久高島の大里ヌル
ササは 馬天ヌルは岩の上に祀られた大きな鏡を見て驚き、突然、ある事に気がついた。 今までずっとティーダシル(日代)の石を探していたが、ティーダシルは石ではなく、鏡なのではないのだろうか。 豊玉姫がヤマトゥから持って来たもう一つの小さい鏡が、 馬天ヌルは豊玉姫から、真玉添の事を詳しく聞いた。 真玉添はアマン姫の娘が真玉添ヌルになって、浮島を見下ろす高台に、ヌルが治める 島添大里グスクの一の曲輪内の一番高いところにある岩が、月の神様を祀っているウタキで、ツキシルの石はその分身だった。 ティーダシルが鏡であるなら、ササが見つけたガーラダマ(勾玉)と同じように 佐敷ヌルは豊玉姫から琉球の北端にある サスカサは島添大里グスクのウタキの事を詳しく聞いていた。 島添大里グスクのある山は古くから月の神様が祀られていて、そのウタキを中心に島添大里グスクは造られた。島添大里ヌルのサスカサは月の神様に仕えるヌルだったが、グスクができてからは按司を守るヌルに変わってしまった。以前のごとく、月の神様にお仕えしなさいとサスカサは言われたという。 正月二十三日、今年最初の 正使の程復は八十を過ぎた老人で、正使を務めたあと、そのまま帰郷する事になっていた。 程復が琉球に来たのは五十年以上も前の事だった。浮島にはまだ 大陸では 征西府が今川 征西府との交易で成功した程復は、土塁で囲まれた久米村を造って、大陸から移って来た唐人たちを守り、朝貢のために働いてきた。孫も何人もでき、久米村の長老として皆から尊敬もされていたが、八十を過ぎて望郷の念にかられ、帰郷する事に決めたのだった。 程復を乗せた進貢船は 二月になって、浦添の極楽寺跡地の整地が行なわれた。極楽寺を建てるのはまだ先の事だが、浦添ヌルのカナがサムレーたちと一緒に、六十年前に察度に焼かれた極楽寺の残骸を片付けた。浦添グスクの焼け跡を片付けたサムレーたちにとって、極楽寺の片付けはお手の物だった。 極楽寺の跡地から古い鉄の シンゴとマグサの船が サイムンタルーが家臣たちを引き連れて、対馬に帰って来たのは正月の十二日だった。サイムンタルーたちが帰って来る事を その日、 船越にいたイトたちも皆、土寄浦に来ていた。上陸したサイムンタルーは息子の六郎次郎と一緒にいるユキとミナミを見て、嬉しそうに笑った。 ミナミが「お マツは妻のシノと三人の子供たちと再会した。マユは夫を迎え、娘のミツはほとんど記憶にない父親と再会した。サワの娘のスズも夫との再会を喜んだ。あちこちで涙の再会が演じられ、男たちが帰って来た土寄浦は以前の活気を取り戻していた。 サハチはシンゴから話を聞いて、本当によかったと喜んだ。 「お屋形様が帰って来て、お前はどうなるんだ?」とサハチはシンゴに聞いた。 「俺は以前と変わらずさ。対馬と琉球を行ったり来たりする」 「そうか、よかった。お前が来なくなったら佐敷ヌルと娘のマユが寂しがるからな。サイムンタルー殿は船越を拠点にするのか」 「船越を拠点にして、まずは 「そうか。十四年も留守にしていたから、まずは挨拶回りといった所か。やがては シンゴはうなづいた。 「対馬を統一すると兄貴は言っていた。守護である宗讃岐守の後ろには将軍様がいるからな。慎重にやらなければならないとも言っていたよ」 「そうか。対馬で 「 サハチは伊平屋島で起こった事件をシンゴに話した。 「いよいよ、 「平定には失敗したようだ。今年、また行くつもりだろう」 「 「宝島は絶対に渡さない。山北王が手を出したら、伊平屋島のように兵を送って守るよ」 「頼むぜ」とシンゴは笑った。 『対馬館』で歓迎の それから二日後、旅に出ていた 慈恩禅師はほとんどの城下で銅銭が使える事に驚いていた。サハチが旅をした二十年余り前、銅銭が使えたのは浦添と 今帰仁が首里よりも栄えていたのにも驚いていた。今帰仁の城下には大勢のヤマトゥンチュがいて、まるで、守護大名がいる城下に来たような雰囲気だったという。そして、夏になったら伊平屋島で戦が始まりそうだと城下の人たちは噂をしていた。 去年の暮れ、中山王の交易船を奪うために兵を引き連れて伊平屋島に向かった 長い間、旅をしていると地名に興味を持つようになり、慈恩禅師は今帰仁の意味が知りたくなって、土地の者に聞いて回ったら、志慶真の長老を紹介されて教えてもらった。 古くは『 サハチたちは感心しながら、慈恩禅師の話を聞いていた。禅僧である慈恩禅師を遊女屋に連れて行ってもいいものだろうかとサハチは不安だったが、慈恩禅師は何も気にする事なく、綺麗どころが揃っておるのうと喜んで、 チューマチは初めて遊女屋に来て緊張していた。昔の自分を思い出して、酒を飲み過ぎなければいいがとサハチは心配した。やがて、ヒューガがやって来て加わり、ヂャンサンフォンもやって来た。ンマムイとヤタルー師匠もやって来て、慈恩禅師の旅の話は延々と続いていった。サハチが心配した通り、チューマチは飲み過ぎて嘔吐していた。これも修行だ、頑張れとサハチは心の中で言っていた。 その二日後は首里グスクの 旅芸人たちも結成されてから一年近くが経ち、厳しい稽古の甲斐があって、ようやく 佐敷ヌルは新しい演目を考えていたのだが、城下の者たちから『瓜太郎』を観たいという要望が多かったため、新作は次の島添大里のお祭りで披露する事にしたのだった。 女子サムレーの剣術の模範試合のあと、シラーとウハが明国に行っていていないので、ササとシンシンが 女子サムレーの『瓜太郎』も大成功だった。初演の時、ササとシンシンとナナが素晴らしい演技を見せたので、皆、負けるものかと頑張って、上演を重ねる度に見事な出来映えになって行った。 敵の襲撃もなく、無事にお祭りも終わって、その翌日、お腹が大きくなっていたマカトゥダルが首里の 慈恩禅師と右馬助は、 ウニタキは配下の者三人を連れて、 二月二十八日、島添大里グスクのお祭りが行なわれた。お芝居は『 ヤンバルの山奥に酒呑童子という鬼が住んでいて、都の女たちが何人もさらわれた。王様は怒って、サムレー大将のライクーに鬼退治を命じる。ライクーは四天王と呼ばれるチナ、キントゥキ、ウシー、ウラビーを連れてヤンバルに向かう。 途中で山の神様と出会って、飲めば鬼の力が弱まるという神酒を授かる。ライクーたちは神様にお礼を言って先に進む。山の入り口に川が流れていて、娘が洗濯をしている。話を聞くと鬼に捕まって、殺された女たちの着物を洗わされていると言って泣く。娘から山の様子を聞いて、ライクーたちは山の中に入る。 山の中にガマ(洞窟)があって、 物語はライクーたち五人の会話によって進んで行く。時には馬鹿な事を言って観客たちを笑わせた。見せ場は眠っている酒呑童子の首を斬ったあと、斬られた首がライクー目掛けて飛んでいく場面だった。観ている者たちは本当に首が斬られたと思って悲鳴を上げる者もいた。そのあと、残った鬼たちとの対決では華麗な剣舞を披露した。力を失った鬼たちはフラフラしながらもライクーたちと戦って、 島添大里のお祭りでも、旅芸人たちの『浦島之子』が演じられ、首里の時よりもうまくなっていた。 舞台の最後には、ウニタキの代わりに息子のウニタルが姉のミヨンと一緒に三弦を披露した。十五歳になったウニタルは、父親のウニタキによく似ていた。来年はマサンルー(佐敷大親)の長男のシングルーと一緒にヤマトゥ旅に行かせようとサハチは思った。 島添大里グスクのお祭りの五日後、思紹の 今年はマチルギも行ったので、サハチは留守番として首里グスクに行き、龍天閣の三階で絵地図を眺めながら過ごしていた。絵地図には、今築いているンマムイの新しいグスク(内嶺グスク)も、 南部も賑やかになったものだと思いながら、山南王のシタルーがどう出るかを考えていた。 久高島に行ったササたちはいつものように、馬天ヌルと一緒にフボーヌムイに籠もった。いつものようにお祈りをしていると、ササは今まで聞いた事がない神様の声を聞いた。 神様は、「 舜天はヤマトゥの武将と島添大里ヌルとの間に生まれたと佐敷ヌルから聞いていた。どうして、舜天の名が出てくるのかササにはわからなかった。 「舜天が 「あなたはどなたですか」とササは聞いた。 「舜天の母の 「もしかして、島添大里ヌルですか」 「そうです。当時はただの大里ヌルでした。あの頃から百年くらい経ったあと 「あなたはサスカサさんなのですね?」 「そうです。御先祖様はアマン姫です」 ササは理解した。ササが豊玉姫とアマン姫の母子と会った事を知った舜天の母親の大里ヌルが、ササに声を掛けてきたのだった。 「舜天はそんなひどい事はしません。真玉添ヌルも運玉森ヌルもわたしの一族なのです。母親の一族を滅ぼすような事は決していたしません」 「それでは誰が、真玉添と運玉森を滅ぼしたのですか」 「ヤマトゥから来た 聞いた事もない名前だとササは思った。 「あの年はヤマトゥからサムレーが続々とやって来ました。 「陰陽師とは何ですか」とササは聞いた。 「マジムン(悪霊)を退治したり、先に起こる事を予言したり、雨を降らせたり、重い病に罹っている人を治したりと様々なシジ(霊力)を持っている人です。ヌルと 「真玉添ヌルのシジも理有法師のシジにかなわなかったのですか」 「ヌルは人を 「まるで、酒呑童子だわ」とササは言ったが、神様には何の事かわからないようだった。 「その頃、わたしの息子の舜天は按司になって浦添にいました。真玉添が理有に襲撃されたと聞いて救援に行きますが、妖術を使う理有にはとてもかないませんでした。島添大里按司と協力して、挟み撃ちにしようともしましたが無駄でした。戦死者が増えるばかりで、理有に近づく事さえできません。ところが、天の助けか、ヤマトゥから 「わかりました」とササは返事をして、「朝盛法師はその後、どうなったのですか」と聞いた。 「舜天のために仕えてくれました。島の娘と一緒になって子供も生まれ、ヤマトゥに帰る事なく、この島で亡くなりました」 「真玉添ヌルのチフィウフジン(聞得大君)が運玉森で亡くなったと聞きましたが、本当でしょうか」 「本当です。チフィウフジンはみんなを助けるために、理有に投降しましたが、理有は攻撃をやめませんでした。理有はチフィウフジンに妻になるように迫りますが、チフィウフジンはかたくなに拒みます。チフィウフジンは焼け跡になった運玉森で、小屋に閉じ込められたまま亡くなってしまいました」 「運玉森にある古いウタキはチフィウフジンのお墓だったのですね」 「そうです。理有法師が滅んだあと、わたしは亡くなった大勢のヌルたちを弔うために久高島に来て、フボーヌムイに籠もりました。わたしが初代の久高島の大里ヌルで、娘が跡を継いで、代々と続いて今に至っています」 大里ヌルの事はフカマヌルから聞いていたが、ササはまだ会った事はなかった。 「大里ヌルはフカマヌルよりも古いのですね」 「古いのです。フカマヌルは舜天の孫の 偉大なるシジを持ったヌルと言われて、ササは驚き、照れもした。神様からそんな風に言われたら、願いを聞くしかなかった。 「わたしにできる事でしたらお力になります」 「ありがとうございます。舜天の父親がどうなったのか調べて下さい」 「えっ!」とササは驚いた。そんな事を頼まれるなんて思ってもいなかった。 「舜天の父親はヤマトゥの武将だと聞いていますが、わたしは名前まで知りません」 「シングーの十郎と名乗っていました。クマヌ(熊野)から来たのです。その頃、大里按司はヤマトゥと交易をしていました。毎年のようにクマヌから船がやって来て、大量のヤコウガイやタカラガイを積んで帰って行きました。それらの貝殻は奥州の平泉という所に運ばれるそうです。平泉という所は京都のように賑やかな都で、 ササは『シングーの十郎』の事を調べると神様に約束して、フボーヌムイから出ると、馬天ヌル、シンシン、ナナに神様の話を告げて、大里ヌルに会いに向かった。 馬天ヌルは十五年前、ウタキ巡りの旅に出た時、大里ヌルに会っていた。馬天ヌルと同じ位の年頃で、フボーヌムイにずっと籠もっていたサスカサ(運玉森ヌル)を、あなたにはやるべき事があると言って、キラマ(慶良間)の島に送り出したのが大里ヌルだった。月の神様に仕えていて、昼間は屋敷に籠もったまま誰とも会わず、夜になるとヌルとしてのお勤めをしていた。 「その当時は変わったヌルだと思っていたの。でも、島添大里グスクのウタキが月の神様を祀っていると知った今、ようやくわかったわ。大里ヌルは古くからの教えを守り続けているヌルなのよ」と馬天ヌルは言った。 すでに日暮れ間近になっていた。フカマヌルの屋敷の西側の少し離れた所に、大里ヌルの屋敷はあった。 「まだ早いわ」と馬天ヌルが言って、暗くなるのを待ってから大里ヌルを訪ねた。 大里ヌルは透き通るような色白で、二十代半ば頃の妖艶な女だった。先代の母親は二年前に亡くなったという。 「一生、太陽に当たらないせいか、代々、寿命が短いのです」と大里ヌルは言って、微かに笑った。 ササは神様から言われた事を大里ヌルに話した。 「御先祖様の願いを聞いてあげて下さい。わたしにはできない事ですので、お願いいたします」 ササはうなづいた。 「舜天のお母さんが初代の久高島大里ヌルだと聞いたけど、それからずっと、代々続いているの?」と馬天ヌルが大里ヌルに聞いた。 大里ヌルはうなづいた。 「わたしは先代の娘で、母親は先々代の娘です。わたしはまだ出会ってはいませんが、必ずマレビト神が現れて、跡継ぎを授かるそうです」 「男の子は生まれないの?」 「男の子が生まれた時は大里家に養子に入ります。二代目が男の子を産んで、大里家ができました」 「もしかして、ここにも『ツキシルの石』があるのですか」とササは聞いた。 「はい。初代の大里ヌルが島添大里グスクのウタキから分けていただいた石が『ツキシルの石』として祀ってあります。大里ヌルは四年に一度、八月の満月の日、島添大里グスクのウタキにお参りする習わしがありました。でも、島添大里グスクが八重瀬按司に奪われて以来、お参りはできなくなってしまいました。先代が若ヌルの時にお参りをして以来、三十三年間、お参りはしておりません。できれば、お参りをしたいのですがよろしいでしょうか」 ササは馬天ヌルを見てから、「勿論、お参りをして下さい」と言った。 「今年の八月は是非とも、島添大里グスクにいらして下さい」 大里ヌルは首を振った。 「 「わかりました。三年後の十五夜の日、お迎えに参ります」 「ありがとうございます」とお礼を言った大里ヌルの目は涙に潤んでいた。 大里ヌルを見ながら、ササはツキヨミの事を思い出していた。太陽の神様のアマテラスに比べて、ツキヨミの影が薄いと感じるのは、人の目に触れなかったからに違いないと思った。太陽があって月があり、昼があって夜がある。夜に活動する者たちにとっては、太陽より月が大切に違いない。大里ヌルは夜の世界を仕切っているヌルなのだろうかとササは思っていた。 |
セーファウタキ
久高島のフボーヌムイ