落雷
マチルギたちが博多に着いた頃、サハチ(島添大里按司)は サハチがお土産に持って来たお茶は、初めの頃は誰もが変な味と言っていたが、今ではみんなが一休みする時に飲んでいた。 今、島添大里グスクにはサハチの子供八人とウニタキの子供四人と佐敷ヌルの娘がいた。女の子の中の年長はウニタキの娘のミヨンで、母親に似て、しっかり者だった。ミヨンが幼い子供たちの面倒をよく見てくれるので、ナツや侍女たちも助かっていた。 普段は滅多に帰って来ないのに、ちょくちょく顔を出すウニタキはミヨンにうるさがられていた。 「ここは大丈夫だから、ちゃんとお仕事をして」とミヨンに言われ、ウニタキは少し傷ついていた。 「ミヨンはいいお嫁さんになるぞ」とサハチが言うと、 「馬鹿を言うな。まだ、お嫁に行くには早すぎる」とウニタキは怒った。 「それでも、あと二年もしたら、お嫁に出さなくてはなるまい」 ウニタキは首を振った。 「急いでお嫁にやる事もない」 サハチはウニタキの顔を見て笑った。 「手放したくないのだな」 「ミヨンは 「女子サムレーか‥‥‥お爺が 「二年前からチルーが基本を教えているんだ。来年は娘たちの稽古に通うと言っている」 「それもいいが、ミヨンは母親に似て 「それが問題なんだ。変な虫が付かないように気をつけなければならん」 ウニタキの真剣な顔を見て、サハチはまた笑った。 「配下の者にミヨンを見張らせればいい」 「馬鹿を言うな」とウニタキはサハチを睨んだ。 サハチは話題を変えて、「マチルギたちはヤマトゥ(日本)に着いたかな」と言った。 ウニタキは指折り数えて、「もう着いたんじゃないのか」と言ったあとサハチの顔を見て、「お前が馬鹿な事をしなければ、今頃、俺たちがヤマトゥに行っていたんだ」と恨みがましく言った。 「すまんな。その事は俺も考えたんだ。もし、ナツの事がなかったとしても、マチルギは行ったと思う。メイユー(美玉)の事を持ち出してな。今回、マチルギはメイユーの事は持ち出さなかった。それが不気味なんだよ。第二の 「そろそろ来るんじゃないのか。今回はマチルギもいない。お前もメイユーといい思いができるさ」 サハチはニヤッと笑ったが、「何となく、あとが怖いような気がするんだ」と心配そうな顔をした。 「マチルギは留守でも、お前を見張っているというのか」 「ああ。マチルギはメイユーの事を知っている。ちゃんと準備をして出掛けたに違いない。ナツにも言ったのかもしれない。そして、首里の女子サムレーたちに俺の動きを探らせるかもしれない」 ウニタキは笑って、「ナツならメイファン(美帆)の屋敷に忍び込んで、お前の動きを探る事もできるな」と言った。 「本当か」 「屋敷の忍び込み方は俺が教えた。あの屋敷は門番がいるだけだからな、忍び込むのはわけないさ」 「参ったな」 「心配するな。ナツもそこまではやるまい。シタルー(山南王)だが、 「なに、長嶺の山といえば、ハーリーの時、 「そうだ。シタルーもあの山を見逃さなかったようだ。あそこにグスクを築かれると山南王を攻めづらくなる」 「そうか。シタルーが動き出したか。 「先月、女たちがヤマトゥに行ったあと、 「徳之島? 木でも伐りに行ったのか」 「木を伐るのに、山北王が直々に行くまい。進貢船には百人以上の兵が武装して乗って行ったという」 「徳之島を攻めたのか」 「多分、今頃、攻めているんだろう。山北王は 「山北王は北に勢力を伸ばすつもりか」 「奴の目が北に向いているうちは、首里も安全だろう」 「しかし、奴の勢力が大きくなるのを放っておいてもいいのか」 「山北王を倒せば、奴の領地はすべて手に入る。奴が北の島々を治めてくれれば、その分、手間が省けるというものだ」 「成程な。北の島々は奴に任せよう」 「それと、 「何だって!」 「どういういきさつがあったのかは知らんが、今は 「つなぎはいるのか」 「大丈夫だ。 「そうか。うまくやってくれ。ところで、 「相変わらず、武芸に熱中しているようだ。ここを真似して、娘たちに剣術を教え始めている」 「兼グスク按司が教えているのか」 「いや、女の師範がいた」 「そんな女があの辺りにもいるのか」 「俺も不思議に思って調べたら、マチルギの教え子だったよ」 「何だと?」 「佐敷から 「そうか。マチルギが娘たちに教え始めてから、もう二十年が経つからな。教え子たちも相当の数になるはずだ。遠くにお嫁に行った娘もいるだろう。もしかしたら、そんな娘があちこちにいるかもしれんな」 「ああ、そう考えると、マチルギは凄い女だよ。教え子の数は一千人近くいるんじゃないのか」 「一千か‥‥‥凄いな」とサハチも改めて感心していた。 女子サムレーのカナビー(加鍋)が娘たちの稽古が始まるとサハチを迎えに来た。 「お前が佐敷ヌルの代わりに教えているのか」とウニタキは驚いた顔をしてサハチに聞いた。 「剣術じゃない。 「忙しい事だな」とウニタキは笑った。 サハチは 次の日の午後、サハチは首里グスクに向かった。 首里グスクの 「龍は 父は御機嫌な顔をして、そう言った。 「 「観音様か‥‥‥」とつぶやいて、「最近、 「ちゃんとマサンルーが守っていますよ」とサハチは答えた。 「マサンルーは明国に行っていて、今はいないけど、 「そうか、それはよかった。今回は観音様は彫らんよ。観音様を置いたら 「お寺で思い出しましたけど、楼閣が完成したら、今度はお寺を建てましょう。ヤマトゥにあるような大きなお寺です」 「お寺か。博多にあるような大きな奴じゃな」 「大きな観音様が必要ですよ」 「任せておけ」と思紹は楽しそうに笑った。 百浦添御殿の二階から下りると女子サムレーのトゥラ(寅)と出会った。思紹が彫っていた虎の顔を思い出し、何となく似ているような気がして、笑いたくなるのをサハチは必死に トゥラはマチルギの代わりに女子サムレーの指揮を執っていた。マチルギの古くからの弟子で、女子サムレーができた十五年前から女子サムレーを務めている。 トゥラはサハチに頭を下げた。 サハチは御苦労と言って手を振り、 島添大里から連れて来た二人の従者を連れて、サハチは 草 サハチはナーサが作った浦添グスクの見取り図を思い出した。一の曲輪に中山王が暮らしている屋敷と サハチは浦添按司になった 六月十二日の 「きっと、すぐにやみますよ」とナツが空を見上げながら言った。 黒い雲が凄い速さで動いていた。 突然、光ったと思ったら、物凄い雷鳴が響き渡った。ナツが悲鳴を上げて、サハチにしがみついた。 子供たちの泣き声が聞こえてきた。ナツはサハチから離れると子供たちの部屋に行った。 「どこかに落ちたに違いない」とサハチは独りつぶやいた。 女子サムレーのアミー(網)がやって来て、外を眺めた。 また光ったと思ったら、すぐに雷鳴が響き渡った。さすがに、アミーは悲鳴を上げなかったが、真っ青な顔をしてサハチを見ていた。 「子供たちを頼む」とサハチはアミーに言った。 アミーはうなづくと子供たちの所に行った。 雨は勢いよく降っていた。 サハチはふと、マジムン(悪霊)退治を思い出した。馬天ヌルがいないので、マジムンたちが騒ぎ出したのではないかと不安になった。 サスカサ(島添大里ヌル)がびっしょりになって現れた。 「お前、この土砂降りの中をやって来たのか」とサハチは娘に聞いた。 サスカサは侍女が用意してくれた手ぬぐいで顔を拭きながら、「何かが起こるような、いやな予感がしたの」と言った。 「まさか、マチルギたちに‥‥‥」とサハチは言って、サスカサを見た。 サスカサは首を振った。 「お母さんたちじゃないわ。この近くで何か異変が起こるのよ」 「この近く?」 「よくわからないんだけど、何か大きな物が消えてしまうような気がするわ」 「大きな物が消えるとはどういう意味だ?」 サスカサは首を振った。 この大雨で山が崩れるのだろうかとサハチは心配した。 雷鳴はだんだんと遠ざかっていき、 サハチはサムレーたちにグスクの周囲を点検させ、異常がない事を確認すると首里へと向かった。 途中でウニタキと出会った。 ウニタキは慌てていた。サハチの顔を見ると、「大変だ!」と叫んで馬を止めた。 「どうした? 山が崩れたのか」とサハチが聞くと、首を振って、 「山ではない。マジムン屋敷が崩れたんだ」とウニタキは言った。 「マジムン屋敷が‥‥‥」 サスカサが言った大きな物とはマジムン屋敷だったのか‥‥‥ 「崩れただけではない。消えちまったんだ」 「消えちまった? 何を言っているんだ。夢でも見ているんじゃないのか」 「俺にも何が何だかわからない。ただ、あの屋敷がなくなった事は確かだ」 サハチにはウニタキの言っている事が信じられなかった。とにかく、現場に行こうと馬を走らせて マジムン屋敷は跡形もなかった。太い柱が立っていた礎石だけが草に埋もれて残っている。屋敷が建っていた所も草が茫々と生えていて、中央辺りにウタキ(御嶽)らしいものがある。ウタキに二人の人影があった。お祈りをしているらしい。ウタキの近くで男の子が大きな蝶を追いかけていて、母親と祖母らしい女が男の子を見て笑っていた。 「誰だ?」とサハチはウニタキに聞いた。 「トゥミ(富)とカマ(釜)だよ。あの子はトゥミの子で、ルク(六)という」 「どうしてこんな所にいるんだ?」 「今日は命日なんだよ。トゥミとカマは 「そうだったのか‥‥‥ヤフスの子があんなにも大きくなったのか‥‥‥」 「あの子の父親はウミンチュで、海で亡くなった事になっている」 「そうか。あのあとも、ずっと三人で暮らしてきたのか」 「トゥミとカマは本当の親子になったようだ。ルクはカマの事を本当のお婆だと信じている。ウタキにいるのは運玉森ヌルと修行中の浦添の若ヌルだ」 「運玉森ヌルがどうして、ここにいるんだ?」 運玉森ヌルが運玉森にいるのは当然の事なのだが、先代のサスカサがどうして運玉森ヌルを名乗ったのか、サハチはその理由を知らなかった。 「運玉森ヌルが初めてここに来たのは、一年前の今日だった。当時はまだサスカサで、お前の娘(ミチ)と一緒に来た。何かに導かれるように、ここに来たと言っていた。その時、あの三人と出会ったんだ。その後、サスカサも毎月十二日にやって来るようになって、五人でマジムン屋敷で、お祈りをしていた。サスカサが運玉森ヌルになったのも、マジムン屋敷と関係があったのかもしれない。サスカサの名をお前の娘に譲ったあとは一人で来ていた。先月の十二日から浦添の若ヌルと一緒に来るようになったんだ。俺が今日、ここに来た時、五人はすでにいて、いつものように花を飾ってお祈りをしていた。それからしばらくして大雨になって、雷が落ちたんだ。最初の雷の音を聞いて、どこかに落ちたに違いないと俺は屋敷から出て、周りを眺めた」 「あの大雨の中、外に出たのか」 「ああ、なぜだかわからんが、俺は外に出たんだ。きっと、首里に落ちたと思ったのかもしれん。俺が雨に濡れながら空を見上げているとルクが飛び出して来た。ルクを追うようにトゥミとカマも出て来た。その時、ピカッと光ったと思ったら、大きな雷鳴が轟いて、マジムン屋敷に雷が落ちたんだ」 「マジムン屋敷に落ちたのか‥‥‥」 「マジムン屋敷が光って、一瞬にして崩れ落ちたんだ。俺は危ないって叫んで、トゥミたちを庇った。逃げる暇はなかった。マジムン屋敷の下敷きになってしまうと恐れたが、下敷きにはならなかった。屋敷が崩れる物凄い音は耳にしたんだが、顔を上げてマジムン屋敷を見ると跡形もなく消えていたんだ。そして、あのウタキで運玉森ヌルと若ヌルがお祈りを捧げていた」 「なぜ、消えたんだ?」とサハチは聞いた。 ウニタキは首を振った。 サハチはトゥミとカマにも聞いてみた。二人もウニタキと同じ事を言った。 「どうして消えたんだろう」とサハチがウタキにいる二人を見ながらつぶやくと、 「きっと、お役目を終えたんだわ」とトゥミが言った。 「今日は六十回目の命日なんです」とカマが言った。 サハチにはよくわからなかったが、マジムン屋敷の使命は終わったのかもしれないと思った。 振り返ってみれば、ヒューガがここを拠点にして以来、ウニタキの拠点となり、首里グスク攻めでは本陣になっていた。随分とお世話になっていたのだった。サハチは両手を合わせて、消えてしまったマジムン屋敷に感謝した。 ウタキから運玉森ヌルと若ヌルのカナ(加那)が出て来て、サハチを見た。 サハチは運玉森ヌルに頭を下げた。 「マジムンは消えたわ」と運玉森ヌルは言った。 「屋敷が消えたのは、どうしてなのですか」とサハチは尋ねた。 「あれはまさしくマジムン屋敷だったの。これが本来の姿なのよ」 サハチには運玉森ヌルが言っている事がよくわからなかった。 「一年前にわたしはここに来ました。ここの神様に呼ばれたのよ。そして、わたしは見ました。今、見えているこの景色を。あの屋敷はマジムンによって作り出された 「あの屋敷が幻だった‥‥‥」とウニタキは呆然とした顔で言った。 サハチにも信じられなかった。あの屋敷は確かにあった。あの屋敷が幻だったのなら、ウニタキはずっと、この草の中で寝泊まりしていた事になる。首里攻めの時、この草原の中で作戦を練っていたのだろうか。 「ここは昔、ヌルたちの 「首里も昔、ヌルたちの祭祀場があって、舜天に滅ぼされたと馬天ヌルから聞きましたが、ここもそうだったのですか」とサハチは運玉森ヌルに聞いた。 「首里の 「マジムンは何のために屋敷になったのです?」とサハチは聞いた。 「ここを以前のごとく、祭祀場にする事と側室の 「マジムン屋敷か‥‥‥」とウニタキがつぶやいた。そして、ウタキに向かって両手を合わせた。 サハチもウタキに両手を合わせた。 |
運玉森