沖縄の酔雲庵


尚巴志伝

井野酔雲







勝連グスクに雪が降る




 奪い取った越来(ぐいく)グスクは叔父の美里之子(んざとぅぬしぃ)と百人の兵に守らせて、サハチ(島添大里按司)は六百の兵を率いて『勝連(かちりん)グスク』に向かった。美里之子にはそのまま、越来按司になってもらうつもりでいた。(うふ)グスクの(いくさ)で戦死した祖父の美里之子のためにも、それがいいと思っていた。

 途中、江洲(いーし)グスクの横を通ったが、攻める事なく放って置いた。佐敷グスクと同じように、石垣ではなく土塁で囲まれた江洲グスクは、勝連の武将が守っていた。勝連グスクが落ちれば、その武将は投降するに違いなかった。

 朝はいい天気だったのに、途中から雨が降ってきた。

 馬天(ばてぃん)ヌルが言うには、勝連にもマジムン(悪霊)がいっぱいいるという。『望月党(もちづきとう)』に殺された者たちの恨みが、マジムンになって漂っているので、退治しなければならないと言っていた。

 確かに、望月党に殺された者たちの恨みは凄いに違いない。身に覚えのない罪で何人の者が殺されたのかはわからないが、望月党が存在した七十年間に、相当な数の者が殺されたに違いなかった。ウニタキ(三星大親)の妻や娘のように、わけもわからずに殺された者も多いはずだ。それらの行き場所のない恨みやつらみが、マジムンとなってさまよっているのだろう。この雨はマジムンとは関係ないと思うが、勝連では不思議な事が起こりそうな予感がした。

 越来グスクから勝連グスクへは一時(いっとき)(二時間)余りで到着した。

 勝連グスクは深い霧に被われていた。一番高い一の曲輪(くるわ)の屋敷は霧の中にあって見えなかった。雨は小降りになり、霧のような細かい雨になっていた。

 サハチは兵を展開して勝連グスクの三つの御門(うじょう)を塞いだ。

 大御門(うふうじょう)(正門)前にサハチ、ヤグルー(平田大親)、サム(伊波大親)、當山之子(とうやまぬしぃ)が率いる四百人の兵を配置して、北御門(にしうじょう)苗代大親(なーしるうふや)が率いる百人の兵、南御門(ふぇーぬうじょう)にヒューガ(三好日向)が率いる百人の兵を配置した。

 サハチが以前、勝連グスクに来たのは十八年前の事だった。ウニタキに連れられてグスク内を見学した。あの時、ウニタキの新居を建てるために四の曲輪を拡張していて、まだ大御門もできていなかった。今は立派な櫓門(やぐらもん)ができている。櫓門は少し引っ込んだ所にあり、左右の石垣から攻撃できるように作られてあった。櫓門の櫓の中にも、左右の石垣の所にも敵兵の姿は見えるが、弓を構えてはいなかった。ただ立ったままサハチたちの大軍を見ていた。

 グスク内にいる奥間(うくま)の側室と侍女によって描かれた、グスク内の見取り図はサタルーからもらっていた。大御門の先には東曲輪(あがりくるわ)があり、そこは広い庭になっていて、多分、城下の人たちが避難しているのだろう。その先に重臣たちの屋敷のある四の曲輪があり、その先の高台の上に、三の曲輪、二の曲輪、一の曲輪と段々と高くなっている。

 このグスクはグスク内に入る事ができたとしても、簡単に落とせるグスクではなかった。東曲輪と四の曲輪を占拠できたとしても、三の曲輪の前には急な石段があり、三の曲輪の入口には御門がある。その石段を登る所を上から攻撃されれば、それ以上は進めなかった。敵の弓矢が尽きるのを待つか、兵糧が尽きるのを待つしかない。サタルーの報告によると、勝連グスクの守備兵は百人余りいるという。

 三の曲輪には奥間の側室と侍女がいるが、女だけでは御門を開ける事はできないだろう。サタルーの配下の者か、ウニタキの配下の者が三の曲輪に潜入できればいいのだが、それは難しそうだった。もし、今日のうちに落とせなかった場合は一旦、越来まで引き上げて、出直した方がいいかもしれないとサハチは思った。

 霧の中に浮かんで見える二の曲輪の屋敷は十八年前とは違うようだった。よくわからないが二階建てで、雨に濡れて光っている屋根は瓦葺(かわらぶ)きのように見えた。馬上から二の曲輪を見ていると、馬天ヌルが馬に乗って近づいて来た。

「かなり手ごわいマジムンがいるわ」と馬天ヌルは言った。

「前回に来た時はこんなにもひどくなかったのに、本当に凄いわ。噂通りに勝連は呪われているわよ」

「望月党のせいなのですね?」とサハチは聞いた。

「望月党に殺された者たちの恨みは以前もあったけど、殺された望月党の者たちの恨みも加わったみたいね。もしかしたら、ヤマトゥ(日本)の神様も怒っているのかもしれない。『望月ヌル』も連れて来ればよかったわ」

「今から呼びますか」

「そうね。お願いするわ」

 サハチが馬天ヌルにうなづいた時、サタルーとヤキチ(奥間大親)がやって来た。甲冑(かっちゅう)姿ではなく、いつもの庶民の格好だった。

 二人は奥間の者たちを使って、朝早くから噂を流し、避難する城下の人たちと一緒に仲間をグスク内に入れていた。

「うまく行ったか」とサハチが聞くと二人はうなづいたが、お互いに顔を見合わせていた。

「実は‥‥‥」とヤキチが言った。

 何かあったのかとサハチは思い、ヤキチの言葉を待った。

三星大親(みちぶしうふや)殿がグスク内にいます」とヤキチは言った。

「ウニタキが潜入したのか」

 勝連グスクを落とすのは難しいので、奥間の者たちだけでなく、ウニタキの配下もグスク内に潜入する手筈になっていた。ウニタキが中に入ったとしても別に不思議な事ではなかった。

「潜入ではないのです。山伏のイブキ(伊吹)と望月ヌルを連れて、大御門から堂々と入って行ったのです」

「望月ヌルも一緒なの?」と話を聞いていた馬天ヌルが驚いた顔をして聞いた。

「はい、一緒でした」

「ついているわね。うまく行きそうだわ」と馬天ヌルは嬉しそうに笑った。

「それで、ウニタキは無事なのか」とサハチは聞いた。

 わからないというように、ヤキチは首を振った。

「ただ、知人が復帰したので会って来ると言って入って行きました」

「知人がいるのか‥‥‥」

 ウニタキが浜川大親(はまかーうふや)として活躍していた頃の部下が、重臣になっているのかもしれなかった。

「とにかく、ウニタキが何かを言ってくるだろう。それまでは待機だな」

 サハチは北御門と南御門を守っている苗代大親とヒューガにウニタキの事を知らせて、しばらく待機するようにと命じた。

 霧雨の降る中、半時(はんとき)(一時間)ほど待っていると大御門が開いて、ウニタキとイブキと望月ヌルの三人が無事に出て来た。大御門はすぐに閉じられた。

 サハチは馬から下りて三人を迎えに行った。

「無事だったか」とサハチが聞くと、ウニタキは笑って、「うまくいったぞ」と言った。

「何が、うまくいったんだ?」

 ウニタキは近くにある大きなガジュマルの木を指さして、「あそこに行こう」と言った。

 サハチはうなづき、三人と一緒にガジュマルの木の下に入って雨宿りをした。ガジュマルの根に腰を下ろすとウニタキは話し始めた。

「勝連の重臣に『平安名大親(へんなうふや)』という人がいるんだ。俺の親父の弟で、若い頃から使者として、何度もヤマトゥに行っている。俺は子供の頃、その人に読み書きを習った。物覚えがいいと言って、その人は俺を褒めてくれた。母親が亡くなって、あの頃、唯一の味方だと思っていた人なんだ。親父が亡くなって兄貴が跡を継ぐと、平安名大親はグスクから出て行った。あの頃の俺には、どうして出て行くのかわからなかった。今思えば、兄貴に無理やり隠居させられたのだろう。平安名大親はグスクから出て行く時、俺に兵書をくれた。そして、あとの事を頼んだぞと言ったんだ。俺は嫁さんをもらって、戦でも活躍して、平安名大親の言葉を守ろうとした。勝連のために頑張ろうと思ったんだ。それが裏目に出て、兄たちに憎まれ、殺される事になった。グスクを出てから平安名大親がどこで何をしているのか、何も知らなかった。望月党を倒したあと、俺は勝連を探るために城下に『よろずや』を開いた。今年の正月、『よろずや』の者から、平安名大親がグスクに復帰した事を知らされたんだ。平安名大親が昔のままだったら、話し合う事ができると思った。俺はイブキと望月ヌルを連れて、浜川大親を名乗って、会ってみようと決めたんだ」

 サハチはウニタキの顔を見ながら、「平安名大親は変わっていなかったんだな?」と聞いた。

 ウニタキは軽く笑って、うなづいた。

「俺が生きていたと知って驚いていたよ。他の重臣たちも俺の事を覚えていた。俺はお前の事を話した。そして、中山王(ちゅうざんおう)(武寧)、中グスク按司、越来按司、勝連按司、北谷按司(ちゃたんあじ)が戦死した事を話した。まもなく、島添大里(しましいうふざとぅ)の大軍が攻めて来る事も告げた。浦添(うらしい)の若按司(カニムイ)の妻だった、俺の妹が侍女に連れられて戻って来ていた。妹から浦添グスクが焼け落ちた事は知っていたが、首里(すい)グスクが奪われた事と中部の按司たちの兵が全滅した事は知らなかった。俺は無意味な抵抗はやめて、グスクを明け渡すように頼んだ。勝連按司の一族は皆、殺されてしまって、今、八歳の若按司しかいないんだ。重臣たちは、俺が勝連按司になるのなら、グスクを明け渡してもいいと言った。俺はまだやる事があると言って、それは断った。重臣たちは協議を重ねて、三つの条件を出してきた。一つは若按司と島添大里按司の娘の婚約。二つめは若按司が成人した暁には、若按司に跡を継がせる事。三つめは若按司が成人するまでは、島添大里按司の武将が後見となる事。という条件だ」

 ウニタキは言葉を止めると、サハチを見た。

「どうだ。この条件を受けるか」

 グスクを奪い取る事が目的ではなかった。以前の浦添と勝連のように、首里と勝連が強く結ばれれば、それでよかった。勝連の若按司はウニタキの弟の息子だった。若按司にサハチの娘を嫁がせるのも悪くはない。若按司と同い年の次女のマチルーがいるし、四つ年下になってしまうが、三女のマシューもいる。若按司が成人した時に按司になるというのも、娘婿が按司になるのだから文句はなかった。

「いいだろう。条件を受けよう」とサハチは答えた。

 ウニタキはうなづくと、「話をつけてくる」と言って立ち上がった。

「望月ヌルも必要か」とサハチは聞いた。

「いや、望月ヌルが一緒の方が入りやすいかもしれないと思って連れて来たんだが、何か用なのか」

「馬天ヌルが用があるようだ」

「また、『マジムン退治』をやるのか」

「そのようだ」

「望月ヌルも言っていたよ。マジムンを退治しないと大変なことになるってな」

 サハチは望月ヌルを見た。

 望月ヌルはうなづいた。

 ウニタキはイブキを連れて、グスク内に戻って行った。

 サハチは望月ヌルを馬天ヌルの所に連れて行った。

 それから半時ほどして大御門が開いた。

 雨はやんでいた。

 開いた大御門は、そのまま開け放たれた。

 ウニタキとイブキと一緒に、平安名大親らしい重臣と武将が一人出て来た。平安名大親は丸腰で、武将は武装していた。

 サハチは馬から下りると、ゆっくりと平安名大親に近づいて行った。

 平安名大親は無表情のまま、じっとサハチを見ていた。六十に近い年齢で、難しい書物をいくつも読んでいる学者のような顔付きだった。ウニタキが言うように、この男なら信じられるとサハチは直感した。隣りにいる武将は厳しい顔付きで、サハチを睨んでいた。今さら抵抗するとは思わないが、油断は禁物だった。

 一(けん)(約二メートル)ほどの距離をおいて立ち止まると、ウニタキが平安名大親をサハチに紹介し、平安名大親にサハチを紹介した。

「ウニタキより島添大里殿の話は伺いました」と平安名大親は言った。

「この琉球を一つにまとめようとなさっているようですな。わたしもそのお考えには賛成です。是非、協力させていただきたい。勝連ではずっと内輪もめが続いておりました。もう懲り懲りです。ウニタキの話によると、望月党も消えたようですな。あんな者がいたから、皆、疑心暗鬼になって、争い事が絶えなかったのです。これからは島添大里殿のお力を借りて、平和な勝連を作って行きたいと思っております」

「協力していただき、ありがとうございます。これからは首里が新しい都になります。首里と共に勝連が栄えて行く事を願っております」

 お互いに挨拶が終わると、グスク内にいた城下の人たちが解放された。そして、東曲輪の中にサハチが率いて来た兵が全員入って整列した。

 サハチはウニタキと一緒に五人の重臣たちを連れて、四の曲輪内にある屋敷の中で勝連の重臣たちと会い、今後の対策を話し合った。

 サハチたちが会議をしている時、馬天ヌルは佐敷ヌル、フカマヌル、マチルギを連れて、勝連ヌルの案内で、グスク内にあるウタキ(御嶽)を巡って、『マジムン退治』を行なっていた。

 勝連ヌルはウニタキの姉だった。姉といっても母親は違う。勝連ヌルの母親も側室で、ウニタキが子供の頃、三の曲輪の隣りの屋敷に住んでいた。勝連ヌルが十二歳になって、ヌルの修行をするために屋敷を出て行くまで、ウニタキは勝連ヌルとよく一緒に遊んでいた。何人もいる兄弟の中で、ウニタキが共に遊んだ記憶があるのは勝連ヌルだけだった。勝連ヌルが出て行くのと一緒に、勝連ヌルの母親も屋敷から出て行き、その屋敷には別の側室が入って来た。それから二年後、ウニタキの母親が亡くなり、ウニタキは独りぼっちになってしまったのだった。

 馬天ヌルが旅をした時、勝連ヌルはこの辺りのウタキを案内した。勝連ヌルが知らなかった事を色々と知っている事に驚き、すっかり、馬天ヌルを尊敬していた。

 望月ヌルは馬天ヌルに頼まれて、城下にある『摩利支天堂(まりしてぃんどー)』に行き、ヤマトゥの神様の怒りを静めていた。

 会議の最中、突然、暗くなって、雨が勢いよく降ってきた。

「マジムン退治が始まったようだ」とサハチが言って、会議を中断した。

 サハチが立ち上がって縁側に出ると、皆、ぞろぞろと縁側に出て来た。

「首里では(ひょう)が降ってきたそうだな」とウニタキがサハチの隣りに来て言った。

「雷も凄かったぞ」とサハチは言った。

 空が光ったかと思うと、物凄い雷の音が(とどろ)いた。

 縁側で控えていた侍女が悲鳴を上げて、うずくまった。

 男でも悲鳴を上げたくなるような大きな雷が何度も続いた。風はないが、雨は勢いよく降り続いていた。東曲輪にいる兵たちが、雨宿りできる場所があっただろうかと心配になってきた。

 首里の時よりもマジムンは強敵のようだった。四半時(しはんとき)(三十分)以上も雷は轟き続けていた。

 ようやく雨も小降りになり、空も明るくなってきた。やっと終わったかと思ったら、今度は風が強くなってきた。台風並みの強風が吹き、庭にある樹木が大きく揺れていた。その風は非常に冷たく、寒さに震えるようだった。

 風が治まってきたかと思ったら、空からちらほら綿のような物が落ちてきた。雪だった。雪はしばらく降り続いて、辺り一面が真っ白になった。皆、初めて見る雪を、口をポカンと開けたまま見つめていた。

 雪がやむと急に明るくなった。青い空が現れ、雪化粧に輝く勝連グスクの一の曲輪に、馬天ヌルたちの姿が小さく見えた。

「終わったようだな」とサハチは言った。

 その言葉で、皆、我に返ったように庭に飛び降りて、雪にさわっていた。侍女や城女(ぐすくんちゅ)があちこちから出て来て、雪にさわってはキャーキャー騒いでいた。

 勝連グスクを真っ白に染めた雪は、すぐに解けて消え去った。

 その晩、勝連グスクの二の曲輪の屋敷で、戦勝祝いの(うたげ)を勝連の重臣たちが開いてくれた。東曲輪にいる兵たちには炊き出しが行なわれ、一杯づつだが、ヤマトゥの酒も配られた。六百人の兵を収容する施設はないので、焚火を焚いての野宿になるが、マジムン退治のあと、春の陽気のように暖かくなっていた。

 宴席に出席したのは、サハチ、ウニタキ、イブキ、サタルー、ヤキチ、ヒューガ、サム、ヤグルー、苗代大親、當山之子の十人で、勝連側は先程の会議に出席した、平安名大親、屋慶名大親(やぎなうふや)平敷屋大親(ひしちゃうふや)安勢理大親(あせりうふや)平安座大親(へんざうふや)北原大親(にしばるうふや)、浜川大親の七人だった。お酌をするために、城下の遊女(じゅり)たちも呼ばれていた。

 北原大親は、平安名大親と一緒に門外に出て来た武将だった。勝連按司から留守を任されていた留守将だという。すでに甲冑は脱ぎ、穏やかな顔付きになっていた。

 浜川大親はウニタキがいなくなったあとに交易担当になった男だが、わざわざ、サハチに挨拶に来た。交易担当なので、ご機嫌伺いに来たのだろうと思ったら、浜川大親は笑いながら、「お久し振りです」と言った。

 サハチには誰だかわからなかった。勝連に知り合いがいるはずはなかった。

「わたしは佐敷生まれのウミンチュ(漁師)です。サハチ殿がヤマトゥに行ったという事を聞いて、わたしもヤマトゥに行きたくなったのです。そして、勝連に来て、荷揚げ人足(にんそく)をやりながら、ヤマトゥに行く機会を狙っていました。勝連に来てから一年後、船乗りとしてヤマトゥに行く事ができました。それからは毎年のように、琉球とヤマトゥを行き来して参りました。五年前には船頭(しんどぅー)(船長)に出世しました。そして、去年、浜川大親に抜擢されたのです。按司様(あじぬめー)が何度も入れ替わったお陰で、転がり込んできたような幸運でした」

 サハチは話を聞いているうちに段々と思い出していた。佐敷のウミンチュで、サハチの名前を知っているといえば、幼なじみのサンラー(三郎)に違いなかった。

「サンラーか」とサハチは聞いた。

 浜川大親は笑ってうなづいた。

「こんな所で、こんな形で再会するとは思ってもおりませんでした」と浜川大親は言った。

「俺も驚いたよ。あのサンラーが勝連の重臣になっていたとはなあ」

「サハチ殿の方が凄いですね。あの頃、何となく、大きな事をやりそうだとは思っていたけど、中山王になるなんて‥‥‥佐敷の誇りですね」

「まだ、途中だよ。お前が浜川大親なら話が早い。これからも交易の事、よろしく頼むぞ」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 宴もたけなわになって、お互いの重臣たちが和気藹々(わきあいあい)と談笑していた。サハチは宴席を抜け出して庭に下り、外の空気を吸った。

 二の曲輪の屋敷はやはり、建て直していた。二階建てで、屋根には黒い瓦が葺いてあり、以前よりもずっと豪華な屋敷だった。どうしようもないウニタキの兄が建てたものだろう。按司としては半人前でも、見栄だけは人一倍あって、中山王に負けるものかと建てたに違いない。

 月明かりに照らされた屋根を見上げていると、ヒューガが庭に下りてきて、サハチの隣りに来た。

「うまく行ったのう」とヒューガは嬉しそうな顔をして言った。

「ヒューガ殿のお陰ですよ」とサハチは言った。

「ヒューガ殿が船に乗って活躍してくれなかったら、こんなにもうまくは行かなかったでしょう」

「いやあ、海賊も実に楽しかった。山南王(さんなんおう)の船を奪い取った時、こんな展開になるなんて思ってもいなかったが、中山王を倒して、今、勝連グスクの中で酒を飲んでいるなんて、まるで、夢でも見ているようじゃ」

「サタルーを鍛えてくれたそうですね。ありがとうございます」

「なに、時々、教えていただけじゃよ。サタルーはもともと凄い素質を持っていた」

 上の方から女たちの声が聞こえてきた。ヌルたちのようだった。

 サハチはヒューガと顔を見合わせて、一の曲輪に登ってみた。御門(うじょう)は開いていて御門番はいなかった。馬天ヌル、佐敷ヌル、フカマヌル、勝連ヌル、望月ヌル、そして、マチルギがいた。ヌルたちは勝連ヌルの屋敷で御馳走になっているはずだった。

「いい女が揃って、何をやっているのです?」とサハチは誰にともなく聞いた。

「お月見よ」とマチルギが楽しそうに言った。

「下のお屋敷で見ていたんだけど、ここの方がいいって、勝連ヌルが連れて来てくれたのよ」

「そうか」とサハチも月を見上げた。

 少し欠けた丸い月が綺麗に輝いていた。

 ヒューガは馬天ヌルと楽しそうに話をしていた。

 サハチがもう一度、月を見上げていると、ウニタキがやって来た。

「ここに来たのも久し振りだなあ」とウニタキは言った。

「お前と一緒にここに来て以来だな」

「あのあと、一度も来なかったのか」

「俺の新しい屋敷は四の曲輪だったからな。さっき、重臣たちが集まった屋敷が俺の屋敷だったんだ」

「そうだったのか‥‥‥お前、勝連按司を断って、本当によかったのか」

 ウニタキは笑った。

「このグスクの(あるじ)になるのも悪くはない。だがな、ここに落ち着くにはまだ早すぎる。お前のために、まだまだ暴れなくてはならん。お前の夢が実現したら、『三星党(みちぶしとう)』を解散する。そしたら、どこかのグスクをくれ。そこの按司になって、のんびりと暮らすよ」

「十年先になるかもしれんぞ」

「十年経っても、まだ、四十五だ。まだまだ、働けるよ」

「それじゃあ、一緒に夢を追うか」

「ウニタキ、生きていたのね?」と勝連ヌルが近くに来て、ウニタキを見ていた。

「姉さん‥‥‥お久し振りです」とウニタキは姉を見つめながら言った。

「お前、もう少し、気の利いた事を言えよ」とサハチは言って、ウニタキの肩をたたいた。

「ごめんなさいね。あなたに黙っていて」と馬天ヌルが勝連ヌルに言った。

「あの時、ウニタキさんが生きている事がわかると危険だったので黙っていたの」

「ええ、わかっています。でも、ほんとに嬉しいわ。こうして会えるなんて」

「俺もだよ」とウニタキは言った。

「兄貴たちの争いに巻き込まれなくてよかった」

「おい、あれは何だ!」とヒューガが突然、叫んだ。

 ヒューガは海の向こうを指さしていた。見ると、島添大里グスクの山の辺りから、光が天に向かって一直線に伸びていた。

「ツキシル(月代)の石だわ」と佐敷ヌルが言った。

 サハチは初めて、『ツキシルの石』が光っているのを見た。

「あれが『ツキシルの石』か。光るとは聞いていたが、凄いもんじゃな」とヒューガが言うと、

「あれが噂に聞く『ツキシルの石』か」とウニタキも光をじっと見つめた。

「『ツキシルの石』があんなにも光るなんて凄いわ」とマチルギがサハチの隣りで言った。

「あたしたちに見えるように、一生懸命、光っているのよ。きっと、お礼を込めて光っているんだわ」と馬天ヌルは言った。

 あの石は(ほこら)の中に安置してある。屋根を突き破って、光を上空に飛ばすのは、確かに、馬天ヌルが言うように、一生懸命になって光っているようだった。

 勝連ヌルと望月ヌルも、「凄いわ」と言って、馬天ヌルから『ツキシルの石』の事を聞いていた。

 佐敷ヌルとフカマヌルは光に向かって両手を合わせていた。

 勿論、ツキシルの石の光は誰にでも見えるものではなかった。選ばれた者だけが見る事ができた。この時、ここにいた者たちの他に、中グスクの屋敷の二階からクマヌ(熊野大親)が見て、感激していた。首里グスクの物見櫓からはサハチの父(前佐敷按司)とファイチ(懐機)が見ていて、サハチがうまくやった事を確信していた。

 『ツキシルの石』はサハチの前途を祝福するように、天に向かって光り続けていた。




 中山王になったのはサハチの父だった。

 わしは『東行法師(とうぎょうほうし)』のままでいいと断ったが、今度、旅をするのは俺の番ですと言って、強引に王になってもらった。

 中山王としての父の名前は『思紹(ししょう)』だった。考えたのはファイチで、童名(わらびなー)のサグルーを漢字に変えようとも思ったが、どうもしっくりこない。キラマ(慶良間)で育った兵たちから『師匠』と呼ばれているし、ファイチも『師匠』と呼んでいた。それで、『師匠』を名前らしく『思紹』と変えたのだった。

 世子(せいし)(跡継ぎ)となるサハチの名前もファイチが考え、サハチを漢字に変えて、『尚巴志(さはち)』とした。初め、『尚覇志』にしようと思ったが、サハチの家紋である『三つ巴』の『巴』の方がふさわしいと考えて、変えたのだった。『尚巴志』をヤマトゥ風に読むと『尚巴志(しょうはし)』となった。尚巴志以後は、『尚』が名字として使われ、以後の中山王の名前には皆、『尚』が付くようになる。

 父を中山王にして、首里グスクの宮殿の玉座に座らせ、琉球の事を父に任せたサハチは、ようやく、まだ見ぬ世界へと羽ばたき始めるのだった。




第一部 完






勝連グスク




御愛読、ありがとうございました
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