酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲

創作ノート




曇天の略歴




1453年 若狭の国の武田氏の庶流の子として生まれる。 1歳
父は武田因幡守仲清(1421-62)、母は伊藤大炊助祐広の娘。
1460年 母親、病死。 8歳
1462年 父親、仲清(42)と兄、信直、信益、戦死する。 10歳
放浪して、京に行く。
1463年 松坂の和尚に捕まり、伊勢の国、松坂に行く。禅修行。 11歳
1465年 快晴和尚と出会い、弟子となって、五ケ所浦に行く。 13歳
1468年 愛洲太郎と共に京都に旅立つ。 16歳
旅の途中、伊勢新九郎と出会う。
太郎と別れて堺に行く。和尚から預かっている銭で遊ぶ。
この頃の堺は東軍の支配下。
乞食坊主に落ちぶれ、石津川の河原で倒れて河原者に助けられる。
1469年 遣明船、初めて、堺に入港する。 17歳
1470年 この頃より、堺に、京から避難して来た町人が増える。 18歳
1471年 興福寺に攻められた法華宗徒、堺に逃げて来る。 19歳
1472年 聾唖の娘、すすき(18)と一緒になる。 20歳
1473年 長女、すみれが生まれる。 21歳
1475年 8月 台風により津波が起こり、船数百艘、民家数千戸、男女数百人流失する。 23歳
被害者の多くは京からの避難民。河原者たちも多く死ぬ。妻と娘も死ぬ。
1476年 蓮如、堺に信証院を建てる。 24歳
4月 堺から遣明船が出航する。
本願寺の坊主になるため出口御坊にて修行をする。
蓮如、摂津富田坊(教行寺)を建てる。
1477年 本願寺の坊主となり、乗信坊を名乗る。 25歳
10月 畠山義就、堺を乗っ取り、代官に支配させる。






堺の図(1477年)



堺の図




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