沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







伊平屋島のグスク




 サグルー(島添大里若按司)たちが奥間(うくま)木地屋(きじやー)の案内で、辺戸岬(ふぃるみさき)の近くにある宜名真(ぎなま)という小さなウミンチュ(漁師)の(しま)に着いたのは、島添大里(しましいうふざとぅ)を出てから四日目の事だった。

 三日目の夜は奥間に泊まって、サグルーとジルムイ(島添大里之子)は腹違いの兄、サタルーと会っていた。

 サグルーはヂャンサンフォン(張三豊)と一緒に旅をした時、サタルーと会っていて、四年振りの再会だった。

 ジルムイはサグルーから話を聞いていて、会うのを楽しみにしていた。将来、奥間の長老になる人だと母は言っていた。父と母が一緒になる前、父が奥間に行った時、一夜妻(いちやづま)との間にできた子で、母親はすでにいないという。一体、どんな奴だろうと期待と不安を併せ持った気持ちのジルムイだったが、サタルーの笑顔を見た途端、素直に兄だと認めていた。武芸の腕もかなりあり、尊敬すべき兄だと感じていた。

 サタルーは弟のサグルーとジルムイを歓迎してくれた。一緒に行った男たちは皆、一夜妻を与えられて、奥間の夜を楽しんだ。勿論、サグルーもジルムイもマウシ(山田之子)も、かみさんには絶対に内緒だぞと言い合いながら、可愛い一夜妻を抱いていた。イヒャカミーとファーの二人はサタルーの妻、リイの歓迎を受けて、村の女たちと一緒にユンタク(おしゃべり)して楽しい夜を過ごした。

 宜名真に着いた日も次の日も、風が強く波も高かったので船出は見合わせた。六日目にウミンチュから借りた小舟(さぶに)二艘に乗って、伊平屋島(いひゃじま)のウミンチュの指示に従って、伊平屋島を目指した。

 北東の風を横に受けて、小舟は順調に走ったが、途中で波が荒くなって何度も冷たい波をかぶり、行き先を修正するために必死になって漕いだりして、くたくたになって着いた所は伊是名島(いぢぃなじま)だった。

 イサマに連れられて、ナビーお婆の孫の仲田大主(なかだうふぬし)とナビーお婆の娘の仲田ヌルと会った。仲田ヌルは、今、明国(みんこく)に行っている伊是名親方(いぢぃなうやかた)の姉だった。二人とも伊平屋島での出来事は知っていて、イサマが戻って来た事に驚いた。

中山王(ちゅうさんおう)(思紹)が伊平屋島も伊是名島も守ってくれます」とイサマは言って、父親を救い出すために帰って来たと二人に告げた。

 イサマがサグルーとジルムイをサミガー大主の曽孫(ひまご)だと紹介すると仲田大主は驚いて、慌てて頭を下げた。

「生前に祖母からサハチさんの事は聞いています。サハチさんの息子さんたちですか」と仲田大主は聞いた。

 サグルーとジルムイはうなづいた。二人とも、サミガー大主の妹のナビーお婆が伊是名島で鮫皮(さみがー)作りを始めたという話は聞いているが、詳しい事は知らなかった。

「そうでしたか。中山王は大切なお孫さんを送り込んでくれたのですね。伊是名島も祖母が鮫皮作りを再開してくれたお陰で、島は豊かになりました。島の者たちも決して、その恩を忘れているわけではありません。山北王(さんほくおう)(攀安知)のために鮫皮を作っているんじゃないと言って、島を出ようとした者もいました。しかし、島を守るために引き留めました。今は我慢するしかないと言って‥‥‥どうか、山北王から伊是名島と伊平屋島を守って下さい」

 サグルーは力強くうなづいてから、山北王の兵の事を聞くと、伊是名島にはいないという。

 サグルーたちは次の日、苦労して伊平屋島に渡った。近くの島なのに、風に逆らって、大波に揺られ、何度も波をかぶって、ようやく伊平屋島の南端の砂浜に上陸した。

 山北王の兵に見つかると危険なので、山の中に入った。焚き火をして着物を乾かし、体を温めてから、一時(いっとき)(約二時間)近く、道のない山の中を歩くと山頂に出た。驚いた事に山頂は石垣で囲まれていた。

「百年ほど前、今帰仁(なきじん)の兵が伊平屋島に攻めて来ました。その時、ここにグスクを築いて、敵を追い返したと伝えられています」とイサマは説明した。

「百年前、今帰仁按司はどうして伊平屋島を攻めたのですか」とジルムイがイサマに聞いた。

「今帰仁按司の家来(けらい)だった本部大主(むとぅぶうふぬし)という者が裏切って、按司を殺して、自ら今帰仁按司になったのです。その頃は伊平屋島にも按司がいて、先代の今帰仁按司の一族だったのです。伊平屋按司は本部大主の兵と戦って勝ち、伊平屋島を守り通します。このグスクは伊平屋按司の重臣だった我喜屋大主(がんじゃうふぬし)が造ったものです。我喜屋大主が造ったグスクはもう一つあって、あの山の上にもあります」

 そう言って、イサマは小さな平野を挟んで向こう側に見える山を指さした。

「今は我喜屋(がんじゃ)(しま)はあの山の(ふもと)にありますが、以前はこの山の麓にあったのです。台風にやられて、向こう側に移ったようです。そして、さらに(にし)の方の田名(だな)の山の上に、伊平屋按司が築いたグスクがあります」

 サグルーたちは山を北側に下りて、我喜屋村の後ろにある山の中に隠れた。女の方が怪しまれないだろうと思い、女子(いなぐ)サムレーのイヒャカミーと三星党(みちぶしとー)のファーを偵察に出した。伊平屋島生まれの二人は我喜屋大主の屋敷も、田名大主が閉じ込められた物置小屋がある役所の位置も知っていた。

 しばらくして帰って来た二人は、我喜屋大主の屋敷には敵兵はいないが、役所には四人の敵兵がいた。他にはどこにも見当たらないので、今帰仁に帰ったのだろうと言った。

 暗くなるのを待って、サグルー、ジルムイ、マウシの三人がイサマと一緒に我喜屋大主の屋敷に行った。

 我喜屋大主はイサマの出現に驚き、さらに、中山王の孫たちが一緒にいる事に言葉が出ないほどに驚いた。

 イサマが父親の田名大主の様子を聞くと、ちゃんと食事も取っているので大丈夫だと我喜屋大主は言った。

 山北王の兵の事を聞くと、田名にある田名大主の屋敷に二十人いるという。交替で四人が我喜屋にやって来て、田名大主が閉じ込められている物置小屋を見張っているらしい。

「二十人か‥‥‥」とサグルーはつぶやいた。思っていたよりも敵は多かった。

 我喜屋大主と作戦を練って、翌日の晩、田名大主を救出する事に決まった。その夜は我喜屋村のはずれにある空き家で夜を明かした。ウミンチュのヤシーの知り合いの家で、住んでいた家族は田名に移って行ったという。

 我喜屋大主が用意してくれた握り飯を食べながら、「二十人を倒すのか」とマウシがサグルーに聞いた。

「場合によってはな」とサグルーは答えた。

「二十人は厳しいな」とジルムイは言った。

「何も一遍に倒さなくてもいい。奇襲して、少しづつ倒して行くんだ」

「奇襲を掛ける前に、拠点になる場所を決めなくてはな」とマウシが言った。

「明日、探そうぜ」

 サムレーのムジルとバサー、女子サムレーのイヒャカミー、三星党のヤールーとファーは皆、キラマ(慶良間)の島の修行者だった。

 一番の先輩はムジルで、十五歳の時にキラマの島に渡って、十年間、修行を積んで、首里(すい)八番組の副大将を務めている。今回、新たに作る伊平屋島と伊是名島の守備兵の大将に選ばれていた。八番組にいるジルムイの上役でもあった。

 バサーは十四歳の時にキラマの島に渡って、四年間の修行ののち、首里の九番組のサムレーになった。今回、ムジルの配下になる事が決まって、ムジルと一緒に先発隊として現地に入ったのだった。

 イヒャカミーは十三歳の時にキラマの島に渡って、五年間の修行ののち、島添大里の女子サムレーになり、四年後、首里の女子サムレーになった。マチルギと一緒にヤマトゥ(日本)にも行っていた。

 ヤールーは十三歳の時にキラマの島に渡って、八年間の修行ののち、三星党に入り、サグルーの護衛を務めている。

 ファーは十二歳の時にキラマの島に渡って、五年間の修行ののち、三星党に入り、首里の『まるずや』の売り子をしながら各地の情報を集めていた。

 五人は懐かしそうにキラマの島での思い出話を話しながら笑っていた。

 イサマは、山北王のサムレーたちは勝手にわしの屋敷に上がり込みやがってと文句を言いながら、ウミンチュの二人と酒を飲んでいた。

 翌日はいい天気だった。我喜屋村の裏山に登った。山頂には石垣が残っていた。ちょっと手直しすれば、グスクとして使えそうだった。眺めもよく、伊江島(いーじま)のタッチュー(城山)もよく見えた。ここで見張っていれば、敵の船が近づいて来るのもわかるだろう。

 ムジルはバサーを連れて、石垣の様子を丹念に調べて、「ここをわしらのグスクにしよう」と言った。

 山の中を通って田名に行き、田名グスクに登ってみた。田名グスクにも石垣は残っていたが、やはり、場所的には我喜屋の方がよかった。頂上から田名の集落を見下ろしながら、ムジルとバサーとファーは親の住む家を見ていた。田名大主を救い出すまでは、顔を出す事はできない。帰って来た事がわかれば、親たちは山北王の兵に捕まってしまうだろう。

 イサマがサグルーたちに鮫皮を作っている作業場を教えてくれた。作業場は海辺の近くにあった。

対馬(つしま)から早田(そうだ)殿が鮫皮を求めて、伊平屋島にやって来たのは、もう七十年も前の事になります」とイサマは言った。

「曽祖父のヤグルー大主は我喜屋から田名に移って鮫皮作りを始めます。その頃はもう伊平屋按司は一族を連れて今帰仁に移っていて、田名には空き家がいくつもあったようです。その空き家を作業場にして鮫皮作りを始めたのです。大伯父のサミガー大主が馬天浜(ばてぃん)で鮫皮作りを始めて、大伯母のナビーお婆が伊是名島で鮫皮作りを始めて、祖父がヤグルー大主の跡を継いで、ここで鮫皮を作り続けます。伊平屋島と伊是名島は鮫皮作りのお陰で裕福な島になりました」

「田名大主の屋敷はどこですか」とサグルーがイサマに聞いた。

「この山の麓です。ここからは見えません」

「そこに敵兵がいるんだな」とマウシが言った。

「蔵の中には早田殿との交易で蓄えたヤマトゥの品々がしまってあります。皆、奴らに奪われたに違いありません」

 そう言ってイサマは悔しそうな顔をして、遠くを眺めた。

「必ず、取り戻しますよ」とサグルーは言った。

 サグルーたちは田名グスクから下りて、我喜屋村の空き家に戻った。

 日が暮れるのを待って、イサマと二人のウミンチュを残して、サグルーたちは田名大主が閉じ込められている物置小屋に行った。見張りの兵は誰もいなかった。我喜屋大主が兵たちに酒と料理でもてなすと言ったので、見張りも置かずに酒を飲んでいるようだ。サグルーたちは簡単に田名大主を救い出して空き家に戻った。

 山北王の兵は皆、田名にいるので夜が明けるまでは安全だろう。それでも交替で見張りをしながら夜が明けるのを待って、夜が明けるとすぐに山の中に入って、小舟の所に戻った。イサマと田名大主をウミンチュのヤシーに頼んで浮島(那覇)に送った。来る時は苦労したが、帰りは北風を受けて南下するので簡単だった。

 一仕事が終わったとサグルーたちが空き家に戻ると我喜屋は大騒ぎになっていた。田名大主が逃げた事を知った山北王の兵たちが、我喜屋大主の家族を全員捕まえて、無理やり島から追い出してしまったという。

 ヤールーが調べた所によると我喜屋大主と妻、長男とその妻と子供が三人、次男とその妻と子供が二人、長女の我喜屋若ヌルと十五歳の三女、妻の妹の我喜屋ヌルの十四人が島から追い出されていた。山北王の兵たちは田名大主の屋敷から我喜屋大主の屋敷に移って、酒を飲んで騒いでいるという。

「最初からこれが目的だったのかもしれんぞ」とサグルーが言った。

「我喜屋大主たちを追い出すのが目的だったのか」とマウシがサグルーに聞いた。

「そうさ。見張りが一人もいないのでおかしいと思ったんだ。我喜屋大主は山北王の役人を務めているから理由もなく追い出す事はできない。田名大主を逃がした罪で捕まえて、今帰仁に連れて行って罰を受けるか、島から出て行くかを選ばせたのだろう。中山王の親戚を全員追い出して、この島を完全に支配するつもりに違いない」

「それで、これから俺たちはどうするんだ?」とマウシが聞いた。

「山北王の兵を片付けるのさ」とサグルーが言うと、ムジルがうなづいて、皆、緊張した顔付きになった。

 三星党のヤールーとファーが偵察に出掛けた。しばらくして、ファーが戻って来て、敵兵五人が今帰仁に帰って行ったと知らせた。

「我喜屋大主を追い出した事を知らせに行ったのだろう」とジルムイが言った。

「知らせるだけではない。敵兵を呼びに行ったのだろう。邪魔者がいなくなったから、兵を入れて、中山王の交易船を待ち構えるに違いない」とムジルが言った。

「敵兵が来る前に十五人は片付けた方がいいな」とマウシは言った。

「奴らは今夜も酒を飲むだろう。今夜、決行するぞ」とサグルーは言った。

「飛び道具が欲しいですね」とバサーが言った。

「田名大主の屋敷にあるかもしれない」とジルムイが言った。

 我喜屋から田名までは一里ほどの距離なのだが山の中を通って行くと時間が掛かった。

「弓矢が欲しいが、石つぶてで我慢しよう」とムジルが言って、皆もうなづいた。

 イヒャカミーが実家に帰って、用意してもらった雑炊(じゅーしー)を食べているとファーが戻って来て、五人の兵が山に登って行ったと知らせた。

「敵もグスクを調べに行ったに違いない。グスクを再建して、ここに按司を置くつもりなのかもしれない」とムジルが言った。

 ウミンチュのカマチを空き家に残して、サグルー、マウシ、ジルムイ、ムジル、バサー、イヒャカミーの六人は山に入って敵兵を追った。

 五人の敵兵は山頂から海を眺めながら笑っていた。石垣に隠れて五人を見ていたサグルーたちは一斉に飛び出して、五人の敵兵に掛かって行った。油断していた敵兵はあっけないほど簡単に、棒で急所を突かれて倒れた。誰かが危なかったら助けようと待ち構えていたムジルの出番はなかった。

 倒れた五人から武器を奪い取って、とどめを刺し、死体は崖下に放り投げた。刀が五本と弓矢が二つ、手に入った。

 空き家に戻って休んでいると、敵兵二人が山に入ったとファーが知らせた。五人が戻って来ないので様子を見に行ったのだろうと、サグルー、マウシ、ジルムイの三人が山に入った。

 しばらくしてサグルーたちは刀を二本持って戻って来た。

「敵は八人になった」とサグルーが言った。

「人数は減ったが、山に入った奴らが戻って来ない事を知ったら警戒するぞ」とムジルは言った。

「守りを固められたらやりづらくなるな」とサグルーは言って、「今のうちに片付けるか」と皆の顔を見た。

 皆はうなづき、敵から奪った刀を腰に差して、棒を持ち、弓矢はバサーとイヒャカミーが持った。

 ファーが料理を持って来た振りをして、我喜屋大主の屋敷に入って、縁側から山北王の兵たちに声を掛けた。昼間から酒を飲んでいた兵たちはファーを見ると、ニヤニヤしながら、「上がって来い」と言った。

 兵の一人が立ち上がってファーを迎えに行こうとしたが、胸に弓矢が刺さって倒れた。

 兵たちは突然の事に何が起こったのかわからない。サグルーたちは一斉に屋敷に飛び込んで、兵たちを片付けた。隊長らしい男が刀を抜いて刃向かって来たが、他の者たちは刀を抜く間もなく殺された。隊長はマウシによって斬られた。

 サグルーたちが兵たちのとどめを刺していると、今まで自宅に隠れていた村人(しまんちゅ)たちがぞろぞろと庭に入って来た。我喜屋大主の娘婿のタラジという若者が、「義父(ちち)からあなたたちの事は聞きました」と言った。

「邪魔にならないように、村人たちには出歩かないようにと伝えました」

「そうだったのか」とサグルーはタラジにお礼を言った。

 兵たちの死体を風葬地(ふうそうち)に運んで、屋敷を綺麗に掃除をして、サグルーたちは我喜屋大主の屋敷に滞在する事にした。

 翌日、田名大主の屋敷に行ってみると、屋敷の中は綺麗に片付いていた。山北王の兵たちが出て行ったあと、村人たちが掃除をしたらしい。蔵は錠前が掛けられてあった。隊長が持っていた鍵を使って開けると、蔵の中は荒らしてはいないようだった。隊長の権限では蔵の中の物を勝手に持ち出す事はできなかったのだろう。よかったと安心して、元のように錠前を掛けた。

 我喜屋に戻って、村人たちと一緒に山の山頂に見張り小屋を建てた。そろそろ、味方の第二陣がやって来る頃だった。

 翌日、第二陣の十人がやって来た。サグルーたちと同じようにヤンバルまで陸路で行き、宜名真から小舟に乗って渡って来た。うまい具合に真っ直ぐ伊平屋島まで来られたという。山北王の領地を通って来たため庶民の格好をしていたが、刀は隠して持って来ていた。十人はムジルの配下となって、ムジルと一緒に山の上のグスク造りを始めた。

 その次の日の十二月四日、第三陣の十人がやって来て、六日に十人、七日に十人、十一日に十人、十二日に十人が来て、サグルーたちを入れて七十八人になった時、山北王の兵を乗せた船がやって来た。

 敵兵は五十人乗っていた。湧川大主(わくがーうふぬし)も来るはずだったが、ヤマトゥからの船が早々とやって来たので、来られなくなった。代わりに大将としてやって来たのは奄美按司(あまみあじ)だった。奄美大島の汚名を挽回して、中山王の交易船を奪い取って凱旋(がいせん)しようと張り切っていた。

 将軍様(足利義持)が琉球と取り引きを始め、旧港(ジゥガン)(パレンバン)からの船も若狭にやって来た。京都に直接、明国の陶器や南蛮の商品が入って来たため、その需要が高まって値が上がった。京都に商品を持って行って一儲けしようと倭寇(わこう)たちが北風が吹くのを待ってやって来たのだった。今帰仁の港の親泊(うやどぅまい)(今泊)だけでなく、浮島にも早々と倭寇たちがやって来て、若狭町(わかさまち)の者たちや首里(すい)の役人たちも大忙しになっていた。

 伊平屋島の周りはずっと珊瑚礁に囲まれていて、大型の船は近づく事ができず、沖に泊まって、小舟に乗って上陸するしかなかった。島人(しまんちゅ)たちが小舟で迎えに行って、山北王の兵たちを島に連れて来た。

 五十人の兵は我喜屋大主の屋敷に二十人、我喜屋ヌルの屋敷に二十人、我喜屋大主の次男、アタの屋敷に十人が入って、島人たちの歓迎を受け、酒と料理で持て成された。

 我喜屋大主の屋敷に入った大将の奄美按司が、先発隊の奴らはどうしたと島人に聞いた。田名大主の屋敷にいると島人は答えた。呼んで来いと奄美按司は命じた。

 日が暮れる頃、長い間、船に揺られた疲れと酒の酔いで、ほとんどの者たちが居眠りを始めた。三軒の屋敷は同時に、中山王の兵たちの攻撃を受けた。

 刃向かって来た者は殺され、眠っていた者は棒で急所を突かれて気絶させられた。五十人のうち、十四人が殺され、三十六人は武器を取り上げられて縛られた。味方の戦死者はなく、数人の負傷者は出たが重傷の者はいなかった。

 奄美按司も捕まって、敵の作戦を聞く事ができた。山北王は百五十人の兵を伊平屋島に送り込んで、ヤマトゥから帰って来る中山王の交易船を待つ。何も知らずにやって来た船をいつものように歓迎して迎え、使者たちを島に連れて来て捕まえ、使者たちを人質にして船を奪い取ると言った。

 ムジルは兵を引き連れて敵の船に行き、十数人の船乗りたちを捕まえて縛った。帆を上げるための綱をすべて切り、(かじ)をつないでいる綱も切って使えないようにして、船を漕ぐ(かい)も海に投げ捨てた。捕虜となった敵兵三十六人を連れて来て、甲板(かんぱん)下の船倉(ふなぐら)に閉じ込めた。奄美按司も兵たちと一緒に閉じ込められた。

 翌日、中山王の十人がやって来て、その翌日、山北王の兵五十人がやって来た。前回と同じように迎え入れ、先発隊はどこに行ったと聞かれると山の上のグスクを直していると説明し、日暮れ頃に襲撃して、捕まえた兵は最初の船の船倉に押し込め、船乗りたちは乗って来た船の船倉に押し込めた。

 次の日、最後の十人がやって来た。その中にはサハチ(中山王世子、島添大里按司)とウニタキ(三星大親)がいた。サグルーとジルムイが驚くと、母さんが心配して、行ってこいと言われたという。

「お前たちのお陰で、奥間の孫たちに会えたぞ。ただ、小舟は辛かった。この通り、びっしょりだ」とサハチは笑った。

 サハチとウニタキが来た翌日、山北王の兵、最後の五十人がやって来た。前回と同じように始末した。

 サグルーたちが伊平屋島に来てから二十日が経って、ムジルは配下の兵たちを指揮して、グスク造りに励んでいた。サハチとウニタキが山に登った時は、兵たちが石垣を積み直していて、石垣に囲まれた山頂には小屋が三つ立っていた。

「この島にグスクがあったなんて驚いたな」とサハチが言うと、ムジルがイサマから聞いた百年前の(いくさ)の話を聞かせた。

「百年前と言うと、サミガー大主の親父が南部から逃げて来た頃の話だな」

「ヤグルー大主様がこの島に来たのは、戦があってから二十年くらいあとだったと言っていました」

「そうか。この島で戦があったのか」

 そう言ってサハチは海を眺めた。伊是名島が見え、その先に伊江島のタッチューと今帰仁のある本部半島が見えた。

 ヤマトゥからの交易船が帰って来たのは、それから八日後の事だった。知らせを受けて、山の上に登ったサハチは、帆に北風を受けて気持ちよさそうに走っている交易船を見ながら、伊平屋島が山北王に奪われなくて本当によかったと実感していた。





宜名真



伊是名島



伊平屋島




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