酔雲庵

戦国草津温泉記・湯本三郎右衛門

井野酔雲

創作ノート



天正10年(1582)武田氏滅亡



1582年 1月 勝頼の義弟、木曽義昌が武田を裏切り、織田信長に属す。
28日 勝頼、信豊を大将として木曽討伐の兵を挙げる。
2月 2日 勝頼、八千余りの大軍を率いて諏訪に出陣。義昌の人質を殺す。
3日 織田信忠の先鋒として森長可が出陣する。
6日 下条伊豆守、伊那滝沢から敗走する。
12日 織田信忠、岐阜を発ち武田討伐に向かう。
14日
夜、飯田城主保科正直、小幡因幡守ら、城を開けて逃亡する。
16日 大島城落城。武田逍遥軒、安中七郎三郎、依田能登守、小原丹後守ら逃亡。
信忠、飯田に着陣。
武田軍、鳥居峠で再び、木曽軍に敗れる。
18日 徳川家康、浜松城より甲州征伐に向かう。
20日 勝頼、越後の上杉景勝に援軍を依頼する。
家康、田中城を攻撃し、依田信審を降ろす。
松本の深志城、落城する。
21日 家康、駿府を占領する。
北条氏政、織田軍の出陣を知り、動員令を発する。
23日 徳川軍、持舟城を攻める。
24日 北条氏邦、武蔵上野国境まで出陣。
25日 穴山梅雪、甲府の人質を盗み出す。
27日 信松尼、高遠城から新府城に避難する。
家康、用宗城を開場する。
諏訪にいる勝頼、穴山梅雪の裏切りを知る。
28日 勝頼、諏訪上原城より新府城に引き上げる。八千の兵が一千となる。
真田昌幸、新府城を発ち、岩櫃城に向かう。
北条氏、戸蔵城、三枚橋城を攻略する。
北条氏邦、箕輪城を攻略する。内藤昌月、氏邦に降りる。
29日 武田信豊、諏訪から小諸に帰るが、城代下曽根覚雲軒に裏切られ、城に戻れず。
織田信忠、高遠城を囲み、降伏勧告をする。
夕方、真田昌幸、真田勢を率いて岩櫃城に着く。
3月 1日 北条氏、深沢城を攻略する。
穴山梅雪、家康に江尻城を明け渡し、下山に退く。
2日 高遠城、落城。仁科盛信、戦死する。
信松尼、新府城を出て海洞寺に向かう。
3日 勝頼、新府城に火を放ち、岩殿城を目指す。従う者七百余名。
真田昌幸の家族、新府城を発ち、真田に向かう。
織田信忠、諏訪に入り、諏訪上社を焼く。
高島城の諏訪頼満、降伏する。
4日 岩櫃城内に勝頼のための御殿が完成する。
穴山梅雪、上原で家康に謁見する。
6日 昌幸、勝頼が岩殿に向かった事を知り、二千五百の兵を率いて戸石城に入る。
織田信長、仁科盛信の首を長良河畔にさらす。
7日 信忠、本陣を諏訪から甲府に移す。一条右衛門大夫の屋敷を本陣とする。
北条安房守、松井田城を落とす。
8日 湯本三郎右衛門ら、昌幸の家族を出迎える。
9日 小山田左兵衛、勝頼と共にいた人質を奪い去る。この頃には勝頼に従う者は百人足らずに減っていた。
10日 勝頼、天目山を目指す。
11日 家康、甲州に攻め寄る。
信忠、古府中で家康と会見。
勝頼、北条夫人、信勝、死す。武田氏滅亡する。




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