ヌルたちのお祈り
六月の半ば、 サハチは招待されなかったが、山南王の支配下の按司たちが真壁グスクに集まって祝福したという。花嫁の祖父となる山グスク大主も当然という顔をして出席して、孫の婚礼を祝ったらしい。 その頃、ウタキ(御嶽)巡りをしている 浮島の 先代の小禄ヌルは高齢になり、姪に跡を譲って隠居していた。 「中山王と山南王が同盟を結んで、本当によかった」と先代の小禄ヌルはほっとした顔をして馬天ヌルに言った。 中山王と山南王が シタルー(山南王)の娘の豊見グスクヌルは大歓迎で馬天ヌルたちを迎え、一緒に行きたいと言って付いて来た。豊見グスクヌルは父親の本心を知っていて、同盟もそう長くは続かないだろうと思っていた。今のうちに、尊敬している馬天ヌルから色々な事を学ぼうと思った。馬天ヌルと一緒に、ヤンバルの 豊見グスクヌルが一緒なので、座波ヌルも快く会ってくれた。先代の座波ヌルは二年前に亡くなって、若ヌルが跡を継いでいた。座波ヌルには十歳と八歳の子供がいて、二人とも男の子だった。 「お父さんは山南王なのね?」と馬天ヌルが聞くと、座波ヌルは恥ずかしそうにうなづいた。 「出会った時、あの人、正体を隠していたんですよ。山南王に仕えていて、 ハルの事を聞いたら、遠い親戚だという。シタルーが山南王になった時の 「あの子、暇さえあれば 「楽しくやっているようです。佐敷ヌルを手伝って、お祭りの準備などもしております」 「そうですか。陽気な子ですから、どこに行っても大丈夫だと思いますが、よろしくお願いします」 座波ヌルと一緒にウタキを巡り、途中で別れて、島尻大里に行って、シタルーの妹の島尻大里ヌルと会った。 島尻大里ヌルは変わっていた。顔付きが以前よりも優しくなって、穏やかな雰囲気が漂っていた。 馬天ヌルが島尻大里ヌルのウミカナに初めて会ったのは、もう三十年も前の事だった。 当時、十六歳だったウミカナは、父親( 島添大里按司だった父親が山南王になって、島尻大里グスクに移ると、島添大里按司になった兄のヤフスを守るために、島添大里ヌルになった。父親が亡くなると、兄のタブチとシタルーが家督を争って戦になった。島添大里グスクは敵兵に囲まれ、サハチが島添大里グスクを攻め落とした時に捕まった。 馬天ヌルによって助けられて、島尻大里グスクに送られ、以後、山南王のシタルーを守るために島尻大里ヌルを務めている。戦ばかりやっていた父親を見て育ち、父親や兄たちのために、自分を犠牲にするのは当然の事と思い込んで生きて来たのだった。 「平和な世の中が一番です」と島尻大里ヌルは言って、軽く笑った。 死を覚悟した事も何度もあった。大グスクに側室に入った時、兄のシタルーは必ず助けると言ったが、手違いがあれば殺されるかもしれなかった。島添大里グスクが敵兵に囲まれて、食糧が底を突いた時も死を覚悟した。落城寸前の所で、敵兵はいなくなって命拾いをしたが、それも一瞬の事で、サハチに攻め落とされた。兄のヤフスは殺され、今度こそは生きてはいられないと覚悟を決めた。ところが、馬天ヌルに助けられた。馬天ヌルは『やるべき事をやりなさい』と言った。自分がやるべき事は、兄のシタルーを守る事だと信じて疑わなかった。 五年前、母親が 八重瀬グスクに来たのは久し振りだった。生まれたのは 母親の葬儀を済ませたあと、ウミカナは子供の頃を思い出しながらグスクの周辺を散歩した。タブチとシタルーが家督争いをした時、城下は焼けて、その後、再建された。グスクへと続く道が広くなって、建物が変わっていても、全体的な景色はそれほど変わってはいなかった。その年にタブチは初めて明国に行って交易を始め、城下は年を追う毎に発展するが、その時はまだ、幼い頃の情景が残っていて、ウミカナは様々な事を思い出していた。 城下の村の外れに、それほど古くはないウタキがあって、年老いたヌルがお祈りを捧げていた。同じ光景を子供の頃にも見たような気がして、ウミカナは老ヌルに声を掛けた。 老ヌルは 「可哀想に二十五の若さで亡くなってしまったんじゃよ」と老ヌルは言った。 四十年近く前、八重瀬按司を滅ぼしたのはウミカナの父だった。二歳だったウミカナは当時の事情はまったく知らなかった。老ヌルから話を聞いて驚いた。 父は八重瀬按司に絶世の美女を贈り、その美女は父親の按司と息子の若按司を誘惑して、親子で争いを始めた隙を狙って、攻め滅ぼしたという。八重瀬按司の一族は皆殺しにされ、 ウミカナは父親のやった事を聞いて 『やるべき事をやりなさい』 やるべき事とはこの事だったのかもしれないとウミカナは悟った。その後のウミカナは、父親に滅ぼされた八重瀬按司の一族、島添大里按司の一族、大グスク按司の一族、島尻大里按司の一族たちを弔ってきたのだった。 「馬天ヌル様の言った言葉の意味が、ようやくわかりました」とウミカナは晴れ晴れとした顔で言った。 「わたしもあなたを見習わなくてはいけないわね。今の中山王も大勢の兵たちを殺してしまったわ。 島尻大里ヌルと別れた馬天ヌルたちは、 米須ヌルの紹介で、 娘と一緒に小舟から降りて来たので、馬天ヌルが挨拶をすると、噂は聞いていると笑った。その笑顔が何ともさわやかで、馬天ヌルは一瞬で小渡ヌルが好きになった。 話を聞いて驚いた。五年前に小渡ヌルは島添大里グスクの佐敷ヌルの屋敷に半年間、住み着いて、剣術を習っていたという。さらに、去年の六月には 「佐敷ヌルから、あなたの事は聞いた事ないわ」と馬天ヌルが言うと、 「だって、あの頃のわたしはまったくの素人で、木剣の持ち方も知らなかったのです。佐敷ヌル様に憧れて、わたしも強くなりたいと思って、教えてくださいと頼み込んだのです。雑用をしながらお稽古に励みました。きっと、佐敷ヌル様はもう忘れている事でしょう」と言った。 「ヂャンサンフォン様の事はどうして知ったの?」 「八重瀬の若ヌルから聞きました。あの子、時々、遊びに来るのです。一緒に剣術や弓矢のお稽古をするのです。一緒に海にも潜ります。あの子が、ヂャンサンフォン様のもとで一か月の修行を積んだら、体が軽くなって、剣術も上達したって言ったので、わたしも訪ねて行ったのです。ヂャンサンフォン様は快く引き受けてくれて、 「そうだったの。 小渡ヌルと別れて、 「ヌル様、どうしてこんな所にいらっしゃるのです?」 「馬天ヌル様が奥間に来てね、それからずっと一緒にウタキ巡りの旅をしているのよ」 「そうだったのですか。驚きましたよ」 「どう、元気でやっている?」 「ええ、楽しくやっております。 八重瀬の城下は活気に満ちて賑わっていた。大通りには色々な店が並んでいて、『まるずや』ではないが、古着を扱っている店もあり、『 八重瀬から 「叔母様、お久し振りです」 「そうね。本当に久し振りだわ。見違えてしまうわね。マナミーが 「叔母様は相変わらず、若いですね。昔とちっとも変わらないわ」 「そんな事ないのよ。気持ちは若いんだけど、体が付いて行かないのよ」 麦屋ヌルが馬天ヌルを見ながら首を振った。 「一緒に旅をしてわかりました。馬天ヌル様は若いですよ。山の中のウタキに行った時なんて、わたしが息切れしても、馬天ヌル様はさっさと行ってしまうわ」 「本当ですよ」と奥間ヌルも言った。 「あら、そうかしら。きっと、ヂャンサンフォン様のお陰ね。あなたたちもヂャンサンフォン様のもとで修行をするといいわ」 「妹のウミタルもヂャンサンフォン様のもとで修行を積んで、今は女子サムレーたちを鍛えているのですよ」とマナミーが言った。 「そうですってね。佐敷ヌルから聞いたわ」 馬天ヌルは一緒にいるヌルたちをマナミーに紹介して、玉グスクヌルを呼んでもらった。 玉グスクヌルはマナミーの義姉で、マナミーの長女は若ヌルになっていた。 「二百年くらい前の話なんだけど、玉グスク按司の息子でヤマトゥに行ったきり、帰って来ない人がいるんだけど知らない?」と馬天ヌルは聞いたが、玉グスクヌルは驚いた顔をして、首を振った。 「二百年も前の事なんて、わかりませんよ。何年か前に佐敷ヌル様が来て、英祖様の宝刀を探していたけど、それと関係があるのですか」 「宝刀とは関係ないけど、英祖様とは関係あるわ。その人が英祖様のお父様かもしれないのよ」 「英祖様は、玉グスク按司と同じ御先祖様を持つ 馬天ヌルたちは玉グスクヌルと一緒に、歴代の玉グスクヌルのお墓に行って、神様に聞いてみた。 「その人、 「それは違います」とカナは言った。 「伊祖ヌル様は玉グスク生まれのグルーという名前しか知らなかったのです。伊祖ヌル様が妊娠したあと、父親の伊祖按司が玉グスクに人をやって調べさせて、玉グスク按司の息子だったと伊祖ヌルに言ったようです。きっと、玉グスク按司の三男の次男だったなんて言えなかったのでしょう。玉グスク按司の息子だったら、何も隠す必要はありません。三男の次男だったので隠してしまって、父親はティーダ(太陽)だったという事にしたのだと思います」 「そうかもしれないわね」と馬天ヌルも納得した。 その夜は玉グスク按司のお世話になって、次の日、 マグサンルーは来年、従者として明国に行くと言って、叔父のクーチから教わった明国の言葉を必死になって覚えていた。使者になるために、クーチは今、四度目の 米須のマルクも垣花のマグサンルーも甲乙つけがたかった。あとは政治的な問題だった。 垣花から 知念に行って、若按司の妻のマカマドゥに歓迎され、知念ヌルと一緒に古いウタキを巡った。 佐敷ヌルから話に聞いていたセーファウタキは凄いウタキだった。ここに来られただけでも、馬天ヌルと一緒に旅をしてよかったと奥間ヌルは感激した。麦屋ヌルも豊見グスクヌルも カナは三年前、 久高島でフカマヌルのお世話になって、 久高島をあとにした一行は平田、 島添大里グスクではサハチの娘のサスカサと会い、ユリとも再会した。ユリが無事なのは、奥間に来たヒューガから聞いていたが、会うのは十年振りだった。 「去年の末、サタルー様と再会して、今度は奥間ヌル様に会えるなんて、まるで、夢のようです。奥間からはるばるやって来たのですね」 「馬天ヌル様のお陰で、楽しい旅ができたわ。セーファウタキで、豊玉姫様にお会いして、わたしも天孫氏だってわかったのよ」 「天孫氏?」 「豊玉姫様の子孫だっていう事よ。わたしは奥間生まれだから、ヤマトゥの血を引いているものと思っていたんだけど、 「そうなんですか」とユリには何の事だか、さっぱりわからなかったが、奥間ヌルが喜んでいるのだから、きっと素晴らしい事なのだろうと一緒になって喜んだ。 サハチは島添大里グスクにいなかった。今、 ナツには六歳の息子がいると聞いて、わたしの方が先だわと心の中で喜んだ。その心の中を覗こうとしているかのように、ナツは奥間ヌルをじっと見つめて、 「 「お世話だなんて、そんな‥‥‥按司様のお世話になっているのはわたし共、奥間の者たちです。按司様のお陰で、毎年、たくさんの鉄が奥間にやって来て、皆、喜んでおります」 ナツは女の勘で、サハチと奥間ヌルの関係を見破っていた。しかし、奥間の人たちはサハチを必要としているし、サハチも奥間の人たちの力を必要としている。お互いに結び付きを強めるためには仕方がない事なんだと悟った。 「按司様にはもう一人、側室がおります」とナツは言った。 「来月、 「えっ、唐人の側室がいるのですか」 「明国に行った時に、お世話になったようです。それに、ヤマトゥにも側室ではありませんが、按司様の娘を産んだ人がいて、今年の正月に琉球にやって来ました。先月、帰ったばかりです」 「そうなのですか」と言いながら、あの『龍』は意外にも、女たらしだわと奥間ヌルは思っていた。 サスカサの案内で、島添大里の古いウタキを巡ってお祈りをして、六年前に決戦が行なわれた南風原の戦場跡に向かい、大勢の戦死者たちを弔ってから、馬天ヌルの一行は首里へと帰った。
その頃、座波ヌルの屋敷では、山南王のシタルーが座波ヌルと一緒に酒を飲みながら、今後の事を考えていた。 「ようやく、新しい 「中山王を倒す事ばかり考えていて、交易に関して、中山王にすっかり遅れを取ってしまった。三人の王が同盟して、それぞれ、やりたい事をやっている。わしもしばらくは領内をまとめる事に力を入れる事としよう」 「それがいいですよ。攻めるだけでなく、時にはじっと待つ事も必要です」 「今はじっと待つ時期か」 「そうです。数日前に馬天ヌル様が見えました」 「また、ウタキ巡りをしているそうじゃな。ウタキを拝むのがヌルの仕事だが、そんな事をして何が面白いのじゃろう。わしにはわからんよ」 「豊見グスクヌルも一緒にいましたよ」 「そうらしいな。あいつは以前から、馬天ヌルを尊敬していた。一緒に旅をするのもいいじゃろう」 「ウタキを巡るには、その土地のヌルに会わなければなりません。馬天ヌル様は各地のヌルたちに慕われております。馬天ヌル様はヤンバルの奥間ヌル、 「ヌルたちを従えたからといって、どうもなるまい」 「そうかしら? あなたは明国に留学して、進歩的なお考えをお持ちで、ヌルたちの力を信じないようだけど、各地の按司たちは何か重要な事が起こった時には、必ずヌルに相談します。戦が起こった時も当然、ヌルに伺いを立てます。ヌルが中山王に従えと言ったら、按司たちは従うのです」 「そうか。そこまで考えなかった」 「あなたの娘の豊見グスクヌルは、馬天ヌル様に敵対する事はないでしょう」 「豊見グスクヌルだけではない。妹の島尻大里ヌルも馬天ヌルを尊敬している。わしは中山王を相手に戦ができんという事か」 「そういう事です」 「馬天ヌルを何とかしなくてはならんな」とシタルーは言った。 「馬天ヌル様は大きな力に守られています」 「倒す事はできんというのか」 「無理です。倒せたとしても、あなたの周りに災いが起こるでしょう。今はじっと待っている時なのです」 「待っていて、何が変わるというのじゃ。馬天ヌルの天命が尽きるのか。それとも、中山王の天命が尽きるか。中山王が亡くなっても、サハチがいる。やはり、サハチを倒さなければならんのか。タルムイ(豊見グスク按司)のためにも、サハチは倒さなくてはならん」 「タルムイのためには、島添大里按司はいた方がいいわ。タルムイを守ってくれるでしょう」 「わしはタルムイを中山王にしてやりたかったんじゃ。そのためにあんな立派なグスクも築いた。苦労して造った首里グスクをサハチに奪われちまった。何もしませんと言った顔をしながら、島添大里グスクを奪い取り、首里グスクも奪い取った。思い出しただけでも腹が立ってくる」 シタルーは苦虫をかみ殺したような顔で酒を飲み干した。座波ヌルは酒を注いでやり、 「ハルは島添大里で楽しく過ごしているそうですよ」と笑った。 「ふん」とシタルーは鼻を鳴らした。 「ハルで安心させて、 「失敗していたでしょう。そして、ここに中山王の刺客が現れて、あなたもわたしも殺されたかもしれません」 「サハチが俺を殺すのか。あいつにはできんじゃろう。兄貴を殺そうとした時も、お前はやめさせた」 「八重瀬按司様は放っておいても、あなたよりも先に亡くなります」 「そうかな。兄貴もしぶといからな。兄貴と米須按司と玻名グスク按司、この三人が亡くなれば、南部も平定しやすくなる」 「それまで、じっと待つのです」と座波ヌルは言って、酒を一口なめた。 |
島尻大里グスク
八重瀬グスク
セーファウタキ