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新潟県と長野県にまたがる秋山の峡谷をさかのぼり、群馬県の六合村から草津温泉あたりまで、獲物を求め歩いている。ただし、山中で採るものは野獣よ りは川魚が多く、それを草津の温泉客に売っている。 |
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京都を出て、淀で淀川を南へ渡り男山の東を交野、四条畷と歩いて大阪に入り、天王寺へ参詣して、それから、阿倍野、遠里小野などの荒野を横切り、三国丘、大鳥、府中、近木、佐野、信達などを経て、紀伊に入る。そして、海岸づたいに田辺まで行き、そこから東へ折れて、いわゆる中返路を通り、湯の峯に着く。湯の峯は温泉があり、人々はここの湯につかって潔斎(湯垢離)をした。そこから、低い峠一つ越えれば本宮である。本宮の参拝を済ますと川船で新宮に下り、さらに那智に至って三山の巡拝を済まし、海岸線(大返路)を歩いて田辺に帰る。また、本宮から、川船によらず小雲取、大雲取の山路を越えて、那智に出る者もあった。 |
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延応2年(1240)伊予の河野家に生まれる。十歳の時、母を失い、13歳の時、筑前の聖達(浄土宗)の元で学問を学び、15歳の時、出家し、随縁と名乗る。25歳まで、九州にて仏法修行を勤める。25歳の時、父の死にあって帰省し、還俗する。35歳の時、伊予菅生の岩屋観音にこもり、37歳の時、宇佐におもむき、さらに山城の男山に行き、そこで、熊野本宮へ参るようにと霊夢を受け、熊野への旅を続ける。そして、本宮の証誠殿に百日間こもって祈願し、満願の日(1275.12.15)熊野権現が現れて、念仏を勧めて全国を歩きなさい、とのお告げを受け、一遍と名を改め、全国行脚の旅に出る。 |
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紅粉解、白粉売、薫物売、薬売、灯心売、畳紙売、扇売、枕売、硫黄箒売、ひきれ売、鍋売、麹売、酒売、酢売、餅売、饅頭売、じょうさい、心太売、そうめん売、豆腐売、ほろ味噌売、煎じ物売、一服一銭、大原女、桂女、魚売、蛤売、塩売、米売、豆売、葱売、芋売、絃売、綿売、白布売、帯売、すあい、すあい、馬買、革買など。 |
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筏屋、烏帽子屋、鉢屋、墨絵屋、但馬屋、舟戸屋、蜂屋、ワク屋、鎌倉屋、岩屋、ラシアウ屋、橘屋、鳥屋、塞屋、瓦屋、藤屋、猪屋、腹巻屋、精好屋、わくだ屋、松屋、みす屋、鶉屋、柏屋、クツワ屋、甲屋、チキリ屋。 |
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扇屋、トキ屋、山崎屋、粟津屋、まさ屋、うつほ屋、丹波屋、俵屋、灰屋、針屋。 |
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布屋。 |
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大竹屋。 |
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塩屋、風呂屋。 |
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奈良屋。 |
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伊勢の山田、信濃の善光寺、伊豆の三島大社、尾張熱田神宮、紀伊粉河寺、山城男山八幡宮、備前の吉備津神社、安芸厳島神社。 |
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近江堅田、越前吉崎、山科、大阪石山、和泉の貝塚、伊勢の一身田。 |
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和泉堺、摂津兵庫、博多など。 |
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岐阜、小田原、大和の沢城、近江の観音寺城、周防山口、豊後府内など。 |
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祈祷をしたり、お祓いの札と共に、扇、帯、櫛、針、小刀、ふのりなどを配って歩いた。これに対し、旦那方は礼金を払っている。暦も配る。 |
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旅人たちに、貧しげな商品(草鞋、縄、細紐、小楊枝、駄菓子)の押し売りや道中案内をする。 |
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歌を歌って旅人から喜捨を受ける乞食尼僧。頭を剃り、兜巾をかぶり、その上から、軽い帽子をかぶっている。 |
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藤沢、小田原、三島、沼津、府中(遊郭あり)、浜松、吉田(豊橋)、御油、赤坂、藤川、岡崎、池鯉鮒、宮の宿(名古屋)、関、水口。 |
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昔、馬の飼料を供給する所で、廐も付いていた。旅籠屋で人間の食事を出すようになるのは、江戸時代中頃より。 |
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有馬、紀伊の瀬戸鉛山、湯の峯、熱海、箱根、那須、塩原、草津、中部地方では筑摩、山代、山中、中国地方では玉造、吉岡、四国では道後、九州では別府、杖立、 武雄、嬉野、雲仙。 |
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