シタルーの娘
年が明けて、 婚礼はいつものように、領内の村々を挙げてのお祭り騒ぎとなり、花嫁は大歓迎された。山南王の娘が嫁いで来れば、島添大里は安泰だ。しばらくは戦も起こらないだろうと誰もが喜んでいた。しかし、花嫁は心に大きな傷を負っていて、心を閉ざしたままだった。 ウミトゥクはシタルーの三女で 長女のマアサ(真麻)は七歳で亡くなってしまい、ウミトゥクが生まれた時にはもういなかった。次女のマナビー(真鍋)は豊見グスクヌルになっている。その下に兄のタルムイ(太郎思)がいて、その下がウミトゥクだった。 五歳の時に父は 十四歳の時に、祖父の山南王が亡くなって、戦が始まった。父の敵は 豊見グスクは大勢の敵の兵に囲まれた。城下の人たちが大勢、避難して来た。一月半も包囲されて、ウミトゥクは殺されてしまうのではないかと毎日、恐ろしい思いをしていた。 戦が終わると父は山南王になった。ウミトゥクは母と弟たちと一緒に島尻大里グスクに移った。そして、島添大里の叔父(ヤフス)が戦死して、島添大里グスクと大グスクが敵に奪われた事を知った。島添大里の叔父は豊見グスクによく来ていたので知っていた。時々、面白い事を言う叔父さんで、弓矢の名人だった。ウミトゥクも弓矢を教えてもらった事があった。あの叔父さんが亡くなってしまったなんて悲しかった。 叔父さんの死を悲しむ暇もなく、父から島添大里にお嫁に行けと言われた。叔父さんを殺した敵の所に、お嫁に行くなんて信じられなかった。父は島添大里按司(サハチ)の事はよく知っているから、お前を大切にしてくれるだろうと言うが、敵の所にお嫁に行きたくはなかった。 四月に兄のもとへ、敵の島添大里按司の娘が嫁いで来た。敵の娘だというのに、楽しそうにお嫁さんと話をしている兄が憎らしく思えた。 父から、島添大里では娘たちが剣術の稽古に励んでいるから、お前も今のうちから稽古をしておいた方がいいと言われた。ウミトゥクは剣術と弓矢を真剣になって稽古した。いざという時は、叔父の 年が明けて、ウミトゥクは島添大里に嫁いだ。相手は島添大里按司の弟で、島添大里グスクではなく、佐敷グスクに住む事になった。豊見グスクと比べたら小さなグスクだった。 佐敷グスクには、島添大里按司の弟の 毎日、夕方になると村の娘たちが東曲輪の庭に集まって来て、剣術の稽古が始まった。娘たちに剣術を教えているのは、東曲輪内に住んでいる 馬天ヌルの事は姉の豊見グスクヌルから聞いていた。ヌルとして凄い人で、姉は尊敬していると言っていた。馬天ヌルがいるから大丈夫、安心してお嫁に行きなさいと姉は言った。 ウミトゥクは馬天ヌルに近づくために、稽古に加わる事にした。お嫁に来る前に稽古を積んで来たので、多少の自信はあったが、ウミトゥク程度の腕の娘は何人もいた。娘たちの話では、馬天ヌルは物凄く強いという。でも、馬天ヌルよりも強い 村の娘たちと一緒に剣術の稽古を続けて行くうちに、ウミトゥクは少しづつだが、閉ざしていた心を開き始めて行った。
正月の下旬、シンゴ(早田新五郎)が馬天浜に来た。去年の約束を守って、船を借りて来てくれた。久し振りに、二隻の船が 船は『一文字屋』から借りたという。空船ではなく、ヤマトゥの商品をたっぷりと積んで来てくれた。その船の 佐敷ヌルが娘を産んだ事を話すと、シンゴは、「すまん」と言って頭を下げた。 「何も謝る事はない。お前を受け入れたのは佐敷ヌルだ。お前は佐敷ヌルに選ばれた男なんだよ。ただ、親父には一言、謝った方がいいな」 「今、ここにいるのか」 「弟の婚礼があったので、まだ、島添大里にいる」 「わかった。謝るよ」 「ずっと、好きだったのか」とサハチは聞いた。 「初めて会った時から、惚れてしまった。まるで、天女のような美しさだ。とても、この世の人とは思えなかった。ヤマトゥに帰ってからも、忘れる事はできなかった。でも、俺なんか相手にされないという事もわかっていた。遠くから見ているだけでもいいと諦めていたんだ。でも、引っ越しの手伝いをした時、自分の気持ちだけは伝えたいと思って、思い切って告白した。そしたら、佐敷ヌルは驚いた顔をして、俺をじっと見つめた。俺は殴られるかと思った。たたき出されるかと思った。でも、違った。佐敷ヌルは嬉しそうに笑って、まるで、小娘のように赤くなったんだ。夢のような気分だったよ。今でも信じられない。ヤマトゥに帰ってからも、あれは夢だったに違いないと思っていた」 「夢じゃない。可愛い娘が生まれたんだ。佐敷ヌルは幸せそうだ」 シンゴは目を潤ませて、うなづいた。 サハチはシンゴとクルシを連れて、島添大里グスクに向かった。 父は屋敷にはいなかった。母に聞くと佐敷ヌルの所だという。サハチは二人を連れて東曲輪にある佐敷ヌルの屋敷に向かった。 末っ子のクルーが嫁をもらって、母は一人になってしまった。父がいるうちに、佐敷グスクから島添大里グスクに移ってもらった。クルーの嫁はシタルーの娘なので、父が年中、いない事に不審を持っては困るからだった。坊主になって旅をしている事になってはいるが、変だと思わせないために、こちらに移ってもらったのだった。 父は嬉しそうに佐敷ヌルの娘を抱いていた。シンゴの顔を見ると、「お前のお父が帰って来たぞ」と言った。 父は娘を佐敷ヌルに渡すと、「話がある」と言って、シンゴを外に連れ出した。 「ここまで来てもらったのだから、今晩、歓迎の サハチはクルシにそう言って、屋敷から出て一の曲輪の方に向かった。外には、父とシンゴの姿はなかった。どこに行ったのだろうと東曲輪と二の曲輪をつなぐ サハチは笑いながら、「親父が高い所が好きなんで、みんな、似てしまったようだ」と独り言を呟いた。 シンゴとクルシの歓迎の宴に、サハチは弟夫婦を全員、呼んだ。船が手に入った事で、弟の誰かをヤマトゥに送ろうと考えていた。これからは、弟たちに水軍の大将として、ヤマトゥや 「最初に誰が行く?」とサハチが聞くと、四人の弟たちはお互いの顔を見回しているだけで、俺が行くという者はいなかった。 「それじゃあ、マサンルーから順番に行って来るか」 サハチがそう言ってマサンルーを見ると、マサンルーは妻のキクの顔を見てから、「ヤマトゥに行くとなると半年間、留守にしなくてはなりません。それはちょっと‥‥‥」と首を傾げた。 「そうか」とサハチはうなづいた。 ヤマトゥへの船旅はそれ程、危険はないとはいえ、必ず、帰って来られるとは言い切れなかった。家族の事を思えば、無理には勧められなかった。 「ヤグルーはどうだ?」とサハチはヤグルー夫婦を見た。 妻のウミチルが、駄目よというようにヤグルーを見ながら、首を微かに振っていた。 「子供もまだ小さいし‥‥‥」とヤグルーは言った。 サハチはうなづいて、マタルーを見た。 マタルーは嬉しそうな顔をして、「俺、行きます」と言った。 「お前が行くか」と言って、サハチは妻のマカミーを見た。 マカミーは驚いた顔をして、マタルーを見ていた。 「お爺と一緒に旅をした時、お爺からヤマトゥに行った時の話を何度も聞きました。その時から、俺もヤマトゥに行ってみたいとずっと思っていたんです。兄貴たちが行かないのなら、俺が行きます」 「そうか。よし、ヤマトゥに行って大きくなって来い。マカミーは大丈夫だな?」 マカミーはマタルーの横顔を見つめていたが、サハチを見るとうなづいた。 「はい、待っています」 サハチはクルー夫婦を見て、「お前たちは新婚だからな」と言って笑った。 「俺は来年、行きます」とクルーは言った。 「俺はお爺と旅をしていません。旅に出るのを楽しみにしていたんですけど‥‥‥だから、ヤマトゥに行ってきます」 「そうか。お前は旅をしていなかったんだな。ここしか知らないのか」 サハチはウミトゥクを見た。嫁いで来て、まだ半月余りしか経っていないので、どこか、よそよそしい所があった。馬天ヌルの話だと、敵の所にお嫁に来たと思っていて、警戒しているようだという。でも、時が解決してくれるわよと言っていた。 歓迎の宴の次の日、父はキラマ(慶良間)の島に戻って行った。 物見櫓の上で、親父に怒られたのかとシンゴに聞いたら、佐敷ヌルの事は許してくれたと言った。 「佐敷ヌルの事よりも、一文字屋の船について色々と聞かれたんだ。クルシがお前の家臣になったと言ったら、喜んでいたよ」とシンゴは言った。 父は前からヤマトゥに行ける船が欲しいと言っていた。琉球からヤマトゥへの海を知り尽くしているクルシが、船乗りと一緒に家臣になってくれたのが嬉しかったに違いない。 三月になって、ウニタキが現れた。『まるずや』の裏の屋敷に行くと、相変わらず 「また ウニタキは苦笑した。 「それを言うな。今、思えば夢のような感じだ。あれ以来、久高島には行っていない」 シンゴも同じような事を言っていた。ヌルに惚れると夢の世界に行くようだ。 「それじゃあ、 「いや、勝連にも近づいてはいない。ファイチ(懐機)に付き合って、 「久米村? ファイチは何か捜しているのか」 「そうじゃない。ファイチも色々と考えているんだよ。お前のためにな」 「俺のために、久米村で何をしているんだ?」 「 「島添大里按司から浦添按司に変わるというだけじゃないんだ。中山王になるという事なんだ」 「そんな事は当然だろう」 「中山王になったら サハチは久米村の事は何も知らなかった。自分には縁のないものだと思っていた。しかし、中山王になれば、久米村は重要な拠点となる。味方に付けなくてはならなかった。 「それで、ファイチは何をしようとしているんだ?」 「アランポーを倒すつもりだ」 「なに、久米村の支配者を倒すのか」 「そうだ。アランポーを倒して、新しい久米村を作りたいらしい。ファイチが言うには悪い人は追い出して、誰もが安心して暮らせる村にしたいそうだ。確かに、今の久米村は、ならず者たちが多すぎる。そいつらも皆、アランポーとつながっているんだ。だから、ファイチは悪い者の親玉のアランポーを追い出すと言っている」 「そんな事ができるのか」 「口には出さないが、アランポーに反発している者たちは多い。ファイチはそいつらをまとめて、対抗勢力を作るようだ。とりあえずは手頃な家を手に入れ、そこを拠点にして、少しづつ味方を募っていくと言っていた」 「そうか。ファイチがそこまでやってくれるのか」 「お前を中山王にして、自分は久米村の支配者になろうとしているのだろう」 「ファイチを手伝ってやってくれないか」 「わかっている。今、配下の者を三人付けている。奴らもファイチから明国の言葉を習えば、後々、役に立つだろう」 「そうだな。ありがとう」 サハチが去ろうとしたら、「ちょっと待て」とウニタキは呼び止めた。 「まだ、肝心な事を言っていない」 サハチは振り返って、「まだ、何かあるのか」と言って戻って来た。 「浦添グスクに侍女が入った。しかも、二人も入ったんだ」 「なに、二人もか」とサハチは驚いた。 「こっちから時期を見て、頼もうと思っていたんだが、向こうから言ってきた。山南王になったシタルーが、お礼として美女を中山王に贈ったらしい。そしたら、あちこちの按司がそれを真似して、美女を贈って来たようだ。側室が増えたので、侍女が足らなくなってしまったというわけらしい。島添大里で戦死した重臣の娘たちという事にして、ムトゥが連れて行った」 「そうか。そいつはよかった。シタルーにお礼を言わなければならんな」 「それと、去年の十一月、ヒューガ殿の配下のサチョー(左京)が浦添に 「とうとう、浦添に店を出したのか。 「いや、あれから十年近く経っているからな、あいつらは使えんだろう。若い娘たちだよ」 「まさか、島の娘たちを遊女にしたのか」 「そうではない。多少、使える者を遊女にできれば、その方がいいのだが、無理に遊女にするわけにもいかない。遊女にするための娘を別に集めて、育てたようだ。当時、七、八歳の娘も今では立派な遊女になったそうだ」 「遊女まで育てたのか」 そう言ってサハチは笑った。 「それと、もう一つある。まだ、はっきりとはわからないが、浦添の『よろずや』に 「何だって! 望月党の女?」 「先月、イブキがその女を助けたんだ。背中を刀で斬られて倒れていた。野良着を着た 「その女が何かを話してくれればいいな」 「難しいだろう。だが、傷が治ったあと、そのあとを追えば、望月党の隠れ家がわかるかもしれん」 「充分に気を付けろよ。望月党でも、その女を捜しているかもしれないからな」 「わかっている」とウニタキはうなづいて、三弦を鳴らし始めた。
お嫁に来てから早いもので、五か月が過ぎようとしていた。ウミトゥクは縁側に座って雨を眺めながら、 夫のクルーの母親は 隣の屋敷に住んでいるマタルーの嫁のマカミーは、父の敵である伯父(タブチ)の娘だという。マカミーは山南王の娘のあたしを憎んでいるに違いないと思っていたが、そんな事は少しもなかった。お嫁に来たのだから、あたしは佐敷の娘よと言って、一緒に剣術の稽古をしている村の娘たちと、いつも楽しそうに笑っていた。 豊見グスクにいた時、どこに行くにも侍女が付いて来たが、ここではそんな事はなかった。クルーと一緒に、お気に入りの馬天浜に行く時も、二人だけで出掛けて行った。村人たちは二人を見ると優しそうな顔をして挨拶をしてくれる。馬天浜で働くウミンチュ(漁師)たちも優しかった。ウミトゥクは頭の中が混乱すると、クルーと一緒に馬天浜に行っては海を眺めていた。広い海を見ていると心が落ち着いた。 「あなたは頭がいいから考えすぎるのよ。頭の中を空っぽにしなさい。そうすれば、必要な物だけが頭の中に入って来るわ」 馬天ヌルにそう言われたけど、頭の中を空っぽにするのは難しかった。すぐに、色々な事を考えてしまう。 梅雨が明けると兄夫婦たちと一緒に旅に出た。毎年、按司夫婦は旅に出ているという。しかも、供も連れず、庶民の格好で、歩いて旅をするという。ウミトゥクにはまったく理解できない事だった。去年は按司夫婦とヤグルー夫婦、マタルー夫婦が行って、今年はマサンルー夫婦とクルー夫婦が一緒に行くという。ヤグルーの妻とマタルーの妻は妊娠しているので、今年は行けないらしい。それに、マタルーはヤマトゥから来た船に乗って、ヤマトゥに旅立ってしまった。 ウミトゥクはクルーと一緒に粗末な野良着を着て、クバ笠を被り、杖代わりの棒を持って、本曲輪の兄夫婦のもとに向かった。佐敷から出た事がないクルーは、旅に出るのが楽しくてしょうがないようだった。 やがて、按司夫婦が佐敷に来て、マサンルー夫婦とクルー夫婦と合流した。 「お前たちと旅をするのは久し振りだな」と按司(サハチ)はマサンルー夫婦に言った。 「あたしがお嫁に来た年ですから、もう九年前になります」とマサンルーの妻のキクが言った。 「あの時はどこに行ったんだっけ?」 「 「そうだったな。お祝いだといって馬をもらって来たんだったな。さて、今回はどこに行く」 「クルーに各地のグスクを見せた方がいいんじゃないのか」とマサンルーは言った。 「そうだな。嫁さんの実家の島尻大里の賑わいでも見に行くか」 「ええっ!」とウミトゥクは驚いた。 こんな格好で、父のいる所には行けなかった。 「あのう、あたし」とキクが遠慮しながら言った。 「ウミチルから聞いて、いつか、久高島に行きたいと思っていたの。駄目かしら?」 「久高島か」とサハチはマチルギを見た。 去年、行ったばかりだった。 「フカマヌルが独りぼっちで寂しがっているから、今年も行ってみましょうか」とマチルギは言った。 「そうだな。島尻大里に行くのは次回にしよう」 「俺はどこでもいいです。旅ができれば」とクルーは言った。 按司が自分を見ていたので、ウミトゥクはクルーを見てからうなづいた。 一行は東へとのんびりと歩いて行った。海辺に出ると久高島が見えた。ウミンチュに頼んで 久高島には姉のフカマヌルがいた。フカマヌルは赤ちゃんを抱いていた。 「もしかしたらと思ってはいたが、やはり、赤ちゃんが生まれたのか」と按司がフカマヌルに言った。 「女の子よ」と嬉しそうにフカマヌルは笑った。 「佐敷ヌルも女の子を産んだのよ」と奥方が言った。 そのあと、みんなで海に入って遊んだ。ウミトゥクもキクも海に入るのは初めてだった。初めは怖かったけど、楽しかった。奥方から泳ぎ方も教わって、日が暮れるまで遊んでいた。 遊んでいるうちに、頭の中が空っぽになった。頭の中が空っぽになると、何の飾り気もない按司も奥方も素敵に思えてきた。 海に浮かんで青い空を見上げながら、お嫁に来てよかったんだわとウミトゥクは思っていた。 |
佐敷グスク