望月ヌル
正月の下旬、シンゴ(早田新五郎)とクルシ(黒瀬)の船が二隻、 去年の四月、二人はキラマ(慶良間)の島に寄ってから、ヤマトゥ(日本)へと向かった。マタルーを一人で行かせるわけにはいかないので、腕の立つ者で、誰かいないかと捜していたら、マガーチが行くと言ってくれた。マガーチが子供の頃、隣りの屋敷にヒューガ(三好日向)が住んでいたので、ヤマトゥ言葉もしゃべれるし、勿論、腕も立つ。マタルーの連れには持って来いだった。 二人は見るからに成長して帰って来た。 二人ともヤマトゥに行って、本当によかったと目を輝かせて言った。博多は思っていたよりもずっと大きな都で、とても賑やかだった。博多の港には、あちこちから来た船がいくつも泊まっていて、 「ユキがサイムンタルー殿の息子に嫁いだのか‥‥‥」 サハチは驚いて、二人の顔を交互に見ていた。 ユキはもう、お嫁に行く年頃になったのか‥‥‥まだ、一度も会っていなかった。今すぐにでも、あの船に乗って、会いに行きたい心境だった。 「次男と言っても、長男は亡くなっているので 「長男が亡くなった?」 「 「そうだったのか‥‥‥それじゃあ、ユキはサイムンタルー殿の跡継ぎに嫁いだのか。そうか‥‥‥サイムンタルー殿の息子なら安心だな」 「ルクルジルー殿は 「船越?」 「サイムンタルー殿の拠点が船越にもあるのです」 「そうなのか‥‥‥船越というのは和田浦の近くか」 「ええ、そうです。和田浦の少し北の方です。浅海湾は本当に凄い所です。まるで、迷路のようになっていて、よく迷子にならないものだと感心しました」 「まさしくな。凄い所だよ。今晩、ゆっくりと サハチはシンゴに会うと鉄の事を話して、 その日の晩、家族たちをみんな呼んで、マタルーとマガーチの無事の帰国を祝った。ユキの嫁入り話を聞いても、マチルギは機嫌悪くなる事はなく、よかったわねと心から喜んでくれた。 二月になって、ウニタキ(三星大親)から連絡が入った。城下の『まるずや』に行くとウニタキはまた 「娘から取り上げたのか」とサハチは聞いた。 「いや。前のよりずっといい。ファイチ(懐機)がくれたんだ。三弦も刀と同じように名器といわれる物があるらしい。これはその名器だとファイチは言っていた」 「ファイチはどうやって、そんな高価な物を手に入れたんだ?」 「さあ。それは知らんが、うまくやっているんじゃないのか。そのうち、お前に誰かを会わせるはずだ」 「そうか。この前、奥間に行って来た」 「お前の倅が長老の跡継ぎになったそうだな。お前も大したもんだよ。奥間を味方に付ければ、『琉球の統一』も決して、夢ではないだろう」 「それは言えるな。奥間ヌルから聞いたんだが、村を守るために、奥間では古くから各地の按司に、美女を側室として贈っているらしい。北部の按司は勿論の事、中部の主要な按司の所には入っている。南部では 「ほう、凄いもんだな。その側室をうまく使えば、グスクを落とす事も可能だな」 「そういう事だ。中グスク、 ウニタキはニヤッと笑って、「ところで、その奥間ヌルだが、お前、大丈夫だったか」と聞いた。 「奥間ヌルを知っているのか」 ウニタキは三弦を大切そうに脇に置いた。 「奥間に行った時に会った事がある。もう十年以上も前の事で、まだ若ヌルだったが妖艶な娘だった。お前が奥間に行ったと聞いて、奥間ヌルの事を思い出してな、もしかしたら、お前が骨抜きにされるような気がしたんだ」 「お前じゃあるまいし、と言いたい所だが、実は骨抜きにされて来た」 「何だと!」とウニタキは驚いたあと、腹を抱えて大笑いした。 「お前の気持ちがよくわかったよ」とサハチは言った。 「何もかも捨てて、ずっと、一緒にいたいと思ったんだ」 「そうだろう。ヌルに惚れたら逃げる事はできない。それにしても、よく帰って来られたな」 「朝、起きたら、奥間ヌルはいなかった。そして、ヤキチが迎えに来たんだ。それで帰る事ができたが、もし、一人だったら帰っては来られなかっただろう」 「そうか、それはよかったな。倅はどうだった?」 「初めて会ったんだが、 「ヒューガ殿が奥間によく行っているというのは聞いていたが、お前の倅を鍛えるためだったのか」 「それだけじゃない。奥間にヒューガ殿の娘がいたんだ。かなりの 「なに、ヒューガ殿の娘が浦添グスクの中にいるのか」 「若按司の側室らしいが、若按司というのはどんな男なんだ?」 「名前は『カニムイ(金思)』、 「女に囲まれて育ったというのは、姉妹が多いのか」 「そうじゃない。前にも言ったが、浦添グスクの中には、『 「そんな情けない男の側室になるなんて可哀想な事だな。浦添を落とした時は助け出さなくてはならない。頼むぞ」 「ああ、わかっている。若按司の話が出たので言うが、この前、侍女になった女の一人が、若按司の手が付いて側室になった」 「お前の配下の者が側室になったのか。侍女に手を出すとは、どうしようもない奴だな。これで、寝首を掻く事もできるわけだな」 「できる事は確かだが、若按司の首を斬った所で、浦添グスクが落ちるわけでもないからな」 「それでも、潜入しやすくはなっただろう」 「まあな。自分の首を狙っている女を自ら誘い込むなんて、まったく情けない奴だよ。ファイチが前に言っていたように、中山王が十年以内に転ぶのは確実だな」 「十年も待てんよ」とサハチは言った。 ウニタキはサハチの顔を見て、楽しそうに笑った。 「話は変わるが、『 「なに、とうとう逃げたのか」 「傷もすっかり治って、店を手伝っていたんだ。相変わらず、自分の事はしゃべらなかった。名前だけは『ヤエ(八重)』と名乗った。何があったのかは知らんが、昔の事は忘れて、生まれ変わったつもりで生きて行くのかと思っていたんだが、五日前、とうとう逃げ出した」 「隠れ家は突き止めたのか」 ウニタキは首を振った。 「うまく逃げられた。どうも、ただ者ではない。もしかしたら、『望月ヌル』かもしれない」 「何だって!」 「女は勝連に行き、城下の外れにある小さな 「一年前と言えば、その女が斬られた頃だな」 「そうなんだ」 「望月ヌルか‥‥‥馬天ヌルが望月ヌルに会っているんだ。会わせれば、わかったかもしれなかったな。それにしても、何だか知らんが、最近、やたらとヌルに縁があるな」 「あの女がいなくなって、イブキ(伊吹)が大分、応えている。親身になって世話をしていたからな。ずっと、いてほしかったに違いない。ただ、 「結局、何もわからないという事か」 「どうして、望月ヌルが変装までして浦添に行き、斬られたのか、まったく、わからなかったんだ」 「わからなかったんだ?」と言って、サハチはウニタキの顔を見た。 ウニタキはニヤニヤと笑い、空を指さして、「天が味方をしてくれたようだ」と言った。 「昨日、浦添の『よろずや』に得体の知れぬ爺さんが訪ねて来た。俺の名前までは知らなかったが、坊主頭に鉢巻をした男に会わせろとイブキに言ったらしい。その時、俺は 「『望月党』と関係あるのか」 ウニタキは笑っただけで、それには答えずに話を続けた。 「爺さんの話は驚くべき話だったよ。信じられない事だが、嘘を言っているようではなかった。爺さんはヤマトゥンチュ(日本人)だった。七十年近く前に、望月サンルー(三郎)というサムレーと一緒に琉球にやって来た。十六の時だったという」 「その爺さん、八十を過ぎていたのか」 「八十五だそうだ。自分でも長生きしすぎたと言っていた。長生きしたお陰で、見なくてもいい物を見る羽目になってしまったとな。琉球に来た望月サンルーは勝連按司と出会って意気投合した。勝連按司のために働く事を誓って、裏の組織の『望月党』を作ったんだ。その時の勝連按司は、俺の曽祖父で立派な人だったらしい。その爺さんは、お頭の望月サンルーを助けて、望月党のために随分と活躍したようだ。望月サンルーは勝連按司の娘を妻にもらって、二代目が生まれた。初代のお頭が亡くなったあと、爺さんは二代目の後見役を務めた。二代目も勝連按司の娘を妻にもらい、三代目が生まれた。この三代目が、今のお頭だ。お頭は代々、望月サンルーを名乗っている。爺さんは六十になると引退して、二代目の奥方に仕える事になった。四年前に奥方が亡くなると、望月党を離れて隠居した。すでに八十歳になっていた。あとはお迎えが来るのを待つだけだと思っていたらしい。ところが、事件が起こった。望月党が分裂したんだ」 「何だって、望月党が分裂した?」 ウニタキはうなづいた。 「分裂するきっかけは、 「その爺さんは、お前が浜川大親だと知っていたのか」 「俺の事は調べたようだが、そこまではわからなかったようだ。俺とお前の関係は知っていたぞ。爺さんは、望月党を抜けたグルーは殺されてしまったものと思っていた。望月党に入った者は、死ぬまで抜ける事はできない。世間に知られてはならない事を数多くやって来たから、抜けた者によって、その事が明るみに出てはまずい。抜けようとした者は皆、殺されるんだ。ところが、グルーは生きていて、密かに新しい望月党を結成して戻って来た。勝連の山中で『望月党』と『新望月党』の戦いが始まったらしい。そこに、妹の『望月ヌル』も巻き込まれてしまったんだ。望月ヌルは兄たちの喧嘩をやめさせるために、浦添グスクで侍女をしている叔母に相談しようと考えた。望月ヌルがグルーと会った事を知られ、お頭のサンルーは望月ヌルに見張りを付けた。望月ヌルは 「去年のあの時、その爺さんが、この店の前にいたのか」 「そういう事だな」 サハチは思い出してみたが、そんな爺さんの事は思い出せなかった。 「爺さんは店から出て来たお前のあとをつけて行って、お前が按司だと知ったんだ」 「あとをつけられていたのか」 「がっかりする事はない。あの爺さんが確かな腕を持っているという事だ。爺さんは俺が島添大里按司とつながりがある事を知って、すべてを話す決心をしたらしい」 「どうしてだ?」 「俺が、望月党のような裏の組織を作って、お前のために動いていると悟ったのだろう。望月ヌルを守るためには、望月党と対抗できる相手でなければならない。爺さんは、望月党を 「望月党を潰しても構わないと言ったのか」 「ああ、確かに言った。今の望月党は腐っているそうだ。組織というものはだんだんと腐って行く。二代目は初代の苦労を知っているからいいが、三代目になるともう駄目だ。組織を維持するためだけに存在しているようなものだ。あんなものは潰した方がいいと言ったんだよ。 「亡くなっていた?」 「死期を悟って、俺に頼みに来たようだ。爺さんの荷物を調べたら、望月ヌルのガーラダマがあった。お嬢様に渡してくれと書いてあった」 「望月ヌルがどこにいるのか、肝心な事は何も聞けなかったのか」 「望月党が二つに分かれているとすれば、サンルーは勝連按司に付き、グルーは江洲按司に付くだろう。多分、望月ヌルは江洲にいるに違いない。爺さんの話を聞いて納得した事があるんだ。望月ヌルが斬られて、しばらくしてから、あちこちで不審な死体が見つかっている。浮島(那覇)の 「そうか。グルーは望月党にいたから、拠点を知っていて、それを潰しているわけだな」 「お互いに潰し合いをしてくれれば、望月党は弱くなる。弱くなった所を潰す。爺さんの最期の頼みだからな。聞かないわけにはいかんだろう」 サハチはウニタキを見つめた。いつかは望月党と戦わなければならない事はわかっていたが、まだ、時期が早すぎるような気がした。しかし、ウニタキを止める事ができないのはわかっていた。 「充分に気を付けろよ。敵は分裂しているとは言え、第三の敵が現れれば、また、一つになって敵対して来るかもしれんぞ」 「わかっている。充分に争わせてから片付ける」 サハチはうなづいて帰ろうとしたが、ウニタキから聞きたい事があったのを思い出した。サハチは引き返して来て、「首里の宮殿の事だが、間に合いそうなのか」と聞いた。 「何とか、間に合いそうだな。去年、大きな台風が来なかったので、予定通りに進んでいるようだ。去年に来た明国の使者たちから色々と指摘をされて、かなりの手直しがあったようだが、『 「そうか‥‥‥首里に移ったあと、浦添グスクはどうするつもりなんだ?」 「さあな。あれだけのグスクを空けたままにはしておけまい。若按司でも入れておくのかな」 「中山王が首里に移れば、家臣たちも移り、城下の者たちも移って来る。浦添は寂れるな」 「浦添で思い出したが、ヒューガ殿の配下のサチョーが始めた 「もう一年以上、経ったのだな。サムレーたちも遊びに行くのか」 「ほとんどがサムレーたちだ。酒も飲めるし女もいる。大広間があるから宴会に利用しているんだ。去年、明国の使者たちが来た時は、 「そうか。そこから何か重要な情報が手に入ればいいのだがな」 「焦らず、気長にやっていれば、何か必ず、いい情報が手に入るさ」 「そうだな」 二月の下旬、島尻大里の『よろずや』の主人だったキラマが亡くなった。去年の末に具合が悪くなり、佐敷の家に帰って療養していたが、病が急変して亡くなってしまった。六十三歳だった。 サミガー 三月になると、祖母が亡くなってしまった。突然の事だった。前日まで、何事もなかったのに、朝、急に倒れて、そのまま、眠るように亡くなったという。 葬儀は祖母が生前に言っていた希望通り、身内だけで行なわれた。それでも、噂を聞いたウミンチュたちが集まってくれた。サハチは知らなかったが、祖母にお世話になったというウミンチュが何人もいた。 祖母の遺体は |