沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







豊玉姫




 我喜屋大主(がんじゃうふぬし)田名大主(だなうふぬし)はいなかったが、山北王(さんほくおう)(攀安知)の兵もいなくなって、島人(しまんちゅ)たちは大喜びして、小舟(さぶに)に乗って、ヤマトゥ(日本)から帰って来た交易船を迎えに行った。

 交易船に乗っていた者たちが小舟に乗って次々に上陸して、出迎えの人たちの中にサハチ(中山王世子、島添大里按司)とウニタキ(三星大親)、サグルー(島添大里若按司)、ジルムイ(島添大里之子)、マウシ(山田之子)たちがいるのに驚いた。

按司様(あじぬめー)!」と叫んで、ササたちがやって来た。ササ、シンシン(杏杏)、ナナ、シズの四人は女子(いなぐ)サムレーの格好で、みんな輝いて見えた。

「お帰り」とサハチが手を上げると、

「やっと、見つかったのよ」とササは嬉しそうに言った。

「どうして、ここにいるんですか」と聞いたのはナナだった。

 シズはウニタキと一緒にいるファーを見つけて、再会を喜んでいた。

 サハチがここに来た経緯を説明しようとしたら、修理亮(しゅりのすけ)の姿が目に入った。一緒にいる僧侶は慈恩禅師(じおんぜんじ)に違いなかった。

「ササ、慈恩禅師殿が来たのか」とサハチが聞くと、

「そうなのよ。修理亮が京都まで連れて来たのよ」とササは言って振り返った。

 女子サムレーたちがぞろぞろとやって来て、イヒャカミーがいるのを見て驚き、キャーキャー言いながら再会を喜んでいた。

 我喜屋大主の屋敷で、サハチたちは旅の話を聞いて、伊平屋島(いひゃじま)で起こった事をみんなに話した。歓迎の(うたげ)が開かれ、島人たちはヤマトゥの酒と山盛りの料理で持て成してくれた。島の娘たちは着飾って、歌と踊りを披露してくれた。

 サハチは総責任者だったマサンルー(佐敷大親)に御苦労様とねぎらって、使者を務めたジクー(慈空)禅師と本部大親(むとぅぶうふや)にお礼を言い、クルシ(黒瀬大親)にカンスケ、通事のチョル、サムレー大将の久高親方(くだかうやかた)、女子サムレーの隊長のトゥラとみんなにお礼を言って、慈恩禅師に挨拶をした。

「ヒューガ殿の弟子のサハチと申します」

「話は修理亮から聞いております。以前、松浦党(まつらとう)の者から琉球の話は聞いておりました。一度、行ってみたいと思っていたのです。わしの弟子が二人も琉球にいたと聞いて驚きました。縁があるのでしょうなあ。わしも修理亮に連れられてやって参りました。お世話になりますよ」

「いえ、お世話になるのはこちらです。わたしどもに『念流(ねんりゅう)』の指導をお願いいたします」

 サハチは修理亮を見て、約束を守ってくれたお礼を言った。

 修理亮は一緒にいる二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)を紹介した。

「生意気な奴ですが、才能はあります。按司様も鍛えてやって下さい」と修理亮が言うと、

「成り行きで琉球まで来てしまいました。よろしくお願いします」と右馬助は頭を下げた。

「歓迎しますよ」とサハチは笑った。

 右馬助はサグルーと同じ位の年頃で、サグルーのよき競争相手になるような気がした。

 慈恩禅師はサハチが思い描いていた通りの人だった。武芸者としても禅僧としても、尊敬できる人だった。どことなく、ヂャンサンフォン(張三豊)と雰囲気が似ていて、二人は意気投合するに違いないと思った。

 次の日、交易船は浮島(那覇)に向かった。サハチたちは山北王から奪った船に乗って浮島に向かった。船乗りたちは山北王に雇われた者たちで、浮島に着いたら開放するつもりだった。捕虜となった山北王の兵たちは帆も舵もはずされた船に閉じ込められたまま、もう一隻の船に曳かれて親泊(うやどぅまい)に向かった。

 ムジルは九十人の兵と一緒に伊平屋島に残った。山の上のグスクを改築して、伊平屋島と伊是名島(いぢぃなじま)を守らなければならない。夏になったら山北王が攻めて来るに違いない。二つの島はどうしても守らなければならなかった。

 浮島に帰るとヤマトゥから来た船が、すでに何隻も泊まっていた。

「例年以上に忙しくなりそうだな」とサハチはウニタキに言って、来年も明国(みんこく)に三回行って、ヤマトゥと朝鮮(チョソン)にも行かなければならないと思った。

 首里(すい)会同館(かいどうかん)で帰国祝いの宴が開かれ、思紹(ししょう)(中山王)もマチルギも馬天(ばてぃん)ヌルも参加した。ヂャンサンフォンとヒューガ、ンマムイ(兼グスク按司)とヤタルー師匠も参加して、ヒューガとヤタルー師匠は慈恩禅師との再会を心から喜んでいた。

 慈恩禅師はヂャンサンフォンを「大師匠(おおししょう)」と呼んで、指導をお願いしていた。慈恩禅師ほどの人がまだ修行を積むというのかと、ヒューガもサタルー師匠も驚いていた。

「修行に終わりはありません。上には上がいるものです」と慈恩禅師は笑った。

 ヒューガ(三好日向)は慈恩禅師の一番弟子だった。二人が出会った時、ヒューガが十九歳、慈恩禅師が二十四歳だった。旅をしながら武芸の修行に励んだ。二年余りの月日を共に過ごして、ヒューガは故郷の阿波(あわ)の国(徳島県)に帰り、慈恩禅師は旅を続けた。ヒューガと別れてから二年後、慈恩禅師は中条兵庫助(ちゅうじょうひょうごのすけ)を弟子にして共に旅をした。三番目の弟子がヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)で、ヒューガとは三十五年振り、ヤタルー師匠とは二十九年振りの再会だった。三人は若かった頃を懐かしそうに語り合っていた。

 サハチはマサンルーとジクー禅師、クルシから旅の様子を詳しく聞いた。勘解由小路殿(かでのこうじどの)(斯波道将)が亡くなった事に驚き、京都での行列は大した評判にはならなかったと聞いて、がっかりした。京都に着いた途端、ササたちは将軍様(足利義持)の奥方様(日野栄子)に呼ばれて、ずっと御所に滞在していて、伊勢の神宮参詣にも将軍様と一緒に行って来たと聞いて驚いた。

「ササは将軍様の奥方様に気に入られたらしい。ササがいれば、ヤマトゥとの交易はこの先もうまく行くだろう」とマサンルーは言った。

 サハチはうなづいたが、気まぐれなササの事が気になった。この先、毎年、ヤマトゥに行くとは限らない。今はスサノオの神様の事で頭がいっぱいで、スサノオの神様に会うためにヤマトゥに行っているが、その問題が解決したら、ヤマトゥ旅に興味を示さなくなるかもしれなかった。かと言って、ササの代わりが務まる者はいなかった。

「ヤマトゥと朝鮮を一隻の船で行くのは忙しすぎる」とクルシが言った。

「京都からの帰りは、各地の守護大名と交易をしなければならず、今回はわりと順調に行ったので、何とかなったが、将軍様が留守とか、台風が来るとか、何かがあって京都を発つのが遅くなると、朝鮮まで行けなくなってしまう」

「来年はヤマトゥと朝鮮は分けようと思っています。朝鮮の事は勝連按司(かちりんあじ)に任せるつもりです」とサハチは言った。

 クルシはうなづいて、「それがいいじゃろう」と笑った。

「台風に二度やられました」とマサンルーが言った。

「一度目は京都を発つ四日前でした。大きな台風で京都でもかなりの被害が出て、ササたちは残って復興の手伝いをしていました」

「なに、ササが復興の手伝いをしたのか」とサハチは驚いた。

「女子サムレーたちも一緒に残って、避難民たちを助けていました。ササたちのお陰で、琉球人(りゅうきゅうんちゅ)の人気も上がったようです」

「そうか、ササがそんな事をしてきたのか」

 スサノオの神様の事しか考えていないと思ったら、困っている人たちを助けてきたなんて大したものだった。

「二度目の台風は朝鮮を襲いました。お陰で、富山浦(プサンポ)からの出発が遅れて、道はひどい有様になっていて、何度も足止めを食らいました」

 サハチは朝鮮の道を思い出して笑った。大雨が降っただけで歩けなくなるのだから、台風が来たら、道なんかなくなってしまうだろう。

 一通り話を聞くと、サハチはササたちの所に行った。ササはマチルギと馬天ヌルに旅の話をしていた。シンシンとナナとシズは女子サムレーたちと一緒にいて、楽しそうに笑っていた。

「按司様、見つけたのよ」とササはサハチの顔を見ると言った。

「念願の豊玉姫(とよたまひめ)様に会えたのか」とサハチが聞くと、

「まだ会っていないんだけど、豊玉姫様がいる場所はわかったのよ」とササは嬉しそうな顔をして言った。

「ちょっと待って」と馬天ヌルが言った。

「ちゃんと順番に話してよ。京都でスサノオ様に会って、スサノオ様は、ササのガーラダマ(勾玉)は豊玉姫様が琉球に帰る時に持って行ったガーラダマだって言ったのね」

「何だって?」とサハチは驚いた。

「すると、お前が言った通り、豊玉姫様は琉球のお姫様だったのか」

「そうだったのよ」とササは得意げに言った。

「そして、伊勢の神宮で、豊玉姫様の孫たちに会ったのね?」と馬天ヌルがササに聞いた。

「豊玉姫様の娘の玉依姫(たまよりひめ)様の子供たちよ。その子供たちから玉依姫様がイトの国にいるかもしれないって聞いたのよ」

「イトの国?」とサハチが言った。

「昔、九州にあった国よ。スサノオ様はイトの国の王様の息子だったのよ。イトの国は朝鮮にあった『カヤの国』と交易をしていて、スサノオ様は対馬(つしま)に拠点を置いて、琉球とカヤの国を結ぶ交易を始めたの。ガーラダマや(かーみ)などを持って琉球に行って、シビグァー(タカラガイ)を手に入れて、カヤの国に行って鉄を手に入れたの。大量の鉄を手に入れたスサノオ様は博多の近くに『(とよ)の国』を造って、奥さんの豊玉姫様を豊の国の女王様にするのよ。そのあと、スサノオ様は九州を平定して、さらに、瀬戸内海の国々や四国の国も平定して、『ヤマトゥの国』って名付けるの。ヤマトゥの国というのはスサノオ様が造った国だったのよ。世の中が平和になったので、豊玉姫様は故郷に帰る決心をして、娘のアマン姫様を連れて琉球に帰って来るわ。その時、豊玉姫様は十個のお宝をスサノオ様からもらって帰るんだけど、その中の一つが、このガーラダマだったの。しかも、このガーラダマは玉依姫様が豊玉姫様に贈った物だったのよ。それで、スサノオ様と玉依姫様が現れてくれたのよ」

「十個のお宝って、他には何があったの?」と馬天ヌルが聞いた。

「鏡が二つと(つるぎ)が一つ、ガーラダマが四つとヒレと呼ばれる布が三つだって言っていたわ」

「鏡が二つと剣が一つとガーラダマが四つとヒレが三つね。ヒレというのは聞いた事があるわ。昔のヌルが肩に掛けていた長い布よ。シジ(霊力)があるっていう布なのよ。ササの持っているガーラダマの他にも三つあるはずなのね」

「きっと、お母さんのガーラダマもその一つに違いないわ」

 馬天ヌルは胸を押さえて、「そうかもしれないわね」と言った。

「豊玉姫様は娘のアマン姫様を連れて来たって言っていたわね。そのお姫様って、もしかしたら、アマミキヨ様の事?」

「そうなのよ。アマミキヨ様は豊玉姫様の娘で、お父さんはスサノオ様だったの。アマン姫様は従兄(いとこ)の玉グスク按司と結ばれて、子供を産むの。その子供たちがどんどん増えていって、天孫氏(てぃんすんし)と呼ばれるようになるのよ」

「なんと‥‥‥」とサハチは絶句して、マチルギを見た。マチルギも驚いた顔をしてササを見ていた。

 豊玉姫が琉球生まれかもしれないというのは、サハチも薄々感じてはいたが、サハチたちの御先祖様がスサノオと豊玉姫だったなんて信じられない事だった。

「あなた、凄いわねえ」と馬天ヌルは娘のササをまぶしそうに見つめていた。

「ササ、それで、豊玉姫様はどこにいるんだ?」とサハチは聞いた。

「どこだと思う?」と言ってササは笑った。

「アマミキヨ様なら『セーファウタキ(斎場御嶽)』でしょ」と馬天ヌルは言った。

「当たりよ。さっそく、明日、会いに行って来るわ。お母さんも一緒に行く?」

 馬天ヌルは少し考えてから首を振った。

「行きたいけど、この件はあなたに任せるわ」

 その後、サハチはササから将軍様と奥方様の事を聞いて、慈恩禅師の所に戻った。高橋殿の事も聞きたかったが、マチルギがいるので、あとで聞く事にした。

 ヒューガがサハチの若い頃の話をしていて、皆で笑っていた。

「師匠、何を話しているんです?」とサハチがヒューガに聞いた。

「おっ、噂をすれば本人が来たな」とヒューガは笑った。

「お前のお陰で、琉球に来てよかったと言っていたんじゃよ。船が苦手だったわしが、海賊になるなんて夢にも思っていなかったわ。今は水軍の大将を務めていて、陸にいるより海にいる方が多い。海はいい。海にいると心が洗われるような気がするんじゃよ」

「わしもこんなにも長い船旅は初めてじゃった」と慈恩禅師が言った。

「船の上から見た、あの星の美しさは忘れる事ができん。まだ、来たばかりじゃが、本当に来てよかったと思っている。小次郎(ヒューガ)と弥太郎、そして、ヂャンサンフォン殿に会えるなんて夢を見ているような気分じゃ」

 次の日、慈恩禅師は修理亮と右馬助を連れて、ヂャンサンフォンと一緒にヒューガの船に乗って、キラマ(慶良間)の島に向かった。ヒューガからキラマの島の話を聞いて、慈恩禅師もヂャンサンフォンも行ってみたいと言ったのだった。

 慈恩禅師たちとヂャンサンフォンを見送って、島添大里(しましいうふざとぅ)に帰る前に首里グスクに顔を出したのが失敗だった。浮島が忙しいから行ってくれと思紹に言われた。交易船の荷物の運び出しと、ヤマトゥンチュ(日本人)たちの取り引きで、人出が足らないという。手の空いている者たちは皆、浮島に送ったが、お前も行けと言われ、サハチは仕方なく浮島に行き、日が暮れるまで働き詰めだった。

 ササはシンシンとナナを連れて、セーファウタキに向かった。ようやく、豊玉姫に会えるとササはウキウキしながら歩いていた。シンシンとナナは、イトの国で聞いた玉依姫の「ありがとう」を思い出して、豊玉姫の声も聞こえるかしらと楽しみにしていた。

 島添大里グスクに寄って、佐敷ヌルとユリとサスカサ(島添大里ヌル)、女子サムレーたち、ナツとサグルーの妻のマカトゥダルに帰国の挨拶をして、佐敷グスクに寄って、佐敷大親の妻のキクとクルーの妻のウミトゥク、女子サムレーたちに挨拶をして、セーファウタキに着いたのは正午(ひる)近くになっていた。

 ササはセーファウタキに来た事はなかったが、神様のお導きで迷わず行く事ができた。ウタキの入り口に泉が湧いていたので、手足を清めて、口をゆすいで、両手を合わせてからウタキに入った。

 ウタキの中は霊気がみなぎっていた。

「凄いウタキね」とナナがササを見て、「何となく怖いわ」と言った。

 シンシンも怯えたような顔をしてササを見た。

「あたしたち、入ってもいいの?」とシンシンはササに聞いた。

「大丈夫よ。男の人は入れないけど、女子(いなぐ)なら入れるのよ」

 ナナとシンシンはササにうなづいて、ササのあとに従った。

 樹木が鬱蒼(うっそう)と生い茂った森の中の細い道を登って行くと、左側にウタキがあった。ウタキの前に祭壇のような物があり、その前は広い庭になっていて、儀式をする場所のようだった。カナはここで儀式をして、浦添(うらしい)ヌルになったのだろうとササは思った。

 ササはウタキの前に座って、お祈りを捧げた。ナナとシンシンもササに従ってお祈りを捧げた。

 しばらくしてササは立ち上がって、「ここじゃないわ」と言った。

 シンシンとナナはうなづいた。二人には神様の存在は感じられたが、神様の声は聞こえなかった。

 ササは先へと進んだ。セーファウタキの中には古いウタキがいくつもあると母から聞いていた。その中のどこかに豊玉姫はいるはずだった。

 道が二つに分かれていた。ササは立ち止まった。

「どっちに行くの?」とシンシンが聞いた。

 ササは右の方を見て、左の方を見て、振り返って後ろを見てから、「こっちに行ってみましょう」と言って、左の道を選んだ。

 左側に曲がっている細い道を進むと行き止まりになっていて、左側にウタキがあった。ここのウタキにも祭壇があった。ササはお祈りをしたが、ここにも豊玉姫はいなかった。

 来た道を戻って分岐点に着くと、「こっちよ」とナナが言って、右側の道を進んで行った。

 しばらく行くと右側に大きな岩が現れた。奥の方まで行くと、右側に二つの岩がぶつかって、三角形の穴ができていた。

「ここだわ」とササは思わず言った。

 スサノオが言っていた大きな岩だった。岩の前に座ってお祈りを捧げたが、豊玉姫の声はなかった。

「おかしいわね」と首を傾げて、ササは岩でできた穴の中に入って行った。

 シンシンとナナも、「凄いわね」と言いながら、ササのあとに従った。

 穴を抜けると岩壁に囲まれた場所に出て、正面にウタキがあった。祈ってみたが、やはり、豊玉姫はいなかった。

「おかしいわ」とササは言って、大きなクバの木を見上げた。

 ここは神様が降りて来る場所に違いないのだが、その神様は豊玉姫ではないようだ。

 岩の穴を抜けて、もとの場所に戻ると、ササは周りを見回した。首を傾げながらササは来た道を戻った。豊玉姫がいるウタキを見逃してしまったようだった。

「帰るの?」とシンシンがササに聞いた。

 ササは首を振った。

 分岐点に戻るとササは右に曲がった。行き止まりの道だった。シンシンとナナは首を傾げながらササのあとを追った。

 お祈りをしたウタキに出た。ササはウタキの前に立って周りを見回した。ウタキの反対側に細い道のようなものが見えた。ササは近づいてみた。綺麗な蝶々が優雅に飛んでいた。

「この先に古いウタキがあるわ」とササは言った。

「ハブが出そうだわ」とシンシンが言った。

「大丈夫よ」と言って、ササは草が生い茂った中に入って行った。

 シンシンとナナは顔を見合わせて、うなづき合うとササのあとを追った。

 急にササが立ち止まった。

「あたし一人で行くわ」とササが言った。

 二人は驚いてササを見た。

「このガーラダマが言ったのよ。あたし、一人で行きなさいって。二人はここで待っていて」

 ササは胸から下げた赤いガーラダマを二人に見せて、一人で先へと進んで行った。

 半時(はんとき)(約一時間)ほどして、一人のヌルがやって来た。シンシンとナナが、ササが入って行った山に向かってお祈りをしているのを見て、「あなたたち、何をしているの?」と声を掛けた。

 二人とも刀は差していないが、女子サムレーの格好だった。勿論、ササも女子サムレーの格好で山に入っている。ヌルではない者がここにいる事に不審を持ったヌルは、「ここはあなたたちの来る所じゃないわ。帰りなさい」と言った。

「でも‥‥‥」と言って、シンシンが山の中を見た。

「もしかして、誰かがこの中に入って行ったの?」

 ヌルは二人の顔を見て、「大変だ」と言った。

「あなたたち、何て事をするの。ここは神聖な場所なのよ。勝手に入ったら、命を落とす事になるのよ」

「大変だ。大変だ」と言いながらヌルは山の中に入って行った。

 道とは思えない細い山道を進むと、目の前に切り立った大きな岩が現れた。ヌルは岩を見上げて、慣れた手つきで岩をよじ登って行った。三(じょう)(約九メートル)ほど登ると頂上に出た。頂上は平らになっていて、ササがお祈りを捧げていた。

 ササがいる岩から二丈ほど離れた所に、もう一つの切り立った岩があり、その頂上にはクバでできた小さな(ほこら)があって、その中には鏡が祀られてあった。ササは鏡に向かってお祈りをしていた。

「あなた、何をしているの?」とヌルはササに声を掛けた。

 ササがお祈りをやめて振り返った。

 ササの顔を見たヌルは驚いた顔をしたあと、慌ててササに頭を下げて、「お帰りなさいませ」と言った。

 ササは何の事かわからず、「あなたは誰ですか」とヌルに聞いた。

久手堅(くでぃきん)ヌルと申します。古くから、佐宇次(さうす)ヌルと一緒にセーファウタキを守って参りました」

「あの鏡を守って来たのですね?」とササは聞いた。

 久手堅ヌルはうなづいた。

「あの鏡は豊玉姫様がヤマトゥの国から持って来た物なのですね?」

「そうです。一千年以上も前の事になります」

「一千年以上も守り通して来たのですか。凄い事ですね」

「わたしどものお勤めですから」

 そう言ってから、久手堅ヌルは、ササに何者かと尋ねた。ササが馬天の若ヌルだと答えると、馬天ヌル様の娘さんだったのねと納得したような顔付きになった。

「先程、お帰りなさいと言いましたが、どういう意味ですか」とササは久手堅ヌルに聞いた。

 久手堅ヌルはササが下げているガーラダマを見ながら、「豊玉姫様の娘さんの玉依姫様が、そのガーラダマに依って帰って来られたのです」と言った。

「何日か前、豊玉姫様から、お客様がいらっしゃると告げられました。でも、信じられませんでした。わたしが知る限り、今まで、ここにいらした者は誰もいません。選ばれた者しか、ここに来る事はできません。あなたのお母さんがセーファウタキに来られた時も、先代のサスカサ(運玉森ヌル)が若ヌルを連れて来られた時も、まだ時期が早いと言われて、ここには御案内しませんでした。誰も来ないと思っていたのに、あなたが玉依姫様をお連れになったなんて、今でも信じられない事です」

 そう言うと久手堅ヌルはササに両手を合わせた。

 久手堅ヌルが現れる前に、ササは豊玉姫から聞きたい事はすべて聞いていた。

 玉グスクヌルの娘に生まれた豊玉姫はセーファウタキで修行をして、若ヌルになる。十八歳の冬、タカラガイを求めてやって来たスサノオと出会い、恋に落ちて結ばれる。

 翌年の夏、スサノオは帰って、その年の冬にまたやって来る。豊玉姫はスサノオと一緒にヤマトゥに行く決心をして、弟の豊玉彦を連れて対馬に行く。対馬で長女の玉依姫が生まれ、交易の事は豊玉彦に任せて、豊玉姫はスサノオと一緒に九州に渡って、豊の国の女王になる。

 豊の国で、長男のミケヒコと次女のアマン姫が生まれる。

 玉依姫が十五歳になった時、豊玉姫は子供たちを連れて琉球に帰り、玉依姫はセーファウタキで儀式をして、一人前のヌルとなる。翌年の夏、豊玉姫は子供たちを連れてヤマトゥに戻る。アマン姫が十五歳になった時も豊玉姫は帰って来て、セーファウタキで儀式をして、アマン姫をヌルにしている。アマン姫はその後、ヤマトゥに帰る事はなく、玉グスクヌルを継いで、従兄の玉グスク按司と結ばれる。

 豊玉姫はヤマトゥに戻り、十年後に十種(とくさ)神器(じんぎ)を持って琉球に帰って来る。そのまま、琉球に留まるつもりでいたが、スサノオが亡くなって、九州で戦が始まると、玉依姫を助けるためにヤマトゥに戻って、四年後、イトの国で亡くなる。ヤマトゥで亡くなった豊玉姫の魂はヤマトゥに留まる事なく、生まれ島に帰って来て、子孫たちを守り続けてきた。

 アマン姫は母親と一緒にセーファウタキにいた。アマン姫のウタキは二つの大きな岩がぶつかって、穴があいていたウタキだった。ササがお祈りをした時、声が出そうになったが、母親から黙っていなさいと言われていたので、必死に我慢していたと言った。

 玉依姫はササにお礼を言ったあと、母親と妹との再会を喜び、あれからどうしていたのと二人に聞いていた。三人の神様が思い出話を語り始めた時、久手堅ヌルが現れたのだった。

 あたしの仕事は終わったわねと思い、ササが挨拶をして帰ろうとしたら、「娘に会わせてくれてありがとう」と豊玉姫がお礼を言った。

「この子、可愛かったのよ。まるで、花が咲いているようだって言われて、コノハナサクヤヒメって呼ばれていたのよ。会えてよかったわ。実はね、あなたに頼みがあるんだけど、いいかしら」

「何でしょうか」とササは聞いた。

「十種の神器なんだけど、あなたに探してほしいのよ」

「えっ?」とササは驚いた。

「鏡は大きいのと小さいのと二つあって、大きいのはあそこに祀ってあるわ。もう一つの小さい鏡がどこにあるのかわからないのよ」

「神様がわからないのに、そんなの無理ですよ」とササは言った。

「わたしも十種の神器の事なんて、あまり気に掛けていなかったの。スサノオからもらった大切な物なんだけど、十種の神器というのは、スサノオの身内である事を証明するために配られた物だから、いくつもあったのよ。スサノオの子供たちは皆、持っていたし、娘の婿たちにも配られたわ。スサノオが亡くなってしまったら、単なる遺品になってしまって、わたしもどこに行ったかなんて気にも止めなかったわ。でも、十種の神器のうちの四つのガーラダマがなぜか、揃ってしまったわ。三つのヒレは無理だけど、小さい鏡と八握剣(やつかのつるぎ)が見つかれば、何かが起こりそうな気がするのよ」

「四つのガーラダマが揃ったってどういう意味ですか」

 一つはササが持っていて、もう一つは母が持っていると思うが、あと二つはどこにあるのだろう。

「あなたとあなたのお母さんの馬天ヌル、あなたの従姉(いとこ)の佐敷ヌル、そして、島添大里ヌルのサスカサの四人が持っているわ。皆、あなたの親戚でしょ」

「えっ、そんな‥‥‥」とササは驚いた。ササにはとても信じられなかった。

「スサノオが亡くなった後、わたしは四つのガーラダマを四人の孫にあげたのよ。一つは島添大里ヌルに代々伝わって、今も島添大里ヌルのもとにあるわ。二つめは真玉添(まだんすい)ヌルから浦添ヌルに伝わって、今は馬天ヌルが持っている。三つめは安須森(あしむい)ヌルに伝わって、一時は行方がわからなかったけど、馬天ヌルの手に入って、今は佐敷ヌルが持っている。四つめは運玉森(うんたまむい)ヌルが代々持っていて、運玉森がよからぬ者たちに攻められた時、運玉森ヌルは真玉添に逃げたけど、真玉添も攻められて全滅してしまうわ。その時、ガーラダマは読谷山(ゆんたんじゃ)に埋められ、あなたが発見して、今、そこにあるのよ」

「これは運玉森ヌルのガーラダマだったのですか」とササは赤いガーラダマを見た。

 手放したくはないが、運玉森ヌルに返さなくてはならないと思っていた。

「四つのガーラダマがあなたの回りに集まって来ているわ。きっと、何かが起こるのよ。小さい鏡と剣も探した方がいいわ」

「小さい鏡と剣もお孫さんにあげたのですか」

「小さい鏡は真玉添ヌルにあげたわ。真玉添に祀られていたんだけど、滅ぼされた時、どこかに行ってしまったわ。剣は玉グスク按司のお宝として代々伝わっていったはずなんだけど、いつの間にかなくなっていたわ」

「ヒレはどうなったのですか」とササは聞いた。

「ヒレも孫たちにあげたけど、もうないでしょう。布が一千年以上ももつとは思えないわ」

「一千年ですか‥‥‥」と言ってササは赤いガーラダマを見つめた。

「日が暮れる前に下りた方がいいわ」と久手堅ヌルがササに言った。

 いつの間にか、日暮れ間近になっていた。

 ササは豊玉姫と玉依姫、アマン姫に別れを告げて、久手堅ヌルと一緒に岩の上から下りた。

「あなたたちの事はわたしたちがちゃんと守ってあげるわよ」と豊玉姫は最後に言った。

 ササたちはその夜、久手堅ヌルの屋敷にお世話になって、一緒にセーファウタキを守っている佐宇次ヌルを紹介された。佐宇次ヌルは老婆だった。今、跡継ぎの若ヌルを育てているという。

 久手堅ヌルも佐宇次ヌルも尊敬の眼差しでササを見て、ササたちは神様扱いされて、丁重にもてなされた。





セーファウタキ




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