一休禅師
1
裏山で、ウグイスが鳴いていた。 五条安次郎は 四ケ月前、安次郎は、いつまでも夢庵に付き合ってはいられないと夢庵のもとを逃げて来た。あのまま、夢庵と一緒にいたら疲れ切ってしまい、自分を見失ってしまいそうだった。しばらく 安次郎は一休に歓迎された。一休は夢庵の事も早雲の事も懐かしそうに聞いていた。 一休はまったく不思議な人物だった。一見しただけだと、ただの汚い田舎の爺さんにしか見えない。髪の毛は伸び放題、無精髭も剃らず、色あせた綿入れを着込んで、これが、あの有名な一休和尚かと、安次郎は初めて見た時、がっかりした。かなりの年だとは聞いていたが、実際に会って見ると、さすがに年を取っている。七十歳を過ぎているに違いないと思ったが、実際は八十歳を過ぎていると聞いて、信じられなかった。その八十歳を過ぎた老人のやる事や言う事が、一々機知に富んでいて面白いのだった。一休がそこにいるというだけで、その場が明るくなるような感じを受けていた。そして、ここの雰囲気が駿河の早雲庵に似ていた事も、安次郎には気に入っていた。早雲庵と同じように、ここにも 薪村は京都と奈良の中程にあり、近くに木津川が流れていた。この辺りは木津川が淀川と合流する辺りにある 一休は自ら 大応国師の一番弟子が、京都五条の橋の下で、乞食と共に二十年間、修行を積んだという 虚堂二世の大応国師が二百年程前に、この薪村に 安次郎が来た時、酬恩庵の西側に整地された広い土地があり、そこは妙勝寺の再建予定地だと、一休の弟子の そのお森という女の存在は安次郎には理解できなかった。一流の禅僧とも言える一休が身近に、たとえ盲目であっても女を置くという事があってもいいものか、分からなかった。その盲女は年の頃は三十前後か、目はいつもを正面をむいたままだったが、その 安次郎は一休に歓迎され、地元の商人、山崎屋六右衛門と共に遅くまで酒を飲んで語りあった。六右衛門は石清水八幡宮の薪山の管理をしている神官だったが、それだけではなく、材木と油を扱っている商人でもあった。新たに酬恩庵を建てて、一休をここに呼んだのも六右衛門の力によるものと言ってよかった。六右衛門に言わせると、二十年前、一休と出会ってから自分の生き方は変わったと言う。もし、一休に出会わなかったら、今の自分はいないだろう。銭儲けの事ばかりに気を取られて、人の気持ちなど、まったく分からない 次の日、安次郎は一休のもとで参禅をしたいと申し出た。一休は喜んで、 安次郎は驚いた。安次郎としては一年間はここにいるつもりだった。しかし、一休は自分を客としか扱ってくれなかった。今、ここを追い出されても行くべき所はない。 安次郎は雲知に、一休の弟子になりたいと告げた。 雲知は首を振った。 「おやめなさい。和尚様はもう、お弟子は取りません」 「お願いします。和尚様にお伝え下さい」 安次郎は雲知に土下座して頼んだ。 「どうせ、無駄だとは思うが、一応、取り次いでみよう」 やがて、安次郎は一休の居間に通された。 「五条殿、わしはこの通り、もう年じゃ。弟子を取っても何も教える事はできんのじゃよ」と一休は静かな声で言った。 「お側に置いて貰えるだけで結構です。お願い致します。お弟子の一人をお加え下さい」 「どうして、わしの弟子になりたいんじゃな」 「はい、それは是非、禅というものを見極めたいのです」 「ほう、禅を見極めるとな」 「はい」 「見極めてどうする」 「それは‥‥‥この乱れた世を救うためです」 「どうやって?」 「分かりません‥‥‥しかし、禅の修行を積めば分かるような気がします」 「そなたの言う事は立派じゃ。しかし、禅僧が政治に首を突っ込んだ所で、ろくな事にはならん。それにのう。わしは師から印可を貰ってはおらん、わしの弟子になっても印可をやる事はできんぞ。世直しがしたかったら立派な寺院に行く事じゃな」 「和尚様、実は‥‥‥実は、わたしは連歌師になりたくて今川家をやめて参りました。夢庵殿より連歌作りには禅の修行が必要だと聞いて、こうして、やって参りました」 「ほう、 「はい」 「確かに、連歌に限らず、芸能には禅は役に立つ。しかしのう、わしの弟子に連歌師などいらんのじゃ。わしの弟子は禅だけをやっておればよろしい。わしは、すでに八十年近くも禅をやっておるが、本物の禅とは何か、未だに分からんのじゃよ。連歌の片手間にやる程、禅の世界は生易しいものではない。そんな禅を習いたいのなら、わしの所になど来るな。そなたの望む禅を教えてくれる者は、京の 取り付く島もなかった。安次郎は酬恩庵からたたき出された。 安次郎は腹を立てながら木津川の方に向かった。 河原では、大勢の人足たちが大声を上げながら材木を船に積んで運んでいた。安次郎は河原まで来ると石の上に腰を降ろし、さて、これからどうするかと考えた。 一休のもとで修行すると言って出て来た手前、夢庵の所には帰れなかった。しばらく、旅を続けようかとも思ったが、一休のもとで修行をしなければ、二度と夢庵の前に出られないだろうと気づいた。夢庵の前に出られないという事は宗祇の前にも出られない。という事は宗祇の弟子になれないという事だった。宗祇の弟子になるために、こうして出て来たのに、たかが、老いぼれ禅師のために夢を諦めるわけには行かない。安次郎は、どうしても弟子になってやると決心すると、もう一度、酬恩庵に戻って行った。
2
酬恩庵に戻った安次郎は再び、弟子にしてくれと土下座して頼んだ。 雲知が出て来て、今は僧坊が空いていないから駄目だと断られた。どこでも構わないから置いてくれというと、うちは貧乏寺だから、食わせて行く事ができないと断って来た。銭なら少し持っていると言うと、その銭で故郷に帰れと言う。何を言っても無駄だった。一休に会わせてもらう事さえできなかった。 その日、安次郎は日が暮れるまで玄関の前に座っていた。一休の弟子たちが時折、安次郎の姿を覗きに来たが、声を掛けて来る者はいなかった。やがて日も暮れ、庫裏から夕食の匂いがして来た頃、一休が姿を見せた。ようやく、弟子にしてもらえると喜んだが、一休は不思議そうに安次郎を見ながら、「何者じゃ」と聞いた。 安次郎は知っているくせに何をとぼけているんだと思ったが、「五条安次郎忠長です。以前は駿河の国、今川家の家臣でした」と言った。 「そんな者には用はない。さっさと帰れ」 そう言うと、一休は玄関の戸を閉めてしまった。 安次郎はくやしかった。今まで、こんな 夜道をしょんぼりと歩いていると、安次郎は山崎屋に出会った。山崎屋は、こんな暗くなってからの一人歩きは危険だからと、うちに連れて行ってくれた。 さすがに山崎屋の屋敷は立派だった。安次郎は一休に対する不満を山崎屋にぶちまけ、一休以上の禅僧を知らないかと尋ねた。 「それはおるかもしれませんが、捜すのは難しい事です」と山崎屋は言った。 「聞いて回れば、分かるでしょう」と安次郎が気楽に言うと、 「さあ、それはどうでしょうか」と山崎屋は首を振った。「禅というのはまだ、一般の者たちの間にまで広まってはおりません。はっきり言って、武士や貴族たちの宗教と言ってもいいでしょう。一休和尚様はそれを民衆のもとに根付かせようとしておられます。和尚様のお陰で、町人たちの間にも禅は広まりました。しかし、まだ、限度があります。禅は難しい教えです。言葉であれこれと言う事ができません。自分の力で分からなければならないのです。禅とは何かを知る一番の近道は座禅をする事です。しかし、毎日が忙しい民衆たちには、何時もの間、座り続けるという座禅をする暇はありません。一休和尚が禅の教えを民衆のもとに広めたと言っても、時間に余裕のある裕福な商人たちの間に広まったに過ぎないのです。まあ、ここは例外で、百姓たちの間にも座禅をする者たちも何人かおりますが‥‥‥ですから、立派な禅僧を捜すと言っても、そこらにいる者たちに聞いて回っても捜し出す事はできないと思います」 「すると、やはり、有名な寺院に行って捜すしかないのですか」 「有名な寺院に立派な禅僧がいるとは限りません。特に、幕府に保護されている五山の禅僧たちは、禅の修行よりも漢詩作りに熱中している模様です。彼らは確かに様々の書物を読んで、色々な事を知ってはいるでしょうが、禅というものは書物を読んでも分かるものではないのです。わたしにはその辺の事は詳しく分かりませんが、本物の禅僧なら、そんな連中の中にいる事を嫌って、外に出て、破れ寺の中でひっそりと修行を積んでいる事だろうと和尚様は言っておられます」 「禅というのは書物を読んでも分からないのですか」 「はい。分かりません」 「禅とは一体、どんなものなのです」 「どんなものと言われましても‥‥‥自分で見付けるより他はありません。例えばですね、海というものを知らない山奥に住んでいる者に海とは何かを教えるようなものです」 「海を知らない者に海を教える」 「はい。人間というものは、今までに自分で見たり経験した事の範囲内でしか物を考える事ができません。海を見た事のない者に海を教えようとしても、本当に教える事はできないのです。沼や湖のずっと大きなものだと教えたとしても、教えられる者が、今までに山の中の小さな沼しか知らなかったら、海というのは、せいぜい琵琶湖位の大きさなんだなと思うでしょう。琵琶湖を知っている者でも、せいぜい、琵琶湖の十倍位かと思うだけで、実際の海を想像する事はできないでしょう。また、海辺に住んで、毎日、海を見ながら暮らしている者でさえ、海の向こう側の事は分かりません。実際に船に乗って、沖の方まで出て行った事のある者たちは、また違った海を知っているという事になります」 「その海と禅がどう結び付くのです」 「わたしの経験から、禅と海が似ていると感じたのです。わたしが一休和尚様に初めて会った時、勿論、わたしは禅の事など何も知りませんでした。ただ、有名な和尚様が丘の上にお寺を建てるというので、この村の代表として挨拶に行ったのです。はっきり言って、わたしは和尚様を見て、がっかりしました。有名な和尚様だと聞いていたので、きらびやかな 「海のようなお方ですか‥‥‥残念ながら、わたしにはそうは見えません」 「五条殿は連歌をなさるとか」 「はい」と安次郎は頷いた。 「禅を連歌に置き換えて見れば分かりやすいと思いますが」 「禅を連歌に?」 「はい。わたしも連歌は少しやりますが、あれもなかなか、奥の深いものだと思います。まず、古典を学ばなければなりません。同じ歌を目にしても、古典を知らない者と知っている者とでは、歌から受ける印象は全然違います。また、それ以前に、まず、字が読めなければ話になりません。字が読めなければ、歌を理解する以前に、何が書いてあるかさえ分かりません。それと同じです。禅を理解するには、基本である座禅をしなければ話にはならんのです」 「座禅ですか‥‥‥しかし、一休殿は弟子にはしてくれません」 「お弟子になるのは難しい事です。覚悟の程を見せなければなりません」 「覚悟の程?」 「はい。一休殿の禅は一番厳しい禅だと言われております。何者にも 「どうしたらいいのですか」 「弟子にしてもらえるまで、門の前で座り込んでいるのです」 「どの位です」 「それは分かりません。 「雨の中を十日間も?」 「はい。泥だらけになって座っていたそうです。それで、和尚様より泥の牛、泥牛という名前を貰ったそうです」 「泥の牛ですか‥‥‥」 「それだけの覚悟がなければ、和尚様のお弟子にはなれないでしょう。しかし、また、どうして、お弟子になりたいなどと言ったのです。お弟子にならなくても、和尚様は禅の指導をしてくれるものを」 「知らなかったのです。禅というものが、それ程までに厳しいものだったとは‥‥‥しかし、言ってしまった以上は、必ず、和尚様の弟子になります。ならなければならないのです」 「連歌の事は諦めますか」 「いえ、諦めません」 「それは難しい事ですな。和尚様は禅と芸事の二股をかける者を一番嫌っておられます。和尚様のお弟子になるのなら、連歌さえも捨てる覚悟が必要でしょう。五条殿が言葉には出さずに、心の奥底に連歌に対する 「一休殿は人の心の中まで見る事ができるのですか」 「できます。恐ろしいお人です。連歌を取るか、禅を取るか、二つに一つです。迷いがあるうちは、お弟子にはして貰えないでしょう」 「‥‥‥」 「連歌を捨てる事はできますか」 安次郎には答えられなかった。 「よく考えてみる事です。わたしの所でしたら、いくらいても構いません。答えが出るまで、ここで、のんびりしていって下さい。五条殿は今、重要な所に立っておられます。右に行くか、左に行くかによって、五条殿の一生はまったく違ったものとなる事でしょう。自分で納得するまで、よく考える事です」 安次郎はその晩、寝られなかった。 連歌師になる事は昔からの夢だった。連歌師になるために今川家をやめた。連歌師にならずには故郷に帰る事はできない。どうしても、宗祇の弟子にならなければならなかった。しかし、宗祇の弟子になるのも大変な事だった。夢庵は弟子になるために一年以上も頑張っている。その夢庵に、一休のもとで修行をして来ると言って出て来た手前、一休に門前払いを食らったと言って戻るわけには行かなかった。宗祇も夢庵から聞いて、自分が一休のもとに行った事は知っているだろう。無事に修行を積んで、宗祇のもとに行けば、弟子にしてくれる事も考えられるが、一休に弟子にしてもらえずに逃げて来たのでは、弟子にしては貰えない。かといって、連歌を諦めて禅僧になる気にはなれなかった。 一体、どうしたらいいのか、分からなかった。 山崎屋は禅を分かるには、まず、座禅だと言った。 安次郎はまだ、暗い夜中、布団から出ると、さっそく座禅を始めた。答えが出るかもしれないと座り込んでみたが、答えは得られなかった。しかし、不思議と心は落ち着き、今の自分が何をすべきなのかが分かったような気がした。先の事はともかく、今、自分がしなければならない事は、一体の弟子になる事だった。その事から逃げてはいけない。今、その事から逃げてしまえば、一生、後悔するような気がした。連歌の事は諦め切れなかったが、今は、一体の弟子になる事だけ考えようと夜が明けると共に、安次郎は酬恩庵に向かった。
3
安次郎はまた、雲知に弟子をしてくれと言って断られ、玄関の前に座り込んでいた。 夕方になって、一休が現れ、また『何者じゃ』と聞いた。安次郎は前回と同じように、元駿河今川家家臣、五条安次郎忠長と答えた。一休の答えは前回と同じだった。それだけでなく、玄関の前に座られては邪魔だと水を浴びせられ、それでも動かずにいると、力づくで追い出された。 安次郎は泥だらけになり、仕方なく、その夜は丘の下で夜を明かした。十月の末で寒かったが、安次郎は死に物狂いになって、震えながら一晩中、座り通していた。この夜程、夜明けが待ち遠しく、夜が長いと感じた事はなかった。次の日、安次郎は山に入って 夜が明けると酬恩庵に行って、弟子にしてくれと頼み、断られ、また、柴小屋に戻って座るという毎日が続いた。安次郎の事はすぐに村中の噂となり、珍しそうな顔して、毎日、見物人がやって来た。中には食べ物を施してくれる者もいて飢え死にだけはしなかった。 三日目に、一休がお森と一緒にやって来て、柴小屋の中を覗き込み、「何者じゃ」と聞いた。 「五条安次郎忠長です」と答えて、安次郎はハッと気づいた。 一休は、そんな事を聞いているのではないという事がようやく分かった。一休が聞いたのは名前や肩書などではなく、もっと本質的なものであるという事を安次郎は気づいた。 一休は、そんな者に用はないと言うと酬恩庵に戻って行った。 安次郎は自分は一体、何者なのかを真剣に考え始めた。自分から名前も肩書も取ってしまったら、自分には一体、何が残るのだろうと考えた。もし、名前や肩書がなくなったとしても、自分というものが消える事はない。この消える事のない自分というものは、一体、何なのだろう。 この村にいる者たちは自分の事を知らない。ある日、この村にやって来て、こんな所に小屋を立てて、毎日、座り込んでいる変わった男だと見ている事だろう。一体、今、ここに座っている自分とは何なのだろうか。 禅僧ではない。勿論、連歌師でもない。今川家の武将でもない。 今の俺は、人から飯を施してもらう、ただの乞食か。 しかし、その乞食をしている自分というのは一体、何なのだ。 安次郎は過去の事を色々と思い出して見た。安次郎は 山崎屋六右衛門も心配して、時々、訪ねて来てくれた。そして、もう一人、毎日のように飯を運んでくれる老婆がいた。老婆はただ一言、頑張りなされ、と言って、握り飯を置いて行った。安次郎は今まで握り飯という物をこんなにも感激して食べた事はなかった。飯を食う事など、以前は当然の事だと思っていた。飯を食うという当たり前の事が、こんなにも嬉しい事だったとは考えた事もなかった。毎日、ただ座っているだけだったが、何となく、心が洗われるような新鮮な気持ちだった。禅というものが、何となく分かりかけて来たような気がした。 また、三日後に、一休はやって来て、『何者じゃ』と聞いた。 「分かりません」と安次郎は正直に言った。 「自分が何者か分からんような奴に用はない」と言うと一休は去って行った。 安次郎にも、ようやく、一休という禅師の大きさが分かりかけて来た。山崎屋が言っていたように、一休は海のように大きいという事を感じられるようになっていた。その事に気づいた安次郎は、本気で一休の弟子になろうと決めた。連歌の事は諦めてもいい、一休から本物の禅を教わろうと決心した。 安次郎は山崎屋に頼んで、頭を剃って貰い、決心を固めると、改めて一休の『何者じゃ』という問いに取り組んだ。 十一月になると夜の冷え込みは益々、増して行った。安次郎は、毎日、自分が何者なのかを座り込んで考えていた。 夢庵だったら何と答えるだろうか。 寝そべったまま、ニヤッと笑って、わしは夢庵じゃ、と言うのだろうか。そうすると、一休は何と言うのだろう。 やはり、夢庵などには用はない、と言うのだろうか。 すると夢庵はまたニヤッと笑って、わしも用はない、と言うのか‥‥‥ 早雲だったら何と答えるだろうか。 頭を撫でながら、早雲じゃ、と言うのか。 一休は早雲などには用がないと言い、早雲はどう答えるのか。 安次郎には分からなかった。 安次郎は夜空の星に聞いてみた。星はただ輝いているだけだった。 目の前に生えている草に聞いてみた。草はただ、そこにいるだけだった。 また、三日後に、一休は来て『何者じゃ』と聞いた。 安次郎は、「分かりません」と答えた。用はないと言って、一休は去って行った。 安次郎には何と答えたらいいのか分からなかった。何と答えたら、一休は弟子にしてくれるのだろうか。名前ではない事は確かだ。「分かりません」でない事も確かだ。そうなると、ただの人とか、名もない男とか答えればいいのだろうか。 安次郎は自分は何者か、を考えるよりも、何と答えたらいいのかを考え始めた。それは主客転倒だったが、安次郎は気づかなかった。あれこれと考えた末の答えは、『自然の一部である人間の一人』というものだった。安次郎はこの答えなら大丈夫だろうと、三日後、一休に自信を持って答えた。一休の返事は安次郎の思い通りにはならなかった。 「ほう、自然の一部か、それなら、そのまま、そこにずっといろ。いつの日か、望み通りに土になれるだろう」 考えて、考えたあげくの返事がそれだった。安次郎は、もう、どうにでもなれと、考える事をやめた。自分は自分でしかない。他の何者でもなく、自分なんだ。あれこれ、考える必要はない。今、座っている、この姿以外に自分というものはない。 一休の問いに 今川家をやめて旅に出て以来、自由の身になったつもりでいたが、それは本当の自由ではなかった。連歌師にならなければならないという思いが一杯で、せっかく旅に出たのに何も見てはいなかった。 安次郎は初めて、目というものの不思議さに気づいた。見えるという事と見るという事は違うという事に気づいた。誰でも目を開ければ何かが見える。見えるからといっても、必ずしも見ているわけではなかった。やはり、見ようとしなければ何も見る事はできないのだった。安次郎は変な事に気づいたものだと、小屋から出ると、改めて回りの景色を眺めて見た。今まで、自分がどんな所に座っていたのか知っているつもりでいたが、改めて、回りを見回してみて気づかない事が色々と見つかった。 不思議な気持ちだった。今まで、自分は何を見ていたのだろうと思った。駿河にいた頃も、こんな風に漠然と物を見ていたに違いなかった。三十年も生きて来て、ろくに物を見ていなかったとは自分が情けなく思えた。もしかしたら、目だけではないのかもしれない。耳も鼻も口も五感といわれている物を、今まで充分に使っていなかったような気がして来た。せっかく持って生まれた物を充分に使わないのは、勿体ない事をして来たものだと思った。反面、その事に気づいた事の喜びもあった。安次郎は景色を楽しみ、心に焼き付けると、また、小屋の中に戻って座り続けた。 目を閉じると、安次郎はじっと耳に澄ましてみた。色々な音が耳に入って来た。風の音、鳥の鳴き声、虫の鳴き声らが快い音として耳に入って来た。そして、柴の匂い、草の香りも新鮮に感じられた。ただ、自分の着ている着物の臭さが気になって来た。一度、気になると、もう溜まらなかった。今まで、全然、気にならなかったのに臭くて溜まらなかった。安次郎は木津川の河原に飛んで行くと、そのまま川の中に飛び込んだ。水は冷たかったが気持ちよかった。 なぜか、嬉しかった。理由は分からないが自然と笑いが込み上げて来て、安次郎は一人、水浴びをしながら笑っていた。まるで、子供の頃に戻ったかのように、水の中で遊んでいる事、それだけで楽しかった。こんな気分になるのは本当に久し振りのような気がした。 今までずっと、武士という枠の中で生きて来た。常に、人の目を気にして生きて来た。やりたい事があっても回りの目を気にして、できなかった。自分でありながら、それは自分ではなかった。五条安次郎というのは、こういう男だと、いつの間にかできてしまった枠の中で生きていた。武士である限り、その枠の中からはみ出す事は許されない事だった。ところが、今の安次郎にはその枠がなくなり、まったくの自由の身になっていた。何をしようと構わない。誰が見ていようと構わない。何をしても、俺は俺だった。 安次郎は水の中で遊びながら、ふと、夢庵の事を思い浮かべた。夢庵は、今の安次郎と同じ境地で生きているに違いないと思った。いつも飄々としている夢庵は、まさしく、自由人だった。安次郎は夢庵を見直し、改めて、会いたいと思った。 着物を洗って草の上に干すと、安次郎はずっと水の中で遊んでいた。そのうち、子供たちがやって来た。子供たちは初めのうちは、寒いのに川の中に入っている安次郎を馬鹿にしていたが、やがて、皆、川の中に入って来て、みんなで日が暮れるまで遊んでいた。 三日後にまた、一休がやって来たが、安次郎は一休の事も忘れて、座ったまま眠っていた。 「何者じゃ!」と一休は怒鳴った。 「はい」と安次郎は跳び起きた。 「何者じゃ」と一休はもう一度聞いた。 「ただの土くれです」と安次郎は答えた。 考えた答えではなかった。その時、とっさに出て来た答えだった。 「とうとう、土くれになったか」 「はい」 「ただの土くれになるまで何日掛かった」 「三十年」 「三十年か、うむ、いいじゃろう。第一関門通過じゃ」 安次郎は酬恩庵に迎えられた。
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安次郎が酬恩庵の丘の下の柴小屋で座っていた頃、酬恩庵の一休の弟子たちの間では、安次郎の事が毎日の話題になっていた。 一休の弟子は雲知を筆頭に 安次郎が一休に許されたのは、十五日目の事だった。 許されたが、そのまま、僧坊に入ったわけではなかった。 真っ暗なため、時の流れがまったく分からず、一日がやけに長く感じられた。ようやく、食事の時間となって、外に出る事はできても、飯を食べる事さえ自分の自由にはできなかった。食事を取る事も禅の修行の一つだと言われ、色々と取り決めがあって面倒臭かった。 安次郎は旦過寮の中で、一休から出された新しい 『土くれは川に流された。さて、その土くれはどこに行く』という公案だった。 その答えを出さない限り、ここから出して貰えないだろうという事は分かっていた。そして、その答えが当たり前の事でない事も分かっていた。流されて砂になると言おうが、海まで流れると言おうが、ここから出してはくれないだろう。一体、一休はどんな答えを望んでいるのだろうか。 それよりも、前回、『何者じゃ』という問いに『土くれ』と答えて、どうして許されたのかさえ分からなかった。自分の口から、どうして『土くれ』という言葉が出て来たのかさえ分からない。あの時、眠りこけていて、一休の声で起こされ、考える暇もなく、無意識に口から出て来た言葉だった。その前、考えて、考えた末に『自然の一部であるただの人』と答えて、認められず、もう、考える事はやめてしまった。自分ではやめたつもりでいたが、どこかで、心の奥底の方で考え続けていたのだろうか。 自分でも無意識のうちに出た『土くれ』だったが、『安次郎』と答えていた時の自分と『土くれ』と答えた時の自分は、まったく別の自分のように感じられるのは事実だった。安次郎と答えた時の自分は、今川家をやめたにしろ、まだ、武士という身分の中で生きていた。何事を見るにも武士の目で物を見ていた。それが、自分が何者なのか考えているうちに、自分は武士でも何でもない、ただの人間だと気づいた。初めて、何事にも束縛されない自由な自分を感じる事ができた。安次郎は、これが禅でいう無の境地なのだなと思った。この境地まで行く事ができれば、もう、一休の弟子にして貰えると思ったが、そうは行かなかった。真っ暗闇の小屋の中に閉じ込められ、また、座らされた。これ以上、一体、どんな境地になれというのだ。 安次郎には分からなかった。 『土くれは川に流された。その土くれはどこに行く』 土くれが自分だとしたら、川というのは世の中の流れの事か。 世の中に流された自分が、どこに行くか、という意味か。 今の世の中に流されてしまえば、争いに明け暮れ、 いや、そんな答えではないはずだ。そんな答えを出すために、わざわざ、こんな所に閉じ込められたのではないはずだ。 安次郎は自分が川に流されている土くれになったつもりになって、色々と想像を巡らしてみた。山奥の岩々の間を勢いよく流され、滝から落とされ、痛い目に会いながら、やがて、平野に出ると、流れは緩やかになり、村々のたんぼの中を流され、川舟と共に海へと流された。 安次郎の頭に浮かんだのは故郷の阿部川だった。阿部川は ようやく我に帰ると、安次郎はまた土くれになった。今度は馬鹿に大きな土くれだった。大き過ぎて川の中に入れなかった。仕方なく、土くれは川の隣に立ったまま川を眺めていた。すると雨が振り出した。土くれの上にも雨が降り、土くれの上に溜まった雨は川となって、土くれの上を流れ始めた。土くれの上を流れた川は、足元の川と合流して流れて行った。雨がやむと土くれに草が生え、花が咲き、やがて、土くれは山になってしまった。 馬鹿な事を‥‥‥と安次郎は思った。どうして、土くれが山になるんだ。 答えは、なかなか分からなかった。 一休は前回と同じく、三日に一度、質問をしにやって来た。一度目は駄目な事を承知で『海』と答えた。一休は、『 どうやら、答えは場所ではないという事は分かったが、場所ではないのなら、何と答えたらいいのか見当もつかなかった。答えなければ、一生、ここから出して貰えないかもしれない。本当に土くれになってしまう。冗談ではなかった。土くれになるために、わざわざ、こんな所に来たわけではない。 待てよ、土くれ‥‥‥死ねば人間は皆、土くれに戻る。誰でもだ‥‥‥将軍様だろうと、お屋形様だろうと、偉い僧侶だろうと、 誰もが、いつかは死ぬ。死んで土くれとなる。それは絶対に避けられない事だった。安次郎は武士として戦に何度も出ていた。死に直面する場面にも何度も出会っている。しかし、今まで自分の死を真剣に考えた事はなかった。戦に出る前、いつも、死の覚悟はしていたが、自分だけは大丈夫だろうと思い、死ぬ時は死ぬんだと別に思い詰めて考える事もなかった。しかし、今、死というものが、もっと身近な物として感じる事ができた。自分だけではなく、この地上に生きる物、すべてに平等に死は必ず訪れる。 と言う事は、皆、死に向かって生きているという事か。 今、この時も、少しづつ死に向かっているという事か。 少しづつ寿命は縮まっているのか。 五十年の寿命があったとして、後二十年だ。知らない間に、半分以上を生きてしまったのか。後、二十年を無駄にしないように生きなければならないと思った。しかし、無駄にしないように生きるとはどういう事なのか、分からなかった。どうせ、死ぬのなら、何をやっても同じではないのか。 いや、どうせ、死ぬのなら、思いっきり、やりたい事をやって死んだ方がいい。 やりたい事って何だ。 本当にやりたい事って何なのだ。 連歌か。 安次郎は連歌師になりたくて、今川家をやめて宗祇を訪ねて行った。しかし、本当に連歌師になりたかったのだろうか。 初め、 そんな事を考えている時、一休が声を掛けて来た。 『土くれはどこに行った』 『ここにいます』と安次郎は答えた。 『こことはどこじゃ』と一休は聞いた。 安次郎は立ち上がって、足を踏み鳴らした。 「ようやく、足が地に着いたようじゃのう」と言って、一休は安次郎の鼻をつまんだ。 安次郎は思わず、「痛い!」と悲鳴を上げた。 安次郎は旦過寮を出された。 安次郎は思いきり、息を吸い込むと体を伸ばした。 「どんな気分じゃ」と一休は聞いた。 「土くれが山になったような気分です」 「山になるのはまだ早いわ」と一休は笑った。 安次郎は改めて一休のもとで
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宗観となった安次郎は僧坊に入り、一休の弟子たちと共に、毎日、厳しい修行に明け暮れた。 朝はまだ夜明け前に起こされ、僅かな水だけで洗面を済ますと、早速、 禅宗では作業も立派な修行だと言う。庫裏、僧坊、東司、浴室の掃除や、庭の落ち葉掃き、 作務の後は、毎日、村に出て 宗観は旦過寮を出てからも、一休から公案を出され、ひたすら、それを考えていた。新たな公案は今まで以上に難しかった。それは『星の数を数えろ』というものだった。まともに答えられる公案ではなかった。 宗観は知らなかったが、禅宗には 宗観は毎日の忙しい日課の中で、『星の数を数えろ』という公案と闘っていた。答えはなかなか得られなかった。やがて、その年は暮れて、正月となった。 新年の挨拶に訪れる者たちで酬恩庵は賑わった。京都から、一休の弟子たちも大勢、集まって来た。一流の能役者から無名の旅芸人まで、有名無名を問わず、数多くの芸人たちもやって来た。着飾った遊女たちまでが大勢で挨拶に来たのには、さすがに、宗観も驚いた。その他、宮大工、 奈良から村田 珠光は二人の弟子を連れ、頭は丸めていたが武士の格好をしていた。一見しただけだと、武将のように見える貫禄のある人だった。禅の修行もかなり積んでいるらしい。でんとしていて、大きな岩山のような存在感があった。珠光と一休が二人並んで座っている姿は、宗観には山と山が向かい合っているように見えた。一路庵禅海は酬恩庵を後にして、珠光と一緒に奈良へと向かった。 宗観にとって一番嬉しかったのは、正月の半ば、宗祇と夢庵が訪ねて来た事だった。夢庵は去年、書いていた『 宗祇と夢庵は一晩、酬恩庵に泊まると京に向かって行った。西国の大名、大内 宗観は弟子の中で一番若い霜柱に聞いてみた。 「和尚様は、わしらのためにお森殿をここに置いておるんです。本物の禅は、日常生活の中で生きていなければならない。日常生活では 成程と納得する面もあるが、全面的には肯定できかねた。 次に、二十四歳の泥牛に聞いた。 「和尚様のする事はわしには分かりません。和尚様が決めて、お森様をお側に置いておくのだから、わしらが口を出すべき事ではありません。それに、お森様はただの女子ではありません。わしらよりずっと優れた禅者です」 まさしく、牛のように動きの鈍い男だったが、見るべき所は見ていると思った。 宗観も禅者としてのお森は認めていた。お森は目は見えないが、普通の奥方のように掃除、洗濯、食事の用意などをきちんとこなしていた。特に洗濯は弟子たちの物まで、お森が洗っている。当然、下っ端の宗観がお森の手伝いをする事となり、お森と会話を交わす機会も多かった。 お森は宗観よりも年上だったが、時々、抱き着きたくなる程の色気を感じる事もあった。そんな時、決まってお森は、「宗観様、いけませんよ」とニコッとして言う。 宗観はお森の言葉で我に帰る。まったく不思議な事だったが、お森は宗観の心の中を見通していた。 詳しくは知らないが、一休と出会う前のお森は旅芸人だったという。 次に、祖心に聞いてみた。祖心は二十二歳で泥牛よりも年下だったが、幼い頃から一休のもとで修行していたため、泥牛の先輩だった。越前の守護、朝倉 「お森様は観音様です。観音様の化身です。わたしは和尚様に育てられたようなものです。わたしは和尚様を心から尊敬しております。その和尚様がお森様をお選びなさいました。それでいいと思います。和尚様がお森様と一緒に暮らしていようと和尚様の価値が下がるわけではありません。わたしも仏教の 若いとは言え、さすがに祖心の言う事は納得するべきものだった。確かに、自然のままに生きるという事は、男と女が一緒に暮らす事と言える。男と女が一緒にならなかったら子供はできない。仏教の祖の 次に二十八歳の風外に聞いてみた。 風外は、「 次に、三十七歳の鉄梅に聞いてみたが、やはり『婆子焼庵』と答えた。意味は教えてくれなかった。 次に、四十二歳の没輪に『婆子焼庵』とは何かと聞いてみた。没輪は、「お森殿の事か」と笑うと、その意味を教えてくれた。 没輪は 『婆子焼庵』というのは公案の一つだった。 昔、明の国に禅宗に 老婆は二十年経った後、僧の修行の成果を試そうと若く綺麗な娘を僧のもとに送った。娘は老婆に言われた通り、着物を脱ぎ捨てて僧に抱き着くと、「今、どんな気分でございます」と聞いた。 すると、僧は涼しい顔をして、「老木が冷たい岩に寄り添って立っているようなものだ。たとえ、魅力ある若い女子だろうと、今のわしの澄み切った心境を変える事はできん」と言い切った。 娘は僧の言った事をそのまま老婆に報告した。老婆は娘の話を聞くと腹を立て、「わしは二十年もの間、こんな、くだらん この公案の答えが分かれば、一休とお森の関係も分かると言うのだった。宗観には勿論、分からなかった。没輪に答えを聞くと、わしには、まだ、その公案を解く力はないと言った。 若い娘にも動じない程、悟り澄ました僧を、老婆はどうして追い出してしまったのだろうか。 どうしたら、追い出されなかったのか。 宗観には分からなかった。 宗観は五十六歳の雲知に聞いてみた。 「婆子焼庵? まだ、二十年早いぞ。物には順序という物がある。その公案にぶつかるには二十年以上、座り込まなければならん。禅をかじったばかりの者が、あれこれ言う資格はない。まず、与えられた公案に死物狂いで取り組め」 そう怒鳴られたが、『婆子焼庵』という公案は宗観の頭から離れなかった。『婆子焼庵』が気になって、『星の数を数えろ』という公案に集中する事はできなかった。 時だけが宗観一人を置きざりにして、早い速さで流れて行った。
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薪村酬恩庵