沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







トンドの新春




 琉球(沖縄本島)から遙か離れた『トンド王国(マニラ)』では、ササ(運玉森ヌル)たちが新年を迎えていた。お正月といっても、トンドは琉球よりもずっと暖かかった。

 宮殿の敷地内にある客殿に滞在しているササたちは、『宮古館』で出会ったツキミガ(上比屋の若ヌル)とインミガ(来間島の若ヌル)を宮殿に連れて行って、アンアン(トンドの王女)に紹介した。二人も一緒に客殿に滞在する事になった。

 ササたちはトンドの都見物を楽しんだ。トンドには様々な人たちが暮らしていた。宮殿の周りには『唐人(とーんちゅ)』たちが住み、宮殿の東側に『日本人町』があり、『宮古館』はその南にある。『朝陽門(ちょうようもん)(東門)』の近くに『インドゥ人』の住む町があり、その南側に『チャンパ人(ベトナム人)』の住む町があった。『南薫門(なんくんもん)(南門)』の近くに『タージー人(アラビア人)』の住む町があり、その北に『ブルネイ人(カリマンタン島人)』の住む町があった。『順天門(じゅんてんもん)(西門)』の周辺には『現地の人』たちが暮らしていた。

 大きなお寺がいくつもあって、『仏教のお寺』には金色に輝く様々な仏像が安置されていた。『道教のお寺』にも金色に輝く様々な神様が安置されていた。ササたちは琉球のお寺にある仏像を思い出して、琉球の仏像も金色にした方がいいと思った。『インドゥのお寺』は派手な色で飾られ、奇妙な神様がいっぱいいた。『タージーのお寺』には神様も仏様もいなかった。それでも決まった時間になると大勢の信者が集まって来て、お祈りを捧げていた。

 『海賊チェンジォンジー(陳征志)退治』のお陰で、ササたちは有名になっていて、現地人たちのササたちを見る目が変わっていた。シンシン(杏杏)の通訳によると、『チェンジォンジー』がいなくなって、皆が喜んでいるという。ウミンチュ(漁師)たちも『チェンジォンジー』の妨害にあって漁ができなかったらしい。

 『チェンジォンジー』を退治したのは女海賊の『ヂャンジャラン(張嘉蘭)』なのだが、『ヂャンジャラン』を知っている人は少なく、ササたちが『チェンジォンジー』を退治したと思っている人が多かった。シンシンがその事を説明しても、なかなか信じてもらえなかった。『ヂャンジャランの手柄』を横取りしたような感じで、ヂャンジャランに悪いような気がした。

 アンアンと一緒に『山の砦』にも行って来た。思っていたよりも山の奥で、途中にいくつも見張り台があって、充分に警戒していた様子がわかった。

 『山の砦』では大勢の若者たちが武芸の稽古に励んでいた。アンアンに頼まれて、ササたちは若者たちを鍛えて、その日は『山の砦』に泊まった。焚き火を囲んで、若者たちと一緒にお酒を飲んで語り合った。語り合うといっても言葉が通じないので不便だった。今後のためにも、唐人の言葉を覚えた方がいいわねとササたちはシンシンから言葉を教わる事にした。

 十二月の二十日を過ぎると、港に船が続々と入って来て、都も賑やかになってきた。『広州』から来る海賊か多かった。『チェンジォンジー』がいなくなったので、例年以上の海賊たちがやって来たらしい。海賊といっても武装した商人たちで、法を犯して密貿易をしているので海賊と見なされていた。

 トンドの王様が明国に送った『進貢船(しんくんしん)』も帰って来た。使者として明国に行ったのはアンアンの兄の『ヤンラン(洋然)』だった。ヤンランは『順天府(じゅんてんふ)(北京)』まで行って、順天府の会同館で琉球の使者の『サングルミー(与座大親)』と会ったという。同い年の『クグルー(泰期の三男)』と仲良くなって、一緒に都見物をして、一緒にお酒を飲んで語り合ったと楽しそうにシンシンに言った。明国の言葉がしゃべれる『クグルー』をササは羨ましく思った。

 ヤマトゥ(日本)の倭寇(わこう)もやって来た。ササたちは日本人町の『倭館』に行って、倭寇に挨拶をした。五隻の船を率いて来た『佐伯(さえき)新十郎』というお頭は、豊後(ぶんご)の国(大分県)の『大友氏』に仕えている倭寇だった。豊後の国と言われてもどこだかわからないので聞くと、博多の東の方だという。

「あの辺りは『(とよ)の国』ではありませんか」と安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)が聞いたら、新十郎はうなづいて、

「昔は『豊の国』と呼ばれていたんじゃが、二つに分かれて豊前(ぶぜん)(福岡県東部)と豊後になったんじゃよ」と言った。

「『豊玉姫(とよたまひめ)様』を御存じですか」とササが聞いた。

「豊玉姫様? ほう、『豊玉姫様』を知っているのか。トンドに来て、『豊玉姫様』の名前を聞くとは思わなかった。『豊玉姫様』はわしらの御先祖様じゃよ」

「えっ!」とササたちは驚いた。

日向(ひゅうが)の国(宮崎県)との境に『姥岳(うばたけ)(祖母山)』という山があって、その山頂に祀られているのが『豊玉姫様』じゃ。わしらは『大神(おおが)一族』と呼ばれて、一時は豊後の国を支配していた事もあるんじゃよ。源平の(いくさ)や南北朝の戦で、一族は敵味方に分かれて争ったので、かつての勢力は失ってしまったが、皆、『豊玉姫様』の子孫だという誇りを持って生きている。豊前の国だが、『香春(かわら)の三の岳』の山頂にも『豊玉姫様』は祀られているし、『宇佐の八幡宮』にも祀られている」

「驚いたわ」と安須森ヌルがササと顔を見合わせてから、「わたしたちも『豊玉姫様』の子孫なんです」と言った。

「何じゃと?」と新十郎は驚いた顔をして、安須森ヌルを見た。

「どうして、琉球に『豊玉姫様』の子孫がいるんじゃ?」

「『豊玉姫様』は琉球で生まれて、『スサノオ様』と一緒にヤマトゥに行ったのです」

「なに、『豊玉姫様』が琉球で生まれた? そんな事は聞いた事もない」

「『豊玉姫様』が琉球の人だという事は隠されてしまったのです」

「一体、誰が隠したんじゃ?」

「それはわかりませんが、昔の権力者でしょう。『豊玉姫様』が琉球から来た事が知れると都合が悪かったのでしょう」

 新十郎はうなづいて、「権力者という者は都合の悪い事は抹殺してしまうからのう」と言った。

「『豊玉姫様』は海人(あま)族の姫様で、南の方からやって来たというのは聞いた事があったが、それが琉球だったとは驚いた」

 スサノオが琉球に来て豊玉姫と出会い、一緒に対馬(つしま)に行って、『豊の国』に移ってから生まれた娘が琉球に帰って来た話をしていたら、三人の娘が現れた。

 ササたちと同じように(はかま)を着けて腰に刀を差していた。『新十郎の娘』だと聞いて、ササたちは驚いた。琉球に来る倭寇の船で、女を連れて来る船はなかった。

「この娘が生まれた時、わしの妻は『豊玉姫様』の夢を見たんじゃ。それで、『トヨ』と名付けた。『トヨ』は幼い頃から船に乗っていたんじゃよ。ある日、大きな嵐に出遭ったが、この子は泣く事もなく、じっと座っていた。嵐が去ったあと、ニコッと笑ったこの子を見て、船乗りたちが、この子は『豊玉姫様』の生まれ変わりに違いないと言って、以後、『航海の守り神』として、『トヨ』は船に乗っているんじゃ。年が明けたら二十歳になるというのに、お嫁にも行かず、親としては心配の種なんじゃよ」

 トヨと一緒にいるのは幼馴染みの『イチ』と『ミヨ』だった。三人はすぐにササたちの仲間に加わった。トンドに来ても、言葉が通じる若い女はいなかったので、『トヨ』たちも喜んでいた。

 『トヨ』の話によると、日本から『トンド』に来るのは父の新十郎だけだという。『ターカウ(台湾の高雄)』まで来る者は多いが『トンド』までは来ない。新十郎が『トンド』まで来るのは『砂金』が目当てで、大友氏の軍資金として『砂金』を集めていたのだった。

 その晩、ササたちは新十郎に引き留められて、お酒を御馳走になって『豊玉姫様』の事を色々と話した。新十郎は御先祖様の事を真剣になって聞き、安須森ヌルが源氏や平家の事にも詳しいので驚いていた。

 北から来た船が次々に港に入って来るのと同じ頃、南の国から来ていた船が次々に帰って行った。インドゥ人たちが宿泊していた『印度館(いんどぅかん)』が空いて、王様の許しで、ササたちが入る事に決まった。『印度館』はインドゥ人町にあり、庭は広くて、建物も大きかった。港の近くの宿舎にいた船乗りたちも皆、『印度館』に移って来た。

 ササたちは堅苦しい宮殿から出られてホッとしていた。ササたちが『印度館』に入るとインドゥ人たちが贈り物を持ってやって来た。インドゥ人の船が『チェンジォンジー』にやられた事があって、(かたき)を討ってくれたと喜んでいた。言葉は通じないが、インドゥ人たちは親切で、楽しく暮らせそうだとササたちも喜んだ。

 年が明けて新年となり、トンドの都はあちこちの町で新年を祝う行事が催された。ササたちは宮殿に招待されて『祝宴』に参加した。正午(ひる)過ぎに終わったので、日本人町の『熊野権現(くまのごんげん)』に行って、『スサノオ』、『ユンヌ姫』、『アキシノ』、『アカナ姫』、『メイヤ姫』と一緒に新年を祝って酒盛りをした。スサノオに言われて、安須森ヌルとササが笛を吹いたら、『ヴィーナの調べ』が聞こえてきた。皆が驚いていたら、『サラスワティ』が現れた。

「驚いたわ。あなたたちがこんな所にいるなんて」とサラスワティが言った。

「サラスワティ様がいらっしゃる『クメール王国(カンボジア)』はここから近いのですか」とササが聞いた。

「海を隔てた西にあるわ。お船で行ったら二十日から一月といったところね。『チャンパの国』の隣りよ」

「『クメール』の人たちも『トンド』に来ているのですか」と安須森ヌルが聞いた。

「『(きん)』を求めて来ているわよ」

「『トンドの金』は有名なのですか」とササが聞いた。

「さあ、どうなのかしら。クメールではいつもお寺を作っていて、お寺に置く仏像は『金』で飾るのよ。『金』はいくらあっても足らないんじゃないかしら」

「『弁才天宮(べんざいてんぐう)』にあった『サラスワティ様』の像も金色に輝いていたわ」とシンシンが言った。

「あんなのがお寺の中にいくつもあるのよ」

「奈良の東大寺の『大仏』も、できた当初は『金色』に輝いていて見事なものじゃった」とスサノオが言った。

 『大仏』なんて見た事はないが、ササは金色に輝いていた北山第(きたやまてい)の『金閣』を思い出して、将軍様に『金』を贈れば喜ばれるだろうと思った。

 『サラスワティ』も加わって、夜が明けるまで酒盛りを楽しんだ。目が覚めると午後になっていて、日本人町の太守(たいしゅ)、『赤星小三郎』に招待されて『祝宴』に参加した。夜遅くまで飲んで、翌日は『宮古館の祝宴』に招待され、次の日には『インドゥ人たちの祝宴』にも参加した。毎日がお酒三昧(ざんまい)で、お酒好きなササたちも二日酔いに悩まされていた。

 二日酔いを追い払おうと庭で『武当拳(ウーダンけん)套路(タオルー)(形の稽古)』をやっていたら、娘たちが集まって来て、ササたちは娘たちに『武当拳』を教えた。

 それから二日後、ササと安須森ヌルが南薫門の近くにあるお寺に行って、『楼閣』に登って景色を楽しんでいたら、「お客さんが来たわよ」と『ユンヌ姫』の声が聞こえた。

「誰が来たの?」とササが聞いた。

「あたしのお姉さんの『ギリムイ姫』と従兄(いとこ)の『ホアカリ』よ」

「えっ、『ホアカリ様』が来たの?」とササと安須森ヌルは驚いた。

 伊勢の神宮にいる『ホアカリ様』がどうして、『トンド』まで来るのか、わけがわからなかった。

「お姉さんが『サスカサ』に頼まれてヤマトゥに行って、『ホアカリ』を琉球に連れて来たの。『ホアカリ』はササを追ってここまで来たのよ。そしたら、『お祖父(じい)様(スサノオ)』が来ていたと知って、びっくりしていたわ」

「ササ、久振りじゃな」と『ホアカリ』の声が聞こえた。

「今年は日本に来なかったので、何をしているのかと思ったら、こんな遠くまで来ていたとは知らなかった。お祖父様まで連れて来るなんて、ササも大したもんじゃな」

「ほんと、随分と遠くまで来たわね」と言ったのは『ギリムイ姫』だった。

 懐かしい声だった。幼い頃、ササが初めて聞いた神様の声が『ギリムイ姫の声』だった。その頃はただ神様の声だと思っていて、『ギリムイ姫』と言う名前は知らなかった。『セーファウタキ(斎場御嶽)』で『豊玉姫』と出会ってから、『ギリムイ姫』が島添大里(しましいうふざとぅ)グスクのウタキの神様だと知ったのだった。

「『ギリムイ姫様』がヤマトゥまで行ったのですか」とササは聞いた。

「ヤマトゥに行ったお船の帰りが遅いので、サハチが心配してね、それで様子を見に行ったのよ」

「ヤマトゥで(いくさ)が始まったのですか」

「戦にまではならなかったわ。でも、なかなか京都から出られなくて遅くなったのよ。博多で新年を迎えてから帰るって言っていたわ」

「皆、無事なのですね?」

「無事よ」

 ササと安須森ヌルは安心した。そして、ギリムイ姫から『タミー』の活躍を聞いて驚いた。

「『タミー』を送ったのは正解だったわね」とササと安須森ヌルは喜んだ。

 安須森ヌルは『伊勢津姫様』の事を『ホアカリ』に聞いた。

「『伊勢津姫様』の事まで知っているなんて驚いた。わしらの御先祖様だよ。でも、あまりにも昔の事なのでよくわからないんだ。わしは『伊勢津姫様』のお墓を守るために、伊勢に祀られたんだよ」

「『阿蘇津姫様』、『武庫津姫(むこつひめ)様』、『瀬織津姫(せおりつひめ)様』は皆、『伊勢津姫様』の事なんですね?」

「そうだと聞いている。海を渡って南の国から来られた『伊勢津姫様』は九州に着いて『阿蘇山』に登って、『阿蘇津姫様』と呼ばれるようになった。さらに瀬戸内海を渡って『武庫山(六甲山)』に登って、『武庫津姫様』と呼ばれるようになった。武庫山から船で那智まで行って、『那智の滝』に住んで『瀬織津姫様』と呼ばれるようになった。那智から『伊勢の宇治』に行って、『伊勢津姫様』と呼ばれ、その地で亡くなった。死後、水の神様として、『瀬織津姫』の名前が有名になって各地に祀られるようになったんだ。でも、今は『瀬織津姫様』の名前は隠されてしまって、『弁才天』に置き換えられている」

「えっ、『瀬織津姫様』が『弁才天様』になったのですか」

「琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)の『弁才天』も、熊野の奥にある天川(てんかわ)の『弁才天』も、元々は『瀬織津姫様』を祀っていたんだよ」

 『天川の弁才天』の事は元日の夜、『サラスワティ』から聞いていた。『役行者(えんのぎょうじゃ)』という山伏に呼ばれて、天川まで行ったが言葉がまったく通じなかったと笑っていた。『役行者』は、神様として『瀬織津姫』を祀り、仏様として『弁才天』を祀る『天川神社』を創建したという。

厳島(いつくしま)神社の神様も『瀬織津姫様』に違いありません」と『アキシノ』が言った。

 いつになく興奮しているような口調だった。

「福原殿(平清盛)から聞いた事があるのです。表向きは宗像(むなかた)の『イチキシマ姫様』を祀っているけど、本当は伊勢の国から勧請(かんじょう)した、わしらの『御先祖様の神様』じゃと言ったのです。神様のお名前は教えてはくれませんでしたが、きっと、『伊勢津姫様』と呼ばれていた『瀬織津姫様』だと思います。本殿には黄金に輝く『弁才天様』がお祀りしてありました」

 厳島神社には行ったが『弁才天』を見た記憶はなかった。

「今はその『弁才天様』はないのですか」と安須森ヌルはアキシノに聞いた。

「今もありますが、『秘仏』として公開していないようです。もしかしたら、当時の『黄金の弁才天様』は盗まれてしまったのかもしれません」

「きっと、『源氏』が盗んだのね」とササが言った。

「どうして、『瀬織津姫様』は隠されてしまったのですか」と安須森ヌルがホアカリに聞いた。

「多分、『祖母(豊玉姫)』が隠されてしまったのと同じ理由じゃないのかな。天皇の御先祖が南の国から来た『隼人(はやと)の女神様』だった事を隠したかったのだろう」

「『瀬織津姫様』はどこから来たのですか」とササが聞いた。

「琉球じゃ。と言いたいところだが、どこから来たのか、わしにもわからんよ」

「『役行者』という人を御存じですか」と安須森ヌルは聞いた。

「『修験道(しゅげんどう)の開祖』と言われている、わしらの子孫だよ」

「それで、御先祖様の『瀬織津姫様』を天川にお祀りしたのですね?」

「そうだよ。役行者は『武庫山』で初めて、『瀬織津姫様の声』を聞いたようじゃ。そして、『瀬織津姫様』のお導きで、大峯(おおみね)弥山(みせん)に登って『瀬織津姫様』を祀って、天川にも祀ったんだ」

「『瀬織津姫様の勾玉(まがたま)』がどこにあるのか御存じですか」とササが聞いた。

「勾玉? さあ、わからんのう。跡を継いだ娘に贈ったんじゃないかのう」

「伊勢の神宮の『お宝』の中にはないのですね?」

「なかったはずだ」

「『瀬織津姫様』の娘さんとは誰ですか」

「それもわからん。『瀬織津姫様』には『アマテル様』として祀られた夫がいたが、子供の事は何も伝わっておらんようじゃ。跡を継いだ娘は伊勢から、さらに東の方に行ったのかもしれん。もしかしたら、駿河(するが)の『富士山』に祀られている神様かもしれんのう」

「それは何という神様ですか」

「『浅間大神(あさまのおおかみ)様』だ。『アサマ』も『アソ』も火山を意味する南方の言葉だろう。南方の言葉が富士山の神様の名前に付いているという事は『瀬織津姫様』の娘に違いないとわしは思う。そして、常陸(ひたち)(茨城県)の『鹿島(かしま)』と下総(しもふさ)(千葉県北部)の『香取(かとり)』にも古い神様がいる。その神様も『浅間大神様』と関係あると思うんだが、よくわからんのだよ」

「『スサノオの神様』にもわからないのですか」

「お祖父様は『サラスワティ』という神様と一緒に『クメール』という国に行ったようだ。わしは会っていないんだよ」

「えっ、『スサノオの神様』は『クメール』に行ったのですか」とササと安須森ヌルは驚いた。

「多分、お祖父様にもわからないだろう。『瀬織津姫様』の時代はわしらが生きていた頃より五百年も前の時代だ。御先祖様だから、わしらを守ってくれたけど、いちいち家族の事なんて聞いていないだろう」

「ホアカリ様は『瀬織津姫様の声』を聞いた事があるのですか」

「わしは聞いていない。ヤマトゥの王にはなったが、わしは琉球の言葉で言う『神人(かみんちゅ)』ではないからな。『母(玉依姫)』は聞いているよ。『姉(トヨウケ姫)』も聞いているかもしれない」

「『お祖母(ばあ)様』も聞いているかもしれないわ」とユンヌ姫が言った。

 ササと安須森ヌルが『印度館』に帰ると娘たちの『武当拳』の稽古が始まっていた。木陰でシンシンが見知らぬ男と話をしていた。若くて背の高い男は、道教のお寺で見た道士の格好をしていた。

 シンシンに呼ばれて二人が近づくと、「師兄(シージォン)の『シュヨンカ(徐永可)さん』です」とシンシンは男を紹介した。

「『武当山(ウーダンシャン)』で一緒に修行をしていたのよ。『トンド』で出会うなんて、まるで夢を見ているようだわ」とシンシンは嬉しそうに言った。

「『武当山』の道士が『トンド』にいたなんて驚きだわね」とササが言った。

「もっと驚く事があるわ。あたしも初めて知ったんだけど、『ヨンカ』は旧港(ジゥガン)(パレンバン)にいる『シュミンジュン(徐鳴軍)さん』の孫なのよ」

「えっ!」とササと安須森ヌルは驚いて、『ヨンカ』を見た。そう言われれば、顔つきが似ているような気もした。

「でも、祖父の『シュミンジュンさん』はヨンカが生まれる前に旅に出てしまって、ヨンカが七歳の時に帰って来たけど、すぐにまた旅に出て行ったらしいわ。あたしとヂャン師匠(張三豊)が『武当山』を去ったあと、ヨンカは『祖父を探す旅』に出たの。広州まで来て、祖父が『旧港』にいるという噂を聞いたらしいわ。直接、『旧港』まで行くお船がなくて、『トンド』に来て、トンドのお船に乗って『旧港』まで行って、『シュミンジュンさん』と会って来たんですって」

「どうして、また『トンド』に戻って来たの?」

「それがね、ヨンカは『シャオユン(小芸)』に一目惚れしちゃったのよ。初めの頃は相手にされなかったみたいだけど、ヨンカは『武当剣』の達人だし、今は『シャオユン』もヨンカが好きみたい。でも、『シャオユン』はアンアンがお嫁に行くまでは自分もお嫁には行けないって言っているの。ヨンカはアンアンがお嫁に行くのをじっと待っているという状況ね」

 娘たちの稽古が終わったあと、ササと安須森ヌルはシンシンと一緒に『ヨンカ』が任されているお寺に行った。ナナとナーシルが一緒に来た。

 宮殿の西側にある『五龍観(ウーロングァン)』という道教のお寺だった。南の方にも『龍虎観(ロンフーグァン)』という道教のお寺があって、そこには道士が何人もいたが、『五龍観』にいるのはヨンカと三人の弟子だけだった。

 『武当山』が破壊される前は何人もの道士がいたが、破壊されたあとに道士たちは皆、帰ってしまって、しばらく誰もいない状況が続いた。『武当山』の道士が来た事に王様は喜んで、『ヨンカ』は王様に頼まれて『五龍観』の住職になった。武芸の腕も見込まれて、兵たちの指導もしているという。

 『五龍観』に祀られている神様は『真武神(ジェンウーシェン)』だった。真武神にお祈りをしたあと、再会を祝って酒盛りが始まった。ヨンカから『旧港』の話を聞いていたら、アンアンたちがやって来た。ササたちがいるのに驚き、一緒に酒盛りに加わった。ヨンカはシャオユンの顔を見て嬉しそうに笑って、シンシンを師妹(シーメイ)だと紹介した。

 シャオユンは驚いた顔をしてシンシンを見て、ヨンカの話を聞いていた。ヨンカとシャオユンはお似合いの二人だとササたちは思った。

 正月の半ば、『クメール』に行っていた『スサノオ』が戻って来て、『ホアカリ』、『ギリムイ姫』と一緒に帰って行った。『ユンヌ姫』たちも琉球に帰った。『豊玉姫』から『瀬織津姫』の事を聞いてくると言って張り切っていた。





トンド王国




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