沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







サダンのヘグム




 昨日はいなかったが、ハナにはナナという姉がいた。男の格好をして刀を背負い、二十歳を過ぎていると思えるが、お嫁に行かないで、商品の護衛を務めているという。そして、ヂャンサンフォン(張三豊)を師匠と呼んで、再会を喜んでいた。

「ここにも師匠の弟子がいたのか」とンマムイ(兼グスク按司)は驚き、ナナにサハチ(琉球中山王世子)たちを紹介して、「みんな、師匠の弟子だよ」と言って、「俺が一番下っ端だ」と付け加えた。

 ナナは笑って、「皆さんたちが武芸の達人だというのは一目見てわかりましたよ」と言った。

 そう言うナナもかなりの腕だという事は、サハチたちにもわかっていた。

 ナナはサイムンタルー(早田左衛門太郎)の兄、次郎左衛門の娘だった。しかし、次郎左衛門がナナの母親の事を内緒にしたまま戦死してしまったので、その存在は誰も知らなかった。

 ナナの母親は富山浦(プサンポ)(釜山)に住んでいた対馬(つしま)の漁師の娘で、次郎左衛門が戦死した時、ナナは七歳だった。次郎左衛門は自分がお屋形様になったら、ナナの母親を側室に迎えると約束したが、その前に戦死してしまった。ナナの母親は一人で娘を育てる決心をして、父親は海で亡くなったとだけナナに話していた。

 ナナが十四歳の時、母は病に罹って亡くなった。亡くなる前、ナナの母親は次郎左衛門がナナの父親だと打ち明けた。ナナの母親の両親は驚いた。ナナの母親が亡くなったあと、ナナの祖父は五郎左衛門を訪ねて、わけを話した。ナナの母親が大切に持っていた次郎左衛門の手紙と形見の品が決め手となって、ナナは五郎左衛門が育てる事になった。

 漁師の娘ではなく、武将の娘だと知ったナナは、父親の(かたき)を討たなければならないと思った。対馬で娘たちに剣術を教えていると聞いたナナは五郎左衛門に頼んで、対馬に渡った。祖父の三郎左衛門の屋敷にお世話になりながらイトから剣術を習ったのだった。

 イトの娘のユキと同い年で、すでにかなり強かったユキに負けるものかとナナは必死に稽古に励んだ。年頃になってもお嫁に行く事など考えず、ひたすら敵を討つ事だけに集中した。ユキたちが男たちに会うために無人島に行く時も一緒に行く事はなく、一人で稽古に励んでいた。

 ユキがお嫁に行く前、ナナはユキと試合をして引き分けた。ユキは船越に嫁いで、ナナは朝鮮(チョソン)に戻った。その年、五郎左衛門は漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に『津島屋』を出した。ナナは丈太郎(じょうたろう)の娘として漢城府に来て、以後、警護の仕事をしている。去年、対馬に武術の達人が来た事を知ると教えを請うため対馬に渡り、ヂャンサンフォンの指導を受け、マチルギからも指導を受けていた。

「ナナさんの(かたき)とは誰なんです?」とンマムイが聞いた。

「朝鮮の初代の王様です」

「えっ、王様を討つつもりなのか」

 ンマムイは驚いた顔をしてサハチたちを見た。サハチたちも唖然とした顔でナナを見ていた。

「でも、去年、亡くなってしまいました。初代の王様は開京(ケギョン)(開城市)からここに来る事なく、咸州(ハムジュ)(咸興市)のお寺に隠居していました。そのお寺を襲撃しようと思っていたのですが、あたしが剣術の修行を積んで朝鮮に戻って来たら、漢城府に来ていて、新しくできた宮殿の中にいました。あの宮殿に侵入するのは不可能でした」

「本当に王様を狙っていたのか。無謀だな。殺されるぞ」

 ナナは可愛い顔をして笑った。

「敵討ちはもうやめたんだな?」とウニタキ(三星大親)が聞くと、ナナは首を振った。

「父の敵は死んじゃったけど、今の王様に恨みを持っている人たちは大勢いるわ」

「今の王様を狙っているのか」

 ナナはまた首を振った。

「今、どうしようか考えているの。琉球にでも行ってみようかな。そう言えば今回、ササは来ているの?」

「富山浦まで来たけど、今頃は対馬に帰っただろう」

「あの()、面白いわ。会いに行こうかしら」

 サハチたちはナナの案内で都見物に出掛けた。津島屋の裏口から出て、大通りと反対の方に向かうと川に出た。清渓川(チョンゲチョン)だという。川に沿って東に向かうと橋があった。橋の上から東の方を見ると、川岸に家々が建ち並んでいた。

応天府(おうてんふ)秦淮河(シンファイフェ)に似ているな」とファイチ(懐機)が言った。

 そう言われてみれば雰囲気は似ていた。しかし、応天府のような高い建物はどこにもなく、低い藁葺(わらぶ)きの屋根が並んでいるだけだった。

妓楼(ぎろう)(遊女屋)はないのか」とンマムイがナナに聞いた。

 ナナは笑って、「あれが妓楼です」と川沿いに建つ建物を示した。

 その建物は他のものより少し大きいような気がするが、どう見ても妓楼には見えなかった。

「禁酒令があるから大っぴらに店を構えられないのです」

 そう言って、ナナは振り返って川の上流の方を指さした。

「この先で二つの川が合流するんですけど、左側の川に沿って行くと『雅楽署(アアッソ)』と呼ばれるお役所があって、そこに妓女(キニョ)が大勢います」

「役所に妓女がいるのか」とウニタキが驚いた。

「雅楽署には音楽を担当する者たちや歌や踊りを担当する妓女たちがいて、宮廷の儀式で活躍するのです。明国(みんこく)や日本の使者たちが来た時も歌や踊りを披露します」

「面白いな」とサハチは言って、「中に入れるのか」とナナに聞いた。

「お役所ですから用があれば入れますけど‥‥‥」と言ってからナナは一人で笑って、「大丈夫。入れます」とうなづいた。

「そんな所に入ってどうするんだ?」とウニタキがサハチに聞いた。

「琉球にも必要な役所だと思ったんだ」

「そういう事か。確かに必要かもしれんな」

「雅楽署のそばには『図画署(トファソ)』もあります」

「トファソ?」

「絵を描いているお役所です。色々な行事の様子を細かく描いたりしています。一番名誉あるお仕事は王様のお姿を描く事だそうです」

「そんな役所もあるのか」とサハチが言うと、

「イーカチにやらせればいい」とウニタキが言った。

「そうだな。栄泉坊もいるしな」

「見に行きましょ」とナナは言った。

「入れるのか」

「図画署の絵描きさんたちはお役所のお仕事だけでは食べていけないの。それで、怪しい絵を描いて両班(ヤンバン)たちに売っているのよ」

「怪しい絵というのはあれか」とンマムイがニヤニヤしながら聞いた。

「男と女が仲よくしている絵よ。それを売るお手伝いをあたしがしているの。これは内緒よ」

 橋を渡って、サハチたちは川に沿って上流へと向かった。土塀に囲まれた図画署があった。

 ナナが知り合いを呼んで、しばらく話をしていたが、結局、中に入る事はできなかった。

「あたし一人なら内緒で入れる事もできるけど、他の者たちは駄目だって。ごめんなさいね」

「仕方がない」とサハチは笑った。

「もし捕まって、琉球から来た事がばれたら、面倒な事になるかもしれない。危ない所には近づかない方がいいだろう」

 ナナは残念そうな顔をしてうなづいた。

「ここには何人くらいの絵描きがいるんだ?」

「二十人くらいじゃないかしら」

「そんなにもいるのか」

「下働きの女たちもいるわ。墨をすったり、顔料(がんりょう)(絵の具)を溶いたりしています」

「成程、そういう仕事もあるのか」

「雅楽署に行きますか。あそこも入れないとは思いますけど」

「近くなんだろう。行ってみよう」

 川に沿って進んで行くと広い通りに出て、通りの向こう側に雅楽署があり、音楽が聞こえてきた。聞こえて来る音楽は、琉球の新年の儀式の時に流れる音楽に似ていた。

 馬天(ばてぃん)ヌルが浦添(うらしい)に仕えていたヌルたちを探した時、冊封使(さっぷーし)が来た時に音楽を担当した者たちも集めて、新年の儀式の時に演奏させていた。朝鮮の音楽も明国の音楽を真似しているようだった。

 ファイチに聞いてみると、「明国の宮廷音楽、『雅楽(ヤーユエ)』と同じです」と言った。

「ここには何人くらいいるんだ?」とサハチはナナに聞いた。

「結構いますよ。楽器を演奏する人たちに、踊りを担当する妓女たち、それに、楽器を作る人たちもいます」

「楽器もここで作っているのか」

「そうですよ。日本には楽器を専門に作っている職人さんたちがいるけど、朝鮮にはそういう職人たちは皆、お役所に所属しているの。お役人が着る着物を作るお役所や紙を作るお役所もあります」

「ほう、何でも役所で作っているんだな」とウニタキが感心して、「武器を作っている役所もあるのか」とナナに聞いた。

「あります。倭寇(わこう)退治に活躍した鉄炮(てっぽう)(大砲)を作ったのもお役所の工房です。刀や槍も作っていますが、日本の物には及びません。高麗(こうらい)の時代には、お寺にも職人さんがいっぱいいて、お寺で必要な物はすべて、お寺で作っていたようです」

 サハチたちは雅楽署から離れて、広い通りを東の方に進んだ。

「ここは『恵民庫局(ヒェミンゴグ)』というお役所で、お医者さんがいて、庶民たちを診てくれます」

「ほう、そんな役所もあるのか」

「でも、ほとんどの人たちはここに来るよりも『ムーダン』を頼りにしているみたい」

「ムーダン?」とサハチは聞いた。

「琉球のヌルのような人たちです。神様とお話ができる人です。おまじないをして病を追い払うのです」

「朝鮮にもヌルがいるのか」

「国のためにお祈りをするムーダンたちがいるお役所もあるんですよ」

「今度はその役所に向かうのか」とウニタキが聞いた。

「違います。ムーダンのお役所に行っても中には入れないし、ここからは遠すぎます。『サダン』と呼ばれている芸人さんたちを紹介します」

「そいつは面白そうだ」

「その人たちもお寺に所属していた芸人さんなんです。お寺が土地を奪われて食べていけなくなって、お寺を追い出されてしまったのです」

「王様はお寺の土地を奪い取って、その土地を家臣たちに分け与えたのか」とヂャンサンフォンがナナに聞いた。

「いいえ。王様の土地になっていると思います。この都の土地も王様のものなんです。勝手に家を建てる事はできません。家を建てるには王様の許可が必要なんです」

「この土地が王様のものなのか」とンマムイが驚いた顔で周りを見回した。

「城壁で囲まれている中はすべて王様の土地なんです」

「ここに古くから住んでいた人たちもいたじゃろう。そいつらも王様の許可を得て、住んでいるのか」とヂャンサンフォンが聞いた。

「古くから住んでいた人たちは揚州(ヤンジュ)に移されたようです」

「ほう、朝鮮の王様というのは凄い力を持っているんじゃのう」

「城壁を造る時は国中から人を集めて、その数は二十万人もいたと聞いています。富山浦からも大勢の人がここまで連れて来られて、二か月近くも働かされたそうです」

「二十万?」とンマムイは驚いたが、サハチにはその数が見当もつかなかった。

 橋を渡って川沿いの細い道を進んで行った。この辺りに来ると家もまばらで、森や荒れ地が広がっている。川のほとりに粗末な小屋がいくつも建っているのが見えた。賑やかな(かね)や太鼓の音も聞こえてきた。

「あの小屋も王様の許可を得て建てたのか」とンマムイがナナに聞いた。

 ナナは笑って首を振った。

「無許可です。役人に見つかったら追い出されます。でも、許可が下りるまで、道ばたに小屋掛けして待っている人は大勢います。それらの人たちを一々追い出していたら切りがありません。役人たちも見て見ぬ振りをするしかないのです。もっともサダンの人たちは許可を求めてはいません。そのうち、どこかに旅に出ます」

 大きな木の後ろから突然、男が現れた。刀を左手に持っていた。日本刀のようだ。男はナナと何かを話し、サハチたちを見るとニヤッと笑い、先に立って小屋と小屋の間を抜けて行った。そこは小屋に囲まれた広場になっていて、芸人たちが稽古に励んでいた。

 鉦や太鼓に合わせて踊っている者、綱渡りをしている者、宙返りをしている者、剣術の稽古をしている者たちが動きを止めて、サハチたちを見た。踊りを踊っていた女がナナを見て、駆け寄ってきた。

 女はナナと親しそうに話をして、サハチたちを見て笑った。ナナと同い年くらいの娘だった。稽古をしていた者たちも集まって来て、サハチたちを見ていた。サハチたちを案内した男がみんなに何かを話したあと、ナナに何かを話した。

 ナナがサハチたちを見て、「ごめんなさい」と謝った。

「あなたたちを琉球から来た武芸者たちって言ったら、どうしても教えを請いたいって言うのよ。どうします?」

「師匠、教えてやりましょうよ」とンマムイがヂャンサンフォンに言った。

 ヂャンサンフォンはサハチを見てから、「いいじゃろう」とうなづいた。

 ナナが親方らしい男に何かを言った。親方はうなづいて、仲間の中から五人の男を選んだ。五人とも自信があったのだろうが、サハチたちの敵ではなかった。五人ともサハチたちに簡単に負け、ナナの言葉を信じたようだった。試合のあと、サハチたちは親方に歓迎された。

 ここには三十人近くの芸人たちがいた。ナナの話だと高麗の都だった開京から来た芸人たちらしい。漢城府に来たのは五月頃で、それからずっとここに滞在して、両班から頼まれると芸を披露しに出掛けているという。

 ナナと親しい娘はユンという名で、両班の屋敷で踊りを披露した時、そこの息子に見初められて、しつこく付きまとわれていた。適当にあしらっていたのだが、息子は諦めず、ならず者たちを使ってユンをさらおうとした。ユンも武芸の心得はあったが、相手が多すぎた。さらわれようとした時、たまたま通りかかったナナに助けられた。両班の息子の仕返しが気になって、ナナは度々、ユンに会いに行き、芸人たちとも仲よくなったのだった。

 芸人たちは料理と酒も用意してくれたが、言葉が通じないので、どうしても場がしらけてしまう。ユンが気を利かして楽器を弾き始めた。サハチの知らない楽器だった。人の泣き声のように聞こえる哀調を帯びた調べが流れた。

「ヘグムという楽器です」とナナが言った。

「懐かしい」とファイチが言った。

「明国では奚琴(シーチン)と言います。わたしの母が昔、弾いていました。すっかり忘れていましたが、今、はっきりと思い出しました」

 ファイチは目を閉じて、ユンが弾くヘグムを聴いていた。子供の頃、母は子守歌代わりに奚琴を弾いてくれた。でも、いつの日からか、母は奚琴を弾かなくなった。どうしてなのか、わからなかったが、ユンの弾く曲を聴いているうちに思い出した。ファイチが十歳の時、姉の懐永(ファイヨン)北平(ベイピン)(北京)に嫁いで行った。その時、母は懐永に奚琴を贈ったのだった。妹の懐虹(ファイホン)の話だと、懐永は北平で無事に暮らしているという。なぜか、急に姉に会いたくなってきた。

 ユンの演奏が終わるとサハチは腰から一節切(ひとよぎり)を取り出して、袋から出して吹き始めた。目を閉じて何も考えずに、その時に感じたままを吹いた。富山浦から漢城府までの長い旅が思い出され、風の音や雨の音、川のせせらぎ、鳥の鳴き声や虫の声などが、知らずに表現されていた。その調べは、終わりのない旅を続けている芸人たちの心を振るわせ、感動させた。

 サハチが一節切を口から離すと、しばらくして拍手が起こり、芸人たちが何事かをしゃべり始めた。

「みんな、素晴らしいと言っています」とナナが言った。

 サハチはみんなにお礼を言って、音楽というのは言葉が通じなくてもわかり合える素晴らしいものだと改めて思っていた。

 そのあと、ユンのヘグムとサハチの一節切で合奏をした。最初は悲しい調べだったが、やがて明るい調子になり、手拍子が始まると、踊り出す者たちも現れた。娘たちに誘われて、ウニタキ、ファイチ、ンマムイも一緒になって踊った。

 楽しい一時を過ごし、サハチたちは芸人たちと別れた。芸人たちはまた遊びに来てくれと言った。

三弦(サンシェン)を持ってくればよかった」とウニタキは悔しがった。

「百六十年も生きて来て、わしは音曲(おんぎょく)には縁がなかった。今更ながら、何か楽器をやっていればよかったと思う」とヂャンサンフォンがしみじみと言った。

「師匠、今からでも間に合いますよ。俺も笛を始めたばかりです」とンマムイが言った。

「お前も吹けばよかったのに」とサハチが言うと、ンマムイは手を振った。

「俺のはまだ人には聴かせられませんよ。しかし、師兄(シージォン)は凄い。師兄の一節切を聴きながら泣いている者もいましたよ。俺も早く師兄のようにうまくなりたいですよ」

 サハチは笑って、「うまくならなくてもいいんだよ。自分を表現できれば、それでいいんだ」とンマムイの肩をたたいた。

「ササも笛がお上手でしたね。あたしも笛を習おうかしら」とナナは言った。

「わたしもヘグムが弾きたくなりました」とファイチも言った。

「ヘグムの音は心に染みる。ファイチのためにもヘグムを手に入れたいな」とサハチは言った。

 ナナは首を傾げて、「手に入れるのは難しいと思いますよ」と言った。

「芸人たちはどうやって楽器を手に入れているんだ」とウニタキはナナに聞いた。

「お寺に属していた芸人たちはお寺で作った楽器を使っています。でも、お寺がなくなってしまったので、これからどうするのかわかりません」

「お寺で楽器を作っていた職人たちはどうなったんだ?」

「腕のいい職人なら雅楽署に入ったと思います。ほかの職人たちはノビ(奴婢)として宮廷に入ったのかもしれません」

「しかし、お寺はかなりあったんじゃろう。お寺にいたノビたちをすべて宮廷には入れられまい」とヂャンサンフォンが言った。

「そうですよね。芸人たちのように放浪しているのかしら」

 広い通りに出るとナナは右に曲がった。

「今度はどこに行くのです?」とサハチはナナに聞いた。

「ちょっと遠いのですけど、『成均館(ソンギュングァン)』の隣りに『泮村(パンチョン)』という村があります。そこは芸人たちの村なのです。楽器の事がわかるかもしれません」

「芸人たちの村があるのか」

「住んでいる人たちが全員、芸人じゃないけど芸人たちが多いのです。泮村は成均館で学んでいる人たちの面倒を見ている村で、成均館で使用される物はすべて、泮村で用意します。泮村に住んでいるのは全員がノビで、宮廷の儀式の時に芸を披露する芸人たちも住んでいて、成均館のために働いています」

「成均館というのは、明国の『国子監(こくしかん)』のようなものか」とヂャンサンフォンが聞いた。

 ナナは首を傾げた。

「わかりませんけど、難しい書物を学んでいて、偉いお役人を育てている所です」

「ここにも国子監があるのか、琉球にも必要だな」とサハチは言った。

 広い通りを左に曲がって、しばらく行くと清渓川に出た。橋を渡って、しばらく行くと大通りに出た。大通りを突っ切って北に向かって四半時(しはんどき)(三十分)ほど歩くと成均館に着いた。途中、左側に石垣に囲まれた新しい宮殿(昌徳宮(チャンドックン))があった。

 今の王様(李芳遠(イバンウォン))が咸州のお寺にいた初代の王様(李成桂(イソンゲ))を漢城府に呼ぶために建てた宮殿だという。その宮殿を建てる時、お寺を追い出された大勢の僧たちも人足(にんそく)として強制的に働かされたらしい。初代の王様が亡くなったあとは、明国の使者や日本の使者が来た時に接待の場として使われている。琉球の使者たちも多分、この宮殿で接待されるのだろうとナナは言った。

 成均館は土塀で囲まれていて中には入れないが、門から覗くと揃いの着物を着た若者たちが書物を抱えて歩いているのが見えた。

「こっちですよ」とナナが言って、あとに付いて行くと成均館の隣りに活気に溢れた村があった。

 不思議な村だった。芸人たちの村というよりも職人たちの村のようだった。村全体が工房のようで、あらゆる物を作っていた。成均館の若者たちに牛肉を食べさせるために、牛の解体までしているのには驚いた。楽器を作っている人もいて、ヘグムが手に入らないかとナナが聞くと、その職人は少し考えてから、開京に行けば手に入るかもしれないと言ったらしい。

「あした、あたしは開京に行く事になっているの。一緒に行きましょう」とナナは言った。

「それはいい」とウニタキが喜び、サハチたちは高麗の都だった開京に行く事に決まった。





朝鮮、漢城府




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