながらサハチは小次郎から父親が戦死した 「もう二十年も前の事です。まだ、この国が高麗と呼ばれていた頃、高麗の兵たちは その話はサイムンタルー(左衛門太郎)から聞いていた。サイムンタルーがサハチを送って琉球に行っている時に起こっていた。琉球から帰ったサイムンタルーはその事を聞いて怒り、翌年の正月、 「父親の弔い合戦には参加したのですか」とサハチは小次郎に聞いた。 小次郎は首を振った。 「参加したかったのですが、お屋形様は許してくれませんでした。当時、俺はまだ十四歳だったのです。十八の時に 「都まで行く途中、山賊が出ると聞いたが、本当に出るのか」 「父を殺して、土寄浦を焼き討ちにした 「やはり、出るのか」 「大丈夫ですよ」と小次郎は笑った。 「山賊といっても、今はもう規模の大きな山賊はいません。十人前後といった所でしょうか。俺たちを襲撃する力は持っていません。それに山賊が出る場所もある程度は決まっておりますので、そういう場所は避けて行きます」 ウニタキがやって来て、小次郎の隣りに座り込むと、 「お前の母親は高麗人なのか」と小次郎に聞いた。 「いえ、違います」と小次郎は首を振った。 「そうか。俺の母親は高麗人なんだよ」 ウニタキがそう言うと、小次郎は驚いた顔をしてウニタキを見た。 「琉球にも倭寇が連れ去った高麗人がいると噂では聞いていたけど、本当だったのですね」 「俺の父親は 「そうでしたか。漢城府にいる 「五郎左衛門殿から聞いたよ。やはり、倭寇に連れ去られて対馬に来た娘だったそうだな。その娘と一緒になって富山浦に来て、娘の両親を探したけど見つからなかったと言っていた。倭寇にさらわれたのか、あるいは殺されてしまったのかもしれないと言っていた。俺の母親は高麗の都で生まれたらしい。父親は役人だったようだが、宮廷内の争いに巻き込まれて殺されそうになって、都から逃げて倭寇の船に乗り込んだそうだ。その後、両親とは別れ別れになって琉球まで連れて来られたようだ。亡くなる時も両親に会いたいと言っていた」 「宮廷内の権力争いに敗れて殺された者は大勢います。高麗から朝鮮に変わった時も大勢の人が殺されました。高麗王の一族は皆殺しにされて、高麗王に仕えていた役人も、李成桂に従わない者たちは家族もろとも殺されました」 「そうだったのか。琉球に来なければ殺されていたかもしれないんだな。そうなったら俺は生まれていなかった」 ウニタキは母親を思い出しているのか黙り込んで、川の流れを見つめていた。 貧しい村がいくつもあった。宿泊する施設も食事を提供する店もなく、毎晩、野宿が続いて、似たような 富山浦を出て十二日目、 都は明国と同じように高い城壁で囲まれていた。ただ城壁は石垣ではなく土塁のようだった。 城壁の中は別世界だった。広い大通りがずっと続いていた。門の近くにはあまり家々は建っていないが、通りの先の方には家々が建ち並んでいるのが見えた。しばらく行くと川が流れていて、橋もちゃんと架かっていた。 通りを歩いている人たちの顔付きも、村々にいた疲れ切ったような顔付きとは違って活気があるように思えた。ただ、人々の着物はなぜか地味で、白っぽい着物を着ている者が多かった。京都のような華やかさはないが、建物はどれも皆新しく、ここが新しくできた都だと感じさせた。 『津島屋』は大通りに面して建っていた。店というよりは屋敷だった。富山浦の津島屋と似たような造りで、土塀に囲まれて、広い敷地内にいくつも建物が建っていた。 ここの主人の丈太郎とは二十二年振りの再会だった。わずか八日間だったが、一緒に剣術の稽古に励んだ仲だった。サハチは去年、クグルーとシタルーがお世話になったお礼を言って、今年もお世話になりますと言った。 「サハチ殿の活躍はシンゴ(早田新五郎)からよく聞いております。『津島屋』が漢城府に店を出せたのもサハチ殿の活躍のお陰です。お礼を言うのはこちらですよ」 丈太郎はサハチたちを歓迎してくれた。 一休みしたあと、サハチたちは丈太郎の娘、ハナの案内で都見物に出掛けた。ハナは十五歳の可愛い娘だった。母親は対馬の娘だが、四分の一は朝鮮の血が入っているからかもしれない。チマチョゴリと呼ばれる朝鮮の着物がよく似合っていた。 「あたしがここに来たのは四年前だけど、四年間で随分と賑やかになりました」とハナは言った。 「四年前に来た時は宮殿の周りに建物があるばかりで、この通りにもこんなにもおうちはなかったのですよ。四年間ですっかり変わりました」 「ここが都になったのは十年以上も前の事じゃないのか」とサハチはハナに聞いた。 「そうなんですけど、都が完成する前に、大きな戦(第一次王子の乱)が起こって、宮殿も新しく建てた家々も、みんな破壊されたり焼かれたりしたそうです。辺り一面、戦死した兵の死体だらけで、こんな所に住むわけにはいかないと言って、二代目の王様は以前の都の そう言えば、ンマムイが朝鮮に来た時は開京に行ったというのをサハチは思い出した。 「開京からここに戻って来た時、ここにあった死体はどうしたんだ?」とウニタキが聞いた。 「さあ?」とハナは首を傾げた。 「もう白骨になっていたんじゃろう」とヂャンサンフォンが言った。 「お前はここに来たのは初めてなのか」とサハチがンマムイに聞くと、 「ええ、初めてですよ」とうなづいた。 「漢江を渡って、ここの城壁を横に見ながら進んで行ったんです。朝鮮には二度来たけど、二度とも開京に行きました。開京はここよりも北の方にあって、ここから二日掛かります」 「開京は俺の母親が生まれた場所だ」とウニタキが言った。 「あとで開京に連れて行ってくれ」 「はい。是非、行きましょう」とンマムイは嬉しそうな顔をしてうなづいた。 「開京はどんな所なんだ?」とウニタキはンマムイに聞いた。 「明国の古い都に似ていますよ。ここと同じように城壁に囲まれていて、城内には宮殿があって、古いお寺もいくつもありました。 サハチもウニタキもファイチもヂャンサンフォンも明国の都、 サハチは辺りを見回しながら、ここには高楼がない事に気づいた。二階建ての建物も見当たらなかった。ハナに聞くと、王様のいる宮殿よりも高い建物は建てられないという。随分と心の狭い王様だなとサハチは思った。 「お寺もないのか」と聞くと、ハナは後ろを振り返って大通りの反対側を指さした。 「あそこに大きな古いお寺がありましたけど、今は破壊されて惨めな姿になっています。でも、王様に保護されているお寺もいくつかあるんですよ。禅宗の本山と言われている 「この通りは、この都の主要道ではないのか」とヂャンサンフォンがハナに聞いた。 「そうです」とハナは笑った。 「都でも一番いい場所なんです。東に行くと 「こんないい場所によく店を構えられたな。五郎左衛門殿は宮廷の偉い人と親しいのか」 ヂャンサンフォンがハナに聞いたが、ハナは首を傾げた。 「祖父の事はよくわかりませんけど、時々、偉そうな人がお屋敷にやって来て、父とお話をして帰ります」 ヂャンサンフォンはハナに笑ってうなづいた。 大通りを西に進みながら、ハナが右側にある建物を指さして、「あそこは恐ろしいお役所です」と言った。 「 「王妃様の弟が二人も反逆したのか」とウニタキが驚いた顔をしてハナに聞いた。 「父は無実に違いないと言っていました。王妃様の兄弟が権力を持ち過ぎたので、王権を守るために殺されたのだろうと」 「無実の罪で殺されたのか。朝鮮とは恐ろしい所だな」 「王様の悪口は言わない方がいいですよ。たとえ、日本の言葉でも誰が聞いているかわかりません。見つかったら不敬罪で捕まります」 ウニタキは当たりを見回して、ニヤッと笑った。 しばらく行って右に曲がると、その通りには役所が並んでいて、 宮殿から大通りに戻って、大通りの一本向こう側の道に出ると小さな店が並んでいた。日用雑貨を売る店だった。特に珍しい物は売っていないが、何か土産物を買って帰らなくてはならないなとサハチは思った。 大通りに戻り、津島屋の屋敷の前を通り越して東の方に向かった。左側に土塀で囲まれたお寺があった。まさしく、あったと言うべきで、土塀はあちこちが崩れ、門も壊れて、あちこちに瓦のかけらが落ちていた。広い敷地内にある建物も皆、無残に破壊されていた。サハチは 「ここに 「ひどいもんだな」とウニタキが首を振った。 「王様はどうして仏教を禁止したんだ?」とサハチはハナに聞いた。 「あたしにはよくわかりませんけど、高麗の国は仏教を保護していました。高麗は五百年も続いたので、仏教と政治が結びついて、お坊さんたちが力を持つようになったようです。お寺も各地にいっぱいあって、お坊さんたちも大勢います。放って置くと、騒ぎを起こす危険性があるので、禁止したのではないでしょうか」 「これだけ大きなお寺なら、修行していた僧たちも大勢いたじゃろう。僧たちは皆、捕まったのか」とヂャンサンフォンがハナに聞いた。 「お坊さんたちはみんな、城外に追い出されました。反抗して捕まったお坊さんもいたようです。身分も 「ここに来るまでの道中、小さな村々に乞食坊主がうろうろしておったが、みんな、お寺を追い出された僧だったんじゃな」 「このお寺が破壊されてから、各地のお寺も破壊されるようになったようです」 「ここが都になったために、古くからあったこのお寺が、見せしめにされてしまったんじゃな」 「その通りです」とハナはうなづいた。 「この先に新しい宮殿(昌徳宮)があるんですけど行きますか」とハナは皆に聞いた。 「どうせ入れないのだから門と城壁を見てもしょうがない。そろそろ日も暮れるし帰ろう」とサハチは言った。 「俺は腹が減ったよ」とウニタキが言って、「久し振りに酒が飲みたいな」とンマムイが言った。 「お母さんがお酒も用意しているはずよ」とハナは笑った。 サハチたちは津島屋に向かった。 広い大通りだが、ここにも荷車は通っていなかった。大きな荷物を背負った人や馬の背に荷物を積んで運んでいた。 津島屋に帰ると、食事の用意が調っていて、丈太郎は朝鮮の料理と酒でもてなしてくれた。酒は日本の酒だった。朝鮮の酒はないのかと聞くと、「朝鮮には禁酒令があるのです」と丈太郎は言った。 「えっ?」とサハチたちは顔を見合わせて驚いた。 「隠れて皆、飲んでいますがね。 「王様はどうして、禁酒令なんか出したのです?」 「朝鮮を建国した当初、 「どうして、寺院で酒を造っていたのですか」 「高麗の時代、仏教は国の法として保護されていました。仏教の儀式も盛大に行なわれて、儀式に必要な酒を寺院で造るようになったのです。大寺院になると広い領地を持って、大勢の 「ノビとは何ですか」 「ノビとは 「明国で舟を漕いでいた奴らだ」とウニタキが言った。 丈太郎はうなづいた。 「舟を漕いだり、両班のお 「王様は大寺院をつぶして、土地を取り上げ、大勢のノビたちも手に入れたという事ですね」 「そういう事になりますね。酒を造っていた寺院がなくなったので、酒も出回らなくなりました。今では酒も密貿易されている有様です」 「成程、朝鮮では酒が売れるという事ですね?」 「ただし、裏に隠れてこっそりとです」と丈太郎は笑った。 「津島屋がこの一等地に店を出せたのも、実は裏取り引きがあるのです。津島屋は表向きは明国の陶器を扱う店なのです。朝鮮は明国に 「王様公認の裏取り引きなのだな?」 「そういう事です」と丈太郎は笑ったが、「この国は何が起こるかわかりません」と厳しい顔付きで首を振った。 「油断は禁物です。常に宮廷の動きを探らなければなりません。御存じだと思いますが、お屋形様の兄上(早田次郎左衛門)の奥さんの実家は宮廷との取り引きによって殺されてしまったのです。当時、宮廷で王様よりも力を持っていると言われた その後、丈太郎は琉球の事を聞いてきた。サハチたちは琉球の事を話した。ンマムイがサハチが倒した先代 「 ヂャンサンフォンとファイチが明国の人だと知ると、丈太郎は目を輝かせて明国の話も聞いてきた。 サハチたちは夜遅くまで、朝鮮、明国、琉球、日本の事を語り合っていた。 |
朝鮮、漢城府