玉依姫
伊勢の神宮参詣から京都に帰ったササたちは、 神様の話では、スサノオの妻は 公家の先生によると、スサノオの両親はイザナミとイザナギで、アマテラスはスサノオの姉だという。豊玉姫は海の神様、オオワタツミの娘で、山の神様の 京都に着いてから一か月があっという間に過ぎて、ササたちは御台所様と一緒に楽しい時を過ごした。 スサノオを祀っている神社を巡って、一緒に祀られている神様を調べたりもした。将軍様と一緒に北野天満宮をお参りして、高橋殿の屋敷に行って、高橋殿の父親の 八月一日、大きな台風がやって来た。前日に気づいたササは兵庫港に早馬を送って、交易船を避難させた。 琉球に毎年のように来る台風に慣れているササたちにとっても、京都の台風は恐ろしく感じられた。御所のようなしっかりとした建物の中にいても、戸の隙間から雨が吹き込んで廊下はびしょ濡れになり、戸が壊れて、瓦が吹き飛んでしまうのではないかと思えるほどの強風が吹き荒れた。 台風が過ぎ去った翌日はいい天気になったが、都はひどい有様になっていた。通りには折れた木の枝があちこちに落ちていて、壊れた塀が倒れていたり、屋根が吹き飛ばされた家もあった。お寺の ササたちは御台所様に別れを告げて、 台風が来た日の五日後、使者たちは九州探題の渋川 ササ、シンシン(杏杏)、シズ、ナナ、ユミー、クルーは女子サムレー十六人と一緒に京都に残った。どうせ女は ササたちは等持寺から『一文字屋』に移って、北野天満宮に避難している人たちを助けていた。 北野天満宮の境内にある避難小屋で、病人の面倒を看ていたら、高橋殿が来て、ササたちを見て驚いた。 「あなたたち、帰らなかったの?」 ササは笑って、「もう少し、いる事にしたのです」と言った。 高橋殿は一緒にいる女子サムレーたちを見て、「『一文字屋』さんのお世話になっているのね?」と聞いた。 ササがうなづくと、 「『一文字屋』さんも大変でしょう。何人、残ったの?」と高橋殿は聞いた。 「女ばかり二十二人です」 「いいわ。みんな、わたしの屋敷にいらっしゃい」 ササは喜んで、高橋殿の好意に甘えた。ただ、御台所様には内緒にしてくれと頼んだ。 「台風のあと、あなたたちが急に帰ってしまって、御台所様はとても寂しがっているわ。でも、御台所様に避難民たちのお世話をさせるわけにはいかないから黙っているわね」 ササたちは高橋殿の屋敷に移って、復興の手伝いを続けた。一か月が過ぎると避難民も少なくなって、都も以前の活気を取り戻していった。 そんな頃、村上水軍のあやがササを訪ねて来た。一文字屋の娘のまりに連れられて、あやは平野神社の避難小屋に来た。具合の悪いお婆さんにお 「会えてよかった」とあやは安心したように笑った。 お婆さんの食事を終えて、ササはあやとの再会を喜んだ。 「あなたに会いたくて、琉球の使者たちの宿舎に押しかけたのよ。そしたら、あなたは京都にいるって言われて、それで、やって来たのよ」 「そうだったの。わざわざ、ごめんなさいね」 「あの台風のあと、ずっと、避難民たちの面倒を見ていたの?」 「そうよ。台風には慣れているからお手伝いをしていたのよ」 ササはあやを連れて帰って、高橋殿に紹介した。高橋殿はあやの噂を聞いていて、会いたいと思っていたと言った。 「でも、噂とは違って、可愛い娘なのね」と笑った。 「どんな噂なんですか」とササが聞いたら、 「村上水軍には恐ろしい女海賊がいて、男どもを 「確かに男どもを顎で使っているわ」とササは笑った。 「高橋殿も恐ろしい人だと噂で聞いておりました」とあやは言った。 「でも、噂とは全然違って、綺麗な人でした。そして、ササが高橋殿のお屋敷にいるなんて驚きました」 「噂なんて、あてにはならないわ。ササたちの事も噂になっているのよ。琉球の あやも高橋殿の屋敷に滞在して、ササたちと一緒に各地にある避難小屋を巡って、身寄りのない年寄りたちの世話をした。 避難民たちもいなくなった九月の二十日、ササたちはぞろぞろと 道ばたに咲く花も琉球とは違って、 木の根道を過ぎて 負けるものかとササが挑戦した。うまい具合に中程まで行った時、シンシンが、「シュリヌスケー!」と叫んだ。集中が途切れて、ササは木の根につまづいて倒れた。 「まったく、もう」とササは目隠しをはずして周りを見ると誰もいなかった。 背の高い男を囲んで、みんなが騒いでいた。ササもみんなの所に駆け寄った。 「 「鞍馬山でみんなと会えるとは思ってもいなかった。琉球の使者たちは帰ったと聞いていたので、対馬まで行くつもりだったのです」 「あなたが来ると思って待っていたのよ」とササは言った。 「そうだったの?」とみんながササを見た。 ササはうなづいた。何かが起こりそうな予感はあったが、それが修理亮の事だとはササも思っていなかった。あやが現れたので、あやの事だったんだわと思っていたのだった。 あやは慈恩禅師との再会を喜んでいた。 「対馬に行く途中で、 一緒に連れて来た若者は ナナに女子サムレーたちの木の根歩きを頼んで、ササとシンシンとシズは修理亮から話を聞いた。 去年の七月、修理亮はササたちと別れて、慈恩禅師を探すために信濃の国(長野県)に向かった。 慈恩禅師に三好日向(ヒューガ)と阿蘇弥太郎(ヤタルー師匠)が琉球にいる事を告げると、「二人とも生きておったか」と喜んだ。そして、若き日の慈恩禅師の師匠だった『 長年、旅を続けて来たので、一カ所に長く留まるのは苦手で、そろそろ旅に出たいと思っていたという。それでも、お寺の住持になった今、気軽に旅には出られない。一年間、準備をして、お寺の事は弟子に任せて、修理亮と一緒に対馬を目指して旅に出たのだった。修理亮は一年間、慈恩禅師の弟子となって、武術道場で修行に励んでいた。 二階堂右馬助は鎌倉御所(足利満兼)に仕える役人の子として鎌倉に生まれた。祖父は南北朝の ササたちは慈恩禅師たちを高橋殿の屋敷に連れて帰った。高橋殿は大歓迎して慈恩禅師を迎えて、さっそく慈恩禅師の弟子の中条兵庫助に使いの者を送った。 その夜は慈恩禅師の歓迎の 慈恩禅師が高橋殿の屋敷に滞在している事が噂になって、様々な人たちが慈恩禅師に会いに来た。皆、かつて慈恩禅師にお世話になった人たちだった。旅の途中で慈恩禅師と出会い、何らかの教えを受けて、今は京都に住んでいる人たちで、僧侶もいれば武士もいて、商人や職人、様々な人たちがいた。高橋殿としても慈恩禅師のお客様を断るわけにもいかず、侍女たちに命じて、丁重にもてなしていた。勿論、ササたちも手伝って、慌ただしい日々が続いた。 十月一日、ササたちは京都を発ち、あやの船に乗って博多を目指した。 博多に着いたのは十月の半ばで、使者たちを乗せた交易船は九月の初めに朝鮮に向かったという。 ササたちは『一文字屋』のお世話になって、博多に着いた翌日、豊玉姫のお墓に向かった。各地を旅して回った慈恩禅師は、昔にあったという『イトの国』の事を知っていて、イトの国に豊玉姫のお墓と伝わっている古墳がある事も知っていた。 イトの国は博多の近くだった。博多の辺りは『ナの国』と呼ばれて、その西に『イトの国』があり、さらに西に『マツラの国』があったという。のんびり歩いても 慈恩禅師の案内で、ササ、シンシン、シズ、ナナの四人が来ていた。女子サムレーたちとユミーとクルーは修理亮、右馬助と一緒に博多見物を楽しんでいた。あやは、また来年に会いましょうと言って上関に帰って行った。 豊玉姫のお墓は草茫々の荒れ地の中にあった。こんもりとした小さな山があるが、お墓だと言われなければ誰も気づかないだろう。慈恩禅師が知っていて、本当によかったとササは感謝した。 お墓の前に座って、お祈りを捧げると神様の声が聞こえて来た。 「南の島からやって来たのね?」と神様は言った。 「わたしも若い頃に母と一緒に南の島に行ったのよ。綺麗な島だったわ。大きな岩のあるウタキ(御嶽)で儀式を行なって、一人前のヌルになったのよ」 「あなたは玉依姫様ですね?」とササは聞いた。 「そうよ。その名前で呼ばれるのは久し振りだわ」 玉依姫がセーファウタキ(斎場御嶽)まで行ったなんて驚きだった。 「あなたのお母さんは南の島の玉グスクという所のヌルだったのですね?」 「そうよ。 「やはり、そうだったのですね」とササは納得して、豊玉姫の事を玉依姫から聞いた。 「父はタカラガイを求めて、南の島に行ったわ。そして、母と出会ったのよ。その頃の父はカヤの国(朝鮮)と交易をするために対馬にいたの。南の島で手に入れたタカラガイとカヤの国の鉄との交易がうまくいって、二度目に南の島に行った時、母と弟の豊玉彦を連れて帰って来たの。父は叔父の豊玉彦に交易の事を任せたわ。そして、対馬を離れて 「豊の国の事は聞いていましたけど、豊玉姫様の名前から取ったのですか」 「そうよ、母は豊の国の女王様になったのよ。わたしは対馬で生まれて、豊の国で娘時代を過ごしたの。弟のミケヒコと妹のアマン姫はそこで生まれたわ。豊の国は瀬戸内海に面していて、父が拠点をそこに置いたのは、瀬戸内海沿岸の国々を平定するためだったの。父はわたしたちを豊の国に置いて、お船に乗って出掛けて行ったわ。わたしは十二歳になった時から母についてヌルになるための修行を始めたのよ。十五歳の冬に南の島に行って、一人前のヌルになって帰って来たの。わたしたちが南の島から帰って来た翌年、父がスサの国から、母親違いの兄たちを連れて、豊の国に帰って来たの」 「スサの国ってどこなんですか」 「スサの国は父が最初に造った国よ。のちに 「ツクシの島ってどこなんですか」 「あら、ごめんなさい。今は九州って呼んでいるんだったわね。ここ九州の地を平定するために、わたしたちは旅に出たのよ。あの頃、九州には小さな国がいくつもあって争っていたの。父は鉄と木の力で、それらの国々を平定して、ヤマトという大きな国を造っていったのよ」 「鉄の力はわかりますけど、木の力って何ですか」 「父はカヤの国や漢の国から 「二人のお父さんは誰なんですか」 玉依姫は笑って、「マレビト神よ」と言った。 ササも笑って、それで納得した。 「わたしは赤ん坊を抱きながら、母と一緒に各国の 「えっ!」とササは驚いた。 「あなたの妹さんが、あたしの御先祖様なのですか」 「そうよ。噂では妹は神様として祀られたと聞いているわ」 「妹さんの名前はアマン姫と言いましたね?」 「あの頃、南の島は皆、アマン(奄美)と呼ばれていたの。それで母はアマン姫と名付けたの。ヤマトから来たので、ヤマト風にアマンのミコと呼ばれていたらしいわよ」 「アマンノミコ‥‥‥アマンヌミク‥‥‥アマミク」 琉球の神話の中の神様、アマミキヨはアマミクとも呼ばれていた。玉依姫の妹に違いなかった。そして、その妹があたしの御先祖様という事は、その父親のスサノオが御先祖様という事になる。佐敷ヌルから聞いた 「スサノオと豊玉姫はあなたたちの御先祖様なのよ」と玉依姫ははっきりと言って、話を続けた。 「父は休む間もなく、兄たちを連れて、四国を平定して、 「豊玉姫様はどうして、ここで亡くなったのですか。 「ここは父の故郷なのよ。母はここにいて、『ナの国』に睨みを利かせていたの。ナの国の王様は弟を倒して、ヤマトの国の大王様になろうとたくらんでいたのよ」 「スサノオ様はイトの国の王様だったのですか」 「それは違うわ。祖父はイトの国の王様だったけど、父はイトの国を出て、東に行ってスサの国の王様になるのよ。そして、各国を平定して、ヤマトの国の大王様になったの。父は各国の王様の上に立つ、偉大なる大王様だったのよ。イトの国もナの国もヤマトの国に含まれているのよ」 「偉大なる大王様のあとを継いだのは誰なのですか」 「出雲の兄のサルヒコよ。 玉依姫は急に黙り込んだ。 「豊玉姫様は今、南の島にいると思いますか」とササは玉依姫に聞いた。 「多分、いると思うわ。わたしも母と妹に会いに行こうかしら」 「行けるのですか」 「あなたが付けている 「えっ!」とササは驚いた。 この赤いガーラダマ(勾玉)が、玉依姫の物だったなんて信じられない事だった。しかし、それですべてがわかったような気がした。 ササがスサノオという神様を知ったのは二年前に初めて対馬に行った時だった。旅から帰って来て、母の馬天ヌルと一緒に 今、思えば、曽祖父のヤグルー ササは玉依姫にお礼を言って別れた。 翌日、ササは女子サムレーたちを連れて、またやって来て、豊玉姫のお墓の周りを綺麗にした。 「ありがとう」とお礼を言った玉依姫の声はササだけでなく、シンシン、シズ、ナナもはっきりと聞いていた。 |
鞍馬山
豊玉姫の墓