南蛮船の帰国
十月二日、リーポー姫(永楽帝の娘)たちは『油屋』の船に乗って無事に浮島(那覇)に帰って来た。今帰仁に帰ったテーラー(瀬底大主)がリュウイン(劉瑛)の家族を連れて一緒に乗っていた。 テーラーは明国に連れて行った二十人の兵を率いていた。テーラーの兵とマガーチ(苗代之子)の兵に守られて、王女たちの一行は浮島から首里まで行進して首里グスクに入った。冊封使の船と一緒に送る進貢船の準備のために首里にいたサハチ(中山王世子、島添大里按司)は、一行を北曲輪で迎えて無事の帰還を喜んだ。 ンマムイ(兼グスク按司)に御苦労だったとお礼を言うと、ンマムイは名護の長老、『松堂』夫婦を紹介した。 「山北王(帕尼芝)の正使として何度も明国に行った人です。今はもう隠居していて、首里の都が見たいと言うので連れて来ました。島尻大里にいる仲尾大主殿の叔父さんで、久し振りに会いたいと言っています」 「なに、仲尾大主殿の叔父さんですか」 松堂は笑って、「叔父と言っても、仲尾大主とは七つ違いの兄弟みたいなものじゃ」と言った。 「初めて明国に使者を送った時、何もわからずに、二人で一緒に苦労したんじゃよ」 「仲尾大主殿も進貢に関わっていたのですか」 「わしは正使として明国に行って、仲尾大主は様々な準備をしていたんじゃよ」 「仲尾大主殿も明国に行ったのですか」 「いや。奴は船が苦手なんじゃよ。そんなの慣れるから一度は行って来いと言ったんじゃが、ついに行かなかった。代わりに倅が行ったがのう」 サハチはテーラーが連れて来たリュウインの妻のチルーにも挨拶をした。 「突然の事で大変だったでしょう」とサハチが言うと、 「驚きました」とチルーは笑って、「父と妹がお世話になりました」とサハチにお礼を言った。 「悩んだのですが、子供たちに父親の故郷を見せた方がいいと思いまして決心しました」 十二、三歳の男の子と十歳くらいの女の子がサハチを見ていた。男の子は目つきがリュウインに似ていて、女の子は目が大きな可愛い娘だった。 「毎年、進貢船が明国に行っています。帰りたくなったら、いつでも帰って来られますよ」とサハチはチルーに言いながら、明国に行く前に、弟の真喜屋之子に会わせてやりたいと思った。 「冊封使の船が出るまで、お前のグスクに滞在するのか」とサハチはテーラーに聞いた。 「そう思ったんだけど、テーラーグスクに行っても知人はいないし、寂しいだろうと思うのです。チルー様はリュウイン殿の侍女になる前、御内原の侍女だったのです。マナビー様が生まれた頃です。リュウイン殿の妻になってからも、マナビー様は武芸を習うためにリュウイン殿の屋敷に出入りしていたので、よく知っています。できれば、マナビー様のグスクに預かってもらえれば、チルー様も安心すると思います」 「わかった。マナビーも喜んで迎えるだろう。預からせてくれ」 サハチは長老からもっと話を聞きたいと思い、会同館に宴の準備をするように命じて、ヤンバル(琉球北部)に行って来た者たちを皆、会同館に移動させた。テーラーは兵を率いてテーラーグスク(平良グスク)に帰って行った。 テーラーを見送ったンマムイは、 「リュウイン殿を明国に置いて来た事を山北王(攀安知)に怒られていましたよ」とサハチに言った。 「山北王は怒ったか」とサハチは笑った。 「進貢船は返すからリュウイン殿を取り戻して来いと言ったそうです。テーラーはすぐに明国に行く用意をして、リュウイン殿を取り戻して来ると言ったようです」 「ほう。テーラーはまた明国に行くのか」 「リュウイン殿を取り戻しても、進貢船を返してしまったら、どうやって帰って来るのですかと言ったら、山北王は真っ赤な顔をして、手元にあった茶碗を投げつけたそうです」 サハチは笑い続けて、「しばらくはテーラーも今帰仁には近づかないだろう」と言った。 会同館に移って、サハチはンマムイから旅の様子を聞いた。王女様たちはどこでも歓迎されたと聞いて、サハチは安心した。 ウリー(サハチの六男)とリーポー姫が仲がいいので、二人を放っておいてもいいのですかとンマムイは心配した。 「成り行きに任せるさ」とサハチは笑った。 「奥間に行って、サタルーに会って来ましたよ」とンマムイはサハチを見て笑った。 「なに、王女様たちは奥間まで行ったのか」 「国頭に奥間の杣人のトゥクジというのがいて、比地の大滝に案内してくれたのです。トゥクジが奥間の話をしたら、近くなら行こうという事になって、奥間に行って長老たちに歓迎されましたよ。王女様たちはサタルーの焼き物に興味を持って、一緒になって器を焼いていました。以前、奥間に行った時、ナーサ(宇久真の女将)はとぼけていましたけど、あのあとナーサから、すべてを聞きましたよ。サタルーが師兄の息子だってね」 「そうか。知ってしまったか」 「国頭の長老から聞いた話ですけど、先々代の山北王(帕尼芝)は奥間を攻めようとしていたようです」 「何だと?」 「奥間が俺の祖父さん(察度)と親しくしていたのが気に入らなかったようです。それを知った祖父さんは今帰仁攻めをしたのです」 「察度殿は奥間を守るために、今帰仁を攻めたのか」 今帰仁合戦の裏にそんな事が隠されていたなんて、驚くべき事だった。 「奥間に行った時、長老に聞いたら、今帰仁合戦の前に山北王が奥間を攻めようとしていたのは本当だと言いましたよ。長老たちは山道に罠を仕掛けて、今帰仁の兵を追い返そうとしたそうです。しかし、先代の長老がやめさせたようです。わしらは職人だ。戦をしてはならん。攻めて来たら逃げればいいと言ったそうです。長老たちは納得しませんでしたが、先代の長老には逆らえず、毎日、愚痴をこぼしていたようです。そしたら、中山王の大軍がやって来て、今帰仁グスクを攻めて、山北王は戦死して、奥間攻めもなくなったというわけです」 「先代の長老はどうして、戦うなと言ったんだろう?」 「先代の奥間ヌルが、中山王が助けてくれると予言したようですよ」 「先代の奥間ヌルか‥‥‥」 「そういえば、今の奥間ヌルの娘もササと一緒にヤマトゥ(日本)に行ったそうですね」 「そうなんだよ。八人も若ヌルを連れて行ったんだ。ササも大した師匠だよ」 「その娘も師兄の娘だそうじゃないですか。師兄もやりますね」 「その事がばれた時、俺はマチルギに殺されそうになったんだよ」 「兼グスクまで、その噂は流れて来ましたよ」 「嘘をつくな」 「本当です。師兄は自分の事を知らなすぎますよ。島添大里按司とその奥方は誰でも知っている有名人なんですよ。何かがあればすぐに噂になって、琉球中に広まるんです」 「大げさな事を言うな」 「大げさではありませんよ」 「山北王に知られたら奥間が危険になる」 「山北王の耳にも入っているかもしれませんよ。今、南部には山北王の兵が大勢いますからね」 「まいったな。サタルーに知らせておかなくてはならんな」 サハチは松堂の所に行って、山北王が初めて明国に進貢した時の苦労話を聞いた。 「運天泊で海賊たちの通事をしていたら、今帰仁に呼ばれて、按司様(帕尼芝)から中山王(察度)の進貢船に乗って明国に行って来いと言われたんじゃ。突然の事で驚いたが、明国に行ってみたいと思っていたんで引き受けたんじゃよ。当時、記録係をしていた仲尾大主も『進貢奉行』に選ばれて、二人して山道を通って浮島まで行ったんじゃよ。久米村に行って、唐人から色々な事を聞いたんじゃが、よく理解できなかったんじゃ。ずっと正使を務めていた宇座按司殿(泰期)が読谷山にいると聞いて、わしらは宇座に行ったんじゃ。そこは広い牧場で、宇座按司殿は馬を育てていたんじゃよ。わしらは驚いた。中山王の義弟で、何度も正使を務めてきた偉い人が汗にまみれて働いていたんじゃ。わしらが話をすると快く引き受けてくれた。わしらは牧場の仕事を手伝いながら、半月余り滞在して、色々な事を教わったんじゃ。仲尾大主は一言も漏らさずに記録していた。その時の記録は、その後も大いに役に立ったんじゃよ」 「宇座の御隠居様が助けてくれたのでしたか」 「いい人じゃった。わしは後継者を育てろと命じられて、自分の経験を若い者たちに教えていたんじゃが、人に教えるとなるとわからない事が色々と出て来て、何回か教えを請うために宇座まで行ったんじゃよ。御隠居様は歓迎してくれて、一緒に酒を飲むのが楽しかったのう」 「御隠居様にはわたしもお世話になりました。御隠居様の末っ子のクグルーを預かる事になりまして、クグルーは使者になると言って、毎年、明国に行っています」 「クグルーか。覚えておるよ。元気のいい子じゃった。そうか。クグルーはそなたが預かったのか」 「瀬底大主(テーラー)が明国から帰って来た時、ここで帰国祝いの宴をやったのですが、その時、仲尾大主殿の倅の真喜屋之子が事件を起こして、家族の者たちは左遷されたと瀬底大主から聞きましたが、父親の仲尾大主殿は大丈夫だったのですか」 「瀬底大主が話したのかね。その事は今帰仁では禁句になっているんじゃよ。今更、悔やんでも仕方がないが、あれはわしの失敗じゃった。サンルータが進貢奉行に入って来たのは、サンルータが明国から帰って来て、一月くらいしてからじゃった。山北王(攀安知)からわがままな弟だがよろしく頼むと言われて預かったんじゃよ。進貢のための雑用が色々とあるんだが、サンルータは何をやらせてもまったくやる気がなかった。山北王の弟が何でこんな事をしなければならないんだという不満顔だったんじゃよ。翌年の正月、無事に使者たちを浮島に送ったあとじゃった。一仕事が終わったと、わしらはささやかな宴を開いたんじゃよ。その時、明国に行ったサムレーの奥さんが駈け込んで来て、助けてくれって言ったんじゃ。昔の事なので、何を助けろと言ったのかは忘れてしまったが、サンルータが一緒に行って解決したんじゃ。留守を守っている家族が困った事を相談に来る事はよくあったので、サンルータを相談係にしたんじゃよ。何をやらせても中途半端だったから、留守宅の面倒だけ見ていればいいと言ったんじゃ。まさか、あんな事件を起こすなんて思ってもいなかった。事件のあと、仲尾大主は親泊の蔵番に格下げされたんじゃよ」 「蔵番ですか」 「しかし、仲尾大主はめげなかった。蔵の中に何があるのか、すべて調べて書き留めたんだ。いくつもある蔵の中をすべて調べたんじゃよ。それを山北王に見せたら褒められて、『蔵奉行』という新しい役職ができて、仲尾大主はすべての蔵を管理する事になったんじゃ」 「蔵奉行ですか」 浮島に多くある蔵にも蔵番はいた。交易担当奉行の管轄だった。首里グスク内にも米蔵や武器庫があるし、与那原と馬天浜の港にも蔵があった。あちこちにある蔵を一括に管理する『蔵奉行』という役職を作るのもいいかもしれないとサハチは思った。 「そんな重要な職務に就いていた仲尾大主が山北王の娘が嫁いだ時、その護衛役として南部に行ったのには驚いた。あいつもとうとう左遷させられたかと思ったよ。しかし、その後、あいつは山南王(他魯毎)の重臣となって、山北王の若按司(ミン)が山南王の世子(跡継ぎ)として南部に行くなんて、考えも及ばない事が起こった。今、思えば、あいつは重要な任務を帯びて南部に行ったんじゃなと思っておるよ」 「真喜屋之子はどんな奴だったのですか」とサハチは聞いた。 「奴は瀬底大主の配下のサムレーだったんじゃよ。明国の言葉を覚えて、色々な事を知っていた。暇さえあれば、あちこちを散策していて、応天府(南京)の隅から隅まで知っていた。仲尾大主に応天府の絵図を書かせたんだが、真喜屋之子の助けを借りたんじゃよ。わしは真喜屋之子に使者にならないかと誘ったんだが断られた。奴には夢があって、志慶真川に石の橋を架けると言っていた。それに立派な高楼を建てるとも言っていたのう。サンルータに別の仕事をさせていたら、あんな事にはならなかったじゃろう。真喜屋之子を失ったのは残念な事じゃった」 「サンルータの女遊びは有名だったと瀬底大主は言っていました。それに、真喜屋之子の妻は美人だったと聞いています。別の仕事をしていたとしても、サンルータは問題を起こしていたと思いますよ」 松堂は苦笑した。 「そうかもしれんが、あの事件のあと、山北王は進貢船を送るのをやめてしまった。進貢奉行も解散になって、わしが育てた者たちは使者にはなれなかったんじゃよ。それでも今回、リュウイン殿と一緒に明国に行けてよかったと思っている。新しい進貢船も来たし、あいつらも活躍できるだろう」 次の日、サハチは王女たち、クチャとスミ、リュウインの家族たちを連れて島添大里に向かった。松堂夫婦はマガーチに頼んで、仲尾大主がいる島尻大里に向かわせた。島尻大里ヌル(前豊見グスクヌル)のお腹が大きくなっていて、旅の間もずっと心配していたマガーチは喜んで引き受けた。王女たちは島添大里には行かず、ユリたちがいる佐敷の新里に向かった。ウリーも当然のように一緒に行った。 安須森ヌルの屋敷に行くと、娘のチルギガニを連れたマナビーがいて、クチャとリュウインの妻と子供たちを見て驚いた。 「マナビー、会いたかったわ」とクチャが言って、マナビーのそばに行った。 マナビーの侍女たちがクチャに話しかけた。スミは憧れていたマナビーとその侍女たちに会えて感激していた。そして、ここには大勢の女子サムレーがいる事に驚いていた。 サハチは安須森ヌル(先代佐敷ヌル)にわけを話した。 「王女様たちは無事に帰って来たのね?」 「馬天浜のお祭りの準備に行ったよ」 「今年の馬天浜のお祭りはヂャン師匠(張三豊)を偲ぶ集いよ」 「そうか。あれからもう一年が経つのか」 「お芝居は去年と同じ『武当山の仙人』よ。ハルとシビーも行き詰まったみたい。新作が書けないって悩んでいるわ。ヤマトゥ旅に行ってらっしゃいって言ったのよ。来年、あの二人を交易船に乗せてあげて」 「それは構わんが、あの二人がいないとお祭りが大変だろう」 「大丈夫よ。あの二人の代わりはわたしが何とかするわ」 サハチは笑った。 「お前の新作か」と安須森ヌルが書いていた紙を見た。 「南の島を旅して、色々な事がわかったから、『アマミキヨ様』の事を書いてみようと思っているのよ」 「そうか。楽しみだな」 サハチはあとの事を安須森ヌルに頼んで、一の曲輪の屋敷に帰った。 その夜、ウニタキ(三星大親)が顔を出した。 「何事もなくてよかった」とサハチが言うと、 「リーポー姫様を襲う一味はまだいたんだよ」とウニタキは言った。 「襲撃があったのか」 「三人だけだったがな。チャイシャン(柴山)の配下の者たちが片付けた。俺たちの出る幕はなかったよ」 「今帰仁でか」 「いや。比地の大滝に行く途中で待ち伏せしていたんだ。王女様たちの一行は気づいていない」 「そうか。リーポー姫様を護衛するだけあって、チャイシャンも一流の配下を持っているようだな」 「そのようだ。それより、リーポー姫様のお陰で、名護、羽地、国頭の事がよくわかったぞ。名護に山北王の正使を務めた『松堂』がいた事も、国頭に水軍の大将だった『喜如嘉の長老』がいる事もわかった。ンマムイが色々と話を聞いたんだが、ウニタル(ウニタキの長男)もそばで話を聞いていた。察度の今帰仁攻めが奥間を守るためだったなんて驚いた」 「ンマムイから聞いて俺も驚いたよ。ンマムイが言っていたが、奥間ヌルの娘の父親が俺だという事を山北王は知っているのか」 「何だって? ンマムイが知っていると言ったのか」 「噂を聞いて知っているかもしれないと言っていた」 「そうか。それはあり得るな。山北王がその事を知ったら奥間を攻めるかもしれんな」 「サタルーに気を付けるようにと伝えてくれ」 「わかった。話は変わるが、真喜屋之子とサンルータの妻を会わせたよ」 「なに?」と言ってサハチはウニタキを見た。 「真喜屋之子が生きている事がわかるとまずいんじゃないのか」 「サンルータの妻はクミというんだが、真喜屋之子の従妹だったんだ。クミがどう出るかだな。湧川大主が鬼界島(喜界島)攻めから帰って来て、真喜屋之子の事を知って、刺客を送り込んで来るかもしれない。あるいは中山王に引き渡せと言ってくるかもしれない。どうなるかはわからんが、戦のきっかけになるかもしれない」 「戦のきっかけ?」 「そうだ。来年は今帰仁攻めの予定だろう。しかし、今の状況では戦はできない。何かが起きなければ、戦を始めるのは難しい」 「来年か‥‥‥離間策はうまくいっているのか」 「それは湧川大主の鬼界島攻めの結果待ちだよ。もし、今回も失敗して大勢の兵を失ったら、国頭は勿論の事、名護も羽地も離反するだろう。六月に援軍を送った時、これが最後だと言って、みんな渋々と兵と兵糧を出したんだ」 「もし、成功したら今帰仁攻めは中止か」 「真喜屋之子を使って、離間させるしかない」 「リュウインの事は聞いたか」 「ああ、聞いた。明国に送るために、テーラーが家族を連れて来たんだろう」 「リュウインの奥さんに真喜屋之子を会わせてやりたいと思っているんだが、どう思う?」 「リュウインの奥さんは今、どこにいるんだ?」 「ミーグスクにいる」 「なに、ここにいるのか」 「テーラーに頼まれたんだ」 「そうか。ここにいるのなら会わせても大丈夫じゃないのか」 「奴はどこにいるんだ?」 「慈恩寺に戻ったよ」 サハチはウニタキに真喜屋之子を姉に会わせる事を頼んだ。 「クーイヌルについて新しい事がわかったぞ」とウニタキは話題を変えた。 「クーイヌルというのは、クーイの若ヌルの母親か」 「そうだ。シズをヌルに化けさせて沖の郡島(古宇利島)に送ったんだ。ずっと、ササと一緒に旅をしていたからヌルの事には詳しい」 「何がわかったんだ?」 「驚くべき事だ」 「もったいぶらずに早く言え」 「クーイヌルは母親の事を何も知らなかったんだ。クーイヌルを継ぐために今帰仁から来たらしいという事しか知らないんだよ。クーイヌルの母親が島に来たのは五十年も前の事だから近所の人に聞いても、母親の素性を知っている者はいなかった。シズは諦めて帰ろうとしたが、せっかく来たのだから古いウタキ(御嶽)でも探そうと山に入ったようだ。ササのお陰で、シズもシジ(霊力)が高くなったのかもしれん。山の中に古いウタキを見つけて、祈りを捧げたそうだ。勿論、ササと違って神様の声は聞こえない。しかし、先代の『天底ヌル』だったというお婆に会ったんだ。今のクーイヌルは偽物だとお婆は言ったようだ。クーイヌルの母親が島に来る十年ほど前に、クーイヌルは跡継ぎに恵まれずに絶えてしまったらしい。クーイヌルは古くから、あの島にいるヌルで、安須森とつながりがあるようだ。お婆の娘の天底ヌルも安須森ヌルと一緒に安須森参詣に行ったらしい。いつか必ず、クーイヌルを継ぐ者が現れると神様は言ったらしくて、お前がそうかとシズに聞いたようだ。お婆はシズをじっと見つめて、お前ではないなとがっかりしたようだが、クーイヌルの母親の事を教えてくれたんだよ。クーイヌルの母親があの島に行ったのは、羽地按司(帕尼芝)が今帰仁グスクを攻め取って、今帰仁按司になった時だったんだ。滅ぼされた今帰仁按司の娘で、今帰仁若ヌルだったんだよ」 「ちょっと待て、滅ぼされた今帰仁按司の娘?」 「そうだよ。マチルギの父親、伊波按司の姉だよ。クーイヌルはマチルギの従姉なんだよ」 「若ヌルは従妹の娘か‥‥‥」 サハチは驚いた顔で、ウニタキを見ていた。 従弟の娘と言えば、マガーチの娘のタマと同じ関係だった。 「助けなければならんな」とサハチは言った。 「その事をクーイヌルに知らせたのか」 ウニタキは首を振った。 「時期を見て知らせようと思う」 「時期?」 「そうだ。クーイヌルにとって山北王は、祖父の敵の孫だからな。真実を知ったら、クーイヌルも若ヌルも苦しむ事になるだろう」 「若ヌルは敵と知らずに山北王と結ばれたのか‥‥‥それを知ったら、どうなるだろう?」 「わからんな。若ヌルが生まれる前に祖母は亡くなっているからな。実感は湧かないだろう」 二日後、島尻大里グスクで、冊封使たちを招待して『餞別の宴』が行なわれた。女子サムレーたちによるお芝居『察度』が演じられて、他魯毎(山南王)の祖父の察度が天女の子供だった事に冊封使たちは驚いていた。中山王察度の名は明国の記録に書かれているので、冊封使たちも知っていた。琉球で最初に進貢した王であり、三十回以上も進貢していて、琉球で一番勢力のあった王だと心得ていた。 サハチと安須森ヌルも冊封使たちの要望があって、笛の合奏を披露した。 『冊封の宴』の時、その演奏を聴いて、琉球にも優れた芸人がいると感心したが、その後、縦笛を吹いていたのが島添大里按司だと聞いて冊封使たちは驚いた。島添大里按司は永楽帝がリーポー姫を預けた男だった。永楽帝がどうして琉球の按司を知っているのか不思議だったが、ファイチ(懐機)から話を聞いて、八年前に富楽院の妓楼で一緒に酒を飲んだ仲だと知った。さらに、島添大里按司は中山王の世子で、武芸の腕も一流で、ヤマトゥの将軍様とも親しいと聞き、お近づきになった方がいいと冊封使たちは思ったのだった。 演奏のあと、サハチは冊封使たちに呼ばれて酒盃を交わし、色々な事を聞かれた。困っているサハチを見て、李仲按司が来て話題を変えてくれたので助かった。 九日後、他魯毎が『天使館』に行って、『餞別の宴』が行なわれた。これで、すべての行事は終わって、冊封使たちは帰国の準備を始める事になる。 その日、馬天浜ではヂャンサンフォン(張三豊)を偲ぶお祭りが行なわれていた。そのお祭りは旧港(パレンバン)、ジャワ(インドネシア)、トンド(マニラ)から来た人たちの送別の宴も兼ねていて、大勢の人たちが浜辺に集まって酒盛りを楽しんでいた。 各地のサムレーや女子サムレーも来られる者は来ていた。久高島からも大里ヌルが赤ん坊を連れて、久高ヌル(前小渡ヌル)が娘を連れてやって来た。山グスクからサグルー(山グスク大親)夫婦、ジルムイ(島添大里之子)夫婦、マウシ(山田之子)夫婦も子供を連れてやって来た。八重瀬按司(マタルー)夫婦、具志頭按司(イハチ)夫婦、兼グスク按司(ンマムイ)夫婦もやって来た。ミーグスク大親(チューマチ)夫婦はリュウインの家族とクチャとスミを連れて来た。マグルー夫婦が留守番だと聞いて、ンマムイはがっかりしていた。 お芝居は去年と同じで、旅芸人たちの『武当山の仙人』と女子サムレーと南蛮(東南アジア)の王女たちの『武当山の仙人その二』だった。リェンリー(怜麗)がいないので、主役のヂャンサンフォンは島添大里の女子サムレーのカリーが演じて、リーポー姫も自分の役で出ていた。明国に行ったヂャンサンフォンと思紹はリーポー姫と出会って一緒に武当山に行くという話に変わっていた。ウリーがリーポー姫の家来役で出ていたのにはサハチも驚いた。このまま、リーポー姫と一緒に明国に行ってしまうのではないかと心配した。 その日は首里グスクでも南蛮の使者たちを招待して、思紹(中山王)とマチルギ、馬天ヌルたちによって送別の宴が行なわれていた。 翌日、旧港、ジャワ、トンドの船は出帆した。トンドのアンアン(安安)は来年も必ず来ると言った。シーハイイェン(施海燕)たちもスヒターたちもアンアンたちも、ササによろしくと言って帰って行った。 那覇館には誰もいなくなって、浮島は急に静かになった。 |
島添大里グスク
馬天浜