与論島平定
梅雨が上がった五月の五日、山グスク大親(サグルー)が奄美の島々を平定するために、水軍大将のヒューガ(日向大親)の武装船に乗って親泊(今泊)を出帆した。弟のジルムイ(島添大里之子)とマウシ(山田之子)とシラー(久良波之子)がサムレー大将として従い、武装船と七隻の大型船に四百人の兵が乗っていた。 サスカサ(島添大里ヌル)、志慶真ヌル、シンシン(今帰仁ヌル)、ナナ(クーイヌル)、タマ(東松田の若ヌル)、瀬底の若ヌルが一緒に行き、与論島に帰る麦屋ヌル(先代与論ヌル)、与論按司を説得するために与論按司の姉のクン(攀安知の側室)と妹のクミ、永良部按司を説得するために母親のマティルマと妹のマハマドゥ、奄美按司を説得するために奄美按司の叔父の具足師のシルーが乗っていた。マティルマの連れとしてトゥイ(マティルマの妹、先代山南王妃)とナーサ(宇久真の女将)とマアミ(先々代越来按司の妻)、トゥイの護衛の女子サムレーのマアサも乗っていた。 瀬底の若ヌルは武当拳を習うために母の許しを得て瀬底島から今帰仁に来て、サスカサを師匠と呼び、師匠が行くなら一緒に行くと言って付いてきた。 与論按司は国頭按司の次男で湧川大主(攀安知の弟)の配下だったが、湧川大主が逃げて行った今、姉のクンと妹のクミが説得すれば従ってくれるだろうとサグルーは思っていた。 永良部按司の父親は初代山北王(帕尼芝)の三男で、母親は初代中山王(察度)の娘のマティルマ、妻は名護按司の娘だった。母親と妹が説得すれば従ってくれると思うが、山北王(攀安知)と湧川大主の従弟なので抵抗する可能性もあった。なるべく、戦はせずに話し合いで解決したかった。 徳之島按司は永良部按司の弟なので、永良部按司が従えば従うだろう。ただ、妻が山北王の妹なので、兄の敵に従うなと言うかもしれなかった。 奄美按司は志慶真大主の弟で、妻は我部祖河の長老の娘だった。幼い頃の志慶真ヌルは奄美按司の妹と仲良しだったという。奄美按司が志慶真ヌルを覚えているかどうかわからないが、志慶真ヌルと叔父のシルーに説得されれば逆らわないだろう。奄美按司になる前は今帰仁のサムレー副大将を務めていたので、今帰仁に帰りたいと言えばそれでもいいとサグルーは父のサハチ(島添大里按司)から言われていた。 鬼界島(喜界島)には御所殿(阿多源八)がいて、湧川大主に抵抗していたが、鬼界島の神様は『ユンヌ姫』の娘の『キキャ姫』だから大丈夫とシンシンとナナが言うので、ヌルたちに任せよう。 順調に行けば、二か月もあれば平定できるだろうが、冬にならなければ帰れないのが辛かった。奄美大島の山の中で兵たちを訓練させるかとサグルーは思った。 夏の強い日差しを浴びながら与論島には正午過ぎに着いた。 サグルーは五年前に与論島に来ていた。その時は浜辺に『三つ巴紋』の旗がたなびき、苗代之子(マガーチ)が与論島を占拠していた。伊平屋島と伊是名島を攻めた山北王と交渉するために与論島を奪い取ったのだった。山北王は伊平屋島と伊是名島から手を引き、中山王(思紹)は与論島を返し、中山王と山北王は同盟した。あれから五年、山北王は滅び去り、与論島を中山王の支配下に置かなければならなかった。 麦屋ヌルは五年振りに見る与論島を見つめながら知らずに涙がこぼれ落ちていた。家族は皆、殺されてしまったが生まれ島から離れたくはなかった。ここにいては危険だとウニタキ(三星大親)に言われて仕方なく首里に行った。浮島(那覇)の賑わいに驚き、幼い頃に行った勝連グスクよりも立派な首里グスクにも驚き、馬天ヌル(思紹の妹)に再会して師事した。 馬天ヌルと一緒にウタキ(御嶽)巡りの旅をして、様々な事を学び、各地のヌルたちとも親しくなった。馬天ヌルの凄さを思い知ると同時に、古い神様の声が聞こえない自分が情けなくなくなった。与論島に帰る前に古い神様の声が聞こえるようになろうと懸命に修行を積んだ。そして、今年の三月、安須森ヌル(サハチの妹)、ササ(運玉森ヌル)たちと一緒に『久高島参詣』に行った時、久高島の神様の声が聞こえるようになり、『ユンヌ姫』の声も聞こえるようになった。 麦屋ヌルは五年間に起きた様々な事を思い出しながら、首里に行って本当によかったと心から思い、晴れ晴れとした気持ちで帰郷できた事に神様に感謝した。 前回と同じように与論島の南側の赤崎の浜辺に向かうと、浜辺に数人の人影が見えた。 「与論按司のお出迎えよ」とユンヌ姫の声が聞こえた。 「ユンヌ姫様が与論ヌルに知らせたの?」とナナが聞いた。 「違うわよ。与論ヌルはあたしの声は聞こえないわ。あたしの子孫は絶えてしまって、あの島にはあたしの声が聞こえる人はいないのよ。毎日、退屈していた時にササが来たのよ。あたしの声が聞こえるササに会えたのが嬉しくて、ササと一緒にヤマトゥ(日本)に行ったりしていたのよ。麦屋ヌルがあたしの声が聞こえるようになったので、これからは楽しくなりそうだわ。でも、麦屋ヌルの跡継ぎがいないのは淋しいわね」 「この年齢になって、跡継ぎを産むのは無理ですよ」と麦屋ヌルは言ってから、「与論島の歴史を教えて下さい」とユンヌ姫にお願いした。 「わかっているわ。でも、ここではだめ。あたしだって神様らしくウタキでお話ししたいわ」 「ユンヌ姫様が知らせたのでなければ、与論按司はどうやって知ったの?」とシンシンが聞いた。 「今帰仁にいた湧川大主の配下がこの島に来て、中山王の兵が梅雨明けに攻めて来るって知らせたの。それで、見張らせていたのよ。それに、こんな大きな船が八隻も来れば、ウミンチュ(漁師)たちも驚いて按司に知らせるわ」 それもそうだとサスカサたちは納得して、浜辺で待っている按司と数人の兵、与論ヌルと若ヌルを見た。 按司が送って来た小舟が武装船の脇に付き、サグルーは警戒して、クンと娘を連れたクミ、サスカサ、シンシン、ナナを送ろうとした。タマとマナミー(瀬底の若ヌル)も一緒に行くと言い、麦屋ヌルも一緒に行くと言った。 「与論ヌルはわたしの弟子です。何とか説得します」と麦屋ヌルは言った。 サグルーはタマとマナミー、麦屋ヌルが行く事を許し、ヤールーを見てうなづいた。 ヤールーはウニタキの配下でサグルーの護衛を命じられていた。今回、ヤールーは二十人の配下を与えられ、ウミンチュに扮した二十人は武装船より先に来ていて、赤崎の周辺に隠れて待機しているはずだった。 上陸したクンとクミは五年振りに与論按司と再会した。 与論按司は二人を見て笑い、「まさか、姉さんとクミが来るとは思ってもいなかった」と言った。 「山北王の側室だった姉さんは殺されたものと思っていましたよ」 「わたしは戦が始まる前に国頭に帰っていたのよ。中山王のサムレー大将が国頭に来たので、捕まるのかと思ったけど、南部に連れて行ってくれて、マサキとミンに会って来たわ」 「姉さんが首里に行ったのか」と与論按司は驚いた。 「首里に行って中山王と会って、島尻大里に行って山南王(他魯毎)とも会ってきたわ」 「ほう。信じられん事が起こるもんだな。山北王の側室が中山王と山南王に会うなんて‥‥‥そして、今度はここに来たのか」 「そうよ。あなたも知っていると思うけど、山北王は滅びたのよ。もう山北王はいないのよ。こんな事になるなんて思ってもいなかったけど、世の中は変わってしまったのよ。あなたも考え方を変えなくてはならないわ。お父さんは中山王と一緒に山北王を攻めたから、あなたも中山王に従うと誓えば、与論按司のままでいられるはずよ」 「俺を捕まえに来たのではないのか」 「違うわ。奄美平定の総大将は中山王の孫の山グスク大親なの」 「山グスク大親? 聞いた事もないな」 「今帰仁攻めの総大将だった島添大里按司の息子よ。今帰仁攻めでは志慶真曲輪を攻め落とす活躍をしたのよ。山グスク大親はこの島に来る前に伊江島に行って、若按司を殺す事なく、按司として認めたわ。敵対していた伊江按司の息子を助けたんだから、あなただって助かるはずよ」 「そうか‥‥‥ところで、姉さんは山北王を殺されて、中山王を恨んでいないのか」 「えっ?」とクンは言って、首を傾げた。 「ハーン(攀安知)はクーイの若ヌルに夢中になっていて、わたしの事なんて忘れてしまったようだったもの。マサキとミンが無事に生きていればそれでいいのよ。もう今帰仁に縛られることもないし、これからはこの島でのんびり暮らそうかしら」 「今、いい所ねって娘と言っていたのよ。あたしたちもここで暮らそうかしら」とクミが言った。 「大歓迎だよ。ここはいい島だ。俺も来てよかったと思っている。ここの按司になれたのは湧川大主殿のお陰だ。その湧川大主殿が、島の人たちのために戦はするなと言ったんだ。俺は中山王に従うよ」 クンは父から預かっていた書状を弟に渡した。 按司は書状を読むと、「島添大里ヌル様はどなたですか」とサスカサたちを見た。 サスカサが軽く手を上げた。 「噂で首里には女子のサムレーがいると聞いていたが、ヌルまでサムレーの格好をしているとは驚いた」 そう言って笑うと、与論按司は真面目な顔になって、「中山王に従う事を神様に誓います」と言って頭を下げた。 サスカサはうなづいて、懐から『三つ巴紋』の旗を取り出すと、武装船の上にいるサグルーに向かって振った。 サグルーはうなづくと、ジルムイ、マウシ、シラーと一緒に小舟に乗り移って砂浜を目指した。 麦屋ヌルは与論ヌルとの再会を喜んでいた。与論ヌルは家族を殺した敵の娘で、いやいやながら指導していたが、与論ヌルの家族も殺されはしなかったものの島から追い出されていた。山北王は中山王が倒してくれたので、もう敵討ちは終わりだった。この島の歴史をもっと学んで、この島で戦死した人たちを弔わなければならないと思っていた。 サグルーたちは五十人の兵を連れて、与論按司と一緒に与論グスクに入った。サスカサたちは麦屋ヌルと一緒にユンヌ姫のウタキがある『ハジピキパンタ』に向かった。 ウタキに着くと、いい眺めだとタマとマナミーが騒いだ。麦屋ヌルも懐かしい眺めを楽しんだ。 五年前、ササがここでユンヌ姫の声を聞いた。馬天ヌルの娘なので生まれつきシジ(霊力)が高いのだろうと麦屋ヌルは思った。自分には無理だと諦めていたが、首里に行ったお陰で、ユンヌ姫の声が聞こえるようになった。麦屋ヌルは感謝の気持ちを込めてお祈りをした。 「戻って来てくれたのね」と神様の声が聞こえた。 いつものユンヌ姫の声ではなかった。シンシンとナナはいたずら好きなユンヌ姫がお芝居をしているに違いないと思い、心の中で笑っていた。 麦屋ヌルは首を傾げてから、「ユンヌ姫様ですか」と聞いた。 「そうですよ。この島の歴史を教えてあげるわ。あまりにも古すぎてわからないけど、三千年余り前に、この島にも『シネリキヨ』が来たと思うわ。そして、二千年余り前に『アマミキヨ』が来て、アマミキヨの子孫の『瀬織津姫様』がヤマトゥに行って貝殻の交易が始まったのですよ。貝殻の工房ができて、夏にはヤマトゥに行くお船が泊まり、冬になるとヤマトゥから帰って来たお船が泊まって、この島も栄えたわ。でも、貝殻の交易は百年くらいで終わってしまって、静かで平和な島に戻ったのよ。『スサノオ様』が琉球に来たのは一千年余り前で、貝殻の交易が再開されました。その時の交易は五百年も続いたわ。でも、時の流れで、貝の腕輪や首飾りが必要とされなくなってしまうの。二百年くらいヤマトゥとの交易は途絶えてしまって、そして、登場したのがヤクゲー(ヤコウガイ)なのです。螺鈿細工に必要なヤクゲーを求めて熊野水軍のお船がやって来て、また忙しくなったのですよ。ヤクゲーの交易はヤマトゥからお船は来たけど、琉球からヤマトゥには行かなかったのよ。その頃、鬼界島に『太宰府』のお役所ができて、鬼界島に行けばヤマトゥの商品が手に入ったの。徳之島では窯がいくつもできて壺作りも始まったわ。わざわざヤマトゥまで行かなくても、鬼界島や徳之島まで行けばよかったのよ。この島を交易の拠点にしようとして、琉球から『大里按司』の息子がこの島に来たわ。同じ頃、ヤマトゥからこの島に来た人たちもいて、交易を巡って争いを始めたのよ。ヤマトゥから逃げて来た『平家』が今帰仁にグスクを築いて按司になると、按司の息子が永良部按司になって与論島も治める事になったんだけど、与論島の事は大里按司の息子の子孫のニッチェーに任されて、『アジ・ニッチェー』と呼ばれるようになるわ。『英祖』が浦添按司になって、英祖の次男(湧川按司)が今帰仁按司になると永良部按司は変えられたけど、与論島の事はアジ・ニッチェーに任されたままだったのよ。その頃、ヤクゲーの交易は終わってしまうわ。螺鈿細工の技術が向上して、アワビが代用されるようになったようだわ。ヤクゲーの交易は終わったけどブラ(法螺貝)の交易は続いて、ヤクゲーの時ほど頻繁ではないけど熊野水軍のお船は来たのよ。六十数年前、勝連按司の三男がこの島に来て、与論按司になったわ。あなたのお祖父さんよ。勝連按司はヤマトゥとの交易を盛んにしていて、与論島を勝連への中継地として支配下に置きたかったのよ。アジ・ニッチェーはあなたのお祖父さんに従って、長年、敵対していたヤマトゥンチュ(日本人)を倒して、島から追い出したのよ。そして、あなたが生まれた頃、浦添按司の察度は明国(中国)と交易を始めたわ。察度と同盟を結んでいた勝連按司は明国の商品を持ってヤマトゥに行き、ヤマトゥからも倭寇たちがやって来るようになって、琉球への行き帰りにこの島に寄るようになったわ。その後の事はあなたも知っているでしょ」 「長年、この島を治めていたアジ・ニッチェーはどうして、祖父に従ったのですか」と麦屋ヌルが聞いた。 「アジ・ニッチェーは常に永良部按司に仕えてきたの。当時の永良部按司は今帰仁按司だった『千代松』の息子なの。そして、与論按司になった勝連按司の三男の妻は永良部按司のお姉さんだったのよ」 「という事はお祖父さんの奥さんは千代松様の娘さんだったのですか」 「そうよ。察度は前年に浦添按司になったばかりだし、英祖の孫だった千代松は琉球で一番力を持っていたのよ。そんな人に逆らえるわけがないでしょ」 「こんな所でいいかしら」といつものユンヌ姫の声がした。 「お芝居するのは疲れるわ」と今まで聞こえていた声が言った。 「今までの声はユンヌ姫様ではなかったのですか」とシンシンが聞いた。 「ユンヌ姫ではなくて、『ユン姫』よ。あたしは『知念姫』の孫のユン姫なの。よろしくね」 「えっ!」とシンシンもナナも麦屋ヌルも驚いた。 「みんなを騙そうってユンヌ姫に言われて、その話に乗ったのよ」 「ユン姫様はどうして、ユンヌ姫ではないのですか」とナナが聞いた。 「この島はあたしの名前を取って『ユンぬ島(ユンの島)』ってなったのよ」 「そういう事だったのですか」とナナは納得して、「他にも神様の名前が付いた島はあるのですか」と聞いた。 「今も残っているのは徳之島だけね。徳之島はあたしの三女の『トゥク姫』が行って『トゥクぬ島』になったのよ。次女の『ユワン姫』は永良部島に行ったんだけど、永良部島に留まらないで奄美大島に行ったのよ。一番高い山に登って、そのまま大島に留まって、大島は『ユワンぬ島』って呼ばれていたんだけど、北から来たヤマトゥンチュが『奄美大島』って名付けてから、ユワンぬ島は忘れ去られてしまったわ。今は山の名前に残っているだけよ」 「永良部島はイラブ姫様ですか」 「違うわ。永良部島はあたしの孫娘が行ったんだけど、孫娘の名前は『ワー姫』よ。『ワーぬ島』だったんだけど、『イラブ島』になってしまったわ」 「イラブって何ですか」 「イラブー(ウミヘビ)がいっぱい住んでいたのよ」とユンヌ姫が言って、ユン姫が楽しそうに笑った。 「あたしもユン姫様の事を知らなかったのよ」とユンヌ姫が言った。 「ヤマトゥから帰って来て、ミャーク(宮古島)のお船を送って行って、お祖父様(スサノオ)と瀬織津姫様と一緒にトンド(マニラ)まで行って、久し振りに与論島に帰ってきたら、ユン姫様の声が聞こえて、瀬織津姫様を連れて来てくれてありがとうって言われて驚いたのよ。ササが瀬織津姫様を探し出したお陰で、古い神様の声が聞こえるようになって、益々楽しくなったわ」 「麦屋ヌルさんがユンヌ姫様の声が聞こえるようになったのはわかりますが、どうして、ユン姫様の声も聞こえるのですか」とサスカサが聞いた。 「麦屋ヌルはお祖母様(知念姫)の子孫なのよ」とユン姫が言った。 「えっ!」と麦屋ヌルが驚いた。母親がヌルだったわけではなく、祖父が与論按司になったので、叔母の跡を継いで与論ヌルになり、跡継ぎのいなかった麦屋ヌルを継いだだけだった。 「マトゥイ(麦屋ヌル)の母親は勝連按司の娘よ。父親は与論按司の息子で、父と母は従兄妹同士だったのよ。母親の母親は今帰仁按司の千代松の娘だったの」 マトゥイは祖母に会った事はなかった。祖母が亡くなり、母と一緒に勝連に行き、ウニタキと会ったのだった。 「祖母の母親は浦添按司だった英慈の娘よ。曽祖母の母親は富盛大主の娘で、富盛大主の娘の母親は与座ヌルで、与座ヌルの先祖をたどっていくとお祖母様に行き着くのよ。ユンヌ姫に扮していたから言わなかったけど、『スサノオ』が来た時は凄かったのよ。北の方から生意気な若造が来て、玉グスクの姫(豊玉姫)と結ばれたので、お祖母様に聞いたら、スサノオは瀬織津姫様の子孫だと聞いて驚いたわ。そして、スサノオはヤマトゥの国を造って大物主(王様)になった。玉グスクの姫とスサノオの間に生まれた『玉依姫』も大物主になったのよ。あの頃はヤマトゥとの交易で、この島も活気があったわ。この島からヤマトゥに行って活躍した人もいるのよ。そして、スサノオの孫の『ユンヌ姫』がやって来たわ。でも、ユンヌ姫にあたしの声は聞こえなかった。あたしとユンヌ姫は五百年近くも離れているから仕方なかったんだけど、ササが『瀬織津姫様』を連れて来てくれたお陰で、五百年前のあたしとユンヌ姫がつながって、声も聞こえるし、お互いの姿も見えるようになったのよ。忘れ去られていた神様たちが復活したのよ。あなたたちはこれから奄美大島まで行くんでしょ。あたしの娘や孫娘がいるからよろしくね」 麦屋ヌルはユン姫とユンヌ姫に感謝して別れ、サスカサたちを連れてサミガー親方に会いに瀬利覚(立長)の浜辺に行った。作業場に顔を出すとサミガー親方は驚いた顔をして麦屋ヌルを見た。 「麦屋ヌル様、帰っていらしたのですか」 「中山王のお船に乗って帰って参りました」 「そうでしたか」と言ってサミガー親方は麦屋ヌルの姿を見て笑い、「サムレーの格好がよく似合っていますよ。でも、ヌルとして一段とシジ(霊力)が高くなったようですね。神々しく見えますよ」と言った。 「首里で馬天ヌル様の元で修行を積みました」 「そうでしたか」とサミガー親方はうなづいた。 「親方も元気そうなので安心しました」 「フニも戻って来ましたし、今の按司ともうまくやっています」 麦屋ヌルがサスカサを紹介するとサミガー親方は驚き、「サミガー大主様の曽孫さんが来てくれるなんて」と言って頭を下げ、一行を屋敷の方に案内した。 麦屋ヌルはフニとの再会を喜んだ。 サミガー親方が与論島に来たのは麦屋ヌルが十七歳の時だった。その年、祖父が亡くなって、父が按司を継いだのでよく覚えていた。フニは八歳だった。当時、若ヌルだった麦屋ヌルは息抜きで瀬利覚の浜辺に行って、フニとよく遊んでいた。二十一歳の時、伯母の与論ヌルが亡くなって、与論ヌルを継いだ。二十四歳の時、突然、山北王の兵が攻めて来て、父と兄は戦死して家族は全員殺された。麦屋ヌルは敵の娘をヌルに育てるために生き延びた。それから二年後、十七歳になったフニは与論按司の側室になった。サミガー親方が島から出ていかないように人質として娘を側室に迎えたのだった。グスクに来た当初は泣いてばかりいたフニも可愛い娘を産み、按司もフニを大切にしていたので安心して、麦屋ヌルは若ヌルに与論ヌルを譲って麦屋に移った。麦屋ヌルと出会い、島の事や神様の事を学び、跡継ぎのいなかった麦屋ヌルを継いだ。麦屋ヌルになって九年後、ウニタキが突然やって来て、中山王の兵が与論島を占領した。すぐに与論島は山北王に返されたが按司は変わり、フニは解放されたのだった。 「先代の与論按司は屋我大主を名乗って、今は名護にいるらしいわ」と麦屋ヌルはフニに教えた。 「そう。まだ生きていたの‥‥‥」 「会いたい?」 「わたしは会いたくはないけど、子供たちは会いたがっているわ」 「子供たちにはお父さんの事を何て言っているの?」 「今帰仁でお仕事をしているって言ってあるわ」 「今帰仁の城下が再建されたら会いに行けばいいわ。山北王はもういないから、これからはどこにでも行けるのよ」 「あの人も中山王に仕えるの?」 「今は名護にいるけど、今帰仁の再建を手伝えば、中山王に仕えるかもしれないわね」 「手伝わなければ?」 「隠居して名護で静かに暮らすんじゃないかしら」 「子供たちももう大人だし、子供たちの判断に任せるわ」 「ハナちゃんはお嫁に行く年頃じゃないの?」 「そうなんだけど、その気はないみたい。幼い頃から海は好きだったんだけど、グスクから出てここに来て、父からカマンタ(エイ)捕りを教わったら夢中になっちゃって、サブルと一緒に毎日、海に出ているわ。サブルはサムレーになれ、あたしがお爺ちゃんの跡を継ぐって言っているのよ」 「ハナちゃんが跡を継ぐの?」と言って、麦屋ヌルは楽しそうに笑った。 屋敷に上がって、サミガー親方が馬天浜で修行をしていた頃の話を聞いて、サスカサの父のサハチが五年前に来て、ウニタキと一緒にカマンタ捕りをやっていた話を聞くと、「あの時、わたしも一緒に来たかったわ」とサスカサが言った。 「按司様が与論島に行くのは急に決まった事だったから島添大里に知らせる暇はなかったのよ」とナナが言った。 「交易船に乗ったら、ササ姉たちは与論島に行っていて、与論島から乗り込むって聞いて驚いたわ」 「でも、あの時、与論島に来てユンヌ姫様に出会ったのよ。あの時、出会わなかったら、今回、始めて出会う事になっていたかもしれないわ」 「あの時、ユンヌ姫様に会わなかったら、南の島にも行かなかったかもしれないし、瀬織津姫様にも会えなかったかもしれないわ」とシンシンが言った。 「そうね。ユンヌ姫様に会わなかったら、何もかも違っていたかもしれないわ」 「ユンヌ姫様というのはこの島の神様ですか」と親方が聞いた。 「そうなのです。五年前にササ様が来て、ユンヌ姫様の事がわかったのです」 神様の話をしても親方は退屈だろうと、麦屋ヌルは話題を変えて、「湧川大主はこの島に来ましたか」と聞いた。 「ええ、来ましたよ。戦の前にやって来たので驚きました。この島の兵を連れて行くのかと思っていたら、逃げて来たと言うので唖然となりました。ここにも来て、ウミンチュたちと一緒に酒を飲んで騒いでいたので驚きましたよ。まるで、別人にように変わっていました」 「湧川大主がウミンチュと一緒にお酒を飲んでいたのですか」と麦屋ヌルは信じられないといった顔をした。 捕まった母や兄たちの家族、妹の家族も殺せと命じた鬼のような顔をした湧川大主の顔は今でも覚えている。若いのに冷酷な男で、島の人たちを見下していて、一緒にお酒を飲むなんて考えられなかった。 「側室や子供たちも連れてきて、楽しそうによく笑っていました。今帰仁で戦をしている事なんて、自分とは関係ないといった感じでしたよ。半月くらい滞在していました。四月の半ば頃、配下の者が娘の若ヌルを連れてきて、翌日に去って行きました。本当かどうかわかりませんが、ヤマトゥに行くと言っていました。若い頃に一度、ヤマトゥに行った事があって、その時は博多に行ったけど、今度は京都まで行ってみたいと言っていました」 「湧川大主はヤマトゥに行きましたか」と麦屋ヌルは少し安心したような顔をした。 サミガー親方は麦屋ヌルの帰郷祝いとサスカサの歓迎の宴を催すと言って、島の人たちを集めて浜辺で酒盛りが始まった。 サグルーと与論按司との話はうまくまとまった。シンゴ(早田新五郎)が持って来てくれた熊野の牛王宝印に誓約書を書かせ、中山王の船と中山王と取り引きをしているヤマトゥンチュの船がアガサ泊(茶花)に寄港する事になり、中山王の進貢船に乗って明国に行く従者を送る事も許された。若ヌルを人質として預かり、奄美大島からの帰りに若ヌルを返して、若按司を首里に連れて行き、何事もなければ、来年の夏には若按司を返す事に決まった。 湧川大主の事も与論按司から聞き、ウニタキが前もって送っていた配下の者からも聞いた。与論按司は嘘をついてはいないので、今の所は信用してもいいだろうとサグルーたちは思った。 |
与論島