酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲

創作ノート




村田珠光の略歴





1423年 奈良御門に住む村田検校の子として生まれる。幼名茂吉。 1歳
1433年 称名寺に入り、下僕となる。 11歳
1440年 称名寺の法林庵に住む。 18歳
1442年 破門となり、還俗する。 20歳
諸所を放浪する。
1447年 京に出る。三条町に小庵《南星庵》を結ぶ。 25歳
1449年 足利義政(1435−1490)15歳で、8代将軍となる。 27歳
1452年 瞎驢庵の一休(1394−1481)の元で参禅する。 30歳
1455年 一休より休心珠光の号と圜悟禅師の墨蹟を頂く。 33歳
1456年 能阿弥(13971471)の弟子となり、立花と唐物の目利きを学ぶ。 34歳
1461年 志野次郎左衛門宗信(1441-1522)弟子となり、お香を学ぶ。 39歳
1463年 将軍義政の茶の湯師範となる。六条堀川西に数寄屋《休心庵》を構える。 41歳
1464年 ・夢庵(1443−1527.22)が弟子になる。 42歳
・伏見屋銭泡(1428−1505.37)が弟子になる。
上洛した太田備中守(道灌)に茶の湯の指導をする。
・一路庵禅海(1416-1488.49)が弟子になる。
1465年 ・篠道耳(1445-1518.21)が弟子になる。 43歳
上洛した今川義忠に茶の湯の指導をする。
11月 足利義尚(1465−1489)生まれる。
1466年 ・石黒道提(1434-1497.33)が弟子になる。 44歳
1467年 応仁の乱始まる。奈良《香楽庵》に非難する。 45歳
この頃、薪村の一休をよく訪ね、曾我蛇足(1416−)、金春禅竹と交わる。
・堺の会合衆、天王寺屋津田源次郎《宗柏》(1444−1527.24)が弟子になる。
・源次郎の従弟、鳥居新三郎《引拙》(1448-1517.20)が弟子になる。
1468年 伏見屋銭泡、珠光の元で全財産を使い果たして旅に出る。 46歳
珠光、還俗して、村田珠光を名乗る。
1470年 金春禅竹(1405−1470)没す。 48歳
1471年 8月 能阿弥、大和長谷寺にて没す。 49歳
1473年 曾我墨溪(1392−1473)没す。 51歳
・古市澄胤(1452−1508.22)が弟子になる。
・西福院(1451-1513.23)が弟子になる。
1474年 9月 澄胤を連れて、飯道山の祭りに来る。風眼坊と出会う。 52歳
10月 小野屋と共に、加賀本泉寺に行き、蓮如と出会う。
1476年 ・松本珠報(1427-1498.50)弟子となる。 54歳
11月 将軍の室町殿が焼け、富子は義政のいる小河邸に入る。
1477年 11月 応仁の乱終わる。 55歳
1478年 京に戻り、珠光庵に住む。珠報も供をする。 56歳
1479年 ・堺の天王寺屋津田源三郎《了専》(1459-1534.21)が弟子になる。 57歳
1481年 一休没す。 59歳
1482年 2月 将軍義政、東山山荘の造営を始める。 60歳
1483年 ・堺の誉田屋宗宅(1462-1530.22)が弟子になる。 61歳
・堺の竹倉屋紹滴(1468-1529.16)が弟子になる。
6月 将軍義政、東山山荘の常御所に移る。
1485年 前将軍義政、臨川寺三会院にて得度し、喜山道慶と称す。 60歳
この日、義政は茶の湯の座敷から上段の間をなくす。
『珠光の茶の湯完成する』
1490年 将軍義政没す。珠光は奈良の独炉庵に隠棲する。 68歳
・尊行院(1459-1527.32)が弟子になる。
・四郎《宗珠》(1470-1535.21)が弟子になる。
1493年 一休十三回忌に出席。 71歳
1502年 5月 没す。独蘆軒南星珠光西堂 80歳

◇弟子 足利義政 津田宗柏(天王寺屋) 津田了専 志野宗信 石黒道提 篠道耳 誉田屋宗宅 尊行院 一路庵禅海 西福院 竹倉屋紹滴 松本珠報 牡丹花肖柏 古市澄胤 粟田口善法 鳥居引拙 村田宗珠 珠徳





茶の湯系図



茶の湯系図




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