沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







勝連の呪い




 正月の下旬、シンゴ(早田新五郎)とマグサ(孫三郎)の船が馬天浜(ばてぃんはま)にやって来た。イハチ(サハチの三男)とクサンルー(浦添若按司)が無事に帰国した。

 ナナが来ているので、イハチと仲よくなったミツが一緒に来るかと思ったが、来なかった。一時は母親と一緒に来ると言ったのだが、今の対馬(つしま)の状況を考えたら、やはり行けないと言ったという。行く気になればいつでも行けるので、お屋形様(早田左衛門太郎)たちが帰って来たら必ず行くと言ったらしい。

 シンゴの話では、お屋形様たちが帰って来たら、妹のサキも娘と一緒に琉球に行くと言ったという。イトたちも行くと言ったし、大勢の女たちが琉球にやって来そうだ。来てくれるのは嬉しいが、あちこちで騒動が起きそうだった。

 歓迎の(うたげ)で飲み過ぎて『対馬館』に泊まり、正午(ひる)頃に島添大里(しましいうふざとぅ)に帰るとサハチ(島添大里按司)はナツに怒られた。

若按司様(わかあじぬめー)(サグルー)が明国(みんこく)に行っていて、佐敷ヌルさんはお祭り(うまちー)の準備で首里(すい)に行っています。按司様(あじぬめー)がちゃんとしてくれないと困ります。それに、奥方様(うなじゃら)ももうすぐ、赤ちゃんをお産みになられます」

 マチルギは今、首里グスクの御内原(うーちばる)に入っていた。出産の兆しがあれば首里から知らせが届く手はずになっていた。

 サハチはナツに謝った。もともと気が強い女なのかもしれないが、だんだんとマチルギに似てきていた。二人が同時にサハチを責めて来たら、とても太刀打ちできない。そこに、メイユー(美玉)まで加わったら、もうお手上げだった。

 さんざ小言を言ったナツが引き上げると、サハチはイーカチが描いた首里城下の絵地図を広げて、どこにお寺を建てようかと考えた。首里のお祭りが終わったら、首里グスクの百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)の唐破風(からはふ)普請(ふしん)を始めて、それが完成したら、長年仕えてくれたソウゲンのために『宗玄寺』を建て、次に首里で読み書きを教えているナンセンのために『南泉寺』を建て、次にジクー禅師のために『慈空寺』を建てる。次は慈恩禅師(じおんぜんじ)が来てくれたら、『慈恩寺』を建てる。それに、浦添の『極楽寺』も再建しなければならなかった。荒れ果てたままの英祖(えいそ)のお墓も直さなければならない。極楽寺を入れて五つ。浮島(那覇)の『護国寺』を入れれば六つになる。残りの四つはヤマトゥ(日本)から僧侶を連れて来るか、琉球人(りゅうきゅうんちゅ)の僧侶を育てるかしなければならない。身内で誰かいないかと探してみたが、思い当たる者はいなかった。

 あれこれ考えているうちに夕方になり、ササたちがヤンバル(琉球北部)の旅から帰って来た。

 ササは目を輝かせて、「按司様、見つけたわよ」と言った。

 一緒に行ったシンシン(杏杏)とナナも興奮しているような顔付きだった。

「スサノオの神様の足跡が見つかったのか」とサハチは驚いた顔をしてササに聞いた。

辺戸岬(ふぃるみさき)まで行って来たのよ。ヤマトゥから島伝いに琉球に来たスサノオ様は、辺戸岬まで来て、きっと上陸したと思うわ。宇佐浜(うざはま)という砂浜よ。宇佐浜から安須森(あしむい)(辺戸岳)に登ったのに違いないわ。あたしたちも登ってみたの。頂上からの眺めは、とても素晴らしかったわ」

 若い頃に辺戸岬に行った時、サハチも安須森を見上げて登って見たいと思った。しかし、安須森は山自体が神聖なウタキ(御嶽)になっているので登る事はできなかった。

「安須森に登ってスサノオ様は南の方(ふぇーぬかた)を見たと思うんだけど山ばかりで玉グスクまでは見えないわ。山の上に古いウタキがあるんだけど、なぜか、神様の声は聞こえなかったの」

「スサノオ様が来た時、すでに安須森は神聖なウタキになっていて、スサノオ様は登れなかったんじゃないのか」とサハチは言った。

「そうか」と言ってササは考えてから、「そうかもしれないわね」とうなづいた。

「宇佐浜に(しま)があって、そこのヌルから玉グスクの場所を聞いたのかもしれないわ。辺戸岬からスサノオ様が東の方(あがりかた)に進んだのか、西の方(いりかた)に進んだのかわからなかったんだけど、ヌルから場所を聞いたとすれば、東の方に進んで行ったに違いないわ。東の方に進めば勝連(かちりん)半島にぶつかるわ。それで、勝連を調べたんだけど、何も見つからなかったの。ついでだから、望月党の隠れ家に行ってみたんだけど、誰かが来た形跡はなかったわよ。去年、あたしたちが片付けたままの状態だったわ」

「そうか。望月党の残党が戻って来れば、必ず、あそこに現れるだろうとウニタキ(三星大親)は言って、あそこを『三星党(みちぶしとー)』の拠点にはしなかった。勝連にいるウニタキの配下の者が時々、様子を見に行っているらしい。ちょっと待て。お前、辺戸岬からスサノオ様が東に進んだのか、西に進んだのかわからなかったと言ったな。西に進めば今帰仁(なきじん)にぶつかる。まさか、今帰仁に行ったのではあるまいな」

「行かなかったわ」とササは首を振った。

 サハチはホッとした。

「行こうと思ったんだけどね、何かいやな予感がしたのでやめたわ」

「そうか、よかった。あと六年待て。六年経ったら好きなだけ歩き回ってもいい」

「そうね。勝連半島を迂回したスサノオ様は南下して馬天浜に上陸したのよ」

「確かにスサノオ様が琉球に来たとすれば、馬天浜に上陸しただろうが、そんなの信じられんな」

「あたしだって信じられなかったわ。でも、佐敷グスクの裏山にある古いウタキの神様が教えてくれたのよ」

「スサノオ様が来たってか」

「はっきり、スサノオ様とは言わなかったけど、遙か昔、ヤマトゥから若い王様がやって来たって言ったわ。その王様は上陸した浜を『果ての浜』って名付けたそうよ」

「果ての浜?」

「ハテノハマがハティヌハマになって、いつしかバティンハマになったんだと思うわ」

「果ての浜か‥‥‥確かにヤマトゥから来たら、細長い島の果てにある浜だな」

「それだけじゃないのよ。その王様は琉球に着いた喜びから踊ったんだけど、髪に挿していた佐世(させ)の木が落ちたので、その地を佐世木と呼ぶようになったらしいわ」

「サセキがサシキになったのか」

「そうらしいわ」

「その佐世の木というのはどんな木なんだ?」

「ツツジの仲間らしいわよ。スサノオ様はヤマタノオロチを退治した時も、佐世の木を髪に挿して踊ったらしいわ。琉球に来て、佐世の花が咲いているのに感激して、髪に挿して踊ったのよ」

「その王様の名前を神様は知らなかったのか」

「ウシフニって言っていたわ」

「ウシフニ‥‥‥スサノオっていうのは神名(かみなー)で、ウシフニっていうのが童名(わらびなー)じゃないのか」

「そうだといいんだけどわからないわ。明日、玉グスクに行って調べて来るわ。マシュー(ねえ)(佐敷ヌル)に聞いたら、スサノオ様が来た頃の玉グスク按司は、あたしたちの御先祖様だって言っていたわよ」

「やはり、そうだったか」とサハチは満足そうにうなづいた。

 言いたい事を言ってササが帰ろうとしたら、「オキナガシマ」とシンシンが言った。

「あっ、そうそう。スサノオ様が来た頃、琉球は沖の長島とか沖長島って呼ばれていたみたい」

「沖長島か‥‥‥」

 遙か沖にある細長い島だからそう呼ばれていても不思議はなかった。タカラガイの交易が終わって、この島の事は忘れ去られて、いつしか明国が名付けた琉球という名が島の名前になってしまったのだろう。

 ササたちが帰って行ったあと、お茶を持って来て、一緒に話を聞いていたナツが、

「ヤマトゥから来た娘さんを初めて見たけど、すっかり馴染んでいて、古くからのササのお友達みたいね」と言った。

 そう言われてみれば、ヤマトゥから来た女は見た事がなかった。ヤマトゥの商人たちは女を連れては来ないし、浮島の若狭町(わかさまち)にもヤマトゥの女はいなかった。サハチが知っている限りでは、ナナは初めて琉球に来たヤマトゥの女かもしれない。いや、一人いたのを思い出した。思紹(ししょう)(中山王)の側室にヤマトゥの女がいた。薩摩の商人から贈られたアユだった。今まで不思議に思わなかったが、アユは思紹の側室になるためにヤマトゥから連れて来られたのだろうか。

「どうしてササはスサノオの神様の事を調べているの?」とナツが聞いた。

「さあ?」とサハチは首を振った。

一昨年(おととし)のヤマトゥ旅でスサノオの神様の事を知ったらしい。そして、去年のヤマトゥ旅で、京都でスサノオ様の声を聞いたんだ。あまりにも偉大な神様なので興味を持ったのだろう。俺たちの家紋『三つ巴』も、スサノオ様の神紋だったらしいから、俺たちに関係がないとは言えない。気が済むまで調べればいいさ」

 ナツは笑って、「馬天浜が『果ての浜』だったなんて驚いたわ」と言った。

「そうだな。意味もわからずに馬天浜って言っていたけど、地名というのはそれなりにちゃんとした意味があるんだな」

「首里は真玉添(まだんすい)のスイでしょ。島添大里は島襲い大里で、佐敷が佐世木、ねえ、津堅島(ちきんじま)のチキンって何なの?」

 サハチは首を傾げた。

 二日後、ササは玉グスクから帰って来て、何も見つからなかったと言った。

「本人から聞くのが一番早いんじゃないのか」とサハチはササに言った。

「それがわかれば苦労はないわ。豊玉姫(とよたまひめ)様が今、どこにいるのかわからないのよ」

「対馬の『ワタツミ神社』のお墓にはいなかったのか」

 ササは首を振った。

「対馬にはスサノオ様も豊玉姫様もいなかったわ。スサノオ様には京都で会えたけど、豊玉姫様はいないのよ。一体、どこにいるの?」

「京都には別の奥さんがいたと言ったな」

稲田姫(いなだひめ)様よ。出雲(いづも)のお姫様なの。豊玉姫様は琉球の事が心配になって琉球に帰って来ていると思ったんだけど、玉グスクにはいなかったわ」

「琉球のお姫様じゃなかったんじゃないのか」

「いいえ、琉球のヌルよ。いつか必ず、探してみせるわ」

「神様から与えられたお前の仕事だ。頑張れ」

「神様から与えられたお仕事?‥‥‥そうかもしれないわね」

 ササは納得したような顔をして笑った。

 二月九日、首里グスクのお祭り(うまちー)が盛大に行なわれた。

 早いもので四回目のお祭りだった。一回目のお祭りの時、サハチはいなかったが、思紹(ししょう)の身代わりが殺された。二度目は何事も起こらなかった。三度目は『龍天閣(りゅうてぃんかく)』の普請中だったので北曲輪(にしくるわ)で行なった。ようやく龍天閣も完成して、今年は西曲輪(いりくるわ)を開放して、龍天閣も開放した。

 朝早くから人々が集まって来て、大御門(うふうじょー)が開くのを待っていた。門が開くと、北曲輪にいる孔雀(コンチェ)に歓迎されて、人々は坂道を上って西曲輪に入った。人々が目指すのは西曲輪の奥に立つ龍天閣だった。龍天閣の前には長い行列ができた。龍天閣に上るために泊まり掛けでやって来た人も多かった。城下にはそんな人たちのための宿屋もいくつかできていた。

 ササはシンシンとナナと一緒に例年のごとく、見回りをしていた。女子(いなぐ)サムレーたちは屋台で酒や餅を配っている。四番組のシラーは石垣の上からグスクを守っている。五番組のマウシは残念ながらお祭りを見る事はできず、浮島の警護に当たっていた。

 舞台では綺麗なチマチョゴリ(朝鮮の着物)を着た佐敷ヌルとユリの進行で、娘たちの踊りの競演、女子サムレーの模範試合、シラーとウハの少林拳(シャオリンけん)の演武、飛び入りの芸能大会と進んで、女子サムレーたちによるお芝居が始まった。演目は『察度(さとぅ)』だった。

 察度の父、奥間大親(うくまうふや)は畑仕事のあとに森の泉に手足を洗いに来る。泉では若く美しい女が行水(ぎょうずい)をしている。木陰に隠れて女に見とれていた奥間大親は、木の枝に掛かっている羽衣(はごろも)を見つける。奥間大親は羽衣を隠してから泉に行く。女は慌てて泉から出るが羽衣がない。女は天女だと名乗り、羽衣を探してくれという。奥間大親は一緒に探す振りをして、天女を家に連れて帰る。

 天に帰れなくなった天女は奥間大親の妻となって暮らし、子供も二人生まれる。男の子がジャナ、女の子がチルー。ジャナが十歳になった時、妹のチルーが歌う歌を聴いて、天女は羽衣を見つけ出す。子供たちと別れるのは辛いが、天女は意を決して天に帰ってしまう。

 ここまでは博多で見た『羽衣』と同じだったが、その先があった。ジャナは勝連グスクに行って、勝連按司の娘、マナビーを嫁にもらい、チルーはジャナの親友のタチに嫁ぐ。ジャナとタチは兵を集めて浦添(うらしい)グスクを攻め、浦添按司を倒す。浦添按司になったジャナは察度と名を改め、めでたしめでたしでお芝居は終わった。

 天女を演じたのはチニンチルーだった。女子サムレーとしての最後の仕事がこのお芝居だった。チニンチルーは天女の舞を華麗に舞っていた。子供の頃のジャナを演じたのはウニタキの娘のミヨンで、チルーを演じたのはサハチの三女のマシューだった。マシューはミヨンの弾く三弦(サンシェン)に合わせて、見事に歌いきった。八歳のマシューはミヨンと一緒に首里の屋敷に泊まり込んで稽古に励んでいたという。マシューの歌を聴きながら、サハチはマチルギと一緒に聴きたかったと思っていた。マチルギは御内原で頑張っていた。赤ん坊は今日か明日にも産まれるだろう。

 察度が浦添グスクを攻める(いくさ)の場面では、十人の女子サムレーが迫力ある棒術の演武を披露して観客たちを喜ばせた。イーカチが描いた背景の浦添グスクの絵も見事なできばえだった。

 お芝居のあと、笛の競演があって、シンシン、チタ、ウミチル、ササ、ユリ、佐敷ヌルが横笛を披露して、サハチも一節切(ひとよぎり)を披露した。それぞれが皆、前回のお祭りの時よりも腕を上げ、自分らしさを表現していた。

 ウニタキが娘のミヨンと一緒に三弦を弾いて歌を歌い、最後はみんなで踊って、舞台は終わった。ウニタキは朝鮮(チョソン)で手に入れた大きめな三弦を弾いていた。

 舞台から降りたウニタキから、リリーが四日前に女の子を産んだ事を聞いた。

「おめでとう」とサハチが言うとウニタキは苦笑した。

 お祭りは何事も起こらず、無事に終わった。

 次の日、御内原で舞台が再現された。お芝居が終わって、女たちが拍手を送っている時、マチルギが男の子を産んだ。子供が産まれる前、マチルギは宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)(泰期)の夢を見たと言った。若い頃の御隠居が大きな船に乗って大海原を走っていたという。

「御隠居様の生まれ変わりかもしれんな」とサハチが言うと、マチルギは嬉しそうに笑った。

「ちょっと待て。今日は何日だ」とサハチは言った。

「二月十日でございます」と侍女が答えた。

「御隠居様の命日だ」とサハチは言って、マチルギを見た。

「まさしく、御隠居様の生まれ変わりに違いない。御隠居様のように、サグルーを助けてくれるに違いない。でかしたぞ、マチルギ」

 サハチの八男、奥間のサタルーを入れると九男になるが、宇座の御隠居の名をもらってタチ(太刀)と名付けられた。

 一徹平郎(いってつへいろう)と新助を中心に百浦添御殿の正面を飾る唐破風の普請が始まった。(かわら)職人の源五郎は瓦を焼くのに適した土を探しに出掛けて行った。通訳としてイハチが従った。好きになったミツのお陰か、イハチのヤマトゥ言葉は随分と上達していた。

 ウニタキは旅回りをする芸能一座を作ると張り切っていた。首里グスクとビンダキ(弁ヶ岳)の中程辺りに、朝鮮のサダン(旅芸人)たちが暮らしていたような小屋を立てて、そこで稽古を積み、一年後には旅に出られるようにするという。サハチにも暇な時に笛の指導に来てくれと言っていた。

 二月十八日、以前、ファイチ(懐機)の家族が暮らしていた重臣屋敷で、イーカチとチニンチルーの婚礼が行なわれた。イーカチは辺土名大親(ふぃんとぅなうふや)を名乗って王府の絵師となった。イーカチは奥間生まれだが、奥間大親はすでにいる。母親の生まれが辺土名だったので、辺土名大親を名乗る事になった。

 身内だけの婚礼だったが、ウニタキ夫婦を中心に、女子サムレーたちが代わる代わるやって来て賑やかな婚礼となった。ナツも子供たちの面倒を佐敷ヌルとユリに頼んでやって来た。『まるずや』の者たちも、店が閉まると女主人のトゥミが売り子たちを連れてやって来た。『まるずや』では扇子を売っていて、その扇子の絵を描いているのがイーカチだった。

 イーカチの表向きの顔は地図を作っている三星大親(みちぶしうふや)(ウニタキ)の配下で、三星大親と旅をしながら各地の風景を描いているという事になっている。また、『まるずや』が三星党とつながりがある事も、三星党の者たち以外は知らなかった。

 イーカチとチニンチルーはみんなから祝福されて、幸せそうだった。チタがお祝いの笛を吹いて、クニがお祝いの舞を舞った。ウニタキがお祝いの三弦を弾いて、サハチも一節切を吹いた。その日はナツがいたので、サハチも遅くまで飲んでいる事はなく、ナツと一緒に早々と引き上げた。

 イーカチの婚礼から五日が経って、勝連から若按司が病に倒れたとの知らせが届いた。勝連の若按司は十二歳で、勝連の血を引く唯一の跡継ぎだった。もし亡くなってしまったら大変な事になる、と勝連では大騒ぎになっているに違いない。サハチはウニタキと馬天ヌルに勝連に行ってもらい、薬草に詳しい中グスク按司(クマヌ)にも行くように頼んだ。さらに、ファイチに頼んで、久米村(くみむら)にいる医者にも通事を付けて行ってもらった。

 あらゆる看護の甲斐もなく、倒れてから三日後に若按司は亡くなってしまった。今後の対策を考えるため、サハチも勝連に向かった。ササ、シンシン、ナナの三人も付いて来た。

 勝連按司後見役のサムと勝連の重臣たち、そこにサハチとウニタキが加わって今後の事を相談した。

 平安名大親(へんなうふや)は、ウニタキに戻って来てほしいと頼んだが、ウニタキは今は無理だと丁重に断った。平安名大親もその事は覚悟していたのだろう。別の案を出した。

 ウニタキの妹で、武寧(ぶねい)(先代中山王)の長男、カニムイ(金思)に嫁いだ娘がいた。その娘はカニムイとの間に二人の子を産み、長男は殺されたが、長女を連れて勝連に戻って来ていた。今、長女は十四歳になった。その長女とサムの長男を結婚させて、サムが勝連按司になるという案だった。そうすれば、三代後には勝連の血を引く者が勝連按司になると平安名大親は言った。

 サハチたちに文句はないが、勝連の重臣たちの反応が問題だった。勝連とは関係のないサムが按司になる事を許すだろうか。

 サハチは心配したが、反対する者はいなかった。後見役を務めていた四年間、様々な事があっただろうが、サムは重臣たちの心をつかんだようだった。勝連の血は流れていないが、サムはサハチの義兄であり、中グスク按司の娘婿だった。伊波按司(いーふぁあじ)、山田按司、安慶名按司(あぎなーあじ)もサムの兄たちで、勝連の地を守っていくには申し分のない男と言えた。

 重臣たちも勝連ヌルも平安名大親の案に賛成して、サムが勝連按司になる事に決まった。サムが勝連按司になってくれれば、交易の事も頼みやすくなる。今後、勝連にはもっと活躍してもらおうとサハチは思っていた。

 次の日、若按司の葬儀が行なわれた。葬儀が終わった頃、ササが森の中で見つけたと言って、紙切れを見せた。

「シンシンが言うには、道士(どうし)が使う霊符(れいふ)で、呪いの霊符に違いないって言うわ」

 確かに『龍虎山(ロンフーシャン)』で見た霊符に似ていた。奇妙な字が書いてあって、サハチにはまったくわからない。

「お前たち、すぐに帰って、それをヂャン師匠に見せろ」とサハチは言った。

 ササたちはうなづいて帰って行った。

 呪いの霊符がどうして、こんな所にあるのだろう?

 若按司は誰かに呪い殺されたのか‥‥‥

 一体、誰が勝連を呪おうとしているんだ?

 望月党か‥‥‥望月党が復活したのか‥‥‥

 復活したとしたら大変な事になる。サハチはすぐにウニタキに知らせた。





安須森ウタキ



勝連グスク




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