沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







戦闘開始




 四月六日の正午(ひる)頃、一千五百人の兵を率いて今帰仁(なきじん)に着いたサハチは城下を見て驚いた。焼け跡に驚いたのではない。焼け跡に造られた陣地を見て驚いていた。

 焼け跡の中に高い物見櫓(ものみやぐら)が三つも建っていて、グスクの前には(たて)がずらりと並んでいた。本陣となる仮小屋もできていた。

 兵たちを待機させて、サハチはファイチが造った道を馬で進んで本陣に向かった。朝鮮(チョソン)の綿布を使って造られた仮小屋の周りは綺麗に片付けられていて、その周りには焼け跡の残骸が、まるで石垣のように積み上げられてあった。仮小屋の隣りに物見櫓があって、上を見上げるとウニタキがいた。ウニタキが手招きしたので、サハチは上に上がった。

 高さ三(じょう)(約九メートル)はありそうな櫓の上から今帰仁グスクの中の様子がよく見えた。大御門(うふうじょう)(正門)の櫓の上と外曲輪(ふかくるわ)の石垣の上に弓矢を構えている兵がずらりと並んでいた。外曲輪内にも数百人の兵がいるようだ。避難民たちの姿は見えない。右の方に屋敷が何軒か建っているので、その中にいるのかもしれない。

 外曲輪内の右側と左側に物見櫓があって、見張りの兵がいた。外曲輪の物見櫓と向かい合う形で、焼け跡の中に物見櫓が建っていた。左側の物見櫓には誰もいないが、右側の物見櫓には人影が見えた。残骸を片付けている兵たちに指示を与えているのは、ファイチ(懐機)のようだった。

 広々とした外曲輪の向こうに、かつての大御門だった中御門(なかうじょう)があり、中御門の向こう側の中曲輪に二の曲輪へと向かう坂道が見えた。大きな屋敷もあり、ンマムイが来た時に滞在した客殿に違いない。坂道を登った所に御門があって、二の曲輪になるが、高い石垣に遮られて屋敷の屋根が見えるだけで、中の様子はわからなかった。その上にある一の曲輪の御殿(うどぅん)はよく見えた。首里(すい)グスクの百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)によく似た瓦葺きの御殿だった。山北王(さんほくおう)がいるあの御殿まで行くには容易な事ではなかった。

 中御門の左側には高い石垣に囲まれた三の曲輪がある。ンマムイから聞いた話だと、山北王は毎朝、三の曲輪で弓矢の稽古に励んでいたという。三の曲輪の右側に物見櫓があって人影が見えた。グスク内が見渡せる位置にあるので、山北王かもしれない。山北王には会った事はないが、武芸の達人だと聞いている。機会があれば戦ってみたいとも思った。石垣に隠れて三の曲輪の中は奥の方にある屋敷しか見えなかった。中御門の右側はカーザフと呼ばれる水源になっている岩場があった。

 外曲輪を奪い取ったとしても、中御門を破って、さらに坂道の上にある二の曲輪の御門を破らなければならない。現場に来て、今帰仁グスクの強固さを、サハチは改めて実感していた。

「敵の兵力は?」とサハチはウニタキに聞いた。

「およそ八百といった所だな。湧川大主(わくがーうふぬし)が逃げたあと逃亡兵がかなり出て、兵力が足らなくなったようだ。水軍の奴らも皆、グスク内に入っている」

「八百か‥‥‥」と言って、サハチは外曲輪にいる兵は半分の四百前後だろうと計算した。

志慶真曲輪(しじまくるわ)で問題が起こった」とウニタキが言った。

 サハチはウニタキを見た。

「志慶真曲輪を守っていた志慶真の兵が外曲輪に回されて、諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)謝名大主(じゃなうふぬし)の兵が志慶真曲輪を守っている」

「山北王にやられたか。そう簡単にはうまくいかんな」とサハチは苦笑した。

「志慶真ヌルは無事なんだな?」

「無事だ。志慶真村の人たちは志慶真ヌルを尊敬して、信頼もしているんだが、守備兵を変えられたので寝返る事はできなくなった」

「村人たちは志慶真曲輪に避難しているのか」

「ほとんどの者たちは志慶真ヌルの指示に従って逃げて行った。山北王と縁が深い者だけが志慶真曲輪に入った。志慶真大主と諸喜田大主の妻が入っている。具足師(ぐすくし)のシルーは家族を連れて奥間(うくま)に行った。諸喜田大主は志慶真ヌルを捕まえようとしたんだが、クボーヌムイ(クボー御嶽)に入ってしまったので捕まえられなかったんだ。今もクボーヌムイに籠もっている」

「そうか。無事でよかった」

 外曲輪の石垣に沿って、ずらりと並べられてある楯を見ながら、「見事な物だな」とサハチは言った。

「石垣の端から端までの距離を測って、それに会わせてファイチが用意したんだ。高さは六尺余り(約二メートル)、幅は三尺だ。ああやって立てて置く事もできるし、あれを持って進む事もできる。三百枚を使ったが、あと五百枚ある」

「八百枚も作ったのか。凄いな」

「敵には鉄炮(てっぽう)(大砲)がない。弓矢だけなら充分にあれで防げる。石垣を登る梯子(はしご)も三百本用意してある。それと、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクの大御門を攻めた時に、山北王の兵たちが使った丸太車(まるたぐるま)も六台ある。敵から奪った六つの鉄炮とヒューガ殿の船からはずした一つの鉄炮も移動できるように台の上に乗せてある。鉄炮を撃った時の反動を抑えるために、ファイチが色々と考えたらしい。ヒューガ殿の船からはずした鉄炮で、キラマ(慶良間)の無人島で何度も試し撃ちをしたようだ」

「そうか。この物見櫓も材木をあらかじめ切っておいて、ここで組み立てたんだな」

「そうだ。親泊(うやどぅまい)から運ぶのは大変だったようだが、キラマの若者たちが競争して運んでいたよ」

 サハチは十五年前の(うふ)グスク攻めを思い出していた。ファイチが考えて物見櫓を造ったが、あの時は木を伐り出す事から始まった。今回はあらかじめ用意した材料を船で運び、それを組み立てるだけだった。八百枚の楯といい、三百本の梯子といい、六台の丸太車といい、戦をするにも中山王の力というのは凄いものだった。

「邪魔な物があるな」とサハチは言った。

 ずらりと並んでいる楯と石垣の間に、逆茂木(さかもぎ)のように、焼け跡の残骸が積んであった。

「あれを片付けなければ外曲輪は攻められない。弓矢の射程距離にあるので、片付けるのは容易な事ではない」

「あの楯があれば何とかなるだろう」とサハチは言って、楯より手前の焼け跡を見た。

 先に来ていた兵たちが陣地を造るために残骸を片付けているが、まだまだ片付けきれてはいなかった。サハチが率いて来た兵たちにも手伝わせて片付けないと野営する場所もなかった。サハチは物見櫓から下りると、本陣に大将たちを集めた。

 三千人余りの兵が総出で残骸の片付けをしたので、日が暮れる前には、それぞれの陣地が確保できた。今帰仁グスクから攻撃してくる事はなかった。

 城下にあった井戸の近くに炊き出しをする場所も確保され、(かまど)も作られて、小荷駄隊を率いている外間親方(ふかまうやかた)の兵たちによって、いくつもの大鍋で米が炊かれた。

 陣地は二段構えで、先陣は左から慶良間之子(きらまぬしぃ)与那原大親(ゆなばるうふや)、久高親方、苗代之子(なーしるぬしぃ)伊波按司(いーふぁあじ)、山田按司、安慶名按司(あぎなーあじ)勝連按司(かちりんあじ)越来按司(ぐいくあじ)、ンマムイ、百名大親(ひゃくなうふや)で、大御門の正面には伊波按司と山田按司がいた。大御門を壊すための丸太車は伊波按司と山田按司に配備され、久高親方とンマムイの陣地には物見櫓があるので、敵の見張り役を担当した。他の大将たちには鉄炮が配備され、鉄炮を撃つのは、慣れているヒューガの配下の者たちだった。

 第二陣は先陣の後ろに陣を敷き、左から波平大主(はんじゃうふぬし)名護按司(なぐあじ)羽地按司(はにじあじ)、中グスク按司、北谷按司(ちゃたんあじ)苗代大親(なーしるうふや)浦添按司(うらしいあじ)国頭按司(くんじゃんあじ)恩納按司(うんなあじ)金武按司(きんあじ)古我知大主(ふがちうふぬし)で、サハチのいる本陣の前に苗代大親がいて、本陣を守っていた。

 篝火(かがりび)をいくつも炊いて、交代で夜番をしながら夜を明かした。

 夜明け前のまだ薄暗い頃、敵が初めて攻撃を仕掛けてきた。火矢を構えた兵たちが石垣の上に現れて、一斉に撃ってきた。楯を狙って撃ったのかと思ったら、楯と石垣の間にある積み上げられた残骸を目掛けて撃っていた。いくつもの火矢が残骸に刺さったが、残骸に火が付く事はなく、火は消えて行った。

 夜番の知らせで目を覚ましたサハチは、ファイチと一緒に物見櫓に登った。

「敵は何をやっているんだ?」とサハチはファイチに聞いた。

「多分、あの残骸には油が撒いてあったのでしょう。あれに火が付いて燃えれば煙が上がって前が見えなくなります。それを利用して攻撃を仕掛けるつもりだったのでしょうが、大雨で油は流れてしまったようです」

「成程」とサハチはうなづいて、タマ(東松田の若ヌル)が言った事を思い出していた。

「グスクの石垣の前で何かが燃えています。大雨が降ったあとに、今帰仁に行った方がいいと思います」とタマは言った。その時、何の事を言っているのかわからなかったが、あの残骸が燃えるという事だったのかと納得した。

 残骸が燃えないので、敵の火矢はそれぞれの陣地にある仮小屋を狙って撃って来た。反撃命令を出してくれと大将たちが集まって来た。

「鉄炮の試し撃ちをしましょう」とファイチが言った。

 サハチはうなづいて、弓矢で敵を倒す事と鉄炮の試し撃ちを命じた。

 すでに明るくなってきていた。先陣から飛んで行った弓矢が、火矢を撃っている敵兵を次々に倒していった。

 ファイチが扇子(せんす)を広げて、それを振り下ろすのを合図に、一番左側の鉄炮から爆音が響いて、鉄炮の玉が飛んで行った。玉は外曲輪を越え、三の曲輪も越えて、二の曲輪内に落ちたようだった。

 左から二番目の鉄炮から爆音が響いた。二発目は飛びすぎて、一の曲輪を越えて志慶真曲輪に落ちた。三発目は三の曲輪、四発目は二の曲輪の屋敷に当たり、五発目は一の曲輪まで飛んだが御殿には当たらず、六発目は三の曲輪の屋敷に当たった。一番右端の鉄炮から撃った七発目は二の曲輪の御内原(うーちばる)に当たったようだった。

 先陣にある物見櫓から落下地点を見ていた兵の報告を受けて、それぞれの鉄炮が一の曲輪の御殿に当たるように発射角度を調節した。

 鉄炮に驚いたのか、敵の攻撃がやんだ。

 朝食を食べたあと、本陣の後ろで控えていたサグルー、ジルムイ、マウシ、シラー、タクの五人の大将が、兵を率いて(から)め手の志慶真曲輪を攻めるために移動して行った。奥間のサタルーと『赤丸党』も志慶真曲輪攻めに参加する事になっていた。

 ヌルたちもサグルーたちと一緒に行き、クボーヌムイにいる志慶真ヌルと一緒に戦勝祈願を行なった。

 法螺貝(ほらがい)が鳴り響いて、楯と石垣の間にある残骸の片付け作戦が始まった。第二陣の前にも楯が並べられ、先陣の兵たちが楯を持って前進した。一つの楯に三人が隠れて前進し、第二陣の兵たちは先陣がいた所まで前進した。

 外曲輪の石垣から雨のように撃たれる弓矢を楯で受けながら前進して、残骸の向こう側で一人が楯を構え、二人が残骸を片付けた。

 第二陣の兵たちは石垣の上から弓矢を撃っている敵兵を狙って弓矢を撃った。

 残骸を片付けている兵の何人かが敵の矢に当たって倒れたが、総勢一千人余りで片付けているので、四半時(しはんとき)(三十分)も掛からずに片付け終わり、隊と隊の間に残骸の山がいくつもできた。法螺貝の合図で、第二陣も先陣も後退して、もとに位置に戻った。負傷者は十八人出たが、戦死者は出なかった。

 奥間大親(うくまうふや)(キンタ)が、負傷兵の手当を担当していて、無精庵(ぶしょうあん)と一緒に後方で待機していた。負傷した兵はそこに運ばれて治療された。

 邪魔な障害物が撤去されたので、いよいよ、戦闘開始だった。大将たちが本陣に集められて、作戦の確認が行なわれた。大将たちは総大将のサハチと戦勝を祈願して祝杯を挙げると散って行った。

 勝連按司のサムが、「マチルギが来ないとは驚いた」とサハチに言った。

「幼い頃から敵討ちの事しか頭になかったマチルギが、今回の今帰仁攻めを一番喜んでいるだろうと思っていたんだ」

「チューマチが山北王の娘のマナビーを嫁に迎えたからマチルギも悩んだようだ。マナビーはいい娘だからな。マナビーのために出陣を諦めたんだよ」

「そうか。マチルギのためにも俺たち兄弟が頑張らなくてはならんな」

「期待しているよ」とサハチは笑った。

 先陣と第二陣が入れ替わって、先陣の楯に刺さっている矢が回収された。

 法螺貝が鳴り響いて、弓矢の撃ち合いが始まった。鉄炮の音も響き渡った。二台の丸太車が大御門を目指して突進した。梯子を持った先陣の兵が楯に隠れながら前進した。第二陣の兵が弓矢を撃ちながら、先陣が前進するのを援護した。

 サハチとファイチは物見櫓の上から戦況を見ていた。二台の丸太車は同時に大御門にぶち当たったが、大御門が壊れる事はなかった。

「あの御門は鉄板で補強してあります。簡単には壊れないでしょう」とファイチが言った。

 サハチはうなづきながら、鉄炮の玉を見ていた。一の曲輪と二の曲輪に集中して玉が落ち、何発かは屋敷に命中していた。

「石が飛んできました」とファイチが言った。

 外曲輪内に奇妙な物がいくつかあって、そこから石が飛んできていた。第二陣の陣中に落ちて、兵たちが逃げ回った。人の頭くらいの大きさの石で、当たれば即死だろう。

襄陽砲(シャンヤンパオ)という投石機です」

「明国の武器なのか」

「そうです。リュウイン殿が造ったのでしょう」

「まいったな」と言って、サハチは物見櫓の下で待機している兵を呼んで、投石機を鉄炮で狙うように命じた。

 先陣の兵たちが石垣の下まで行って、梯子を立て掛けたが、石垣の上から攻撃されて、梯子を登る事はできなかった。

「丸太車がやられたようです」とファイチが言った。

 大御門を見ると二台の丸太車の上に大きな石が乗っていて、潰れているようだった。

「一旦、退却させて、丸太車を調べた方がいいでしょう」とファイチが言ったので、サハチは退却命令を出した。

 太鼓の音が鳴り響いて、石垣に取り付いていた兵たちが退却した。負傷兵がかなり出たようだった。鉄炮の音もやんで、石も飛んでこなくなった。丸太車は大御門の前から戻っては来なかった。

 丸太車を担当している北谷按司と浦添按司の兵が楯に隠れながら丸太車に近づいた。大御門の櫓の上から弓を構えた兵がいたが、投げ槍にやられて倒れた。誰が投げたのか、投げ槍は鎧を貫通していた。それに驚いて、敵も弓矢を撃っては来なかった。

 丸太車は回収された。直径三尺近くもある大石によって屋根は潰され、中にいた兵は圧死していた。生きている兵も重傷を負っていた。

 戦死した兵と負傷兵を奥間大親のもとに送って、兵たちを休息させた。最初の総攻撃で戦死者が十三名、負傷者が四十二名も出ていた。奥間大親の配下の者たちでは手に負えないので、運天泊(うんてぃんどぅまい)にいる勝連の水軍兵を呼ぶ事にした。

 昼食を取り、先陣と第二陣を入れ替えて、二度目の総攻撃が始まった。大御門の上の櫓の中にまだ大石があるかもしれないので、丸太車は使えなかった。鉄板の屋根で覆われているので、上は見えず、逃げる事もできない。恐怖心に襲われて、誰も丸太車を押したがらなかった。

 鉄炮の音が鳴り響き、弓矢の撃ち合いが始まり、石が飛んできた。先陣の兵たちが石垣に梯子を掛けて登ろうとするが、うまくいかない。皆、石垣の上に届く前に梯子から落とされていた。敵は弓矢だけでなく、石つぶても投げていた。

 突然、大御門が開いて、馬に乗った武将が二人現れた。サムレー大将の下間大主(しちゃまうふぬし)具志堅大主(ぐしきんうふぬし)だった。鉄炮の音がやんで、弓矢の撃ち合いも止まった。二人は名前を名乗って一騎打ちを所望(しょもう)した。

 サハチは石垣に取り付いていた兵を撤収させた。苗代之子と安慶名按司が馬に乗って、一騎打ちに応じた。大御門の右側で安慶名按司と下間大主、左側で苗代之子と具志堅大主の一騎打ちが始まった。四人とも得物(えもの)は太刀だった。馬がすれ違うと太刀と太刀がぶつかる音が響き渡った。お互いの場所が入れ替わって、二度目の攻撃の時、下間大主も具志堅大主も相手の馬の首を斬った。馬は悲鳴を上げて立ち上がり、苗代之子も安慶名按司も馬から落ちた。それが合図だったかのように、大御門から騎馬武者が次々に飛び出して来た。二十騎はいるようだった。

 騎馬武者たちは中山王の陣地に突入して、武器を振り回した。あちこちで乱戦が始まった。突然の敵の攻撃に驚いた中山王の兵たちも、大将の冷静な指示によって陣を立て直して騎馬武者と戦った。馬上の敵は次々に倒されていった。

 大御門の櫓の上から撤収の合図の法螺貝が鳴って、騎馬武者は引き上げて行ったが、その数は半数を満たなかった。引き上げる騎馬武者を追って、馬上の勝連按司と越来按司が兵を率いて外曲輪に突入した。ンマムイも兵を率いてあとを追ったが、大御門は閉じられ、弓矢の攻撃が始まって引き下がった。

 物見櫓から戦況を見ていたサハチは、外曲輪に突入した勝連按司と越来按司の兵が、待ち構えている敵にやられているのを見た。

「敵の(わな)にはまった」とファイチに言うと、サハチは物見櫓から下りて先陣に行き、「勝連按司と越来按司を助けろ!」と叫んだ。

 梯子を持った兵たちが楯を持って進み、石垣に取り付いた。敵に倒されても、兵たちは次から次へと梯子を登った。最左翼の慶良間之子の兵が石垣の上まで達して、石垣の上にいる兵たちを倒していった。右翼でもンマムイの兵が石垣の上に達した。伊波按司の兵も石垣を攻略して大御門の上にある櫓に突入した。

 サハチも大御門のそばの梯子を登って櫓に上がり、外曲輪内を見た。敵味方入り乱れての乱戦が始まっていた。味方の兵によって、大御門が開かれて、中山王の兵たちが外曲輪内になだれ込んだ。

 馬に乗った敵の大将たちは中御門の中に逃げて行った。取り残された敵兵は皆、討ち死にした。

 大御門の櫓から降りたサハチは勝連按司と越来按司を探した。二人とも壮絶な戦死を遂げていた。弓矢が何本も刺さり、あちこちに刀傷があった。勝連按司の近くには戦死した敵将が血だらけになって転がっていた。

「サム‥‥‥」とつぶやき、無念な目つきで目を見開いている勝連按司の目を閉じた。サハチの目から涙がこぼれ落ちた。

 サムが戦死するなんて考えてもいない事だった。マチルギと一緒に佐敷グスクに来て、クマヌの娘のマチルーと仲良くなって、一旦、伊波に帰ったがまた戻って来て、サハチの家臣になってくれた。義兄というより、信頼していた友だった。こんなにもあっけなく亡くなってしまうなんて信じられなかった。

 越来按司は叔父だった。祖父の美里之子(んざとぅぬしぃ)を、大グスク按司と島添大里按司(汪英紫)との決戦で失い、今帰仁攻めで叔父を失ってしまった。サハチは母の顔を思い浮かべ、すまない事をしてしまったと詫びた。

 戦死した者と負傷兵を大御門の脇にある芝居小屋に集めるようにサハチは命じて、右奥にある屋敷に向かった。

 四つの屋敷と仮小屋もあって避難民たちがいた。ウニタキの姿を見つけたサハチはそばに行った。

「山北王の側室のウクとミサだ」とウニタキは二人の女を紹介した。

 ウクは娘のママキと一緒にいた。ウクは三十代の半ばで、優しそうな美人だった。テーラーが惚れたのもわかるような気がした。ママキは瀬長按司(しながあじ)の息子と婚約をした娘だろう。ウクによく似ていた。ミサは二十代半ばの勝ち気そうな美人だった。思紹(ししょう)の娘で、サハチの妹になるわけだが、本人はまだその事は知らないようだった。

「俺の配下のフミは御内原にいる。これをウクに渡したそうだ」

 そう言って、ウニタキはサハチに紙切れを渡した。紙切れを受け取って開いてみると、敵の大将の守備位置が書いてあった。

「お手柄だ」とサハチはウクに言った。

「奥間の人たちは奥間に戻れたのですね?」とウクは聞いた。

 サハチはうなづいた。

「奥間ヌルが来ている。奥間ヌルから詳しい話を聞いたらいい」

 ウクとミサはサハチにお礼を言った。

 『よろずや』のイブキたちもいて、「今回は役に立てなかったようじゃな」と苦笑した。

 二百人近くの避難民を親泊に送るように命じて、サハチはウニタキと一緒に芝居小屋に向かった。

「サムが戦死した」とサハチが言うと、驚いた顔をして、ウニタキが立ち止まった。

「サムが‥‥‥」

「越来按司もだ」

「なに、越来按司も戦死したのか‥‥‥」

 越来按司はウニタキの義兄だった。

「戦に戦死は付き物だとわかってはいても、まさか、サムと叔父が亡くなるなんて考えてもいなかった」

「戦死した二人のためにも、絶対に山北王を倒さなくてはならんな」

 サハチは(こぶし)をきつく握りしめて、一の曲輪の御殿を見上げた。



 二度目の総攻撃で外曲輪を攻め取る事に成功したが、損害は想像以上に大きかった。勝連按司と越来按司が戦死して、越来按司の次男の美里之子も戦死していた。

 美里之子は父と兄が越来に移ったあとも、武術道場を守るために佐敷に残っていた。祖父の名を継いで、佐敷の若い者たちを鍛えていたのに戦死してしまった。

 その他の戦死者が八十六人も出て、今日一日で戦死者は百人を超え、負傷者も百人を越えていた。

 戦死者と負傷兵を奥間大親のもとに送って、芝居小屋に本陣を移し、それぞれの陣地も外曲輪内に移動した。鉄炮だけはそのままの位置に置いた。外曲輪内に入ると近すぎて、返って狙いが定まらなかった。

 サハチはウニタキと一緒に外曲輪内にある物見櫓に登って、陣地移動している兵たちを眺めた。ここからも、高い石垣で囲まれている三の曲輪内は見えなかった。

「敵は投石機を忘れて行ったようだ」とサハチは笑った。

 三台の投石機が起きっぱなしで、ファイチが調べていた。

「鉄炮を奪われたんで、慌てて用意したのかもしれんな」とウニタキが言って、下に見える屋敷を見ながら、

「あの屋敷で暮らしていたトゥイ様の姉のマティルマ様と久高ヌルの母親のマアミ様は屋我大主(やがうふぬし)と一緒に名護に逃げたそうだ」と言った。

「そうか。無事でよかった。久高ヌルも母親を心配して一緒に来ている」

「さっきの紙を持っているか」とウニタキが言った。

「持っているよ」

「三の曲輪の所をよく見たか」

 ざっと見ただけで、よく見ていなかった。サハチは鉢巻きに挟んでいた紙を取って開いて見た。三の曲輪の所に下間大主、具志堅大主、謝花大主(じゃふぁなうふぬし)伊江按司(いーあじ)と大将たちの名前が並んでいるが、その中に『抜け穴』と書いてあった。

「三の曲輪に抜け穴があるのか」

「あるらしい。ただ、攀安知(はんあんち)も知らないようだ。千代松(ちゅーまち)が作った抜け穴で、千代松の娘婿だった帕尼芝(はにじ)は知っていたようだ。抜け穴を利用してグスクを落としたらしい。帕尼芝が前回の今帰仁攻めで急に戦死したため、跡を継いだ(みん)も攀安知も抜け穴の事は知らなかった。攀安知は志慶真の長老から三の曲輪に抜け穴があるらしいと聞いて、探してみたが見つからなかったようだ」

「三の曲輪を奪い取る事ができれば、あとは力攻めで、何とかなりそうだな」

「グスクが落ちるまで、俺の仕事はないから、抜け穴を探してみようと思う。出口は志慶真川の崖のどこかにあるはずだ」

「そうか。気を付けろよ」

「サタルーたちと協力してやってみるよ」

「大グスク攻めを思い出すな。あの時、抜け穴を見つけたのはファイチだった」

「大グスクの抜け穴はウタキの中にあったが、三の曲輪にはウタキはないようだ」

「そうか。攀安知に見つけられなかったという事は帕尼芝によって埋められたのかもしれんぞ」

「それもありえるが、もし、グスクの下に大きなガマ(洞窟)があったとしたら、他にも出口があるかもしれん」

「二十五年前、山田按司は志慶真川の崖をよじ登って、御内原に侵入したんだったな」

「そうだが、守りは強化されているだろう。御内原に侵入できれば、そこを守っているのはテーラーだ。ウクは助け出したし、テーラーが寝返れば勝てるだろう」

「山グスクで鍛錬した者たちが御内原に侵入する事を祈ろう」

 志慶真川の様子を見てくると言ってウニタキは物見櫓を降りて行った。





今帰仁グスク




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