首里の初春
年が明けて、 新年を祝う御馳走を食べたあと、中山王の思紹と王妃、 坊主頭だった思紹も髪が伸び、カタカシラに結って、明国から贈られた 王冠や皮弁服、世子や王妃の着物、重臣たちの着物は先代の サハチの母は今まで表には出た事はなかったが、これからは王妃として様々な儀式に参加しなくてはならなかった。恥ずかしがっていた母も覚悟を決めて、きらびやかな着物を着て、思紹の隣りに並んだ。 マチルギが着飾った姿を久し振りに見たサハチは、改めてマチルギの美しさに見とれた。そんなサハチを見て、マチルギは嬉しそうにはにかんでいた。 馬天ヌルが忙しいというのは聞いていたが、何をしているのか、サハチは詳しい事は知らなかった。今日のこの日のために、ヌルたちの指導をしていたに違いない。天から女神が降りて来て、華麗に舞っているような錯覚を覚えた。ヌルたちの中に背の高いヌルが二人いて、馬天ヌルと一緒に旅をしていたユミーとクルーのようだ。あれから十年が経って、二人とも立派なヌルになっていた。 去年の二月、サハチたちが 三月の半ばには、『ツキシル(月代)の石』が島添大里グスクから 二日には浮島(那覇)の 最近のファイチは久米村にいる事が多いが、屋敷は首里にあり、妻と子供たちは首里で暮らしていた。琉球に来てから六年余りが経ち、子供たちは勿論、妻も琉球の言葉が話せるようになり、生活に困る事はなかった。知人もいない久米村に移るより、友達も多い首里で暮らしたいと子供たちが言い、妻も賛成したのだった。ファイチは正式な家臣ではないが、重要な 三日になると中山王に忠誠を誓った按司たちが新年の挨拶に訪れた。按司たちは百浦添御殿の一階で、 中グスク按司(クマヌ)、 南部 サハチが様々な思いで按司たちに接していたのに対し、父の思紹は顔色一つ変えずに、王の威厳を持って接していた。その姿を見ながら、やはり、親父が王になってよかったとサハチは思っていた。 挨拶が終わると 思紹は手を差し出して、「挨拶はもう済んだ。気楽にしてくれ」と言った。 上座に思紹とサハチが座り、「堅苦しい挨拶をさせてしまったが、これが中山王の慣例だという。悪く思わないでくれ」と思紹が言った。 「 「わしらはこのグスクに入った途端、すでに、そなたは雲の上のお人じゃと悟ったんじゃ。首里グスクが凄いグスクだと噂は聞いていたが、こんなにも素晴らしいグスクだとは思ってもいなかった。わしらはただ、そなたに従って行くだけじゃ。これからもよろしくお願い申す」 玉グスク按司に従って、東方の按司たちが皆、頭を下げた。 「わしも同感じゃ」とタブチが言った。 「ここに来るまでは、決して頭を下げるまいと強く決心していた。しかし、この豪華すぎるグスクを見て、そんな思いはどこかにすっ飛んで行ってしまった。わしはすっかり世の中の流れに取り残されてしまったような気分じゃった。今までの事はすべて忘れて、わしは首里に従う事に決めた。よろしくお願い申す」 「みんなの気持ちはよくわかった。こちらからもよろしくお頼み申す」と思紹は言って、新年の乾杯をした。 今まで進貢船とは関わっていなかったので、サハチは明国との交易について何も知らなかった。中山王、 今回、サハチは父の思紹と相談して、新年の挨拶に来た者たちの家臣を明国に連れて行こうと決めていた。東方の按司たちは皆、海外との交易は無縁だった。彼らにも交易を経験させて、今よりも豊かな城下を造ってほしいと思っていた。 正月の二十日、浮島で出帆の儀式が行なわれた。馬天ヌルと佐敷ヌルによって航海の無事が祈られ、進貢船には『セイヤリトゥミ』という その日の翌日、馬天浜にシンゴ(早田新五郎)とクルシ(黒瀬)の船がやって来た。弟のヤグルー(平田大親)、次男のジルムイ、甥のマウシ、マウシの友達のシラーが無事に帰国したのだった。すれ違いにならなくてよかったとサハチはすぐに馬天浜に向かった。 お祭り騒ぎの馬天浜に、ササとマカマドゥはすでに来ていて、シラーとマウシが来るのを首を長くして待っていた。ササの事だから、みんなの見ている前で、シラーに抱きつきはしないかとハラハラしながら見ていたが、シラーと再会したササは目に涙を溜めながらシラーをじっと見つめていた。チルーが言っていたように、シラーの前では、ササも女の子になるようだ。もしかしたら、本当にシラーがササのマレビト神なのかもしれないとサハチは思った。意外にもマカマドゥの方が大胆だった。マウシの姿を見つけると駆け寄って行き、抱きつきはしなかったものの、体全体で喜びを表現していた。マウシは愛おしそうに、そんなマカマドゥを見ていた。 その夜は島添大里グスクで、帰国祝いの宴を開いた。 ヤマトゥの国を見てきた四人の顔付きはすっかり変わっていた。特にジルムイの目が輝いているのにはサハチも驚いた。以前のジルムイはぼんやりした目をしていて頼りなかったが、何か、自分がやるべき事をはっきりと見つけてきたような気がした。四人は 次の日、マウシとシラーは山田に帰って行った。サグルーとササが付いて行った。一晩泊まって、帰って来る時にはマサルーも一緒で、マウシとマサルー クルシも首里に住む事になった。年が明けて、クルシは六十歳になり、船乗りの仕事がきつくなったという。サハチは長い間の感謝を込めて、クルシを重臣として迎える事にした。 出帆の二日前、サハチは島添大里グスクで、明国に持っていく刀を選んでいた。刃渡り三尺もある 見た事もない侍女だった。ウニタキが新しい侍女を入れたのかと思いながら小声で、「わかった」と返事をした。侍女は静かに引き下がって行った。 サハチは刀を片付けると、『まるずや』に向かった。 船出が二日後に控えているというのに何事だろう。今回の 『まるずや』に向かいながら、最近、侍女のナツを見ていない事に気づいた。いつもなら、ウニタキとのつなぎはナツの役目だった。新しい侍女を入れたという事はナツは別の仕事についたのだろうか。思い出したら、急にナツに会いたくなった。 まるずやの店は閉まっていた。まだ店を閉めるには早い時刻だった。店の脇を通って、裏の屋敷に行くと、縁側にナツの姿があった。侍女の時とは違って華やかな着物を着て、サハチを見ると明るく笑って迎えに来た。 「最近、見ないからどうしたのかと心配していたぞ」とサハチは言った。 会いたいと思っていたら目の前にナツが現れたので、少し驚いていた。 「 「ウニタキはどこに行ったんだ?」とサハチは聞いた。 「お頭はおりません」とナツは首を振った。 「あたしが按司様をお呼びしたのです」 「お前が?」と聞きながら、サハチは縁側に腰を下ろしてナツを見た。 「侍女はやめたのか」とサハチは聞いた。 「行動範囲が広がったので、人手が足らないようです」 「キラマの修行者が五十人加わったはずだが」 「それでも足らないみたいです」 「 「それでも足らないようです。男の人が何をしているのか詳しくは知りませんが、女子は各地にできた『よろずや』と各地のグスクに侍女として入っています。去年、 「名護に『よろずや』ができたのか」とサハチは驚いて、ナツに聞き返した。 「はい。名護は 「イブキはもう山北王の信頼を得ているのか」 「浦添ヌルと一緒に行ったのがよかったようです」 「さすがだな。山田に『まるずや』を出した理由は知っているか」 「あそこは 「成程‥‥‥それで、お前は何をやってるんだ?」 「このお店を一人でやっております」 「なに、一人でここをやっているのか」 ナツはうなづいて、「今晩はささやかですが、お別れの宴をさせて下さい」と言った。 「もしかしたら、もう二度とお会いできなくなるかと思うと‥‥‥」 「何を言っているんだ。俺は必ず帰って来る」 「そうおっしゃられても唐旅は危険です。向こうで病に罹って、お亡くなりになった方々が何人もいると聞きました。それに、あたしの祖父は唐旅で亡くなっています」 「お前の祖父が唐旅に出た?」とサハチは不思議に思って聞いた。 「祖父は父が十歳の時、唐旅に出たまま帰って来なかったそうです。嵐にやられたのか、 「そんな昔から琉球は唐に船を出していたのか」 「詳しい事はわかりませんが、浮島にいた 「お前は津堅島生まれだったのか」 「いいえ、あたしは佐敷生まれです」 「そうか。それで、津堅島の唐人は今でもいるのか」 ナツは首を振った。 「津堅島には五年いたそうです。祖父と一緒にお船に乗って唐に帰ったようです。その頃の祖父は島の英雄でした。 「俺は大丈夫だよ」と言っても、ナツは涙を浮かべて、悲しそうな顔をしてサハチを見ていた。その姿がいじらしく、抱きしめてやりたい衝動に駆られた。 「お願いです。あたしに送別の宴をさせて下さい」とナツは思い詰めたような顔をして言った。 サハチはナツを見つめて、「わかった」とうなづいて部屋に上がった。 ナツは料理の載ったお膳を運んでくるとサハチの斜め前に座って、お酌をしてくれた。 「一人で飲んでも楽しくない。お前も飲め」 ナツはうなづいて 「ここの店の者はどこに行ったんだ?」とサハチはナツの後ろ姿に聞いた。 「首里です」と答えが返ってきた。 「みんなして首里に行ったのか」 「そうです。首里のお店はここより大きいので大変みたいです」 ナツの酒盃にも酒を注いで、乾杯をした。ヤマトゥの上等な酒だった。 酒を一口飲むと、「夢みたい」とナツは言って嬉しそうに笑った。 「あたしの手料理もどうぞ」 サハチは煮魚をつまんだ。味は悪くなかった。 「 佐敷グスクにいた母は、シタルー(山南王)の娘が末っ子のクルーに嫁いで来た時、島添大里グスクに移って来て、 じっとしているのは親父も苦手だった。サハチが船出したら、 「懐かしい味だよ」とサハチは笑った。 酒を飲みながら、ナツは自分の事を語り始めた。 「按司様に初めて会ったのは、あたしが七つの時でした。按司様がヤマトゥに出掛けるのを母に連れられてお見送りしました。あたしの父も母もウミンチュなんです。子供の時は毎日、海に入って遊んでいました。あたしが生まれる一年前に父はウミンチュをやめて、サムレーになりました。按司様のお父様が佐敷按司におなりになった時です」 「父親の名前は?」とサハチは聞いたが、ナツは答えなかった。 「三星党はそんなにも厳しいのか」 「裏で働く者ですから、たとえ死んでも葬儀もできないし、誰も悲しんではくれないと言われました」 「そうか」 「皆、按司様のために必死に働いています。按司様だけは、その事を知っていて下さい」 「そうだな。働いた者にはそれなりの褒美をあげなければならんな」 「はい。お願いいたします。お頭がそれなりのご褒美は与えておりますが、按司様から直接、声を掛けられたら、みんな、感激すると思います」 「わかった。これからはなるべく、そうするようにする」 ナツはお礼を言って、話を続けた。 「ヤマトゥに行く按司様を見送った時のあたしは七つでしたし、自分とは関係のない偉いお人なんだと思っておりました。九歳の時に、按司様と 「何だって!」とサハチは驚いて、酒盃を落としそうになった。 「尊敬している奥方様に悪いとは思いながらも、按司様を想う気持ちを抑える事はできませんでした。二年後、マカマドゥ様は知念に嫁いでいかれました。マカマドゥ様は是非、知念まで一緒に来てくれとあたしに頼みました。あたしは佐敷から離れたくなくて、母親の具合が悪いから知念には行けないと断りました。実際に、母親の具合は悪かったのですけど、あたしがいなくても大丈夫だったのです。マカマドゥ様には今でも悪い事をしてしまったと悔やんでいます。按司様を陰ながら慕って四年が過ぎて、あたしは十九になりました。お嫁の話はいくつもありましたけど、皆、断りました。十九になったお正月、いつものようにお稽古始めに出ました。そして、奥方様から声を掛けられました、お嫁に行かないのかと。あたしは縁がないみたいでと答えました。奥方様はうなづいて、 「どうして、女子サムレーにならなかったんだ?」 「なろうと思いました。でも、奥方様はそのあとに、危険なお仕事だけど、裏のお仕事もあると言いました。あたしには裏のお仕事というのがわかりませんでした。奥方様は按司様のために、危険をおかして敵の情報を探り出すお仕事だと言いました。どうせ、自分の恋は実らない、陰ながら按司様のために働こうと決心したのです」 「それで、ウニタキと会ったのか」 ナツはうなづいた。 サハチはナツの酒盃に酒を注いでやった。 「危険な事もやったのだな」とサハチは聞いた。 ナツは首を振った。 「最初の三年間は『よろずや』の売り子でした。按司様が浮島の『よろずや』にいらした時、あたしもそこにいたのですよ。按司様はまったく気づきませんでしたが」 「そうだったのか。すまなかった」 「その後、島添大里の『よろずや』に行って、ムトゥさんと一緒にグスクの中に入って、側室になったトゥミさんと会った事もあります」 「 「戦が始まる前に『よろずや』を出て、 「危険な事をしていたのか」 ナツは首を振った。 「行商人に扮して様子を見ていただけです。ただ、情報をお頭に知らせるために、やたらと走っていました。戦が終わると、あたしは島添大里グスクの侍女になれと命じられました。按司様とお頭のつなぎ役です。あたしはがっかりしました。もっと重要な任務に就きたいとお頭に言いました。そしたらお頭は、お前は按司様の側にいたいのだろう。これも立派な任務だと言いました。お頭はあたしの気持ちを見抜いていたのです。あたしは侍女になって按司様に仕えました。でも、按司様があたしを見てくれる事はありませんでした。侍女になって四年目、按司様が始めて、あたしに声を掛けて下さいました。あの時は本当に嬉しかった。これで、今までの苦労が報われたと思いました」 サハチも思い出していた。戦が始まる前、出陣する兵の訓練を見ていた時、ウニタキがここで待っているとナツが知らせに来たのだった。あの時、初めて、サハチはナツの美しさを意識したのだった。 「戦も無事に終わって、按司様のお父様は中山王になられました。そして、三星党は人手が足らなくなって、あたしはここを任される事になったのです。按司様が明国に行くと聞いて、あたしはもう我慢ができなくなりました。もしかしたらと思うと居ても立ってもいられなくなって‥‥‥奥方様に悪いと思いながらも按司様を呼んでしまったのです。申しわけございません」 ナツは深く頭を下げた。 サハチは迷わず、ナツを抱き寄せた。 「按司様‥‥‥」と言いながら、ナツの目は潤んでいた。 「ナツ」とサハチは言って、ナツを強く抱きしめた。 |
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