長老たちの首里見物
首里グスクの北、会同館の西側には赤木が生い茂った森があった。赤木を伐り倒して整地をして、そこに大きな穴を掘って大池を造り、庭園として整備する事に決まった。 キラマ(慶良間)の島から次々に来る若者たちが、掘っ立て小屋を建てて暮らしながら、奥間の杣人たちの指示に従って、赤木を伐り倒していた。炊き出しをしている娘たちもいて、新しい村ができたかのように賑やかだった。 二月三日に旅から帰って来たファイテとジルークは各地を巡って、やるべき事は色々と見つかったが、最初にやるべき事は首里の城下の御門を造る事だと言った。明国の都は城壁で囲まれていて、入り口には立派な門がある。琉球の都に城壁は必要ないが、ここからが都だという印の御門は必要だ。琉球らしい御門を造ると言って、一徹平郎たちと相談していた。 ファイテとジルークは中山王に仕える事になって、島添大里から首里に引っ越しをした。ファイテの母のヂャンウェイも一人になってしまうので、一緒に移る事になった。ウニタキの妻のチルーは無理に笑って、ヂャンウェイとミヨンを見送った。 二月九日、首里のお祭りが行なわれた。例年通り、北曲輪と西曲輪が開放されて、龍天閣も開放された。この日だけは思紹も龍天閣を出て、百浦添御殿(正殿)で暮らす事になっていた。 お芝居はハルとシビーの新作『千代松』だった。 シジマが志慶真のウトゥタルから聞いた話を元に台本を書き始めたが、千代松が今帰仁グスクを追い出されてから、二十二年後に今帰仁グスクを攻め取るまでの間、何をしていたのかよくわからなかった。 ハルとシビーは安須森ヌルと一緒に浦添に行って、『ユードゥリ』と呼ばれている英祖のお墓に行った。浦添ヌルのカナのお陰で『ユードゥリ』は見違えるように綺麗になっていた。ガマの入り口に立派な木戸があり、ガマの中で朽ち果てていた御殿も再建されていた。御殿の中に華麗な厨子があって、お祈りをすると機嫌のいい神様の声が聞こえた。 安須森ヌルが千代松の事を聞くと、三代目の英慈が詳しく知っていて教えてくれた。 潮平大主に連れられて今帰仁グスクから逃げた千代松は、叔父の北谷按司を頼って北谷に逃げた。しかし、本部大主の刺客が現れて、身の危険を感じ、従兄の八重瀬按司(英慈)を頼って八重瀬に逃げた。伯父の浦添按司(大成)と叔父の勝連按司によって、本部大主の刺客たちは倒された。千代松は八重瀬の城下で敵討ちのために武芸の稽古に励みながら成長した。 十四歳の時、浦添按司の大成が亡くなって、英慈が浦添按司を継いだ。浦添按司は浦々を支配する按司で『世の主』と呼ばれ、中南部の按司たちの上に立っていた。 八重瀬で暮らしていた千代松は十八歳になって、英慈の娘を妻に迎えた。千代松は『世の主』の娘婿となり、『世の主』の力を借りれば、今帰仁攻めも夢ではなくなった。ところが翌年、英慈が急に亡くなってしまい、若按司が跡を継ぐべきなのに、玉グスクに婿に入っていた若按司の弟の玉城が反乱を起こした。若按司を殺し、千代松がいた八重瀬にも攻めて来て、義兄の八重瀬按司も殺された。千代松は妻を連れて、叔父の勝連按司を頼って逃げた。 四男だった玉城が兄たちを倒して『世の主』になったので、各地で戦が始まって、戦乱の世となってしまった。九年間、勝連で暮らしながら今帰仁の様子を探っていた千代松は、潮平大主の活躍で、かつての家臣たちを集め、従兄の勝連按司と義兄の北谷按司の援軍を借りて、今帰仁グスクを攻めた。見事に敵の本部大主を討ち取って、今帰仁按司になったのだった。 「千代松はわしの娘のマナビダルが選んだ男だけあって、素晴らしい奴じゃった。弟の玉城は兄の若按司を倒して浦添按司になったが、義兄の千代松には頭が上がらなかったんじゃよ。千代松は本当に賢い奴で、人望のある男じゃった。千代松が『世の主』だったと言ってもいいほど、千代松の力は強かったんじゃよ」 安須森ヌルが神様から千代松の事を聞いてくれたお陰で、ハルとシビーの台本作りはうまく行って、年が明けると女子サムレーたちの稽古が始まった。 稽古は順調に行っていたが、ハルもシビーも何かが物足りないと思っていた。二月になってササが若ヌルたちを連れて、お祭りの準備の手伝いにやって来た。千代松が本部大主に追い出された時、姉の今帰仁ヌルは本部大主の謀反を察知して、千代松を逃がしたとササから聞いたハルとシビーは手を打って喜び、今帰仁ヌルのカユを台本に書き加えた。武芸の達人のカユの登場によって、お芝居は格段と面白くなった。カユは千代松を逃がした時だけでなく、千代松が今帰仁を攻める時も鎧を身に着けて活躍していた。 お芝居『千代松』は大成功に終わり、観客たちの喝采はいつまでも続いた。 ウニタキと一緒に帰って来た旅芸人たちは『ウナヂャラ』を演じた。『千代松』を観て感激した旅芸人たちは、今帰仁のお祭りに『千代松』を演じようと張り切っていた。 西曲輪の舞台で『千代松』が上演されていた時、百浦添御殿では五度目の戦評定が開かれていた。奥間炎上から二十日余りが経ったヤンバル(琉球北部)の状況がウニタキから説明された。 「真喜屋之子の活躍によって国頭按司、羽地按司、名護按司の山北王からの離反が決まりました」とウニタキは言った。 「なに、そいつは本当か」と思紹が驚いた顔でウニタキを見てから、皆の顔を見回した。 皆がじっとウニタキを見つめていた。 「名護の松堂殿、国頭の喜如嘉の長老、羽地の我部祖河の長老が夫婦連れで、各按司の書状を持って、『まるずや』の船に乗って来ます」 「長老たちが来るのか」と思紹が満足そうにうなづいて、「よくやったぞ」とウニタキに言うと、皆もうなづき合って、ヤンバルの按司たちの寝返りを喜んだ。 「『まるずや』の船がまだヤンバルにいたのか」と思紹がウニタキに聞いた。 「去年の三月に山北王に貸した商品のお返しが載っています。湧川大主が謹慎しているので、役人たちがもたもたしていて、やっと商品が揃ったのです。あまり急ぐと怪しまれるので、今月の半ば頃には浮島に着くと思います」 「山北王に怪しまれてはいないのじゃな?」 「怪しまれないように、三人の按司たちは再三、山北王に奥間から兵を撤収するように頼んでいます。山北王は会ってはいないようですが。それに、中山王から手に入れた明国の商品を親泊で、ヤマトゥの商人たちと取り引きもしています。奥間の事で怒ってはいても、離反するなんて山北王は思ってもいないでしょう」 「離反するに当たって、按司たちは条件を出さなかったか」とサハチがウニタキに聞いた。 「中山王に従えば、従者として進貢船に乗って明国に行けるし、以前のごとく、材木、米、ピトゥ(イルカ)の取り引きは続けると言ったら文句はないようでした。ただ、山北王を倒したあとの今帰仁按司の事ですが、名護按司と国頭按司は、千代松の血を引いている者になってほしいと言い、羽地按司はできれば、帕尼芝の血を引いた者も按司代として置いてほしいと言っていました」 「千代松の血を引いているといえば、伊波按司、山田按司の一族じゃな」と思紹が言うと、 「マチルギが産んだ息子たちもです」とサハチが言った。 「初代の今帰仁ヌルだったアキシノ様に、マチルギの息子を今帰仁按司にすると約束しました」 「神様と約束したのなら守らなくてはならんな。サグルーを今帰仁按司にするか。サグルーも今年、二十七になった。サムレー大将のジルムイとマウシとシラーが一緒ならヤンバルを治める事ができるじゃろう。ジルムイもマウシも千代松の血を引いているからのう」 「ジルムイも今帰仁に送るのですか?」とマチルギが思紹に聞いた。 「サグルーが中山王になった時、ジルムイはサムレーたちの総大将になる事を願っている。一緒にいた方がいいじゃろう」 「帕尼芝の血を引いた者は誰かおるのか」とヒューガが聞いた。 「南部にいるのは山南王の世子になったミンだけじゃろう」と思紹が言った。 「山北王の若按司を今帰仁に送るわけにはいかん。騒ぎの元になる」と苗代大親が首を振った。 「マハニさんとマナビーも帕尼芝の血を引いています」とマチルギが言った。 「ンマムイ(兼グスク按司)の倅を送れば問題ないな」とサハチは言ったが、 「チューマチ夫婦を送るのが一番いいのではありませんか」とファイチが言った。 「チューマチは千代松の血を引いていて、マナビーは帕尼芝の血を引いています」 「おお、そいつはいい考えじゃ」と思紹が言って、皆がファイチの意見に賛成した。 「その前にマナビーに今帰仁攻めを納得させるのが問題です」とマチルギが言って、溜め息をついた。 ンマムイも納得させなければならないとサハチも思った。 「大変な事じゃが、その事はマチルギに任せるしかないな。今帰仁に知らせると言い出すかもしれん。説得するのはもう少し待ってくれ」と思紹が言った。 「ヤンバルの三人の按司たちには、チューマチ夫婦を今帰仁按司にすると伝えればいいのですか」とウニタキが思紹に聞いた。 「チューマチだけでは頼りないので、他の武将も付けると付け加えておいてくれ」 「わかりました。三人の長老たちですが、戦が終わるまで南部にいます。いわば人質です。真喜屋之子とキンタが恩納と金武に向かっているので、恩納按司と金武按司の人質も連れて来る手筈になっています」 「東方の按司たちと山南王には戦の事をいつ知らせるんじゃ?」と苗代大親が思紹に聞いた。 「そうじゃのう。按司たちに知らせれば山北王にも伝わる。そうなると、山北王は今帰仁のお祭りを中止してしまうじゃろう。今帰仁のお祭りが終わってから知らせよう」 「三月二十五日に出陣命令を出して四月一日に出陣か。忙しいですな」 「なに、南部の按司たちは守りを固めて、南部にいる山北王の兵たちの動きを封じるだけじゃ。何とかなるじゃろう。ただ、中部の按司たちには山北王に気づかれないように、一月前には知らせておいた方がいいじゃろう」 皆が思紹にうなづいたあと、安須森ヌルが、 「奥間の様子はどうなのですか」とウニタキに聞いた。 「国頭の『まるずや』から送っているし、按司たちも送っているので、食糧と物資は充分にある。避難生活は長引いているが、中山王が取り戻してくれる事を信じて、通常の生活に戻って来ている。奥間にいる諸喜田大主は裏山を整地して、グスクを築き始めた」 「焼け跡はそのままなの?」とササが聞いた。 「そのままだ。片付けるのは大変だが、今帰仁攻めが終わったら、みんなで片付ければすぐに終わるだろう」 「湧川大主の動きはないのか」とサハチはウニタキに聞いた。 「本人は動いていない。今帰仁にも行っていない。鬼界島(喜界島)攻めで傷ついた武装船の修理をしていて、時々、武装船に乗って気晴らしをしているようだ」 「山北王も動きはないのか」 「奥間を攻める前に、沖の郡島(古宇利島)から帰って来てからグスクを出た様子はないんだ。ただ、義弟の愛宕之子に南部の様子を調べさせている。愛宕之子はヤマトゥに帰ったがアタグと言う山伏の倅で、山北王の妹を妻に迎えているんだ。親父に仕込まれて山伏の修行をしたのか、足の速い奴で、今帰仁から首里まで一日で行ってしまうそうだ。今、南部をうろうろしている。中山王が山北王を攻めるかどうかを探っているのだろう。庶民の格好をしているが、なぜか、赤い手拭いを首に巻いている。赤い手拭いを首に巻いた奴に出会ったら気を付けた方がいい」 「ちゃんと見張っているんだな?」 「見張ってはいるんだが、時々、見失ってしまうそうだ」 サハチにそう言ってから、ウニタキは思紹を見た。 「三人の長老たちですが、中山王は会わない方がいいと思います。愛宕之子や『油屋』の者たちが動きを見張っているでしょう。首里見物をして、島尻大里に行って仲尾大主と会ったあとは、マナビーがいるミーグスクに滞在する事になるでしょう。サハチを通して書状のやりとりをした方がいいと思います」 「わかった。そうしよう」と思紹はうなづいた。 「今、思い出したんじゃが、喜如嘉の長老というのは水軍の大将だった男ではないのか」と苗代大親がウニタキに聞いた。 「そうです。知っているのですか」 「昔、一緒に飲んだ事があるんじゃよ」と苗代大親が言ったので、皆が驚いていた。 「ヤンバルの水軍の大将が佐敷に来たのか」と思紹が聞いた。 苗代大親はうなづいた。 「あれは大グスクの戦が終わったあとじゃった。わしが内原之子を倒したという噂を聞いて会いに来たらしい。明国に送る山北王の使者を浮島まで送って来たんじゃが、夏まで帰れないと言っていた。『前田の棍』とか『白樽の棍』とか知っていて、一緒に飲んで武芸の話をしたんじゃよ。来年、また来ると言って別れたんじゃが、結局、一度会っただけじゃった」 「ほう、そんな事があったとは知らなかった」 「あの頃の兄貴は大グスク按司になったシタルーの事で頭を悩ませていたから、いちいち言う事でもあるまいと思って言わなかったんじゃよ。何年振りじゃろう。三十年か。会うのが楽しみじゃ」 「そういえば、苗代大親殿は真喜屋之子を知っているのではありませんか」とウニタキが聞いた。 「奴は十八の時、美里之子の道場に一年余り通っていました」 「何じゃと?」と苗代大親と思紹が同時に言ってウニタキを見た。 「奴は佐敷で修行したお陰で、進貢船のサムレーになったんです。サミガー大主の離れに滞在して、カマンタ(エイ)捕りをしながら道場に通っていたようです。当時はジルーと名乗っていたと思います」 「それはいつの事なんじゃ?」 「ファイチが琉球に来た頃です」とサハチが言った。 「奴はリュウインの弟子だったので、明国の武芸を身に付けていたはずです」とウニタキが言ったら、 「おう、思い出したぞ」と苗代大親は言った。 「奇妙な太刀さばきをする奴がいた。確かにジルーという奴だった。あいつが真喜屋之子だったのか」 苗代大親は思紹に説明したが、思紹は思い出せないようだった。 首里のお祭りにはンマムイ夫婦もチューマチ夫婦も来ていたが、今帰仁攻めを内緒にしているのが辛かった。 二月十一日、浦添グスクでジルークとミカの婚礼が行なわれた。ジルークは大げさな婚礼はいらないと言ったが、父親の浦添按司は三男のジルークを自慢して、みんなに紹介したかった。明国に留学していた秀才の婚礼だと、浦添城下はお祭りのような騒ぎとなって、ジルーク夫婦を祝福した。従弟の婚礼なので、サハチもマチルギと一緒に参加した。 十五日には平田グスクで平田按司の長男のサングルーと垣花按司の長女のマフイの婚礼が行なわれ、サハチはマチルギと一緒に平田に行って祝福した。 平田ヌルと一緒に須久名森ヌルのタミーも婚礼の儀式を執り行なっていた。ヌルの格好をしたタミーを久し振りに見たサハチは、その神々しさに驚き、キラマ(慶良間)の島で見たタミーとは別人のようだと感じた。 その翌日、島添大里にいたサハチのもとに、ヤンバルの長老たちが浮島に着いたと知らせが入った。迎えに行きたかったがウニタキに任せて、島添大里に来るのを待った。 翌日の正午前に長老たちはウニタキに連れられてやって来た。松堂夫婦と喜如嘉の長老夫婦、我部祖河の長老夫婦と『油屋』のウクヌドー(奥堂)夫婦も一緒にいた。クチャとスミも一緒にいて、御隠居様たちの護衛役ですと言って笑った。 ウクヌドーの正妻は今帰仁にいるので、連れて来たのは側室で、ユラの母親だった。ユラの母親は、娘が大変お世話になったとサハチにお礼を言った。ウクヌドーは今年の正月、首里の店の主人を次男に譲って隠居したという。 松堂夫婦は、また来ましたと言って笑った。 サハチは長老たちを一の曲輪の屋敷に連れて行って、昼食を御馳走した。 喜如嘉の長老の事はウニタキから聞いているので、水軍の大将だった事は知っているが、我部祖河の長老の事は何も知らなかった。二人とも武将らしい面構えで、二十五年前の今帰仁合戦の時に活躍したのかもしれないと思った。 話を聞いて、我部祖河の長老が羽地のサムレーたちの総大将を務めていた事がわかった。去年の暮れ、鬼界島攻めに行っていた倅の我部祖河之子が帰って来た。十六人も戦死したと聞いて、責任を取って総大将を辞任したという。妻が喜如嘉の長老の妹なので、喜如嘉の長老の義弟だった。そして、我部祖河の長老の姉が松堂の妻のシヅなので、松堂の義弟でもあった。 食事が済んで、サハチは長老たちをミーグスクに連れて行って、マナビーと会わせた。マナビーは喜如嘉の長老との再会を喜んでいた。 喜如嘉の長老の孫娘のサラとナコータルーの娘のマルとマナビーの三人は幼馴染みで仲がよく、一緒に武芸の稽古に励んだ仲だった。三人で馬を飛ばして国頭まで行って、喜如嘉の長老のお世話になっていた。水軍の船に乗って沖の郡島に行ったのは、今でも鮮明に覚えている楽しい思い出だった。 驚いた事にミーグスクを守っている山北王の兵たちの大将の呉我大主は我部祖河の長老の息子だった。突然、両親がやって来たので呆然としていた。 「隠居したので、孫たちに会いに来たんじゃよ」と我部祖河の長老は笑った。 長老たちと別れて、サハチが島添大里グスクに戻ると、ウニタキが改築したばかりの物見櫓の上で待っていた。 サハチが登ると、 「前より高くなったんじゃないのか」と景色を眺めながらウニタキは言った。 「ナコータルーがいい丸太を用意してくれたからな。前より立派な物見櫓になった」 ウニタキは笑うと、 「三人の按司たちの書状は俺が預かっている」と言った。 「お前に直接渡す予定だったんだが、油屋夫婦が急に一緒に行く事になって、もしもの事を考えて俺に預けたんだ」 「油屋は何も知らないんだな?」 「知らない。仲よくやっているが、長老たちも油屋は敵だと心得ている。返って、油屋夫婦が一緒にいた方が山北王も怪しまんだろう」 「そうだな。油屋にも今帰仁のお祭りが終わったら、寝返ってもらわなければならんからな」 「ユラを無事に連れて帰れば寝返るだろう」 「三人の按司たちを寝返らせたのは、真喜屋之子の活躍だったのか」 「俺もまだ詳しい話は聞いていないんだ。奴もそろそろ来るだろう。今晩は奴の手柄話を肴に一杯やろうぜ」 「楽しみだな」 「おい、ササたちが来たぞ」 サハチが下を見るとササたちが若ヌルたちを連れて、ぞろぞろとやって来た。 「若ヌルが増えたんじゃないのか」 「そのようだな」とサハチは笑った。 サハチとウニタキが下に下りると、 「新しくなったのね」と言って、ササは物見櫓に登り始めた。 シンシンとナナもササのあとを追った。若ヌルたちも登ろうとしたので、 「あなたたちはお師匠たちが下りてきてからよ」と玻名グスクヌルが止めた。 「何人まで登れます?」と玻名グスクヌルはサハチに聞いた。 「四人。若ヌルたちなら五人は大丈夫だろう」 ササに似て、みんな、高い所が好きなようだ。羨ましそうな顔をして上を見上げていた。 「あれ、お前はサムの娘のマカトゥダルじゃないのか」とウニタキが娘を見ながら言った。 「お久し振りです」とマカトゥダルはサハチとウニタキに頭を下げた。 「ヌルになったのか」とウニタキが聞くと、 「勝連ヌル様の指導を受けてヌルになったのですが、まだ修行が足りないと気づいて、ササ姉の弟子になったのです」 「なに、お前もササの弟子なのか」とサハチは驚いた。 「中グスクのマチルー姉さんもササ姉の弟子になったんですよ。でも、お祭りがあるので、お祭りが終わってから修行をするのです」 「なに、中グスクヌルもか」とサハチはまた驚いた。 中グスクのマチルーは若ヌルではなく、一人前のヌルだった。それなのにササの弟子になるなんて信じられない事だった。 「お久し振りです」と知らない娘がサハチを見て笑った。 その目に見覚えがあった。サハチは思い出した。 「以前、馬天ヌルと一緒に旅をした若ヌルだな。見違えたよ。すっかり大人になったな」 サハチが覚えていてくれたので、タマは嬉しそうに、 「東松田の若ヌルのタマです」と名乗った。 物見櫓から下りてきたササたちが、サハチとタマを見ながらニヤニヤしていた。 サハチがマレビト神だと言った事を酔っ払ったタマは覚えていなかった。ササたちは聞かなかった振りをしていた。 チチー、ウミ、ミミ、マサキの四人が物見櫓に登って行った。 「お祭りの準備を手伝いに来たのか」とサハチはササに聞いた。 「もうすぐ、屋賀ヌルが来るはずなの」 「屋賀ヌル?」とサハチは首を傾げた。 聞いた事もないヌルだった。 「タマは先に起こる事が見えるのよ。屋賀ヌルが島添大里に来る事を知って、運玉森までやって来たのよ。それで、一緒に来たというわけよ」 「その屋賀ヌルというのは、どこのヌルなんだ?」 「金武の近くみたい」 「金武のヌルがどうして、ここに来るんだ?」 ササは首を傾げて、 「恩納ヌルも一緒にいるみたい」と言った。 それを聞いて、サハチは納得した。恩納も金武も初代の按司なので、人質に送る長老はいなかった。それで、ヌルたちを送ったのだろうと思った。 「金武の屋賀ヌルに何か用があるのか」 「タマが神様の事で話があるみたい」 「そうか。神様の事はお前たちに任せるよ」 「マカトゥダル以外にも弟子が増えたようだな」とウニタキがササに言った。 「沢岻ヌルを継ぐキラと宇座ヌルを継ぐクトゥよ」 「宇座ヌル?」とサハチは知らない娘を見た。 「宇座按司様のお孫さんよ」 「ほう」と言ってサハチは若ヌルたちを見て、一緒にいる玻名グスクヌルに、 「みんなの面倒、よろしくお願いします」と頼んだ。 「わたしはみんなの母親代わりです」と玻名グスクヌルは笑った。 玻名グスクヌルもササと一緒に旅をして、すっかり変わっていた。敵だと言ってサハチを睨んでいた頃とは、顔付きまでも変わったようだった。 物見櫓の上では若ヌルたちが楽しそうにキャーキャー騒いでいた。 娘たちの剣術の稽古が始まる頃、真喜屋之子とキンタが恩納ヌルと屋賀ヌルを連れて来た。二人とも娘を連れていて、恩納ヌルの娘の父親は恩納按司、屋賀ヌルの娘の父親は金武按司だという。 ヌルたちを安須森ヌルに預けて、キンタと真喜屋之子はサハチとウニタキに会いに一の曲輪に行った。 若ヌルたちは集まって来た娘たちと一緒に修行をさせて、安須森ヌル、サスカサ、ササ、シンシン、ナナ、タマは恩納ヌルと屋賀ヌルに会った。 二人とも三十前後で、屋賀ヌルの娘のパリーは九歳、恩納ヌルの娘のチマは七歳だった。ナツが子供たちを連れて来たので、二人の娘はナツに預けた。 恩納ヌルは安須森参詣に参加していたので、安須森ヌルは知っていたが、屋賀ヌルは初めて見るヌルだった。タマから話を聞いて、屋賀ヌルはシネリキヨのヌルだから安須森参詣はしないという事はわかったが、シネリキヨのヌルが金武にいたなんて驚きだった。 タマが自分もシネリキヨのヌルで、スムチナムイに参詣に行った事を告げると、屋賀ヌルは驚いた顔をしてタマを見た。 「玉グスクヌル様を御存じなのですね?」と屋賀ヌルはタマに聞いた。 タマはうなづいた。 「玉グスクヌル様の案内で、スムチナムイに登って神様の声も聞きました」 「そうでしたか。スムチナムイを参詣したヌルが南部にもいたなんて驚きました」 「わたしは読谷山のヌルです。御先祖様は屋良ヌルだったようです」 「読谷山でしたか。読谷山なら屋賀(屋嘉)とも近いですね。御先祖様は同じかもしれませんね」 「あなたは屋賀ヌル様の娘さんなのですか」 屋賀ヌルは首を振った。 「わたしが生まれた時、屋賀ヌルはいませんでした。遙か昔に絶えたと聞いています。わたしは十二歳の時に神懸かりになりました。屋賀からスムチナムイまでどうやって行ったのか覚えていませんが、気がついたらスムチナムイにいて、玉グスクヌル様と会っていたのです。玉グスクヌル様は神様のお告げがあったので、お前をヌルに育てなければならないと言いました。わたしは五年間、玉グスクヌル様のもとで修行を積みました。五歳年上の若ヌルのユカ様がいて、一緒に厳しい修行をした事もあります。今はユカ様が玉グスクヌルを継いでいます。十七歳になったわたしは一人前のヌルになって、絶えていた屋賀ヌルを継いで、村に帰りました。わたしは神隠しに遭って死んだ事になっていました。わたしの姿を見た両親は、夢でも見ているのかと喜んでくれました。屋賀にあるユリブサヌウタキでお祈りをしたら、神様の声が聞こえて、わたしがその神様に導かれて、スムチナムイに行った事がわかりました。神様はずっと昔の屋賀ヌル様でした。わたしは屋賀ヌルの神様にお仕えして、年に一度はスムチナムイに参詣しました。二十三歳の時に今帰仁から金武按司様が来て、金武にグスクを築きました。馬に乗って屋賀に来た金武按司様と出会い、わたしたちは結ばれて娘を授かったのです。今回、金武按司様から理由は聞かずに、恩納ヌルと一緒に南部に行ってくれと言われました。わたしは神様に伺いました。神様は、『行って来い。お前のためになる』とおっしゃいました。このグスクに入った途端、凄い気を感じました。凄いと言っても、とても心地のいい気です。このグスクに古いウタキがあるのですか」 「あります。月の神様を祀るウタキがあります」とサスカサが言った。 「月の神様ですか‥‥‥わたしがお祈りしても大丈夫でしょうか」 サスカサはササと安須森ヌルを見た。 「大丈夫よ」と安須森ヌルが言った。 「今日は十七日だから、日が暮れてからそれほど経たないうちにお月様は出て来るでしょう。そしたらウタキに入ってお祈りしましょう」 東の空に月が出て、安須森ヌル、サスカサ、ササ、シンシン、ナナ、タマ、屋賀ヌル、恩納ヌルは一の曲輪内のウタキに入ってお祈りをした。 「瀬織津姫様はお祖父様(スサノオ)と一緒に帰って行ったわ」とギリムイ姫の声が聞こえた。 「まだいらっしゃったのですか」とササは驚いた。 「南の島まで行ってきたらしいわ。ヤキー退治はうまく行ったって、ササに伝えてくれってお祖父様が言っていたわよ」 「そうでしたか。よかった」 スサノオがイシャナギ島(石垣島)のヤキー(マラリア)を退治したのは、一年半前の事だった。ウムトゥ姫とマッサビが喜んでいるだろうとササは安心した。 「サラスワティ様は南の島から帰って行ったようだけど、ビンダキ(弁ヶ岳)の弁才天堂の落慶供養には来るって言っていたらしいわ」 サラスワティから大陸の神様に、コモキナという神様がいるか聞くのを忘れていた事にササは気づいた。ビンダキに来た時に必ず聞かなければならないと肝に銘じた。 「ギリムイ姫様はヤンバルにあるスムチナムイというウタキを御存じですか」 「シネリキヨの聖地でしょ。昔は誰でも入れたんだけど、ウタキを荒らされてからシネリキヨのヌルしか入れなくなったって、母から聞いた事があるわ」 「ウタキが荒らされたのですか」 「詳しい事はわからないけど、埋めてあったコモキナ様の遺品が盗まれたらしいわ。この前もマシューからコモキナ様の事を聞かれたわよ」 「えっ?」とササは安須森ヌルを見た。 「マシュー姉もコモキナ様を調べていたの?」 「ミントゥングスクのシネリキヨ様が『コモキナ』って言っていたのよ。意味がわからなかったので、ギリムイ姫様に聞いたのよ」 「えっ! マシュー姉はミントゥングスクのシネリキヨ様の言葉がわかったの?」とササが驚いた顔で、安須森ヌルに聞いた。 「『アマミキヨ』の台本を書くために、何度もミントゥングスクに通ったのよ。アマミキヨ様の言葉は全然わからないけど、シネリキヨ様の言葉は少しわかったの。『コモキナ』『ネノパ』『ピャンナ』『ムマノパ』という四つの言葉が何となく聞き取れたのよ。『ネノパ』は『子の方』だから『北』の事でしょ。『ムマノパ』は『午の方』だから『南』でしょ。『ピャンナ』は『百名』の事だと思うのよ。でも、『コモキナ』が何の事だかわからなかったの。ギリムイ姫様から教わって、『コモキナ』がスムチナムイの神様だってわかったので、『コモキナ』が北から来て、『ピャンナ』が南から来たって言いたかったのかしらって思ったのよ。それで、『コモキナ』と『ピャンナ』は二人のお名前かもしれないって思ったわ。アマミキヨ様が『ピャンナ』で、シネリキヨ様が『コモキナ』じゃないかしらってね」 「それが正解かもしれないわよ」とギリムイ姫が言った。 「『浜川ウタキ』から『ミントゥングスク』までの一帯は、確かに『ピャンナ』って呼ばれていたわ。でも、そのいわれは誰も知らなかったの。アマミキヨ様のお名前だったのかもしれないわね」 「『コモキナ』がシネリキヨ様のお名前だとしたら、スムチナムイはシネリキヨ様の生まれ故郷だったのかもしれないわ」とササが言った。 「スムチナムイに行かなければならないわね」とシンシンが言った。 「あたしたちが行っても、ウタキには入れないんじゃないの」とナナが言うと、 「屋賀ヌルなら入れます」とタマが言った。 皆が屋賀ヌルを見た。 「それで、あなたは屋賀ヌルに会いに来たのね」とササたちは納得した。 屋賀ヌルはギリムイ姫から月の神様の事を聞いた。月の神様がここに祀られたのは、ギリムイ姫がここに来るずっと前の事なので、誰が祀ったのかわからないと言った。 「月の神様は満月の時に降りていらっしゃるわ。その時にまたいらっしゃい」 ササたちはギリムイ姫にお礼を言って、お祈りを終えた。 「わたしには神様の声は聞こえなかったわ」と恩納ヌルが寂しそうに言った。 「大丈夫ですよ。時が来れば聞こえるようになります」と屋賀ヌルが励ました。 その夜、ミーグスクで長老たちと恩納ヌル母子、屋賀ヌル母子の歓迎の宴が開かれて、お祭りの準備をしていた安須森ヌル、サスカサ、ユリ、ハル、シビー、マグルー夫婦、そして、ササたちも加わって、楽しい酒盛りとなった。 |
首里グスク
島添大里グスク