沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







保良のマムヤ




 『上比屋(ういぴやー)』の『ムマニャーズ(先代上比屋按司)』の屋敷に泊まった翌朝、『漲水(ぴゃるみず)のウプンマ』は娘が心配だと言って帰って行った。『赤崎のウプンマ』は大丈夫と言って残り、ムマニャーズの孫娘、クマラパの孫娘でもある『ツキミガ』が一緒に行くと言った。クマラパの娘のタマミガと孫娘のツキミガは一歳違いで、まるで姉妹のようだった。

 ササ(運玉森ヌル)たちは『ムマニャーズ』と別れて、赤崎のウプンマとツキミガの案内で、『百名(ぴゃんな)(東平安名)』に向かった。

 馬に乗って景色を眺めながらのんびりと行ったが、一時(いっとき)(二時間)くらいで着いた。『百名』は険しい崖の上にある小さな(しま)だった。崖の高さは十丈(三〇メートル)はありそうだ。こんな高い所にあるのに『津波』でやられたなんて信じられなかった。山の上にある『上比屋グスク』は大丈夫だろうが、『赤崎』も『赤名』も『漲水』もやられたに違いなかった。

 百名のヌルもやはり、『百名のウプンマ』と呼ばれていた。赤崎のウプンマとツキミガが一緒だったので、ササたちを歓迎してくれた。

「御先祖様は琉球(沖縄本島)からいらっしゃいました。『百名』というのは琉球にある地名らしいですね。わたしもいつか行ってみたいわ」と百名のウプンマは琉球の言葉で言った。

 百名のウプンマはタマミガと同じ位の年頃で、母親は二年前に亡くなってしまったが、母親は琉球に行った事があるという。

 百名のウプンマに連れられて険しい崖の中にある細い道を通って、下にある砂浜に降りた。

「御先祖様はここから上陸なさいました」と百名のウプンマは海の方を眺めながら言った。

「ここから琉球に行くお船も出ていたんですね?」とササは聞いた。

「そうだと思います。遙か昔、ここから『シビグァー(タカラガイ)』を積んだお船が琉球に行ったのでしょう」

 崖の方を見上げるとかなり高かった。この崖を乗り越える『大津波』なんて想像もできなかった。思っていたよりも悲惨な状況だったのだろうとササは思った。

 崖下にある『ウタキ(御嶽)』にお祈りを捧げた。神様の声は聞こえなかった。

「ここは『大津波』のあとに造った『ウタキ』だそうです。昔も『ウタキ』があったそうですが、津波のあと、わからなくなってしまったようです」

 崖を登って村に戻り、村の奥にある森の中の『ウタキ』に入った。ここにはちゃんと神様がいらした。ウパルズの娘で、アカサキ姫の妹の『ピャンナ姫』だった。

「わたしが『池間島(いきゃま)』からここに来たのは、琉球から来た人たちが村を造ってから三十年ほど経った頃だったわ。『ウムトゥ姫』の孫だったわたしは歓迎されて、村のウプンマになったのよ。池間島の姉に負けるものかと、『パナリ干瀬(びし)』で『シビグァー』を採って、琉球に送ったわ。わたしが亡くなったあと、シビグァーの交易は下火になってしまったけど、代わって、『ヤクゲー(ヤコウガイ)』の交易が始まったわ。百名は栄えて、大きな村になっていたのよ。ところが『三百年前の大津波』で全滅してしまったの。幸いに、当時の『ウプンマ』は助かって、村の再建に尽くしたわ。でも、以前の繁栄を取り戻す事はできなかった。お船はないし、船乗りたちも亡くなってしまって、琉球との交易もできなくなってしまったのよ。『上比屋』にはヤマトゥ(日本)から『平家』がやって来て、『保良(ぶら)』には『藤原氏』がやって来て、琉球と交易をして栄えて行ったわ。やがて、『按司』が現れて、恐ろしい『倭寇(わこう)』もやって来たのよ。幸いに、百名は『倭寇』の襲撃を(まぬが)れたけど、『大津波』に襲われた時のように、ミャーク(宮古島)では多くの人たちが亡くなったわ。『目黒盛(みぐらむい)』がミャークを統一して、ようやく安心して暮らせるようになったの。『百名』が以前のように栄える事を願っているわ」

「『三百年前の大津波』の時、『赤崎』、『赤名』、『漲水』のウプンマたちは助かったのでしょうか」とササはピャンナ姫に聞いた。

「みんな、流されてしまったわ」

「やはり、そうだったのですか。すると、それらのウプンマの跡を継いだのは誰なのですか」

「『池間島のウプンマ』は生き残ったのよ。池間島のウプンマは『ナナムイウタキ』を再興して、娘たちを『漲水』、『赤名』、『赤崎』に送り込んだのよ。今のウプンマはその子孫たちなの。『百名のウプンマ』は大津波が来た時、まだ十二歳の若ヌルったのよ。やがて、娘を産んで跡を継がせたわ。『池間島』と『百名』だけが、御先祖様からずっと続いているのよ」

 ササたちは『ピャンナ姫』にお礼を言ってお祈りを終えた。わたしが案内すると言って百名のウプンマも一緒に来た。百名のウプンマはナナの隣りに馬を寄せて、琉球の事をしきりに聞いていた。

 しばらく行くと馬が飼育されている『牧場』があった。

「ここは『保良』を滅ぼした『野城按司(ぬすくあず)』が、保良から奪い取った馬を飼育するために造った牧場なんじゃよ。野城按司が大嶽按司(うぷたきあず)に滅ぼされた時、城下から逃げて来た者たちが、ここに『崎山』という村を造ったんじゃ」

 クマラパが柵の中で草を食べている馬を見ながら説明した。二十数頭の馬がのんびりと草を食べていた。

 『崎山』の村に寄って、『崎山のウプンマ』と会った。ウプンマは琉球の言葉がしゃべれたが、『古いウタキ』はないと言った。村ができてから六十年しか経っていないので、この村を造った御先祖様を祀るウタキしかないという。

 崎山のウプンマと別れて、細長く突き出した『百名崎(ぴゃんなざき)(東平安名岬)』に行った。両側は崖で、海からの風が強く、『パナリ干瀬』と呼ばれる大きな干瀬が見えた。ここで採れた『ブラゲー(法螺貝)』が琉球やヤマトゥの戦で活躍したのだろう。熊野の山伏たちが持っている『ブラゲー』も、ここから採れたものに違いない。

 風が強いので途中から引き返して、『保良』の村に行った。

 ここにも馬を飼っている牧場があった。ピャンナ姫は栄えていたと言ったが、その面影はなく、保良は閑散とした村だった。

「『保良』は野城按司に滅ぼされたが、野城按司も大嶽按司に滅ぼされた。大嶽按司が佐田大人(さーたうふんど)に滅ぼされたあと、保良按司(ぶらーず)の娘が『野城按司』になったんじゃ。保良から野城(ぬすく)に移って行った者たちが多いんじゃよ」とクマラパは言った。

 百名のウプンマの案内で、『保良のウプンマ』と会った。

「御先祖様はヤマトゥの『平泉(ひらいずみ)の藤原氏』だそうですね?」とヤマトゥ言葉で聞くと保良のウプンマは驚いた顔をしてササを見た。

「『藤原氏』を御存じなのですか」と少し訛りのあるヤマトゥ言葉で言った。

「平泉には黄金(くがに)お寺(うてぃら)があって、京都のように栄えていたと聞いています。藤原氏に頼まれて、琉球に『熊野水軍』がやって来て、大量の『ヤコウガイ』を運んで行ったそうです。源氏が平家を壇ノ浦で滅ぼしたあと、『藤原氏』も源氏に滅ぼされてしまいました」

「御先祖様は『熊野水軍』のお船に乗って『ミャーク』に来たと伝えられています。『野城按司』を隠居した伯母がヤマトゥの歴史に興味を持っています。ヤマトゥの事を話してあげて下さい」

 ササは安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)を見て、うなづいた。

 保良のウプンマの案内で『古いウタキ』に行った。保良の村の東側の海岸はずっと崖が続いていて、『ウタキ』は崖の近くの森の中にあった。『大津波』の時も、かろうじて被害を免れたという。ウタキの神様は『寿姫(ことぶきひめ)』という『平泉』から来た保良の御先祖様だった。

「わたしは『西木戸太郎(藤原国衡(くにひら))』の娘です」と寿姫はヤマトゥ言葉で言った。

「父はお屋形様(藤原秀衡)の長男として、一族のために戦って戦死しました。当時、十一歳だったわたしも死ぬ覚悟をしていましたが、父から逃げろと言われて、『熊野水軍』のお船に乗って逃げました。どこに行くのかも知らず、着いた所が『ミャーク』でした。まったく知らない南の島に来て、はかない望みを持って、一族の無事を祈っていたのです。でも、『ミャーク』の海の美しさが、わたしの心を癒やしてくれました。『上比屋』に『平家』の人たちが先に来ていたのにも励まされました。同じ源氏を敵として戦っていたので、親しくなれました。『上比屋のハツネ様』には大変お世話になりました。『ハツネ様』に言われて、『琉球』との交易も始めて、『保良』の村もだんだんと栄えて行きました」

「その頃、琉球には浦添(うらしい)に『舜天(しゅんてぃん)様』という按司がいましたが、舜天様と交易をしたのですか」とササは聞いた。

「いいえ。浦添ではありません。『大里按司(うふざとぅあじ)様』と交易していました」

「大里按司というと『馬天浜(ばてぃんはま)』に行ったのですか」

「そうです。『佐敷』という所に船乗りたちの宿舎があって、帰るまでそこに滞在していました」

「わたしと安須森ヌルは佐敷で生まれました」とササが言うと、『寿姫』は驚いているようだった。

 ササたちも『ミャーク』の人たちが昔、『馬天浜』に来ていたと聞いて驚いていた。

「ご縁があるようですね」と寿姫は言った。

「わたしも一度、琉球に行って、『佐敷』に滞在した事があるのですよ。『大里按司様』は歓迎してくださって、色々な所に案内してくれました。『玉グスク』や『垣花(かきぬはな)』、『浦添』にも行きました。『久高島(くだかじま)』という島に行った時、浦添按司様のお母様がいらして、大変、お世話になりました」

「『久高島』にいらしたのですか」とササは驚いた。

 寿姫が会ったのは『初代の大里ヌル』に違いなかった。

「久高島は神々しい島でした。『保良』と『大里按司』との交易は百年くらい続いたと思います」

「どうして、やめてしまったのですか」

「琉球が戦世(いくさゆ)になったのと、貝殻が売れなくなってしまったからです。危険を冒して琉球まで行っても元も取れなくなってしまって、行くのをやめてしまいました」

「今、『大里グスク』にはわたしの兄がいます。ミャークの人たちが『馬天浜』に来てくれたら大歓迎しますよ」と安須森ヌルは言った。

「えっ、あなたのお兄さんが『大里按司』なのですか」

「以前の大里按司は八重瀬(えーじ)の按司に滅ぼされてしまいました。兄が八重瀬按司を倒して、大里按司になりました。今は『島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)』と呼ばれています」

「そうなのですか。やはり、琉球は戦をやっていたのですね。『目黒盛』が琉球に『与那覇勢頭(ゆなぱしず)』を送った時、『保良』の若者も一緒に行ったのですよ。その若者も今では五十歳を過ぎてしまいましたが、琉球まで行けるかもしれません」

「『目黒盛様』にも『琉球』と交易するように頼んであります。『保良』の人も一緒にそのお船に乗って行けばいいと思います、今の琉球の『中山王(ちゅうざんおう)』はわたしの父なので大歓迎です」

「えっ、あなたは王様の娘なの? お姫様が『ミャーク』まで来られたのですか」

「お姫様だなんて」と安須森ヌルは照れていた。

「先代の野城按司の『マムヤ』と話してみてください。きっと、喜んで、話に乗ってくると思います」

 『寿姫』と別れたあと、ササたちは保良の人たちが『馬天浜』に来ていた事に、改めて驚いていた。

「いつの人なの?」とシンシン(杏杏)が聞いた。

「『平家』が滅んだあとだから、二百年位前よ」とササが言った。

「『新宮(しんぐう)の十郎様』も大里ヌルと子供の『舜天』と一緒に『佐敷』で暮らしていたと言っていたわ」

「『スサノオの神様』が上陸したのも『馬天浜』だったし、『佐敷』の歴史は古いのよ」と安須森ヌルが誇らしげに言った。

「クマラパ様も行ったしね」とナナがクマラパを見ながら笑った。

 保良のウプンマの案内で『野城(ぬすく)』に向かった。途中、馬と牛がいる牧場があって、海岸沿いにちょっとした山があった。その山に『古いウタキ』があると保良のウプンマが言ったので、寄ってみる事にした。

「ここは昔、『アラウス按司(あず)』という女按司(みどぅんあず)がいた所じゃ。なかなか色っぽい女子(いなぐ)じゃった」とクマラパがニヤニヤしながら言った。

「ちょっかいを出したのですね?」とナナが横目で見た。

「わしがちょっかいを出す前に、『高腰按司(たかうすあず)』に取られてしまったんじゃよ」とクマラパは楽しそうに笑った。

「その女按司も『佐田大人』にやられたのですか」とササが聞いた。

「『高腰按司』の後妻になってしまったせいで、高腰按司と一緒に殺されてしまったんじゃ。『アラウスの女按司』はここの牧場でかなりの馬を飼っていたんじゃが、その馬も一緒に高腰按司のものとなって、『佐田大人』に奪われてしまったんじゃよ」

 樹木に被われた小さな山の近くに何軒かの家々が建ち並んでいた。その中に『アラウスのウプンマ』が住んでいた。しわだらけの顔をした老婆だった。

 保良のウプンマから話を聞いた『アラウスのウプンマ』はササたちをじっと見ると、

「今朝、『神様』からお告げがあったんじゃよ」と琉球の言葉で言った。

「琉球に行った事があるのですか」とササが聞いた。

「行った事などあるものか。琉球の言葉は神様から教わったんじゃよ。神様は『アマミキヨ様』の事を調べに琉球からヌルが来た。『ウタキ』に御案内しなさいとおっしゃったんじゃ」

「えっ、『アマミキヨ様』を御存じなのですか」

 ササは驚いて安須森ヌルと顔を見合わせた。まったく予想外だった。こんな所に『アマミキヨ様』と関係のある『ウタキ』があるなんて思ってもいなかった。

南の国(ふぇーぬくに)からやって来られた『アマミキヨ様』は、ここの下にある砂浜から上陸なさったんじゃよ」とアラウスのウプンマは言った。

「『赤崎ウタキ』から上陸したのではなかったのですか」

「ここから『赤崎』や『漲水』に移って行った者たちがいたんじゃよ。『アマミキヨ様』はここに上陸して、旅の疲れを癒やしてから『琉球』に向かわれたんじゃ。ここに残った一族の者たちもいた。この島はその者たちによって島造りされたんじゃが、『一千年前の大津波』で、ほとんどの者が亡くなってしまったんじゃ。その時の『大津波』の時も、ここの『ウタキ』は無事だったんじゃよ」

 『アラウスのウプンマ』は険しい崖にある細い道を通って、下にある砂浜にササたちを案内してくれた。腰の曲がった老婆だが、足腰はしっかりとしていた。

 崖に囲まれた中に綺麗な白い砂浜があった。赤崎にも砂浜はあったけど、ここの砂浜の方がずっと広かった。遙か遠くからやって来た『アマミキヨ様』たちはここに船を乗り上げて、一息ついたに違いなかった。

「昔はこの浜にも『ウタキ』があったらしいが、津波にやられて今はない」とアラウスのウプンマは言った。

「もしかして、アラウス按司の妹さんですか」とクマラパがアラウスのウプンマに聞いた。

 アラウスのウプンマはクマラパを見て笑うと、「久し振りじゃのう」と言った。

「そなたは姉に夢中になって、わしには見向きもしなかったのう」

「そんな事はない。可愛いと思っていたんじゃ」

「今頃、お世辞などいらんわ」

「跡継ぎはいるのかね」

「姉が『高腰按司』の後妻になって出て行って、わしがウプンマを継いだんじゃよ。飼っていた馬も、その世話をしていた男たちも連れて行ってしまった。わしは子孫を絶やすわけにはいかんと子作りに励んだんじゃ。今では孫が二十人もおるよ」

「そうか。そいつはよかったのう」とクマラパは安心したように笑った。

「どうして、姉を助けに来てくれなかったんじゃ?」とウプンマは怖い顔をしてクマラパを睨んだ。

「わしはあの時、『佐田大人』を倒すために『伊良部島(いらうじま)』で兵を鍛えていたんじゃよ。『大嶽按司』を倒した佐田大人はしばらくは動くまいと思っていたんじゃ。考えが甘かった」

 アラウスのウプンマは鼻で笑ってから、「それでも、『上比屋』に嫁いでいた姉の娘に『高腰按司』を継がせたのは上出来じゃった」と満足そうな顔をして言った。

 崖の上に戻って『ウタキ』の近くまで来た時、

「今まで、この『ウタキ』に子孫以外の者が入った事はない」とアラウスのウプンマは言った。

「安須森ヌル様とササ様は『アマミキヨ様』の子孫なので問題ないが、他の者たちは遠慮してほしい」

 安須森ヌルとササ以外の者たちはアラウスのウプンマの屋敷で待っていてもらう事にして、安須森ヌルとササだけがアラウスのウプンマに従って『ウタキ』に入った。

 小高い山の南側の斜面に『古いウタキ』があった。今まで見てきたミャークのウタキの中で、『一番古いウタキ』だという事はすぐに感じられた。『三百年前の大津波』の時も、『一千年前の大津波』の時も、神様に守られてきた『ウタキ』だった。

 安須森ヌルとササはウプンマに従ってお祈りを捧げた。

 最初の神様はアマンの言葉をしゃべった。何を言っているのかはわからないが、『ミントゥングスク』で聞いた言葉と同じだと思った。ササと安須森ヌルは『アマミキヨ様の足跡』が見つかった事に感激していた。

 次の神様は琉球の言葉をしゃべった。

「わたしは『一千年前の大津波』の時に生き残ったウプンマよ」と神様は言った。

「その時、この山に逃げて、生き残ったのはわたしと兄と、十数人の者たちだけだっわ。辺り一面、海になってしまって、ここと『大嶽』と『高腰』だけが海面から顔を出していたのよ。まったく信じられない光景だったわ。この世の終わりかと思ったのよ。やがて、潮が引くと兄は生き残った人たちを探しに行ったわ。大嶽に数人、高腰にも数人の人が生きていたけど、言葉が通じなかったのよ。当時はあちこちから来た人たちが住んでいて、言葉も違っていたの。五年位経った頃、神様のお告げがあって、兄は(にし)の方に行ったわ。そして、『琉球』から来たという娘と出会ったのよ。兄はその娘と身振り手振りでお話をして、琉球にいる『アマミキヨ様』の子孫だという事がわかって、琉球の言葉を学んだわ。兄は生き残った人たちを集めて、琉球の言葉を教えて、この島の人たちは同じ言葉をしゃべるようになったの。当時はまだ『狩俣(かずまた)』とは呼ばれていなかったけど、わたしも狩俣に行って、『マツミガ様』から言葉を学んだのよ」

「『マツミガ様』が出会った人と言うのはあなたのお兄さんだったのですか」とササは驚いて聞いた。

「そうなのよ。兄はマツミガ様と結ばれて『狩俣の神様』になったのよ」

「すると、狩俣の人たちは『アマミキヨ様』の子孫なのですね?」

「そうよ。それと、『大津波』の前に、ここから『池間島』に行った人が何人もいるのよ。『池間島』にも生き残った人がいたから、『アマミキヨ様』の子孫かもしれないわ」

「池間島には『アマミキヨ様』の子孫の『ネノハ姫(ウムトゥ姫)様』がいらっしゃいました。『ネノハ姫様』は島の男の人と結ばれて、『ウパルズ様』をお産みになりました。その男の人がここの子孫かもしれないのですね?」

「そうよ。『アマミキヨ様』の『ミャーク』の子孫と『琉球』の子孫が結ばれて、偉大なる神様と呼ばれる『ウパルズ』が産まれたのよ」

「『ウパルズ様』からここの『ウタキ』の事は聞いていませんが御存じなのですか」と安須森ヌルが聞いた。

「知らないと思うわ」と神様は言った。

「この『ウタキ』は一族の者でも限られた人しか入れないわ。『ウパルズ』が来れば、神様のお許しがあって、ここに入れたと思うけど、『ウパルズ』は来なかったわ。ウパルズの娘たちは『漲水』、『赤崎』、『百名』に来たけど、やはり、ここには来なかったわ」

「『ウパルズ様』に教えてもよろしいでしょうか」とササが聞いた。

「勿論よ。この『ウタキ』はミャークで『一番古いウタキ』なのよ。今後も守って行かなければならないわ」

「『アマミキヨ様』はどうして、『ミャーク』に落ち着かずに、さらに北へと行ったのでしょうか」と安須森ヌルが聞いた。

「この島には船の材料となる『太い木』がなかったからよ。『アマミキヨ様』は一冬をこの島で過ごしたのよ。夏になって『サシバ』が北へ行くのを見て、北に島がある事を知って、『サシバ』のあとを追って行ったのよ。一族の者をここに残したのは、この島が『シビグァー(タカラガイ)の産地』だったからなの。北の島に行ってみて、気に入らなかったら戻って来るつもりだったのかもしれないわ。でも、『アマミキヨ様』は琉球に落ち着いたのよ」

「そうだったのですか」と安須森ヌルは納得して、ササを見た。

 ササも納得したようにうなづいた。

 二人は神様にお礼を言って、ウタキから出た。

 アラウスのウプンマの案内で山頂まで登って景色を眺めた。

 南から来た『アマミキヨ様』は百名崎の東側を通って北上して、この下にある浜辺から上陸したのだった。『アマミキヨ様』が『ミャーク』に来た事がわかって、『ミャーク』に来た甲斐があったとササと安須森ヌルは海を眺めながら、しみじみと感動を味わっていた。

「『狩俣』の人たちと『池間島』の人たちが『アマミキヨ様』の子孫だったなんて驚いたわね」と安須森ヌルが言った。

「『大神島(うがんじま)』も『アマミキヨ様』の子孫だわ。きっと、神様があたしたちを導いてくださったのよ」とササは言った。

「そうよね。『狩俣』にお祖父(じい)様を知っている人がいたなんて、できすぎだわ。『クマラパ様』に出会わなかったら、こんなにもうまくは行かなかったわね」

「ほんとね」と言ったのは『ユンヌ姫』だった。

「誰じゃ?」とアラウスのウプンマが空を見上げて、ササたちに聞いた。

「『アマミキヨ様』の子孫の神様です。ミャークに来る時に助けてくれました」とササが答えた。

「ほう。琉球の神様をお連れしたのか」とアラウスのウプンマは言って、空に向かって両手を合わせた。

 ササたちを見ると、「よく来てくださった」とお礼を言った。

「お会いできて、本当によかったです」と安須森ヌルはアラウスのウプンマに両手を合わせた。

 アラウスのウプンマは嬉しそうに笑った。

「『ユンヌ姫様』もここの『ウタキ』は知らなかったの?」とササはユンヌ姫に聞いた。

「知らなかったわ。『アカナ姫』も一緒にいるんだけど、知らなかったって言っているわ」

「子供の頃、母に連れられて『百名』に行った時、ここまで来たんだけど、たくさんの(んま)を飼っていたわ」とアカナ姫が言った。

「アカナ姫になってから、わたしも馬を手に入れるためにここに来たわ。女の首長がいて、この山には『馬の神様』を祀ってある『ウタキ』があると言ったのよ。一族の者以外は入れないと言われて、ずっと『馬の神様』だと信じていたわ」

「馬の神様‥‥‥」とササは呟いた。

「古くからこの辺りでは馬を飼っていたんじゃよ。『大津波』のあと、生き残った馬をここに集めて増やしたんじゃ。『保良』に来たヤマトゥンチュ(日本人)もヤマトゥから連れて来た馬を育てていたんじゃよ」とアラウスのウプンマは言った。

 ササと安須森ヌルは山を下りると、アラウスのウプンマの屋敷で待っていたシンシンとナナ、クマラパとタマミガ、赤崎のウプンマとツキミガ、百名のウプンマと保良のウプンマに神様の言った事を話した。

「あたしも『アマミキヨ様』の子孫なのね?」とタマミガが言った。

「わたしもそうかしら?」と赤崎のウプンマが言った。

 神様の世界では母親の家系を重んじるので、はっきりとそうだとは言い切れないが、「そうかもしれないわ」とササは言った。

 『アラウスのウプンマ』にお礼を言って別れ、ササたちは『野城(ぬすく)』に向かった。

 『野城』は高台にある石垣に囲まれたグスクだった。グスクの大御門(うふうじょー)へと続く大通りには家々が建ち並んでいて、どこからかおいしそうな匂いが漂ってきた。

「お腹が減ったわね」とシンシンが言った。

「そうね」と言ってササは食事ができそうな店はないかと探した。

「グスクに着いたら姉に頼んで用意させるわ」と保良のウプンマが言った。

 みんなで喜んで、保良のウプンマにお礼を言った。

「あのグスクを築いたのは『琉球』から来た武将じゃよ」とクマラパが言った。

「『按司』を名乗ったのも、その武将が最初らしい」

「いつ頃の事ですか」とササは聞いた。

「わしがミャークに来る五十年ほど前の事じゃ。そして、わしがミャークに来た時は、『大嶽按司』に滅ぼされたあとじゃった。その武将が亡くなって、跡を継いだ若按司が保良の娘に惚れて、その娘が亡くなると嘆き悲しんで、大嶽按司に滅ぼされたそうじゃ。わしが来た時は『野城按司』が滅ぼされてから十年近くが経っていて、石垣だけが無残に残っていたんじゃよ」

 保良のウプンマのお陰で、グスクに入る事ができて、ウプンマの姉の按司と会い、隠居している先代の女按司と会った。

 東側にある曲輪(くるわ)内の屋敷に、『先代の女按司』は弟と一緒にいた。弟は今の女按司とウプンマの父親で、先代の女按司も弟も七十歳を過ぎていると言うが、先代の女按司は気品があって若々しく、どう見ても五十代くらいにしか見えなかった。

「相変わらず、そなたは美しいのう」とクマラパは先代の女按司に言った。

「丁度、クマラパ様の噂をしていた所ですよ」と弟は笑った。

 先代の女按司の弟はミャークの言葉しか話せないので、タマミガが訳してくれた。

「どうせ、ろくな噂ではあるまい」とクマラパは苦笑した。

「違いますよ」と弟は手を振って、「姉がクマラパ様の事を好きだったって告白したんですよ」と言った。

 タマミガは訳しながら、父を睨んでいた。

「いやですよ」と顔を赤らめた先代の女按司は、まるで、娘のように可愛らしく見えた。

「なに、それは本当かね」とクマラパが驚いた顔をして先代の女按司を見た。

「もっと早くにお会いしていればよかったわ。あの時のわたしは亡くなった事になっていました。『野城按司』が滅ぼされたのも、わたしのせいなのです。大勢の人を死なせてしまって、自分だけが幸せになる事なんてできませんでした」

「そうじゃったのか。そんな事を考えていたのか。わしは嫌われたと思って去って行ったんじゃ」

 クマラパは昔を思い出していたようだが、振り返ってササたちを見ると、

「『保良のマムヤ』と言って、若い頃は天女と見まがうほどの美しさだったんじゃよ」とクマラパは先代の女按司を紹介した。

「クマラパ様と出会った時、亡くなった事になっていたとおっしゃいましたが、どういう事ですか」と安須森ヌルが聞いた。

 マムヤは笑うだけで答えなかったが、弟が答えてくれた。

「姉は野城按司に見初められて嫁いだのです。でも、野城按司には妻も子もいました。妻や子に申し訳ないと思った姉は身を引いて、『百名崎のガマ(洞窟)』の中に隠れました。野城按司はしつこく探し回りました。姉は崖から飛び降りて亡くなった事にしたのです。姉が亡くなると野城按司はグスクに籠もって嘆き悲しんでいました。そして、大嶽按司に攻め滅ぼされたのです」

「ずっと、隠れていたのですか」とタマミガが聞いた。

「野城按司が滅ぼされたあとは生き返りましたよ」とマムヤは笑った。

「このグスクに『古いウタキ』はありますか」とササはマムヤに聞いた。

「およそ百年前に『野城按司』は琉球からやって来て、ここに『グスク』を築きました。わずか二代で滅びてしまいましたが、初代の按司が作ったお墓があります。そこに初代の按司とその娘のヌルが眠っています。娘のヌルは弟の按司が戦死したあと、崎山に移って、そこで亡くなりました。姉のヌルはわたしが生きている事を知って、弟が亡くなったのはわたしのせいだと恨んでいました。わたしがここの按司になった時、崎山のウプンマと相談して、ヌルの遺骨をこちらに移しました。幸い、神様になられてからは、わたしへの恨みも消えたようなので安心しました」

 野城按司が用意してくれた昼食を御馳走になってから、ササたちはグスクの外の西の崖にある『初代野城按司のお墓』へと行った。

「浦添にある『英祖(えいそ)様のお墓』に似ているわね」と安須森ヌルが言った。

 そう言われてみるとササも似ていると思った。

 マムヤと一緒にササたちはお祈りを捧げた。

「琉球から来たそうじゃのう」と神様の声が聞こえた。

「はい。琉球から参りました」とササが答えた。

「わしを琉球から追い出した弟の『玉城(たまぐすく)』が浦添按司になったのは知っているが、その後、どうなったのか知っておるかね?」

「えっ、神様は玉城様のお兄様だったのですか」

「そうじゃ。わしは『北原按司(にしばるあじ)』じゃった。親父(英慈)が亡くなったあと、葬儀も済まないうちに、玉城の兵が突然、攻めて来たんじゃ。わしは逃げて『馬天浜』にいた『ミャーク』の船に乗ってこの島に来たんじゃよ」

「『保良按司』のお船に乗って来たのですね?」

「そうじゃ。そして、ここにグスクを築いて、『野城按司』を名乗ったんじゃよ」

「玉城様が浦添按司になった時から琉球は『戦世(いくさゆ)』になったと伝えられています。玉城様が亡くなったあと、息子が跡を継ぎましたが、『察度(さとぅ)様』に滅ぼされました」

「なに、滅ぼされたのか。いい気味じゃ。その『察度』というのは何者なんじゃ?」

「察度様の母親は浦添の若按司の娘さんです。若按司は玉城の兵に攻められて戦死しましたが、娘さんは若按司の武将だった『奥間之子(うくまぬしぃ)』に助けられて、奥間之子の息子と結ばれて『察度様』が生まれました。『察度様』は自分の出自を知らず、若い頃はヤマトゥに行って倭寇(わこう)として暴れていました。お宝を積んで琉球に帰って来ると、父親から母親の事を聞いて、祖父である若按司の敵を討とうと心に決めました。そして、玉城の息子の『西威(せいい)』を倒して、浦添按司になったのです」

「兄貴の孫が敵を討ったのか‥‥‥そうか。そいつはよかった。玉城の奴は若按司だった兄貴と八重瀬按司(えーじあじ)だった兄貴を殺して、浦添按司になった。天罰が下ればいいと思っていたんじゃが、兄貴の孫が敵を討ってくれたとは、喜ばしい事じゃ。教えてくれてありがとう」

「いいえ。『英慈(えいじ)様』の息子さんが『ミャーク』にいたなんて驚きました」

「馬鹿な倅を持ったせいで、二代で終わってしまった。まったく情けない事じゃよ」

「保良按司のお船に乗って来たのに、どうして『保良按司』を滅ぼしてしまったのですか」と安須森ヌルが聞いた。

「わしが『ミャーク』に来た時の女按司とはうまく行っていたんじゃ。その女按司が亡くなって、娘が跡を継いだ時、ヤマトゥから『大嶽按司』がやって来たんじゃ。娘の按司は大嶽按司と取り引きを始めて、わしの言う事は聞かなくなってしまったんじゃよ。その娘は五十歳になる前に亡くなってしまい、跡を継いだのはまだ二十歳の娘じゃった。放って置いたら『保良』は大嶽按司に奪われてしまうと思ったんじゃ。それで、『保良』を攻め取ったんじゃよ。保良は船を持っていたんで、わしは琉球に送ったんじゃが、その船は帰って来なかった。しばらく、琉球に船を送っていなかったので、遭難してしまったらしい」

「その船は途中で嵐に遭って沈んでしまったそうじゃ」とクマラパが言った。

「それでも、『琉球』にたどり着いた男がいた。その男は十三年後、浮島(那覇)にいた『程復(チォンフー)』という唐人(とーんちゅ)の船に乗って『ミャーク』に帰って来た。わしはその船に乗って来たんじゃよ」

「なに、無事に帰って来た者がいたのか」と北原按司は驚いていた。

「どうして、『琉球』に帰らないのですか」とササが北原按司に聞いた。

「なに? 『琉球』に帰る? そんなの無理じゃろう」

「神様は故郷(うまりじま)には帰れるはずですけど」

「そうなのか? どうやって帰るんじゃ?」

 そう聞かれてもササにはわからなかった。

「目をつぶって、故郷を念じれば帰れるわ」と『ユンヌ姫』が教えた。

「誰じゃ?」

「琉球の神様です」

「琉球の神様も連れて来たのかね」と言ったあと、神様の声は聞こえなくなった。

「『琉球』に帰って行ったわ」とユンヌ姫が言った。

「帰ったら驚くでしょうね」と安須森ヌルがササを見て笑った。

 『マムヤ』はササと安須森ヌルを優しい眼差しで見ながら微笑んでいた。





百名村



保良村



アラスクのウタキ



野城




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