1355年 |
1月 |
父察度が倭寇から贈られた高麗美人ウニョンを側室に迎える。 |
|
1356年 |
|
長兄フニムイ(武寧)が生まれる。母親は側室ウニョン。 |
|
1357年 |
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次兄のカジムイ(米須按司)が生まれる。母親は側室チルー(米須按司の娘)。 |
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1359年 |
|
三兄のフシムイ(越来按司)が生まれる。母親は側室チルー(米須按司の娘)。 |
|
1360年 |
|
姉のマティルマが生まれる。母は正妻マナビー(勝連按司の娘)。 |
|
1362年 |
|
正妻が亡くなり、長男を産んだウニョンが後妻になる。 |
|
1363年 |
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浦添グスクで浦添按司察度の六女に生まれる。母は後妻のウニョン。 |
1歳 |
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|
カジムイが米須按司の養子になって米須に行く。 |
|
1364年 |
|
弟のシュームイ(瀬長按司)が生まれる。母は側室の北谷按司の娘。 |
2歳 |
1371年 |
|
八重瀬按司の娘ウシが兄のフニムイに嫁ぐ。ウシの侍女ナーサも来る。 |
9歳 |
1372年 |
|
父が明国との進貢を始め、中山王になる。母が王妃になる。 |
10歳 |
|
10月 |
叔父の小禄按司(泰期)が使者として明国に行く。 |
|
1373年 |
5月 |
叔父が帰国する。 |
11歳 |
|
|
父と一緒に浮島に行き、父がウミンチュたちに慕われているのを見る。下の者を決して見下してはならない。大切にしろと教わる。 |
|
|
|
フニムイの長女、ウニョンが生まれる。本当の母親はナーサ。 |
|
1375年 |
12月 |
父が今帰仁按司と同盟を結び、今帰仁按司の三女マアミが兄のフシムイに嫁いで来る。 |
13歳 |
1376年 |
5月 |
姉のマティルマが今帰仁按司の三男永良部按司に嫁ぐ。 |
14歳 |
1377年 |
7月 |
叔父が読谷山宇座で馬の飼育を始める。 |
15歳 |
|
|
宇座の牧場で馬術を習う。 |
|
1378年 |
|
八重瀬按司(汪英紫)の次男シタルーに嫁いで、新グスクに入る。 |
16歳 |
1379年 |
|
兄のフシムイが越来按司になる。 |
17歳 |
1380年 |
3月 |
義父汪英紫が島添大里グスクを攻め取り、島添大里按司になる。 |
18歳 |
|
|
義兄のタブチが八重瀬按司になり、シタルーと一緒に島添大里グスクに移る。 |
|
|
|
長女マアサが生まれる。 |
|
|
10月 |
島尻大里按司が明国に進貢して、山南王になる。 |
|
1382年 |
|
次女マナビー(豊見グスクヌル)が生まれる。 |
20歳 |
|
10月 |
今帰仁按司が明国に進貢して、山北王になる。 |
|
1385年 |
2月 |
大グスクを攻め取り、シタルーが大グスク按司になる。 |
23歳 |
|
|
長男タルムイが生まれる。 |
|
1386年 |
|
長女マアサが病死する。 |
24歳 |
1388年 |
|
三女ウミトゥクが生まれる。 |
26歳 |
|
6月 |
フニムイの長女ウニョンが勝連按司の三男ウニタキに嫁ぐ。 |
|
1389年 |
4月 |
豊見グスクを築き、シタルーが豊見グスク按司になる。 |
27歳 |
|
5月 |
父察度が高麗に使者を遣わし、倭寇に捕らえられた高麗人を送り返す。 |
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|
|
次男ジャナムイが生まれる。 |
|
1390年 |
9月 |
四女マジニが生まれる。 |
28歳 |
1391年 |
4月 |
今帰仁合戦。 シタルーは佐敷按司と一緒に名護グスクを押さえ、義父汪英紫は水軍の大将として活躍し、義兄タブチは今帰仁攻めで活躍する。
山北王帕尼芝が戦死して、珉が山北王になる。 |
29歳 |
1392年 |
1月 |
佐敷按司が隠居して、若按司のサハチが按司になる。 |
30歳 |
|
5月 |
父察度が浦添按司をフニムイに譲り、首里天閣に移る。 |
|
|
|
ナーサが浦添グスクの御内原の侍女の頭になる。 |
|
|
8月 |
姪のウニョンとウニタキが山賊に襲撃されて亡くなる。 |
|
|
10月 |
シタルーが従弟のサングルミーと一緒に明国に留学する。 |
|
1393年 |
1月 |
次女マナビーがヌルの修行のために島添大里グスクに行く。 |
31歳 |
|
7月 |
三男グルムイが生まれる。 |
|
|
10月 |
父察度が山北王珉と同盟する。 |
|
1394年 |
3か |
甥のンマムイが山北王珉の娘マハニを妻に迎え、姪のマアサが今帰仁に嫁ぐ。
浦添グスクの婚礼後の祝宴の最中に山南王が武寧の側室、高麗美人セヨンを盗み出す。 |
32歳 |
|
5月 |
義父汪英紫が島尻大里グスクを攻め落として山南王になる。 |
|
1395年 |
2月 |
甥のンマムイが進貢船に乗って明国に行く。 |
33歳 |
|
3月 |
山北王珉が亡くなり、若按司の攀安知が山北王になる。 |
|
|
7月 |
シタルーが明国から帰国する。 |
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|
10月 |
父の中山王察度(75)が亡くなり、兄のフニムイが武寧の名で中山王になる。 |
|
|
|
シタルーが国吉大親の妹サラを側室に迎える。 |
|
1396年 |
5月 |
シタルーが国場川でハーリーを催す。 |
34歳 |
|
|
側室サラ(国吉大親の妹)が五女マアサを産む。 |
|
1397年 |
3月 |
甥のイシムイと玉グスク按司の娘ウニタルの婚礼が浦添グスクで行なわれ、琉球中の按司が集まる。 |
35歳 |
|
|
側室サラが四男シルムイを産む。 |
|
|
|
シタルーが瀬長按司から側室ミミを贈られる。 |
|
1398年 |
1月 |
マナビーが豊見グスクヌルになる。 |
36歳 |
|
2月 |
叔父の宇座の御隠居(泰期)が亡くなる。 |
|
|
7月 |
台風で首里天閣が倒壊する。 |
|
|
|
側室ミミが六女マカマドゥを産む。 |
|
1399年 |
|
側室サラが七女マチルーを産む。 |
37歳 |
1400年 |
8月 |
訪ねて来た唐人ファイチ(懐機)をシタルーが歓迎する。 |
38歳 |
1401年 |
3月 |
母ウニョン(63)が亡くなる。 |
39歳 |
|
11月 |
義父の山南王が亡くなり、シタルーとタブチと家督争いが始まる。 |
|
|
12月 |
豊見グスクがタブチの兵に包囲される。 |
|
1402年 |
1月 |
シタルーがタブチに勝って山南王になり、島尻大里グスクに移って、王妃になる。 |
40歳 |
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|
佐敷按司(サハチ)が義弟のヤフスを殺し、島添大里按司になる。 |
|
|
|
中程大親が負傷して、シタルーの護衛役を引退し、子供たちに読み書きを教える。 |
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|
|
シタルーが豊見グスク城下の南風原の娘マーチを側室に迎える。 |
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|
|
奥間からシタルーに側室チヨが贈られる。 |
|
|
|
シタルーが石屋のテハに情報集めをするように命じる。 |
|
|
4月 |
サハチと同盟を結び、長男タルムイがサハチの妹マチルーを妻に迎え、豊見グスク按司になる。 |
|
|
12月 |
シタルーが山南王世子汪応祖として進貢船を明国に送る。 |
|
|
|
側室チヨが八女ママチーを産む。 |
|
1403年 |
1月 |
三女のウミトゥクがサハチの弟クルーに嫁ぐ。 |
41歳 |
|
5月 |
シタルーが義兄の中山王武寧と相談しながら、首里にグスクを造り始める。 |
|
|
6月 |
進貢船が帰国する。
山南王の家臣たちには帰国祝いの宴があるが、船乗りたちにはなく、照屋大親がねぎらっていた。それを知って、侍女たちを引き連れて糸満港に行き、船乗りたちを慰労する。 |
|
|
|
座波ヌルが五男ルクルーを産む。 |
|
|
|
座波ヌルを調べるように石屋のテハに頼む。 |
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|
8月 |
明国から使者が来て、来年、冊封使が来る事を伝える。 |
|
|
|
シタルーと武寧が首里のグスクで冊封の儀式をする事に決め、それにふさわしい会場造りに変更する。 |
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|
|
側室マーチが六男シチルーを産む。 |
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|
閏10月 |
明国からの使者が帰る。 |
|
1404年 |
4月 |
明国から初めて冊封使が来る。 |
42歳 |
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5月 |
シタルーがハーリーに冊封使たちを招待する。 |
|
|
|
武寧が首里の宮殿で冊封を受け、正式に中山王となる。 |
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|
6月 |
シタルーが首里の宮殿で冊封を受け、正式に山南王となる。 |
|
|
|
首里の宮殿を増築して、首里グスクにするための工事が再開される。 |
|
|
11月 |
冊封使が帰国する。 船乗りたちの慰労の屋敷を糸満湊に建てる。
慶良間から来た船乗りたちは粗末な小屋で寝泊まりしていたので、寝泊まりができ、宴会もできる大きな屋敷を建てる。いつしか「トゥイ御殿」と呼ばれるようになる。 |
|
|
|
シタルーが兄武寧を探るため、中程大親の娘アミーを武寧の側室にする。 |
|
1405年 |
2月 |
進貢船に乗って長男タルムイが明国に行く。 |
43歳 |
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3月 |
次男のジャナムイに中グスクの娘ナチが嫁いで来る。
婚礼に南部の按司たちが集まる。 |
|
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|
座波ヌルが七男ハチルーを産む。 |
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|
7月 |
大きな台風が来て、首里グスクの石垣が倒壊する。 |
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1406年 |
1月 |
中山王武寧と八重瀬按司(タブチ)が同盟する。 |
44歳 |
|
|
首里グスクが完成する。 |
|
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|
シタルーがヤンバルの材木屋から側室カヤを贈られる。 |
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|
2月 |
武寧とタブチの兵に島尻大里グスクを包囲される。 |
|
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|
兄の武寧が殺され、首里グスクをサハチに奪われる。 |
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|
|
サハチが浦添グスクを焼き払う。 |
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|
|
首里グスクでサハチの父が思紹の名で中山王になる。 |
|
|
|
アミーが戻り、シタルーの命令で武寧を殺したと聞いて驚く。 |
|
|
4月 |
シタルーがサハチと改めて同盟を結ぶ。 |
|
|
6月 |
シタルーが中山王に側室チタを贈る。 |
|
|
|
中山王からシタルーに側室マクムが贈られる。 |
|
1407年 |
1月 |
アミーが娘たちを鍛えるため粟島(粟国島)に行く。 |
45歳 |
|
|
義兄タブチが中山王の進貢船に乗って、サハチと一緒に明国に行く。 |
|
|
|
シタルーが兼グスク按司(ンマムイ)と瀬長按司と改めて同盟を結ぶ。 |
|
|
|
李仲が伊敷の南にグスクを築き、李仲按司を名乗る。 |
|
|
|
シタルーがタブチの留守に米須按司、具志頭按司、真壁按司、伊敷按司を寝返らせる。 |
|
|
6月 |
シタルーが粟島に行っている留守にテハが側室マクムに手を出し、テハの弱みを握る。 |
|
|
7月 |
中山王の進貢船が帰り、サハチとタブチが帰国する。 |
|
|
|
パレンバンの船に乗って張三豊が琉球に来る。 |
|
|
8月 |
李仲按司が連れて来た張三豊をシタルーが歓迎する。 |
|
|
|
側室カヤが九女マカミーを産む。 |
|
|
10月 |
四女マジニが承察度の六男クルクに嫁ぐ。 |
|
|
|
シタルーの母が八重瀬で亡くなるが、シタルーは葬儀に参加せず。 |
|
1408年 |
1月 |
進貢船に乗って次男ジャナムイが明国に行く。 |
46歳 |
|
|
アミーの妹ユーナが島添大里の女子サムレーになる。 |
|
|
|
側室マクムが十女マアミを産む。 |
|
|
3月 |
甥のイシムイが久高島に行く中山王思紹を襲撃するが失敗する。 |
|
|
5月 |
ハーリーにサハチと一緒に来た張三豊と出会ったンマムイが、サハチの襲撃をやめて島添大里に行く。 |
|
|
6月 |
シタルーが長嶺グスクを築き始める。 |
|
|
|
側室サラが八男クルーを産む。 |
|
1409年 |
2月 |
進貢船に乗って娘婿クルクが明国に行く。 |
47歳 |
|
閏3月 |
五女マアサが具志頭按司の若按司に嫁ぐ。 |
|
|
4月 |
サハチがンマムイを連れてヤマトゥに行く。 |
|
|
5月 |
ハーリーに思紹が来て、中山王の龍舟が参加する。 |
|
|
9月 |
台風が来て、帰国した進貢船が座礁する。 |
|
|
10月 |
具志頭按司が亡くなり、娘婿の若按司が按司になる。 |
|
|
|
長嶺グスクが完成し、娘婿のクルクを長嶺按司にする。 |
|
|
11月 |
具志頭按司がタブチに殺され、ヤフスの息子が具志頭按司になる。
戦死した具志頭按司の妻マアサが島尻大里に戻って来る。 |
|
|
|
首里グスクの高楼が完成する。 |
|
|
12月 |
サハチがパレンバンの船を連れて帰国する。 |
|
1410年 |
1月 |
マアサがンマムイの阿波根グスクに通って武芸を習う。 |
48歳 |
|
3月 |
宇座按司の娘マジニがサハチの甥シタルーに嫁ぐ。 |
|
|
|
中山王思紹が張三豊と明国に行く。 |
|
|
4月 |
中山王がヤマトゥと朝鮮に使者を送る。 |
|
|
6月 |
シタルーが山北王と同盟を結ぶためにンマムイを使者として今帰仁に送る。 |
|
|
7月 |
シタルーが、ヤンバルの山中でンマムイの家族を暗殺して、中山王の仕業にしようと企むが失敗する。 |
|
|
8月 |
山北王との同盟が決まる。 |
|
|
|
山北王の若按司ミンと婚約した八女ママチーと母親チヨが今帰仁に行く。 |
|
|
10月 |
米須按司、玻名グスク按司が寝返り、中山王の進貢船に乗って明国に行く。 |
|
|
|
三男グルムイが山北王の長女マサキを妻に迎える。 |
|
|
|
シタルーが阿波根グスクを襲撃して、ンマムイ夫婦の暗殺を企むが失敗する。 |
|
|
|
ンマムイが出て行った阿波根グスクに次男ジャナムイが入り兼グスク按司になる。 |
|
|
|
中山王思紹が張三豊と帰国する。 |
|
1411年 |
1月 |
マーサが女子サムレーにするために3人の娘を鍛える。 |
49歳 |
|
4月 |
保栄茂グスクが完成して、三男グルムイが保栄茂按司になる。 |
|
|
5月 |
ハーリーに山北王の龍舟が参加し、中山王は参加しない。 |
|
|
|
山北王が伊是名島を攻めるが中止して、中山王と同盟を結ぶ。 |
|
|
|
シタルーがサハチと会って山南王と中山王の同盟を決め、三王同盟となる。 |
|
|
|
シタルーがサハチとタブチに側室を贈ると、タブチから側室カニーが贈られ、サハチから側室マフニが贈られる。 |
|
|
9月 |
サハチがタブチを中山王の正使に任命する。 |
|
|
11月 |
タブチが正使を務める中山王の進貢船に隠居した真壁按司と伊敷按司が乗っていく。 |
|
|
閏12月 |
進貢船に乗って三男グルムイが明国に行く。 |
|
1412年 |
2月 |
首里グスクでサハチの四男チューマチと山北王の次女マナビーの婚礼が盛大に行なわれる。 |
50歳 |
|
4月 |
シタルーの姉ウシが八重瀬で亡くなるが、シタルーは葬儀に行かない。 |
|
|
5月 |
ハーリーに三王の船が揃う。 |
|
|
6月 |
六女マカマドゥが真壁の若按司に嫁ぐ。 |
|
|
|
娘の豊見グスクヌルが馬天ヌルと一緒に南部を旅する。 |
|
|
9月 |
シタルーが父親の夢を見てうなされるようになる。 |
|
|
11月 |
タブチが正使を務める中山王の進貢船に米須按司、玻名グスク按司、山グスク大主、ナーグスク大主が乗っていく。 |
|
|
|
シタルーがサハチの暗殺に失敗し、アニーとユーナの姉妹が戦死する。 |
|
1413年 |
2月 |
長嶺按司の妻マジニが双子の娘を産む。 |
51歳 |
|
4月 |
進貢船の正使として李仲按司が明国に行く。 |
|
|
7月 |
馬天ヌルの安須森参詣に南部のヌルたちも参加する。 |
|
|
|
兄の米須按司が隠居して摩文仁大主を名乗る。 |
|
|
|
中グスク按司の娘が米須の若按司に嫁ぐ。 |
|
|
10月 |
シタルーがタブチの息子チヌムイに殺され、タブチがシタルーの遺体を運んで島尻大里グスクに来る。
タブチが重臣たちに押されて山南王になる。 |
|
|
|
王印を持って豊見グスクに逃げ、息子たちにシタルーの死を告げる。 |
|
|
|
兼グスク按司(ジャナムイ)と長嶺按司が八重瀬グスクを攻める。 |
|
|
|
タルムイが兵を率いて島尻大里グスクに行き、シタルーの遺体を引き取る。 |
|
|
|
豊見グスクでシタルーの葬儀を行なう。 |
|
|
|
戦に介入しないように、中山王に書状を送り、本部のテーラーに書状を持たせて今帰仁に送る。 |
|
|
|
タルムイが照屋グスク、糸満グスク、大グスクを攻め、タブチが阿波根グスク、保栄茂グスクを攻める。タブチに従った東方の按司たちが長嶺グスクを攻める。 |
|
|
11月 |
照屋大親のお陰で明国から帰国した山南王の進貢船を手に入れる。 |
|
|
|
正使として明国に行った李仲按司が帰って来て、タルムイの軍師になる。 |
|
|
|
タブチの兵が豊見グスクに攻めて来るが待ち構えて追い払い、追撃して多数の兵を討ち取る。 |
|
|
|
タブチとチヌムイが八重瀬グスクで戦死し、兄の摩文仁(前米須按司)が山南王になる。 |
|
|
|
八重瀬グスクを攻め落としたサハチが弟の与那原大親を八重瀬按司にする。 |
|
|
|
サハチが具志頭グスクを攻め取り、息子のイハチを具志頭按司にする。 |
|
|
12月 |
サハチが玻名グスクを攻める。 |
|
|
|
甥のイシムイが賀数グスクを奪い捕り、賀数按司を名乗る。 |
|
|
|
テーラーが李仲按司と相談して、豊見グスクと保栄茂グスクの中程にある山の上にグスクを築き始める。 |
|
1414年 |
1月 |
山南王妃をマチルーに譲り、タルムイに王印を渡す。 |
52歳 |
|
|
宅間之子が訪ねて来て、シタルーに頼まれていた「山南志」と抜け穴の図を持ってくる。 |
|
|
|
李仲按司が抜け穴の出口を塞ぎ、敵の按司たちを島尻大里グスクに閉じ込める。 |
|
|
|
タルムイが総攻撃を掛けて島尻大里グスクを包囲する。 |
|
|
|
新年の挨拶に来たウミトゥクと一緒に手登根グスクに行く。 |
|
|
|
手登根グスクに来た思紹と会い、中山王が戦に介入する事を許す。 |
|
|
|
ウミトゥクと一緒に島添大里グスクに行ってユーナと会い、ユーナを豊見グスクに連れて行き父親と会わせる。 |
|
|
|
山グスク按司が総攻撃を掛けて、島尻大里グスク内にいた按司たちを外に出す。 |
|
|
|
山北王の兵300人が糸満の港から上陸して、保栄茂グスクの北西にある座安森と呼ばれる山の上に本陣を敷く。 |
|
|
|
山北王の兵が島尻大里グスク攻めに加わる。 |
|
|
|
真栄里按司と新垣按司がタルムイに降伏する。 |
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|
2月 |
島添大里按司が玻名グスクを攻め落とし、家臣の奥間大親を玻名グスク按司にする。 |
|
|
3月 |
タルムイと山北王の兵に攻められて島尻大里グスクが落城し、摩文仁が戦死する。 |
|
|
|
島尻大里グスクで与座按司、真壁按司、摩文仁按司、伊敷按司、新垣大親、真栄里大親、真壁之子、新垣之子の八人が処刑される。 |
|
|
|
島尻大里グスクで山南王就任の儀式が行なわれ、タルムイは他魯毎の名で山南王になる。
次男の兼グスク按司が豊見グスク按司になり、四男のシルムイが阿波根グスクに入り、阿波根按司になる。 |
|
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|
伊敷グスクは李仲按司が管理する事となり、山北王の兵たちが夏まで滞在する。 |
|
|
|
サハチが山グスクを攻め落とす。 |
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4月 |
喜屋武ヌルになった前島尻大里ヌルが玻名グスクヌルと一緒に戦死した兵たちを供養して回る。 |
|
|
5月 |
伊敷グスクにいた山北王の兵たちが今帰仁に帰る。 |
|
|
6月 |
手登根グスクのお祭りに行き、サハチと会い、ナーサの事を聞く。 |
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7月 |
首里の遊女屋「宇久真」に行き、ナーサと再会して、一緒に奥間に行く約束をする。 |
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10月 |
シタルーの一周忌。 |
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|
|
ナーサと一緒にヤンバルの旅に出る。 |
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|
|
勝連の浜川泊で、ナーサから姪のウニョンの実の母親がナーサだと聞いて驚き、ウニョンの夫だった浜川大親は生きていて、ウニタキだと聞いて、さらに驚く。 |
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|
恩納岳の木地屋の屋敷に泊まり、奥間の長老の跡継ぎがサハチの息子だとナーサから聞いて驚く。 |
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|
奥間に着き、長老の妻サクラが、父が奥間に来て、奥間の娘に生ませた姉だと聞いて驚く。 |
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サタルーと会い、サハチがヤマトゥの将軍と会ったと聞いて驚く。 |
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今帰仁に行き、研ぎ師のミヌキチと会い、マチルギが敵討ちのために武芸に励んでいた事を知る。 |
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|
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ミヌキチの娘婿の兼次大主の案内で今帰仁グスクに入り、山北王の若按司と婚約したママチーと母親のチヨと再会する。 |
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山北王妃のマアサと再会し、姉のマティルマと義姉のマアミと涙の再会をする。 |
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山北王は留守で、湧川大主と若按司のミンと会う。 |
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11月 |
今帰仁を去り、宇座の牧場に寄り、宇座按司から叔父(泰期)とサハチの関係を聞いて驚く。 |
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12月 |
手登根グスクに行き、ウミトゥクのお産を助ける。 |
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山北王の若按司ミンが婚約者のママチーを連れて島尻大里グスクに来て歓迎され、ミンは山南王の世子となる。
他魯毎はミンの婿入りを記念して、糸満川を「婿入り川(報得川)」と命名する。 |
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島尻大里ヌルがマレビト神と出会った事を喜ぶが、島尻大里ヌルはマガーチという名前しか知らない。 |
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1415年 |
1月 |
島添大里グスクに島尻大里ヌルを連れて新年の挨拶に行き、サハチからマガーチの事を聞き、苗代大親の息子だと聞いて安心する。 |
53歳 |
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サハチから宇座の叔父の事を聞き、叔父の息子のクグルーの事も聞く。 |
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2月 |
島尻大里グスクでお祭りをする事に決め、島添大里グスクのお祭りを参考にするために、島尻大里ヌルと一緒に見に行く。 |
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四男シルムイ(阿波根按司)が糸数按司の娘マクミを妻に迎える。 |
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3月 |
ナーサと一緒に思紹を訪ねて、ヤマトゥ旅に行かせてくれと頼み、思紹は承諾する。 |
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5月 |
豊見グスクのハーリーでマガーチが乗った中山王の龍舟が優勝する。 |
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島尻大里グスクで初めてのお祭りが行なわれ、城下の人たちに喜ばれる。 |
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冊封使の事は他魯毎とマチルーに任せ、中山王の交易船に乗って、ナーサと一緒にヤマトゥに行く。 |
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6月 |
博多に着き、博多見物をしてから一文字屋の船に乗って京都に行く。 |
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7月 |
京都に着き、ヤマトゥの着物を着て、都見物を楽しむ。 |
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9月 |
ササたちが京都に来て、ササたちは御台所様と一緒に四国に行く。 |
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10月 |
京都を去り、ササたちと一緒に一文字屋の船に乗って、大三島に行く。 |
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11月 |
ササたちと一緒に対馬に行く。 |
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12月 |
対馬で雪を見て感激する。 |
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1416年 |
1月 |
交易船に乗って琉球に帰る。 |
1月 |
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島尻大里ヌルが産んだ娘マトゥイと会い、跡継ぎができてよかったと喜ぶ。 |
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2月 |
山南王妃マチルーと一緒に島添大里グスクのお祭りに行く。 |
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3月 |
母ウニョンを偲ぶと称して子供たちを集め、保栄茂按司の家族を島尻大里グスクで保護する。 |
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4月 |
波平大主が山南王の兵を率いて総大将のサハチと一緒に今帰仁に出陣し、水軍も出陣する。 |
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