沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







サミガー大主の小刀




 『知念(ちにん)グスク』に泊まったササ(運玉森ヌル)たちは翌日、ヒューガ(日向大親)に会うために『浮島(那覇)』に向かった。うまい具合にヒューガは水軍のサムレー屋敷にいた。『与那覇勢頭(ゆなぱしず)』と『フシマ按司』が来ていて、ヒューガは絵図を広げて南の島の事を聞いていた。

「お前、どこに行っていたんじゃ?」とヒューガはササの顔を見ると聞いた。

「ごめんなさい。急いで知りたい事があったので、お父さんに挨拶もしないで行っちゃった」

 そう言ってササが笑うと、

「まったく、相変わらずじゃのう」とヒューガも笑った。

「ササ様は『ミャーク(宮古島)』のヌルたちに尊敬されております。『神様』の事はわしらにはわかりませんが、ササ様のお陰で、昔の事が色々とわかったとヌルたちが喜んでおりました」と与那覇勢頭が言った。

「ほう、ササが尊敬されておるのか」とヒューガは嬉しそうな顔をしてササを見た。

「幼い頃から『不思議な力』を持っていたからのう。きっと、母親に似たんじゃろう」

「ねえ、お父さん、お父さんのお母さんの事を話して」とササはヒューガに言った。

「なに、わしの母親の事じゃと? どうしたんじゃ、急にそんな事を聞いて」

「とても重要な事なのよ」と言って、ササはヒューガの隣りに腰を下ろした。

 ササの真剣な顔つきを見て、ヒューガはうなづいた。

「わしの母親は、わしが八歳の時に亡くなったんじゃよ。(いくさ)に巻き込まれて母親だけでなく、兄妹もみんな、死んだ。戦に出掛けた親父も帰って来なかったんじゃ。わしだけが独り生き残ったんじゃよ」

 ヒューガはササを見て苦笑した。

「お前の母親はお前と同じ『笹』という名前で、『大粟神社(おおあわじんじゃ)』の『巫女(みこ)の娘』だったんじゃ。そういえば、お前はだんだんとわしの母親に似てきたようじゃな。わしの記憶の中にいる母親は三十歳のままじゃ」

「『巫女の娘』って、もしかして、お母さんも『巫女』だったの?」

「いや。『巫女』じゃないよ。お母さんのお姉さんは『巫女』だった」

「『大粟神社』に祀られているのが『阿波津姫(あわつひめ)様』なのね?」

「阿波津姫?」とヒューガは首を傾げた。

「そうかもしれんが、大粟神社の神様は『大冝津姫(おおげつひめ)様』と呼ばれておる」

「オオゲツヒメ?」

阿波(あわ)の国(徳島県)を造った古い神様らしい。『大粟神社』は『大粟山』の中腹にあるんじゃが、山頂に『古いウタキ(御嶽)』のようなものがある」

「『大冝津姫様』のお墓なの?」

「そうかもしれんのう」

 ササはヒューガが持っているヤマトゥ(日本)の絵図を見せてもらって、『大粟神社』の場所を教えてもらった。四国の東の方にあるので、京都に行く途中に寄れると思った。

「行くつもりかね?」とヒューガが聞いた。

「行ってみたいわ」

「阿波の国は『細川家』が実権を握っている。昔は『小笠原家』が守護を務めていたんじゃが、今は『細川家の被官』になっているはずじゃ。『三好家』は『小笠原家の守護代』を務めていたんじゃよ」

「お父さんの親戚の人はいるの?」

「わからんな。南北朝の(いくさ)の時、同族同士で争って来たからのう。わしの親父は『本家の長男』だったんじゃが、本家筋の者は皆、戦死してしまった。分家の者が『細川家』に仕えているが、わしを知っている者はおらんじゃろう」

 四国の北に『児島(こじま)』があるので、「四国にも『熊野の山伏』はいるの?」とササは聞いた。

「四国には険しい山が多いので『山伏』は大勢いる。『剣山(つるぎさん)』という『スサノオの神様』を祀っている山があって、大勢の『山伏』が修行をしている。わしも若い頃、『山伏』に憧れていたんじゃよ」

 『福寿坊(ふくじゅぼう)』を連れて行った方がいいなとササは思った。

 ヒューガと別れたササたちは『愛洲(あいす)ジルーの船』に行って、みんなに用意したお土産を下ろし、浮島にあるヒューガの屋敷に行って、お土産の整理をした。

 浮島のヒューガの屋敷は、三年前にヒューガが『宇久真(うくま)』の遊女(じゅり)だった『ミフー』を側室に迎えて建てた屋敷だった。ヒューガと馬天(ばてぃん)ヌルが結ばれて『ササ』が生まれ、馬天ヌルは跡継ぎを得たが、ヒューガには跡継ぎがいなかった。馬天ヌルの薦めで、ヒューガは『ミフー』を迎えて、翌年、息子を授かっていた。五十九歳で息子を授かったヒューガは、息子が一人前になるまでは死ぬわけにはいかんと張り切っていた。

 その夜、ササたちはヒューガと一緒に酒を酌み交わしながら旅の話をして、ササは愛洲ジルーが『マレビト神』だった事を教えた。

「そうか。やはり、ジルーだったのか。よかったのう」とヒューガはジルーを見て喜んだ。

「わしは若い頃、『慈恩禅師(じおんぜんじ)殿』と一緒に『五ヶ所浦』に行った事があるんじゃよ」

「えっ、本当ですか」とジルーは驚いた。

「わしは『熊野』に行く途中、『慈恩禅師殿』と出会って、一緒に『熊野参詣』をしたんじゃ。新宮(しんぐう)から熊野水軍の船に乗って『五ヶ所浦』に行ったんじゃよ。その時、愛洲の水軍の大将は九州に行って戦をしておると言っておった」

「それは俺の祖父の『愛洲隼人(あいすはやと)』です。今回の南の島の旅で、俺は祖父の事を詳しく知る事ができました」

「なに、南の島に『愛洲隼人殿』を知っている者がいたのか」

「そうなのです。俺も驚きました。祖父の話を聞いて、祖父の気持ちを理解する事ができました。行ってきて本当によかったと思っています」

 ササが『ターカウ(台湾の高雄)のキクチ殿』の事を話すと、ヒューガは驚きながら話を聞いていた。

 その日、『クマラパ』は娘のタマミガと妹のチルカマを連れて、サミガー大主(うふぬし)(サハチの叔父)の小舟(さぶに)に乗って『津堅島(ちきんじま)』に渡っていた。五十四年振りに帰って来た『津堅島』は当時とあまり変わっていなかった。チルカマは当時の事を思い出して、自然に涙が溢れてきた。

 サミガー大主は『ナツの祖母』が住む家に連れて行った。ナツの祖母は『クマラパとチルカマ』を見て、五十年前の事がまるで昨日の事のように蘇って、夢でも見ているようだと再会を喜んでいた。

 二人を知っている年寄りたちが集まって来て、涙の再会をした。当時、幼かったナツの伯父、『チキンジラー』も二人を覚えていた。カマンタ(エイ)捕りを引退して島に戻っていたチキンジラーは島の人たちを集めて、クマラパ兄妹の里帰りを歓迎した。

 クマラパ兄妹を『津堅島』に連れて来た船乗りの『カルー』はナツの祖父だった。『カルー』は浮島に来ていた明国(みんこく)(中国)の泉州の商人、『程復(チォンフー)』の船乗りになって何度も泉州に行っていた。クマラパ兄妹を『ミャーク』に連れて行った五年後、『カルー』は泉州に行ったまま帰っては来なかった。嵐に遭って遭難したのか、倭寇(わこう)に襲われたのかわからない。クマラパ兄妹はその事を知って悲しんだ。

 『フーキチ夫妻』は首里(すい)の城下に住む『奥間(うくま)鍛冶屋(かんじゃー)』と一緒に『玻名(はな)グスク』に行って、按司になった『ヤキチ』と再会した。

 グスクも立派だし、按司になった『ヤキチ』は自分の事など覚えていないだろうと心配していたフーキチだったが、グスクに入って驚いた。グスク内で奥間の若者たちが鍛冶屋の修行に励んでいた。そして、若者たちを指導していたのは『ヤキチ』だった。二十五年前と同じように鍛冶屋をやっているヤキチを見て、フーキチは嬉しくなった。

 ヤキチは『フーキチ』を覚えていた。南の島に行ったササが、『フーキチ』を連れて来てくれるような予感がしていたという。フーキチ夫妻はヤキチと奥間の者たちに大歓迎された。

 『ナーシル』は苗代大親(なーしるうふや)と一緒に首里の城下にある屋敷に行って、苗代大親の妻、『タマ』と会った。タマは初めて見る娘を歓迎して、顔を出した『マガーチ(苗代之子)』と『サンダー(慶良間之子)』、クグルーの妻の『ナビー』も初めて見る妹を歓迎した。

 パティローマ(波照間島)の『ペプチとサンクル』は首里のサングルミーの屋敷に滞在して、親子水入らずの時を楽しんでいた。屋敷で働いている女たちは、いつもシーンとしていた屋敷に、笑い声が絶えないので、よかったわねと喜んでいた。

 ミッチェとガンジュー(願成坊)、サユイ、クン島(西表島)のユーツンのツカサ、ドゥナン島(与那国島)のユナパとフーは、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)と一緒に島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに行った。

 多良間島(たらま)のボウ、野城(ぬすく)女按司(みどぅんあず)池間島(いきゃま)のウプンマ、保良(ぶら)のウプンマ、ドゥナン島のアックとラッパは、馬天ヌルと一緒に首里グスクに滞在していた。

 ツキミガとインミガ、ボウの娘のイチは、ミーカナとアヤーと一緒に与那原(ゆなばる)グスクに行った。勿論、ゲンザ(寺田源三郎)とマグジ(河合孫次郎)も一緒に行った。

 サハチ(中山王世子、島添大里按司)はンマムイ(兼グスク按司)と一緒に『慈恩寺(じおんじ)』に行って『真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)』と会っていた。真喜屋之子はヤマトゥンチュ(日本人)に扮していて、『三春羽之助(みはるはねのすけ)』と名乗っていた。

「首里に『慈恩禅師殿』のお寺(うてぃら)ができたと聞いて、本当に『慈恩禅師殿』がいるのだろうかと出て来たのが失敗でした。まさか、(かに)グスク按司殿と会って、自分の正体がばれるなんて思ってもいませんでした」

 そう言って羽之助は苦笑した。

「お前の事は兼グスク按司から聞いた。若い頃、『佐敷の武術道場』で修行していたそうだな」

 羽之助はうなづいた。

「一年余りお世話になりました。あの頃の俺は自分が何をしたらいいのかわからなかったのです。俺の親父は山北王(さんほくおう)(帕尼芝)の重臣でした。兄貴が跡を継ぐだろうし、俺はサムレーになるしかないのかなと思っていました。俺が九歳の時、『今帰仁(なきじん)の合戦』があって、叔父が戦死しました。まだ十九の若さでした。叔父の戦死があったので、俺はサムレーになる事を嫌って旅に出たのです。馬天浜の『サミガー大主様の離れ』に滞在していた時、密貿易船に乗って来た唐人(とーんちゅ)と出会って、明国の話を聞いて、俺も明国に行きたくなりました。『進貢船(しんくんしん)』には護衛のサムレーも乗るので、進貢船のサムレーになろうと決心して『今帰仁』に帰ったのです。美里之子(んざとぅぬしぃ)殿の武術道場で修行したお陰で、俺は『進貢船』に乗る事ができました。そして、明国に行って驚きました。明国は思っていた以上に凄い国でした。明国のあらゆる事を学びたいと思って、俺は毎年、明国に行きました。でも、過ちを犯してしまって、明国で学んだ事を生かす事はできませんでした」

「明国で何を学んだんだ?」とンマムイが聞いた。

「色々と学びましたよ。まず始めに学んだのは『言葉』です。言葉がわからないと何も聞けませんからね。言葉を覚えてからは、興味がわいた事は何でも聞いて回りました。『家』の建て方とか、『石畳』の道の造り方とか、『橋』の架け方とか、『陶器』の作り方とか、『井戸』の掘り方とか、琉球(沖縄本島)にない物は皆、聞いて回りました」

「ほう、お前は頭がいいようだな」とサハチは感心した。

 羽之助は照れくさそうに笑った。

「俺は四回、明国に行きました。三十歳まで『進貢船』のサムレーをやって、そのあとは『普請奉行(ふしんぶぎょう)』になって、『ヤンバル(琉球北部)の道』を整備しようと計画していたのです」

「妻の密通事件で、お前の夢は破れたか」とンマムイが言った。

 羽之助は昔を思い出したのか、顔を歪めた。

「お前の親父は島尻大里(しまじりうふざとぅ)にいるぞ。そろそろ会ってもいいんじゃないのか」とサハチは言った。

 羽之助は首を振った。

「俺は死んだ事になっています。それでいいのです」

「ずっと隠れて暮らすのか」

「生きている事がわかれば、湧川大主(わくがーうふぬし)(攀安知の弟)は許さないでしょう。親父も兄貴も姉も弟も迷惑を被る事になります。俺の事は内緒にしておいて下さい」

 サハチはうなづいて、「『慈恩禅師殿』を助けてやってくれ」と言った。

「『慈恩禅師殿』の話は師匠から色々と聞いていて会ってみたいと思っていたのです。まさか、琉球で会えるなんて思ってもいませんでした。師匠と出会った頃を思い出して、修行をやり直しているのです」

 サハチとンマムイは羽之助と別れて慈恩寺を出た。ンマムイはマサキが待っていると言って兼グスクに帰って行った。サハチは首里グスクの龍天閣(りゅうてぃんかく)に向かった。『タキドゥン按司』が待っているはずだった。

 龍天閣に行くと、思紹(ししょう)(中山王)と馬天ヌルが『タキドゥン按司』と話をしていた。サハチの顔を見ると、

「お前、これを覚えているか」と思紹が聞いた。

 思紹は『短刀』を持っていた。鮫皮(さみがー)が巻かれた(つか)に見覚えがあった。思紹が短刀を鞘から抜いた。

「あっ!」とサハチは叫んだ。

 擦り減った刃が細くなっていて、祖父のサミガー大主が毎日、研いでいた姿が思い出された。

「お爺の小刀(くがたな)だ」とサハチは言った。

「そうじゃ。親父が『人喰いフカ(鮫)』を倒した『小刀』じゃ。親父は海でなくしたと言っていたが、『タキドゥン殿』に贈っていたんじゃよ」

 驚いた顔をして『小刀』を見ていたサハチは、タキドゥン按司を見ると、「祖父を知っていたのですか」と聞いた。

「わしの母親は馬天浜のウミンチュ(漁師)の娘なんじゃよ。若按司だった父に見初められて側室になったんじゃ。わしが二歳の時、祖父の『島添大里按司』は浦添(うらしい)の極楽寺で戦死して、父は按司になったが、『察度(さとぅ)(先々代中山王)』に攻められて戦死してしまったんじゃ。わしは母親と一緒に城下に移って暮らす事になった。とは言っても、二歳だったわしはグスクにいた事など何も覚えていない。母は父親の事は教えてくれなかった。わしは幼い頃、母に連れられて馬天浜に行っては遊んでいたんじゃ。わしが四歳の時、『サミガー大主殿』は馬天浜に来て、『鮫皮作り』を始めたんじゃよ。母方の祖父と叔父はカマンタ捕りをやっていた。赤ん坊だった王様(うしゅがなしめー)と馬天ヌル様とも一緒に遊んだものじゃった」

「わしらが生まれた頃の事を知っていたとは驚いた」と思紹が言って笑った。

「十二歳の時に、父親の事を知らされて『グスク』に入ったそうじゃ。その後は『水軍の大将』として、ヤンバルに行って『材木』を伐り出していたそうじゃ」

「その頃、わしは与那原で暮らしていて、馬天浜にもよく来ていたんじゃよ。親父を知らないわしにとって、『サミガー大主殿』は親父のような存在だったんじゃ。浜辺で一緒に酒を飲んで、語り合った事もあった。そなたが生まれた時、ヤマトゥンチュたちが来ていたが、わしも一緒にお祝いをしたんじゃよ」

「そうだったのですか」とサハチは驚いていた。

「タキドゥン殿の話を聞いて、わしは思い出したんじゃよ」と思紹が言った。

「母が『(うふ)グスク按司』の娘だったので、親父の屋敷にはサムレーたちが出入りしていたんじゃ。ほとんどが大グスクのサムレーだったが、島添大里のサムレーもいた。そのサムレーが『タキドゥン殿』だったんじゃよ」

「わたしも思い出したわ」と馬天ヌルが言った。

「子供の頃、遊んだのはかすかに覚えているけど、わたしが馬天ヌルになった時、ヌルの屋敷を造るための『材木』を運んでくれたのが、あなただったのよ」

「おう、そういえば、そんな事があったのう。あれはわしが『水軍の大将』になった年じゃった。大将になって最初の取り引きだったんじゃ。『ヤマトゥの刀』を大量に手に入れて、按司の義兄(あにき)に褒められたんじゃよ。以後、『サミガー大主殿』との取り引きは、わしが任されるようになったんじゃ」

「その『小刀』はいつ、お爺からもらったのですか」とサハチは聞いた。

「琉球を去る前じゃよ。義兄が亡くなって、子供たちが家督争いを始めた。わしはどうしたらいいのかわからず、馬天浜の浜辺で海を眺めていたんじゃ。『サミガー大主殿』が来て、わしの話を聞いてくれた。そして、わしを見つめて笑うと、その『小刀』を腰からはずして、わしにくれたんじゃよ。わしが琉球から去ろうとしていた事を、『サミガー大主殿』は見抜いていたのかもしれん。わしは『守り刀』として大切にしてきた。無事に南の島に行けたのも、わしが南の島で按司になれたのも、その『小刀』のお陰かもしれん」

 タキドゥン按司は『小刀』を返すと言ったが、思紹は受け取らなかった。

「親父の遺品として持っていて下さい。そして、時々、『サミガー大主』の事を思い出してくれたら、親父も喜ぶでしょう」

 タキドゥン按司はうなづいて、「タキドゥン按司家の『家宝』にします」と言った。

「話は変わりますけど、『運玉森(うんたまむい)』にあった立派な屋敷はタキドゥン殿が建てたのですか」とサハチは聞いた。

「あれを建てたのは祖父じゃよ。奥間から側室を送られて、祖父は大層、気に入ったようじゃ。立派な屋敷を建てたんじゃが、『察度』に攻められて、側室も子供も殺されたようじゃ。『察度』が島添大里グスクを攻めた時、その屋敷は本陣として使われて、父を倒したあと焼き払われたんじゃが、大雨が降ってきて火は消えたそうじゃ。その後、『マジムン(化け物)』が現れるという噂が立って、『マジムン屋敷』と呼ばれるようになったんじゃよ。まだ、『マジムン屋敷』はあるのかね?」

「『マジムン』を退治して、今は『与那原グスク』が建っています」

「なに、あそこに『グスク』が建っているのか。そうか、随分と変わったようじゃのう」

 サハチはタキドゥン按司を連れて『島添大里グスク』に帰った。

 二十五年振りに『島添大里グスク』に入ったタキドゥン按司はあまりの変わり様に驚いていた。

「石垣が高くなっているのは以前に来た時に知っていたんじゃが、二階建ての屋敷があるとは驚いた。前回に来た時、あの屋敷を建てている最中じゃった」

「えっ、前回に来た時、この『グスク』に入ったのですか」とサハチは驚いて聞いた。

「招待されたんじゃよ。勿論、わしは先代の按司の一族だった事は隠して会ったんじゃ」

「そうでしたか。一族を滅ぼした相手に会うなんて、辛かったでしょう」

「憎らしかったよ。だが、顔には出さずに話を聞いていたんじゃ。近いうちに明国に『進貢船』を送るので、珍しい物を手に入れたいと言っておった。わしは持ってきた『タイマイ(がらさーがーみー)の甲羅』と『ザン(ジュゴン)の塩漬け』をヤマトゥの商品と取り引きしたんじゃよ」

「そうだったのですか」と言いながら、サハチは汪英紫(おーえーじ)山南王(さんなんおう)(承察度)の船を借りて進貢していたのを思い出した。

「その時の島添大里按司は『汪英紫』という名前で『進貢船』を送っていました。そして、島尻大里グスクを奪い取って、『山南王』になったのです」

「なに、あの男が『山南王』になったのか」

 信じられないというようにタキドゥン按司は首を振った。

 サハチはタキドゥン按司を一の曲輪(くるわ)の屋敷の二階に案内して、昔の話を聞いた。

 島添大里グスクが八重瀬按司(えーじあじ)だった『汪英紫』に滅ぼされた時、サハチはまだ九歳だった。馬天浜から見上げていた島添大里グスクは、当時のサハチにとっては別世界で、島添大里按司の事なんて何も知らなかった。島添大里グスクが落城したあと、父が佐敷グスクを築いて按司になり、サハチは若按司となった。自分が今、島添大里グスクで暮らしているなんて、当時、考えた事もないほど、とんでもない事だった。

 琉球を旅立って南の島に行って、『タキドゥン島(竹富島)』に落ち着くまでの話をしてから、タキドゥン按司は急に思い出したかのように、「『サスカサ』は生き延びたそうじゃのう」と言った。

「『サスカサさん』は久高島(くだかじま)に逃げて、ずっと『ウタキ』に籠もっていました。わたしがこのグスクを攻め落とした時、ここに戻って来て、わたしの娘を指導して、娘に『サスカサ』を譲ったのです。その後、『運玉森ヌル』を名乗って与那原グスクにいましたが、去年、『ヂャンサンフォン(張三豊)殿』と一緒に『南の国(ふぇーぬくに)』に旅立ちました」

「なに、南の国に行ったのか」

「『ムラカ(マラッカ)』に行くと言っておりました」

「ムラカか‥‥‥しかし、またどうして、そんな遠くの国に行ったのじゃ?」

「今年、明国から『冊封使(さっぷーし)』が来ます。明国の皇帝の永楽帝(えいらくてい)は『ヂャンサンフォン殿』を探しています。琉球にいたら皇帝のもとに連れて行かれてしまうので、『ヂャンサンフォン殿』は逃げて行ったのです」

「『ヂャンサンフォン殿』は権力者が嫌いなんじゃな」と言ってタキドゥン按司は笑った。

「姪に会えると楽しみにして来たんじゃが、行き違いになってしまったか」

「ほとぼりが冷めたら『ヂャンサンフォン殿』と一緒に琉球に戻って来るでしょう。そしたら、『タキドゥン島』まで行かせますよ」

「そうか。姪に会えるまで長生きせねばならんのう」

 賑やかな子供の声が聞こえてきた。

「あら、お帰りだったのですか」とナツが部屋を覗いて、サハチに言った。

「安須森ヌル(マシュー)様が南の島(ふぇーぬしま)のお客様をお連れになって、南の島のお話を聞いていたのです」

「マシューが帰って来たか。ササたちも一緒か」

「いえ、ササたちはいません。マユちゃんは安須森ヌル様と一緒です」

「そうか。帰国祝いと歓迎の(うたげ)をしなくてはならんな。準備を頼むぞ」

 ナツはうなづいて、子供たちを連れて行った。

「わしの義兄は『玉グスク按司の息子』で、島添大里に婿に入ったんじゃよ。父が亡くなった時、長男のわしは二歳じゃった。十三歳の姉が十五歳の婿を迎えて、婿が『島添大里按司』を継いだんじゃ。婿と一緒に玉グスクのサムレーたちが入って来て、義兄が亡くなったあとの家督争いが起こってしまったんじゃ。義兄が亡くなる時、あとの事は頼むと言われたが、わしにはどうする事もできなかったんじゃよ。玉グスク派と地元派が争って、そこに側室の兄の糸数按司(いちかじあじ)も加わって、八重瀬按司も首を突っ込んできた。わしは逃げ出した。『タキドゥン島』に行っても、ここの事は気になっていたんじゃ。『サミガー大主殿の孫』のそなたが、このグスクを奪い取ってくれたなんて、わしは夢でも見ているような気分じゃよ」

 そう言って、タキドゥン按司は楽しそうに笑った。

 その夜の宴で、サハチは安須森ヌルから『英祖(えいそ)の宝刀』の中の一つ、『小太刀(くだち)』が『ミャーク』にあったと聞かされた。

 『英祖の宝刀』は浦添按司(うらしいあじ)だった『英祖』がヤマトゥに使者を送って、鎌倉の将軍様から贈られた三つの刀だった。『太刀』と『小太刀』と『短刀』で、三つ揃って『千代金丸(ちゅーがにまる)』と呼ばれた。六年前に安須森ヌルが『久高島の神様』から探し出すようにと言われたのだった。

「やはり、『ミャーク』にあったのか」とサハチは嬉しそうな顔をして安須森ヌルを見た。

「『与那覇勢頭様』が初めて琉球に来た時に、『察度様』から贈られたようだわ。今は『ミャーク』の首長になった『目黒盛豊見親(みぐらむいとぅゆみゃー)様』がお持ちです」

「ミグラムイトゥユミャー?」

「『目黒盛』というのがお名前で、『豊見親』というのは『世の主(ゆぬぬし)』というような意味らしいわ」

「ほう、『鳴響(とぅゆ)(うや)』というわけか。面白いな」

「『目黒盛豊見親様』に見せてもらったけど、『名刀』と呼ばれる見事な物だと思うわ。刃の長さは二尺(約六〇センチ)弱で、ミャークでは『ちがにまる』って呼ばれていたわ」

「『ちゅーがにまる』が『ちがにまる』に訛ったか。これで三つの刀のありかがわかったわけだな」

 安須森ヌルはうなづいた。

「太刀は『今帰仁』にあって、『山北王の宝刀』になっている。短刀は『越来(ぐいく)ヌルのハマ』が大切にしているわ。そして、小太刀は『ミャークの守り刀』になっているっていうわけよ」

「どこにあるかがわかっただけでも上出来だよ。ありがとう」

「『久高島の神様』に報告に行かなくちゃね」

「南の島のヌルたちを連れて行ってくるがいい。ところで、ササは何をやっているんだ?」

「ササは『ヤマトゥ』に行くつもりなのよ」

「なに、これから『ヤマトゥ』に行くのか」

「南の島で、『瀬織津姫(せおりつひめ)様』という凄い神様の事を知ってしまったのよ」

「瀬織津姫様? 『弁才天(びんざいてぃん)様』の化身の神様の事か」

「えっ、お兄さん、知っているの?」と安須森ヌルは驚いた。

「今、親父が『弁才天様』を彫っているんだよ。報恩寺(ほうおんじ)の和尚から、『瀬織津姫様』の事を聞いたらしい。馬天ヌルに聞いても知らなかったと言っていた。ササなら知っているかもしれんと親父は言ったけど、まさか、ササが『瀬織津姫様』の事を調べているとは驚いた」

「お父さんはどうして、『弁才天様』を彫っているの?」

「馬天ヌルに頼まれて、『ビンダキ(弁ヶ岳)』に祀るために彫っているんだよ。昔、『ビンダキ』には『役行者(えんのぎょうじゃ)』という山伏の元祖が祀った『弁才天様』があったそうだ」

「『ビンダキ』に『弁才天様』が‥‥‥そうだったんだ」と安須森ヌルは納得したようにうなづいた。

「それで、『瀬織津姫様』というのはどんな神様なんだ?」

「『スサノオの神様』の御先祖様なのよ。そして、『琉球のお姫様』なの。『豊玉姫(とよたまひめ)様』の御先祖様でもあるのよ。『アマミキヨ様』が琉球に来て、多分、『垣花森(かきぬはなむい)』に都があった頃、『瀬織津姫様』はヤマトゥに行ったんだと思うわ。その事を『豊玉姫様』から聞くために、ササは『セーファウタキ(斎場御嶽)』に行ったのよ」

「しかし、そんなに『古い神様』に会う事なんてできるのか」

「『瀬織津姫様のガーラダマ(勾玉)』を手に入れれば会う事はできるわ。『玉グスク』にあるかもしれないのよ」

「その『ガーラダマ』を持って、ササはヤマトゥに行くというのか」

「そういう事。あたしも行きたいけど、『冊封使』が来るから、あたしは残るわ」

「そうだよ。お前まで行ったら大変な事になる。ササは『愛洲ジルーの船』でヤマトゥに行くのか」

「そうよ。帰りは『シンゴ(早田新五郎)の船』に乗ってくればいいわ」

「ササも忙しい事だな」とサハチは笑った。





津堅島



玻名グスク



与那原グスク



慈恩寺




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