神懸り
サハチがニシタキから下りて、みんなの前に顔を出したのは二日後の夕方だった。サハチがクイシヌと一緒にいた事はみんな知っていて、心配はしていなかった。二日目の夜もスサノオの神様とユンヌ姫が現れて、クミ姫の娘のアラカキ姫、アーラ姫、ウフタキ姫も現れて、一緒に酒盛りをした。昼間はクイシヌに 久米島を去る前にもう一度、クイシヌに会いたかったが、クイシヌはニシタケに籠もったまま出ては来なかった。 ナツが子供たちと女たちを連れて サハチと安須森ヌルが留守番をして、ナツとサスカサ、ユリとハルとシビー、侍女五人と 六月二十四日、 初めて見るトゥイは噂通りの美人だった。サハチよりも十歳近く年上のはずなのに、そんな 「初めまして」とサハチが挨拶をすると、 「噂は主人から色々と聞いていましたが、会うのは初めてですね」とトゥイは笑った。 「今、思えば不思議です。シタルーはどうして、あなたを隠していたのでしょう。十年ほど前に、婚礼に招待されて 「次男の婚礼の時ですね。あの時は婚礼の儀式は身内だけで別の場所でやって、お祝いの 「そうだったのですか。あの時、行き届いた手配りに皆、満足しておりました。あなたのお陰だったのですね」 「いいえ、侍女たちがよくやってくれたのです。わたしは 「賢いお母さんだったのですね」 「母は 「御内原にいたナーサを知っていますか」とサハチが聞くとトゥイは驚いた顔をしてサハチを見た。 「ナーサを御存じなのですか」 サハチはうなづいて、「今、首里で 「えっ、ナーサが遊女屋を? ナーサが遊女屋をやっているなんて信じられませんが、生きていたのですね。よかったわ」 「ちょっとした縁がありまして、ナーサが首里に遊女屋を開く時に援助したのです。ナーサの遊女屋は、重要なお客様の接待に非常に役に立っています」 「そうでしたか。ナーサは人を使うのがうまいですからね。わたしもナーサから色々な事を学びました。ナーサから学んだ事は嫁いでからも、とても役に立ちました。話は変わりますが、わたしはあなた方御夫婦を羨ましいと思っていたのですよ。毎年、仲よく旅をなさっていて。わたしは一度も、主人と一緒に旅なんてできませんでした。もう王妃ではありませんので、これからは気ままに旅をしたいと思っております」 「首里にも行って下さい。妻のマチルギが歓迎するでしょう。ナーサにも会って下さい」 お芝居が始まったので、「楽しんでいって下さい」とサハチは言ってトゥイと別れた。 お芝居はシビーとハルの新作で「 サハチはササたちの所に行ってお芝居を観た。ササたちは昼間から酒を飲んでいて、サハチも加わった。 サーター島のお姫様、チルーが小舟に乗ってマーシュ島の王様の次男シュタルに嫁いで行く場面から『王妃様』のお芝居は始まった。チルーが新しいグスクを お芝居が終わったあと、佐敷の若按司夫婦の歌と トゥイは馬に乗って、マアサたちに守られて帰って行った。トゥイを見送ったあと、 「お母さん、楽しそうだったわ」とウミトゥクがサハチに言った。 「王妃としての役目を終えて、ホッとしているのかしら」 「そうかもしれんな。 「はい」とうなづいてから、「わたしもヤマトゥに行ってみたい」とウミトゥクは笑った。 「そうだな。子供がもう少し大きくなったら、女子サムレーとして行ってくるがいい」 「本当ですか」とウミトゥクは目を輝かせた。 「マチルギたちがヤマトゥに行く前は、 ウミトゥクは嬉しそうな顔をしてうなづいた。 サハチは翌日、首里に行って久米島の役人の交代を重臣たちと相談した。久米島の役人たちを 次の日には浮島のチージ(辻)に行って、 その後、サハチはジクー禅師のために造るお寺をどこに建てようかとあちこち歩き回った。 ジクー禅師はまだお寺はいらないと言うが、毎年、正使を務めてヤマトゥに行っているので、感謝の気持ちを込めて立派なお寺を建てなければならなかった。ジクー寺はヤマトゥとの交易の拠点にして、ヤマトゥの情報を集めたり、ヤマトゥに行く使者を育てたりしようと考えていた。 七月七日、去年に引き続いて、ヌルたちの 初めて久高島を出た大里ヌルは前日に首里に来て、その賑わいに目を丸くした。こんなにも大勢の人を見たのは初めてだった。首里グスクの高い石垣に驚き、 安須森ヌルもサスカサも安須森に行ってしまい、 「マフーは敵討ちに夢中になっていますよ。敵って 「安須森ヌルに考えがあるんだろう」とサハチは言いながらも、玻名グスクヌルがサハチを睨む目が気になっていた。 「それにしたって危険ですよ。ササもわざわざ連れて来なくてもいいのに」 「危険な奴は近くに置いて見張っていた方がいいだろう。どこにいるのかわからなければ、返って危険だ。津堅島には行かなかったけど、安須森には行ったんだろう?」 「行ったようです」 「妹が久米島にいる事を知らせてやりたいが、まだ時期が早過ぎるな」 「いっその事、マフーも久米島に送ったらどうですか」 「もう少し様子を見よう。俺の寝首を掻こうとしたら捕まえて久米島に送ろう」 「久米島で思い出したけど、クイシヌ様というヌルと一緒にお山に籠もったんだそうですね? クイシヌ様はとても美人だって安須森ヌル様が言っていましたよ」 「美人だけじゃない。久米島を守っているのがクイシヌ様なんだよ。あの島には按司はいないんだ。ヌルが島の人々を統治しているんだ。昔の状態を未だに維持しているんだよ」 「そんな偉いヌル様とお山に籠もって何をしていたんです?」 ナツは疑いの眼差しでサハチを見ていた。 「よく覚えていないんだ」とサハチは言った。 「ほんとかしら? 山の中に三日もいたそうですけど、どこで眠ったのですか。山の中にガマ(洞窟)でもあったのですか」 「ガマ?」 ガマと聞いて、サハチは思い出した。確かにガマがあった。そして、そのガマに古い神様がいたのだった。 「クメーだ」とサハチは言った。 「何ですか、クメーって?」 「ガマの中にいた神様がしきりに、クメー、クメーって言っていたんだよ。クイシヌ様も神様の言葉はわからなかったけど、クメーという国から来た人たちが、この島に 「そのガマでクイシヌ様と仲よくやっていたんですね?」 「何を言っているんだ。朝までずっと神様たちと一緒に酒盛りをしていたんだ。酔っていたし、疲れ切って眠ってしまったよ。目が覚めたら日が暮れていて、また、神様と朝まで酒盛りをしていたんだ」 「神様って、その言葉のわからない神様と?」 「違うよ。スサノオの神様とその孫娘のユンヌ姫様と久米島の神様のクミ姫様だよ」 「ほんとかしら?」とナツがサハチを睨んだ時、救いの神が現れた。 「今帰仁グスクでマジムン(悪霊)退治が行なわれたようだ」とウニタキは言った。 「今帰仁にマジムンがいるのか」 「 「何だって? どうして、奄美大島に行ったんだ?」 「詳しい事情はわからんが、今帰仁ヌルに追い出されたんじゃないのか。いつまでも敵討ちにこだわっているから、うっとうしくなったんだろう」 「そうか。しかし、また、なんで奄美大島なんかに行ったんだ?」 「奄美大島の按司の娘をヌルに育てるためらしい」 「そういう事か。奄美大島で頭を冷やして、敵討ちを忘れてくれればいいんだがな」 「たった一人では敵討ちもできまい」 「兄貴のイシムイがいるだろう」とサハチが言うと、ウニタキは首を振った。 「どうやら、イシムイも諦めたようだぞ」 「なに、本当か」とサハチは驚いた。 「イシムイが一緒にいる娘の父親、 「信じられんな」 「頼りにしていた 「我如古大主か‥‥‥我如古とはどこにあるんだ?」 「浦添の 「そうか。奴も諦めたか」 「 「とうとう捕まったのかな」 「そうだといいんだが、 「火薬だけでなく、明国の商品が来なくなれば、ヤマトゥの商人たちとも取り引きができなくなるぞ」 「また 「進貢船は壊れたのだろう」 「そうだ。島伝いに鬼界島くらいなら行けるだろうが、 「泣きついてきたら乗せて行ってやるさ。こっちもお寺を建てるのに、材木が必要だからな」 「材木と言えば、 「沖の郡島にか。あんな島に按司を置くつもりなのか」 「俺もそう思ったんだが、噂によるとグスクというよりもヌルの屋敷を建てているようだ」 「ヌルの屋敷?」 「山北王は沖の郡島の若ヌルに惚れたようだ」とウニタキは笑った。 「俺たちも山北王の事を笑えんが、若ヌルのために立派な ナツがお茶を持って来た。 「久米島に行ったり、今帰仁に行ったりと御苦労様です」とナツはウニタキに言って笑った。 「今帰仁も以前よりは近くなったよ」とウニタキは言った。 「 「初めて今帰仁に行った時は苦労したな」とサハチが言うと、 「俺も道に迷った」とウニタキは笑った。 「ここに来る前に旅芸人の所に寄って来たんだが、ハルとシビーがまた新作のお芝居を作ったようだな」 「『王妃様』だ。先代の山南王妃も観に来て、喜んでいたようだ。今度はお師匠を書くと言って、今、山グスクにいるよ」 「なに、今度はヂャンサンフォン殿(張三豊)をお芝居にするのか」 「『 「馬鹿を言うな。俺がお芝居になったら、裏の仕事ができなくなる」 「今帰仁攻めが終わったら、裏の仕事もやめるんじゃないのか」 「落ち着くにはまだ早すぎる。今帰仁攻めが終わったら、シャム(タイ)に行くんだろう。 「ササは 「マカマドゥはまだ三歳だろう。もう少し大きくなってからだ」とサハチが言うと、 「そんな事を言ったら、いつ行けるかわからないわ。また、子供ができるかもしれないし」 「そう言えば、タチはまだ首里にいるのか」とウニタキが聞いた。 「首里の 「いつまでも女たちの中で暮らしていたら、ろくな奴に育たないぞ。こっちに連れて来て、兄弟たちと一緒に遊ばせた方がいい」 「俺もそう思うんだがな」 「タチをこっちに連れて来て、代わりに女の子を首里に連れて行けばいいんじゃないか。女の子なら御内原にいれば花嫁修業になるだろう」 「それはいい考えだ。マチルギに言ってみよう」 旅芸人を連れて南部を巡って、按司たちの様子を見てくると言ってウニタキは帰って行った。 六日後、安須森参詣から帰って来たササたちは、サハチの言った通り、スサノオの神様は琉球に来ていたと言った。 「按司様の 「やっぱり、あれは夢ではなかったんだな」とサハチは言って、思い出したニシタキのガマにいた古い神様の事をササに話した。 「えっ、ニシタキにそんなガマがあったの?」とササは驚いた。 「クイシヌ様は連れて行ってくれなかったわ」 「ササがクミ姫様とウムトゥ姫様の事を聞いたから、それに関係あるウタキに連れて行ってくれたのよ。ササが古い神様の事を聞いたら連れて行ってくれたと思うわ」とシンシンが言った。 「そうね、残念だったわ。お米を持って来た古い神様はクメーという国から来たのね?」 「言葉が通じないので、クイシヌ様もよくわからないようだけど、お米を作るには水が必要で、水をもたらせてくれるニシタキを神様として祀って、代々の首長をニシタキのガマの中に葬ったのではないかと言っていたよ」 「その人たちが島の名前をクメー島にして、それがなまってクミ島になったのね」 「多分、そうだろう」 「クメーってどこかしら?」 「南の島じゃないのか」 「アマミキヨ様たちよりも先に来ているのよね?」 「ユンヌ姫様がそう言っていたな。そういえば、ユンヌ姫様に会ったけど、可愛いかったぞ」 「ユンヌ姫様が姿を現したの?」 「一緒に酒を飲んだんだ。スサノオの神様も一緒にな」 「あたしはまだ姿を拝んでいないわ」とササは悔しがった。 「南の島に行って、一番高い山の上で笛を吹いてみろ。スサノオの神様がやって来るかもしれない」 「それは無理よ。琉球の 「熊野権現で思い出した」とサハチは言った。 「クイシヌ様から聞いたんだけど、堂の 「熊野水軍が久米島にも行ったのね?」 「貝殻を求めて行ったんだろう。スサノオの神様が久米島に行ったので、堂の村と浮島の波之上権現もつながった。ミャーク(宮古島)にも熊野権現があれば、ミャークともつながるだろう。それと、気づいた事があるんだけど、スサノオの神様は琉球の言葉をしゃべっていたぞ。ヤマトゥ言葉ではなかった」 ササはハッとした顔をして、「確かにそうだわ」とうなづいた。 「今までどうして気づかなかったんだろう。スサノオの神様が琉球に来た一千年前は、琉球とヤマトゥの九州は同じ言葉をしゃべっていたんじゃないかしら。勿論、対馬もよ。でも何百年か経って、 「成程、昔は同じ言葉だったけど、変わってしまったんだな」 ササはうなづいてから、「玻名グスクヌルが安須森で 「安須森に登って、シヌクシヌルの神様に歓迎されたんだけど、お山から下りて、みんなで 「シヌクシヌルの神様というのは、どこの神様なんだ?」 「安須森ヌル様を助けていたヌルなのよ。安須森ヌル様を助けていたヌルは何人もいたんだけど、その中でも特別な三人が、シヌクシヌル、アフリヌル、シチャラヌルなの。玻名グスクヌルはアマン姫様からシヌクシヌルを継ぎなさいって言われたの。でも、敵討ちにこだわっていて迷っているのよ」 「アフリヌルはカミーが継ぐんだな?」 「そうよ。そして、シチャラヌルを継ぐのは 「えっ!」とサハチは驚いた。 「奥間ヌルがシチャラヌルなのか」 「だって、シチャラヌルのガーラダマを持っているもの」 「すると、安須森が滅ぼされた時に、奥間に逃げた安須森ヌルの妹がシチャラヌルだったのか」 「そういう事よ。それで、玻名グスクヌルなんだけど、倒れたあと、急に立ち上がったと思ったら、酔っ払ったようにフラフラした足取りで村の外れの小高い丘の中ほどまで行ったのよ。そして、『ここよ』と地面を指差して、また倒れちゃったの。そこに何かが埋まっているに違いないと思って掘ってみたら、白骨が出て来たわ。そして、白骨の首の辺りに立派なガーラダマがあったのよ」 「安須森が滅ぼされた時に亡くなったシヌクシヌルだったのか」 ササはうなづいた。 「骨を綺麗に洗って壺に入れて、また、そこに埋めて、ヌルたち全員でお祈りを捧げたわ」 「ガーラダマは玻名グスクヌルが身に付けたのか」 「付けたわ。玻名グスクヌルも覚悟を決めたようだったわ。次の日、安須森に登って、神様と長い間、お話ししていたのよ」 「そうか。敵討ちは諦めたか」 「敵討ちはやめたけど、ヂャンサンフォン様のもとで修行をするって言っているわ。これから山グスクに連れて行くのよ」 「お前たちも山グスクに行くのか。ハルとシビーも山グスクに行ったまま帰って来ないよ」 「そう言えば、次の新作はお師匠を書くって言っていたわね」 ササたちはお茶を飲むと山グスクへと向かった。 それから四日後、チューマチの妻、マナビーが首里グスクの御内原で娘を産んだ。母親に似て可愛い娘だった。チューマチの長女はチルギガニと名付けられた。 |
津堅島
手登根グスク
安須森