沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲


第一部 月代の石


戦乱の琉球(りゅうきゅう)を統一した英雄、尚巴志(しょうはし)の物語です。
かつて琉球王国として栄えた沖縄。那覇の港には明、日本、朝鮮、東南アジアから来た船が集まり、盛んに交易をしていました。琉球の人たちも危険を顧みずに、明、日本、朝鮮、東南アジアへと遠い船旅をしていたのです。
尚巴志が琉球を統一したのは1429年です。その年、日本では足利義教が第六代の室町幕府の将軍になっています。
六百年前の沖縄、琉球王国の黎明期をお楽しみください。

「第一部 月代の石」は尚巴志の誕生から、中山王の武寧を倒して、父の思紹が中山王になるまての話です。




目次


1.誕生
 (改訂決定稿)
遠くヤマトゥの国からやって来た商船が今、馬天泊に入って来たところだった。浜辺には大勢の人が集まり、小舟がヤマトゥ船を目指して漕ぎ出している。法螺貝が鳴り、太鼓が打ち鳴らされ、まるで、祭りのような賑やかさだった。
2.馬天浜
 (改訂決定稿)
尚巴志は六歳になっていた。みんなから『サハチ』と呼ばれて可愛がられ、健やかに育っていた。今日、サハチは母親に連れられて馬天浜にある祖父のサミガー大主の屋敷に来ていた。
3.察度と泰期
 (改訂決定稿)
浮島を見下ろす高台に立ち、右手を目の上にかざして、海を眺めている大柄な男がいた。武装はしていないが腰に長い太刀を佩いて、ひとかどの武将という貫禄があった。男の視線の先には、浮島の近くに浮かぶ明国から来た二隻の唐船があった。
4.島添大里グスク
 (改訂決定稿)
九歳になった尚巴志は遊び仲間と一緒に海に潜っていた。佐敷の海は遠浅が続いていて、その先が急に深くなっている。尚巴志たちは深くなるちょっと手前に舟を浮かべて、海に潜って貝を採って遊んでいた。
5.佐敷グスク
 (改訂決定稿)
尚巴志はヤマトゥから来た弓矢の名人、ヤシルーを師として弓矢の稽古に励んでいた。十二歳の尚巴志は大人用の弓はまだ引けないが、祖父のサミガー大主は子供用の弓を持っていた。祖父が父のためにヤマトゥから仕入れた物だという。それは立派な弓だった。
6.大グスク炎上
 (改訂決定稿)
大戦が始まろうとしていた。尚巴志が十四歳になった年の二月の事だった。事の始まりは大グスクに新年の挨拶に訪れた島添大里グスクからの使者だった。使者は恒例の挨拶の後、以前のように島添大里按司にも馬天泊を使用させてくれと言って来た。
7.ヤマトゥ酒
 (改訂決定稿)
大グスクが落城して、大グスク按司が戦死して、佐敷グスクは孤立してしまった。今までは大グスク按司を通じて、玉グスク按司、糸数按司、知念按司とつながっていて、共に島添大里按司に敵対していたが、そのつながりも切れてしまった。この先、島添大里按司と敵対して行くには、何とかつながりをつけなければならなかった。
8.浮島
 (改訂決定稿)
尚巴志たちは新年を浮島(那覇)で迎えていた。佐敷を旅立った後、尚巴志、クマヌ、早田左衛門太郎、ヒューガの一行は玉グスク、糸数グスクの城下を見て、敵の八重瀬グスク、島尻大里グスクの城下も見てから浮島にやって来ていた。
9.出会い
 (改訂決定稿)
浮島を旅立った尚巴志たちは中山王、察度の本拠地、浦添グスクへ向かった。浮島から渡し舟で安里に渡ると広い道が浦添まで続き、荷物を積んだ荷車や馬に乗った侍たちが行き交っていた。
10.今帰仁グスク
 (改訂決定稿)
伊波グスクを後にした尚巴志たちは西側の海岸に出てから海岸沿いに北上した。ヤンバルと呼ばれる北部に入り、細い獣道や海辺を通り、時には海の中に入ったり、岩をよじ登ったりして、一日がかりで名護に着いた。
11.奥間
 (改訂決定稿)
今帰仁から羽地まで戻って、郡島を左に見ながら海岸沿いを進んだ。小高い丘の上に羽地グスクがあり、近くには仲尾泊があって、ヤマトゥから来たらしい船が二隻と地元の船が数隻浮かんでいた。
12.恋の病
 (改訂決定稿)
旅から帰って来て二カ月が過ぎていた。うりずんと呼ばれる過ごしやすい日々が続いていたが、尚巴志は悶々とした日々を送っていた。
13.伊平屋島
 (改訂決定稿)
梅雨の明けた五月の初旬、尚巴志を乗せた早田三郎左衛門の船はヤマトゥへ向けて、浮島を出帆した。尚巴志のヤマトゥ旅への船出を祝うかのように空は青く晴れ渡り、海は眩しく輝いていた。
14.ヤマトゥ旅
 (改訂決定稿)
ヤマトゥの国は思っていたよりもずっと遠かった。ヤマトゥの国は琉球の北の方にあって、三つか四つの島を経由すれば着くと簡単に思っていたのに、思っていた以上にいくつもの島があって、いつまで経ってもヤマトゥの国は目の前に現れなかった。
15.壱岐島
 (改訂決定稿)
取り引きも無事に済んで、夜明けと共に坊津を出帆した尚巴志たちを乗せた船は甑島に一泊してから五島列島へと向かった。甑島から五島列島まではかなりの距離があって、途中に島などなく海しか見えなかった。
16.博多
 (改訂決定稿)
ようやく、念願の博多にやって来た。壱岐島の志佐壱岐守の船に乗って、尚巴志は早田左衛門太郎、ヒューガと一緒に九州の都、博多の地に上陸した。志佐壱岐守と早田三郎左衛門は南朝の水軍として高麗の国や明の国まで行って共に戦った仲だという。
17.対馬島
 (改訂決定稿)
対馬島は山ばかりの島だった。南北に細長い大きな島で、早田三郎左衛門の村は島の西側、中程にある大きな湾の入り口辺りにあった。浅海湾と呼ばれるその湾は奥が深くて複雑な地形で、山々が湾内に細長くせり出し、小さな島がいくつもあった。まさしく、『倭寇の巣窟』と呼ばれるのにふさわしい場所だった。
18.富山浦
 (改訂決定稿)
尚巴志はヒューガと一緒に高麗の国に来ていた。それは突然の出来事だった。早田左衛門太郎に連れられて、言葉の通じない異国に来たのだった。
19.マチルギ
 (改訂決定稿)
尚巴志が対馬でイトと仲良くやっている頃、マチルギは一人で悩んでいた。尚巴志がヤマトゥに旅立った後、マチルギは毎日休まず、剣術の稽古に励んでいた。時には気分転換に兄たちと一緒に馬に乗って、次兄がいる山田グスクや勝連の城下に出掛けて行った。
20.兵法
 (改訂決定稿)
対馬の冬は琉球育ちの尚巴志には寒かった。壱岐島にいた頃、泰期が首に巻いていたという襟巻きをイトに作ってもらって首に巻いていた。
21.再会
 (改訂決定稿)
ウニタキとの試合で引き分けたマチルギは佐敷に戻って、厳しい修行を積んでいた。ウニタキに勝つには道場内の修行では難しいと判断した苗代之子はかつて自分が修行した山の中に、マチルギとサムを連れて行って修行させた。
22.ウニタキ
 (改訂決定稿)
佐敷グスクの拡張工事が始まっていた。尚巴志が嫁を迎えると今の屋敷では狭いので、新たに東側に曲輪を作って、そこに尚巴志たちの屋敷を建てる事になった。佐敷グスクを建てた時、尚巴志の兄弟は五人だったのが、今では八人になり、もうすぐ、九人になりそうだった。
23.名護の夜
 (改訂決定稿)
浮島は相変わらずの賑わいだった。この前に来た時から一年半足らずしか経っていないのに、以前よりも家々が大分増えているような気がした。島の外れの砂浜では造船所もできて、大きな船を作っていた。早田左衛門太郎の船は島から少し離れた所に泊まっていて、明国から帰って来る進貢船を待っていた。
24.山田按司
 (改訂決定稿)
名護の山中にある木地屋の屋敷を朝早く旅立った尚巴志たちは海岸沿いに道なき道を通って伊波へと向かった。鍛冶屋のヤキチたちはどこに行ったのか、出掛ける時、姿を見せなかった、きっと、隠れながら付いて来るのだろうと尚巴志は思った。
25.お輿入れ
 (改訂決定稿)
尚巴志とマチルギの新居は十一月の半ばに完成した。東曲輪ができて、佐敷グスクは以前よりもずっと立派に見えた。石垣がないのは残念だが贅沢は言えない。村の人たちが尚巴志たちのために総出で築いたグスクだった。
26.高麗の対馬奇襲
 (改訂決定稿)
尚巴志とマチルギの婚礼が行なわれていた頃、ヤマトゥの対馬ではとんでもない事が起こっていた。琉球に帰った尚巴志がマチルギとの再会を喜んでいた頃、高麗に来た明国の使者が元の時代の旧領を返還するようにと言って来た。返還しなければ高麗を攻めるとの強気の要求だった。
27.豊見グスク
 (改訂決定稿)
尚巴志とマチルギの婚礼の次の日の朝、大グスク按司のシタルーがお祝いを言いに佐敷グスクの東曲輪にやって来た。シタルーは相変わらず、佐敷按司を敵と見る事なく、隣の家に遊びに来たような気楽な顔をしてやって来た。
28.サスカサ
 (改訂決定稿)
尚巴志たちは久高島に来ていた。馬天ヌルに振り回されるような形で久高島に渡っていた。マチルギは特に旅の目的はなく、知らない土地を見てみたいというだけで、尚巴志とヒューガは気分転換のために旅がしたいというだけだった。馬天ヌルは隠していたが、ちゃんと旅の目的があったのだった。
29.長男誕生
 (改訂決定稿)
久高島に馬天ヌルを残して、尚巴志、ヒューガ、マチルギの三人は知念グスクの城下を見て、垣花グスクの城下を見て、また玉グスクの城下に戻って来た。「そろそろ帰るか」と尚巴志がマチルギに聞くと、マチルギはまだ駄目というように首を振った。
30.出陣命令
 (改訂決定稿)
尚巴志の長男誕生を一番喜んだのは祖父のサミガー大主だった。祖父は祖母と一緒に毎日のように東曲輪にやって来て、曽孫の顔が見られるとは思ってもいなかったと言って喜び、これを機に隠居すると言い出した。
31.今帰仁合戦
 (改訂決定稿)
洪武二十四年(一三九一年)四月一日、佐敷按司は五十人の兵を引き連れて出陣して行った。佐敷按司には苗代大親、兼久大親、クマヌ、ヤシルー、美里之子が従っていた。各按司の軍勢は浦添に集結してから今帰仁を目指して進軍するらしい。
32.ササの誕生
 (改訂決定稿)
島添大里按司の後始末はさすがと言える程に素早かった。三男の大グスク按司、ヤフスがしでかした不始末をあっという間に解決してしまった。やはり、糸数按司と比べて島添大里按司の方が一枚も二枚も上手のようだった。
33.十年の計
 (改訂決定稿)
風が冷たかった。今にも雨が降りそうな空模様だ。今帰仁合戦のあった年の十二月の初め、尚巴志は祖父のサミガー大主に呼ばれて、仲尾にある祖父の隠居屋敷に向かっていた。
34.東行法師
 (改訂決定稿)
年が明けて洪武二十五年(一三九二年)正月、佐敷按司は家臣たちを前に隠居する事を宣言した。家臣たちは突然の事に驚き、まだ隠居する年齢でもないと言って反対した。佐敷按司は世の中の無常を感じたので出家して旅に出る。今後は若い尚巴志を助けて、佐敷が益々発展する事を願うと言った。
35.首里天閣
 (改訂決定稿)
二月になっても早田三郎左衛門は来なかった。尚巴志を送って早田左衛門太郎が来てから四年が過ぎている。今年は来るだろうと思っていたのに来なかった。高麗の国に政変が起こって混乱しているらしいという噂が浮島に流れていた。混乱に乗じて高麗を攻めているのかもしれなかった。
36.浜川大親
 (改訂決定稿)
伊波、越来、北谷などの中部で、高麗人の山賊が村々を荒らし回っているとの噂が流れて来たのは、尚巴志たちが首里天閣を見に行ってから一月ほど経った頃だった。
37.旅の収穫
 (改訂決定稿)
十二月の半ば、東行法師となって旅に出た父が、ようやく帰って来た。前回と同じようにマサンルーを佐敷グスクに帰して、東行庵に尚巴志を呼んだ。「長い旅だったな」と尚巴志が言うとマサンルーはうなづいて、「いい経験をしました」と満足そうな顔をして言った。
38.久高島
 (改訂決定稿)
三月にマチルギが女の子を産んだ。三人目に、やっと女の子が生まれてマチルギは大喜びだった。尚巴志も初めての女の子の誕生は嬉しかった。母親似の可愛い女の子は尚巴志の母の名前を貰って、ミチと名付けられた。
39.運玉森
 (改訂決定稿)
久高島から佐敷に戻ったヒューガは尚巴志に訳を話して、ヤマトゥに帰る準備を始めた。ヒューガの話を聞いた尚巴志は予想外な展開に驚いた。ヒューガが山賊になって、久高島の修行者たちの食糧を調達するなんて危険すぎると思った。
40.山南王
 (改訂決定稿)
夏真っ盛りの暑い日々が続いていた。ヒューガが佐敷を去ってから二か月が過ぎ、南部の各地に山賊が出没して食糧が奪われたとの噂が流れて来た。また、その山賊の仕業かどうかはわからないが、貧しい村に食糧が天から降って来たという噂も流れていた。
41.傾城
 (改訂決定稿)
洪武二七年は正月から大忙しだった。正月の十日に尚巴志の弟、マサンルーの婚礼が華やかに行なわれた。花嫁は鍛冶屋のヤキチの娘、キクだった。二人の仲は尚巴志もまったく知らなかった。マチルギから剣術を習っていたキクをマサンルーが見初めて口説いたらしい。
42.予想外の使者
 (改訂決定稿)
山南王となった島添大里按司は、島添大里グスクから島尻大里グスクに移って行った。島添大里グスクには大グスク按司のヤフスが入って島添大里按司となり、大グスクは島添大里按司の出城の一つとなり、ヤフスの武将が守る事となって、大グスク按司はいなくなった。
43.玉グスクのお姫様
 (改訂決定稿)
尚巴志の四番目の子供は男の子だった。祖父、サミガー大主の名前を貰って、イハチと名付けられた。年末には祖父とヤグルーが旅から帰って来た。一年見ないうちにヤグルーは随分と背が伸び、体格も一回り大きくなっていた。
44.察度の死
 (改訂決定稿)
旅から帰ると御門番から鍛冶屋のヤキチの言伝を聞かされた。頼まれていた短刀ができ上がったとの事だった。短刀を頼んでいた訳ではなく、ただ話があるという意味だった。
45.馬天ヌル
 (改訂決定稿)
中山王の葬儀は浮島の護国寺で盛大に行なわれた。跡を継いで中山王となった武寧、武寧の義父である山南王の汪英紫、武寧の娘婿である山北王の攀安知と三人の王様が揃って、先代中山王の察度の死を弔った。
46.夢の島
 (改訂決定稿)
二月に尚巴志の四男が生まれた。マチルギの祖父の名を貰って、千代松と名付けられた。マチルギの祖父は今帰仁按司だった。曾祖父が亡くなって、羽地按司に滅ぼされてしまったが、尚巴志とマチルギはこの子がいつの日か、今帰仁按司になる事を願いながら命名した。
47.佐敷ヌル
 (改訂決定稿)
マチルギが妹のマカマドゥの嫁入りの話をしたのは、暑い夏の盛りだった。剣術の稽古が終わり、水を浴びて汗を流したマチルギが、縁側で伸びていた尚巴志に声を掛けて来た。
48.ハーリー
 (改訂決定稿)
生憎の空模様だった。今にも雨が降りそうだった。今年はまだ、梅雨が明けていなかった。尚巴志たちは恒例の旅に出ていた。いつもなら、梅雨が明けてから出て来るのだが、国場川で行なわれる『ハーリー』が見たくて早めに旅立った。
49.宇座の御隠居
 (改訂決定稿)
年が明けて洪武三十一年(一三九八年)、尚巴志は二十七歳になった。佐敷按司になって七年目の年が始まった。佐敷按司になった時と比べると、回りの状況もかなり変わっていた。
50.マジムン屋敷の美女
 (改訂決定稿)
明国の皇帝の死は、思っていた以上の影響があった。明国に行った進貢船は戦乱に巻き込まれる危険があるので、応天府に行く事ができなかった。仕方なく、皇帝への貢ぎ物も泉州の商人と取り引きをして、陶器や織物などと交換して帰って来た。
51.シンゴとの再会
 (改訂決定稿)
佐敷の東に須久名山と呼ばれる山がある。その西側の裾野に平田という所があり、今、そこに小さなグスクを築いていた。馬天の海を挟んで向こう側には島添大里グスクが見え、右に目をやれば海の向こうに勝連が見える。佐敷グスクよりも眺めがよかった。
52.不思議な唐人
 (改訂決定稿)
早田新五郎の船が慶良間を回って浮島に入った頃、明国から来た密貿易船に乗って、琉球に逃げて来た唐人がいた。科挙に合格して宮廷に仕えていた秀才だったが、洪武帝が亡くなった後の政変に巻き込まれ、命を狙われて宮廷から逃げ出した。世を儚んで道士となり、山奥に籠もって厳しい修行を積んでいだ。
53.笛と三弦
 (改訂決定稿)
不思議な道士の懐機は琉球を知るために旅に出て行った。旅に出る前、浮島の久米村から家族を連れて来た。久米村は物騒だから佐敷に置いてくれという。尚巴志は喜んで引き受けた。新しい屋敷を祖父の隠居屋敷の近くに建てる事にして、それまではクマヌに預かってもらう事にした。
54.家督争い
 (改訂決定稿)
八重瀬按司のタブチの行動は素早かった。まるで、前もって父親が亡くなるのを知っていたかのように、その日の夕方には、二百の兵を率いて島尻大里グスクを占領した。
55.大グスク攻め
 (改訂決定稿)
大グスクに来たのは何年振りだろうか、と尚巴志は閉ざされたグスクの大御門を見ながら思っていた。大グスクが落城する前の正月、祖父と一緒に挨拶に来たのが最後だった。尚巴志がまだ十四歳の時だった。あれから十七年の月日が流れていたが、当時の記憶とあまり変化はなかった。
56.作戦開始
 (改訂決定稿)
大グスクの城下に住んでいた人たちの中に、マナビーがいた。戦死したと思っていた、大グスクヌルのマナビーが生きていた。大グスクが落城した時、マナビーはグスクの外にあるウタキでお祈りをしていて助かり、城下の村人たちに匿われて生き延びてきた。
57.シタルーの非情
 (改訂決定稿)
半月振りに戻って来た島添大里グスクの戦陣は随分と変わっていた。懐機が考えて、大グスクで作った櫓と同じような櫓が五つも立っていた。誰かが、大グスクに偵察に来たようだった。櫓と櫓をつなぐ通路は高い柵がずっと続いている。大グスクの柵よりも高く、立ったまま移動する事ができた。
58.奇襲攻撃
 (改訂決定稿)
正月二十七日、東方の按司たちが島添大里グスクの包囲を解いて引き上げてから、半時ほど経った頃、東御門が開いた。グスクから出て来た三十人ほどの兵は、弓を構えて、敵が隠れていないか確かめながら、グスクの周囲を探った。城下の屋敷の中も調べ、ようやく、誰もいない事を確認すると引き上げて行った。
59.島添大里按司
 (改訂決定稿)
念願だった島添大里グスクを手に入れた尚巴志は、佐敷按司から島添大里按司になった。マチルギと一緒に豪勢な屋敷の二階から、高い石垣に囲まれたグスク内を見下ろして、その事を充分に実感していた。
60.お祭り騒ぎ
 (改訂決定稿)
島添大里グスクの落城から一月が経った二月二十八日、島添大里グスクにおいて盛大な戦勝祝いが行なわれた。家臣たちは勿論の事、城下の人たちも加わり、昼過ぎから夜遅くまで、お祭り騒ぎを楽しんだ。
61.同盟
 (改訂決定稿)
山南王のシタルーとの同盟は重臣たちの会議では、文句なく賛成だった。家臣の数が三倍にもなったため、交易を盛んにしなければ、やって行けなくなる。こちらからお願いしたい所だったと大喜びだった。問題は東方の按司たちの反応だった。
62.マレビト神
 (改訂決定稿)
去年の台風で、密貿易船はかなりの被害を受けていたのに、懲りずに今年も何隻もやって来ていた。 島添大里按司の倉庫は与那原の港にあった。亡くなった先代山南王の汪英紫が建てた物で、汪英紫が島添大里按司だった頃、進貢船を明国に送った時に使用されていた。
63.サミガー大主の死
 (改訂決定稿)
ウニタキが久し振りに現れた。フカマヌルと一緒に、どこかに消えてから四か月が過ぎていた。城下の『まるずや』に行くと、裏の屋敷でウニタキは陽気に三弦を鳴らしていた。
64.シタルーの娘
 (改訂決定稿)
年が明けて、永楽元年(一四〇三年)となり、島尻大里から山南王の娘、ウミトゥクが尚巴志の末の弟、クルーに嫁いで来た。花婿も花嫁も十六歳になったばかりで、初々しい夫婦の誕生だった。二人は島添大里グスクで婚礼の式を挙げて、佐敷グスクの東曲輪の屋敷に入った。
65.上間按司
 (改訂決定稿)
久高島からの帰りに、尚巴志たちは何者かに襲われた。小舟から下りて、須久名山を左に見ながら山裾を歩いている時だった。突然、山の中から浪人のようなサムレーが現れて、尚巴志たちを囲んだ。前に四人、後ろに四人いた。
66.奥間のサタルー
 (改訂決定稿)
十二月の半ば、尚巴志はヤキチに呼ばれた。ヤキチは尚巴志の重臣として奥間大親を名乗り、グスクに出仕しているが、内密の事はグスク内では話さず、城下にある鍛冶屋の作業場に尚巴志を呼んでいた。
67.望月ヌル
 (改訂決定稿)
正月の下旬、早田新五郎と黒瀬の船が二隻、馬天浜に着いた。マタルーと苗代大親の長男のマガーチが無事にヤマトゥ旅を終えて帰って来た。
68.冊封使
 (改訂決定稿)
四月の初め、明国から初めて冊封使が来た。去年の返礼の使者たちと同じように、二隻の大きな船に乗ってやって来た。中山王と山南王は出迎えのために、大勢の重臣たちを浮島に送って、来琉を歓迎したという。
69.ウニョンの母
 (改訂決定稿)
ウニタキは浦添の『よろずや』にいるムトゥから信じられない事を聞いていた。昨日、ムトゥは浦添グスクの侍女、ナーサに呼ばれた。浮島にいる冊封使の事など世間話をした後、今日は娘の命日なのよと言って、娘の事を話してくれた。絶対に秘密よと言って話した内容は、まったく意外な話だった。
70.久米村
 (改訂決定稿)
十一月に冊封使は帰って行った。島添大里では冊封使の影響はあまりなかったはずなのに、冊封使が帰ったら、何だか急に静かになったように感じられた。
71.勝連無残
 (改訂決定稿)
年が明けて永楽三年(一四〇五年)の正月の末、早田新五郎と黒瀬の船が馬天浜に来た。サムとクルーが無事にヤマトゥ旅から帰って来た。サムもクルーも目の色が違っていた。自分がやるべき事をはっきりと見つけて来たような感じがした。
72.伊波按司
 (改訂決定稿)
義父の江洲按司の敵だった長男の勝連按司と次男の江洲按司がいなくなり、妹婿である四男のシワカーが勝連按司に納まった。すべて、北谷按司の思惑通りになっていた。
73.ナーサの望み
 (改訂決定稿)
ウニタキが浦添グスクにいる侍女のナーサを仲間に引き入れる事に成功した。娘の敵だった望月党をウニタキが倒してから、ナーサはちょくちょく、『よろずや』に遊びに来るようになった。特に用があるわけでもないのに、ふらっと来ては、ムトゥやヤエと無駄話をして帰って行った。
74.タブチの野望と
シタルーの誤算

 (改訂決定稿)
年末年始を久し振りに、馬天ヌルと娘のササと一緒に過ごしたヒューガは、五日になると、慶良間の島から兵の移動を開始した。まだ、戦が始まるのかどうか確実ではないが、中山王が首里グスクに移る前に、首里グスクを奪わなければならなかった。
75.首里グスク完成
 (改訂決定稿)
正月二十五日、八重瀬按司のタブチから出陣要請が来た。二月十一日、山南王のシタルーを攻めるという。十一日といえば、首里グスクの完成の儀式の翌日だった。思っていたよりも早かった。一仕事を終えて、ホッと安心しているシタルーを狙うようだった。
76.首里のマジムン
 (改訂決定稿)
二月九日、島添大里グスクで、馬天ヌルと佐敷ヌル、それに、フカマヌルも加わって、武装した兵たちの見守る中、出陣の儀式が厳かに執り行なわれた。馬天ヌルの娘のササと尚巴志の娘のミチが若ヌルとして手伝っていた。
77.浦添グスク炎上
 (改訂決定稿)
尚巴志が首里グスクを奪い取った日の夕方、浦添の遊女屋『喜羅摩』では、早々と戦勝祝いの宴が賑やかに開かれていた。招待したのは侍女の頭を務めるナーサで、招待されたのは中山王の重臣たちだった。重臣と行っても、武将ではなく、政務を司っている文官たちだった。
78.南風原決戦
 (改訂決定稿)
夜明けと共に、豊見グスクを包囲しているマサンルーのもとへ、尚巴志からの使者が来ていた。首里グスクを奪い取り、浦添グスクは焼き討ちにしたと使者は伝えた。マサンルーはうなづくと、撤収を開始すると伝えてくれと言って、使者を帰した。
79.包囲陣崩壊
 (改訂決定稿)
中部の按司たちの兵が引き上げて行った事を知った、八重瀬按司のタブチは鬼のような顔をして、奥間大親を怒鳴っていた。「どうして、こんな事になったんじゃ。今度こそ、山南王になれると信じていたのに‥‥‥くそっ!」
80.快進撃
 (改訂決定稿)
中グスクの城下は朝早くから騒然としていた。信じられない噂が飛び交っていたのだった。中山王が戦死した‥‥‥中グスク按司も戦死した‥‥‥できたばかりの首里グスクは奪われ、浦添グスクは焼け落ちた‥‥‥首里を落とした大軍が今、中グスクを目指している‥‥‥
81.勝連グスクに雪が降る
 (改訂決定稿)
奪い取った越来グスクは美里之子と百人の兵に守らせて、尚巴志は六百の兵を率いて勝連グスクに向かった。美里之子にはそのまま、越来按司になってもらうつもりでいた。大グスクの戦で戦死した祖父の美里之子のためにも、それがいいと思っていた。
   
   
   
主要登場人物
年表
創作ノート



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