酔雲庵

戦国草津温泉記・湯本三郎右衛門

井野酔雲







裏切り







 例年に比べて雪が多く、岩櫃城もすっぽりと雪で覆われていた。岩櫃城代となった三郎右衛門は長野原の事は雅楽助に任せ、岩櫃城にいる事が多くなり、月陰党の者たちも岩櫃城下に『万屋(よろずや)』を出して移って来ていた。

 白根山中に月陰砦を作ってから七年が経ち、修行を積んだ若い者たちは三十人にもなっていた。東光坊の留守に、北条の風摩党にやられて五人が亡くなってしまったが、その後は、東光坊の的確な指示のお陰で誰も亡くなってはいない。

 一期生の水月坊は仁科五郎の側室になった四期生のハヅキを守るため、三期生の光月坊を連れて高遠城にいて、向こうの様子を知らせていた。子供を産むために仁科郷にいた五郎の奥方様は無事に女の子を産み、子供と共に高遠城に移っていた。信松尼(しんしょうに)となったお松御寮人様も城内に新しい屋敷を建てて貰って住んでいる。三郎右衛門の養女となったハヅキは五郎に可愛がられ、奥方様ともうまくやっているという。

 水月坊と同じく一期生の山月坊は白井城下、新月坊は鉢形城下にいて、それぞれ敵情を探っていた。他の者たちは、草津、長野原城下、岩櫃城下にある『万屋』にいる事が多く、必要に応じて各地に飛んでいた。

 三郎右衛門の次男を産んだ里々は砦に戻って、キサラギ、ミナヅキと共に師範をしているが、時々は我が子を見るために山を下りていた。身を引いた里々のためにも立派な武将に育てなければならないとお松は久三郎を我が子だと思って育てている。すでに、お松は里々の素性を知っていた。子供を産んだ時、色々といたわってくれたお松に対し、嘘をつき通す事ができず、里々は三郎右衛門に断って素性を明かした。里々が三郎右衛門と噂のあった遊女だと聞いてお松は驚いたが、それ以上に、忍びとして若い者を鍛えていると聞いて信じられないという顔をした。お松は里々の気持ちを理解し、湯本家のために働いてくれと里々の事を許した。三郎右衛門と里々の関係はその後も続いていて、里々は二度と妊娠しないように充分に気をつけていた。

 今年ももうすぐ終わるという師走(しわす)の暮れ、徳川の本拠地、浜松城下にいた正顕坊(しょうけんぼう)が岩櫃城にやって来た。正顕坊は月陰砦の修行者ではなく、古くからの東光坊の配下だった。東光坊の真似をして医者に扮して浜松に住み着いてから二年余りが過ぎていた。

「こちらはすごい雪ですな。浜松は暖かくて住みやすい所ですぞ」と正顕坊はすっかり医者という態度で穏やかに笑った。

「徳川が動いたのか」と三郎右衛門が聞くと、正顕坊は神妙な顔をしてうなづいた。

「大量の兵糧を集めて諏訪原城(金谷町)に入れております」

「諏訪原城というのは駿河と遠江の国境近くにある城だったな」

「はい、大井川の側にございます」

「徳川が駿河に攻め込むというのだな」

 正顕坊は首を振った。「徳川だけではないでしょう。あれだけの兵糧を集めるというのは織田の大軍が来るものと思われます」

「すると織田と徳川の連合軍が駿河、いや、甲斐に攻め込むというのか」

「近いうちに行なわれるものかと」

「うーむ。いよいよ、織田が動くか」

 三郎右衛門は腕組みをして考えた後、顔を上げた。

「直ちに浜松に戻って、敵の動きを正確に知らせてくれ。東光坊と相談して若い者を何人か連れて行くがいい」

「はっ、かしこまりました」

 正顕坊が引き下がると、三郎右衛門は絵地図を広げて眺めた。諏訪原城に兵糧を入れたという事は織田信長は駿河を攻め、北上して甲斐に攻め込むに違いなかった。駿河を守っているのは江尻城にいる穴山梅雪だった。梅雪が織田徳川の連合軍を相手に持ちこたえる事ができるか不安だった。もし、梅雪が戦う事なく籠城してしまえば、敵は難無く甲斐の国に入ってしまう。

 三郎右衛門は絵地図を睨みながら、信長になったつもりで作戦を立ててみた。遠江から駿河に攻めるのは確実に違いないが、それだけではない。美濃から信濃、飛騨からも信濃に攻め込むに違いない。さらに、同盟した北条も動く。伊豆から駿河へ、あるいは武蔵から西上野に攻め込むかもしれない。それらの攻撃を防ぐのは容易な事ではなかった。武田と同盟している上杉が援軍を送ってくれたとしても間に合うものではない。東、南、西の三方からの攻撃に堪えるには、安房守の言う通り、七里岩の新城に籠城し、敵の兵糧が尽きて引き上げるのを待つか、信長に抵抗している西の毛利が織田領に攻め込むのを待つしかないのかもしれない。しかし、何とか生き延びる事ができたとしても、甲斐の国は敵に踏みにじられ、甲府の町は焼け落ちてしまう。再起するのは非常に困難な事に思われた。

 東光坊が音もなく部屋に入って来た。腕を組んで絵地図を睨んでいる三郎右衛門を見ながら、「岐阜に誰かを送り込んだ方がよさそうだな」とポツリと言った。

「岐阜? 安土ではないのか」と三郎右衛門は顔を上げて東光坊を見た。

「いや、安土より岐阜の方が甲斐に近い。岩村城を攻めた時のように、信長は長男の勘九郎を先鋒として送り込むに違いない」

 東光坊は絵地図の脇に座り込むと、岐阜から岩村に向かう道を示した。

「すると岩村から北上して木曽に入って来るのだな」

「二手に分かれ、木曽と伊那に入って来るじゃろうな。お屋形様、敵の動きを知るのは勿論、重要だが、これからは味方の動きも気をつけなければならんぞ」

「寝返る者が出るというのか」と三郎右衛門は強い口調で言って、東光坊を見た。

 先月の末、海野兄弟が北条に寝返ったとして処刑されたばかりだった。味方同士の争いはもう二度と見たくはなかった。

「生きて行くためには仕方あるまい。常に強い者につかなければ先祖代々の土地は守れんのじゃ。織田の大軍が信濃に攻め込めば、信濃の者たちの中にも寝返る者が数多く現れるじゃろう。その中で安房守殿がどう動くかが問題じゃ。安房守殿が寝返るとは思えんが、最悪の場合、真田家が滅ぼされるという事も考えられる」

「まさか‥‥‥」

「ああ、まさかじゃ。しかし、何が起こるか先の事はわからん。常に最悪の事態は想定しておかなければならん。武田家が生き延びたとしても真田家が潰れてしまえば、武田家と離れ、強い者と結ばなければならん。これからは回りの状況を見据えて行動しなければならんぞ。今こそ、月陰党の出番じゃ。各地に飛ばして最新の情報を手に入れる」

「うむ。頼むぞ」

 天正十年(一五八二年)の元旦を三郎右衛門は岩櫃城で迎えた。真田安房守は甲府に行ったままなので、真田へは新年の挨拶に来なくてもいいと知らせてよこした。

 伊豆の戸倉城の仕置きを終えた武田のお屋形様は去年の末、甲府の躑躅(つつじ)ケ崎のお屋形から新城に移った。奥方様や子供たちも共に移り、きらびやかな引っ越しの行列が続いたという。新城は新しい府中の城という意味で新府(しんぷ)城と名付けられ、甲府は古府中と呼ぶようになっていた。家臣たちも新府城下に屋敷を建て、早いうちに移るよう命じられたが、その命令はすんなりとは受け入れられなかった。長年、住み慣れた町を離れ、まだ何もない不便な城下に移るのを嫌がる家臣が多かった。お屋形様は甲府の象徴であった躑躅ケ崎のお屋形を打ち壊し、決心の堅さを自ら示して家臣たちを促した。安房守も今、引っ越しの最中で忙しく、新府城下から離れる事はできなかった。

 正月の十五日、三郎右衛門は長野原に帰り、家族たちと半月遅れの正月を祝った。長女の小松は七歳になり、母親そっくりになって来た。長男の小三郎は五歳、次男の久三郎は三歳、次女の小竹は二歳になり、子供たちは皆、元気に育ち賑やかだった。子供たちが眠った後、三郎右衛門は自室に入り、久し振りに幻庵の一節切(ひとよぎり)を吹いてみた。琴音との出会いが遠い昔の事のように思い出された。

 幻庵や善恵尼の事を思い出しながら一節切を吹いていた三郎右衛門はふと、人の気配を感じた。さては、里々が子供に会いに来たかと振り返ると、花模様の綿入れを着込んだ見た事もない美しい娘がちょこんと座り、三郎右衛門をじっと見つめていた。月陰党の娘かと思ったが違う。今、娘たちは十人いるが、一応、顔は覚えている。娘たちは変装がうまいから化けているのかとも思ったが、どうも素顔のようだ。

 一節切を構えながら、「そなた、何者だ」と低い声で聞いた。

 娘は三郎右衛門を見つめたまま、「ユカリ」と一言だけ言った。

 ただの娘ではなかった。誰にも知られずに、この部屋に現れたのだから忍びの術を心得ているに違いない。

「ユカリではわからん。何者なんだ」

「あなたは湯本三郎右衛門様なのね」

 娘は三郎右衛門をじっと見つめていた。敵愾心(てきがいしん)のある目ではなかったが、何を考えているのかわからなかった。

「ああ、そうだが‥‥‥まさか、俺の命を狙って来たのか」

 娘は首をかしげ、しばらくしてから、「あたし、あなたの妹みたい」と言った。

 意表をついた娘の言葉に三郎右衛門は戸惑った。突然、妹が現れるはずはなかった。

「馬鹿な事を言うんじゃない」

「だって、お母さんがそう言ったもの」

「何を言っているんだ。そのお母さんていうのは一体、誰なんだ」

「愛洲ナツメ。でも、今は出家しちゃって善恵尼って名乗ってるわ」

「何だって、お前、善恵尼殿の娘なのか」

 ユカリと名乗った娘はうなづいた。そう言われて見れば善恵尼に面影が似ていた。義父(ちち)の善太夫が出会った頃の善恵尼はこんな感じの娘だったのだろうかと思った。確かに魅力的な可愛い娘だ。若かった頃の義父が惚れたのもわかるような気がした。そう思った時、三郎右衛門の脳裏に衝撃が走った。

「すると、まさか、お前の父親は‥‥‥」

「湯本善太夫様」とユカリは平然として言った。

 三郎右衛門は唖然として、言葉が出て来なかった。一節切を構えたままだった事に気づいて一節切を膝の上に置くと、心を落ち着け、改めてユカリを見た。

 長い髪を後ろで束ね、大きな目と細い(あご)は善恵尼にそっくりだった。義父に似ている所はどこだろうかと捜してみたがわからなかった。嘘をついているようには見えないが、突然、妹だと言われても信じる事はできなかった。

「何か(あか)しになる物はあるのか」と三郎右衛門は聞いた。

 ユカリは三郎右衛門を見つめたまま(ふところ)に右手を差し入れた。もしや、手裏剣でも出すのかと三郎右衛門は警戒して一節切をつかんだ。ユカリが出したのは印籠(いんろう)だった。三日月の家紋が描かれた印籠で、善太夫が愛用していたのを形見として三郎右衛門が善恵尼に贈った物だった。

「お父さんの形見だって、お母さんがくれたの」

 三郎右衛門は印籠を手に取って、よく見た。善太夫の物に間違いなかった。

「何と、父上と善恵尼殿の間に子供があったとは‥‥‥まったくの驚きだ」

 三郎右衛門は印籠をユカリに返した。ユカリは軽く笑うと大事そうに懐にしまった。

「あたしも知らなかった。去年の末、お母さんから突然、聞かされて、会いたくなってやって来たの。そして、あたしの名前は草津の事だって言ってた」

「ユカリが草津?」

 三郎右衛門には何の事かわからなかった。

「湯の香る里で、ユカリだって」

「成程」と三郎右衛門は唸った。善恵尼が考えそうな名前だった。

「小田原から来たのか」

 ユカリはうなづいた。三郎右衛門をじっと見つめ続けていたユカリは、ようやく視線をはずして部屋の中を見回した。

「善恵尼殿はお前がここに来た事を知っているのか」

 ユカリは壁に掛けてある絵を眺めながら首を振った。その絵は善太夫が描いた白根山だった。三郎右衛門は善太夫が絵を描くのを知らなかったが、遺品を整理したら、何枚もの絵が出て来て、その中で一番気に入った白根山を表装して飾ったのだった。

「今頃、心配しているぞ」

「大丈夫、書き置きを残して来たから」

「それにしたって、小田原からここは遠い。たった一人で来たのか」

 ユカリは真剣な顔をして絵を見つめながら、うなづいた。娘として父親が描いた絵に何かを感じるのだろうかと思い、教えてやるとユカリは急に立ち上がり、側まで行って絵を眺めた。

「お前、いくつなんだ」

「十八」

 三郎右衛門よりも十一歳、年下だった。すると、三郎右衛門が初めて小田原に行った時、四歳だった事になる。あの時、子供がいたなんて善恵尼は素振りにも見せなかった。善太夫もユカリの存在を知らなかったに違いない。どうして、父親である善太夫に知らせなかったのか、三郎右衛門には善恵尼の気持ちがわからなかった。

「とにかく疲れただろう。お前、腹は減っていないのか」

 ユカリは振り返って首を振ったが、「実は減っているの」と言って笑った。無邪気な笑顔だった。

「そうか。飯の用意をさせる」

「あの、あたし、ここにいていいの」

「ああ。妹だからな、いていいよ。城下にある『伊勢屋』の者に頼めば、お前がここにいる事は善恵尼殿に伝えられる」

「へえ。ここは敵国だって聞いたけど、お母さんの手下がちゃんといるんだ」

「長い付き合いだからな」

 三郎右衛門はお松にユカリの事を話し、食事の支度を頼んだ。ユカリは三郎右衛門に会って安心したのか、食事を済ますとポツリポツリと身の上話を始めた。

 ユカリが生まれたのは小田原の郊外、幻庵の屋敷がある久野(くの)からさらに奥に入った山に囲まれた村だという。母親のナツメは小野屋の主人として忙しく、伯父夫婦に育てられ、時々、やって来る母親から、父親は戦死したと告げられた。その村は風摩党の村で、男たちは村にはほとんどいないので、ユカリも父親がいない事は少しも気にならなかった。風摩の子供として当たり前のように幼い頃より武芸を習い、箱根の山中を走り回りながら成長した。十六になった正月、風摩砦に入り、二年間の厳しい修行に耐えた。砦から村に帰ると母親が待っていて、父親の事や兄の事を知らされ、もうお前は一人前だから、自分の生きる道を見つけなさいと言われたという。

「自分の生きる道を見つけろか‥‥‥善恵尼殿らしいな。それで、お前は、生きる道を見つけたのか」

「まだ、わからない。あたしもみんなと一緒に風摩党に入るものとばかり思っていたのに、急に兄上様がいると言われて」

「そうだろうな。まあ、好きなだけここにいていい。生憎、今は草津は雪に埋もれていて行けないが、春になれば温泉にも入れる。お前がいたければ春までいてもかまわんよ」

 三郎右衛門は三日間、長野原で過ごし、岩櫃城に戻った。ユカリも一緒に行くと言って付いて来た。敵の間者(かんじゃ)と間違われて殺されては困るので、万屋に連れて行き、月陰党の者たちに紹介した。ユカリは万屋が気に入った。自分と同じ種類の娘たちがいるので居心地がいいのかもしれなかった。ユカリの事は年長のサツキに任せ、好きなだけいさせるようにと頼んだ。

 正月の末、新府城に送り込んだ東月坊が戻って来た。三郎右衛門は岩櫃城下にある武術道場で若い者たちに新陰(しんかげ)流を教えていた。その道場は海野能登守が新当(しんとう)流を教えていた道場で、能登守が沼田に行った後も能登守の高弟たちによって教えられていた。しかし。能登守が亡くなった後、能登守は裏切り者だという噂が流れ、道場に姿を現す者はいなくなってしまった。三郎右衛門が長野原から戻った後、誰から聞いたのか、若い者たちが新陰流を教えてくれとやって来た。手のあいている時なら構わないだろうと引き受ける事にした。若者たちの数は日を追って増え、道場は賑わっていた。

 三郎右衛門は汗を拭きながら、「安房守殿の引っ越しは無事に済んだのか」と聞いた。

 返事がないので、東月坊を振り返ると、苦虫(にがむし)を噛み潰したような顔をしていた。

「どうした。まさか、織田の先鋒(せんぽう)が攻めて来たのではあるまいな」

「そうではありません。そうではありませんが大変な事になりました」

「一体、どうしたのだ。はっきり言え」

「はい」とうなづき、東月坊は回りを見回し、誰もいない事を確かめると、「木曽の伊予守(いよのかみ)殿が武田家を裏切り、織田に内通したとの事でございます」と小声で言った。

「なに、木曽殿が寝返ったのか」と三郎右衛門は言ってから、辺りを見回し、さりげなく腰を下ろして、先を(うなが)した。

「新府城はもう大騒ぎでございます。もう今頃は木曽に向けて兵を動かしただろうと思われます。動きがあれば直ちに静月坊がこちらに向かう手筈になっております」

「わかった。御苦労だった。一休みしたら、すぐに戻ってくれ」

 東月坊は頭を下げると去って行った。

 三郎右衛門は呆然としながらも、どうして、木曽殿が武田家を裏切ったのかを考えていた。新府城を築城する時、材木の多くが木曽から運ばれて来た。材木の運搬に関して木曽家の者が普請奉行の真田安房守に不満を訴えているのを聞いた事があった。それだけが寝返りの理由ではないだろうが、その事がきっかけとなって武田家と織田家を(はかり)に掛け、武田家を見限ったのかもしれなかった。新府城の築城は武田家を一つにまとめるどころか、あちこちから不満が続出して、家中をバラバラにしてしまったように思えた。三郎右衛門は溜め息をつくと、そのまま本丸へ向かい、城代たちを集めて説明した。

「何じゃと、木曽殿と言えば、お屋形様の身内ではないか」

 矢沢三十郎が思わず大声を出して、まさか、という顔をして三郎右衛門を見た。

「確か、お屋形様の妹が木曽殿に嫁いでいると聞いた事がある」と池田甚次郎が言った。

「木曽殿が織田に寝返るとどうなるのですか」と一番若い鎌原孫次郎が、皆の驚く表情を見ながら遠慮がちに聞いた。

「木曽殿が寝返れば、織田軍は美濃から木曽路に入り、難無く信濃に進軍できるという事じゃ」と三十郎が説明すると、

「そいつは大変だ」と孫次郎は初めて事の重大さがわかったというように驚いた。

「それだけではない」と三郎右衛門は言った。「身内から裏切り者が出たという事は今後、裏切り者が続出するという事だ」

「その通りじゃ」と三十郎が苦々しい顔をした。

「そいつは大変な事になった。我々はどうしたらいいんだ」と西窪治部少輔が皆の顔を見回した。

「とにかく、沼田にいる親父には知らせた方がいい」と三十郎が言った。「織田が動けば北条も動く。出陣態勢で待機しておいた方がいいじゃろう。そのうち、新府城にいる安房守殿より指示が来るはずじゃ」

 翌日、静月坊が来て、武田左馬助(さまのすけ)を大将とした三千の兵が木曽伊予守を討伐(とうばつ)するために出陣したと報告した。三郎右衛門たちは吾妻郡内の各城に北条に備えて守りを固めるように命じ、本丸の広間に絵地図を広げて、全体の状況を把握しようとしていた。

 緊迫した状況の中、突然現れた三郎右衛門の妹のユカリは好き勝手な事をしてサツキたちを悩ませていた。お屋形様の妹なので、もしもの事があったら大変だと常に見守っているのだが、まったくの気まぐれで何をやり出すのか見当もつかない。温泉に入りたいと言い出し、平気な顔して雪山に入って行き、キャーキャー騒ぎながら温泉に浸かったり、この辺りの事が知りたいと言って沼田の倉内城下まで行ったりした。敵である白井の城下に行って騒いだり、廐橋城下で遊び、そのまま帰るのかと思ったら、北条安房守がいる鉢形城下まで行き、好き勝手な事をしている。一緒に行ったサツキとシワスは冷や冷やしながら付き従った。ようやく、敵国から離れ、箕輪城下に行き、岩櫃城に帰って来たと思ったら、今度は月陰砦を見たいという。見せていいものかどうか迷ったが、もうこれ以上、ユカリに振り回されるのは御免だ、里々に押し付けてしまえとサツキたちは砦へと連れて行き、さっさと逃げて来た。

 里々は善恵尼の娘だと聞いて驚いた。しかも、お屋形様の妹だという。話を聞くと里々と同じように風摩砦で修行を積んでいる。二人は意気投合し、例の湯小屋で温泉に浸かりながら語り合った。







 二月に入ると各地から次々に情報がもたらされた。二日、武田のお屋形様は木曽伊予守の人質として新府城下にいた七十歳になる老母と十七歳の娘、十三歳の嫡男(ちゃくなん)を処刑し、大軍を率いて諏訪に出陣した。

 三日には、いよいよ織田軍が動き出した。岐阜の勘九郎(信忠)の先鋒として、森勝蔵(長可)が岩村城を目指して出陣した。岩村城から信州下伊那口に侵入した森軍は、早くも六日には吉岡城(下条村)を攻め、城主の下条伊豆守は敗走した。

 十二日、勘九郎率いる本隊が岐阜を出陣し、十四日には岩村城に入った。その日、先鋒の森軍は松尾城(飯田市)の小笠原掃部大夫(かもんだゆう)を降ろした。松尾城が落ちるとその夜のうちに、飯田城を守っていた保科(ほしな)越前守らは戦わずして逃げ出した。さらに、翌日になると大島城(松川町)を守っていた武田逍遙軒(しょうようけん)らも城を捨てて逃げ出した。

 木曽征伐に向かった左馬助率いる武田軍も雪の鳥居峠で、木曽軍と合流した織田源五郎(長益)率いる別動隊に敗れ、諏訪に逃げ帰っていた。

 徳川三河守(家康)が動いたのは十八日だった。二十日には田中城(藤枝市)を落とし、二十一日には駿府(静岡市)を占領した。

 鉢形の北条安房守は二十四日に武蔵上野の国境まで出陣し、廐橋城と箕輪城に対して降伏勧告を行なっていた。

 岩櫃城代の三郎右衛門らは北条軍に備えて、前線の城を強化して敵の動きを見守った。

 二十七日の夜、新府城から東月坊が戻って来た。江尻城主の穴山梅雪が古府中の屋敷にいた人質を奪い去って行ったという。

「何という事だ。お屋形様の義兄である穴山殿が裏切るとは‥‥‥」

 三郎右衛門は穴山梅雪が長篠の合戦の時、真田隊を助けずに逃げ出し、負け戦の原因を作った事を思い出した。新府城の築城をお屋形様に勧めたのも梅雪だったという。そんな事を考えたくはないが、武田家が崩壊して行く原因を作ったのが梅雪のように思えてならなかった。

「駿河はすでに徳川の手に落ちたか。それにしても裏切り者が多すぎる。まったく、武田家はどうなってしまったんだ‥‥‥お屋形様はまだ諏訪におられるのか」

「そのようでございます」

「御苦労だが、直ちに戻ってくれ。思ったよりも早く、織田軍は信濃に進攻して来るかもしれんからな」

 疲れている顔を引き締めて東月坊はうなづいた。

 翌日、諏訪にいる真田安房守より早馬が来て、武田のお屋形様を岩櫃城に迎える事に決まったので、お屋形様の御座所(ござしょ)を新築するための資材を古谷(こや)の地に集めろと命じて来た。安房守も明日には岩櫃城に来るという。

 どうしてお屋形様が岩櫃城に来るのか、三郎右衛門たちにはわからなかった。新府城で籠城するはずではなかったのかと思いながらも命令に従い、領内から材木を集め、岩櫃城から見ると岩櫃山を挟んで反対側の地、古谷に運び込んだ。さらに、腕のいい職人たちを集め、お屋形様の軍勢が籠もる事になるので、できるだけの兵糧をかき集めた。

 その日の夜、廐橋城下にいた法雲坊が駈けつけて来た。内藤修理亮(しゅりのすけ)が北条安房守に降伏して、箕輪城を明け渡したという。

「まったく何という事だ。あの内藤殿までもが、お屋形様を裏切ってしまうとは‥‥‥」

 信じられなかった。こうも簡単に武田軍が総崩れになるとは思ってもいない事だった。

 三郎右衛門は城代を集めて軍議を開き、前線となった大戸城に厳重に警戒するよう告げた。

 翌日の昼過ぎ、安房守が真田の兵を引き連れて岩櫃城に入った。箕輪城が北条の手に落ちた事を矢沢三十郎が知らせると、

「なに、修理亮が‥‥‥」と安房守は絶句した。「廐橋城を武田に寝返らせた修理亮がどうして‥‥‥」

 そう言って首を振ると、春原(すのはら)勘右衛門に命じて、引き連れて来た真田勢を大戸に送り込んだ。そして、無言のまま古谷に向かい、お屋形様を迎えるための御座所の縄張りを始めた。

 三郎右衛門が、どうして新府城に籠城しないのかと聞くと、安房守は厳しい顔付きで首を振った。

「織田の進撃が思っていたよりずっと早かったんじゃ。家臣たちの中には、未だに新府に移るのを反対している者もいて、まだ充分な兵糧も集まっていない状況なんじゃよ。織田の大軍に囲まれたら、兵糧を運び込む事もできん。一月ももたんじゃろうな」

「そうだったのですか‥‥‥」

 あれだけ苦労して建てた城が役に立たないなんて、天に見放されてしまったような気分だった。一番悔しい思いをしているのは普請奉行を勤めた安房守に違いなかった。

 三郎右衛門は安房守を見た。安房守はそんな事には頓着(とんぢゃく)せず、すでに次の仕事を始めていた。過去の事を悔やんでも仕方がない。今やるべき事を真剣にやらなければならないと態度で示していた。三郎右衛門は黙々と地形を見て歩いている安房守の後を追った。

「やはり思っていた通りじゃ」と安房守は辺りを見回しながら満足そうに笑った。

 三郎右衛門にはまだ疑問が残っていた。新府城が使えないので、武田領内でも最も堅固な岩櫃城に来るというのはわかったが、城内ではなく、こんな所にお屋形様の屋敷を建てるというのが理解できなかった。三郎右衛門は聞いてみた。

「勿論、敵の大軍がここまで攻めて来れば岩櫃城に入ってもらう事となろう。だが、この山間の地に大軍を送り込むのは容易な事ではない。お屋形様には岩櫃山を背負ったこの地で休んでいて貰えばいい。吾妻衆が一団となって戦えば、敵はここまでたどり着く事はあるまい」

「成程」と三郎右衛門はうなづき、回りの山々を見回した。

「地の利を利用して奇襲を掛けるわけですね」

「そうじゃ。織田軍はかつて、木曽谷で散々な目に会っている。山間地は苦手なはずじゃ」

 三郎右衛門は一応、納得したが、ちょっと待て、もしかしたら裏があるのではないかと考えてみた。お屋形様が来れば、当然、側近の者たちも来る。お屋形様一人なら城内に入れても構わないが、側近の者たちを城内に入れてしまうと、安房守が采配を取れなくなってしまうのかもしれない。それを警戒して、こんな所に御座所を建てるのではないだろうか。そう思いながら安房守を見ると、そんな事は考えていないと言った顔をして、地面を軽く掘って地質を調べていた。

「お屋形様はいつこちらに参られるのですか」と三郎右衛門は聞いた。

「一旦、新府城に帰り、御家族を連れて来る手筈になっている。城を引き払うとなれば荷造りも大変だし、女衆も連れて来なければならん。三月の七日頃となろう。それまでに、お屋形を完成させなければならん」

 お屋形の普請と同時に、各地で堀を掘って土塁を築くという突貫工事が行なわれた。安房守の考えは、岩櫃城だけにこだわるのではなく、吾妻郡を一つの城と見立てて、敵の大軍を追い散らすという壮大なものだった。敵の侵入口に当たる信濃の戸石城と小諸城は重要な拠点となり、そこを突破された場合は西窪城、鎌原城、長野原城で敵の進撃を阻止しなければならなかった。西窪治部少輔は国境の鳥居峠、鎌原孫次郎は浅間越の鼻田峠(峰の茶屋)の守りを強化した。三郎右衛門は羽尾城と長野原城を強化すると共に、敵を混乱させるため、あちこちに伏兵を潜ませる砦を設け、堀を掘って土塁を築いた。領内の者たちが一団となり、泥だらけになって工事に従事している最中も各地から、次々と情報が入って来た。

 二月二十九日、難無く伊那谷を北上している勘九郎率いる織田軍は仁科五郎が守る高遠城を包囲した。三月一日には裏切り者の穴山梅雪が徳川三河守に降伏して江尻城を明け渡している。

 岩櫃山麓の新屋形が完成したのは三月の四日だった。長野原にいた三郎右衛門は安房守に呼ばれて古谷に行き、新屋形を見物した。華麗とは言いがたいが、わずか四日間で、これ程の屋敷を建ててしまうとは、大したもんだと感心せざるを得なかった。山から引いて来た清水も流れていて、もし、戦がなければ、お屋形様にのんびりと休養してもらうのに丁度いい静かな環境だった。新屋敷の一段下がった所に、家臣たちの住む長屋を三つ建てていた。

 その日の夜遅く、風月坊が帰って来た。風月坊は徳泉坊、半月坊と共に岐阜に行っていた。勘九郎率いる織田軍の後を追い、随時、織田軍の位置を知らせてくれた。織田軍が高遠城を囲んだと知らせたのは二日前の事で、その時は半月坊が来た。

 風月坊は女装の名人で、女装すると女以上に妖艶(ようえん)になった。色白で体つきも華奢(きゃしゃ)だが、全身が(はがね)のように強靭だった。その風月坊が泥まみれの顔をして、あちこち破れた野良着を着ている姿は激しい戦の中を擦り抜けて来た事を物語っていた。

「仁科殿も織田に降伏したのか」と三郎右衛門は聞いた。お屋形様の弟の五郎には裏切ってほしくはなかったが、今の情勢を見れば、仁科家を守るために裏切るのが当然だった。

 風月坊は唇を噛み締め、首を振った。「高遠城は降伏する事なく、最後まで織田勢と戦い、仁科殿を初めとした城将たちは見事に討ち死にして果てました」

「なに、仁科殿が討ち死にしたのか‥‥‥」

 思ってもいない事だった。あの仁科五郎が戦死してしまったなんて信じたくはなかった。三郎右衛門は呆然として、灯台の火を見つめていた。

「二日の事でございます。高遠城にはハヅキたちがおります。何とか助け出そうといたしましたが駄目でした。徳泉坊殿は敵の忍びにやられてしまいました」

「なに、徳泉坊が死んだ‥‥‥ハヅキたちもやられたのか」

 風月坊は俯いて、目をこすった。

「あの大軍に囲まれた中、逃げる事は不可能かと思われます。敵の忍びも暗躍しておりますし」

「そうか‥‥‥ハヅキも仁科殿と一緒に討ち死にしたか」

 五郎とハヅキが血だらけになって死んでいる様子が頭の中に浮かんでいた。

「水月坊と光月坊も死んじまったか‥‥‥そういえば、信松尼殿もいたはずだな。信松尼殿も討ち死にしたのか」

「多分‥‥‥女子供も自害して果てたものと思われます」

「そうか‥‥‥辛かっただろうな。許婚者(いいなづけ)だった勘九郎に攻められて自害して果てるとは‥‥‥まったく、哀れな事だ。水月坊の奴は最後まで信松尼殿を守って死んだのだろう。片思いをしていた奴にすれば幸せだったのかもしれんな‥‥‥」

 草津に来た時、楽しそうにはしゃいでいたお松御寮人様の姿が思い出された。あの後、出家して、甲府から高遠に移り、幸せに暮らしていたのだろうか。たとえ、幸せだったとしても、あまりにも短かすぎる一生だった。あまりにも可哀想な一生のように思えた。

「半月坊の奴はどうしたんだ」

「わかりません。こちらに向かった後、まだ、向こうには戻って来ませんでした。途中、出会うかと思いましたが、敵の忍びを避けて山中を来ましたので出会う事はできませんでした」

「生きていてくれればいいが‥‥‥御苦労だった。傷の手当をしてゆっくり休んでくれ」

 高遠城には仁科五郎を助けるため海津(かいづ)城の城代を勤めていた小山田備中守とその弟、大学助も入っていた。三万余りの織田の大軍に囲まれても、城兵は皆、武田家を裏切る事など微塵(みじん)も思わず、立派に戦い、壮絶な討ち死にした。落合九郎兵衛も若い清水栄次郎も敵陣に突撃して壮絶な討ち死にを遂げた。裏切り者の続出する中、最後まで抵抗した仁科五郎の生きざまは、信長が恐れていた武田武士の健在を遺憾なく示していた。

 三郎右衛門は夜中にも拘わらず、中城(なかじろ)にある真田屋敷に向かい安房守を訪ねた。安房守はまだ起きていた。薄暗い部屋の中で考え事をしていたようだった。高遠城が落ちた事を告げると安房守はゆっくりと頷いた。

「そうか、仁科殿は討ち死になされたか‥‥‥」安房守は辛そうに目を閉じた。

 しばらくして目を開けると、「わしの忍びはまだ、その事を知らせては来ない。さすがじゃな」と言って苦笑した。

「この城の城代として必死だったのです。安房守殿が来るまでは各地の情報を集めなければならないと」

「うむ、御苦労じゃった。お屋形様のお側にいた時より、回りの状況がわかるので驚いたぞ。わしらは信長の力を(あなど)っていたようじゃ。長篠の時とは比べられない程の兵力を持っている。まだ、信長の本隊が動いていないというのに、このざまじゃ。こうなったからには北条と手を結ぶしかあるまい。お屋形様の奥方様は北条家の娘じゃからな」

 三郎右衛門も武田家が生き延びる道はそれしかないと思っていた。ただ、箕輪城まで迫って来ている北条が、落ち目となった武田を助けて織田の大軍を相手に戦うかどうか、今となっては難しいものと思われた。

「箕輪に入った北条安房守に頭を下げるのですか」と三郎右衛門は聞いた。

「いや、頭は下げん。飽くまでも武田と北条の同盟という形にするつもりじゃ」

「今の状況で北条が乗って来るでしょうか」

「乗って来るとは思えんが、最初から頭を下げては見くびられるからな。直接、安房守に使者を送るより、白井の一井斎(いっせいさい)を仲介した方がいいかもしれんな。安房守は短気らしいから、何を生意気な事をと言って吾妻に攻め込むかもしれん。一井斎から小田原に知らせて貰った方がいいじゃろう」

 安房守が書いた書状は翌日、倉内城に送られ、沼田衆によって、当時、八崎(はっさき)城にいた長尾一井斎に届けられた。

 領内の者たち総動員で昼夜休まず行なわれた吾妻郡の防備もほぼ完了し、いつでもお屋形様一行を迎えられる態勢は整ったのに、お屋形様の先触れは、なかなか来なかった。

 五日の夜、新府城より静月坊がやって来た。お屋形様一行は岩櫃城ではなく、小山田左兵衛(さひょうえ)の岩殿城(大月市)へ向かったという。

 諏訪の上原城の軍議では真田安房守の意見に従い、岩櫃城へ行く決心を固めたお屋形様だったが、新府城に帰り、親族である小山田左兵衛に誘われると行き先を変更した。大勢の家臣たちに見放され、弱気になっていたお屋形様は疑心暗鬼となっていた。真田家は譜代(ふだい)の家臣ではない。岩櫃城に行ったとしても裏切られるだろうと言われるとそうかもしれないと思い始め、さらに追い打ちをかけるように高遠城の落城が知らされると、信濃を抜けて上野まで行く気力もなくなり、同じ国内にある難攻不落といわれる岩殿城に行く事に決めたのだった。三月三日、お屋形様は裏切った者たちの人質をすべて血祭りに上げ、最後まで忠節を尽くした者たちの人質を解放し、何の役にも立たなかった新府城を焼き払って、東へと向かった。哀れにも、お屋形様に従った者は女子供を入れても七百人足らずしかいなかった。

 三郎右衛門は直ちに安房守に報告した。安房守も真田の忍びから知らせを受けて知っていた。

「まあ、岩殿城の方が安全かもしれんな。北条領の相模も近い。こうなったからには、お屋形様の事は小山田殿に任せるしかない。これからは武田家と離れ、独立して生きて行かなければならん」

 安房守は何げない口調で言ったが、確かに武田家から独立すると言った。お屋形様が岩殿城に行ってしまった今の状況を考えれば当然の事だが、安房守は真田から沼田までの領地を守り抜くため、織田、徳川、北条を相手に戦う覚悟を決めたようだった。

「なあ、湯本殿、わしの片腕となって働いてくれんか」

 安房守は強い視線で三郎右衛門を見つめた。真田家の家臣になってくれと言われたものと理解した三郎右衛門は力強くうなづいた。

 翌日、安房守は岩櫃城を三郎右衛門たちに任せ、信濃に侵入して来た織田軍に対する守りを固めるため真田へと引き上げて行った。







 三月三日、新府城から岩殿城を目指した武田四郎の一行は、無残にも荒れ果てた古府中に着くと、まだ無事に残っていた一条右衛門大夫の屋敷で休憩してから東へと向かった。その夜は、信玄の従妹(いとこ)、理慶尼のいる柏尾の大善寺に泊まった。翌日、笹子峠の登り口、駒飼(こまがい)に着いた時、小山田左兵衛はお屋形様を迎える準備を整えなければならないと先に岩殿城へ帰って行った。

 いつまで経っても迎えは来なかった。九日の夜に左兵衛の家臣が来たと思ったら、人質として残っていた母親を強引に奪い去って行った。土壇場(どたんば)になって信頼していた左兵衛に裏切られた四郎は死を覚悟して天目(てんもく)山を目指した。天目山は武田家の先祖、武田安芸守(あきのかみ)信満が戦死した場所で、幼い頃、父の信玄に連れられて来た事があった。先祖と同じ地で死ぬのも何かの因縁だろうと四郎は死に場所に選んだ。しかし、織田軍の追っ手は早く、天目山にたどり着く事なく、十一日の昼前、田野(たの)で休んでいた所を四方から攻撃を受け、全員が討ち死にを遂げた。

 武田四郎勝頼は三十七歳で無念の生涯を閉じた。北条家から嫁いだ奥方様は実家に帰る事を拒み、十九歳の若さで散って行った。跡継ぎの太郎信勝は十六歳で見事に切腹して果てた。去年、生まれた次男は大善寺に行く途中、具合が悪くなり、春日居の渡し場近くに住む渡辺嘉兵衛に預けられた。嘉兵衛は四郎の遺児を(かくま)い通して育てたが、翌年の三月、看護の甲斐もなく病死してしまった。

 日を追って逃亡者が相次ぎ、最後まで、お屋形様に従って亡くなった者は七十人足らずしかいなかった。その中には一昨年、お屋形様と一緒に草津に来た土屋惣蔵、跡部尾張守、小宮山内膳と去年、一条右衛門大夫と共に来た秋山紀伊守と小原丹後守もいたという。草津の遊女、初花(はつはな)を迎えに来ると言った土屋惣蔵は、あの後、何度か手紙をよこし、初花は本気で惣蔵が迎えに来るのを楽しみに待っていた。

 岩櫃城にいた三郎右衛門が武田のお屋形様の死を知ったのは二日後の十三日の夕暮れだった。お屋形様の後を追っていた多門坊と静月坊が戻って来て、詳しい状況を知らせてくれた。

 お屋形様の終焉(しゅうえん)の地となった田野の周辺は織田の追っ手だけでなく、落ち武者狩りに加わった地元住民たちも押し寄せていた。皆、殺気立ち、現場に近づく事は容易ではなく、二人は落ち武者狩りの者たちに混じって近くまで行った。すでに織田勢によって現場は封鎖され、侵入する事はできなかった。合戦は正午には終わり、夕方には織田軍も撤退した。数十人の者たちが現場に残っていたが、警戒は厳重とは言えなかった。二人は忍び込んで側まで行ってみた。言葉では表現できない程、無残な光景がそこにあった。首のない武将たちの死骸があるのは、どこの戦場でも目にする光景だったが、二十人余りもの身分ある女たちの死骸が血だらけになって転がっているのは目を覆いたくなるほど悲惨な光景だったという。

 二人と一緒に甲府に行った東月坊は、人質として新府の城下で暮らしていた真田安房守の家族たちを守りながら先に帰っていた。安房守の奥方、長男の源三郎、次男の源次郎、三人の娘、それに、安房守の兄、源太左衛門の娘と兵部丞の息子、弟の加津野市右衛門の家族、矢沢三十郎の娘たちも一緒で、総勢百人余りが危険な目に会いながらも無事に帰って来た。源三郎と源次郎に仕えていた三郎右衛門の弟、小四郎も無事だった。何度も盗賊と化したならず者たちに襲われそうになり、まるで、落ち武者になったような気分だったという。佐久から浅間越えをして来た一行は鎌原城で休んだ後、鳥居峠を越えて真田へと帰って行った。

 正月末の木曽伊予守の裏切りから始まって、木曽での敗戦、伊那衆の逃亡、穴山梅雪の裏切り、高遠城の落城、そして、土壇場での小山田左兵衛の裏切りと続き、わずか一月半で、武田家が滅び去ってしまうとは、想像すらできない事だった。甲斐、駿河、信濃、西上野の領主として君臨していた武田家が消えてしまったなんて、悪い夢でも見ているようだった。

 先月の末、箕輪城を奪い取った北条安房守は吾妻に攻め込もうと隙を窺っていたが、武田家が壊滅状態に陥った事を知ると信濃を侵略しようと西へと向かった。松井田城を落とし、碓氷(うすい)峠を越えて佐久に攻め込もうとしていた。岩櫃城を守っていた三郎右衛門たちがホッと胸を撫で下ろした時、武田家の滅亡の知らせが届いたのだった。

 多門坊と静月坊が引き下がった後、三郎右衛門は縁側に座り込んだまま、呆然としていた。早く、皆に知らせなければならないと思いながらも、亡くなってしまったお屋形様や奥方様の面影を(しの)んでいた。そこに東光坊が、のそっと現れた。

「一体、どこに行っていたんだ」と三郎右衛門は思わず怒鳴った。

 東光坊は二月の半ば、織田勘九郎が岐阜を出陣したという知らせが届くと、黙って、どこかに消えてしまい、行方がわからなかった。それが突然、そこらを散歩でもして来たような気楽な格好をして庭に現れたのだった。

「ちょっとな、医者になって世間を見て来た」東光坊は軽く手を上げて笑った。

「何をのんきな事を言ってるんだ。武田家が滅びてしまったんだぞ」

「ああ、知っている」と言いながら三郎右衛門の側に腰を下ろし、庭の片隅にある桜の木を眺めた。丁度、満開に咲き誇っているのに、何となく物悲しく感じられた。

「古府中を通って来た」と東光坊は言った。

 三郎右衛門は桜の花を見つめたまま何も言わなかった。

「まったく、ひどい有り様じゃった。あれが甲斐の都じゃったとはのう。恐ろしい事じゃ。わしが行った時は織田と徳川の軍勢で溢れていたが、武田のお屋形様が去ってから織田軍が入って来るまでの数日間、盗賊と化した者どもに略奪の限りを尽くされたに違いない」

「そんなにもひどい状況なのか」と三郎右衛門は桜の花から東光坊へと視線を移した。

「ひどいなんてもんじゃない。古府中から佐久を通って帰って来たんじゃが、山中のいたる所に盗賊どもがたむろしていて、盗んで来た財宝を囲んで酒を飲み、さらって来た女たちを(なぐさ)み物にしておった。武田の家臣たちの娘たちもいるに違いない。可哀想じゃがどうしようもなかった」

「助けなかったのか」と三郎右衛門は責めるような口調で聞いた。

「助けていたら切りがないわ。それよりな、今日、小諸の近くを通ったら大変な騒ぎになっていた。詳しい事はわからんが、左馬助殿が家臣に裏切られて、殺されたとか自害したとか噂になっていたぞ」

「左馬助殿が殺された‥‥‥」三郎右衛門はぼうっとした顔で東光坊を見ていた。もう何を言われても驚かなくなっていた。

「そういう噂じゃ。小諸城が織田方に寝返ったとなると、敵はすぐそこまで来たという事になる」

「なに、そいつは大変だ」と三郎右衛門は我に返った。「敵は鳥居峠からではなく、浅間越えから鎌原に攻め込むに違いない。早く、みんなに知らせなくては」

 慌てて立ち上がろうとした三郎右衛門を、「まあ、落ち着け」と東光坊は押さえた。

「話を最後まで聞け。わしは安土まで行って来たんじゃよ。噂に聞く華麗なる天主ってえのをこの目で見たかったんでな」

「安土だと? 御苦労な事だ。俺も一緒に行きたかったよ。さぞ、楽しい旅だったろう」

 三郎右衛門は皮肉を言ったが、東光坊はお構いなしだった。

「見事な城じゃった。まるで極楽を思わせる華麗なる御殿じゃ。大したもんじゃよ。どんな武将でも、あれを見ただけで腰を抜かしてしまうじゃろうな」

「そんなにもすごいのか」と三郎右衛門は東光坊の話に引き込まれてしまった。

「ああ、すごい」と東光坊はうなづいた。華麗なる天主を見上げているような顔付きをして話し続けた。「あれだけ(ぜい)を尽くした城を建てたというだけで、敵対するのが馬鹿げに思えて来る。到底、かなうわけがないと思えて来るんじゃよ。信長という男を実際に見てみたくなってな、矢も盾もたまらなくなったんじゃ。なにせ、以前、奴を見たのはもう十年余りも前の事じゃ。噂はかなり流れて来るが実際にこの目で見て、どんな男なのか見極めたかったんじゃよ」

「それで、見極めたのか」

 東光坊は三郎右衛門を見つめて、うなづいた。

「見極めた。信玄殿と謙信殿のいない今、天下を治める事ができるのは信長しかいないじゃろう」

「北条相模守よりも上か」

「当然じゃ。武田家の次に狙われるのは北条じゃろうな」

「信長は北条も潰すつもりなのか」

「多分な。北条も信長の機嫌を取っているようじゃが、信長の下に立つ気はあるまい。逆らえば潰されるじゃろう」

「北条も滅ぼされるのか‥‥‥」

 三郎右衛門はあの小田原の都が廃墟になるさまを思い浮かべて首を振った。上杉の大軍に攻められても、武田の大軍に攻められても、無事だった小田原城が織田の大軍によって攻め落とされるとは思えなかったが、織田軍は上杉軍や武田軍が持っていなかった大量の鉄砲を持っている。多分、北条軍の数倍の鉄砲を持っているに違いなかった。

「そんな事は信じられんが、武田家が滅び去ってしまった今、残念ながら、ありえないとは言いきれん。生き延びるには信長に付くしかないという事なんだな」

「そういう事じゃ。信長は三月五日、安土を出陣した。率いる兵は五万は下らないじゃろう。六日には岐阜に着き、仁科五郎殿の首実検を行ない、五郎殿の首を長良川に(さら)した。次の日は雨降りだったので、信長は岐阜城から動かなかった。わしは勘九郎の軍が通った後を追って、伊那から諏訪に抜け、新府城と古府中を見て戻って来たんじゃよ」

「そうだったのか‥‥‥」

 仁科五郎の首が岐阜まで行き、信長と対面していたとは知らなかった。五郎は三郎右衛門より三歳年下の二十六歳だった。二十六で戦死してしまうなんて、あまりにも若すぎた。草津に来た時の楽しそうだった五郎の笑顔が浮かび、そして、妹の信松尼の笑顔も浮かんで来た。三郎右衛門は二人の冥福を祈った。

「安土に行願坊が若い者と一緒にいた」と東光坊は言った。「行願坊の奴、絵師を気取っていたわ。いつ覚えたのか知らんが、なかなか、うまいもんじゃった。二人の若い者を弟子にして安土城下に住んでいた。奴らはしきりに城の絵を描いていたから、帰って来たら見せてもらえばいい。それとな、安土の小野屋を覗いたら、お澪殿がいた。お屋形様から話は聞いていたが、善恵尼殿に勝るとも劣らん別嬪(べっぴん)じゃな。近づいておくのも今後のためじゃと思ってな、ちょこちょこ遊びに行ったわ」

「湯本家の忍びだと言ってか」

「まさか、湯本家に世話になっている医者としてじゃ。今は冬住みなんで、上方(かみがた)見物に来たと言ったんじゃ。お澪殿が信じたかどうかはわからんがの。いい女子(おなご)じゃよ。小野屋の主人は与兵衛といってな、通りを挟んだ向かいに『我落多(がらくた)屋』という、名の通りの我落多を売っている店があるんじゃが、そこの主人が夢遊(むゆう)という変わり者で、お澪殿にちょっかいを出して困るとぼやいておった。年の頃は四十を過ぎているらしいが女好きの酒好きだという。一度、会ってみたいと思っていたんじゃが、堺の方に行っていて留守じゃった」

「お澪殿にそんな虫がついてるのか。善恵尼殿が知ったら大変な事になりそうだな」

 善恵尼の名を口に出して言ったら、ユカリの事を思い出した。自分の娘がいるのに、どうして、お澪を小野屋の跡継ぎに決めたのだろう。自分の娘には自由に生きてもらいたいと思っていたのだろうか。

「その夢遊という男、どうも臭いな。我落多屋に売っている物というのが、わしらの『万屋』と似ている」

「盗品だというのか」

「どこかの忍びに違いない。お澪殿の正体を知らない所を見ると北条ではない。上杉か毛利かもしれん。まあ、安土という所は各地から忍びが入って信長の動きを探っている。城下の出入りは勝手じゃからな、誰でも簡単に入って来られる。まったく面白い所じゃよ」

「お澪殿だが、やはり信長の後を追ったのか」

「ああ、そうじゃ。岐阜までは信長の後を追って行ったが、そこから南下して伊勢に向かったようじゃ。多分、船で小田原に向かったんじゃろう。おっと、忘れる所じゃった。安土で堀久太郎に会ったんじゃよ」

「なに、堀殿に会って来たのか」

 東光坊に言われるまで、堀久太郎の事をすっかり忘れていた。いつか、行願坊が、もしもの時には役に立つと言っていた。あの時、信じられなかった、もしもの時が、もうすぐ現実のものとなりつつあった。

「こっちは旅の医者だし、会ってくれるとは思ってもいなかったんじゃが、上州の草津から来たと行ったら気楽に会ってくれた。お屋形様の事をよく覚えていて、懐かしがっていたよ。本丸のすぐ近くにある立派な屋敷に住んでいてな、信長の信頼が厚いようじゃ。上泉伊勢守殿の弟子の疋田豊五郎(ひったぶんごろう)殿が今、織田勘九郎の師範となっていて岐阜にいると言っておった」

「その事は前に道感殿から聞いていたが、疋田殿はまだ、岐阜におられたのか」

「居心地がいいんじゃろう。もしかしたら、勘九郎と一緒に出陣したかもしれんとも言っておった」

 信松尼がいた高遠城を攻めた織田軍の大将は勘九郎だった。勘九郎はどんな気持ちで許婚者のいる城を攻めたのだろう。信松尼が未だに勘九郎の事を思っていても、勘九郎の方は何とも思っていなかったのだろうか。勘九郎の気持ちはわからないが、許婚者だった女の家を滅ぼす事になってしまうとは、あまりにも非情な世の中だった。

「堀殿も信長に従って出陣する事になっていて、武田征伐が終わったら、信長の許しを得て、是非とも草津に行きたいと申しておった」

「なに、堀殿が草津に来るのか」

「うむ。信長も許してくれるじゃろうと言っておった」

「そうか、堀殿が来られるか。懐かしいなあ。堀殿も酒が好きでな、道場をこっそり抜け出して、よく飲み歩いたものだった。一緒に酒を飲むのが楽しみだ‥‥‥ちょっと、待て。という事は是非とも織田につかなければならないではないか。安房守殿は北条につくつもりなのかもしれんぞ。早く、この事を知らせなければならん」

「安房守殿は真田に帰っておられるのか」

「織田軍が攻めて来るかもしれないと戸石城に帰られたんだ」

「よし、わしがすぐに行って来よう」と東光坊は迷わずに言った。

「頼む」

 東光坊が去ると三郎右衛門は本丸に登り、城代たちを初め武田家の家臣だった者たちを全員、集めた。武田のお屋形様が二日前に討ち取られたと聞いて、皆、茫然自失の(てい)だった。そんな事、信じられるかと言い張っていた者たちも、山伏たちによって、次から次へと入って来る情報を聞くに及び、信じざるを得なかった。小諸の武田左馬助が留守を守っていた下曽根覚雲軒(かくうんけん)に殺された事も事実だった。

 三郎右衛門は今後、吾妻衆が生き残るためには真田安房守に従うしかないと主張した。その事に不平を言う者はいなかった。今後、何が起こるかわからないので、厳重に守りを固め、安房守を迎えようという事に決まり、外はもう暗くなってしまったが、直ちに使者が送られた。

 翌日の昼過ぎ、里々とユカリが岩櫃城にやって来た。砦から下りて来たのかと思ったら、なんと、真田から帰って来たという。ユカリが真田にいる姉のおナツと同い年のおしほに会いたいと言い出し、一人で行こうしたので、仕方なく、里々が付いて行った。向こうで東光坊と会い、三郎右衛門を真田に連れて来るように頼まれたという。

「安房守殿がこちらに来るように使者を送ったはずだが」と聞くと、

「はい、使者は参りました」と里々が答えた。「しかし、安房守殿は、岩櫃に行く暇はない。今は一刻を争う重要な時を無駄にはできないと申されました。安房守殿は直ちに織田大納言殿のもとに挨拶に伺うとの事でございます」

「なに、信長のもとへ行くというのか。危険ではないのか」

「生きるか死ぬか、天命に任せるとおっしゃっておりました」

「天命に任せるか‥‥‥」

 三郎右衛門は腕を組んで、庭の桜を眺めた。散った花びらがそよ風に舞っていた。生きるか死ぬか、天命に任せるという言葉を心の中で何度も繰り返していた。

「兄上様、あたしも連れてって」とユカリが言った。

 三郎右衛門はユカリを見た。兄上様と呼ばれ、改めて、妹なんだと実感したが、そんな感慨に浸っている場合ではなかった。

「お前が一緒に行ってもどうにもならん。おとなしく留守番していてくれ」と三郎右衛門はそっけなく言った。

「いや、あたしも行く」ユカリは強情な顔をして三郎右衛門を見つめていた。

「お屋形様」と里々が声を掛けた。「この()、一度言い出したら聞きはしませんよ。放って置いたら勝手に行ってしまうでしょう」

「お前の手にも負えんのか。まいったな」

「お屋形様、どうでしょう。わたしたちが旅芸人の一座に扮して行くというのは」

 里々はとんでもない事を言い出した。戦場に旅芸人など連れて行けるはずはなかった。

「危険すぎる。東光坊の話だと信濃も甲斐も盗賊と化した者どもが我が物顔で横行しているという。忍びとはいえ、女たちを連れて行くわけには行かない」

「そんな事を言っていたら、わたしたちは万屋の店番しかできません。みんな、厳しい修行に耐え、お屋形様のために働きたいのでございます。お屋形様が生きるか死ぬかの覚悟を決めたのに黙って見ているわけには参りません。都から来られた織田軍が見れば田舎芸人かもしれませんが、慰みにはなるかと思います」

 三郎右衛門はまた桜の花を眺めた。確かに大きな賭けだった。信長に会う前に殺されてしまうかもしれなかった。たとえ、信長に会えたとしても、生きて戻れるとは限らない。

 三郎右衛門は桜の花から視線を戻して、里々とユカリを見た。里々は必死な面持ちで三郎右衛門を見つめ、ユカリは恐れを知らない強い視線を送っていた。三郎右衛門は決心を固めた。

「よし、わかった。すぐに支度をしてくれ」

 里々は頭を下げ、ユカリは嬉しそうに喜んだ。二人が去った後、三郎右衛門は城代たちに後の事を任せ、選りすぐりの二十人を引き連れて長野原に帰った。長野原で旅芸人に扮した里々たちと合流し、翌日、霧雨の降る中、真田へと向かった。

 馬に揺られ、雨に煙る浅間山を左手に眺めながら、三郎右衛門は草津を守り抜くため、湯本家の将来、吾妻郡の将来、そして、真田家の将来を織田信長の側近として重きをなす堀久太郎に託そうと心に決めていた。

 そんな三郎右衛門の決心も知らず、妹のユカリは荷車に乗って、小田原で流行っているのか、陽気な曲を横笛で吹いていた。

 その頃、死んだものと諦めていたハヅキ、水月坊、光月坊の三人は信松尼を守りながら大菩薩(だいぼさつ)峠を越えていた。信松尼は高遠城が織田軍に囲まれる以前に、仁科五郎の三歳になる娘を連れて新府城に避難した。その時、ハヅキも草津に帰れと命じられ、信松尼と行動を共にした。新府城に入ったのは二月二十八日で、翌日、兄の四郎も諏訪から戻って来た。出陣して行く時、一万余りもいた兵は離反者が続出して二千人足らずになっていた。すでに、四郎は新府城を捨て、岩櫃城に行く覚悟を決めていたが、深志(ふかし)城(松本市)も落城し、信濃国内も安全とはいえず、女子供を連れて、無事に岩櫃城に行けるとは思えない状況になっていた。四郎は四歳になる娘を信松尼に預け、先に逃げるように命じた。小山田左兵衛の四歳になる娘も預けられ、信松尼は三月二日、三人の娘を連れ、ハヅキたちに守られながら、信玄の伯母がいる栗原村の海洞寺を目指した。途中、古府中を通ったが、町はひどい混乱状態に陥っていた。治安を守るべき奉行所の役人たちはすでに逃げ出し、町人たちは荷物を抱えて逃げ惑い、徒党を組んだならず者たちがあちこちに出没し、強盗、放火、打ち壊しと好き勝手な事をしていた。海洞寺の大伯母の紹介で塩山(えんざん)向嶽寺(こうがくじ)に行った一行は、しばらく隠れていたが、織田軍が古府中に攻め入ったとの報を聞くと難を避けるため、武蔵横山(八王子市)の心源院の住職、卜山(ぼくざん)和尚を頼って大菩薩峠を目指したのだった。

 峠に立った信松尼は後ろ髪を引かれるような気持ちで古府中の方を見下ろした。手をつないでいる仁科五郎の娘、お(とく)姫があどけない顔をして信松尼を見上げていた。信松尼の侍女として付いて来たのは草津に来た時、信松尼に化けていたお咲だった。お咲は武田四郎の娘、お貞姫と手をつなぎ、ハヅキは裏切った小山田左兵衛の娘、お香姫と手をつないでいた。六人の女たちを守るため、前後に仁科五郎の家来が二人と山伏姿の水月坊と光月坊が守っていた。武田四郎の家来もいたが、皆、家族の事を心配して逃げてしまった。

 悲しそうな目をして古府中の方を見ていた信松尼はハヅキを振り返り、「草津は大丈夫かしら」とつぶやいた。

「草津は大丈夫でございましょう」とハヅキは答えた。古府中の悲惨な有り様を見たら草津も安全とは言えないが、大丈夫だと信じるしかなかった。

「きっと大丈夫でございますとも」とお咲が言って、目に涙を溜めながら信松尼を見た。

「楽しかったわ」と信松尼はしみじみと言って、微かに笑った。

 信松尼にとって仁科郷から草津への旅は、辛い事ばかりの思い出の中、唯一楽しかった思い出だった。信松尼は草津の思い出を胸に抱き、悲しみをじっと堪えて、さらに辛くなるであろう前途多難な旅路へと先を急いだ。









高遠城跡




御愛読、ありがとうございました
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