シタルーの非情
半月振りに戻って来た、 ファイチ(懐機)が考えて、 グスクを囲む防御設備は完璧だが、それを守っている兵たちは誰もが疲れ切った顔をしていた。四人の按司たちもそうだった。ただ、按司たちは柵の近くにある小屋にはいないで、城下にある屋敷を本陣としていた。すでに、ここを包囲してから一月余りが経ち、敵も味方も攻撃する事はなく、お互いを見張っているだけだった。按司たちは屋根のある屋敷の中で、手足を伸ばして、ゆっくりと休んでいた。 「そなたの家臣に、崖をよじ登るのが得意な奴がおったのう。裏の崖を登らせて、グスク内に潜入させてくれ。そうすれば、すぐに落とせるじゃろう」と 「凄い手柄を立てたのう。たったの五十人で、大グスクを落としたとは神業じゃ。ここも、そなたの神業を使って落としてもらおうか」と 玉グスク按司と サハチが大グスクを落とした事で、按司たちの態度がすっかり変わっていた。誰もが、サハチに大グスクが落とせるとは思っていなかったに違いない。予想外な活躍を褒めるよりも、 玉グスクの兵が抜けた所に垣花の兵が移って、サハチの兵は以前と同じ、東の端を守る事になった。サハチたちが作った小屋は以前より住みやすくなっていて、小屋の隣りに櫓が立っていた。 サハチは櫓の上に登ってグスク内を見た。島添大里グスクの中を見るのは初めてだった。 高い石垣に囲まれた中は四つに分かれていた。 避難民たちは目の前の石垣を隔てた、すぐ向こう側にある東曲輪にいて、皆、疲れ切っているようで、横になっている者が多かった。東曲輪の奥の方にも立派な屋敷が建っていた。若按司の屋敷かもしれない。いや、山南王の子供たちは皆、別のグスクにいた。もしかしたら、ヌルの屋敷かもしれない。かつては、サスカサがあそこにいたのかもしれなかった。 右端にある 大グスクの城下の人たちは、山南王を嫌ってグスク内に避難しなかったのに、ここの人たちは避難している。山南王が 避難民の中に、『よろずや』のイブキとムトゥがいるはずだが、見つける事はできなかった。辛いだろうが、頑張ってくれとサハチは心の中で言った。 櫓から降りると、交替で櫓に上がって見張るように兵たちに命じて、サハチは小屋の中に入った。小屋の中では重臣たちが絵地図を睨んでいた。 「あまり居心地がよくないのう」と叔父の 「わしらの活躍をうらやんでいるんじゃ」と 「みんな、疲れているから、気がいらだっているようです」とサハチは言った。 「回りは気にせずに、やるべき事をやりましょう」 その頃、キラマ(慶良間)の島から第一陣の五十人が キラマの島に帰った父は修行者たちを集め、身分を明かして本当の事を話した。 「お前たちは 修行者たちは驚いた。遥か遠くの南蛮の地に行くと思っていたのが、琉球の王様のサムレーになるという。文句があるはずはなかった。皆、師匠のために命懸けで働くと誓った。 ヒューガは先発の五十人を船に乗せて浮島まで運び、ヒューガの配下の者の案内で運玉森まで連れて行った。修行者たちはまだ武装はしていない。武器や サハチは重苦しい雰囲気の中で、じっと時が過ぎるのを待っていた。 グスク内の状況はあまりよくなかった。毎日、行なわれている炊き出しの量が減っているのが、櫓の上から見てわかっている。あと半月持つかどうか、といった状況だった。東曲輪の奥にある屋敷の中にも避難民たちがいた。家臣たちの家族のようだった。屋敷の大きさからいって、五十人近くはいそうだった。 『よろずや』のイブキとムトゥは見つける事ができた。もう一人、娘が一緒にいるが、サハチは名前を知らなかった。三人ともかなり弱っている。サハチが櫓の上にいるのを見て、イブキは「大丈夫だ」というように微かにうなづいた。 ファイチはサムと一緒に、グスクの裏の崖を見回っていた。古い ヒューガがいなくなったら、サムと仲良くなっていた。ファイチはまったく不思議な男だった。人を引きつける何かを持っているのだろう。クマヌとヒューガに気に入られ、ウニタキでさえ、 知念按司と糸数按司が時々見回りに来て、「まだ、裏の崖を登れないのか」と 「このグスクは亡くなった山南王がずっといたので、残念ながら弱点はどこにも見当たりません」と言って、サハチは首を振った。 「早く落とさないと、敵は 正月の十五日、ウニタキが久し振りに顔を出した。 小屋の中にはサハチが一人でいた。重臣たちは小屋の中でじっとしているのは疲れると言って、城下の空いている屋敷に移っていた。サハチも移るようにと言われていたが、寒い中で見張りを続けている兵たちを見ると、それはできなかった。せめて、自分だけでも兵の側にいなければならないと思っていた。 「運玉森の三百人は移動が完了した。今日から大グスクの移動が始まる」とウニタキは言った。 「あと半分か。グスクの中は大分厳しくなっている」 「そうか。何とか持ち 「八重瀬の様子はどんな具合だ?」 「ここと同じだ。包囲する兵は疲れ切っている。山南王の家督争いのために、正月も祝えずに、あんな所にいるのは馬鹿らしいと思っている兵がかなりいる」 「そうか。グスクを落としたとしても何の得にもならないか。やる気がなくなっているんだな」 「早く落として、 「それで、グスクに潜入する手立ては見つかったのか」 「八重瀬グスクの後ろには切り立った崖が サハチは八重瀬グスクの後ろにある切り立った崖を思い浮かべた。凄い崖だった。あんな所を下りる事などできるわけがなかった。 「潜入はできないという事か」 ウニタキは首を振った。 「崖の高さはおよそ二十 「二十丈の高さから下りるだと? そんなの無理だ。落ちたら死ぬぞ」 「戦に死は付き物だろう」とウニタキは不敵に笑った。 「もし、下りられるとしてもだ。敵に見つかったら、弓矢で狙われる」 「夜にやる」 「何も見えなかったら怪我をするだろう」 「怪我くらい死ぬよりは増しだ」 サハチはウニタキを見つめて、「死ぬなよ」と言った。 「お前にはまだやる事があるんだからな」 「わかっているさ」 ウニタキには自信があるようだった。あんな崖を下りるなんて、とても考えられないが、ここはウニタキに任せるしかなかった。 「 「豊見グスクの方がまだやる気はある。奪い取れば自分の物になると思っているからな。ただ、あのグスクも落ちそうもない。シタルー(豊見グスク按司)は 「そうか。 「中山王は気楽にやっているよ。城下にある重臣の屋敷に落ち着いて、側室まで呼んでいる。現場にいる武将たちを交替で呼んでは、ねぎらいの宴を開いているようだ」 「そんな事をしていて、士気に関わらないのか」 「今回の戦の主役はシタルーだと思っているんだ。中山王は助けてやっているだけだと思っているのだろう」 「シタルーもその宴に出ているのか」 「シタルーは本陣にある小屋で寝泊まりしているが、中山王の機嫌を取るために、宴には顔を出しているようだ」 「機嫌を損ねて引き上げられたら勝ち目はなくなる。シタルーも大変だな」 ウニタキは大グスクの様子を見て来ると言って、小屋から出て行った。 それから七日後の二十二日、クマヌが大グスクからやって来た。 「移動完了じゃ」とクマヌは言った。 「無事に終わりましたか」とサハチはホッとした。 「ウニタキは八重瀬に向かったぞ。今夜、決行するようじゃ」 「今夜ですか‥‥‥うまくやってくれるといいが」 「大丈夫じゃ。絶対にやり遂げるといった目をしておった」 「親父は大グスクにいるのですか」 「いる。ヒューガが運玉森にいる」 「あとは、ここの兵が引き上げるのを待つだけですね」 「いよいよじゃな」 その夜の明け方近く、八重瀬の城下で火事が起こった。北風に その頃、八重瀬グスクの裏の崖を縄に伝わって下りて来る十人の人影があったが、火事騒ぎで、それに気づく者はいなかった。崖の下では、グスク内にいた研ぎ師のハンルクが待っていた。 ウニタキと九人の配下の者たちとハンルクは、物陰に隠れながら一の曲輪にある屋敷に近づくと、油を撒いて火を付けた。火は勢いよく燃え出した。屋敷から人々がわめきながら飛び出して来た。下の曲輪からも兵たちが慌ててやって来た。火を消そうとしている騒ぎの中、ハンルクの案内で、ウニタキたちは下の曲輪に行き、騒いでいる避難民たちの中に紛れ込んだ。 早く城下に戻って火を消そうと避難民たちを煽って、 グスクから避難民たちが飛び出して来たのを見た包囲軍は驚いたが、「今だ、攻めろ!」と誰かが叫ぶと、兵たちは大御門の中へとなだれ込んで行った。 法螺貝があちこちで鳴り響いていた。包囲していた兵たちは皆、グスク内に突入して戦っていた。ウニタキたちは、お互いに顔を見合わせてうなづき合うと、その場から散って行った。 その日の 「汚いやり方だな」とタブチは 「仕方がない。兄貴が亡くなった親父の言う事を聞いてくれないからだ」 「断ったらどうする?」 「グスクの中からでも見えるような高台を作って、その上で一人づつ殺す」 「子供たちはお前の甥や姪なんだぞ」 「ちゃんと説明してから殺すよ」 「この人でなしが」 「三日間、猶予を与える。どうしたら一番いいのかよく考えてくれ」 タブチは返事もしないで、グスクの中に引き上げて行った。 ウニタキが島添大里に戻って来たのは、その日の夕方だった。 「無事だったか」とサハチはウニタキの顔を見て、胸を撫で下ろした。 怪我もしていないようだった。 「うまく行った」とウニタキは笑った。 その笑いは、重大な任務を達成した満足感に溢れていた。 「人質は、シタルーの手の内か」 「タブチと交渉して三日の猶予だ。三日後、タブチは島尻大里グスクを明け渡すだろう」 お前の親父さんに知らせると言って、ウニタキは大グスクに向かった。 三日後の二十六日、サハチはイライラしながら、ウニタキの報告を待っていた。八重瀬グスクが落城したという事は、各按司が敵の様子を探らせている者たちの報告によって、皆が知っていた。人質を取られたのなら、八重瀬按司の負けだと誰もが思っていた。豊見グスク按司が勝てば、中山王の大軍が、ここに攻めて来るのではないかと恐れていた。大軍に囲まれたら挟み撃ちとなって全滅してしまう。あと、もう少しで落ちるというのに、何と言う事だと皆が無念に思っていた。 ウニタキが来たのは、日が暮れる頃だった。 サハチは櫓の上に上がって、綺麗な夕日を眺めていた。 ウニタキは櫓の上に登って来た。 「シタルーの勝ちだ」とウニタキは言った。 「タブチは約束の正午になっても出て来なかった。シタルーはタブチの側室を殺した」 「なに、シタルーが人質を殺したのか」 「見世物台の様な物を作って、その上で側室の首を刎ねた」 「シタルーがそんな事を‥‥‥」 サハチは驚いた。シタルーにそんな非情な面があるとは思っていなかった。 「まさか、その側室は、大グスク按司の娘ではないだろうな」 「多分、違うだろう。一番若い側室だった。マカミーの母親ではないはずだ」 「そうか、よかった」 「だが、人質の中に子供がいたかもしれん。目の前で母親の首が飛ぶのを見た子供は一生、立ち直れんだろう。次に二人目の側室を見世物台に上げた時、タブチは降参して出て来た。人質と交換に、島尻大里グスクを明け渡し、武器を捨てて八重瀬グスクに引き上げて行った。哀れな姿だったよ。豊見グスクを包囲していた ウニタキは、「もう少しだな」と言って櫓を下りて行った。 「もう少しか‥‥‥」とサハチはつぶやいた。 十年前の年の暮れ、祖父の隠居屋敷で、父が突然、隠居すると言い出してから始まった。十年間は長かった。その十年間に色々な事があった。自分は留守番をしていただけだが、父と祖父はずっと、その日のために苦労を重ねて来た。あともう少しで、それも報われる。サハチは沈んでしまった夕日に、すべてがうまく行くようにと祈った。 翌日、八重瀬からの使者が来て、撤収するようにとタブチの命令を伝えた。 「今になって何を言うんじゃ」と糸数按司は鬼のような顔をして怒った。 「あと、もう少しで落ちるかもしれんのじゃぞ。八重瀬按司はどうして援軍を送ってよこさんのじゃ」と知念按司も使者に文句を言った。 「豊見グスク按司と中山王の兵が、まもなく攻めて来るので、速く引き上げた方がいい」と使者は言って、すごすごと帰って行った。 「負け戦じゃ。どうしようもない」と玉グスク按司が苦虫をかみ殺したような顔をして言った。 「あと、もう少しなのに諦めるというのですか」と垣花按司が悔しそうに言った。 「確かに、あと数日で落城するかもしれん。しかし、その後、ここは大軍に囲まれるぞ。グスク内には兵糧はまったくない。今度は、わしらが干乾しになってしまう」 「くそっ!」と知念按司は悪態をついた。 「二か月もこんな所にいて、得をしたのは佐敷殿だけか。大グスクを手に入れたんじゃから、今後は 皆が不機嫌な顔をして兵を率いて撤収して行った。 サハチも兵を率いて大グスクへと向かった。 |
島添大里グスク
八重瀬グスク
島尻大里グスク