1508年 | 上野の国、上泉城(前橋市)に生まれる。 | 1歳 | |
1513年 | 父より陰流を習う。 | 6歳 | |
1519年 | 姉が箕輪城の長野業政に嫁ぐ。 | 14歳 | |
1522年 | 元服し、鹿島に武術修行に出る。松本備前守に入門。 | 15歳 | |
1524年 | 天真正伝神道流の奥義を授かり帰郷する。 | 17歳 | |
4月 | 伊勢氏綱、江戸城を攻略し、北条氏を名乗る。 | ||
10月 | 師の松本備前守、鹿島にて戦死。 | ||
1525年 | 愛洲移香斎より陰流を習う。 | 18歳 | |
1526年 | 移香斎と共に旅に出る。 | 19歳 | |
1528年 | 従五位下伊勢守に叙せられる。 | 21歳 | |
1530年 | 長男秀胤、生まれる。 | 23歳 | |
1533年 | 長女、生まれる。 | 26歳 | |
1537年 | 7月 | 北条氏綱、河越城を攻め落とす。北条綱成が河越城に入る。 | 30歳 |
1538年 | 師匠、愛洲移香斎(87)、死す。 | 31歳 | |
1539年 | 赤城山に籠もり、新陰流を開く。 | 32歳 | |
1542年 | 大胡城を取り戻す。 | 35歳 | |
1543年 | 妻、死す。 | 36歳 | |
この年、鉄砲が伝来する。 | |||
1545年 | 二度目の妻(北条綱成の従妹)を貰う。 | 38歳 | |
1548年 | 次男有綱、生まれる。 | 41歳 | |
1549年 | 草津の湯本善太夫、上泉に来て修行する。 | 42歳 | |
1551年 | 三男行綱、生まれる。 | 44歳 | |
1552年 | 1月 | 北条氏に攻められ、平井城落城。関東管領の上杉氏は越後に逃げる。 | 45歳 |
北条幻庵が平井城に入り、伊勢守は北条方となる。 | |||
1555年 | 北条氏康、厩橋城に入り、沼田も攻め取る。利根川以東は北条領となる。 | 48歳 | |
次女、生まれる。 | |||
1560年 | 8月 | 越後の長尾景虎、関東に出陣。北条勢は敗走する。 | 53歳 |
伊勢守は家族を連れて、上泉を去り小田原に行く。 | |||
鎌倉に住む古河公方義氏(氏康の甥)に新陰流の印可を与える。 | |||
1561年 | 3月 | 長尾景虎、関東の兵を率いて、小田原城を包囲する。 | 54歳 |
閏3月 | 長尾景虎、鶴岡八幡宮にて関東管領に就任し、上杉政虎を名乗る。 | ||
6月 | 長野業政(63)、死す。 | ||
上杉政虎、越後に帰国する。 | |||
11月 | 上杉政虎、再び、関東に出陣。 | ||
1562年 | 3月 | 上杉政虎、越後に帰国する。 | 55歳 |
12月 | 上杉政虎、関東に出陣。 | ||
1563年 | 旅に出て、柳生の庄に滞在する(9月〜翌年3月)。 | 56歳 | |
10月 | 真田一徳斎、岩櫃城を落とす。 | ||
1564年 | 1月 | 長男秀胤(35)、北条方として出陣、下総鴻之台にて戦死する。 | 57歳 |
孫の泰胤(13)、父の戦死を知らせるために柳生に行く。 | |||
6月 | 京都の御所にて、新陰流を台覧。 | ||
京都に道場を開く。 | |||
1565年 | 2月 | 将軍義輝に新陰流を印可。三ヵ月後、義輝は暗殺される。 | 58歳 |
4月 | 柳生にて柳生宗厳に新陰流を印可。 | ||
8月 | 柳生にて宝蔵院胤栄に新陰流を印可。 | ||
1565年8月以降、翌年5月以前に、秀綱から信綱に変わる。 | |||
1566年 | 5月 | 柳生にて柳生宗厳に新陰流目録(三巻)を与える。 | 59歳 |
9月 | 武田信玄、箕輪城を落城させる。 | ||
1567年 | 2月 | 京都にて丸目蔵人佐に新陰流を印可。 | 60歳 |
孫の泰胤、京都より小田原に帰り、北条氏に仕える。 | |||
9月 | 織田信長、稲葉山城を攻略し、岐阜城と改める。 | ||
1568年 | 9月 | 織田信長、足利義昭を奉じて入京する。 | 61歳 |
1569年 | 1月 | 京都平野社の吉田家の家督争いを調停する。 | 62歳 |
1570年 | 6月 | 新陰流を天覧。従四位下武蔵守に叙任される。 | 63歳 |
8月 | 兵法興行、将軍義昭、山科言継等参観。 | ||
1571年 | 3月 | 山科言継に愛洲薬方の書を贈る。 | 64歳 |
1572年 | 7月 | 疋田豊五郎、織田信忠の武術師範になる。 | 65歳 |
1576年 | 1月 | 上泉の西林寺において、長男秀胤の十三回忌供養を行なう。 | 69歳 |
上泉城跡