熊野へ
『三姉妹』の船が浮島(那覇)に着いた頃、ヤマトゥ(日本)に行ったササ(馬天若ヌル)たちは、京都から『熊野』に向かっていた。
五月十四日に与論島から『交易船』に乗り込んだササたちが、薩摩の坊津に着いたのは五月三十日だった。坊津で交易船を降りたササたちは、『一文字屋』の船に乗って博多に向かった。去年、自由に行動ができなかったので、交易船から降りたのだった。一文字屋の船に乗ったのは、ササ、シンシン(杏杏)、ナナ、シズ、サスカサ(島添大里ヌル)の五人で、シンゴ(早田新五郎)の船に乗っていたチューマチ(サハチの四男)と越来若按司のサンルーは京都に行くために交易船に移った。
一文字屋の船は交易船のあとを追って博多に向かい、六月八日に博多に着いた。朝鮮に行く勝連の二隻の船も一緒だった。交易船に乗っていた者たちと勝連の船に乗っていた者たちは『妙楽寺』に入り、ササたちは『一文字屋』に向かった。
一文字屋に中条兵庫助の娘の『奈美』が訪ねて来た。去年よりかなり遅いので心配していたという。高橋殿と御台所様(将軍義持の妻、日野栄子)に早く知らせなければならないと言って、奈美は京都に向かった。
『玉依姫』に挨拶をしようと、ササたちは『豊玉姫のお墓』に行ったが、『玉依姫』はいなかった。去年、ササたちが掃除をしたあと、誰かが草刈りをしてくれたのか、綺麗になっていた。
玉依姫はどこに行ったのだろう、伊勢に行ったのかしらと考えながらお祈りをしていると、
「京都にいるわ」と神様が言った。
何となく、どこかで聞いた声のような気がした。
「あなたはどなたですか」とササは聞いた。
「『ユンヌ姫』よ」と言って神様は楽しそうに笑った。
ササは首から下げた『ガーラダマ(勾玉)』を見た。
「あなた、憑いて来たの?」とササは聞いた。
「だって、お祖父様に会いたかったんですもの」
一言言ってくれればいいのにと思いながらも、「『玉依姫様』が京都にいるって本当なの?」とササはユンヌ姫に聞いた。
「出雲の奥さんがいるから京都には行かなかったんだけど、そろそろ仲よくしなけりゃねって言っていたわ。お祖父様に会いに行ったのよ」
「そう。京都で会えるわね」
「楽しみだわ」とユンヌ姫は嬉しそうに言った。
交易船よりも先に博多を発ったササたちは『上関』で、『あや』との再会を喜び、『村上又太郎』に歓迎された。
あやの船に先導されて、兵庫に着いたのは六月二十七日で、兵庫の港には明国(中国)の船が泊まっていた。噂では上陸の許可が下りなくて、もう半月余りもいるという。
『あや』と別れて、ササたちは陸路で京都に向かい、『高橋殿』の屋敷に入った。
高橋殿に『サスカサ』を紹介すると、高橋殿は驚いた顔をしてサスカサを見た。
「サハチさんとマチルギさんの娘さんなのね?」
「そうです。長女で島添大里のヌルを務めています」
「そう。こんなにも大きな娘さんがいらしたのですね。あなたのお父様が京都まで来てくれたお陰で、将軍様(足利義持)はとても助かっているのよ。これからもよろしくね」
サスカサは綺麗な人だと思いながら『高橋殿』を見ていた。父から踊りの名人だと聞いていた。踊りだけでなく、武芸の腕も一流のようだとサスカサは思った。
ササたちは『船岡山』に行って、『スサノオの神様』に挨拶をした。『玉依姫』も一緒にいた。
「待っておったぞ。『玉依姫』を琉球(琉球)まで連れて行ってくれたそうじゃのう。わしからもお礼を言うぞ」
ササが『新宮の十郎』の事を聞こうとしたら、『ユンヌ姫』が邪魔をした。スサノオは孫娘との出会いを喜んで、ササの事など忘れて、『ユンヌ姫』を連れてどこかに行ってしまった。
「あなたが『ユンヌ姫』を連れて来たの?」と玉依姫が聞いた。
「勝手に憑いて来たのです」
「そう。でも、どうして、あなたが『ユンヌ姫』を知っているの?」
「ヤマトゥに来る前に『与論島』に寄って来たのです」
「『ユンヌ姫』があなたを呼んだのかしら?」
今、思えばそうかもしれないとササは思った。『与論島』を攻め取ったという話を聞いた時、今のうちに『与論島』に行かなければならないと思った。どうしてそう思ったのかはわからなかったが、『ユンヌ姫』に呼ばれたのかもしれなかった。
「玉依姫様は、『新宮の十郎』っていう人を知っていますか」とササは聞いた。
「新宮の十郎? 何者なの?」
「源氏の武将のようです」
「知らないわね。『新宮』って熊野の『新宮』かしら?」
「そうです。その人は熊野水軍のお船に乗って琉球に行ったようです」
「熊野なら『稲田姫様』の子供たちが作った国よ」
「えっ、熊野も『スサノオの神様』と関係があったのですか」
「熊野に祀られているのは父なのよ。わたしの義弟の『イタケル』と義妹の『オオヤツヒメ』、『ツマツヒメ』の三人が熊野に木の種を蒔いて『木の国(紀伊国)』を造ったのよ」
「そうだったのですか」
「出雲に『熊野』という山があって、山の上に父が祀られているらしいわ。『熊野』という名前は出雲の『熊野山』から取ったのよ。義弟たちは『熊野』の山の上に父を祀って、その地を『新宮』って名付けたらしいわ」
「『スサノオの神様』が祀られている山は、『新宮』にあるのですか」
「最初に祀られた山は『新宮』にあるわ。今は『本宮』にも祀られているわよ。義弟たちは『新宮』を拠点にして、船の材料になる『楠木』を熊野の山々に植えたのよ」
「船になる木を植えたのですか」
「そうよ。その木が増えて、船をどんどん造って、『熊野』は水軍として活躍するようになったのよ」
「そうでしたか。『スサノオの神様』をお祀りしているのなら、是非とも、『熊野』まで行かなければなりませんね」
「あそこには古い神様がいっぱいいるわ。あなたが探している人を知っている神様もいるかもしれないわね」
「玉依姫様、あなたが琉球に行った時、『サスカサヌル』はいたのでしょうか」とサスカサが聞いた。
ササは驚いてサスカサを見た。
サスカサは『スサノオ』の声も『玉依姫』の声も聞いていた。サスカサが身に付けている勾玉は、『豊玉姫』が『スサノオ』からもらった勾玉の一つなので、声が聞こえたようだった。勾玉を身に付ければ、誰でも神様の声が聞こえるというものでもない。サスカサもヂャンサンフォン(張三豊)のもとで一か月の修行をしたお陰で、潜在能力が目覚めて、『シジ(霊力)』が高まったのだった。
「わたしが琉球に行ったのは十五の時だったけど、『サスカサ』は大里にいたわよ。母の従妹が初代の『サスカサ』だったわ」
「その時の大里グスクは、『月の神様』を祀っている『ウタキ(御嶽)』のある所でしたか」
「いいえ。あの『ウタキ』には按司と言えども男の人は入れないわ。グスクはあの『ウタキ』の手前にあったのよ」
「ありがとうございます。これで謎が解けました」
「あなたが『サスカサ』を継いだのね。『月の神様』をお願いね」
「はい」とサスカサは言って両手を合わせた。
ササも両手を合わせて、『玉依姫』と別れたあと、「あんた、凄いじゃない」とサスカサの肩をたたいた。
サスカサは嬉しそうな顔をして、「ササ姉のお陰ですよ」と言った。
高橋殿の屋敷に帰ると、ササは高橋殿に『新宮の十郎』の事を聞いた。高橋殿は知らなかったが、『新宮の孫十』なら知っていると言った。
「『新宮の孫十』は熊野の水軍の大将よ」
「『新宮の十郎』は二百年も前の人なんです。もしかしたら、孫十という人は十郎の子孫かもしれないですね」
『新宮の十郎』の事を調べるために『熊野』に行きたいとササが言うと、高橋殿は少し考えてから、「『熊野』に行きましょう。御台所様と一緒にね」と楽しそうに言った。
高橋殿は北山殿(足利義満)が健在だった頃、『熊野』に六回も行っていた。表向きは『熊野信仰』による参詣だったが、裏では熊野の山伏や比丘尼(尼僧)、熊野水軍を味方に付けるための熊野行きだった。北山殿が亡くなってからは行っていない。山伏たちの動向を確認するためにも、行った方がいいかもしれないと高橋殿は思った。
「『先達』に頼んでみるわ」と高橋殿は言った。
「『先達』って何ですか」とササは聞いた。
「熊野の山伏よ。『熊野』に行くには『先達』に従わなければならないの。色々と決まりがあってね、行く前にも『精進屋』という所に籠もって、身を清めなければならないのよ」
「そうなんですか」
軽い気持ちで『熊野』まで行って来ようと思っていたササは、面倒くさそうだと思いながらも、ヤマトゥに来たのだからヤマトゥの作法に従わなければならないと思い、高橋殿に任せる事に決めた。
「『熊野』まで何日くらい掛かりますか」
「十日くらいね。行って帰って来て二十日余りってところよ」
「二十日ですか‥‥‥」
思っていたよりも『熊野』は遠いようだった。
熊野には本宮、新宮、那智と三つの聖域があって、その三つをお参りする事を『熊野詣で』と言った。熊野は古くから山伏たちの修行の山だった。京都から遙かに遠い異国の地ともいえる熊野まで、苦しい思いをしてまでもお参りに行くというのを流行らせたのは、藤原氏から政権を取り戻した『白河上皇』だった。
白河上皇は御先祖様の『スサノオ』を祀っている熊野に十二回も行っている。白河上皇の孫の『鳥羽上皇』は二十二回、鳥羽上皇の息子の『後白河上皇』は三十四回、後白河上皇の孫の『後鳥羽上皇』は二十九回と、実権を握った上皇たちは驚くほど何回も『熊野御幸』をしていた。上皇に従って熊野に行った大勢の貴族たちは、京都に帰って熊野の素晴らしさを伝え、貴族たちがこぞって『熊野参詣』に赴く事になる。
承久の乱(一二二一年)で、鎌倉幕府の北条氏に敗れた『後鳥羽上皇』は、権力の基盤だった荘園を奪われて、以後、上皇の熊野参詣はなくなってしまう。しかし、熊野の山伏や比丘尼たちの活躍と、時衆の聖たちの宣伝によって、『熊野信仰』は広まり、貴族たちに代わって、武士や庶民たちが参詣するようになる。南北朝の争いの時は、熊野の山伏や水軍たちも争いに巻き込まれて戦っていたが、南北朝の争いも終わって、『熊野参詣』は再び活気を帯び、『先達』に連れられて参詣する人たちが増えていた。
ササたちより三日遅れて、琉球の『交易船』が兵庫に着き、ササたちは奈美から知らせを受けて、行列に参加した。三弦と笛と太鼓の音楽は琉球らしいと評判になって、『三弦』が欲しいという者が大勢現れた。平田大親(ヤグルー)は来年、必ず持って来ると約束した。新助と相談しながら描いた栄泉坊の『龍』の旗も評判はよかった。琉球というのは『龍宮』の事ではないのかと噂になっていた。
ヤグルーの話だと、兵庫港にいた明国の船は結局、上陸の許可は下りずに追い返されたという。その船に『冊封使』が乗っていて、将軍様が冊封を受けるわけにはいかないので追い返したようだった。
『等持寺』に着くと高橋殿が迎えに来て、ササたちは『将軍様の御所』に入り、『御台所様』と再会した。
御台所様の日野栄子は、「来るのが遅いから心配していたのよ」と言って嬉しそうに笑った。
「高橋殿から聞いたわよ。今年は『熊野参詣』に行くんですってね。楽しみだわ」
御台所様はササのために、歴史に詳しいお公家さんを呼んでくれた。
『新宮の十郎』は鎌倉幕府を開いた『源頼朝』の叔父で、父親は保元の乱(一一五六年)で敗れて、船岡山で首を斬られた『源為義』だった。
『船岡山』で首を斬られたと聞いてササは驚いた。しかも、首を斬ったのは息子の『義朝』だという。
まだ幼かった十郎はその戦には参加していない。熊野別当の『行範』に嫁いだ姉の『丹鶴姫』と一緒に新宮で暮らしていた。父の死から三年後、平治の乱が起こって、十郎は長兄の『義朝』と一緒に戦うが敗れてしまう。勝利した『平清盛』は実権を握って、以後、平家の全盛時代となる。『義朝』は戦死して、十郎は熊野に逃げて、二十年間にも及ぶ潜伏生活を送る。
二十年後、京都に呼ばれた十郎は『三条宮(以仁王)』と会い、『平家打倒の令旨』を各地にいる源氏の武将たちに伝える。
甥の『頼朝(長兄義朝の三男)』が伊豆で挙兵して、十郎も美濃(岐阜県)、三河(愛知県)で平家軍と戦うが大敗を喫し、鎌倉にいる頼朝を頼る。しばらく鎌倉に滞在するも、頼朝と対立して信濃(長野県)の木曽に行き、甥の『義仲(次兄義賢の次男)』と行動を共にする。北陸で平家軍を破って、義仲と共に入京を果たすが、義仲と対立して京都を離れる。播磨(兵庫県)で平家軍と戦うが敗れて、河内(大阪府)に逃げる。義仲が『義経(頼朝の弟)』率いる頼朝軍に討たれ、『壇ノ浦』で平家が滅ぼされたあと、十郎は京都に戻って義経に接近する。義経と共に頼朝に対抗するがかなわず、義経と別れて半年間の逃亡の末、和泉(大阪府)で敵兵に囲まれて戦死した。
『新宮の十郎』は平家を倒すために、妻と子を置いて琉球から去って行ったのだろう。平家を滅ぼす事には成功したが、甥の頼朝との戦に負けて戦死してしまった。戦はあまりうまくはなく、協調性もあまりないようだが、源氏の武将として、それなりの一生を送ったようだとササは思った。
二日後、先達の『住心院殿』が迎えに来て、ササたちは京都の外れの山の中にある住心院内の『精進屋』に入った。
ササ、サスカサ、シンシン、シズ、ナナの五人と高橋殿、御台所様、対御方、平方蓉、奈美の五人が一緒に精進屋に入って身を清めた。肉や魚を断った質素な食事を食べて、大声を出したり騒いだりする事もできず、『お経』を読んだり、『真言』と言われる不思議な言葉を唱えたり、『水垢離』をしたりと退屈な時を過ごし、ササはうんざりしていたが、なぜか毎晩、『酒盛り』があって、騒がず静かにお酒を楽しんだ。高橋殿はお酒が好きで、いくら飲んでも酔う事はなかった。
『精進屋』に入って四日目、お輿に乗って、御霊社、今宮神社、北野天満宮、佐女牛八幡宮、新熊野神社、祇園社をお参りした。久し振りに外に出たので楽しかったが、お参りのあとには必ず『酒盛り』があって、ササたち五人は皆、途中で酔い潰れ、気がついた時には精進屋に戻っていた。
次の日、ササたちは二日酔いで頭ががんがんしていたのに、高橋殿は平気な顔をして、夕方になると、うまそうにお酒を飲んでいた。
夜中の旅立ちだった。ササたちは皆、山伏の格好になり、杖を突いて暗い夜道を進んだ。精進屋を出て苦行の参詣が始まり、身分の高い者でもお輿に乗ったり、馬に乗ったりして参詣する事は許されなかった。
本来、女性は垂れ絹を付けた市女笠をかぶって行くのだが、そんなのをかぶっていたら景色もろくに見えないし邪魔なので、山伏姿で行く事を高橋殿が主張して、先達としても逆らえなかったのだった。
将軍様も見送りに来て、「無理はするなよ」と妻の栄子をいたわり、「わしも一緒に行きたいのう」と羨ましそうな顔をした。
住心院の山伏たちが松明を持って先導し、『中条兵庫助』が弟子を二人連れ、将軍様の側近の『赤松越後守』が警護の兵を率いて従っていた。他に御台所様の侍女が二人、高橋殿の侍女が二人、対御方の侍女が二人従い、荷物持ちの男が十人、重い荷物を背負って従っていた。
夜が明ける頃、淀川のほとりにある『船津』に着いて船に乗り込んだ。景色を眺めながらの楽しい船旅だったが、船の中でも『酒盛り』が始まった。高橋殿のお酒好きにはササは閉口していた。去年、伊勢に一緒に行った時もお酒を飲んではいたが、こんなにも強いとは知らなかった。お酒を飲んだら眠くなってしまい、目が覚めたら夕方近くになっていた。日暮れ前に『渡辺津』に着いて、迎えに来てくれた摂津の守護代、『奈良弾正』の案内で大きなお寺に行って、そこに宿泊した。
二日目は『天王寺』と『住吉大社』にお参りして、和泉の国府まで行って、また大きなお寺に泊まった。和泉の守護代、『宇高安芸入道』が途中で出迎えて、案内してくれた。立派なお寺に泊まるのはいいが、厳重に警護されて、何となく窮屈だった。
「仕方ないのよ」と高橋殿が言った。
「『御台所様』にもしもの事があったら責任を取らなくてはならないわ。あの人たちも必死なのよ。気にしないで、楽しい旅にしましょう」
三日目は『樫井の王子』という神社で、『お神楽』を奉納した。ササが笛を吹いて、高橋殿が華麗な舞を披露した。川辺川(紀ノ川)という大きな川で『水垢離』をした。熊野への参詣道には、『王子』と呼ばれる『熊野権現』の『御子神』を祀った神社がいくつもあって、道中の安全を祈願した。
渡し舟に乗って川を渡り、『和佐峠』でひと休みして、例のごとく、お酒を飲んでいると、熊野水軍の大将、『藤代の鈴木庄司』が兵を引きつれて迎えに来た。高橋殿は鈴木庄司を呼んでお酒を勧めた。鈴木庄司は恐縮してひざまずき、高橋殿のお酒を頂くと、
「お久し振りでございます。相変わらずなので、安心いたしました」と言った。
鈴木庄司の案内で大きなお寺に行き、その夜はささやかな宴が開かれた。参詣の途中なので、贅沢な料理は食べられない。それでも珍しい木の実や果物があって、おいしかった。鈴木庄司はササたちが『琉球』から来たと聞くと驚いて、色々と聞いて来た。ナナが『朝鮮』から来たと聞くとさらに驚き、シンシンが『明国』から来たと聞くと目を丸くして高橋殿を見た。
「恐れ入りました」と鈴木庄司は頭を下げた。
「御台所様の周りには色々な御方がおりますのう。天下無敵の高橋殿だけでなく、琉球、朝鮮、明国などと、わしら田舎者にはとても考えられん御方たちじゃ。大したもんじゃのう」
「何をおっしゃいます。天下無敵などと。それは昔の事でございますよ」と高橋殿は謙遜したが、鈴木庄司は手を振って、
「今でも熊野の山伏、比丘尼、そして、わしら水軍の者たちは高橋殿を慕っております。高橋殿が一声掛ければ、熊野の者たちは皆、喜んで馳せ参じましょう」と言った。
「嬉しい事を。将軍様もさぞ喜ぶ事でございましょう」
ササは鈴木庄司に、『新宮の十郎』の事を聞いた。
「琉球の御方が新宮の十郎殿を御存じなのですか」と鈴木庄司は驚いて、「新宮の十郎殿は熊野の英雄でございます」と自慢した。
「今から二百年余り前、平家の全盛期でございました。新宮の十郎殿は三条宮様の『平家打倒の令旨』を持って各地の源氏の大将を訪ねて、決起を促しました。十郎殿の活躍のお陰で平家は滅んで、十郎殿の甥の『頼朝殿』が鎌倉に幕府を開いたのでございます。十郎殿は戦死されてしまいましたが、今も子孫たちが新宮を拠点に水軍として活躍しております」
「孫十殿ですね」
「ほう、よく御存じで。孫十はわしらと一緒に南朝方として戦っておりましたが、今では高橋殿に口説かれて将軍様に従っております。奴に聞けば、十郎殿の事も詳しい事がわかるに違いありません」
次の日、鈴木庄司の案内で、『藤代の王子』を参拝した。『藤代峠』は眺めがよく、美しい眺めを堪能しながらお酒を飲んだ。山をいくつか越えて、川を渡ると『玉置左衛門尉』が待っていた。鈴木庄司は玉置左衛門尉にあとの事を頼むと、挨拶をして引き上げて行った。
玉置左衛門尉は御台所様と高橋殿に慇懃に挨拶をすると、引き連れて来た兵たちを配置に付けて案内に立った。翌日は『湯川宮内少輔』、その翌日は『山本中務丞』と地元の武将たちが代わる代わる現れて、警護と案内役を務めた。覚悟はしていたが、御台所様と一緒では気楽な旅はできなかった。
京都を発ってから六日目、『切目王子』では面白い習わしがあった。ここを通る者は皆、顔にきな粉を塗って、『稲荷の氏子、こう、こう』と言わなければならなかった。ササたちは勿論の事、高橋殿や御台所様まで、顔にきな粉を塗って、お互いの顔を見て、笑い合いながら通過した。馬鹿げた事をと言いながらも、中条兵庫助も顔にきな粉を塗って、狐の真似をしたのはおかしかった。
切目王子から田辺までは海辺近くの道をのんびりと歩いて、時々、海に入って『潮垢離』をした。勿論、潮垢離のあとは『お清めの酒盛り』だった。
七日目に『稲葉根王子』にお参りして、『中辺路』と呼ばれる熊野参詣道に入った。岩田川(富田川)で『水垢離』をして、山本中務丞が用意してくれたお昼を食べながらお酒を飲んだ。
「岩田川は『三途の川』でございます」と住心院殿が言った。
「熊野は『浄土』でございます。本宮は『阿弥陀如来様の極楽浄土』、新宮は『薬師如来様の浄瑠璃浄土』、那智は『観世音菩薩様の補陀落浄土』でございます。『浄土』に行くには、まず、死ななければなりません。『三途の川』を渡って一旦、死んで、『浄土』に行って『成仏』して、生まれ変わって『現世』に戻って来るのでございます」
川の中を腰まで水に浸かって歩いて渡り、岩田川に沿って山の中へと入って行った。山本中務丞は川を渡らず、兵たちを連れて帰って行った。高橋殿もうっとうしいと思って、追い返したようだ。
何度も川の中を歩いて『滝尻王子』に着き、『お神楽』を奉納して、お酒を飲んだ。滝尻王子には宿坊がいくつも建っていて、大勢の山伏たちがいた。
大きな鳥居をくぐって山道に入って行った。その日は、山の中の『高原谷』にある『石王兵衛』の屋敷にお世話になった。山奥に来たという感じがして、ササたちはようやく『熊野』に来たという事を実感していた。
石王兵衛は一流の『面打ち師』だという。高橋殿の突然の来訪を大歓迎してくれた。
石王兵衛が打った『翁』の面を掛けて高橋殿が舞った。『幽玄』な舞で、まるで、高橋殿は神様のように見えた。ササたちは思わず両手を合わせていた。
ササは凄いと感激していたが、石王兵衛は満足していなかった。
「そなたが来てくれてよかった。最高の面ができたと自惚れていたが、そなたの舞に完全に負けておる。やり直しじゃ」
そう言って、面を鉈で割ってしまった。
ササたちは驚いて石王兵衛を見たが、石王兵衛は面の事などすっかり忘れたような顔をして、高橋殿に京都の様子などを聞いていた。
夜遅くまで飲んでいて、翌朝、目を覚ますと石王兵衛は面を打っていた。
「面を打ち始めたら、もう何を言っても耳に入らないわ」と高橋殿は首を振った。
ササたちは一心不乱に面を打っている石王兵衛と別れて、険しい山道を熊野へと向かった。御台所様も『武当拳』の稽古を怠りなくやっているとみえて、弱音は吐かなかった。
急な下り坂を下りると宿坊がいくつも建っている『近露』という所に出て、そこでお昼を食べてお酒を飲んだ。ササたちもお酒のうまさがわかるようになって、楽しい一時を過ごして、また山道を進んだ。曲がりくねった道を登ったり下りたりして、着いた所は『湯川』と呼ばれる山の中の村だった。『湯川宮内少輔』の本家があって、村に住んでいるのは湯川一族で、参詣者のための宿坊をやっていた。ササたちは湯川の長老の宿坊のお世話になった。長老は高橋殿との再会を喜び、歓迎してくれた。
次の日、『発心門』という大きな鳥居をくぐった。ここから熊野本宮の神域に入るという。今まで突いていた杖を『発心門王子』に奉納して、『金剛杖』という四角に削られた杖に変えられた。金剛杖を突きながら山道を進んで行くと、山の上から川の中洲にある『本宮大社』が小さく見えた。山々がずっと連なっている中に見えるその姿は神々しく、まさしく『神様の社』に見えた。ササたちは知らずに両手を合わせていた。
山道を下って行くと宿坊が建ち並ぶ門前町に出て、『音無川』を杖を突いて渡り、中洲に建つ『本宮大社』の門前にひざまづいて両手を合わせた。
本宮大社の中には入らず、また川を渡って門前町に戻った。宿坊に入って恒例の酒盛りが始まるのかなと思っていたら、また山道に入った。『湯の峰』という所で『湯垢離』をするという。
ササたちは初めて温泉に入って感激した。温泉から出るとちょっと一杯やって、山を下りた。宿坊に入ってまた一杯やって、夜になって『本宮大社』に行き、月明かりの下で、いくつもある社殿にお参りした。
古い神様がいっぱいいるようだったが、ササに話し掛けて来る神様はいなかった。サスカサもシンシンもシズもナナも神様の声は聞かなかった。
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