与論島
思紹はウニタキ(三星大親)が送ってよこした与論島の絵図を見ていた。イーカチから習ったのか、ウニタキが描いた絵図はかなりうまくなっていた。
三か月前の二月十日に 風待ちをして、与論島に渡ったのは十五日だった。ウクシラーの兄は何度も与論島に渡っていて島の事に詳しく、与論島で サミガー親方は、ウニタキが ウクシラーの兄の ウニタキはすぐにわかったが、相手はわからないようだった。ウニタキが名乗ると、サミガー親方は驚いた顔をして、ウニタキをじっと見つめた。 「本当に ウニタキは笑ってうなづき、「親方の名はタクで、フニという可愛い娘がいただろう」と言った。 「若様‥‥‥」と言ってサミガー親方は急に涙ぐみ、「生きていらっしゃったのですか」と言って涙を拭いた。 「妻と娘は亡くなったが、俺だけは何とか生き延びたんだ。そして、今はもう若様ではない。ただのウミンチュだ。ウニタキと呼んでくれ」 ウニタキはウクシラーの兄にお礼を言って、三人の配下の者に島の様子を見てこいと命じた。ウクシラーの兄が案内すると言って、三人を連れて行った。ウニタキはサミガー親方と積もる話を語り合った。 十五年前の夏、突然、山北王の兵が攻めて来て、 「 「親方が無事でよかった。グスクは簡単に落ちてしまったのか」 「余りにも突然だったため、グスクを守る兵も少なく、ほとんど反撃もしないうちに落ちてしまいました。当時の按司様は三代目で、 「大里の一族というのは琉球から来たのか」 「そうです。グスクの近くに 「今はどうなんだ? ちゃんと守りを固めているのか」 「今の按司様はここに来るとすぐにグスクを石垣で囲って強化しました。勝連の兵が取り戻しにやって来ると思っていたのでしょう。しかし、勝連の兵が攻めて来る事もなく、あれから十年以上が経っています。今では山北王は 「そうか」とウニタキはうなづいて、「子供たちは皆、元気か」と聞いた。 「はい、元気です。長男も次男も海に潜るのが好きで、立派に跡を継いでくれるでしょう」 「娘はもう嫁いだのか」 「はい、二人とも嫁ぎました」 「この島から出て行ったのか」 「いえ、次女はカマンタ(エイ)捕りに嫁いだのでこの浜にいます。長女は‥‥‥」と言って、親方は口ごもった。 「フニちゃんがどうかしたのか」 「実はグスクの中にいるのです」 「えっ、按司の倅に嫁いだのか」 「そうではなくて、無理やり、按司の側室にされたのです。わしがこの島から出て行かないように、人質として連れて行かれたのです」 「そうだったのか。フニちゃんが側室になったのか」 「当時はフニも悲しんでおりましたが、今では二人の子供もできて、何とか楽しくやっているようです」 「そうか。時々、会ってはいるのか」 「はい。わしらがグスクに行く事もありますし、フニが子供を連れてやって来る事もあります」 「按司もフニの事を信用しているのだな」 「側室になってからもう十年以上も経ちますからね」 「そうか。俺も会ってみたいものだ」 「ところで、若様はどうして、この島にいらしたのです?」とサミガー親方は聞いた。 ウニタキは本当の事を話していいものか迷った。与論按司の側室になった娘によって、サミガー親方は与論按司とつながっているのかもしれなかった。 妻と娘を殺されて、生きているのがいやになって、死のうとしたが死にきれずにウミンチュに助けられた。その後はウミンチュとして暮らしていたが、ちょっとした騒ぎを起こしてしまい、仲間と一緒に逃げて来たとウニタキは説明した。 「すまんが、ほとぼりが冷めるまで、しばらく、ここに置いてくれ」 「勝連には戻らなかったのですか」とサミガー親方は聞いた。 「帰れないと思ったんだよ。俺の妻は中山王(察度)の孫娘だった。妻と娘を殺され、自分一人だけが生きて帰ったら、中山王から責められるだろう。兄貴たちも俺を責めるに違いない。そんな所に帰っても、俺の生きる道はないと思ったんだよ」 「そうでしたか‥‥‥わかりました。ほとぼりが冷めるまで、お世話いたします」 サミガー親方に連れられて、ウニタキは与論ヌルに会いに行った。与論ヌルの名は与論按司の娘に譲って、今は『 サミガー親方の作業場のある瀬利覚の東側は、切り立った崖がずっと続いていて、与論グスクは崖の上にあった。麦屋ヌルはグスクの向こう側にある麦屋の集落にいるらしい。与論島はほとんど平らで、山というものはなかったが、なぜか坂道が多かった。崖が途切れる所まで行き、右に曲がってグスクの方に向かった。石垣で囲まれたグスクの周りには家々が建ち並び、その集落の東側に麦屋の集落があった。 「グスクの周りには按司の家臣たちが住んでいます」とサミガー親方は歩きながら言った。 「麦屋に住んでいる者たちは、古くからこの島に住んでいる者が多く、麦屋ヌルは先代の麦屋ヌルに頼まれて跡を継ぐ事になったのです」 「麦屋ヌルだけ、どうして助かったんだ?」とウニタキは聞いた。 「麦屋ヌルも捕まって殺されそうになりましたが、先代の麦屋ヌルの命乞いがあって助かったのです。そして、新しい与論按司の娘を立派なヌルに育てて、麦屋ヌルを継いだのです」 「麦屋ヌルはこの島の者たちに慕われていたのだな」 「そうです。新しい按司としても、島の人たちを敵に回したくはなかったので、麦屋ヌルを助けたのでしょう」 麦屋ヌルの家は、周りの家と変わらない粗末な家だった。声を掛けたが返事はなく、麦屋ヌルはいなかった。近所の者に聞くと、浜辺だろうと言った。近くの浜辺に行ってみると、麦屋ヌルは子供たちと遊んでいた。 「麦屋ヌルは子供たちに読み書きを教えているのです」とサミガー親方は言った。 よく見ると子供たちは棒きれを持って砂に字を書いていた。麦屋ヌルはウニタキたちに気づくと軽く頭を下げて、子供たちに、ひと休みしましょうと言って近づいて来た。 子供たちが「わーい!」と言いながら海の方に走って行った。 「親方、何か御用ですか」と言いながら麦屋ヌルはウニタキを見た。 ウニタキも麦屋ヌルを見ながら、十一歳の頃の面影が残っていると思った。当時も可愛かったが、今も美人だった。ただ、家族を殺されたせいか、暗い影が漂っていた。 「お久し振りです、マトゥイ」とウニタキは言った。 「えっ!」と麦屋ヌルは驚いた顔で、ウニタキを見た。両親と兄が亡くなってから、マトゥイと呼ばれる事は一度もなかった。 麦屋ヌルはウニタキの顔をじっと見つめて、「ウニタキなの?」と聞いた。 ウニタキは笑ってうなづいた。 「本当なの? 生きていたのね」と言いながら、麦屋ヌルの目から涙が急に溢れ出した。 麦屋ヌルは子供たちを帰して、ウニタキを家に連れて行くと、どうして生きているの、今まで何をしていたのと質問攻めにした。話が長くなりそうだと思ったサミガー親方は先に帰って行った。 ウニタキはサミガー親方に説明したのと同じ事を麦屋ヌルに言った。麦屋ヌルを信用したいが、今はまだ本当の事は言えなかった。 ウニタキがウミンチュだと知って麦屋ヌルは驚いた。自分を助けに来てくれたのに違いないと思っていた麦屋ヌルはがっかりした。 「ちょっとした騒ぎって、人を 「いや、殺してはいないよ」 「そう‥‥‥」と言って麦屋ヌルはウニタキを見て、軽く笑った。 ウニタキが生きていたのは嬉しいが、以前のウニタキではなかった。妻と娘を殺されて、立ち直る事ができなかったようだと麦屋ヌルは思った。 暗くなる前に、ウニタキは麦屋ヌルと別れた。あまり長居をすると噂になってしまい、与論按司に怪しまれてしまう。 次の日、麦屋ヌルはサミガー親方の作業場にウニタキを訪ねて来た。ウニタキは麦屋ヌルを浜辺に誘って、歩きながら昔の思い出を話した。 「あたしもよく覚えているわ。勝連に行ったのはあの時が最初で最後になりそうね。あの時、会った人たちはほとんど亡くなってしまったのね」 「勝連は呪われているって噂になっていたよ。今は中山王の一族が按司になったようだ」 「そうなの‥‥‥あなたの噂も流れて来たのよ。中山王の孫娘があなたのお嫁さんになったって聞いた時は、あたし、ちょっと嫉妬したのよ。あなたが 「もう昔の事さ。今の俺は勝連とは関係ない。ただのウミンチュに過ぎないんだ」 「でも、あなたにもあたしにも勝連の血は流れているわ」 「血なんて関係ないよ。俺には 麦屋ヌルは黙ってウニタキを見つめ、やがて海に視線を移した。 「お前だってわかるだろう。家族を失って、たった一人、生き残った者の気持ちは」 「わかるわ。あたしも死のうと思ったわ。でも、神様に止められたの。あたしはこの島のために生きていかなければならないってね」 「この島のために?」 「あたしはこの島で生まれて、この島で育ったの。ほかに行く所はないわ。この島のために生きていくしかないのよ」 「家族の 「あなたはどうなの? 家族の敵は討たないの?」 「討ちたかったさ。でも、相手は高麗の山賊で、さんざ暴れ回って高麗に帰っちまったんだ。怒りをぶつける相手はいなくなっちまったんだよ」 「あたしの敵は山北王よ。一体、どうやって、敵を討つの?」 「与論按司だって敵だろう」 「敵よ。でも、あの時、兄たちは戦死したけど、捕まった母や兄たちの家族、妹の家族を殺せと命じたのは 「湧川大主か‥‥‥名前は聞いた事があるが、そんなひどい男なのか」 「あなたの顔を見た時、あなたがこの島を取り戻しに来てくれたんだと思ったのよ」と言って麦屋ヌルは力なく笑った。 「俺にそんな力なんてないよ」 「そうよね。あなたも苦しんできたんですものね」 ウニタキたちはサミガー親方の作業場で働きながら、目立たないように行動して与論島の内情を探っていた。 交易が行なわれる港は北西にあるアガサ 与論グスクの石垣は二重になっていて、一の 与論按司の兵力は百人前後で、三つの組に分かれていて、一組はグスクを守り、一組はアガサ泊を守り、一組は非番で、それを四日交替でやっていた。二の曲輪内に的場があって、弓矢の稽古は怠りなくやっているらしい。 ウニタキたちが与論島に来て、二か月が過ぎた。初めの頃、喧嘩をして琉球から逃げて来たウミンチュが、サミガー親方のお世話になっているという噂が流れた。そんな噂もいつしか消えて、ウニタキたちは島人たちと楽しく過ごしていた。サミガー親方の所にいるウミンチュたちは出入りが激しく、夏になればカマンタを捕るために各地からやって来ていた。そういうウミンチュがちょっと早くやって来ただけの事なので、島人たちもそれほど気にしてはいなかった。勿論、与論按司もウミンチュの事など一々気にも留めなかった。 流れ者のウミンチュの噂はすぐに消えたが、奇妙な楽器を鳴らして歌を歌うウミンチュとしての噂が広まって、ウニタキは有名になっていた。 長い滞在になるので、ウニタキは 麦屋ヌルも噂を聞いてやって来て、ウニタキの歌に驚いた。胸がジーンと来るような素晴らしい歌をウニタキは歌っていた。麦屋ヌルは涙を流しながらウニタキの歌に感動したり、島人たちと一緒に踊ったりして楽しい時を過ごした。 麦屋ヌルは子供たちを連れて、よく遊びに来た。まだ海水が冷たくて、カマンタ捕りはできないので、仕事もそれほど忙しくはなく、ウニタキは子供たちに歌を聴かせてやっていた。麦屋ヌルも楽しそうに笑っていて、明るさを取り戻せてよかったとウニタキは思った。 二ヶ月間、サミガー親方と麦屋ヌルもそれとなく探ってみたが、二人とも与論按司とのつながりはないようだった。サミガー親方の娘が側室になっているとはいえ、サミガー親方は鮫皮作りに専念していて、必要以上に与論按司に近づく事はなかった。麦屋ヌルはグスク内で儀式がある時に、与論ヌルを助けるためにグスクに行くが、それ以外は麦屋の集落から出る事は滅多になかった。麦屋ヌルはヌルとして、麦屋の人たちから尊敬されていた。 そろそろ本当の事を話してもいいだろうとウニタキは思って、麦屋ヌルを訪ねた。麦屋ヌルは海の近くの岩場にあるウタキ(御嶽)でお祈りをしていた。気配で気づいたのか、麦屋ヌルは振り返ってウニタキを見た。お祈りを終えて立ち上がると、「そろそろ、帰るのですか」と聞いた。 「いや、もう少しいるよ」とウニタキは答えた。 麦屋ヌルは軽く笑って、岩場から砂浜の方に降りて行った。ウニタキはあとに従った。 「ここは遙か昔に、麦屋に住んでいる人たちの御先祖様が上陸した所なの」 「そうか。 「先代の麦屋ヌルから聞いた話では、『 「なに、真玉添だって?」 真玉添の事はウニタキもササから聞いて知っていた。 「その人たちの他にも、 その事はサミガー親方からも聞いていた。大里というのは 「大里から来たというのは三十年位前の事か」とウニタキは聞いた。 「もっとずっと昔よ。あれだけの集落になったんだから百年以上は前の事よ」 「そうか」 百年前にも島添大里では争いが起こったのかもしれなかった。 「ありがとう」と麦屋ヌルが突然、お礼を言った。 何のお礼だろうと 「あなたの歌に感動したわ。まるで、神様の声のようだったわ。あんな素晴らしい歌を歌えるなんて凄いわ。きっと、あの悲しみを乗り越えた結果なのね。あたし、家族が亡くなってから、本当の笑顔は忘れてしまったの。心の底から笑った事はなかったわ。でも、あなたの歌に合わせて踊った時、何もかも忘れて、心の底から笑う事ができたの。よくわからないけど、あの時、あたし、生まれ変わったような気がするの。何か新しい生き方ができるような気がするわ。あなたは、あたしを助けに来てくれたんじゃないってがっかりしたけど、間違っていたわ。あなたはあたしを助けに来てくれたのよ」 麦屋ヌルはもう一度、ウニタキにお礼を言った。 「俺の歌がお前の心を開いてくれたなんて驚きだよ。俺が三弦を始めてから十年になる。始めた頃はみんなに笑われたけど、続けていてよかった」 「三弦て 「浮島(那覇)にある 「へえ、そうだったの」 「マトゥイ、この島に来た 「馬天ヌル様‥‥‥覚えているわ。凄いヌルだと思ったわ。あたしもあんなヌルになりたいと思ったの。馬天ヌル様を知っているの?」 「馬天ヌルは中山王の妹なんだよ」 「えっ!」 ウニタキは海を眺めながら、山賊に襲われて佐敷に逃げ、その後、何をやって来たのかを麦屋ヌルに話した。麦屋ヌルは驚いた顔をして、ウニタキの話を聞いていた。 「そうだったの。そんな事があったの。お兄さんに命を狙われたなんて‥‥‥お兄さんはあなたの活躍を妬んでいたのね」 「俺を妬んでいた奴らは、みんな死んでしまったよ」 「それじゃあ、あなたは今、中山王に仕えているのね?」 「そうだ。勝連按司も今は中山王の身内なんだ。今回、この島に来たのは、この島を奪い取るためなんだよ」 麦屋ヌルはウニタキをじっと見つめて、「やっぱり、そうだったのね」と言った。 「勝連按司がこの島を取り戻すのね?」 「そうしたいんだが、それはもう少し待ってくれ。中山王は五年後に山北王を倒すつもりだ」 「えっ、山北王を倒すの?」 「そうだ」とウニタキはうなづいた。 「 「山北王を倒せば、この島は勝連のものになる。今、山北王は 「えっ、奪い取ったあとに、また返すの?」 「そういう事だ。できれば与論按司もその一族も生け捕りにしたい。殺してしまうと山北王もうなづかなくなるからな」 「そんな事できるかしら?」 「できるように、お前に力を貸してもらいたいんだ」 「あたしに何ができるの?」 「お前はグスクに入れるだろう」 「入れるけど‥‥‥」 「裏門を開けて、俺を中に入れてくれ。そうすれば、あとは何とかする」 「味方の兵をグスク内に入れるのね」 「そういう事だ」 麦屋ヌルはウニタキの顔を見つめて、「やっぱり、あなたはあたしが思っていた通りのウニタキだったのね」と言った。 「あなたとこうして会っているなんて、まるで、夢のようだわ」 麦屋ヌルは嬉しそうに笑ってから、真顔に戻って、「兵はいつ攻めて来るの?」と聞いた。 「五月だ。梅雨が明けた頃だろう」 「五月九日に 「お祭り?」 「与論按司の祖父だった 「グスクを開放するのか」 「二の曲輪を開放して、舞台もできるのよ」 「そいつは都合がいい」とウニタキはにやりと笑った。 「あなたの三弦も舞台で弾けばいいわ」 「飛び入りもいいのか」 「大歓迎よ」 ウニタキはサミガー親方にも本当の事を話して、与論島の絵図と書状を持たせて、配下のサティを首里に送った。
思紹が見ていた絵図はそれだった。 「うまく行きましたかね?」とサハチは思紹に言った。 「そうじゃのう。計画通りに行けば、今頃はもう、与論グスクを奪い取ったかもしれんのう」 「与論島に行ってみたいのですが、行ってもいいですか」 思紹は顔を上げてサハチを見ると、ニヤッと笑って、「どうせ、すぐに山北王に返す事になるから、今のうちに行ってこい。いい島だぞ」と言った。 サハチは思紹にお礼を言うと、部屋から飛び出して行った。 「ねえ、どこに行くの?」とササが笑いながら聞いた。 「与論島だ」 「あたしたちも行く」とササは言った。 「お前たちはヤマトゥ旅に行くんだろう」 「与論島から乗り込むわ」 「 「 サハチは笑って、「行くぞ」と言った。 三人は喜んで馬に跨がって、サハチのあとに従った。 |
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