ヤマトゥ酒
今までは大グスク按司を通じて、玉グスク按司、 今の状況で攻められたら、誰も助けに来てくれないだろう。手っ取り早い方法は婚姻関係を結ぶ事だが、佐敷按司には嫁にやるような年頃の娘はいなかった。四人の妹は 佐敷按司は山伏のクマヌに命じて、玉グスク按司、垣花按司、糸数按司、知念按司にサハチの嫁にふさわしい娘がいないか調べさせた。残念ながら年齢の合う娘はいなかった。按司ではなく重臣の娘ならいたが、将来の事を思うと、サハチの嫁は按司の娘でなくてはならなかった。クマヌは、「何もその四人の按司にこだわる事はない。中部の按司の娘を嫁に迎えて、島添大里按司を挟み撃ちにすればいい」と言うが、中部の按司が、佐敷が攻められた時に助けてくれるとは思えなかったし、それ以前に、佐敷按司の存在も知らないに違いない。そんな所に嫁に来るわけがなかった。 落城した大グスクには、島添大里按司の次男のシタルーが入って来て、大グスク按司を名乗った。シタルーは焼け落ちた屋敷を新築して、守りも強化していた。大グスクを手に入れた島添大里按司が次に狙っているのが、糸数グスクなのか、佐敷グスクなのかわからなかった。 佐敷グスクは大グスクが落城した日から毎日、守りを固めて、敵の襲撃に備えていた。しかし、敵が攻めて来る事はなかった。 大グスクの落城から十日ほど経った頃、シタルーが数人の従者を連れただけで、厳重な守りを固めた佐敷グスクにやって来た。 佐敷按司はシタルーと会った。お互いに初対面だった。シタルーはまだ二十四歳の若者で、父親のような シタルーは大グスク按司になった事を告げたあと、「佐敷には攻め込まないので、ご安心を」と言った。 佐敷按司は微かに笑って、「それは助かるが、信じる事はできん」と言った。 「父は有能な者は殺しません。佐敷には有能な 「以前にも、島添大里按司から同盟を結ぼうと言われたが、きっぱりと断わった。大グスク按司はわしの 「わかりました」と言って、シタルーは壁に飾ってある山水画を見た。 ヤマトゥ(日本)の商人から贈られた掛け物だった。佐敷按司には絵の事はよくわからないが、まるで、仙人が住んでいるような、その山奥の風景は気に入っていた。 「帰れないかもしれないとは思いませんでしたか」と佐敷按司はシタルーに聞いた。 シタルーは山水画から佐敷按司に視線を戻すと軽く笑った。 「佐敷殿は剣術の名人だと聞いておりますので、そのような卑怯な事をするとは思っておりません」 佐敷按司はシタルーを見ながら苦笑した。 「わたしは見ておりませんが、 「 「壮絶な戦死だったと聞いております」 「そうか。やはり、戦死したのか‥‥‥」 「また改めて参ります」と言ってシタルーは帰って行った。 今度こそ、攻めて来るだろうと思ったが、敵は攻めて来なかった。 二日後にシタルーはまた佐敷グスクにやって来た。前回と同じ事を言って、佐敷按司に断られると急に禅の話を始めた。まるで、世間話でもするように、ヤマトゥから来た禅僧の話をすると帰って行った。佐敷按司も家臣となったソウゲンから禅の事は聞いていて、多少は知っているが、どうして急にシタルーが禅の話をしたのか、さっぱりわからなかった。 その後もシタルーは何度もやって来た。来るたびに断わられて、 シタルーは喜んで、「以後、よろしくお頼み申します」と言って頭を下げた。相手に敵対心がまったくなく、頭まで下げられると佐敷按司もうなづかないわけにはいかなかった。そして、 大グスク按司と話がついたので、佐敷按司はグスクの警固を通常に戻して、領内の人たちも家に帰した。戻って来ない者たちは戦死した事にして、遺体はないが葬儀を済ませた。 戦死した 去年の十月、 中山王の察度が明国との交易を始めてから、すでに十年余りが経って、明国の 洪武十九年の暮れ、ヤマトゥの船が 祖父のサミガー 祖父と早田三郎左衛門との付き合いはかなり古い。祖父が 三郎左衛門の故郷、対馬に行って、まだ十一歳だった三郎左衛門と出会った。賑やかに栄える博多にも行って、人の多さと市場で売られている見た事もない様々な商品を見て驚いた。まだヤマトゥ言葉がうまく話せなかった祖父は暴漢に絡まれて、危うく殺されそうになった所を三郎左衛門の父親に助けられた。三郎左衛門の父親は祖父の命の恩人だった。 ヤマトゥで鮫皮が高価で取り引きされる事を知った祖父は、伊平屋島に帰ると鮫皮作りを始めた。佐敷に移ってからもずっと作り続け、三郎左衛門の父親と取り引きをして来た。すでに、三郎左衛門の父親は亡くなって、倅の三郎左衛門の代となっているが、祖父は決して、早田氏以外の者とは取り引きをしなかった。 サハチが生まれた年に、馬天泊に来たヤマトゥ船に乗っていたのは三郎左衛門だった。その後、サハチが四歳の時、八歳の時、十一歳の時に来ていて、祖父の屋敷の離れに半年近く滞在していた。 帆船でヤマトゥと琉球を往復するには、季節風を利用するしかなかった。冬の北風を利用して島伝いに南下して琉球に来て、夏の南風を利用して北上して帰って行った。琉球に来たら半年近くは帰る事ができず、滞在しなければならない。ヤマトゥから来る船はそれぞれ琉球に拠点を置いて、取り引きを済ませた後、南風が吹く夏まで待っていた。浮島(那覇)を拠点にする船が多く、浮島にヤマトゥンチュの住む町が発展して行った。早田氏は馬天浜の祖父の屋敷を拠点にしていた。 サハチはヤマトゥの船が馬天泊に着くと、毎日のように祖父の屋敷に遊びに行って、みんなから可愛がられていた。ヤマトゥ言葉も自然に覚えてしまい、彼らが帰ってしまうと急に寂しくなって泣いた事もあった。 今回、サハチは初めて歓迎の 広間に顔を出すと、すでに宴は始まっていた。祖父と叔父のウミンターも来ていた。お客は五人で、サンルーザ(早田三郎左衛門)とその家臣のクルシ(黒瀬)とウサキ(尾崎)はいつも来るので知っていたが、知らない人が二人いた。サンルーザは五十年配の貫録のある武将で、クルシとウサキはサンルーザの重臣だった。三人とも、何度も修羅場をくぐり抜けて来たような怖い顔つきをしているが、サハチにとっては皆、優しいおじさんたちだった。 父に呼ばれて、サハチは父と祖父の間に座った。サハチが座るとサハチの前にも料理の並んだヤマトゥのお膳が置かれた。ちゃんと 「わしの嫡男のサハチじゃ」と父はサハチを皆に紹介した。 「ほう」とサンルーザがサハチを見ながら言った。 「この前、会った時はまだ子供じゃったが、随分と立派になったものよ」 「色々とありましたからな」と父が言った。 「こいつも自分なりに考えて、弓矢の稽古や剣術の稽古を始めました」 「そうか」とサンルーザはうなづいた。 「この辺りもすっかり変わってしまったからのう。前回に来た時、島添大里按司が滅ぼされたと聞いて驚いたが、今回来たら、大グスク按司までやられてしまうとは、まったく信じられん事じゃ。ヤマトゥも サハチは父の顔を見てから、「はい。絶対に守り通します」と答えた。 サンルーザは笑いながら見知らぬ二人を紹介した。一人はサンルーザの息子の左衛門太郎、もう一人は 「わしも サハチは改めて三好日向を見た。年齢はサハチの父と同じくらいの三十半ばで、体格もそれほど大きくはなく、物静かな感じで、武芸者には見えなかった。強いと言うが、叔父の 祖父にお 「ヤマトゥではまだ戦が続いているのですか」と父がサンルーザに聞いた。 「 「わしが博多に行った時、将軍宮様は 「あの頃が一番よかったのう」とサンルーザはしみじみと言った。 「博多も賑やかじゃった。まるで、将軍宮様が王様で、九州は一つの国のようじゃった。わしら海の者たちも一つにまとまって、南朝のために働いておった。実際に、明の国から使者がやって来て、将軍宮様は サンルーザと父はヤマトゥの戦の話を続けていた。サハチにはよくわからなかったが、祖父や父のようにヤマトゥに行ってみたいと思いながら酒を飲んでいた。 「博多は戦で焼けてしまったのですか」と父がサンルーザに聞いた。 博多の名は祖父や父、クマヌから聞いてサハチも知っていた。興味があったので耳を澄まして聞いていた。 「いや、今川了俊も博多に軍勢を入れるのは避けたので、焼けはしなかった。しかし、あの頃ほどの活気はなくなってしまった。南朝方だった 「わしが博多に行った時はまだ焼け跡も残っておったが、賑やかな所じゃったのう」と祖父が懐かしそうに言った。 「親父が行ったのはもう四十年も前の事だろう」と父が笑った。 「ヤマトゥは凄い所じゃと思った。とてもかなわないと思っておったが、最近の浮島の賑わいは、決して、ヤマトゥにも負けないと思ったわ。わしは四十年前、ヤマトゥから帰って来た時、伊平屋島で降りないで浮島まで行ったんじゃよ。ヤマトゥに帰る五月まで、そこで過ごすって聞いたもんじゃから、どんな所じゃろうと行ってみたんじゃ。あの頃の浮島は、まだ寂しい漁村といった感じじゃった。住み着いているヤマトゥンチュや 「そうじゃのう」とサンルーザもうなづいた。 「わしが初めて浮島に行った時も、まだ寂しい所じゃった。浮島で半年暮らしている者たちを見て、馬天浜の方がずっといいと思ったものじゃ」 「お爺、その面白い人は今でも浮島に住んでいるの?」とサハチは聞いた。 「いや、今は 「もしや、その男というのは‥‥‥」とサンルーザが言った。 「今は中山王と呼ばれているようじゃのう」と祖父は笑った。 やがて、村の女たちが加わって賑やかになった。女たちは着飾って、口に 女たちは代わる代わるサハチの所にやって来ては、「 気がつくと朝になっていて、いつもの所に寝かされていた。起きようとしたらズキーンと頭が痛かった。サハチは頭を抱えて、また横になった。妹のマナミーがそばに来て、「やだ、お酒臭い」と自分の鼻をつまんだ。 頭がガンガンしているサハチだったが、無理やり起こされて父に呼ばれた。 「いい飲みっぷりだったが、お客の前で酔い潰れるとはみっともないぞ」と父は言った。 「すみません」とサハチは謝った。 「以後、気を付けろ」 父はサハチの情けない顔を見ながら笑った。 「 サハチには父が何の事を言っているのかわからなかった。 きょとんとしたサハチを見て、「お前、もしかして、覚えていないのか」と父は聞いた。 「旅って何の事でしょう」 「サンルーザ(三郎左衛門)殿が、今の琉球の状況を調べるために、倅のサイムンタルー(左衛門太郎)に琉球を旅させると言ったんだ。わしも各地の状況を知るために、お前を旅に出すかと言ったら、お前は是非、一緒に連れて行ってくれと言ったんだ。覚えておらんのか」 「覚えていません」とサハチは答えた。 まったく、記憶にない事だった。 「困ったもんだ。それで、クマヌを案内に旅をする事に決まったんだよ。今さら行かないとは言わせんぞ」 「行きます」とサハチは答えた。 各地を旅してみたいというのは、ずっと思っていた事だった。クマヌがよく話す浮島に行ってみたかったし、ここから見える 「いつ出掛けるのですか」とサハチは頭が痛いのも忘れ、身を乗り出して聞いた。 「今日だ」と父は言った。 「ええっ?」 「馬天浜の屋敷で、サイムンタルーとヒューガ(三好日向)が待っている。速く支度をして行け」 「わかりました」とサハチは出て行こうとした。 「ちょっと待て」と父が呼び止めた。 父は サハチは再び、父のそばまで行って、「 何年か前にクマヌから一枚もらって、サハチは大切に持っていた。 「この辺りではまだ使えないが、浮島や浦添、勝連や サハチは銅銭を受け取り、父にお礼を言って部屋から飛び出して行った。 |
佐敷グスク