真田一徳斎
善太夫の矢傷は一年近くかかったが、草津の湯のお陰で完全に治った。 善太夫が湯本家を継いだ時は大勢の家臣を亡くした後で、湯本家の将来も思いやられたが、あれから十年近くが経ち、亡くなった者たちの息子が立派な武士に成長して、湯本家も安泰と言えた。ただ、嫁を貰って十年近く経つのに、跡継ぎに恵まれないのが、ただ一つの不安だった。 善太夫の妻、鈴はすぐ亡くなってしまった男の子を産んだ後、今度は流産してしまい、その後、子供はできなかった。 流産の後、善太夫は家臣たちの勧めもあって 側室は家臣の娘たちから選ばれ、中沢 小茶は翌年の夏、元気な女の子を産んだ。今度こそ無事に育ってくれる事を祈りながら、善太夫は初めての娘にナツと名付けた。夏に生まれたからナツだと善太夫は言ったが、その名前の裏には、ナツメへの思いが隠されていた。ナツメのようないい女になれとの思いが込められていた。 頭を丸めて山伏の格好をしていたが、その男は紛れもなく真田幸隆だった。幸隆を連れて来たのは 「久し振りに 幸隆は武田晴信の 晴信でさえ落とす事のできなかった村上義清の 幸隆は去年、お屋形の晴信が 善太夫はさっそく、一徳斎を愛洲移香斎の墓に案内した。 「いい眺めじゃのう」と一徳斎は言った。 眼下に湯煙の昇る草津の村が見渡せた。 「ここだけは戦に巻き込みたくはないのう」 墓前に花を供えて 善太夫には宮内少輔が何を言いたいのか、薄々感づいていた。特別な日でもないのに、一徳斎を連れて、わざわざ墓参りだけに来るはずはなかった。 「善太夫殿」と今度は一徳斎が言った。「武田信玄殿は信州佐久平を平定して、いよいよ、上州に進攻しようとしておられる。先鋒として、このわしが命じられたんじゃ。この 「わしはのう」と宮内少輔が言った。「一徳斎殿に付いて行く事に決めたわ。信玄殿はすでに、佐久平まで来ておられる。もし、信玄殿がわしらの領地に攻めて来たとして、箕輪の信濃守殿は助けてくれるかのう。わしには助けに来るとは思えんのじゃ。わしらは信濃守殿のもとで戦をやり、多くの家臣を失った。奴らは何のために戦をして、何のために死んで行ったんじゃ。我が子まで見捨てて越後に逃げて行った管領殿のためにじゃ。今はその管領殿もいない。管領殿のもとで、わしらは箕輪衆として信濃守殿の旗下に入った。管領殿がいない今、わしらが信濃守殿の旗下にいる理由はないはずじゃ。どうじゃ、善太夫殿、一度、わしと一緒に武田信玄殿に会ってみんか」 「信玄殿に会うのですか」と善太夫は聞いた。思ってもいない事だった。 宮内少輔はうなづいた。 「わしが案内する」と一徳斎は言った。「どうじゃ」 「少し、考えさせて下さい」と善太夫は答えた。 「うむ、そうじゃのう。急に決めろといっても無理じゃ。よく考えてみてくれ」 一徳斎は草津村を見下ろしながら、「ここは戦場にはしたくないのう」ともう一度言った。 屋形に戻った善太夫は絵地図を見つめながら、宮内少輔の言った事を考えていた。 武田軍が西から攻めて来た場合、真っ先にやられるのが 問題は草津の入り口を押えている 羽尾道雲の長男源六郎は 善太夫は鎌原宮内少輔と 関東管領の上杉氏が勢力のあった頃、湯本氏は管領の被官となっていた。草津を訪れる湯治客のほとんどは、管領の支配の及ぶ範囲内からやって来た。特に武士はそうだった。上野の国は勿論、武蔵(埼玉県、東京都)、相模(神奈川県)、 管領がいなくなって、利根川以東と南上州は北条氏の支配下となり、今では、湯治客のほとんどか、箕輪の長野氏の勢力範囲内だけに限られていた。以前から比べると湯治客の数は極端に減っている。長野信濃守は、越後の長尾景虎が上杉氏に代わる管領として、大軍を率いて北条氏を追い出して関東を平定すると言うが、いつになるやら分からない。 どうするか‥‥‥ もう少し、回りの状況を見ていた方がよさそうだと善太夫は答えを出した。 真田一徳斎は一泊しただけで、「また来る」と言って、鎌原宮内少輔と共に帰って行った。
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