酔雲庵

天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記

井野酔雲

創作ノート




天明3年、鎌原村の出来事





4月 1日

八十八夜。諏訪神社、獅子舞奉納。鯉幟を立てる。大笹市。

2日

籾撒き。

6日

大笹市。

8日 薬師の縁日。浅間山開き。鎌原からも延命寺の和尚を初め、山に登る。草津開き。
9日 浅間山、焼ける。大地鳴り響き地震のごとし。草津に米20駄、炭20駄を送る。
飯山藩の江戸飯米40駄(120俵)が大笹より鎌原に送られる。
10日

草津に米20駄、炭20駄を送る。酒5駄、塩10駄も送る。
飯山藩の江戸飯米40駄(120俵)が大笹より鎌原に送られる。

11日

大笹市。
飯山藩の江戸飯米40駄(120俵)が大笹より鎌原に送られる。

12日

山に入らない。

13日

◇女義太夫、雪之助、草津に向かう途中、鎌原に泊まる。

16日

大笹市。

17日

松代藩の江戸飯米50駄が大笹から鎌原に送られる。

18日

松代藩の江戸飯米50駄が大笹から鎌原に送られる。

19日

松代藩の江戸飯米50駄が大笹から鎌原に送られる。

21日

大笹市。

26日

大笹市。

27日

硫黄10駄が西窪から鎌原に送られる。

5月 1日

鎌原浜五郎、大笹関所番を務める。大笹市。

5日

端午の節句。休日。

6日 大笹市。
7日

須坂藩の武家荷物30駄が大笹から鎌原に送られる。

8日

須坂藩の武家荷物30駄が大笹から鎌原に送られる。

9日

須坂藩の武家荷物30駄が大笹から鎌原に送られる。

11日 大笹市。
12日

山に入らない。

14日

◇市太郎、勘治郎、錦渓と一緒に江戸に行く。

15日

浅間山、焼ける。大地鳴り響き地震のごとし。

16日

           。大笹市。

18日

田植えが始まる。田植え最中も綿入れを着て、火にあたる程寒い。

21日

夏至。大笹市。

22日

須坂藩の江戸飯米30駄が大笹から鎌原に送られる。

23日

須坂藩の江戸飯米30駄が大笹から鎌原に送られる。

24日

須坂藩の江戸飯米30駄が大笹から鎌原に送られる。

25日

浅間山、午前7時より再び活動を始め石臼のようにゴロゴロなる。

◇干頃、市太郎ら鎌原に帰る。

26日 浅間山、午前10時、大爆発。その音は大地に轟き、噴煙は天高く上り、高さ2000m、幅は50m程にも見え、煙は鎌原村、六里が原の方へ流れて灰を降らした。
正午過ぎには鳴りも静まり、煙も半分に減って落ち着いた。
大笹の市。

◇甚左衛門、六里が原で馬に蹴られて怪我をする。

27日 午後4時頃鳴動したが6時には止む。浅間山の灰が遠方まで降り、草木白くなる。
28日 一番草。

◇5月、吾妻三原山で鹿が度々鳴く。

6月 1日

山の口開け。馬草刈りが始まる。鎌原浜五郎、関所番から帰る。大笹市。

◆須坂藩、江戸参府、飯山藩、松代藩は御暇となる。

3日 二番草。
6日 大笹市。
8日

伝教会。三番草。

11日 大笹市。
12日 山に入らない。
16日

大笹市。

17日

夜、浅間山、激しく鳴動する。

18日

夜5つ、浅間山、爆発。田代、大笹、大前、鎌原へ小石3寸積もる。

◇山守の長太、山で死ぬ。

21日

大笹村の市祭り。

26日 大笹市。
27日

午前8時より響き、石臼のごとく。午後6時まで続く。この日は煙は薄く、ただ鳴り響くだけで、諸人が不思議がる。この日より、ほとんど休みなく爆発する。

28日

昼、大笹に砂が降る。夜9つ、大焼け、大地しきりに鳴り立ち、黒煙り4つ前より強く山の中より雷出る事しきり、各々身の毛をよたて見る者肝を流し魂を失計なり、この夜は岩下沢渡辺に砂降り、これより相続き、毎日焼け、地動き、さびしき有り様なり。

29日 正午に大噴火。その音は千百の雷より強く、伊勢崎でも地震が感じられた。

鎌原浜五郎、大笹関所番を務めるため大笹に向かう。

◇6月、吾妻三原山で鹿が度々鳴く。

7月 1日

4つ時(午前10時)曇り小雨、未中刻(午後3時)より焼出し、申上刻(午後4時)中刻(午後5時)まで甚大焼け、暮合より鎮まる躰なれども一図に雲覆い発輝とは不知。

申の刻(午後4時)より大きに鳴り、煙太く数千丈吹き上げ、暮合に少し静まる。大笹市。
2日 午中刻(午後1時)より焼出し、朔日よりは弱し。申上刻より大焼、戌刻(午後8時)甚だ鳴動。亥子刻(午後10時〜午前0時)まで強く焼け続く。この時、鼻田坂、六里ケ原辺砂石降しと、翌日通りける者語る。
申の刻(午後4時)より再び鳴り、煙吹き上げ暮れに静まる。この時は山より東北六里ケ原へ砂石降り、狩宿新田、鼻曲峠、旅人辛き目を見る。石は硫黄に熱して甚だ軽く、地に落ち砕け飛び、菅笠等を破る。六里ケ原に灰が雪のように積もり作毛に障り馬草用立たず。
御支配所へ訴申上る。

1日2日の大焼、近国に驚き、その響き日に増す。

3日 噴火が続き、軽井沢、碓氷峠、坂本、松井田、安中、高崎、武州児玉郡、榛沢郡等34里内に灰が降る。
5日 正午より少し焼け出し、酉の刻(午後6時)より子刻(午前0時)まで大焼け、鳴動強く、前掛山に火石夥しく吹き出し一円の火となる。焼け出る煙は真っ黒にしてくり綿を繰り返すごとく。その勢い甚だ強し。湧き出る釜口にて風幅30間高さ数百丈に上り、煙の中より稲妻のごとくの光り絶えず。煙先は卯辰の方に数10里たなびき、たとえをとるに物なく、何となく恐ろしく有り様筆紙に述べがたく火石の飛び散る音は数千の雷一度に発るに同じ。
6日

未だかつてない大爆発に入る。昼夜、止むことなく焼ける。

8つ時(午後2時)よりしきりに鳴立、天も砕け地も裂けるかと皆転倒す。西は京、大阪辺、北は佐渡島、東は蝦夷ケ島松前、南は八丈、三宅島まで鳴り響き、物さびしき有り様なり。
諸大名の使者毎日来り。見届け候様にとあり。大笹問屋長左衛門宅へ寄り合い、委細書付をもらい帰る。

昨日より夜中続いて鳴動、申刻至って強く、分けて夜の戌刻大焼響きわたる。追分、沓掛両宿は6日未刻より老人子供を先に進め、家財を付け送り、屈強の人を家の番に残し、7日暮合に皆逃げ出し、岩村田小諸又は近在の縁者知人を尋ねて走る。
未刻、大に鳴渡る。黒煙吹上天を覆い、雷火火打ちのごとく飛び散り、中より昼も火炎すさまじく、鳴動次第に強く焼け上がり、農夫又は往来の人もただ呆れ果て、空のみ眺め胸を冷やす。夜に入っては猶山上紅のごとし。

未の刻より大に鳴り渡り、黒煙吹上げ突き上げ押しまくり、数千丈高く天を覆い、稲光り火打ちのごとく飛び散り、中より昼中火炎すさまじく、鳴動次第に強く焼け上がり、農夫往来の人もただ呆れ果て空のみ眺め胸を冷やす。
夜に入りて猶山上皆紅いのごとくなり。雲中より火玉四方八面へ飛び敷く。又東の方へ煙横たえ、西の方牙山の方へ大石小石煙の中よりほど走り、花火の星下りというがごとく、南西へ飛ぶ石は山伝えに転び、裾野へ落ちかかり山の腰を焼く。数万の松明桟道に並べるごとし。硫黄まじりて青火もあり、天を焦がし、地を焦がし、鳴音はしきりに強く、皆せつない時の神棚へ灯明を上げ、祈りたたえて寝る者もなく、戸障子、から地紙震のこどくわたりわたりと鳴りはづれ、山岸村には取り分けて皆々騒ぎ立て、明ければ七夕、追分、沓掛は明けるを遅しと逃げ出す。

大笹市。
7日 前日より焼け続け、巳刻(午前10時)鳴動、申刻(午後4時)少し鳴り止む。
同中刻(午後5時)少し降灰、打ち続き大焼け、申の刻より強く、酉の刻(午後6時)に至って甚だ強く数千の雷のごとし。轟く音地震のごとく絶え間なく、夜に入って一斗樽程の石落ち、沓掛宿の友の助という者の屋根を打ち抜き畳を切る。又、火降り燃え付ける所を36か所選び、人足45人にて防ぎ止めける。
戌の刻(午後8時)甚だ大焼け、鼻田峠より沓掛宿北裏、軽井沢へかけ、上州武州へ砂石雪の降るごとし。昼間だというのに真っ暗になり、提灯や松明を持って逃げる。
山から熊、猪、狼、猿、鹿、その外、年を経た名も知らぬ野獣が多数逃げ出してくる。火と煙に包まれたり焼石に打たれて傷ついた野獣は怒り狂って人を蹴倒し、食いつき、このために死者や怪我人が多く出た。

軽井沢の離山は西側半分は青かったが、東の方は砂が多く降って草木が皆枯れてしまった。千が滝は日ごろは谷間5、6丈の所から落ちていたが降った砂と石とで埋まって、ようやく2丈にも足りないような低い滝になってしまった。
軽井沢では町屋の縁側より2尺も高く砂が積もった。その後、屋根から落とした砂や石で家が埋まった。碓氷峠の熊野権現は棟が出ているだけで全部埋まった。峠町は4尺余りも積もった。

軽井沢(5〜6尺)、碓氷峠(5尺余り)、坂本(3尺余り)、妙義山付近(2尺)、磯部(1尺余り)、前橋(7〜8寸)、大宮(1寸)、銚子(2〜3寸)

山より熱湯湧き出し押し下し、南木の御林見るうちに燃え尽くす。六里が原も一面火の海となる。小石や火山砂は雨のように降る。
戌の刻(午後8時)より煙は辰巳(南東)の方へ吹き去り、煙の下の国々百里四方に砂降り埋まる。

軽井沢では夜10時頃、大石がおびただしく降り、又八という者の屋根に火玉の大石が落ちて火事になり、さらに4カ所で火事がおき、軽井沢宿の南側の家51軒は残らず焼失する。

墓掃除。道の草刈り。

8日

朝、延命寺の和尚、祈祷するため百姓を連れて浅間山に登り流失。

朝より鳴動、大風が吹き、午前10時頃、大爆発。鎌原村は全滅する。やがて沈静するが、夜になっても鳴動やまず。

巳の刻(午前10時)までは大鳴動。
正午より追追焼けも弱くなり静まる躰にみえた。
午前10時に火口から流れ出した熱泥流は午前11時過ぎには原町に達し、正午には山のように流下したものが引いてしまった。前橋の県庁裏へ正午過ぎに到達し、五料へは午後1時には到達。

9日

時々、焼ける。

10日

再び、大爆発。未明より鳴り渡り、家も動くなどと思う程に候えども正午過ぎより段々音静まり、湯降り候うちに灰まじり降る。その灰ゆえか少々残った木の葉も枯れる。

11日 時々、焼ける。大笹市は中止。雨のため屋根の上の灰が重くなり家が潰れる。
干俣村に寄り合い、羽根尾浅右衛門と大前五郎七が江戸御役所へ向かう。
14日

初七日。地熱も下がり、助かった93人は大笹村に逃げる。

16日

大笹市は中止。

20日

長野原村の橋が架かる。

浅間山から大前辺りまで、大木が倒れて算木を乱したようで、夜は硫黄が燃えて明るく、昼間は煙が立ちのぼっている。
21日

二七日。大笹市。

22日

幕府の役人、吾妻郡に入る。

24日

干川小兵衛、鎌原村に竪12間横2間半の小屋を建て始める。

25日

鎌原諏訪明神の祭り。

26日 大笹市。
8月 1日

大笹市。佐久の平尾村の者10人が浅間山に登る。正午より煙強く立ち昇る。

11日 大笹市。
12日 三十五日。
16日 大笹市。
21日 大笹市。
26日

四十九日。大笹市。

◇8月、奥州にては雪2尺降る。

8月末 、妙義山麓で山椒の芽が出る。

9月 20日 この頃より幕府は碓氷峠と軽井沢、坂本両宿の街道に積もった石や砂を取り除く。

◇9月、奥州にて雪が1尺7寸降る。

9月 、群馬郡で梨、りんごの花が咲く。

9月 、碓氷郡で柿の花が咲く。

10月 1日 大笹市。碓氷峠がようやく開通する。しかし、馬がなく、人足が公用の荷物を運んだ。
8日 薬師の縁日。
18日 百日忌。代官より金100両の工事費が鎌原村に渡る。吉右衛門と庄蔵が原町まで取りに行く。
19日

吉右衛門と庄蔵、鎌原村に帰る。

24日

鎌原村で7組の婚礼が行われる。百姓代は半兵衛。

10月、吾妻三島村で麦の穂が出る。

10月 、武州榛沢郡で桑の実がなる。

11月 4日

勘定吟味方改役篠山十兵衛、仲田藤蔵、鎌原村を見分する。

15日

沓掛道の普請始まる。

12月 23日

安治郎、富松、仙之助、祝言を挙げる。

26日

根岸九郎左衛門、大笹に泊まり、沓掛に向かう。

煙は毎日立ちのぼり、年を越して、ようやく小康状態となる。



※日付は旧暦です






◇金1両に対する銭相場 元禄10年(1697)‥‥‥4040 宝永5年(1708)‥‥‥4680
享保7年(1722)‥‥‥4600

享保17年(1732)‥‥‥5222

寛保2年(1742)‥‥‥3927

宝暦2年(1752)‥‥‥4925

宝暦12年(1762)‥‥‥4078

安永1年(1772)‥‥‥5470

天明2年(1782)‥‥‥6022

寛政4年(1792)‥‥‥5445

享和2年(1802)‥‥‥6607

文化9年(1812)‥‥‥6925

文政5年(1822)‥‥‥6665

天保3年(1832)‥‥‥6577

天保13年(1842)‥‥‥6830

嘉永6年(1853)‥‥‥6300

元治1年(1864)‥‥‥6716

明治1年(1868)‥‥‥14350




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