奄美大島のクユー一族
二年前にテーラーは 今年は三度目の奄美大島攻めだった。いつまでも奄美大島に関わってはいられない。今年こそは、奄美大島すべてを支配下にしなければならなかった。 二年前に攻めた時、最初に上陸したのは北部にある 浦上には、領主として平家の流れを汲む テーラーと湧川大主は浦上を拠点に、まず北へと向かった。 夜になれば、ささやかな テーラーたちも警戒して、二手に分かれて攻撃する事にした。湧川大主は海上から行き、テーラーは手前の手花部に上陸して、山を越えて赤木名に向かった。途中に広い川があったが何とか渡って、敵を挟み撃ちにする事ができた。敵は混乱に陥って、山の上のグスクに逃げ込んだ。グスクといっても石垣はなく、堀と土塁に囲まれたグスクだった。攻め落とすのに一月余りも掛かり、負傷者も出て、戦後処理にも手間取った。 浦の長老の話では、ヤマトゥのサムレーたちがやって来たのは四十年前だという。九州の 将軍宮様が亡くなると明国に向かう南朝の船は来なくなったが、琉球に向かう 二十年位前までは、港に入って来る船がかなりあって栄えていたが、だんだんとその船も減ってきた。倭寇たちがそれぞれ拠点を作って、そこで水の補給や風待ちをするようになったのだった。最近では港に入って来た船を襲って、荷物を奪い取るという海賊まがいの事までしていて、今回もいいカモが来たと襲ったのだという。 首領の名和小五郎は二代目で、子供の頃から暴れ者で、父親が亡くなってからはもうやりたい放題で、浦の人たちも困っていた。退治してくれて本当に助かったと長老はお礼を言った。 二か月余りも滞在した赤木名をあとにしたテーラーたちは 倭寇を倒して、辺留を出たのは十一月の半ばになっていた。その後、 戸口にも平家の流れを汲む 戸口をあとにして、 諸鈍の小松殿はテーラーたちを歓迎してくれた。小松殿の屋敷には書物が山のようにあって、かなりの物知りだった。小松殿の博学はヤマトゥンチュたちにも有名で、琉球に行く倭寇たちも小松殿に会うために、諸鈍に寄って行く船もあるらしい。 小松殿の先祖は、 テーラーも湧川大主も驚いた。 「初代の今帰仁按司は平維盛という御方だったのですか」と湧川大主は聞き返した。 「わしらの先祖の資盛殿は、筆まめな御方で多くの記録を残しておるんじゃよ。それを代々書き写して、わしの代まで伝えて来たんじゃ。資盛殿の記録によると、壇ノ浦の合戦のあと、生き残った平家の者たちは各地に散って行った。そして、源氏の追っ手から逃げるために、皆、名前を隠して隠れ住んでいた。琉球にも平家の者がいるとの噂は流れていて、壇ノ浦の合戦から二十年近く経った頃、資盛殿は琉球に行って、今帰仁按司と会ったらしい。そしたら、それが兄の維盛殿だったので、驚くと共に再会を喜んだようじゃ。二人が会ったのはその時が一度だけじゃった。資盛殿は兄と会った事は誰にも話さず、記録に残したが、その記録も百年間は極秘として、代々伝えられたようじゃ」 「平維盛という御方は、どのようなお人なのですか」とテーラーは聞いた。 「平家と源氏が争っていた二百年余りも前の事じゃ。平家の大将は 光源氏が誰だかテーラーも湧川大主も知らないが、御先祖様が美男子だったと聞いて、二人は顔を見合わせて喜んだ。 小松殿と別れて、テーラーたちが今帰仁に帰ったのは十二月の半ばを過ぎていた。 去年の奄美大島攻めは、山北王の叔父、本部大主を大将として、奄美按司に任命された クユー一族にやられたという。クユー一族なんて聞いた事もなかった。 去年、今帰仁を発った本部大主たちは、まず 本部大主は、諸鈍から加計呂麻島と奄美大島の間にある大島海峡に入って、奄美大島側の浦々を東から西へと寄って行った。抵抗を受ける事はなく、どこでも歓迎された。テーラーたちが北部の浦々を巡った時と同じように、どこでも精一杯のもてなしをしてくれ、夜伽の娘も提供された。初めのうちは戸惑っていた本部大主もだんだんと慣れていき、自分でも知らぬ間に横柄な態度を取るようになって行った。 何の問題も起こらず、大島海峡を抜けて、島の西側を北上して行った。各浦々を支配下に置いて、浦上に着いたのは八月の下旬で、孫六に歓迎されて、旅の疲れを取ったあと、赤木名に向かった。 奄美大島で残っているのは東側の南部、 テーラーは生き残った武将から当時の様子を聞いたが、詳しい事情はよくわからなかった。 進貢船には百人の兵が乗っていて、どこの浦に行っても、そこに二泊する事になっていて、五十人づつ交替で船を降りて浦に泊まった。降りた兵たちは浦の人たちに歓迎されて、中には浦の娘と仲よくなる 諸鈍の小松殿に聞いたら、勝浦には『クユー一族』と名乗る琉球から来た者が住んでいると言った。五、六年前にやって来て、あそこに住み着いたが、詳しい事はわからない。戦に敗れて逃げて来たようだ。諸鈍のウミンチュ(漁師)であそこに行った者がいて、歓迎してくれたらしい。その浦には、男よりも女がやけに多くいて、いい思いをして帰って来たと、そのウミンチュはニヤニヤしたという。 本部大主と五十人の兵が上陸して、何かが起こって、皆殺しにされたようだった。クユー一族が何人いるのかわからないが、二百人の兵で攻め込めば、倒す事ができるだろうとテーラーは思った。 今帰仁を船出したテーラーたちは どうして、ここにいるんだと聞いたら、永良部の若按司と気が合って、ここに住む事に決めたという。すでに家族も呼んであり、今、グスクを築いていた。 「謹慎は解けたようですね」と孫八は笑った。 テーラーたちが奄美大島から帰った何日かして、孫八は兄の代理で今帰仁に来て、山北王と会って臣下の礼を取っていた。孫八が今帰仁に滞在中にテーラーは謹慎となり、本部に帰ったのだった。 「まあな。ちょっとひと休みしただけさ」とテーラーは笑った。 孫八と別れて、 勝浦は入り江の奥にあり、様子を見るため手前にある テーラーは百人の兵を陸路で勝浦に向かわせ、山の中で待機するように命じた。時間を見計らって、テーラーは勝浦に向かった。沖に船を泊めると五十人の兵を率いて、小舟に乗って勝浦に向かった。砂浜に出て来る人影は見えたが、武器を持っている様子はなく、弓矢が飛んで来る事もなかった。 テーラーたちは次々に上陸した。敵が攻撃を仕掛ければ、挟み撃ちにする手はずになっていた。 五十人の兵を出迎えたのは、長老らしい年寄りと首領らしい男だった。二人とも武器は持っていなかった。数人のウミンチュらしい男たちが、遠くで成り行きを見守っていた。 「 「なぜ、本部大主と五十人の兵を殺したんだ?」とテーラーは聞いた。 「本部大主様を殺したのは、無礼な態度を取ったからでございます。五十人の兵を殺したのは、わしらが生き残るためでございます」 「無礼な態度を取ったとは、どういう事だ?」 「酔っ払った本部大主様は、わしらの主人に言い寄って、強引に夜伽をさせようと迫ったのでございます」 「そなたの主人というのは女なのか」 「琉球のさる按司の 「なに、倅の前で、母親に迫ったのか」 そう言って、テーラーは首を振った。 本部大主はテーラーの叔母の夫で、琉球にいた頃は 「本部大主を殺した理由はわかった。そなたの言う通りなら、本部大主が悪い。倅に斬られても仕方がないとも言える。五十人の兵はどうして殺したんだ?」 「その宴席には、本部大主様の供として五人のサムレーがおりました。本部大主が斬られるのを目の前で見て、皆、呆然としておりました。わしらも勿論、呆然としておりました。本部大主を殺した倅は仲間に合図をして、その五人も殺してしまったのでございます。さて、これからどうしたらいいのか考えました。五十人の兵たちは別の場所で酒盛りをしております。大将が殺された事を知れば、わしらは皆殺しにされると思ったのでございます。それで、眠っている所を襲って、全員を殺したのでございます」 「成程のう。話の筋は通っているが、兵士に飲ませた酒はどうしたのじゃ。そんな大量の酒を持っていたのか」 「わしらは酒など持っておりません。船から持って来て飲んでいたのでございます。この島を支配下にしたお祝いじゃと言っておりました」 ここが最後の浦だったのかとテーラーは納得した。本部大主にヤマトゥの酒を大量に持って行けと言ったのはテーラーだった。奄美大島の者たちにうまい酒を飲ませてやれとも言った。あんな事を言わなければよかったと後悔した。それにしても、最後のお祝いで亡くなってしまうなんて、あまりにも哀れな事だった。 「どうなさる?」と長老が聞いた。 「わしらを討ち取るかね?」 「難しいところじゃな。原因を作ったのは本部大主だが、殺された五十人の兵たちには殺される理由などないからのう」 テーラーは女主人に会ってみる事にした。兵たちを浜辺に待機させて、二人の供を連れただけで、長老たちに従った。 女主人は奥方様と呼ばれるにふさわしい上品な顔付きをした美人だった。酔っ払った本部大主が口説いたわけもわかる気がした。テーラーよりも年上のようだが、魅力的な女だった。息子らしい二十歳前後の男と娘なのか、若いヌルも一緒にいた。 「ウトゥミと申します」と女主人が言ったので、 「山北王の家臣、 「事の成り行きは聞いたと思いますが、叔父が言った通りでございます」 「話はわかったが、そうでござるかと帰るわけにはいかん。殺された兵たちには家族がいる。家族たちに ウトゥミが急に手を叩いた。 女たちがぞろぞろと現れた。皆、大きなお腹をしていた。 「あの時、できた子供たちです」とウトゥミが言った。 「あの時?」 「五十人の兵たち全員に夜伽の女を付けたのです。そのうち十八人が子宝に恵まれました」 「なに、五十人の兵たち全員に、女をあてがったのか」 「わたくしどもは兵たちを大歓迎で迎え入れたのです。あの事件さえ起きなければ、皆、満足して帰って行ったはずです」 「そうか」と言って、テーラーは女たちを見た。若い娘たちがほとんどだった。 「どうして、娘たちを兵たちに提供したのです?」 「一族を増やすために、子供が欲しいのでございます。戦でほとんどの男が戦死してしまいました。男手を増やさなければなりません」 「成程」と言って、テーラーは腕を組んだ。 まったく、叔父の不始末で五十人の兵が殺されるなんて情けない事だった。しかし、何とか、けりをつけなければならなかった。 「ところで、クユーとはどういう意味ですか」とテーラーは聞いた。 「クユーとは九つの星の事でございます」と長老が答えた。 「クユー紋(九曜紋)という家紋があって、ヤマトゥから来たわしらの先祖がそれを使っていたそうです」 「あなた方の御先祖はヤマトゥから来られたのですか」 「もう昔の事ですよ」とウトゥミが言った。 「琉球の按司の奥方様だったと聞きましたが、どちらの按司だったのか教えていただけないでしょうか」 「それは‥‥‥」と言って、ウトゥミは口ごもった。 「もし、復帰を狙っているのであれば、山北王としても手助けができるかもしれません」 ウトゥミは長老と顔を見合わせてから、「 意外な答えだった。テーラーは先代の中山王の奥方ではないかと思っていた。勝連では立て続けに按司が代わったと聞いている。奇病に罹って亡くなった按司もいた。詳しい事情はわからないが、内部でもめ事があったのかもしれない。今の勝連は中山王の親戚が按司になっている。中山王を倒す時、勝連の残党なら利用できるに違いないとテーラーは思った。 「本部大主を殺した奴の生首だ」とテーラーは待機していた兵たちに向かって生首をかかげた。 「これで、すべて解決じゃ。こいつが本部大主を斬ったこの刀を今帰仁に持って帰る。山北王も納得してくれるだろう」 生首を持って帰っても腐ってしまうので、丁重に 「引き上げるぞ」と言うと、テーラーは兵たちを引き連れて勝浦から去って行った。 生首はウトゥミの倅の首ではなかった。 |
奄美大島、浦上
奄美大島、赤木名
奄美大島、戸口
加計呂麻島、諸鈍
奄美大島、勝浦