サミガー大主の小刀
知念グスクに泊まったササたちは翌日、ヒューガに会うために浮島(那覇)に向かった。うまい具合にヒューガは水軍のサムレー屋敷にいた。与那覇勢頭とフシマ按司が来ていて、ヒューガは絵図を広げて南の島の事を聞いていた。 「お前、どこに行っていたんじゃ?」とヒューガはササの顔を見ると聞いた。 「ごめんなさい。急いで知りたい事があったので、お父さんに挨拶もしないで行っちゃった」 そう言ってササが笑うと、 「まったく、相変わらずじゃのう」とヒューガも笑った。 「ササ殿はミャーク(宮古島)のヌルたちに尊敬されております。神様の事はわしらにはわかりませんが、ササ殿のお陰で、昔の事が色々とわかったとヌルたちが喜んでおりました」と与那覇勢頭が言った。 「ほう、ササが尊敬されておるのか」とヒューガは嬉しそうな顔をしてササを見た。 「幼い頃から不思議な力を持っていたからのう。きっと、母親に似たんじゃろう」 「ねえ、お父さん、お父さんのお母さんの事を話して」とササはヒューガに言った。 「なに、わしの母親の事じゃと? どうしたんじゃ、急にそんな事を聞いて」 「とても重要な事なのよ」と言って、ササはヒューガの隣りに腰を下ろした。 ササの真剣な顔つきを見て、ヒューガはうなづいた。 「わしの母親は、わしが八歳の時に亡くなったんじゃよ。戦に巻き込まれて母親だけでなく、兄妹もみんな、死んだ。戦に出掛けた親父も帰って来なかったんじゃ。わしだけが独り生き残ったんじゃよ」 ヒューガはササを見て苦笑した。 「お前の母親はお前と同じ笹という名前で、大粟神社の巫女の娘だったんじゃ。そういえば、お前はだんだんとわしの母親に似てきたようじゃな。わしの記憶の中にいる母親は三十歳のままじゃ」 「巫女の娘って、もしかして、お母さんも巫女だったの?」 「いや。巫女じゃないよ。母さんのお姉さんは巫女だった」 「大粟神社に祀られているのが阿波津姫様なのね?」 「阿波津姫?」とヒューガは首を傾げた。 「そうかもしれんが、大粟神社の神様は大£テ姫様じゃよ」 「オオゲツヒメ?」 「阿波の国(徳島県)を造った古い神様らしい。大粟神社は大粟山の中腹にあるんじゃが、山頂に古いウタキのようなものがある」 「大£テ姫様のお墓なの?」 「そうかもしれんのう」 ササはヒューガが持っているヤマトゥの絵図を見せてもらって、大粟神社の場所を教えてもらった。四国の東の方にあるので、京都に行く途中に寄れると思った。 「行くつもりかね?」とヒューガが聞いた。 「行ってみたいわ」 「阿波の国は細川家が実権を握っている。昔は小笠原家が守護を務めていたんじゃが、今は細川家の被官になっているはずじゃ。三好家は小笠原家の守護代を務めていたんじゃよ」 「お父さんの親戚の人はいるの?」 「わからんな。南北朝の戦の時、同族同士で争って来たからのう。わしの親父は本家の長男だったんじゃが、本家筋の者は皆、戦死してしまった。分家の者が細川家に仕えているが、わしを知っている者はおらんじゃろう」 四国の北に児島があるので、 「四国にも熊野の山伏はいるの?」とササは聞いた。 「四国には険しい山が多いので山伏は大勢いる。剣山というスサノオの神様を祀っている山があって、大勢の山伏が修行をしている。わしも若い頃、山伏に憧れていたんじゃよ」 福寿坊を連れて行った方がいいなとササは思った。 ヒューガと別れたササたちはジルーの船に行って、みんなに用意したお土産を下ろし、浮島にあるヒューガの屋敷に行って、お土産の整理をした。 浮島のヒューガの屋敷は、三年前にヒューガが『宇久真』の遊女だったミフーを側室に迎えて建てた屋敷だった。ヒューガと馬天ヌルが結ばれてササが生まれ、馬天ヌルは跡継ぎを得たが、ヒューガには跡継ぎがいなかった。馬天ヌルの薦めで、ヒューガはミフーを迎えて、翌年、息子を授かっていた。五十九歳で息子を授かったヒューガは、息子が一人前になるまでは死ぬわけにはいかんと張り切っていた。 その夜、ササたちはヒューガと一緒に酒を酌み交わしながら旅の話をして、ササは愛洲ジルーがマレビト神だった事を教えた。 「そうか。やはり、ジルーだったのか。よかったのう」とヒューガはジルーを見て喜んだ。 「わしは若い頃、慈恩禅師殿と一緒に五ヶ所浦に行った事があるんじゃよ」 「えっ、本当ですか」とジルーは驚いた。 「わしは熊野に行く途中、慈恩禅師殿と出会って、一緒に熊野参詣をしたんじゃ。新宮から熊野水軍の船に乗って五ヶ所浦に行ったんじゃよ。その時、愛洲の水軍の大将は九州に行って戦をしておると言っておった」 「それは俺の祖父の愛洲隼人です。今回の南の島の旅で、俺は祖父の事を詳しく知る事ができました」 「なに、南の島に祖父を知っている者がいたのか」 「そうなんです。俺も驚きました。祖父の話を聞いて、祖父の気持ちを理解する事ができました。行ってきて本当によかったと思っています」 ササがターカウ(台湾の高雄)のキクチ殿の事を話すと、ヒューガは驚きながら話を聞いていた。 その日、クマラパはタマミガと妹のチルカマを連れて、サミガー大主の小舟に乗って津堅島に渡っていた。五十四年振りに帰って来た津堅島は当時とあまり変わっていなかった。チルカマは当時の事を思い出して、自然に涙が溢れてきた。 サミガー大主はナツの祖母が住む家に連れて行った。ナツの祖母はクマラパとチルカマを見て、五十年前の事がまるで昨日の事のように蘇って、夢でも見ているようだと再会を喜んでいた。 二人を知っている年寄りたちが集まって来て、涙の再会をした。当時、幼かったナツの伯父、チキンジラーも二人を覚えていた。カマンタ(エイ)捕りを引退して島に戻っていたチキンジラーは島の人たちを集めて、クマラパ兄妹の里帰りを歓迎した。 クマラパ兄妹を津堅島に連れて来た船乗りのカルーはナツの祖父だった。カルーは浮島に来ていた泉州の商人、程復の船乗りになって何度も泉州に行っていた。クマラパ兄妹をミャークに連れて行った五年後、カルーは明国に行ったまま帰っては来なかった。嵐に遭って遭難したのか、倭寇に襲われたのかわからない。クマラパ兄妹はその事を知って悲しんだ。 フーキチ夫妻は首里の城下に住む奥間の鍛冶屋と一緒に玻名グスクに行って、按司になったヤキチと再会した。 グスクも立派だし、按司になったヤキチは自分の事など覚えていないだろうと心配していたフーキチだったが、グスクに入って驚いた。グスク内で奥間の若者たちが鍛冶屋の修行に励んでいた。そして、若者たちを指導していたのはヤキチだった。二十五年前と同じように鍛冶屋をやっているヤキチを見て、フーキチは嬉しくなった。 ヤキチはフーキチを覚えていた。南の島に行ったササが、フーキチを連れて来てくれるような予感がしていたという。フーキチ夫妻はヤキチと奥間の者たちに大歓迎された。 ナーシルは苗代大親と一緒に首里の城下にある屋敷に行って、苗代大親の妻、タマと会った。タマは初めて見る娘を歓迎して、顔を出したマガーチ(苗代之子)とサンダー(慶良間之子)、クグルーの妻のナビーも初めて見る妹を歓迎した。 パティローマ島(波照間島)のペプチとサンクルは首里のサングルミーの屋敷に滞在して、親子水入らずの時を楽しんでいた。屋敷で働いている女たちは、いつもシーンとしていた屋敷に、笑い声が絶えないので、よかったわねと喜んでいた。 ミッチェとガンジュー、サユイ、クン島(西表島)のユーツンのツカサ、ドゥナン島(与那国島)のユナパとフーは、安須森ヌルと一緒に島添大里グスクに行った。 多良間島のボウ、野城の女按司、池間島のウプンマ、保良のウプンマ、ドゥナン島のアックとラッパは、馬天ヌルと一緒に首里グスクに滞在していた。 ツキミガとインミガ、ボウの娘のイチは、ミーカナとアヤーと一緒に与那原グスクに行った。勿論、ゲンザとマグジも一緒に行った。 サハチはンマムイ(兼グスク按司)と一緒に慈恩寺に行って真喜屋之子と会っていた。真喜屋之子はヤマトゥンチュ(日本人)に扮していて、三春羽之助と名乗っていた。 「首里に慈恩禅師殿のお寺ができたと聞いて、本当に慈恩禅師殿がいるのだろうかと出て来たのが失敗でした。まさか、兼グスク按司殿と会って、自分の正体がばれるなんて思ってもいませんでした」 そう言って羽之助は苦笑した。 「お前の事は兼グスク按司から聞いた。若い頃、佐敷の武術道場で修行していたそうだな」 羽之助はうなづいた。 「一年余りお世話になりました。あの頃の俺は自分が何をしたらいいのかわからなかったのです。俺の親父は山北王の重臣でした。兄貴が跡を継ぐだろうし、俺はサムレーになるしかないのかなと思っていました。俺が九歳の時、今帰仁の合戦があって、叔父が戦死しました。まだ十九の若さでした。叔父の戦死があったので、俺はサムレーになる事を嫌って旅に出たのです。馬天浜のサミガー大主殿の離れに滞在していた時、密貿易船に乗って来た唐人と出会って、明国の話を聞いて、俺も明国に行きたくなりました。進貢船には護衛のサムレーも乗るので、進貢船のサムレーになろうと決心して今帰仁に帰ったのです。美里之子殿の武術道場で修行したお陰で、俺は進貢船に乗る事ができました。そして、明国に行って驚きました。明国は思っていた以上に凄い国でした。明国のあらゆる事を学びたいと思って、俺は毎年、明国に行きました。でも、過ちを犯してしまって、明国で学んだ事を生かす事はできませんでした」 「明国で何を学んだんだ?」とンマムイが聞いた。 「色々と学びましたよ。まず始めに学んだのは言葉です。言葉がわからないと何も聞けませんからね。言葉を覚えてからは、興味がわいた事は何でも聞いて回りました。家の建て方とか、石畳の道の造り方とか、橋の架け方とか、陶器の作り方とか、井戸の掘り方とか、琉球にない物は皆、聞いて回りました」 「ほう、お前は頭がいいようだな」とサハチは感心した。 羽之助は照れくさそうに笑った。 「俺は四回、明国に行きました。三十歳まで進貢船のサムレーをやって、そのあとは普請奉行になって、ヤンバル(琉球北部)の道を整備しようと計画していたのです」 「妻の密通事件で、お前の夢は破れたか」とンマムイが言った。 羽之助は昔を思い出したのか、顔を歪めた。 「お前の親父は島尻大里にいるぞ。そろそろ会ってもいいんじゃないのか」とサハチは言った。 羽之助は首を振った。 「俺は死んだ事になっています。それでいいのです」 「ずっと隠れて暮らすのか」 「生きている事がわかれば、湧川大主は許さないでしょう。親父も兄貴も姉も弟も迷惑を被る事になります。俺の事は内緒にしておいて下さい」 サハチはうなづいて、「慈恩禅師殿を助けてやってくれ」と言った。 「慈恩禅師殿の話は師匠から色々と聞いていて会ってみたいと思っていたのです。まさか、琉球で会えるなんて思ってもいませんでした。師匠と出会った頃を思い出して、修行をやり直しているのです」 サハチとンマムイは羽之助と別れて慈恩寺を出た。ンマムイはマサキが待っていると言って兼グスクに帰って行った。サハチは首里グスクの龍天閣に向かった。タキドゥン按司が待っているはずだった。 龍天閣に行くと、思紹と馬天ヌルがタキドゥン按司と話をしていた。サハチの顔を見ると、 「お前、これを覚えているか」と思紹が聞いた。 思紹は短刀を持っていた。鮫皮が巻かれた柄に見覚えがあった。思紹が短刀を鞘から抜いた。 「あっ!」とサハチは叫んだ。 擦り減った刃が細くなっていて、祖父のサミガー大主が毎日、研いでいた姿が思い出された。 「お爺の小刀だ」とサハチは言った。 「そうじゃ。親父が人喰いフカ(鮫)を倒した小刀じゃ。親父は海でなくしたと言っていたが、タキドゥン殿に贈っていたんじゃよ」 驚いた顔をして小刀を見ていたサハチは、タキドゥン按司を見ると、「祖父を知っていたのですか」と聞いた。 「わしの母親は馬天浜のウミンチュの娘なんじゃよ。若按司だった父に見初められて側室になったんじゃ。わしが二歳の時、祖父の島添大里按司は浦添の極楽寺で戦死して、父は按司になったが、察度に攻められて戦死してしまったんじゃ。わしは母親と一緒に城下に移って暮らす事になった。とは言っても、二歳だったわしはグスクにいた事など何も覚えていない。母は父親の事は教えてくれなかった。わしは幼い頃、母に連れられて馬天浜に行っては遊んでいたんじゃ。わしが四歳の時、サミガー大主殿は馬天浜に来て、鮫皮作りを始めたんじゃよ。わしの祖父と叔父はカマンタ捕りをやっていた。赤ん坊だった王様と馬天ヌル殿とも一緒に遊んだものじゃった」 「わしらが生まれた頃の事を知っていたとは驚いた」と思紹が言って笑った。 「十二歳の時に、父親の事を知らされてグスクに入ったそうじゃ。その後は水軍の大将として、ヤンバルに行って材木を伐り出していたそうじゃ」 「その頃、わしは与那原の屋敷で暮らしていて、馬天浜にもよく来ていたんじゃよ。親父を知らないわしにとって、サミガー大主殿は親父のような存在だったんじゃ。浜辺で一緒に酒を飲んで、語り合った事もあった。そなたが生まれた時、ヤマトゥンチュたちが来ていたが、わしも一緒にお祝いをしたんじゃよ」 「そうだったのですか」とサハチは驚いていた。 「タキドゥン殿の話を聞いて、わしは思い出したんじゃよ」と思紹が言った。 「母が大グスク按司の娘だったので、親父の屋敷にはサムレーたちが出入りしていたんじゃ。ほとんどが大グスクのサムレーだったが、島添大里のサムレーもいた。そのサムレーがタキドゥン殿だったんじゃよ」 「わたしも思い出したわ」と馬天ヌルが言った。 「子供の頃、遊んだのはかすかに覚えているけど、わたしが馬天ヌルになった時、ヌルの屋敷を造るための材木を運んでくれたのが、あなただったのよ」 「おう、そういえば、そんな事があったのう。あれはわしが水軍の大将になった年じゃった。大将になって最初の取り引きだったんじゃ。ヤマトゥの刀を大量に手に入れて、按司の義兄に褒められたんじゃよ。以後、サミガー大主殿との取り引きは、わしが任されるようになったんじゃ」 「その小刀はいつ、お爺からもらったのですか」とサハチは聞いた。 「琉球を去る前じゃよ。義兄が亡くなって、子供たちが家督争いを始めた。わしはどうしたらいいのかわからず、馬天浜の浜辺で海を眺めていたんじゃ。サミガー大主殿が来て、わしの話を聞いてくれた。そして、わしを見つめて笑うと、その小刀を腰からはずして、わしにくれたんじゃよ。わしが琉球から去ろうとしていた事を、サミガー大主殿は見抜いていたのかもしれん。わしは守り刀として大切にしてきた。無事に南の島に行けたのも、わしが南の島で按司になれたのも、その小刀のお陰かもしれん」 タキドゥン按司は小刀を返すと言ったが、思紹は受け取らなかった。 「親父の遺品として持っていて下さい。そして、時々、サミガー大主の事を思い出してくれたら、親父も喜ぶでしょう」 タキドゥン按司はうなづいて、「タキドゥン按司家の家宝にします」と言った。 「話は変わりますけど、運玉森にあった立派な屋敷はタキドゥン殿が建てたのですか」とサハチは聞いた。 「あれを建てたのは祖父じゃよ。奥間から美人の側室を送られて、祖父は大層、気に入ったようじゃ。立派な屋敷を建てたんじゃが、察度に攻められて、側室も子供も殺されたようじゃ。察度が島添大里グスクを攻めた時、その屋敷は本陣として使われて、父を倒したあと焼き払われたんじゃが、大雨が降ってきて火は消えたそうじゃ。その後、マジムン(化け物)が現れるという噂が立って、マジムン屋敷と呼ばれるようになったんじゃよ。まだ、マジムン屋敷はあるのかね?」 「マジムンを退治して、今は与那原グスクが建っています」 「なに、あそこにグスクが建っているのか。そうか、随分と変わったようじゃのう」 サハチはタキドゥン按司を連れて島添大里グスクに帰った。 二十五年振りに島添大里グスクに入ったタキドゥン按司はあまりの変わり様に驚いていた。 「石垣が高くなっているのは以前に来た時に知っていたんじゃが、二階建ての屋敷があるとは驚いた。前回に来た時、あの屋敷を建てている最中じゃった」 「えっ、前回に来た時、このグスクに入ったのですか」とサハチは驚いて聞いた。 「招待されたんじゃよ。勿論、わしは先代の按司の一族だった事は隠して会ったんじゃ」 「そうでしたか。一族を滅ぼした相手に会うなんて、辛かったでしょう」 「憎らしかったよ。だが、顔には出さずに話を聞いていたんじゃ。近いうちに明国に進貢船を送るので、珍しい物を手に入れたいと言っておった。わしは持ってきた海亀の甲羅とザン(ジュゴン)の塩漬けをヤマトゥの商品と取り引きしたんじゃよ」 「そうだったのですか」と言いながら、サハチは汪英紫が山南王の船を借りて進貢していたのを思い出した。 「その時の島添大里按司は汪英紫という名前で進貢船を送っていました。そして、島尻大里グスクを奪い取って、山南王になったのです」 「なに、あの男が山南王になったのか」 信じられないというようにタキドゥン按司は首を振った。 サハチはタキドゥン按司を一の曲輪の屋敷の二階に案内して、昔の話を聞いた。 島添大里グスクが八重瀬按司だった汪英紫に滅ぼされた時、サハチはまだ九歳だった。馬天浜から見上げていた島添大里グスクは、当時のサハチにとっては別世界で、島添大里按司の事なんて何も知らなかった。島添大里グスクが落城したあと、父が佐敷グスクを築いて按司になり、サハチは若按司となった。自分が今、島添大里グスクで暮らしているなんて、当時、考えた事もないほど、とんでもない事だった。 琉球を旅立って南の島に行って、タキドゥン島(竹富島)に落ち着くまでの話をしてから、タキドゥン按司は急に思い出したかのように、「サスカサは生き延びたそうじゃのう」と言った。 「サスカサさんは久高島に逃げて、ずっとウタキに籠もっていました。わたしがこのグスクを攻め落とした時、ここに戻って来て、わたしの娘を指導して、娘にサスカサを譲ったのです。その後、運玉森ヌルを名乗って与那原にいましたが、去年、ヂャンサンフォン(張三豊)殿と一緒に南の国に旅立ちました」 「なに、南の国に行ったのか」 「ムラカ(マラッカ)に行くと行っておりました」 「ムラカか‥‥‥しかし、またどうして、そんな遠くの国に行ったのじゃ?」 「今年、明国から冊封使が来ます。明国の皇帝の永楽帝はヂャンサンフォン殿を探しています。琉球にいたら皇帝のもとに連れて行かれてしまうので、ヂャンサンフォン殿は逃げて行ったのです」 「ヂャンサンフォン殿は権力者が嫌いなんじゃな」と言ってタキドゥン按司は笑った。 「姪に会えると楽しみにして来たんじゃが、行き違いになってしまったか」 「ほとぼりが冷めたらヂャンサンフォン殿と一緒に琉球に戻って来るでしょう。そしたら、タキドゥン島まで行かせますよ」 「そうか。姪に会えるまで長生きせねばならんのう」 賑やかな子供の声が聞こえてきた。 「あら、お帰りだったのですか」とナツが部屋を覗いて、サハチに言った。 「安須森ヌル様が南の島のお客様をお連れになって、南の島のお話を聞いていたのです」 「マシューが帰って来たか。ササたちも一緒か」 「いえ、ササたちはいません。マユちゃんは安須森ヌル様と一緒です」 「そうか。帰国祝いと歓迎の宴をしなくてはならんな。準備を頼むぞ」 ナツはうなづいて、子供たちを連れて行った。 「わしの義兄は玉グスクの息子で、島添大里に婿に入ったんじゃよ。父が亡くなった時、長男のわしは二歳じゃった。十三歳の姉が十五歳の婿を迎えて、婿が島添大里按司を継いだんじゃ。婿と一緒に玉グスクのサムレーたちが入って来て、義兄が亡くなったあとの家督争いが起こってしまったんじゃ。義兄が亡くなる時、あとの事は頼むと言われたが、わしにはどうする事もできなかったんじゃよ。玉グスク派と地元派が争って、そこに側室の兄の糸数按司も加わって、八重瀬按司も首を突っ込んできた。わしは逃げ出した。タキドゥン島に行っても、ここの事は気になっていたんじゃ。サミガー大主殿の孫のそなたが、このグスクを奪い取ってくれたなんて、わしは夢でも見ているような気分じゃよ」 そう言って、タキドゥン按司は楽しそうに笑った。 その夜の宴で、サハチは安須森ヌルから『英祖の宝刀』の中の一つ、小太刀がミャークにあったと聞かされた。 英祖の宝刀は浦添按司だった英祖がヤマトゥに使者を送って、鎌倉の将軍様から贈られた三つの刀だった。太刀と小太刀と短刀で、三つ揃って『千代金丸』と呼ばれた。六年前に安須森ヌルが久高島の神様から探し出すようにと言われたのだった。 「やはり、ミャークにあったのか」とサハチは嬉しそうな顔をして安須森ヌルを見た。 「与那覇勢頭様が初めて琉球に来た時に、察度様から贈られたようだわ。今はミャークの首長になった目黒盛豊見親様がお持ちです」 「目黒盛豊見親?」 「目黒盛というのがお名前で、豊見親というのは『世の主』というような意味らしいわ」 「ほう、鳴響む親というわけか。面白いな」 「目黒盛豊見親様に見せてもらったけど、名刀と呼ばれる見事な物だと思うわ。刃の長さは二尺(約六〇センチ)弱で、ミャークでは『ちがにまる』って呼ばれていたわ」 「『ちゅーがにまる』が『ちがにまる』に訛ったか。これで三つの刀のありかがわかったわけだな」 安須森ヌルはうなづいた。 「太刀は今帰仁にあって、山北王の宝刀になっている。短刀は越来ヌルのハマが大切にしているわ。そして、小太刀はミャークの守り刀になっているっていうわけよ」 「どこにあるかがわかっただけでも上出来だよ。ありがとう」 「久高島の神様に報告に行かなくちゃね」 「南の島のヌルたちを連れて行ってくるがいい。ところで、ササは何をやっているんだ?」 「ササはヤマトゥに行くつもりなのよ」 「なに、これからヤマトゥに行くのか」 「南の島で、瀬織津姫様という凄い神様の事を知ってしまったのよ」 「瀬織津姫様? 弁才天様の化身の神様の事か」 「えっ、お兄さん、知っているの?」と安須森ヌルは驚いた。 「今、親父が弁才天様を彫っているんだよ。報恩寺の和尚から、瀬織津姫様の事を聞いたらしい。馬天ヌルに聞いても知らなかったと言っていた。ササなら知っているかもしれんと親父は言ったけど、まさか、ササが瀬織津姫様の事を調べているとは驚いた」 「お父さんはどうして、弁才天様を彫っているの?」 「馬天ヌルに頼まれて、ビンダキ(弁ヶ岳)に祀るために彫っているんだよ。昔、ビンダキには役行者という山伏の元祖が祀った弁才天様があったそうだ」 「ビンダキに弁才天様が‥‥‥そうだったんだ」と安須森ヌルは納得したようにうなづいた。 「それで、瀬織津姫様というのはどんな神様なんだ?」 「スサノオの神様の御先祖様なのよ。そして、琉球のお姫様なの。豊玉姫様の御先祖様でもあるのよ。アマミキヨ様が琉球に来て、多分、垣花森に都があった頃、瀬織津姫様はヤマトゥに行ったんだと思うわ。その事を聞きにササはセーファウタキに行ったのよ」 「しかし、そんなに古い神様に会う事なんてできるのか」 「瀬織津姫様のガーラダマ(勾玉)を手に入れれば会う事はできるわ。玉グスクにあるかもしれないのよ」 「そのガーラダマを持ってヤマトゥに行くというのか」 「そういう事。あたしも行きたいけど、冊封使が来るから、あたしは残るわ」 「そうだよ。お前まで行ったら大変な事になる。ササはジルーの船でヤマトゥに行くのか」 「そうよ。帰りはシンゴの船に乗ってくればいいわ」 「ササも忙しい事だな」とサハチは笑った。 |
津堅島
玻名グスク
与那原グスク
慈恩寺