1291年 | 大乗寺、永平寺3代徹通義介によって野々市に開山(曹洞宗)。 |
1335年 | 富樫高家、加賀守護職となる。 |
1345年 | 富樫氏春、富樫新庄入手。 |
1352年 | 富樫氏春、山代庄二分地頭職を得る。 |
1354年 | 富樫氏春、山上郷、越中野尻庄の地頭職を得る。 |
1360年 | この頃、幼い竹童を補佐した守護代は富樫対馬守用家(庶流の額氏)。 |
1372年 | 竹童、上洛し、祇園社の前に邸宅を構えて幕府に出仕する。昌家と名乗る。 |
昌家、大野庄に停泊する商船に公事を課すが幕府より禁止される。 | |
昌家は分国支配を守護代、英田次郎四郎に任せ、自らは将軍義満に近侍する。 | |
1387年 | 4月、昌家死す。加賀守護職は管領斯波義将の弟、義種に与えられる。 |
1414年 | 斯波義種、将軍義持の怒りに触れ失脚し、富樫家の庶流満成、北加賀守護となる。 |
南守護は富樫の嫡流の満春(昌家の甥)。 | |
1418年 | 満成失脚。翌年誅殺される。満春、加賀一国の守護となる。 |
北加賀の守護代は山川筑後守家之、南加賀の守護代は二宮信濃入道。 | |
1427年 | 満春死す。嫡子持春(1413-1433)が継ぐ。京の屋敷は三条坊門にあり。 |
分国支配は守護代の山川筑後守。 | |
1433年 | 閏7月、持春は21歳で亡くなり嫡子がなく、弟の刑部大輔教家が家督を継ぐ。 |
教家の守護代は本折但馬入道。 | |
1441年 | 6月18日、教家、将軍義教の突然の怒りをふれ、守護の座を追われ蓄電する。 |
管領細川持之は教家の弟、泰高に跡を継がせる。 | |
6月24日、守護義教、赤松満祐に殺される。 | |
管領細川持之は、動揺した人心の安定をはかるため、義教に追放された人々の復帰という方策を取り、教家は守護職返還を要求し、これを畠山持国が加勢した。ただちに、教家は本折入道親子を加賀に打ち入らせる。これに対し、細川持之は泰高の守護代山川筑後守に、合力するよう摂津満親に指示する。 | |
1442年 | 畠山持国が管領となり、教家の嫡子成春に加賀守護職が与えられる。 |
1443年 | 2月、ついに合戦となり、泰高の守護代山川筑後守が京に敗走する。筑後守は畠山持国を襲撃しようとするが失敗に終わり、切腹する。 |
・京都→周防山口→能美郡御幸塚城→野々市。雪舟と交流あり、馬を好んで書く。 | |
1441年 | 6月、富樫教家、将軍義教の突然の怒りにふれ、守護の座を追われて蓄電する。 |
醍醐寺三宝院の喝食だった教家の幼弟慶千代、管領細川持之を烏帽子親として還俗して、富樫家を継ぐ(20)。6日後に将軍義教が赤松満祐に殺される。 | |
1442年 | 2月、守護代の山川筑後守(1388-1442,55)切腹。嫡男近江守(1408-1469,35)継ぐ。 |
1445年 | 馬借を従えた教家方一味、泰高邸を乱入する。 |
細川勝元が管領となって泰高を支援。泰高も加賀に入部し、教家を越中に追う。 | |
1447年 | 泰高は南加賀の守護、教家は北加賀守護となる。泰高、雪舟(1420-1506)と出会う。 |
1464年 | 隠居する(43)。 |
1467年 | 応仁の乱。京を出て、加賀能美郡御幸塚に屋敷を建てる。 |
1472年 | 幸千代が攻めて来たので、越前に逃げる。 |
1475年 | 春、野々市に移る。周防山口まで旅して雪舟と再会する。 |
1488年 | 本願寺方の総大将となる。 |
1455年 | 京の富樫屋敷で生まれる。 |
1458年 | 父成春、北加賀守護職を奪われる。 |
成春の守護代本折越前守、泰高の守護代山川三河守に越中に追いやられる。 | |
8月、赤松家、北加賀の守護となり、加賀に入る。槻橋豊前守、抵抗する。 |
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1462年 | 父、成春、亡命中に死す(30)。 |
1464年 | 8月、泰高(43)隠居し鶴童丸(政親、10)に家督を譲る。槻橋近江守、政親に仕える。 |
1467年 | 応仁の乱。政親、東軍となる。13歳 |
赤松勢、加賀から去り、反赤松、政親党は幸千代を立てて西軍となる。 | |
幸千代に付いた長坂九郎右衛門が守護代槻橋豊前守に殺される。 | |
1471年 | 6月、越前の朝倉が寝返ったため、政親、初めて領国の加賀に赴く。17歳。 |
1472年 | 3月、政親、桜の満開の頃、桜の花の下で、笛を吹くお雪と会う。 |
4月、お雪、政親の側室となる。 | |
8月、甲斐、朝倉に敗れ、加賀の幸千代と合体する。 | |
9月、政親、軽海の守護所を追われ、山之内別宮城に退く。 | |
1473年 | 7月、幸千代、山之内の政親を攻撃。政親、敗れ、越前一乗谷に逃げる。 |
1474年 | 6月、加賀に入り、本願寺と共に幸千代を攻める。 |
10月、政親、勝利して野々市の守護所に入る。 | |
1475年 | 9月、高尾の新屋敷に移る。 |
1481年 | 高尾城内に大明寺を建立。 |
1488年 | 6月、政親、本願寺に滅ぼされる。 |