婿入り川
十二月の初め、島尻大里ヌル(前豊見グスクヌル)と座波ヌルが島添大里グスクにやって来た。 安須森ヌルは留守なのに、何の用だろうとサハチは御門番と一緒に大御門(正門)に向かった。 「お久し振りです」と言って島尻大里ヌルは頭を下げて、一緒に来た座波ヌルを紹介した。 座波ヌルはシタルーの側室だったと聞いているが、娘の島尻大里ヌルと大して違わない年齢に見えた。 「去年の首里のお祭り以来だな。父親の死と戦を乗り越えたせいか、一段と美しくなったようだな」とサハチは言った。 「按司様、何をおっしゃっているんですか」と島尻大里ヌルは戸惑ったような顔をして笑った。 「手登根のお祭りで、そなたの母親と初めて会った。そなたの美しさが母親譲りだという事がよくわかったよ」 島尻大里ヌルは顔を赤らめた。美しいと言われたのは久し振りだった。 若ヌルだった頃、島尻大里グスクで修行していた時、若いサムレーたちから、凄い美人だと騒がれた。でも、言い寄って来るサムレーはいなかった。皆、祖父(汪英紫)を恐れて、近づいては来なかった。豊見グスクヌルになって、豊見グスクに帰っても、サムレーたちの視線は気になったが、近づいて来る男はいなかった。 父が山南王になってからはなおさらだった。王様の娘である豊見グスクヌルは雲の上の人のような存在になってしまった。いつの日か、父を恐れないで言い寄って来る強い男が必ず、現れるはずだと思っていたが、そんな男が現れる事もなく三十を過ぎてしまった。座波ヌルの可愛い子供を見る度に、自分も子供が欲しいと思う。尊敬する馬天ヌルは、いつか必ず現れるから心配するなと言ったが、島尻大里ヌルは半ば諦めていた。 「母も按司様と初めてお話をして、不思議な人だと言っていました。父は生前、敵なんだが、なぜか、按司様を憎めないと言っていたそうです。按司様と会って、その気持ちが少しわかったような気がすると言っていました。そして、ヤンバル(琉球北部)の旅から帰って来た母は、祖父の察度様がもし、按司様に会っていたら、世の中は変わっていたかもしれないと変な事を言っていました」 「察度殿と俺が会っていたなら、世の中は変わっていた?」 親父の思紹は東行法師になった時、首里天閣で察度と会っていたが、サハチは会った事がなかった。ヤンバルの旅から帰って来たトゥイ様が、どうして、そんな事を考えるのか、サハチにはさっぱりわからなかった。 「安須森ヌルは留守だけど、サスカサにでも用があるのか」とサハチは聞いた。 島尻大里ヌルは首を振って、 「お祭り奉行のユリ様に会わせて下さい」と言った。 「ユリに?」 「馬天浜のお祭りが凄かったと噂を聞きました。それで、頼みがあるのです。今月の十五日、山北王の若按司が、山南王の婿としてやって参ります。山南王としては、盛大にお迎えしたいと思っております。そこで、ユリ様のお知恵をお借りしたいのです」 「成程。お祭りのように派手にお迎えしたいという事だな」 「そうです」 「それは他魯毎の意向なのか」 「弟は大げさに迎える事はないと言ったのですが、母がお祭りのように迎えろと言ったのです」 「先代の王妃様か‥‥‥今帰仁に行って来たそうだな?」 島尻大里ヌルはうなづいた。 「今帰仁で山北王の若按司に会ってきたと言っていました。山北王の若按司も好きで島尻大里に来るわけではない。ママチーのためにも歓迎してやるべきだと言いました」 ウニタキが言ったように、トゥイ様は山北王の若按司を歓迎するようだった。それもいいだろうとサハチはうなづいて、二人を東曲輪の安須森ヌルの屋敷に連れて行ってユリと会わせた。 ユリもハルもシビーも次の新作『ササ』を作るために頭をしぼっていた。サハチが二人を紹介して、わけを話すと、 「面白そうね」とハルが乗り気になった。 「あと十日余りしかないわ」とユリは難しそうな顔をした。 「できる事だけでいいのです。よろしくお願いします」と島尻大里ヌルは頼んだ。 ユリは引き受ける事に決め、ハルとシビーを連れて、島尻大里ヌルたちと一緒に島尻大里グスクに向かった。女子サムレー三人が護衛のために付いて行き、念のために侍女のマーミに、ウニタキに知らせて、ユリたちを守るように頼んだ。 その翌日、サタルーが研ぎ師を連れて来たとマチルギから知らせがあり、サハチは首里に向かった。 龍天閣に行くと思紹とマチルギが研ぎ師の家族たちと話をしていた。サタルーの姿はなかった。 「ミヌキチの孫のジルキチじゃ」と思紹が紹介した。 「娘のウトゥミが女子サムレーになりたいらしい。チューマチに嫁いだマナビーに憧れていたそうじゃ」 「マナビーなら島添大里にいる。マナビーに会いたいなら島添大里に来ればいい」とサハチはウトゥミに言った。 ウトゥミは、違いますと言うように手を振った。 「マナビー様は王女様です。馬に乗っている姿を見て憧れただけで、マナビー様はわたしの事なんて知りません」 「そうか。それなら強くなって、マナビーを驚かせてやれ」 「今、ジルキチと話していたんじゃが、ジルキチを島添大里の研ぎ師として迎えてくれんか」と思紹がサハチに言った。 「えっ、首里じゃなくて?」 「首里にはジルキチの兄弟子がいるんじゃよ。ジルキチとしても兄弟子の邪魔はしたくないらしい」 「そういう事か。そうしてもらえれば、こちらとしてもありがたい。是非とも、島添大里にお越し下さい」 島添大里にも研ぎ師はいるが、名刀を研ぐほどの腕はなく、名刀は首里の研ぎ師に頼んでいた。以前にお世話になったミヌキチの孫が島添大里に来てくれれば恩返しにもなるとサハチは喜んだ。 「按司様が今帰仁に来た時の事を覚えております」とジルキチは言った。 「わたしが六歳の時でした。山伏のクマヌ殿と一緒に来られたのを覚えています」 「そうですか」とサハチは言った。 当時、ミヌキチの孫は四、五人いたような気がする。その中の誰がジルキチだったのか、サハチは覚えていなかった。 「按司様が朝早く、木剣を振っている姿を見て、サムレーになりたいと憧れたのです。それで、娘の気持ちもわかるのですよ」とジルキチは笑った。 「どうして、サムレーにならなかったのです?」 「親父から剣術を教わって、俺は夢中になりました。次男だったので、サムレーになってもいいと親父は言いました。でも、十四の時、親父が山北王から頼まれた家宝の名刀を研ぐ姿を見て、俺も研ぎ師になろうと決心したのです。あの時の親父は凄かった。俺も親父みたいになりたいと思いました。まだまだ、修行中の身ですが、よろしくお願いします」 「そなたに研いでほしい刀がいくつもある。こちらこそ、よろしくお願いします」 サハチはジルキチにそう言って、ウトゥミを見ると、「島添大里には強い女子がいっぱいいるぞ」と言って笑った。 「ところで、サタルーはどこに行ったんだ?」とマチルギに聞いた。 「奥間から他魯毎に送る側室を連れて来て、島尻大里グスクに連れて行ったわ」 「奥間からも来たか。マチルーも大変だな。サタルーは国頭按司の材木を運んで来たのか」 「そうよ。材木を運んで来た人たちは夏まで玻名グスクで働いてもらうって言っていたわ。サタルーは用が済んだら陸路で帰るそうよ」 「そうか。ササたちがいないから遊び相手もいないか」 「焼き物が忙しいって言っていたわ」 「サタルーが焼き物をやるとは驚いた」と思紹が笑った。 ジルキチの家族は城下にあるサハチの屋敷に泊まって、首里見物を楽しんでから、島添大里にやって来た。ウトゥミは来年の正月から娘たちの稽古に加わる事になった。 十二月十日、山南王になった他魯毎の最初の進貢船が船出した。先代の死を永楽帝に告げたら、永楽帝は冊封使を送ってくるだろう。山南王のための冊封使だが、中山王が黙って見ているわけにもいかない。中山王は他魯毎の義父なので、それなりの接待はしなければならなかった。そして、国相になったワンマオ(王茂)がいる久米村は、明国の出先機関として冊封使を迎えなければならなかった。 前回、冊封使が来たのは十年前だった。まだ完成していなかった首里グスクで、武寧が中山王に、シタルーが山南王に冊封された。その時の冊封使は、当時のサハチにはまったく縁がなかった。浮島に半年間も滞在していたが、何をやっていたのか興味もなかった。風水師として久米村に住んでいたファイチは冊封使と会ったようだが、当時の久米村はアランポーが仕切っていて、アランポーが中心になって冊封使を接待していた。 明国の役人は前例を重んじるので、アランポーが残した記録を読んで、冊封使を迎える準備はしているとファイチは言っていた。 山南王の進貢船が船出した二日後、手登根グスクのウミトゥクが次女のククを産んだ。夫のクルーはヤマトゥに行っていて留守で、長女のミミはササと一緒に南の島に行っていた。ウミトゥクの母親のトゥイと佐敷大親の妻、キクが来て、お産を助けてくれた。 トゥイはキクが奥間の出身だと聞いて驚いた。父は玻名グスク按司になった奥間大親で、十三歳の時に奥間から佐敷に来たという。トゥイが奥間に行って来たと言ったら、今度はキクが驚いて、懐かしそうに故郷の話を聞いていた。
十二月十五日、山北王の若按司が婚約者のママチーを連れて、糸満の港にやって来た。 山北王の叔父である伊差川大主を重臣として連れ、サムレー大将の古我知大主は百人もの兵を引き連れていた。迎えたのは島尻大里ヌルと座波ヌル、糸満大親と兼グスク大親、本部のテーラーもいた。 川船に乗り換えた一行は糸満川をさかのぼって行った。若按司とママチーが乗っている先頭の船は花で綺麗に飾られて、ユリが横笛を吹いていた。サハチが首里のお祭りで吹いた曲だった。 若按司のミンもママチーもチヨもユリの吹く曲に感動していた。一緒に乗っているテーラー、伊差川大主、古我知大主も感動していた。 照屋グスクの北の崖に挟まれた狭い所を抜けると、川の両側に小旗を振った人々が若按司たちを歓迎した。ミンもママチーもその人の数に驚いていた。 ママチーが今帰仁に行く時、見送ってくれたのは王妃のトゥイと数人の侍女だけだった。今帰仁から帰って来て、こんな歓迎を受けるなんて思ってもいなかった。 ミンは若按司である自分が、山北王の世子ではなく、山南王の世子になれと父から言われた時、自分の耳を疑った。弟のフニムイが父の跡を継ぐのかとがっかりした。しかし、父は、 「わしは山南王を倒すつもりじゃ」と言った。 「山南王を倒したあと、お前の義兄である保栄茂按司を山南王にする。そのあと、中山王を倒して、わしは中山王になる。お前は中山王の世子となって、わしの跡を継ぐ。山北王にはフニムイになってもらうつもりじゃ」 「父上が中山王になるのですか」 「そうじゃ。琉球を支配するには、今帰仁にいるより首里の方がいい」 父は凄い事を考えると思いながらミンは父を見ていたが、「兄上が山南王になるのなら、俺が南部に行かなくてもいいのではありませんか」と聞いた。 ミンがそう言うと父は笑った。 「今、南部には保栄茂按司のグスクに五十人、テーラーのグスクに五十人、島添大里のミーグスクに五十人の兵がいるが、それだけでは足らんのじゃよ。かといって同盟を結んでいるのに、兵を送るわけにもいかん。そこで、お前に南部に行ってもらうんじゃ。大事な若按司の護衛として兵を送るんじゃよ」 ミンは父の言う事に納得して南部にやって来た。山南王にも若按司はいると聞いている。自分は山南王にとっては邪魔者だろう。どんな扱いを受けても、父が山南王を倒すまではじっと我慢しようと覚悟を決めてやって来た。まさか、こんな風に歓迎されるなんて夢にも思っていなかった。 大村渠の船着き場で船を降りて、ミンたちは近くの家で一休みした。兵たちが皆、到着すると、ミンは山南王が用意してくれた馬に乗り、ママチーと母のチヨはお輿に乗って、テーラーの先導で、隊列を組んで大通りを行進した。大通りの両側にはサムレーたちが等間隔に並び、その後ろでは人々が小旗を振って歓迎してくれた。 大御門からグスクに入ったミンとママチーは、山南王の他魯毎と王妃のマチルーに迎えられて、御庭で婿入りの儀式を行ない、正式に山南王の世子となった。 山南王はミンの婿入りを記念して、糸満川を『婿入り川(報得川)』と命名した。 人々が振っていた小旗を考えたのはユリたちだった。準備の時間が短いので、大げさな物を作るわけにはいかなかった。ある物を利用するしかない。島尻大里ヌルに連れられて、物置を見て歩いた時、大量の端布を見つけた。王妃がもったいないと言うので取っておいてあるが、使い道がないので、どんどん増えていったという。様々な色があるので、何かに飾ったらいいんじゃないとハルが言って、端布を手に取って振ってみた。それを見て、シビーが見物人たちに端布を振らせたらいいんじゃないのと言った。 ユリも端布を手に取って振ってみたが、見物人たちがこれを振ってくれるとは思えなかった。 「旗にすればいいのよ。お祭りの時、グスクに飾られる三つ巴の旗みたいにすれば、みんなが振ってくれるわ」とシビーが言った。 それがいいとユリも賛成して、「さっき、戦で使った弓矢がいっぱいあったわ」とハルが言った。 戦が終わったあと、拾い集めた弓矢が束ねられて、いくつもあった。鉄の鏃は再利用するが、竹の矢柄と変形してしまった矢羽根は捨てるという。ユリたちは矢柄と端布を使って、小旗をいくつも作って、見物人たちに配ったのだった。 サハチは知らなかったが、奥間の側室を島尻大里グスクに連れて行ったサタルーは、グスク内でユリたちと出会って、小旗作りを手伝っていた。ユリたちと一緒に島添大里グスクに来て、奥間に行ったトゥイ様の様子を詳しく話してくれた。 「リイの母親がトゥイ様のお姉さんだったなんて、初めて知りましたよ」とサタルーは言った。 「何だって? 長老の奥さんがトゥイ様の姉なのか」 「そうなんですよ。察度が奥間に来て、生まれた娘がリイの母親だったんです。だから、トゥイ様は俺にとっても叔母さんというわけです。それだけじゃないんです。奥間ヌルの母親はトゥイ様の従姉だったんですよ」 「何だって? どういう事だ?」 「察度の弟の小禄按司が奥間に来た時に生まれたのがクダチという娘で、その娘がヤマトゥに行って具足師(鎧師)になった先代の奥間ヌルの息子と結ばれて、今の奥間ヌルが生まれたのです」 父親が具足師だというのは奥間ヌルから聞いていたが、母親が宇座の御隠居の娘だったなんて聞いていなかった。 「奥間ヌルが宇座の御隠居の孫だったとは驚いた」とサハチは目を丸くしていた。 翌日、サタルーが玻名グスクに行くというので、サハチも一緒に行く事にした。 久し振りに来た玻名グスクは随分と変わっていた。崖の下にある砂浜には小舟がいくつも置いてあり、砂浜へと続く道も造られてあった。 大御門の上の櫓にキンタがいた。キンタはすぐに下に降りてきて、サハチたちを迎えた。 「順調に行っています」とキンタは笑った。 キンタは父親の跡を継いで、奥間大親になり、島添大里から首里に移る事になっていた。玻名グスクの準備のため、今は家族を連れてグスク内で暮らしていた。 三の曲輪内に大きな作業場が出来ていて、若い者たちが鍛冶屋の修行に励んでいた。 「親父が出て来なくてもいいと言っているのですが、ちょっと目を離すと、すぐにここに来るのです」とキンタが父親のヤキチを見ながら言った。 「按司になっても鍛冶屋である事は忘れていないようだ」とサハチは笑った。 サハチとサタルーはヤキチとキンタと一緒に一の曲輪内の屋敷に行って、お茶を御馳走になった。 「作業場にいた若者たちは奥間から連れて来たのか」とサハチはヤキチに聞いた。 「そうです。各地にいる鍛冶屋の親方は家族を呼んで一緒に暮らしていますが、職人たちの家族は奥間にいます。倅たちは奥間で修行をしていたのです。南部に住んでいる職人たちの家族をここの城下に呼んで、その息子たちをここで修行させているのです」 「成程。家族がここにいれば、すぐに会いに来られるな。以前、城下に住んでいた人たちは皆、出て行ったのか」 「首里から戻ってきたサムレーの家族は残っていますが、鳥島(硫黄鳥島)に送られたサムレーたちの家族は皆、出て行きました。空き家だらけになってしまったので、奥間から呼んだ家族たちが、その家で暮らしています」 捕虜となった百五十人の兵は首里に送られたが、管理するのが大変だった。鳥島に送ると言っても、南風が吹く夏になるまで送れない。その間、食糧を与えなければならないので、兵たちの身元を詳しく調べて、先代の按司や重臣たちとつながりがなく、年若い兵は許して玻名グスクの城下に帰したのだった。その数は五十人近くに上り、ほとんどの者が新しい按司に仕える事になった。 「鍛冶屋だけではありません」とサタルーが言った。 「木地屋の家族も来ています。二の曲輪にある作業場で息子たちが修行しています。それに、炭焼きも来て、南にある山の中に入っています」 「そうか。奥間の拠点として機能し始めたようだな。よかった」とサハチは満足そうにうなづいた。 「按司様、まもなく、年が明けますが、このグスクにはまだ、ヌルがおりません。キンタの娘のミユが来年から馬天ヌル様のもとで修行する事になっておりますが、新年の儀式をするヌルがおりません。どなたかお願いしたいのですが」 「わかった。馬天ヌルと相談しよう」 安須森ヌルとササがいなくて、山グスクヌルもいなくなってしまった。ヌルがいないのはここだけでなく、与那原も八重瀬も山グスクも手登根もいなかった。馬天ヌルと相談して、それらのグスクにヌルを送らなければならなかった。 ヤキチに米須と真壁の様子に注意してくれと頼み、サタルーを玻名グスクに残して、サハチは首里に向かった。
山北王の若按司が島尻大里にやって来た五日後、六月に船出した中山王の進貢船が帰って来た。島添大里にいたサハチは知らせを受けて、首里に向かった。 首里の城下は凄い人出だった。見物人たちが大通りの両側で、小旗を持って、使者たちが帰って来るのを待っていた。この人出は城下の者たちだけでなく、近在に住む者たちもいるようだ。誰かが進貢船が帰って来た事を村々に知らせたらしい。そして、山北王の若按司を迎えた小旗を真似して配ったに違いない。マチルギの仕業だろうと思い、サハチはグスクの南側に回って南御門からグスクに入った。 南側に御門を作ったのは、北曲輪に石垣を築いた時だった。グスクへの入り口は西御門と東御門があるが、共に大御門から入らなければならなかった。大御門を敵に塞がれた場合、逃げ道はなかった。そこで、東曲輪の南側に新しく出入り口を作ったのだった。グスクの南側は樹木が生い茂っていたが、今では家々が建ち並んでいた。島添大里と佐敷から移り住んできた人たちがそこで暮らしていた。 百浦添御殿(正殿)の二階で待っていると、正使のサングルミーと副使のハンワンイー(韓完義)がやって来て、順天府(北京)まで行って、永楽帝に会ってきたと報告した。ヂュヤンジン(朱洋敬)も永楽帝に従って順天府にいたという。 「永楽帝は戦をしておりました。皇帝なのに自ら指揮を執って、元の残党を倒したようです」 「元の残党がまだいるのか」とサハチは驚いた。 「大陸は果てしもなく広いですからね。壊滅するのは大変のようです」 「そうか」と言いながら、サハチは永楽帝と会った時の事を思い出していた。宮殿にいるよりも戦場にいる方が好きなようだったが、あれから七年が経つというのに、まだ戦を続けているなんて驚きだった。 「順天府では今、新しい宮殿を作っていますが、その規模がとてつもなく広いのです。完成するまで、あと五、六年は掛かるそうです」 「凄いな。完成したら、盛大な儀式を行ないそうだな」とサハチが言うと、 「琉球の王たちも招待されるでしょう」とサングルミーは言った。 「五、六年後か‥‥‥親父の代理として俺が行ってくるか」とサハチは笑った。 「按司様が行けば、ヂュヤンジン殿が歓迎してくれるでしょう」 「ファイチも連れて行かなければならんな。そういえば、山南王の進貢船が十日前に船出したぞ。永楽帝は冊封使を送ると思うか」 「ヂュヤンジン殿にそれとなく聞いてみたのですが、多分、冊封使を送れるだろうと言っていました」 「そうか。来年は忙しくなりそうだな」 サングルミーは思紹に挨拶に行くと言って、ハンワンイーを連れて龍天閣に向かった。 ハンワンイーはサングルミーの隣りで時折、笑みを浮かべるだけで何もしゃべらなかった。永楽帝の側室の一族で、何か事情があって琉球に来たようだった。 クグルーとシタルー、マグルーとウニタルが元気に帰って来た。サムレー大将のマガーチ(苗代之子)と飯篠修理亮も無事に帰って来た。 修理亮は行って来てよかったと嬉しそうに言ったが、ヂャンサンフォンが去って行った事を知らせると、「そんな‥‥‥」と言ったまま呆然としていた。 「右馬助も一緒に行ったぞ」 「そうですか。奴も一緒に‥‥‥」 「琉球を去る前に、ヂャン師匠は慈恩禅師殿にすべてを授けたようだ。何か疑問があったら慈恩禅師殿に聞いたらいい」 「わかりました」と修理亮はうなづいた。 その夜、会同館の帰国祝いの宴で、マグルーはマウミと、ウニタルはマチルーと再会を喜び、明国での経験を得意になって話していた。 ウニタルはマグルーより一つ年上なので、今まで一緒に遊んだ事はなかったが、一緒に唐旅をした事で、仲よくなっていた。二人は応天府(南京)の国子監に行って、ファイテと会って来たという。ファイテの妻のミヨンは目を輝かせて、ファイテの事を聞いていた。 ファイテが留学してから四年が経っていた。二人の話によると、あと一年、勉学に励んで、来年に帰ると言ったらしい。 「来年に帰って来るのね」とミヨンは嬉しそうに言って、義母のヂャンウェイを見た。 ヂャンウェイはファイチを見て、嬉しそうに笑った。 サングルミーがみんなから頼まれて、二胡を披露した。広大な大陸を悠々と流れる長江(揚子江)の流れのような雄大な曲だった。皆、うっとりしながら聴き入っていた。 それから二日が経って、島尻大里ヌルと座波ヌルが、若按司の歓迎が成功したお礼を言いに島添大里グスクに来た。サハチは御門番に、東曲輪の安須森ヌルの屋敷に案内してくれと言った。 明国から帰って来たばかりで非番だったマガーチが、弟の慶良間之子(サンダー)に会いに来ていて、マガーチが二人を案内したらしい。島尻大里ヌルとマガーチが出会った時、座波ヌルは異変に気づいたという。 島尻大里ヌルと座波ヌルがユリたちにお礼を言って、屋敷から出るとマガーチが外で待っていた。 「先に帰って」と座波ヌルに言うと、島尻大里ヌルはマガーチと一緒にどこかに行ってしまったという。 「マガーチ様はマナビー(島尻大里ヌル)のマレビト神ですよ」と座波ヌルはサハチに言った。 意外な展開に驚いたが、息子がヌルと仲よくなっても、父親の苗代大親は怒る事はできないだろうとサハチは思った。 |
島添大里グスク
島尻大里グスク
首里グスク
玻名グスク