沖縄の酔雲庵


尚巴志伝

井野酔雲



琉球中山王、武寧の略歴


1356年   浦添グスクで生まれる。童名はフニムイ(船思)。 1歳
    父親は浦添按司の察度、母親は側室の高麗人。  
1363年   7歳の弟が米須按司を継ぐ事になり、南部の米須グスクに行く。 8歳
1367年   剣術の修行を始める。 12歳
1368年   弓矢の修行を始める。 15歳
    中国で、元が滅び、明が建国される。  
1371年   八重瀬按司の娘,ウシを嫁に迎える。ナーサが侍女として付いてくる。 16歳
    武寧、ウシの侍女、ナーサの美しさに心を奪われる。  
1372年 5月 明から琉球に使者が来る。 17歳
  10月 父の察度、明に朝貢①し、中山王となる。  
    叔父の泰期が使者として、明に行く。  
1373年   長女、ウニョン生まれる。本当の母親はナーサ。 18歳
1374年 8月 明に進貢②。 19歳
1375年   長男、カニムイ(金思)生まれる。 20歳
1376年 2月 明に進貢③。 21歳
  10月 明に進貢④。  
1378年 3月 明に進貢⑤。 23歳
    察度の六女、八重瀬按司(汪英紫)の次男、シタルー(汪応祖)に嫁ぐ。  
    次男、生まれる。  
    重臣の娘を側室に迎える。  
1379年   次女、生まれる。母は側室。 24歳
    越来按司が亡くなり、察度の三男が越来按司になる。  
1380年 1月 明に進貢⑥。 25歳
  3月 義父の八重瀬按司(汪英紫)が島添大里グスクを攻め落として、島添大里按司になる。  
  7月 島尻大里按司(承察度)、初めて明に進貢①し、山南王となる。  
1381年   三男、生まれる。 26歳
  10月 明に進貢⑦。  
1382年 10月 中山進貢⑧、山南進貢②。今帰仁按司(帕尼芝)も初めて進貢①し、山北王となる。 27歳
    叔父の泰期が明の使者を引退して、久米村の亜蘭匏が使者となる。  
    泰期は小禄按司を若按司に譲り、宇座按司を名乗って、読谷山で馬の飼育に専念する。  
1383年 10月 中山⑨、山南③、山北進貢②。 28歳
1384年 4月 中山進貢⑩。 29歳
    三女、生まれる。  
  10月 中山進貢⑪。山南④、山北進貢③。  
1385年 2月 義父の島添大里按司(汪英紫)が大グスクを攻め落とす。 30歳
    義弟のシタルー(汪応祖)が大グスク按司になる。  
  5月 中山と山南、念願の船を1隻づつ賜わって帰国する。  
  10月 自前の船で中山進貢⑫。  
1386年 10月 自前の船で中山進貢⑬、自前の船で山南⑤。 31歳
1387年   四女、生まれる。 32歳
  10月 中山⑭と山北④進貢。山南⑥進貢。  
    義父の島添大里按司(汪英紫)が使者として明に行き、山南王叔として進貢①する。  
  12月 勝連按司が亡くなり、若按司が跡を継ぐ。  
1388年 6月 長女のウニョン、勝連按司の三男、ウニタキに嫁ぐ。 33歳
  7月 中山⑮と山北⑤進貢。  
1389年 6月 中山、シャムと通交(シャムから使者が来る)。 34歳
  8月 武寧、高麗に使者を遣わし、倭寇に捕らえられた高麗人を送り返す。  
    察度の四男、瀬長按司になる。  
  10月 中山⑯と山北⑥進貢。  
  12月 高麗の使者、金允厚、琉球に来て、絶世の美女を武寧に献上する。  
1390年 7月 高麗の使者、披慮人37人を連れて帰る。 35歳
  10月 中山⑰進貢。  
1391年 4月 今帰仁勝戦。総大将として出陣する。 36歳
    山北王帕尼芝、死す。珉、山北王になる。  
  5月 明から船1隻賜わる。  
  7月 義父の島添大里按司(汪英紫)が山南王の船を借りて、山南王叔として進貢②。  
1392年 3月 中山進貢⑱。初めて官生(留学生)を明国に送る。 37歳
5月 察度、浦添按司を武寧に譲り、首里天閣に移る。
    奥間から美女を贈られる。  
  7月 倭寇による被慮人(男女8人)を朝鮮に送還する。  
  8月 ウニタキ夫婦、山賊に襲撃されて死亡。  
  9月 中山⑲進貢。  
  10月 中山⑳進貢、山南⑦進貢。  
    豊見グスク按司のシタルー、官生として明国に行く。  
  12月 高麗人が逃げて来る。その中に高貴な娘がいて側室に迎える。  
    長男のカニムイに、勝連按司の妹が嫁ぐ。  
1393年 2月 中山㉑進貢。 38歳
  3月 山南王叔、汪英紫、山南王から船を借りて進貢③。  
  9月 承察度(50)、死す。若按司が山南王と島尻大里按司を継ぐ。  
  10月 中山㉒と山南⑧進貢。  
    中山王(察度)と山北王(珉)が同盟する。  
    高麗国が滅び、朝鮮国かできる。  
1394年 3月 次女が今帰仁の若按司に嫁ぎ、珉の娘が武寧の次男に嫁ぐ。 39歳
    浦添の婚礼の後、宴の最中に山南王が武寧の側室、高麗美人を盗み出す。  
    婚礼が済んだ後、山南王を攻める準備を始める。  
  4月 四男、生まれる。  
    中山と山南の合同進貢船が帰国。  
    武寧は山南の荷物を預かり、渡さない。  
  5月 山南王を攻める。  
    義父の島添大里按司(汪英紫)が島尻大里グスクを攻め落とし、山南王になる。  
  8月 高麗に使者を遣わし、倭寇に捕らえられた高麗人を送り返す。  
  10月 中山㉓と山北珉①進貢。山南汪英紫④進貢。  
  12月 朝鮮から使者が帰る。大量の高麗瓦を運んでくる。  
    高麗から朝鮮に変わったので、朝鮮は高麗瓦を大量処分した。  
1395年 2月 中山㉔進貢。 40歳
  3月 山北王、珉(41)、死す。若按司の攀安知が跡を継ぐ。  
  5月 豊見グスク按司のシタルー、明から帰国する。  
  10月 察度(75)死す。中山王になる。  
    浮島の護国寺で行なわれた葬儀には三人の王が揃い、南部東方の按司以外は全員参列。  
    中山㉕と山北攀安知①進貢。  
    父が亡くなった開放感から、宴を催して騒ぐ事が多くなる。  
1396年 2月 中山㉖と山南⑨進貢。山南王叔汪英紫④進貢。 41歳
    武寧は進貢の事を久米村の実力者、亜蘭匏にすべてを任せる。  
    亜蘭匏は察度の死を明国に報告せず、武寧が冊封されるまで、中山王察度のまま、進貢を続ける。  
  5月 義弟のシタルー、国場川で「ハーリー」を始める。  
  8月 中秋の宴を盛大に催す。叔父の泰期にいさめられる。  
  9月 中山王世子武寧①と山北攀安知②進貢。  
  11月 中山㉗と山北攀安知③進貢。山南王叔汪英紫⑤進貢。  
1397年 3月 武寧の三男と玉グスクの娘の婚礼。 42歳
    琉球中の按司が全員、出席する。叔父の泰期は出席しない。  
  7月 朝鮮に捕虜を送る。  
  10月 中山㉘と山北攀安知④進貢。  
1398年 1月 中山㉙進貢。 43歳
  2月 中山㉚進貢。  
    叔父の泰期(77)、死す。  
  3月 中山と山北、船を1隻づつ賜わって帰る。  
    中山㉛進貢。  
  5月 明国で、洪武帝、死す。  
  7月 台風で首里天閣、倒壊する。  
  10月 中山進貢。山南汪英紫進貢。戦乱のため、応天府に行けずに泉州で取り引きをして戻る。  
1399年 明国に内乱が起こり、進貢はできなくなるが、明から続々、密貿易船が来る。 44歳
  5月 朝鮮に使者を送る。  
  12月 朝鮮から帰国した使者から、朝鮮に亡命した前山南王の死を聞く。  
1401年 6月 首里天閣を片付け整地をする。 46歳
    父親を超えるため、父の願いだった首里に遷都をしようと決心する。  
  11月 義父の山南王、汪英紫、死す。  
    八重瀬按司(達勃期)と豊見グスク按司(シタルー)の家督争いが始まる。  
1402年 1月 義弟のシタルー、山南王になり、汪応祖と名乗る。 47歳
    佐敷按司(尚巴志)が島添大里グスクを攻め落として、島添大里按司になる。  
    佐敷按司とは何者だと調べさせる。  
  2月 島添大里按司、戦勝祝いを盛大に催す。  
  3月 四女が、勝連按司の長男に嫁ぐ。  
  4月 山南王(汪応祖)が島添大里按司(尚巴志)と同盟を結ぶ。  
  5月 山南王(汪応祖)から美女を側室として贈られる。  
  7月 明国で、永楽帝が即位する。  
    密貿易船が慌てて帰って行く。  
    阿波根にグスクを築いて、次男を兼グスク按司にする。  
  11月 中山㉜進貢。  
  12月 中山㉝と山南王世子汪応祖①進貢。山北攀安知⑤進貢。  
1403年 5月 朝鮮に使者を送る。 48歳
    浮島にある明の使者たちの宿舎を修繕する。  
    義弟の山南王と相談しながら、首里に宮殿を造り始める。  
  6月 上間按司に兵を貸して、糸数グスクを奪い取らせる。  
  8月 明から返礼の使者が来る。来年、冊封使が来る事を伝える。  
    今、工事中の首里の宮殿で冊封の儀式をする事に決め、それにふさわしい会場造りに変更する。  
  閏10月 明からの使者、帰る。  
  12月 中山世子武寧②進貢。  
1404年 1月 山北攀安知⑥進貢。 49歳
    武寧が朝鮮に送った船が武蔵国六浦に漂着する。  
  2月 中山王世子武寧③進貢。山南王世子汪応祖②進貢。  
  4月 冊封のための首里の宮殿が一応、完成する。  
    明から冊封使が初めて来る。  
    糸数按司になった上間按司と八重瀬按司(達勃期)が同盟する。  
  5月 山南王、毎年恒例のハーリーに、冊封使たちを招待する。  
    首里の宮殿で冊封を受け、正式に中山王となる。  
  6月 汪応祖も首里の首里の宮殿で冊封を受け、正式に山南王となる。  
    首里の宮殿を増築して、首里グスクにするための工事が再開される。  
  7月 北谷按司が亡くなり、若按司が跡を継ぐ。  
  8月 中山武寧④と山南汪応祖③進貢。  
  11月 冊封使、帰国する。  
  12月 シャム船が来琉、浮島で交易を行なう。  
1405年 1月 中山武寧⑤進貢。 50歳
  2月 中山武寧⑥進貢。山南汪応祖④進貢。山北攀安知⑦進貢。  
  3月 山南王と中グスク按司が同盟する。  
    中グスク按司、暗殺され、若按司が跡を継ぐ。  
  4月 弟の越来按司が亡くなり、若按司が跡を継ぐ。  
  6月 勝連按司と若按司、奇病に罹って亡くなる。弟の江洲按司が跡を継ぐ。  
  7月 代わったばかりの勝連按司と若按司が奇病で亡くなる。弟が跡を継ぐ。  
    大きな台風が来て、首里グスクの石垣が崩壊する。  
    手抜き工事に腹を立て、関係者を去勢して、明の皇帝に宦官として贈る。  
  10月 中山武寧⑦進貢。山南汪応祖⑤進貢。山北攀安知⑧進貢。  
1406年 1月 中山武寧⑧と山南汪応祖⑥進貢。 51歳
    中山王と八重瀬按司(達勃期)が同盟する。  
    首里グスクが完成する。  
  2月 出陣は若按司に任せ、側室を連れて首里グスクに移る。  
    首里グスクにて、山南王の刺客に殺される。  
    首里グスクは島添大里按司(尚巴志)に奪われる。  




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