沖縄の酔雲庵


陰の流れ・愛洲移香斎

井野酔雲


第四部  早雲登場

文明8年(1476年)〜文明9年(1477年)


陰の流れ 第四部 キンドル版


武士の世界に嫌気がさして、禅僧になって旅に出た早雲(伊勢新九郎)は、妹が嫁いだ駿河の国に腰を落ち着け、気楽に暮らしていました。ところが、今川家の家督争いに巻き込まれてしまいます。妹が産んだ竜王丸に今川家の家督を継がせるべく、早雲の活躍が始まります。世に出る事を諦めて、禅僧として生きようと決心した早雲でしたが、四十半ばにして、ようやく、表舞台に登場する機会がやって来たのです。お雪を連れて駿河に来ていた風眼坊こと風間小太郎も早雲を助けて活躍し、江戸の名将、太田道灌も登場します。



同田貫



目次



1.駿府1

文明8年元旦、駿河の国、石脇の早雲庵では賑やかに新年を迎えていた。

2.駿府2

早雲と小太郎は、荒川坊、才雲、孫雲、寅之助を引き連れて村々を回っていた。

3.今川義忠1

庭園にある梅の花が満開に咲いていた。早雲は春雨を連れて、北川殿に来ていた。

4.今川義忠2

文明8年2月10日、早雲を初め、早雲庵に住む連中の人生が変わった節目となる日だった。

5.評定

お屋形様の屋敷の大広間では、重臣たちが顔を突き合わせて、今後の事を相談していた。

6.北川殿1

山伏、風眼坊に戻った小太郎は、北川殿を囲む塀と濠との間の狭い所に立ち、向こう岸を眺めていた。

7.北川殿2

北川殿を警固する侍は北川衆と呼ばれ、お屋形様の屋敷を警固する宿直衆と共に名誉ある職種とされていた。

8.北川殿3

夜は深まり、シーンと静まっていたが、北川殿内にいる者たちは皆、武装したまま起きていた。

9.小河屋敷

人相の悪い連中たちが早雲庵を占領していた。二年前に早雲庵を襲った山賊たちだった。

10.小鹿派

夜明け前のまだ薄暗い頃、福島越前守の軍勢によって、駿府屋形は完全に包囲された。

11.三浦次郎左衛門尉

早雲と小太郎が三浦屋敷に行くと、次郎左衛門尉は身内の者を集めて広間で待っていた。

12.二つの今川家

今川家は阿部川を境にして、二つに分かれてしまっていた。

13.太田備中守1

去年の9月、関東に旅立った伏見屋銭泡が浪人者を連れて、ようやく、早雲庵に帰って来た。

14.太田備中守2

早雲は四人の山伏を連れて、朝比奈川をさかのぼっていた。

15.岡部美濃守

北川殿と竜王丸に会った数日後、太田備中守は中原摂津守の青木城下の客殿に入っていた。

16.早雲登場

早雲は小太郎と共に、八幡山内の太田備中守の本陣、八幡神社に向かっていた。

17.五条安次郎

夢庵は総髪の頭に革の鉢巻を巻き、熊の毛皮を身に付けていた。その姿は狩人、あるいは山賊だった。

18.陰の二十一人衆

雪に覆われた大河内城下の山の中で、ひそかに、陰の術の修行が行なわれていた。

19.観智坊露香

新米山伏の観智坊露香は年末年始の忙しい中、怒鳴られながら山の中を走り回っていた。

20.孫次郎1

雪の降る夜道を雪に埋もれながら、孫次郎はくたくたになって、倒れ込むように飯道山の宿坊にたどり着いた。

21.孫次郎2

「いらっしゃい」と言ったまま、夕顔は太郎の顔を見つめて、立ち尽くした。

22.文明九年春1

陰流の棒術は飯道山で習った棒術とは違い、一撃必殺の技だった。

23.文明九年春2

観智坊の去った後、出口御坊の境内では、若い僧たちが掃除に励んでいた。その中に、懐かしい顔があった。

24.一休禅師

一休和尚のいる酬恩庵は薪村を見下ろす小高い丘の上に建っていた。

25.鞠子屋形1

鞠子屋形は駿府のお屋形様の屋敷と比べたら、半分程の広さだったが、北川殿よりはずっと広く、濠と土塁に囲まれて、四方には櫓も立ち、完璧な防御機能を備えていた。

26.鞠子屋形2

山桜の花弁の散る鈴鹿峠を、山伏と巫女と禅僧という奇妙な3人が超えていた。

27.関東

五十子の陣は古河公方、足利成氏に対する関東管領、上杉民部大輔顕定の本陣だった。

28.ほととぎす1

五月雨の晴れ間も見えぬ雲路より山ほととぎす鳴きて過ぐなり

29.ほととぎす2

坂道を登って行くと門があり、『風摩砦』と書かれてあった。

30.応仁の乱終わる

畠山右衛門佐義就という男がいた。応仁、文明の乱の西軍の武将だった。




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